伝えたんく

日々の何気ないできごとに感じた幸せ

ご馳走

2008-06-30 22:51:12 | Weblog

世界遺産「白川郷」

 そう、合掌造りの家で有名な岐阜県の山村である。
その白川郷の泊まることができることを知ったのは昨年のこと。
白川村の荻町には26件の合掌造りの旅館がある。
その中の、「伊三郎(いさぶろう)」に泊まることができた。

 友達と3人の旅行は、交通渋滞に阻まれて、到着の遅れたこと。
伊三郎の女将さんはいやな顔一つせず、「おつかれやろ、すぐ食事にしますぅ。」と用意を始めてくれた。


民宿「伊三郎」の夕食

 いやぁ、盛りだくさんで有り難い。ばかりか、地元で採れた食材がメインでとても良い匂いだ。ご飯を3杯食べてしまったねぇ。
 


つくしんぼの佃煮である。

 つくしんぼは美味しかったねぇ。自分の足で採りに出かけないと手に入らない物を出してくれるのは本当に有り難い。ここでしか食べることの出来ない物を食べる。これだけで旅の土産になるものだ。七輪の琺瑯(ほうろう)で温められた飛騨牛の旨さときたら・・・。
 友人は、食前酒として出された杏ジュース(自家製…言っておくけれどアルコールは市販だ)のチューハイを作ってくれるよう頼んだ。女将さんはすぐに作ってくれた。相当気に入ったようだった。
 ゆきたんくはペプシコーラのアメリカンサイズに満足した。


 朝の伊三郎から見た景色。素敵だ。

 朝の散歩から戻ると、朝食だ。
昨晩のご馳走で、味を占めた私たちは、朝食も楽しみで仕方がなかった。
日本の定番、卵におしんこ、味噌汁(写真にはないが、後から出てきた)、海苔、そして母の田舎(岐阜県大垣市)に行った時に良く出た豆の煮物。


伊三郎の朝食。和朝食の定番の組み合わせだ。

 さて、七輪の上は飛騨牛かなぁ、と見たら朴葉味噌である。これで飯を喰うと旨すぎて身上を潰すと言われている一品だ。


出たぁ、朴葉味噌。これが旨いんだ!!!!!

いやぁ、旨かった。食事は、ご馳走であった。「馳走」の意味通り、足を使って集めた食材の料理。これぞご馳走である。ここ白川村でしか食すことのできない一品を合掌造りの家の中で食べた。それを演出したのは、ここ伊三郎の女将さんだ。

 ぜひ一度、本当の「ご馳走」を試されてはいかがだろうか。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

誕生日

2008-06-29 23:12:33 | Weblog

 今日、誕生日です。
また歳を取ってしまった。
体のあちこちが痛くて・・・・・
 最初の写真は、体の痛みとは無縁のいまから10年前のゆきたんくの一家である。

 このプログを書き始めた時、最初の頃の投稿で歳だの、体だのと書いた覚えがあります。でもね、青春の頃に自分をかけていたものを忘れない限りは衰えの速度が遅くなるのかもね。 先だって小学校の同窓会がありました。なんか自分って年寄りも若く見えたみたい。仕事柄もあるし、自分の長男が自分がやっていた競技(少し重いです。)に全身全霊で打ち込んでいる。そして、その試合の「追っかけ」をしている。なんて幸せなんでしょうね。


つっくん(左)とおーちゃん(右)

 また、次男は演劇に打ち込んでいるけれど、女房が青春を燃やした事柄を引き継いでいるんだね。何回か発表会を見に行ったけれど一生懸命に打ち込んでいることが分る。

 そして、ゆきたんくの好きな(今はね)楽器演奏も、ゆきたんくが若い頃使っていた楽譜集を見て練習しているんだ。だからね、ギター2台を親子で合わせたり、息子がギターで、ゆきたんくがマンドリンを弾いて合わせることができる。

 ゆきたんくの趣味の1つ、ホームページ作りも、次男のサイト「つかたんく」を任せている。今とても忙しいから手をつけられないけれど、ゆきたんくのお下がりのカメラで自分の作った粘土作品を撮影して楽しんでいる。

