伝えたんく

日々の何気ないできごとに感じた幸せ

時々思う。

2013-05-31 23:14:22 | 言いたんく

旅の話である。

2009年に仕事で福島の郡山にいった。

3.11の前で放射線を気にすることのなかった時期だ。

1泊の出張で、仕事は郡山市内だった。

宿は少しは離れて磐梯熱海の宿。

ゆきたんくの旅の朝の日課は「朝の散歩」だ。

この時も朝4時に起きて、磐梯熱海の街中をフラフラとカメラ片手に歩き回った。

真っ暗な時に旅館を出た。

そして旅館に着く前は太陽が昇り始めていた。

その時である。

目の前に紅葉が飛び込んできた。



素晴らしい色だ。


 旅館に着いたら起きたばかりの仲間(同じ職場ではないので)に伝えた。

 窓の外を見ると、何のことない緑の山が目の前にあるだけだった。

 朝日が山に当たって、赤く見えただけだということが後で分かった。

 この景色が当時は良い思い出として自分の中に残っていた。

 現在では、この写真を見る度に郡山の方達の生活を思ってしまう。

 現地に足を運んでいないので、その詳細は分からない。

 郡山市地理情報システムというサイトがある。

 その中で放射線量が分かるようになっている。

 それで測ると、ゆきたんくが仕事をした場所は2.5以上になっている。

 高めだなぁと思う。

 福島の方々が万事安心して生活できる日を願っている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

救世主!

2013-05-30 23:22:22 | 音楽

加齢。

避けては通れないものである。

加齢と共に衰えること、目に見えて衰えること、実感すること、増えてきた。

アンチエイジングという言葉もあるが、加齢の速度を遅らせることらしい。

さて、ゆきたんくがショックを受けたことの一つ。

ゆきたんくの趣味であるギター演奏。

右手の爪を少し伸ばして、爪で弾いていたのである。

その爪が弱くなってきた。

少しのショックで割れるのである。

ギターショップで、爪弾き用のマニュキアも買ってつけてみたがどうもしっくりとこない。

そこで救世主。

友人のプロギタリストからの情報。


 


アロンアルファの緑の「釣り名人」


  これが良いのだそうだ。

 まず、低粘度で乾きが速いことからギター弾きは重宝しているという。

 渋谷のレコード店が連なるそばに釣具屋さんがあるという。

 どう見ても釣りなどはしないだろうという服装に身を包んだ、来日した外国人ギタリストたちが、釣具店に入っていく。

 そして、「釣り名人」をまとめ買いしていくんだそうな。

 ここでも日本製品のレペルの高さ(この場合、正確にはニーズだな)を示していることは素直に嬉しい。

 で、使ってみた。



塗っただけ。まだ形を整えてはいない。


 よく伸びる。

 1回塗っただけでは塗ったかどうか分からない。

 写真の爪は3回塗ったものである。

 形を整えて、ギターを弾いてみた。

 驚いた。

 爪が丈夫だったころの弾き心地が戻ってきた。

 「釣り名人」はギタリストの救世主だったのだ。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なぜ・・・

2013-05-29 23:15:00 | 言いたんく

いやあ、「暑くなった」と思ったら「肌寒い」朝。

変な気候なのか、体がついていかないのか。

まあ、ゆきたんくが子どもの頃(東京に住んでいた。)、35度を超えるなんて日はなかった。

それが、いつごろからだろうか。

平気で35度を超えるようになった。

熱帯夜、猛暑日なんて言葉もなかった。

何かすっきりとしない。

天気に振り回されているようだ・・・



本日(5/29 7:15)、出勤途中の空模様


一面の空を覆う雲の下に、また雲がいる。

憂鬱を写真に表すとこんな感じになるのだろうか。

そして、天気や気圧によって、人間の感情の起伏も変わるということを聞いている。

昨今の気象状況は人間にとって良くない状態なのかもしれない。

さて、職場に入ればスイッチが入るゆきたんくである。

ちゃんと仕事をしましたよ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お掃除

2013-05-28 23:07:50 | 音楽

久しぶりに楽器のお掃除である。

家においてある廉価エレアコ。

アリアのエレアコはなかなか弾かなくて放置プレーである。

右手の爪も弱くなってきて、良い音が出ない。

余計にギターから遠ざかってしまうのである。

でもね、たまにはお掃除をしないといけない。

使うのはこれ。



PCのキーボード・クリーナー


 まあ、スライムだな。

これだと、狭いところ隙間にも入っていってゴミを吸着してくれるのだ。



ヘッド部分にペタンと・・・


ほれ、この通り。



まあ、汚かったこと・・・


 このように細かい埃等を吸着してくれるのでありがたい。

30分の間、ギターを慈しんだゆきたんくでありました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旅の楽しみ153…キリスト教伝来の地・鹿児島

