伝えたんく

日々の何気ないできごとに感じた幸せ

銅メダル

2008-10-31 23:59:18 | スポーツ

 室伏広治選手の銅メダルが確定しそうだ。
北京オリンピックハンマー投げに5位入賞した室伏選手。
 試合後のドーピング検査で、2位入賞のワジム・デビャトフスキー選手と同3位のイワン・チホン選手のベラルーシ勢が筋肉増強剤に陽性反応を示した問題で、この2選手は失格になるそうだ。

 したがって室伏広治選手はアテネの時と同様の繰上げでのメダル獲得となる。
 彼の今までの生き方を見ていると、メダルの色や獲得は二の次、三の次であるような気がする。それは彼の父室伏重信氏の影響が大きいことは否めないと思う。

 自分がハンマー投げに青春を燃やしていた高校時代、スターは室伏重信氏だった。高校3年生の時、国立競技場で8カ国対抗陸上大会が開かれた。


プログラム

 「走」、「跳」なんて、興味はなかった。ただ、ハンマー投げだった。
室伏選手の1投げに一喜一憂していた。現在では息子のおーちゃんがお茶の間で室伏広治選手のビデオデータを何回も見ているが、当時はパーソナルなビデオなんて手に入らなかった。

 プログラムの赤丸部分を拡大してみる。 


室伏重信氏のサイン

 ゆきたんくは重信氏の投擲順番が来ると、それこそ神経を尖らせて見るわけだ。その時に、元気な子供がそばにいた。「お父ちゃん、がんばれー」と何回も繰り返しているわけだ。ゆきたんくにとってその黄色い声は騒音でしかなかった。うるさいガキだなと思っている訳だ。

 しかし、重信選手の投擲の度に騒いでいるのを見る。よく聞くと「お父ちゃん」という言葉が聞ける。そう広治選手の幼い頃の姿だったのである。
 ハンマー投げか終わった。しばらくしてさっきまで賑やかだった子供がすぐそばの客席のほうへ走っていく。そこには金髪の女性がいた。重信氏は国際結婚をしていたことは知っていたので子供の母親であり、重信氏の奥様であることは分った。

 ゆきたんくはいてもたってもいられず、そこにプログラムとペンを持って走った。その時にいただいたサインは今でも宝物だ。

 そしてそれから4年後、ゆきたんくも大学4年生になり就職を考えていた時に「鉄球は教えてくれた」が発行されたのだ。
 人生のバイブルとして貪る様に、一生懸命に読んだ。現在ではゆきたんくは本好きだが、この時のことがきっかけだと思う。

 そこに書いてあったことは、端的に言うと、「今の自分にできる、一段上の負荷をかけろ」と言うことだった。何かを目指すことは大切だが、それは結果や通過点でしかないというものの見方のものさしはこの本から教わったように思う。

 その父を持つ広治選手には、メダルは結果であって目指すものではないということだ。金メダルを獲得したアテネでは試合終了直後は銀メダルだった。あまりの悔しさに我を忘れて、グロープを叩きつけそうになった時、彼の師の一人であるランス・ディール氏に教わった、「大切なのはメダルではなく、ハンマーグローブや、シューズだ。」ということを思い出して落ち着いたと言う。自分を磨くための道具がメダルよりも大切だという教えだ。

 だから今回の銅メダルの獲得についても、さほど興味はないのだと思う。彼は「一段上の負荷」である、ハンマーヘッドの加速についての仮説検証を自分の肉体で成し遂げたいと思っている。残り少ない競技人生の最後の段階に入っている肉体。年齢との闘いに挑もうとしているのだ。世界記録更新を成し遂げようとしているのだ。

 その陰で、つらい思いもしている彼がいる。彼にとっての現役選手世界最高記録の84m86を投げた大会で、喜びのあまり飛びついた相手、アヌシュ選手はドーピングにより、永久追放。昨年大阪の世界選手権で3連覇を遂げたティホン選手と一緒にウイニングランを走ったことは記憶に新しいが、その彼も今回の違反者。ライバルであり、友人である存在が遠ざかっていく様は本当に残酷だ。