 家庭ができた当初とはスタイルは変わってきているけれど、それはそれでとても良いことだと思います。

 最近の一家で撮った写真は、長男おーちゃんの成人式写真。
それは掲載は遠慮しておきます。

 ともかく、昼は印度亭のカレーを4人で腹いっぱい食べ、夕食はそんなにいらないというレベル。よってケーキは無し。でもうれしい誕生日だったね。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奪われる

2008-06-28 23:54:58 | Weblog

 見た瞬間に目を奪われることってある。
しかし、旅行などで名刹を見に行くことが分っていたり、予習をして敷地のどの場所に何があるかということが頭の中に入っていたりするとそんなには驚かないものである。もちろん感動がないという訳ではない。

 その「見た瞬間に目を奪われた」ことで、はっきりと記憶に残っていることについて書く。

 写真は関宿城址博物館(千葉県野田市)の奥にある中ノ島公園(茨城県五霞町)から見た関宿水閘門(せきやどすいこうもん)だ。水門の意味はお聞きになったことがあると思う。閘門(こうもん)とは、水門などによって入水口と出水口の水面の高さが異なる場所に船を通すために、造られた門である。船が上流から下流に行く時には、閘門の中に入り、上流側の門を閉めて、下流側の門を開ける。(写真の状態…後ろ側は門は閉まっている)

 そうすると閘門内の水が下流に流れ出て、閘門内の水位と下流側の川の水位が同じになる。そこを船は通るのである。逆の場合も想像できるだろう。


これが閘門です

 船が下流から上流に行く時には、閘門の中に入り、下流側の門を閉めて、上流側の門を開ける。(写真前方の門は閉まって、後ろ側の門が開いている状態)

 そうすると上流側の水が閘門内に入り、閘門内の水位と上流側の川の水位が同じになる。


閘門部と水門部が良く見える

 最初の方に、千葉県野田市だの、茨城県五霞町だの書いたが、もう1つ埼玉県がある。この関宿水閘門の上流には、利根川と江戸川が分岐する処がある。その江戸川側に水閘門があるのだ。そして近くの中ノ島公園には下写真の碑がある。


「三縣鶏鳴之地」

 三縣とは、三県(茨城・埼玉・千葉)のことで鶏鳴は朝一番に鳴く鶏の鳴き声のことである。つまり、三県がここに産声を上げたということだ。1871年、廃藩置県により、生まれ変わった多くの町があった。この三県もそうだ。しかし、低地は水害との闘いも強いられてきた。そして水量調整の必要から水門の設置を考えなくてはならなかった。
 そして利根川から江戸側に流れ込む水を調節するための「水門(堰)」と、船を安全に通すための2門のゲート「閘門(こうもん)」で構成され、1918年に着工し1927年に完成した。

 今年で81歳を迎える水門に、忘れられない衝撃をもらった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

美しい

2008-06-27 23:39:44 | Weblog

 普段何気なくスルーしている物の中に美しいものがある。

 橋である。特に県境を流れるような大きな川に架かる橋というのは計算された造りなのだと思う。その結果美しくなったのではないだろうか。
 美しく造ろうとした訳ではないだろう。強く頑丈な造りにした結果が美だと思うのである。

 スポーツ番組などを見ていると競技者によってフォームが違う。陸上競技はフォームが美しく、スピードに溢れた者が勝つようだ。理にかなった動きというのは自然に美しさを伴うのだろう。


ハンマー投げ

 体と鉄球の拮抗がなんともいえない味を出している。たった1本のピアノ線が緊張感を生み出しているのだ。これを投射まで保つことができれば記録は上がるのだと思う。


幸魂大橋(さきたまおおはし)

 最初の橋に比べて、柱が中央にしかない。そしてその中央の柱と橋梁を結びつけるのは数本のケーブルだ。そのケーブルの張力が生み出す緊張感。その緊張感がこの橋の美しさにつながっているのではないだろうか。また、そういう思いがある人は橋の中央を通過する時に、頑張って重さを支えている橋のことが頭に浮かぶだろう。