2013-05-27 23:48:01 | 

さて、日本人にキリスト教の信者はどれだけいらっしゃるのだろうか。

また、キリスト教と言っても、大きく分けて、ローマン・カトリックとプロテスタントに分かれる。

ローマン・カトリックの信者だと約45万人である。

その始めの1歩が、ここ鹿児島の「高見馬場」(鹿児島市電停留所)の北300mにあるザビエル公園である。

鹿児島市がザビエル上陸400年を記念して作った公園である。


 


キリスト教伝来の地


 

 千里の道も一歩からである。

 そのころ、ザビエルから見た日本人は


 

此の国民は、わたしが遭遇した国民の中では一番傑出している。私には、どの不信者国民も、日本人より優れている者は無いと考えられる。日本人は総体的に良い素質を有し、悪意が無く、交わって頗る感じが良い。彼らの名誉心は特別に強烈で、彼らにとって名誉が凡てである。日本人は大抵貧乏である。しかし武士たると平民たるとを問わず、貧乏を恥辱だと思っている者は一人もいない。」

 「彼らにはキリスト教国民の持っていないと思われる一つの特質がある。それは武士が如何に貧困であろうと、平民が如何に富裕であろうとも、その貧乏な武士が、富裕な平民から富豪と同じように尊敬されていることである。また貧困の武士は如何なることがあろうとも、また如何なる財宝が眼前に積まれようとも、平民の者と結婚など決してしない。それに依って自分の名誉が消えてしまうと思っているからである。それで金銭よりも、名誉を大切にしている。日本人同士の交際を見ていると、頗る沢山の儀式をする。武士を尊重し、武術に信頼している。武士も平民も、皆、小刀と大刀を帯びている。年齢が14歳に達すると、大刀と小刀を帯びることになっている。」

「彼らは恥辱や嘲笑を黙って忍んでいることをしない。平民が武士に対して最高の敬意を捧げるのと同様に、武士はまた領主に奉仕することを非常に自慢し、領主に平身低頭している。これは主君に逆らうことが自分の名誉の否定だと考えているからであるらしい。日本人の生活には節度がある。ただ飲むことに於いて、いくらか過ぐる国民である。彼らは米から取った酒を飲む。葡萄はここには無いからである。博打は大いなる不名誉と考えているから一切しない。何故かと言えば、博打は自分の物でない物を望み、次には盗人になる危険があるからである。彼らは宣誓によって、自己の言葉の裏付けをすることは希である。宣誓するときには、太陽に由っている。住民の大部分は読むことも書くこともできる。これは、祈りや神のことを短時間で学ぶための頗る有利な点である。日本人は妻を一人しか持っていない。窃盗は極めて希である。死刑をもって処罰されるからである。彼らは盗みの悪を非常に憎んでいる。大変心の善い国民で、交わり且つ学ぶことを好む。」

神のことを聞くとき、特にそれが解るたびに大いに喜ぶ。私は今日まで旅した国に於いてそれがキリスト教徒たると異教徒たるとを問わず、盗みに就いてこんなに信用すべき国民を見たことが無い。獣類の形をした偶像などは祭られていない。大部分の日本人は、昔の人を尊敬している。私の識り得た所に依れば、それは哲学者のような人であったらしい。国民の中には、太陽を拝む者が甚だ多い。月を拝む者もいる。しかし、彼らは、皆、理性的な話を喜んで聞く。また、彼らの間に行われている邪悪は、自然の理性に反するが故に、罪だと断ずれば、彼らはこの判断に諸手を挙げて賛成する。」