 2大会続けてメダリストになったとしても、競技を通した友が去っていくのと引き換えで素直に喜べるはずがない。

 それを考えるととてもせつないのだ。

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1年間

2008-10-30 20:51:46 | 言いたんく

 今月の3日に1周年という記事を書いた。
しかし、連続からいうと、昨年の今日、10月30日から続けているのだ。
その時の投稿は「知らない
政治家が稚拙な表現を用いたことに納得できなかったので書いたやつだ。
そして使った画像が赤ちゃんのゆきたんく。
無垢の赤ちゃん時代の写真を載せてアピールしたやつだ。

 さて、今まで書いてきた全てのカテゴリーはWeblogなので、是を機会にジャンル分けしてみようと思う。

 記事の数が多いので、すぐにはできないが頑張ろうと思う。分りやすいのは旅だと思う。

では、今日はこれで・・・。

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茨城の戦争遺跡01

2008-10-29 20:48:52 | 戦争遺跡

 写真は霞ヶ浦の美浦村の最東端、稲荷ノ鼻付近をゆったりと浮かんでいるヨットだ。この霞ヶ浦がかつて鹿島海軍航空隊のあった所だと知っている人も年々少なくなってきているはずだ。

 一部の戦跡調査をしている方々がそれを知っている状況だ。
夏には、海水浴客(海ではないが・・・)で賑わう場所になっているのだ。
その時に、人々が甲羅干しをしたり、のんびりと過ごしたりしている所の近くに写真のようなものがある。

稲荷ノ鼻の突端にあるのだ。


 鹿島海軍航空隊の航空機射出装置、カタパルト跡。

 ここでは主に水上機の練習などの訓練が行われてた。
 台座にレールが乗っていて、レールの上にクレーンで航空機を載せ、火薬を点火して航空機を射出させる仕組みになっている。

とは言っても言葉では分りにくいから写真をご覧いただこう。


戦跡調査仲間が持っていた本から

 この台座の丸い部分を留めていた所が丸い跡がある写真だ。
所々ボルトのねじ山の部分がまだ残っている。



海水浴客がいる場所からは見えにくい。

 このような岸の突端にカタパルトがあれば、風の方向を気にせずに艦載機を発射することができるわけだ。よくこんなものを考えたと思うが、クレーンでレールの上に置かれる様は格好良くないと思う。



カタパルトの円弧部分

 御影石がまだ新しく光っているように見える。陸軍では境界標柱に使われる御影石は海軍では標柱には使われているのを、私は見たことがない。
 このおかげで、カタパルト跡のある突端は形がはっきりと認識できるのだ。

 このようにはっきりと残っている戦跡もね別に保護されている訳ではない。
歴史の証人として誠に貴重な遺構だと思うのだが。

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人造湖

2008-10-28 21:26:26 | 言いたんく

ゆきたんくの好きなものに湖がある。
写真は長野県

海みたいに大きくなく、果てが分っていて、そして水面の穏やかなやつ・・・

そう、ボートで気の済むまで浮かんでいても、何も文句を言わないような・・・

仕事ではよく長野に行った。白樺辺りだ。

そこには緑豊かな牧場や、緩やかな尾根、そして湖がある。

その代表的なのが白樺湖と女神湖だ。

女神湖が人造湖だと聞いた時には、そんなにショックは受けなかったが白樺湖が人造湖だと聞いた時には100年の恋も冷めるようなショックを受けた。

白樺湖はもともとは農業用水のために造られたため池だそうだ。
ゆきたんくがショックを受けたのは、観光客を呼び寄せるための、そう現在のようなリゾート地にするための観光開発の1つだと思っていた。実際、ホテル、美術館、スキー場、公立学校の林間学園、ドライブにもってこいのビーナスラインと駒は揃っている。

そのために造られた湖であれば自然破壊も甚だしいからである。
しかし、生活の糧を得るためのものであったのならば気持ちも変わるものだ。

結果としてリゾート地になったのも、頷けないではない。
実際にゆきたんくもここの景色を気に入っているからだ。

そして嬉しいことに農業用水としても現役だという。


白鳥ボートの浮かぶ白樺湖

 白樺湖
白樺湖の位置

 女神湖は白樺湖の北東約4kmの所にあった赤沼平という沼地を整備して造った湖だ。白樺湖はもともと高層湿原を湖にしたものだから、この女神湖の方が自然の湖に近いと言っていいのだと思う。昭和41年に農業用水池として整備されたそうだから、ここも人々の糧のために開発されたのだ。


駐車場からみた女神湖全景

女神湖
女神湖の位置

 物を言うためには、歴史的背景をしっかり捉えておくことが重要なことを再認識した次第だ。

 100年の恋?