 強さって美しさを伴っていると思う。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いろは坂

2008-06-26 23:34:28 | Weblog

 いろは坂。関東圏の人であれば、名前を聞いたり、実際に観光バスなどで通ったことがあるだろう。

 ゆきたんくも小学校の修学旅行でバスで通った。観光バスは座席が高い。カーブに差し掛かると窓外の下の方に道路が見えないのである。
 「キャー!」と言いながらスリルを味わったものだった。

  そんないろは坂で一番古い思い出をいまだに覚えているのだ。
確かゆきたんくが4歳ぐらいだったと思う。どんな記憶かというと、なんといろは坂を歩いているのである。歩いて登っているのではなくて、坂の途中でバスを降り、次第に坂に渋滞する車の台数が増えていく景色だ。なんでそんなことを鮮明に覚えているのだろうか。その時には父も一緒にいた覚えがある。

 小学校6年の修学旅行(日光方面)の前日に浮かれていた時のことである。しおりを見て、いろは坂だの東照宮だのとはしゃいでいた時のこと。

 「お前もなぁ、修学旅行に行く歳になったか。」で始まった親父の言葉・・・

親父「お前が4歳の時のことだ。日光に旅行に行ってさ、いろは坂でバスを止めたんだぞ。」

ゆきたんく「止めたって、誰が?」

親「誰がって、お前がさ。」

ゆ「なんで」

親「いろは坂の途中でさ、うんこもれるってさ」

ゆ「で?」 さすがにその後の言葉につまったゆきたんくである。

親「坂の途中にバスを止めてさ、外に出てうんこしたんだよ。」
  おかげで、高級なハンカチを1つ、いろは坂に捨ててきたんだよ。
  おまけにそのせいで坂は大渋滞だったんだ。俺ははずかしかったぞぉ。」

ゆ「えぇ、そんなぁ・・・」

 ゆきたんくの中に時々現れる映像の意味を、その日はっきりと理解することができた。

  ゆきたんくがいろは坂にバスを止め、渋滞を引き起こし、大衆に迷惑をかけたのは1964年のこと。それから2年後の1966年観光客の増大により、観光シーズンの交通渋滞を緩和するため、登り専用の「第二いろは坂」が完成し、それまでのいろは坂を降り専用の「第一いろは坂」とした。

 つまり、ゆきたんくはいろは坂をもう1つ増やすのに貢献したのである。


いろは坂の文字盤

 各々のカーブには上り「い」~「ね」、下り「な」~「ん」の文字板が建てられている(「い1」「ろ2」「は3」のように文字数字が対応する形の表記になっている)。

 しかしね、何人の人に私は尻を見られたのだろうか・・・

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

心安らかに

2008-06-25 23:51:12 | Weblog

 写真は茨城県の那珂湊にある湊公園の一番高いところから見た筑波山だ。普段は南側から拝見させていただいている。この写真は北東からの眺めになる。夕焼け時オレンジの濃淡の利いたグラデーションの中に、そして漆黒の海の上に頭を出すように佇んでいる筑波山。これから安らかな深い眠りに入るようである。

 この写真から撮影基点となった湊公園までの空を次に載せよう。オレンジとブルーが交互に並んでいる様子が分る。オレンジ色の部分は雲で、自身の白を夕焼け色に染めているのだ。手前の川は、その基点を100km離れた栃木県那須塩原市の深山湖に持つ那珂川である。


湊公園からの景色。対岸は大洗町。

  ここで写真を撮っている時に、散歩をしている人に聞いてみた。ここの空では、この写真にあるような空がよく見られるかである。そうしたら、1年に1~2回見ることができるのだそうだ。この景色が気に入ったゆきたんくにとってはラッキーだったと言えるだろう。このように心休まる光景を持つ土地の昔はどうだったのだろうか。湊公園から少し離れた所に、市の史跡があった。ひたちなか市指定史跡の「反射炉」である。