           ペドロ・アルベ、井上郁二訳「聖フランシスコ・ザビエル書簡抄」より


ザビエル滞鹿記念碑


 なんと日本人を素晴らしく見てくれているではないか。

 しかし、ザビエルの見た様な日本人は絶滅に向かっているのだろう。

 保護する者はいないからだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋川高等学校7…発表

2013-05-26 23:33:01 | 東京都立秋川高等学校

若い奴が調子にのるほど、格好悪いものはない。

秋川高等学校受験発表の日は、ある意味特別な日である。

ゆきたんくは私立を3校受けていてすべて合格していた。

当然、都立も合格するものだと思っていたのだからいい気なものである。

「先生、行ってきます。」

母校の中学校を一緒に受けた友人と出発したゆきたんくである。

2時間半かかって秋川高等学校に着いたのだ。

さて、その時の時刻は14時ごろ。

さあ、ある意味特別な日とは・・・

合格した私立高等学校の入学金振込み最終時刻が16時だったと思う。

つまり、都立高の合否を両親、学校の担任や進路指導主任は首を長くして待っていたのである。

私立の入学金を振り込まねば、合格は取り消し、都立を落ちてしまえば中学浪人なのである。

 

合格者の受験番号が並んでいる掲示板の前にきた。

友達はすぐに自分の番号を見つけた。

「やったぁ、おめでとう。」と余裕の声をかける。

それで自分の番号を探す。

「ない・・・」

もう一度探す。

「ない・・・」

念のためもう一度探す。

「ない・・・」

そんな馬鹿な、俺落ちたんだ。

「帰ろうか・・・」

友達にそう言い、駅の方向を向いた。

すごい敗北感に包まれたその時、「おい、こっちへ来いよ。」

掲示板はもう一つあって、そちらに自分の番号があったのである。

「やったぁ。」

二人で大きな喜びに包まれた。

そして、マルモという制服の業者が手招きをしていたので、その勢いで制服まで作ってしまった(笑)

「おい、お祝いだ。」

メタセコイア並木を歩きながら、薔薇色の人生が始まったかの錯覚をした。

たしか、西秋留の駅前かなんかで食事をした。

とっくに16時なんて過ぎてしまっている。

もう、何を話したのか覚えちゃ入ないが、楽しくってしょうがなかった。

20時過ぎに中学校に到着した。

合格の報告である。

「よくやった、おめでとう。」どころか、たいそう雷を落とされた。

まぁ、合格したということで、事は収まったが・・・

そう、ゆきたんく家の親父はたいそう怒って、絶対に私立の入学金なんて払わないと母親がどんなに頼んでも動かなかったようだ。

その手前、秋川への入学を許さざるを得なくなってしまった親父である。

親父の望んだ、公立高等学校への切符を手にしたゆきたんくは強かった。

まっ、はっきり言って、2発殴られたんだけれどね。

次回、「入寮前」

私たちの母校「東京都立秋川高等学校(全日制・全寮制)」の跡地に残されたのは300mの「メタセコイア並木」だけです。

この並木を残したいと、私たちOBは切実に願っています。よろしかったらご署名くださいませ。 ゆきたんく

メタセコイア保存嘆願書


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Tubular Bells 発売40周年記念パーティー

2013-05-25 23:32:27 | 音楽

マイ・フィバリット・アーティスト、マイク・オールドフィールド氏。

氏のソロデビューから40周年を迎えた。

日本人のファンは数少ない。

近隣のファンで集まって、40周年を祝った。



御茶ノ水 Woodstock Cafe


 マイクを介したお友達、おぐりんさんが幹事として切り盛りしてくださった。

 御茶ノ水のウッドストック・カフェを会場として、TubularBellsを初めとして、マイクの楽曲だけを流して話をする。

 初めて聴く音源もあって、嬉しい時間を過ごすことができた。



カフェ店内の様子


 大きなアンプから、聞こえてくるマイクに耳を傾けながら、マイク関連のことだけに集中できる時間を、有志としもに過ごせるのことはまずない。

 次は10年後の50周年という話になったが、すぐにセカンド・アルバム「ハージェスト・リッジ」の40周年という話になった。

 ということは来年である。

 ちなみにこのカフェの店名、ウッドストックはアート・ムーブメントの活動がニューヨーク州の町、ウッドストックにて開催されたことから音楽にもと名前をつけたものである。

1969年夏に3日間に渡って40万人以上の観客を動員したウッドストック・フェスティバルは、町が開催を断った。

70km離れた、サリバン郡ベセルで開催された。

 ちなみにマイクのデビューアルバム「チュブラー・ベルズ」が生まれたのは、イギリスの小さな町ウッドストックから3kmの隣町、シップトン・オン・チャーウェルである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋川高等学校6…受験当日