 白樺湖がゆきたんくに思われていても、何とも思わないだろうなぁ。

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旅の楽しみ30…松島

2008-10-27 21:07:41 | 

 「見事だ」と思うものの1つ、日本三景の松島。

のカモメたちだ。松島遊覧船に乗ると必ずカモメが着いてくる。
食い物がもらえるからだ。
すごいスピードの遊覧船に、どこまでもついてくるカモメたち。
それだけでもすごいのに、乗船客の投げた菓子をナイスキャッチだ。
まずエラーはない。


飛びながらも菓子をねらっているカモメ

 3個投げれば3羽のカモメがそれぞれナイスキャッチ。
そして飛びながら食べているからすごい。

高く投げても、低く投げてもナイスキャッチ。
超ファインプレーの世界だ。


くれるまで待っているカモメ達

 投げる菓子がなくなり、自前の菓子を投げる。
たまたま持っていたのが「うまい棒」であったが、これはカモメのストライクゾーンに届いたようで、どんどん着いてくる。

 中には待てなくて人間が持っている「うまい棒」を強奪したやつもいる。


待てないとばかりに手から持っていった

 しかし、ここまで人間に近づくのは長年の習性か。
 このカモメ達から生まれ、物心ついて飛べるようになったら食事は観光客の投げた菓子なんてぇのが何代も続けば、自然に身につくと思うのだ。

 そしてカモメはその大きさから、寿命が10年以上はあるようだから餌付けが完成する訳である。それにしてもスナック菓子の塩分や油分は体によくないはずだが。

松島
エンヤートット、松島~

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旅の楽しみ29…インドネシア

2008-10-26 22:43:18 | 

 写真は影絵芝居に使われるワヤンという人形だ。
インドネシアではWayang Kulit(ワヤン・クリッ)として楽しまれている。インドの古代叙事詩マハーバーラター、ラーマヤナをモチーフにしたものだ。ダランと呼ばれる人形遣いが無数の人形を操りも台詞も声色を変えながら全て一人で演じるのだ。寺院の祭礼や儀式で演じられる重要な芸能の1つだという。

 というところまでワヤンについては旅前に予習をしておいた。ワヤン人形はお土産ととして簡単に手に入ると聞いていたので、後は値段の交渉だ。しかし予期せぬ出来事が起こってしまった。その国の文化をちゃんと知らないと困るということだ。


ジョグジャの裏道を急ぐガイド
その後ろに義姉と義母が続く、早い早い・・・

 ジョグジャカルタでサマン・サリを見た後に、案内してくれたガイドさんが道を急ぐ。おいていかれてはたまらないのでしっかりと歩く。予想はしていたが土産物屋に着いたのだ。2軒並んでいて、1つはバティック(ろうけつ染め)、もう1つはワヤンの店だ。

 ゆきたんくは最初にワヤンの店に案内された。とても柔らかい笑みを浮かべた現地の人。こちらが日本人だと分るのだろう。片言の日本語で話しかけてくるが、片言の英語でしか話をしないことにした。プランバナンの入場券では日本人価格が現地人価格の10倍ということがあったからだ。ましてお金を持っている人は、そうでない人に施すのがイスラムの教えである。そこに遠慮はないのだということも聞いていた。

 「まあ、少し買ってもいいかなぁ。」くらいには思っていた。向こうも日本語が通じないようなので英語で話し始めた。

 I want it.と指差した人形を店員は取ってくれた。そしてその隣にあった人形も撮り、Love story.と言ってその場でワヤン・クリッ(だと思う)を始めたのだ。

  I love you.  Oh i'm happy.てな感じだ。そして二体の人形をゆきたんくに手渡し、ナナジュウマンと日本語で言ったのだ。やはり誤魔化しきれなかったのか、日本人観光客が多いから反射的に言ったのかは定かではない。日本円で6600円くらいだ。じゃあ1体で35万ルフィアだろうと思って、1体返したら今度は英語でNo noと言ってまた渡してきた。
 これは押し売りだと思い、不快な顔をした。そうしたら値を下げてきて、50万ルフィアまでになった。でもそんなことは問題ではない。私は1体欲しいのである。2体もいらないのだ。しょうがないので店を出たら、バティックの店からガイドが追いかけてきて「チョット、アンタ!」と大きな声。腰に手を当て(怒ったことをしめす態度)てみた。
「アンタ、ドシタ。」完全な日本語だ。I don't want a two dool. I want one dool.