反射炉

 幕末に那珂湊沖に出没する異国船に、海防の要ありと判断した水戸徳川家9代藩主の斉昭は領内各地に砲台を築いた。その大砲を鋳造するために反射炉を建設したのだそうだ。来るべき危機を先見し、実に計画的な方法で海防を実現したことは素晴らしい。写真の反射路は乱で破壊され、昭和12年に作られた模型である。

 備えあれば憂い無し。心安らかにするための格言である。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

タイムスリップ

2008-06-24 23:58:46 | Weblog

 写真を整理していると、撮影時のことを思い出すことができる。自分で撮った写真に、自分が写っていることはまずない。しかし、その写真を撮った時の臨場感を思い起こすことができる。言い換えると、その時に戻ることができるのだ。

 タイムスリップして過去に戻った時の気持ちというのは、その写真を撮った時の状態がほとんどだが、時には相反することもある。
 写真はバジャイ。ジャカルタの赤い三輪自動車タクシーだ。このタクシー、お客によって値段が違うという。もちろん交渉次第なのだが、とりわけ日本人は上客という訳だ。そんな構えがあったので乗るつもりは全然なかった。ジョグジャカルタでベチャ(輪タク)に乗った時には、交渉は義姉がやってくれたので苦労はなかった。


パダン料理の店でお好み焼きを買った

 義姉がゆきたんくに食べさせたかったというインドネシアのお好み焼きを買った時、店の駐車場の脇にバジャイが停まっていた。アパートメントから1kmほどの所だった。義姉が「乗る?少しの距離だけれど。」と言ってくれたのにもかかわらず、ゆきたんくの好奇心はそれに反応することはなかった。旅の疲れが出始めていたからだ。

 今から考えると実にもったいないことをしたと思う。


この日の食卓を飾ったお好み焼き
野菜がたくさん入っていてサクサクだった。
メイドさんの作ったナシ・ゴレンも旨くてごきげん。

 時々、バジャイに乗り、降り際に「トリマクワシー(ありがとう)」、「サマサマ(どう、いたしまして)」とやり取りをする夢を見ることがある。いつまで走っているか分らない。今度行った時に走っていたら、ぜひ乗ってみたい。そしてバジャイの窓から街中の景色を撮るのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

どうなるのか

2008-06-23 22:21:41 | Weblog

 巷では原油の高騰で、様々な影響を受けている。

 難しいことは書くまい。一生懸命に思いを綴れば綴るほど誤解を招く恐れがあるから。

 端的に、今面白くない。痛みとというものは共有して、共に早期の解決を図ることが大切なことは分っている。でも(全ての言葉の中で一番嫌いだが、敢えて遣う)、共有しなくてはならない痛みなのだろうか。そうではないだろう。
 (共有の相手を敢えて書いていない。)

 

 話は飛ぶが、最初の写真に写っている人物写真は日本人である。
インドネシアの油田を見つけた人である。下の写真はインドネシアの地図で黒い所がそれをあらわしている。首都のあるのはジャワ島だが、その西の大きなスマトラ島の右下部分で油田を見つけたそうだ。ちょうどシンガポールの南である。


インドネシア全図(タマン・ミニ・インドネシア・インダーにて)

 中東と比べて距離的にもかなり近い。インドネシアでは東京から5500kmで中東のイラン辺りだと8500kmで3000kmも違う。

 このように日本人が頑張って、開発を進めていること。海外プロジェクトを組み、油田生産ばかりでなく、天然ガスの探鉱もしていることを知っている方はどれくらいいるだろうか。

 インドネシアで生まれた会社は、日本国内で生まれた会社と株式移転(合併)をして1つの大きな会社を作り、元の2つの会社は新しい会社の子会社として株式の上場を廃止した。そして大きな会社は東証の一部に上場したという。

 「経営統合により、他のグローバルな石油会社と比べても遜色のない、強い国際競争力を備えた経営基盤を確立し、これからも、さらに安定的な石油、天然ガスの供給を実現します。」