2013-05-24 23:58:16 | 東京都立秋川高等学校

何にも覚えていない。

これが自分の記憶である。

あっ、一つ覚えていた。

ただし、これが受験のための、行きだったのか帰りだったのか覚えていない。

秋川高等学校は、西秋留と武蔵引田の間にある。

武蔵引田から西秋留に電車で行っても15分歩かねばならない。

だったら武蔵引田から歩いちゃおうとなったのか覚えていないのだ。

1つだけ覚えていたのは、メタセコイア並木だ。



メタセコイア並木、高校内のメインストリートにある。長さ300mあまり


 この写真は西秋留から歩いて行ったらば見れる風景である。

 武蔵引田から受験に向かうのならば、写真奥からこちらを見ることになる。

 このメタセコイア並木が記憶に残っているのである。

 さて、話は変わるが、このメタセコイア並木は旧秋川高等学校敷地跡に残されている唯一の面影である。

 秋川高等学校は2001年に閉校となり、その後、三宅島の雄山(おやま)の噴火により、島民が避難し、小中高等学校児童生徒の学びの場として活用されてきた。 


 


「三宅村立小学校」、「三宅村立中学校」、「東京都立三宅高等学校」の看板


  使用可能だった施設も、現在では解体され、残されているのはメタセコイア並木だけになった。

 都は更地にして売る予定だったのだ。

 結局買い手がつかないので、国体の馬術競技の会場として施設作りが進んでいる。

 つまり国体が終わるまでは並木はあるだろうということだ。

 秋川高等学校の卒業生は、その後のことを心配しているのである。

  この東京都立秋川高等学校の卒業生としては、この並木だけは絶対に残したいと願っている。

 現在同窓会では、署名「メタセコイア保存嘆願書」を集めている。

 ここ伝えたんくを見て下さる方にお願いいたします。

 よろしかったら、「メタセコイア保存嘆願書」に署名をお願いします。

 署名である以上、FAXやメール添付で送信は認められておりません。

 自著で郵送しか法的には効果がありません。

 下にリンクを貼ります。

 様式と、見本がありますのでよろしかったらご協力ください。

メタセコイア保存嘆願書

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋川高等学校5…受験前夜・武蔵引田

2013-05-23 23:45:10 | 東京都立秋川高等学校

さて、いよいよ受験である。

これまでに私立を3校受けた。

すべて合格していた。

第一希望校の受験はさすが緊張するだろう。

それに遠いということで、前日は西秋留(にしあきる)の隣にある武蔵引田(むさしひきだ)駅近くの旅館に泊まることにした。


 


JRになる前の武蔵引田駅


同じ中学校からもう一名、そして他の中学校からの計4名で1部屋に泊まることとなった。

最初は緊張していたが、しだいに打ち解けてきた。

風呂にも入り、食事も済ませ、後は寝るだけである。

勉強をする者は一人もいない(笑)

そのうち、一人が

「のど渇かない」と言い出した。

ちょっと行ってくると言って出かけ、帰って来た時に持っていたのは、ビールだった。

私の学校の2名は飲まなかった。

他校の2名は、美味しそうに飲んでいる。

受験前夜に飲酒というのは大したものだ。

ゆきたんくはバレたらどうするんだと思っていた。

酒というのは緊張を解いてくれるのだろうか。

しばらくしたら、ゆきたんくを除く3人の寝息が聞こえてきた。

あらら寝れない。

チキンハート出現である。

その日はいつの間にか寝ていたと思う。

ちなみに旅館に泊まっていた4人。

全員無事に卒業いたしました(笑)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋川高等学校4(特別編)…親父との確執