と言ったらOk next. とバティックの店を指差した。気分直しに入ってみた。義姉がいてやりとりをしている。インドネシア語が飛び交っているのでゆきたんくは何が何だが分らない。その途中で〇〇さん(ゆきたんくの本名)、気に入らなかったら絶対に買わないことよ。と言ってくれた。そして店員とのやりとりでどんどん値を下げていく。インドネシア語は分らないが、値段の部分は指を出しながらやりとりしているので大体は分ったつもりだ。

 そこで気に入ったろうけつ染めがあったので、言われた値段で買おうとしたら、義姉がさらに下げてくれた。それからワヤンのことは忘れていた。


ジャカルタ北部のワヤン博物館(左側の建物)

 義兄に連れて行ってもらったワヤン博物館はプロテスタントの教会だった建物を使っている。中は撮影禁止だったので写真はない。しかし、ワヤン人形遣いのダランが影絵芝居を演じている写真をみたり、ワヤン・クリッだけでなく、ワヤン・ゴレッ(クリッの人形がぺったんこなのに対し、立体的)の人形も数多く展示されていた。それらをいれる箱も展示されていたが、並んでいるのを見ると棺おけのようだった。館内が薄暗いこともあった。

 帰り際、義兄と受付のお兄さんがワヤン談義で盛り上がり、それを訳してゆきたんくに伝えてくれる。その中で、ワヤン・クリッというのは大体が2体一組で演じられるということだった。幕(スクリーン)の真ん中にダランが座り、そこから左右にある人形を1体ずつ持って演じていくのだという。つまり、ワヤン・クリッに1体という概念はないのだということをこの時知った。

 ジョグジャの土産物屋の外での「チョット、アンタ!」は何でこの人は気分を害しているのか分らなかったことに対しての言葉ではなかったか。ゆきたんくが2体1組という概念を知っていたら、もう少し違った対応ができたのではなかっただろうか・・・。


ブロックMのデパート、バティク売り場

 ワヤンが売っていた階は店員がすぐに近づいてくるのでカメラを出すことができなかった。楽器もあったし、インテリアもあった。残念だった。

 結局ここでジョグジャで見たよりもきれいなワヤン人形を買うのだが、デパートのやつは1つの袋の中に2体入っている「2体入りセット」の形で売られていた。

 それが冒頭の写真のやつである。ジョグジャでの出来事を反省するゆきたんくである。

 そうそう、気になるお値段は29万ルフィア(2730円)であった。

 

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読み応え…定価500円その2

2008-10-25 23:26:09 | 

 2度目になった定価500円本の感想。
今回も値段の割りに読み応えがあったと実感。
中には歴史書で知った内容もあったり、旅行先でガイドが話したことであったりと検証性に富んだものであった。

 読んでいる文と、旅行の時のシーンが鮮明に重なったことに感動さえ覚えた。



久能山から日光山に移された家康の墓

家康墓

 天海和尚の政治的な計算の結果である。亡くなってもその影響が多い徳川家康公を大権現にして、自分の管理する山へ招いた。
 幕府における自分の地位を固めるのには、千載一遇のチャンスだったようだ。

 
京都だ。龍馬遭難の地。


 渋滞で12時間かけて京都まで行った時、腹が減って蛸薬師の食い物やで満腹になったあと、ふと見ると何の気なしに目に入った池田屋騒動の跡地。
 本当に寂しく建っていた標柱だ。日本の未来を変えた男、日本の歴史的人物の中では人気ナンバーワンと言ってよいほどのヒーローの最期の場所は地味であった。

坂本竜馬・中岡慎太郎遭難之地
坂本龍馬、中岡慎太郎遭難之地



北京の頤和園(いわえん)にある光緒帝が軟禁された部屋
玉瀾堂という調度品が陳列されている所にある一室

 天井に届くほどの石磚(いしがわら)の塀が残されている。これで光緒帝と外界との接触を絶ったという。そうして権力を奪い、少しずつ毒を持って光緒帝をしに追いやった。その彼の死の翌日に西太后も生涯を閉じたと言われている。最後まで権力の魅力に取り付かれた彼女の恐ろしさが分る一件である。