 「安定した供給を」。

 この1点において分りやすい言葉で新会社発足の抱負を述べている。他の意味に置き換えて捉えることなんてできない、よって分りやすい。これを読んで心の痛みも軽減した。思いっきり応援したい。義兄の頑張っている会社でもあるのだから。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いゃぁ・・・危機感がないねぇ

2008-06-22 22:42:13 | Weblog

まず、今日は写真無し。最後まで読んでいただけるとお分かりになると思う。

 

 木、金と出向だったのだが、それが体を使った運動系の研修ということで疲労困憊だったゆきたんく。10以上も年の若い連中と同じことをやった。
しかし、よく体が持ったが、昔取った杵柄ということか。

 そして昨日の小学校の同窓会。いたずら小僧だった忌まわしい記憶が生々しく蘇った1日。まあ楽しかったけれどね。

 今日は疲れ取りの日。午前中は出かけたが、午後は家でゆっくりと。
そして夕方の買い物の時に見てしまったのだ。

 某、ホームセンターの駐車場に車を停めた。
降りようとした時に、隣の車の窓に動く影が見えたのである。
それは、おどろおどろしいまでの動きであった。
一瞬、本気で驚いてしまったのだが、その事実を知るにつけ、別の意味でそら恐ろしくなったのである。

 まずその影の正体を暴こう。それは、車の中で留守番をする小さな女の子の姿だったのである。雨が降って気温が低く、窓が結露で曇っている状態であった。留守番をする女の子は車についているテレビ(ナビ)の漫画か何かを見ていたのである。それに喜んで体を動かしていたのである。それが結露した窓に映り、ブロッケンの妖怪の小型番になってしまったのである。

 つまり、女の子は一人でお留守番である。きっと連れて歩くのが面倒くさい親が、「テレビを見せておけば車の中にいるだろう。」くらいの気持ちで置いていってしまったのだろう。

 ゆきたんくにしてみれば、買い物など出かけることは社会勉強だと思っているからとんでもない話である。それは置いといて、危険性を考えなくてはならない。車上荒らしというのを聞いたことがあるだろう。それだけではなく、遭ったことがある方もいるだろう。ゆきたんくなんか、昼の明るい時に1回やられたことがある。

 今日、車の中の子供を見たのは、ホームセンターの駐車場で周りが暗く、子供も助手席側に乗っていたので、センターの建物とは逆の方向で親や客からは死角であった。

 もしも女の子の車の隣に変質者の車が止まったのであれば、車上荒らしのように窓を割り、女の子を誘拐することも可能だっただろう。

 昨今、様々な考えられない事件が起きている中で、子供の危険を考えない親が増えていることを感じた。学校教育の中で起きた事故などには、厳しい目を向けることができる大人が、なぜ私生活ではこんなに危機感がないのか。

 それに恐怖したゆきたんくである。よって今日は写真は無し。その光景を写真に撮ることなどできなかったのである。

 疲れを取るための絶好の休みに、いやなものを見てしまった。
 不幸せの反面教師の投稿である。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小学校の同窓会

2008-06-21 23:59:53 | Weblog
 36年ぶりに小学校の学年全体の同窓会が開かれた。
ゆきたんくは自分のクラスの幹事が必死になって探しても行方が分らなかったという。何で参加できたのか。ゆきたんくの出身小学校から、都立秋川高等学校(全寮制)に進学したのは2人だけだったからである。
 ゆきたんくはその高等学校の12期生であった。15期生が開いているサイトがあって、その伝言板にゆきたんくの行方を追っている友達のコメントが載ったのである。それを高校同期の友人が、メールしてくれたのだ。
 そして伝言板から、小学校時代の友人へメールで所在を伝えることができたのである。もちろん同窓会は参加である。
 たまたま、同じ高校へ行ったやつが幹事の一人であったことも幸いだろう。