2013-05-22 23:04:23 | 東京都立秋川高等学校

ゆきたんくは一人っ子である。

親の期待も高かったのだろうなぁとは思う。

しかし、それに応えるだけの器量はなかったんだなあ。

洗濯屋の親父は厳しかった。

職人である。

白いものを指差して「俺が黒と言ったら黒なんだぞ!」

子ども心に職人というものを理解していなかったので、親父は頭が変になったんだ。とか思うこともあった。

よく、殴られたし、アイロンは投げるし、怖いこと怖いこと。

現代では考えられないだろうが、学校で体罰なんて受けたら大変。

親父「おい、お前、今日学校でしかられたんだって?」

   「何発ぶたれた?」

ゆきたんく「2発・・・」

というと×2の4発ぶたれるのである。

都合の悪いことは一切告げなかったね。

そして受験に関しては

「お前は公立しか受けさせない。」

「私立なんてとんでもない。」

「落ちたら働くんだな。」

と毎日のように言われていた。

「都立1本か・・・」

ところが、秋川を受けることが本決まりとなった夕飯時・・・

親父「おい、お前。私立を受けてみないか。」

ゆきたんく「・・・・(まじ)。」

親父「受けてもいいぞ。」

ゆきたんく「・・・・(冗談じゃないよなぁ)。」

親父「3校くらい受けるか?」

ゆきたんく「・・・・(ここで受けるなんて返事をしたら、「やっぱりおまえの本音はそこかとつっこまれるかもしれない」)」

親父「まぁ、受けろよ。」

ゆきたんく「考えさせて」

本当はラッキーと思っているのに格好をつけたゆきたんくである。

まじかな、いいのかな・・・

下手に返事できないなぁ・・・

今、親になって思うけれど、一人っ子を家から出すのは心配だったのだろう。

ただ、秋川を第一志望にしていなければ、私立の話はあったか分からない。

親だって馬鹿ではないだろうから、受ける公立の合格率については計算していただろうからね。

かくして、滑り止めを受ける特典も手にして心が緩みに緩んだゆきたんくであった。

→ 秋川高等学校受験前夜…武蔵引田 へ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋川高等学校3…秋川高校見学

2013-05-21 23:51:28 | 東京都立秋川高等学校

ゆきたんくの中学校からは、2人受験することとなった。

担任から「お前はおっちょこちょいだから、事前に見学して交通手段、そして駅から高校までの道を確認しておけ」と言われた。

そんなものやったことにしておけばいいと思っていたが、もう一人の受験生が、「今度の日曜に行こう。」というので仕方なしに行くことにした。

自宅のあったのが東京都品川区の大井町。

友達と下調べはした。

まず、大井町から京浜東北線で品川まで行く。

品川から山手線に乗り換えて新宿まで行く。

新宿から中央線で立川まで行く。

立川から青梅線で拝島まで。

拝島から武蔵五日市線で西秋留(にしあきる現秋川駅)まで。

そして西秋留から高校まで歩いて15分。

いやぁ、とんでもない所だなぁ。と思いつつ、親の手の届かない所だなぁと(笑)

まぁ、一人だったらさぼっていたよねぇ。

見学に行った当日のことで印象に残っているのは、とにかく大きく広いこと。

ただでさえ高等学校は小学校や中学校に比べたら大きいのに、秋川は校舎だけではなく寮もあったから大きかった。

一発で気に入った。

「ここしかない。」

勉強して合格するしかないと初めて欲を出したのである。

周囲に気を遣う機能に欠落した人間、「ゆきたんく」が気づかなかったことがある。

そこには、先輩たちがいるということを・・・

→ 特別編、「親父との確執」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋川高等学校2…受験の条件

2013-05-20 23:34:47 | 東京都立秋川高等学校

都立秋川高等学校。

帰国子女のために・・・

開校当初はそのような学校であったようだ。

帰国子女の親御さんは、それは優秀で、そのご子息ともなれば・・・

1自営業の親を持つゆきたんくは帰国子女をそのようにとらえていた・・・・・?