 まだまだあるが、きりがないので・・・

 しかし、これで500円。ゆきたんくにとってはお買い得だ。

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旅の楽しみ28…カントリーロード2

2008-10-24 23:36:55 | 

 ゆきたんくの旅は車とは切り離せない。国内では、行った先でレンタカーか自分の車での移動が多い。海外で国際免許で運転できる国はイギリスしか行ったことはない。

 イギリスでお気に入りだったドライブは、ウェールズの田舎道だ。
バンディのB&Bのパンディ・インからイングランドはキングトンのハードェスト・リッジまでの道が良かった。 


前に紹介したことのあるトンネル道

 イギリスをグーグルアースで見るとオレンジとグリーンのパッチワークのような部分がある。その境目にモコモコがあるのだが、それは上写真のような道の両側にある生垣なのだ。せっかくの牧草地を見ることができないのだが、交通事故に遭うリスクは少ないだろう。

 この時はすれ違った車は2台くらいだったが、険しい顔をした運転手がこちらを見て外国人だということで優しい顔をしてくれたようだった。

 途中にはいくつかの教会や古城があるのだが、ロング・タウンと言う町の教会では車を降りて建物の写真を撮った。その最初の写真を撮る時にファインダーを覗くまでは気がつかなかったことがあった。教会の周囲には棺おけがあったのだ。その棺おけの中には蓋が微妙にずれていて中が見えそうなのがあった。慌ててその場所から離れたのはいうまでもない。


ロング・タウン教会
この建物の下を取り巻くように、棺おけが並んでいたのだ。

 このドライブが昼だったからよかったものの、夜だったらどんなに怖かっただろう。夜間照明などは一切無いのだから・・・。


田舎道で唯一であった標識

 これを見て、とても安心したゆきたんくである。


ヘイ・オン・ワイ

 パンディ・インから30kmほどの道も、ここまでくると古本の街で有名なヘイ・オン・ワイまで3kmだ。イギリスの田舎道は、パッチワークの縫い目を走ると思えば間違いはない。

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今では

2008-10-23 23:59:59 | 千葉

 ゆきたんくの住んでいる松戸市には千駄堀という場所がある。

 周囲が4~5kmの台地に囲まれた自然が豊かな湿地であったという。

 今では松戸市博物館、県立西部図書館、21世紀の森と大型の施設が多数建設された。その低湿地帯の面影を残しているのが千駄堀池を囲むように広がっている、「光と風の広場」、「みどりの里」、「自然生態園」だ。


奥に見えるのが「光と風の広場」

 平日は幼稚園、小学校の学校行事で賑わい、休日は家族連れが多い。その置くにはキャンプ場がある。


「光と風の広場」が見えてきた。

 人が多くみられるのがここで、その他の場所はあまり人がいるのを見たことがない。

「みどりの里」には様々な草花が植えてあり、季節ごとに様々な色合いを楽しめるようにできている。しかい、南東部は山になっており草が深くなってくる。


緑の里、山と低湿地部の境界部分

 そしてその山の部分には、「千葉県の戦争遺跡をあるく」で初めて知ったのだが、いくつかの塹壕も見られる。なぜこんなところに塹壕を造ったのかは定かではない。しかし、近くを鉄道第二連隊が作った軌道が通っていたところを見ると戦争物資の積み下ろしの訓練をしていたのではないかと想像できるのだが・・・。

 かつて人が出入りすることのなかった低湿地帯は、土地の改良も行われ、静かに賑わっている。

 そこの真ん中を割るように通っている道路は松戸北部市場と八柱霊園を結んでいる。当分の間、メジャーな場所になることはないようだ。

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ご神木

2008-10-22 20:39:22 | 千葉

 ご神木って聞いたことがあると思う。
 樹齢100年以上で、神が宿るほどの貫禄のある木のことをいうそうだ。
 このように神が宿るもののことを依り代(よりしろ)という。
 神社の鳥居にある注連縄(しめなわ)も依り代だそうだ。

 今日はご神木と呼ばれ、もう樹木の形を呈していないものを3つ紹介する。

最初の写真は柏市松ヶ崎にあるご神木だ。接近した2つのT字路の中心にある。
この辺りに碑があった。距離が微妙で上手に写真を撮れなかった記憶がある。



松戸市根本の水神宮のご神木


松戸市本町(平潟遊郭)のご神木

 これらのご神木の共通していることは、もう切られてしまっているということだ。柏のはまで高さがあるが、松戸の2つは見事に根の部分だけのようだ。
 樹齢100年と言えば、樹木にとってはまだまだの年月のはず。ということは、その実何百年という樹齢を持っていたのか・・・。