 本日30数年の時を経て、自分のクラスは10名、全体で50名揃うことができた。小学校1年生最初の席で、隣になった女の子。小学校2年生の時、隣になった女の子。一緒に悪戯をした仲間。一緒に教師に叱られた仲間。
 様々な思い出話とともに時間は過ぎていった。一次会のホテルでの会食会は立食で、移動が自由であった。二次会で飲みなおし、一次会で話すことの出来なかった人と昔話を盛り上げる。三次会はカラオケだが、ここは歌うよりも昔話。ゆきたんくはいじめっ子でいたずらっ子で叱られてばかりいたことで有名であったこと。
 自分の子供達の話なども出て盛り上がった。プロの写真家になったやつもいて、みんなを撮ってくれていた。いずれ、その写真は手に入るだろう。

とても素敵な同窓会であった。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

引退2

2008-06-20 23:53:15 | Weblog

 ゆきたんくの出身地は東京都品川区である。
小さい時から、遊びに欠かせないものは自転車であった。
その自転車で30分もこげば着いてしまう所の1つに東京タワーがあった。

 当時は高い建物が殆どなかったので、自宅の屋上(一戸建てではない)からも東京タワーを見ることができた。距離的に離れてはいるけれど、その時の遊び仲間たちにとって東京タワーは身近な存在であった訳だ。当時の遊び場といえば、近所の公園であった。砂場で砂山を作り、みぞを彫ってビー玉博打をしたり、樽に布を縛ってベーゴマをやったりしたものである。そして、抜けるような青空で風が気持ち良いと、狭いエリアで遊んでいることが馬鹿らしくなってくる。そこで暴走族の誕生である。暴走族とはいってもギャングエイジの暴走族である。

 目指すは東京タワーである。写真は慶応大学側から見た東京タワーである。両側にはビルが見えるが、当時はどうだっただろうか。記憶が定かではないが、もっと視界は広かった気がする。この道の途中左手には神社がある。高台の神社だが、ビルに挟まれるようにしてるのを見ると、後からどんどん高い建物が建ったことが分る。

 子供心に、
 ①東京タワーはお墓の一部を取り壊して建設したため、幽霊が出る。
 ②特別展望台から上の部分に使用されている鉄材はアメリカ軍の戦車。
   朝鮮戦争でたくさんの人々の命を奪った。
 ③1958年(昭和33年)12月23日完成。
   全高333mと「3」が続くのはおまじない。
  なんてことを信じていた。しかし②は実話だという。

 千葉に移って20年。東京タワーのある景色とは縁遠くなってしまったが、高速道路を利用して出かける時には、あの赤白の色彩が目に飛び込んでくる。

 その東京タワーも今年で50歳。ゆきたんくよりも年上である。建築物としての老朽化、そして地上アナログテレビ放送を完全地上デジタル化することに伴い、東京の押上に東京スカイツリーを建設予定により、引退することになりそうだ。

 引退とは言ってもテレビ塔としての役割であり、史跡扱いで遺してくれたら嬉しいのだが。

 まあ、新しいタワーは610mで自立式の建物としては台北101を抜いて世界一になるかいいか。と思っていたらアラブ首長国連邦のドバイにブルジュ・ドバイという818mのとんでもないやつができるという。

 そんなことよりも、333mの赤白の塔はゆきたんくとほぼ同じ時代を生きてきているのだから思い入れも深い。どちらが長生きするのかな・・・。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本BK

2008-06-19 22:53:15 | Weblog

 日本三景と言われる中には、天橋立、安芸の宮島、そして松島がある。
ゆきたんくは、その中の松島しか行ったことがない。それも3回である。
日本全国に有名なスポットがあるが、B食よろしくB景(BK)というのは聞いたことがない。

そこで日本BKシリーズというのもいいかもしれない。(と勝手に思っている。)
google検索では天橋立が70万件、波の橋立が500件とBどころか、Z級の数字である。
 有名なところでは前述の天橋立(京都)、サロマ湖(北海道)、弓ヶ浜(鳥取)がある。
そして、それらとは別世界にいる波の橋立は、金子みすゞの故郷、山口県長門市仙崎の隣、青海島にある。そして青海湖を形成している。サイズは天橋立の1/3程度である。1300mほどの砂州で、植わっている松の木が素敵だ。