当時は子女の意味もよくわかっていなかった。

「子女って女だろ」みたいな(笑)

まあ、受験に初めて興味を持ったのが秋川高校だった訳だ。

そのファースト・インパクトは全寮制ではなく、目新しい校名だったこと、それだけだ。

なんせ「全寮制」の「寮」が読めなかったのだから・・・

読める字を拾ってみると、「親元を離れて」のような表現があったと思う。

「やりぃ!」 心の中で喜ぶゆきたんくである。

どうすれば入学できるのだろう。

馬鹿だねぇ。

入学の前に受験条件をクリアーすることだろうが。

その条件はいくつかあったが覚えていない。

自分にとって該当する条件はうろ覚えで覚えている。

それは「地域で学習する環境が整っていない」こと。

自宅の目の前が「おでんや」さんだった。

・毎夜、酔っ払いがおだをあげてうるさくてしょうがない。

・それが深夜まで続くのである。

という嘘(半分)をでっちあげて入学志願書にしたためたような気がする。

一番整っていなかったのは、学習に対する自分の心構えである(笑)

そうやって人のせいにして、入学資格をものにしたゆきたんくである(悪い奴)

「受験OK」ということで、受験勉強をするどころか入学してからの人生設計を立てることにした。

本当にお馬鹿な15の私である。

→ 次回「秋川高校見学」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋川高等学校1…三者面談

2013-05-19 23:12:57 | 東京都立秋川高等学校

いやぁ、秋川高等学校との出会いは突如やってきた。

中学3年生の夏前。

三者面談である。

親父は厳しかったが学校関係はすべて母親任せ。

それが良かったのだと思う。

東京都は学区郡制度が敷かれていた。

行きたい高等学校をピンポイントで選ぶことはできなかったのである。

まあ、成績は中ぐらいのところに入れればいいさと思っていた。

あの学校に行きたい、あの学校に行けたらなんて気持ちを持っていたわけではない。

三者面談も真剣なのは母親と担任教師だけ。

自分は言われたことに頷いていればいいさと・・・

当時品川区に住んでいたので、近くならいいなぁと・・・

目の前に高校入試の冊子があった。

ちょっとめくってみたその場所にあったのが、見たことも聞いたこともない校名だったのだ。


 


東京都立秋川高等学校校舎


東京都立秋川高等学校(全寮制)だったか・・・

ところで、中三のゆきたんく、寮の字が読めなかった。

初めて受験に対して興味が出た瞬間であった。

つづく

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あれから/米永透

2013-05-18 23:47:21 | 音楽

ゆきたんくは音楽が嫌いだった。

歌を歌うなんてとんでもない。

しかし、「スター誕生」は見ていた。

その中で心に残っている歌がある。

中学2年でとても多感な時だったと思う。

これならば歌ってもいいと思った。

初めてEP(シングルレコード)を買うことになる片平なぎさ氏の1年前のデビューである。

米永透氏の歌う「あれから」である。

その後、米永透氏が他の歌を歌っているのを見たことがない。

とても良い歌だと思う。


あれから/米永透

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旅の楽しみ152…漢江(ハンガン)・韓国

2013-05-17 23:41:44 | 

韓国旅行の時に、一番見た川である。

韓国のソウル市で川というとランドマークになった清渓川(チョンゲチョン)が有名だ。

今回そこには行かなかった。

ソウル市を南北に2分するように流れている大河、漢江(ハンガン)は観光地を移動中のバスの窓からいやというほど見たが感動

はしなかった。

韓国を離れる飛行機の中では残念ながら窓際に乗ることできなかった。

若い女性が乗って来たので、これは写真をあきらめなくてはいけないと思った。

CAが薄い毛布を配っている。

私ももらったが、隣のお嬢さんはもらいそこねたようだ。

自分の分を渡してあげた。

ありがとうという仕草をしたが、言葉がなかった。

どうやら韓国の方らしい。

となりに座ったおじさんが、体のでかい異国の人間であればコミュニケーションはとりづらいだろう。

ゆきたんくはシートベルト着用の表示ランプが消えたのを確かめて、カメラを手にした。

隣のお嬢さんに「ミアナムニダ(すみません)」と言いながら、景色を撮らせていただいた。

言葉が通じたかどうかは定かではないが、毛布の1件は冷房の効いた機内に夏の薄着のお嬢さんには有功だったようだ。

そして撮った写真が・・・



漢江(ハンガン)と思われる。
随分高度が低い中で撮影できたような気がするのだが・・・


時間のある時に検証したい。どこなんだろう。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブログ村Ping

http://ping.blogmura.com/xmlrpc/okr7t7fen957