 まあ謎は残るが、その切られた木に変わる木が辺りには見当たらないのだ。多少背の高い木は存在するが元のご神木の太さを考えた時には勝負にならないスケールだとも言える。

 まあ、松戸市根本のやつは、結構高い木が1本あったのだが切られてしまった。それの木は、落葉が多く、掃除が大変だったともいえる。その水神宮の隣はラブホテルの第二駐車場であった。その駐車場が落葉の葉で埋まるほどの量だったのである。住宅を建てるために、神社の方を移動する世の中であるから、木くらいどうってことないと考えていたのだろう。

 ご神木の呈をなしていないのは地域の交流会が成り立たない世の中になってきているからかもしれない。

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お気に入りの地図

2008-10-21 23:43:45 | 

 ゆきたんくのお気に入り。

 ご当地地図(だと思っている)である。
 首都圏の大きな書店に行けば手に入るのかもしれないが、行った場所で手に入れる地図がお気に入りなのだ。

 写真は高知県の地図。今年の夏に友人と1泊2日の強行軍で四国4県を回った時のものだ。あの有名な播磨矢橋の近くのアーケード街の書店で手に入れたものだ。

 旅に出る時にはある程度の予習はしておく。少し遠出になるならば、現地でレンタカーのお世話になる。今のレンタカーはナビが標準装備だ。しかし、現在地から目的地までの全体図を見るときには地図の方が便利だ。その時に一番見やすいのがご当地地図の「ライトマップル〇〇県道路地図」なのだ。

 色合いが良いので凡例が見やすい。レジャー施設電話番号一覧も付いている。

 まあ、どの県の地図も表紙の絵は同じだが、それもお気に入りだ。小学校の社会科の教科書に使ってもいいと思うような絵なのである。

 絵中に登場する人物がいる。
 高速道路の車を運転している人。
 船の船長さん。
 小嶋の上にいるダイバー。
 キャンプをしている人。
 遊園地に着いた恋人達。
 船で釣りをしている人。
 スキーを楽しんでいる人。

 その他、海の魚、貝、動物園の動物達、みかん、ご当地蕎麦、日本三景松島を思わせる島など実に楽しいのだ。

 電話番号一覧に目を移すと、高知県地図では先の「レジャー施設」だけではなく「文化施設」、「寺社・史跡」、「温泉」、「道の駅」、「ゴルフ場」など、老若男女にやさして地図になっているのだ。そしてその県の市町村の合併情報などもあり、以前に訪れたことのある市町村にも迷わずいけるような配慮がある。

 もっとも県によって、掲載さくいんには多少の差がある。
 京都府では「府庁」、「市役所」、「区役所」、「社寺・史跡」、「美術館・博物館」、「行楽地」。

 奈良県では「県庁」、「市役所」、「ホール・会館」、「病院」、「行楽地」、「史跡」、「神社・仏閣」。

 青森県では「県庁」、「市役所」、「町村役場」、「道の駅」、「スキー場」、「キャンプ場」、「日帰り入浴施設・クアハウス」。

 それぞれの地方へ行く旅行者のニーズに合わせた情報が一目で分るようになっているのだ。マニアックな場所に行くのでなければ、当地でこの地図を手に入れれば大体の計画ができてしまうほど便利に感じている。最初から手に入れることができたら旅行の計画は大きく変わってくるだろうと思う。

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おかしな天気

2008-10-20 22:49:26 | 言いたんく

今日は趣向を変えて・・・

 ゆきたんくが今まで経験した中で、一番おかしかった天気が2003年6月1日の日曜日夕方にあった。

 時は台風が過ぎ去って、これから晴れるかなとおもいきや雲が動かないことにイライラしていた日だった。
 低く立ち込める雲の位置が低いのも写真を見てお分かりいただけると思う。
 これから晴れるはずなのに、空は今にも泣きそうである。