 さて、BKなんて呼んだら、地元の方々は怒るかもしれない。しかし、侮蔑の意味を込めて言っているのではない。位的には普通であるが、地元以外の人が見た時に感動するものもあるということを言いたいのだ。海外を旅行をして、写真を撮ってありがたがっている(ゆきたんくのことである)ことがあるが、地元に人にしてみれば、何でそんなに喜ぶのといった感じだろう。

 自分のものさしでいいのだ。自分がありがたいと思えばありがたい。よって、伝えたんくでは、自分が感じた幸せを載せている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

往生際

2008-06-18 23:58:43 | Weblog

 よく「往生際が悪い」というように遣われることが多い言葉だ。
往生際というのは死にぎわのことを言うが、それゆえ物事の終末を指すこともある。つまり「往生際が悪い」というのは、どうにもならないのに、諦められないことを指す場合がある。

 まだ経験したことがないが(もちろん経験したことを聞いたことはないし、語れる人に会ったこともない。)万人に平等にあることの中で「死」がある。

 昔の人たちは、その万人に訪れる「死」に対して恐怖心を持っていた。「苦しむのだろか」、「痛みはないのだろうか」など

 できることならば、死ぬ時には「ぽっくり逝きたい」という願いを持っていた。
その「ぽっくり」というのは、「昨日まで元気だった人が突然逝く」ことで、何の苦しみもなく死ぬことができたり、長患いをして迷惑をかけなくたいことが挙げられる。

 千葉県佐倉市に、なんと「ぽっくり弁天」という名前の弁天様があった。偶然見つけたのだが、弁天様の横の電信柱に、お大きな字で「ぽっくり弁天」と看板がかかっているのだ。

 無病息災で美しく老い、長患いせずにポックリ大往生するという霊験あらたかな生谷神社である。

ぽっくり弁天
千葉県佐倉市生谷

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

富士山

2008-06-17 21:45:15 | Weblog

写真は富士山。そんなことを言わなくても、日本人ならば人目見て分かる日本の象徴でもある。
イギリスの二階建てバスの乗り換え場所では、添乗員や運転手が楽しく過ごしている。
私の手をつかんで仲間の所へ連れて行ったと思ったら、「スシ、サシミ、テンプーラ、フジサンネ。」なんて言って日本語が話せることを自慢していた。私は大げさに感激して拍手をしたら喜んでくれたなぁ。
外国の方が知っている日本のことって分かりやすい単語が多い。
スキヤキ、ハラキリ、ゲイシャガールみたいに。

 京都旅行でバスが東名高速に入ったら、カメラを用意してフジサンが表れるのを待っていたゆきたんくである。自分が小学校低学年の頃のことを思い出した。母の実家に向かう際、新幹線の窓から富士山が見えた。富士山の寄生火山の宝永山のことをたまたま知っていたので、「あっ、あそこにあるのが宝永山だね。」なんて親に話していたら、近くにいたご老人がいたく感動していたことを思い出す。自分が小さい頃から慣れ親しんでいた存在だったのである。

しかし、その富士山について知っていることって少ないことに気づいた。
調べてみた。
文化財としての富士山
「富士山」 - 記念物(特別名勝:1952年11月22日特別指定)
「富士山原始林」 - 記念物(天然記念物:1926年2月24日指定)
「富士風穴」 - 記念物(天然記念物:1929年12月17日指定)
 全て半世紀以上前のことである。
そしてとっくに世界遺産になっていると思っていたら、まだだという。

世界遺産登録の動き
1990年代初めから、富士山をユネスコの世界遺産に登録しようという運動が行われている。当初は世界遺産のうちの自然遺産への登録が検討されていたが、地元調整がつかず環境管理(特にゴミ問題)が困難なため国は推薦を見送った。現在は文化的景観という観点から世界遺産のうちの文化遺産への登録手続きが進められており、2007年に暫定リストへ登録され、今後国際記念物遺跡会議による調査が行われることとなる。