泣きそうな空


川向こうの埼玉県も泣きそうな雰囲気

 そしてこの後、雨が降ってきたのである。

ここまではよくあるパターンなのだが、この後は虹が出たのである。
雨の振る中に特大の虹をみることができた。


なぜ、このタイミングで虹が・・・

 空を見上げるもんなんとんでもない。雨は大粒なので濡れてしまうではないか。

ところがゆきたんく以外にも声を上げてびっくりしている方がいた。
知らない人が、虹に気づき、歓声を上げているのだ。

ゆきたんくはカメラを取り出して撮った。
 


なんと大きな虹だ。こんなのは初めてだ

 台風が去り、晴れるかと思ったら雨が降り、その最中に大きな虹が出る。
このような天気は初めて経験するものだ。

 それから5年が経過、同じような状況にはまだ陥っていない。

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いったいどこまで・・・

2008-10-19 21:59:33 | 言いたんく

最初の写真はグーグル・アースの初期画面だ。
これだけでバーチャルな世界旅行が楽しめる。
すごい時代になったものだ。
ある意味あきれかえっているゆきたんくだ。

何にって、技術の進歩である。

 コンピューターはあくまでツールだが、ここまで一元管理が簡単にできるものとは思わなかった。またそういうふうになるとも思えなかった。

 まず音楽の話だが、高校時代に聴く音楽からやる音楽に目覚めた。
楽器も友達に手ほどきを受けたソプラノリコーダーから弦楽器になった。
一番最初の弦楽器はマンドリン。イギリスのミュージシャン、マイクオールフィールドのデビューアルバムチューブーベルズを聴いたのがきっかけだ。


チューブラーベルズのジャケット

 この曲は一人のミュージシャンが殆どの楽器を弾き、多重録音により出来上がっている。多重録音という手法のさきがけである。

 ゆきたんくも真似をしたかったが、そんな機械が身近にある訳がない。
テープレコーダーにリコーダーの音を録音し、その音と自分の生音を重ねたものを他のレコーダーに録るピンポン録音をして楽しんでいた。

 その後、小学校時代の友人がプロのミュージシャンを目指しており、オープンリールの4トラックレコーダーで多重録音ができることを知った。そして社会人になり、初めて手に入れたのが、ティアックのポーター1というマルチトラッカーだ。

 今では、ハードディスクレコーディングが主だが、PCでもアプリケーションを使えば多重録音ができるようになった。マイク・オールドフィールドとの出会いが元である。

 そうなればセカンドアルバムも聴くようになる。
センカドアルバムのタイトルはハージェストリッジ。


ハージェストリッジのジャケット

 辞書をみても載っていないし、魚眼レンズで獲ったような写真をあつらえたジャケットの意味は分らないし、曲は地味(よく聴くとそうではない)だし・・・。

 PCでインターネットができるようななってから、ネット仲間というのができ、より多くの情報を手に入れることができた。情報の入手である。

 日本ではマイナーなミュージシャンのマイク・オールドフィールドのことをよく知っている日本人の一人と勝手に思っていたが、所詮井の中の蛙で上には上がいることを知った。そしてハージェストというのは地名で、イングランドとウェールズにまたがる丘陵の辺りにあるという。リッジだけになったら辞書で調べたらあった。丘と言う意味だ。自分が知ってしたのはhillだけだった。あちら風にいうとハージェスト尾根が一番近いらしい。

 次に、旅の話だ。出不精だったゆきたんくが現在では旅行好きだ。
ホームページの旅のコーナーまで造っている。


2003年にイギリスに行く機会を持った。
 当然、チューブラーベルズの生まれたマナーハウスや、先のハージェストリッジに行きたくなるのはマイクファンの人情である。

 そして行った。残念ながら抹茶アイス風の茂みのところまでは行かなかったが、ハージェストリッジの入り口の柵を越えて、草原の中を歩くことができたのだ。約30年の執念である。

 そのハージェストリッジもグーグル・アースでみることができる。
最初は画像が荒かったが、イギリスは精細な写真が多くなってきており、今では草原の羊も見える感じがする。


ハージェスト・リッジだ。ひし形に盛り上がっている。

 この写真を高度を下げてみると、ジャケットの中の他の丘陵や、丘の中の茂みなどが見えてくる。1974年の当時、どうやってあのジャケットの写真を撮ったのだろうか。

 今は「情報の入手」をする側から「情報の発信」をする側になったゆきたんくである。そうすると、「あれが出来ればいいのに、これが出来ればいいのに・・・」と思っていたことができる世の中になってきている。

 今回は「音楽」と「旅」について書いてみた。いずれもPCが表現をするための手段になっている。それらが時を越えて、ジャンルを超えてリンクさせることができるのがコンピューターなのだろう。この先、いったいどこまで技術が進歩するのやら・・・