だそうだ。難しいねぇ。日本人は家の中は綺麗だけれど、外には気を配らないことがあるからなぁ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ソウル・フード

2008-06-16 22:41:03 | Weblog

 本来は高尚な意味がある「ソウル・フード」である。
ある黒人が、「ソウル&ブルースを理解できる人間は、奴隷の食べ物を食べて育った者だけだ。」なんて、あるドキュメントか、映画か、それとも漫画雑誌か忘れたが、自分にとっては強烈なメッセージとして残っている。

 異国の地で生活していても、ソウルフードを口にすることによって活力を得て、再び頑張ろうというシチュエーションで遣う言葉だろう。

 まあ、今日のプログはそんな高級なものではなく、ゆきたんくのホームシックくらいに思っていただきたい。 

 昨年から今年にかけて訪れたインドネシア。現地に住んでいる義理の兄らおかげで快適な旅であったことは、何度かここでも書いたと思う。その兄が勤めている会社の近くにある常連の日本食レストランに連れて行ってくれた。毎日がインドネシアの郷土料理である言っても過言ではない状態だった。幸い、ゆきたんくにとってインドネシア料理は口にあったので楽しむことができた。

 さて、長男のおーちゃんは日本食に飢えていたようである。そこで頼んだものが、カツカレーライスだ。カレーとカトレットを合体させた日本料理でもある。


カツカレーである。

そして、ゆきたんくの食べたのが、なんと初体験の


ひつまぶしのオムライス

であった。メニューを見て、面白いと思って頼んだのだ。べつにソウルフードでもなんでもない。味噌汁を飲みたい訳でもない。インドネシア料理を気に入っていたからだ。


ジョグジャの郷土料理グドゥッの店

 インドネシア人の義理の姉は、ジャワ島中部のジョグジャカルタの出身である。普段はジャカルタに住んでいる。そこから飛行機で1時間のジョグジャカルタには、いつでもいける訳ではない。そのジョグジャの郷土料理が、鳥肉と卵、ジャックフルーツを甘く煮たグドゥッである。だいたい、イブ・イブ(おばちゃんたち)が店を経営している。久しぶりにジョグジャに来たので、夕食はグドゥッに決まっていたようだ。それも屋台のやつだ。ゆきたんくはすべての具材が揃っているナシ・コンプリートを頼んだ。ナシというのは白いご飯のことである。おーちゃんはナシを大盛りでおかわりしていた。

 姉はナイフもフォークもつかわず、手先を器用に使って食べていた。ゆきたんくはこの時はナイフ・フォークを遣ったが、数日後、パダン料理を手で食べた時の官能的な味わいを知ることになる。現地の食べ方の方がソウル・フードには近くなるのだろうと思った。

 さて、イギリスの時は、日本食が欲しくて欲しくてたまらなくなった。毎日ソーセージだの、フィッシュ&チップスや、ジャガイモ料理、オープンサンドじゃあね。好きなものばかりだけれど、毎日だとたまらない。永〇園のお茶漬けを食べたくなるんだ。
しかし、そんなものはないから、ロンドンでの宿泊先のヴィクトリアでは駅ビル内のジャパニーズレスランで酢豚にライスを頼んだ(中華料理やないかい)。ご飯におかずが欲しかったんだ。味付けはケチャップの効いた洋風であった。


リージェント・ストリート近くのすし屋

 ビッグバス(オープンデッキのバス)をリージェントストリートで降車して寄った寿司屋の寿司も脂がのっていてくどかった。そんなこんなでソウルフードをあきらめていたのだが、サウス・ケンジントン駅近くのリトルジャパンで、ヤキメシとヤハソバを食べた時、日本を感じることができた。飯や麺の固さ、味付けが和風なのである。お店には日本人の顔をした英語しかしゃべれないおねえちゃんがぎごちなく立っているがそんなことは関係ない。


ケンジントンのリトルジャパン

 自分が育った国の食べ物ってのは、活力を与えてくれる。それだけは言えそうだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブログ村Ping

http://ping.blogmura.com/xmlrpc/okr7t7fen957