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旅の楽しみ27…大英博物館

2008-10-18 23:23:44 | 

大英博物館を背に、つっくんと

いやぁ、忙しかった。
何が・・・。
しっかり見ると1週間はかかるという大英博物館を5時間で見てまわった。
正直言って、印象の残ったものは、グレートコートの雰囲気とロゼッタ・ストーンとメキシコの表情豊かな2~3cmくらいの人形だ。


グレートコート
天窓のフレームのフォルムが素敵だ。

 あの空間にものすごい量の展示物があった。
ギリシャコーナーで、パルテノン神殿にあった彫刻を見ていた時に、周りを見たら日本人が多いことにびっくりした。神殿が弾薬庫に使われていた頃があり、敵の砲撃によって神殿が破壊され、彫刻も飛び散った様がCGで紹介されていたが、それを見ていた人の中に日本人が多かった訳。


人気抜群、ロゼッタストーン

 訳がわからないまま覗いていたが、人気ナンバーワンなのはこれ。大英博物館は写真撮影可ということだが、展示物に大敵のカメラのフラッシュがすごかったのはこのロゼッタストーンだ。人だかりがすごく人種も様々。それを見ているだけでも楽しかったがフラッシュは禁止だったはず。


気になったメキシコの人形

 メキシコのコーナーは焼き物が多かった。その中で気になったのは写真の人形。
丈は2~3cmしかない。その表情の豊かな造りに驚かされる。


疲労困憊のゆきたんく

 ざっと見て回ったが疲れた。途中売店で軽食を買って食べた20分間以外は見続けていたためだろう。正面玄関の造りが荘厳なのに裏口は写真の様である。

 ホテルに帰ってからデジカメとにらめっこをしていたが、あまりの写真の量に自分でもびっくりしたことを覚えている。

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松戸の戦争遺跡10…鉄道第二連隊陸軍境界標柱

2008-10-17 20:33:12 | 戦争遺跡

今日は陸軍境界標柱の救出劇をお届けしよう。

最初の写真は、戦跡好きにはご存知の陸軍境界標柱だ。
横に寝てはいるが陸軍の文字が彫ってあるのは読めるだろう。

 さて、松戸―京成津田沼間をクネクネと結ぶ新京成線は旧陸軍鉄道第二連隊の軌道敷跡を利用して造られている。
 当然軌道敷は陸軍の管轄だった訳だ。調査の結果では、軌道敷の幅は20数メートルだったと考えられる。

 軌道の両側10mくらいのところに境界標柱が建てられていたことが分ったからである。
 つまり、境界標柱を見つけるためには、新京成線の軌道に沿って調査を進めれば良いことが分る。しかし、現在の軌道が新京成電鉄のオリジナルの場所もあるので事前に調べておかないと無駄骨を折ることになる。

 さて、ゆきたんくの友人に新京成線の線路脇に住んでいるやつがいる。
そいつと遊ぶ約束をして向かえに行った時のことだ。
 線路脇に花崗岩を見つけたのだ。それも境界標柱よりも随分と太いやつだ。
まあ、標柱にならずに捨てられているのだろうと思い、友人宅へ急いだ。

 帰り道のことだ。花崗岩がなんとなく気になったので車を停めて覗いてみた。


おぉ、標柱より太めの石だ。

 

字が彫られていないかと近づいてみる。
すると、先ほどは気がつかなかった土に埋もれている花崗岩があるではないか。


太めの標柱の右側にもう1本ある。

なんだろうと思いつつ、顔を近づけてみる。


確かにもう1本埋まっているよね。

そして救出劇は始まったである。
手で一生懸命土を掘る。
境界標柱の顔を拝もうというのだ。
もちろん顔には「陸軍」とあることを祈って。


何か字が見えてきた。
この辺りから土が固くなっていたので、木の枝を手にして掘り始める。


確かに陸軍の文字が見える。

 ということは、陸軍の文字がある1本と、最初に見つけた太目のやつはもともとは1本つながっていたものだろうということだ。
 戦跡仲間の伊謄様に教えていただいたことだが、太めの花崗岩のやつだけが放置されている場合は、途中で折れた標柱の可能性はかなり高いという。

 ということで、お気の毒に標柱としての役目を終えられた1本でございました。
丁寧に埋め戻したゆきたんくであります。

コメント (7)
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