格闘技者の強さといえば、それぞれの旬な時期があると思う。
しかし、峠を越えた者は、アイディアで勝負しなくてはならないだろう。
素人目に見る楽しさ、玄人目に見る奥深さが混在した試合がアントニオ猪木 vs マサ斉藤の巌流島での試合だと思う。
2時間5分14秒という長い試合をすることができた2人
アントニオ猪木 vs マサ斉藤 巌流島の決闘 1/2
力道山にしごかれた世代は根性が違うのだろう。
そしてマサ斉藤も東京オリンピックの代表選手だ。
この二人に拍手である。
格闘技者の強さといえば、それぞれの旬な時期があると思う。
しかし、峠を越えた者は、アイディアで勝負しなくてはならないだろう。
素人目に見る楽しさ、玄人目に見る奥深さが混在した試合がアントニオ猪木 vs マサ斉藤の巌流島での試合だと思う。
2時間5分14秒という長い試合をすることができた2人
アントニオ猪木 vs マサ斉藤 巌流島の決闘 1/2
力道山にしごかれた世代は根性が違うのだろう。
そしてマサ斉藤も東京オリンピックの代表選手だ。
この二人に拍手である。
もう、聞き慣れた言葉だろう。
有名なところでは、アントニオ猪木 vs モハメッド・アリの試合である。
ルールが違うスポーツ同士の戦いで決着をつけるのは難しい。
どちらにとって有利かということが問われるからである。
よく聞く、教員とモンスターペアレントのやりとり(試合)は成立しない。
ルールがはっきりとしていないからである。
スポーツ的に言えば、勝った方が強いのであるが。
では、プロレス vs ボクシングはどちらが強いのか。
何でもありではどうなのか・・・
今となっては検証しずらいテーマである。
もしかしたら検証はできないのかもしれない。
ゆきたんくがやっていた陸上競技で例えれば、
ハンマー投げと円盤投げの選手が100m競走をした。足が速い方の専門競技が優れているとはならないからである。
見たものが決めればいいのだろうが、この猪木 vs アリの試合は試合前に本当のルールが知らされていなかったことが不幸である。
猪木vsアリ?
日本人にとって、ワクワクドキドキできたことが一番の収穫ではないだろうか。
何かの間違いでは・・・
1983年6月2日のアントニオ猪木失神事件である。
IWGPの決勝戦だ。
相手はハルク・ホーガンだが当然猪木が勝つと思っていた。
当時、ようやく一般的になってきたVHSのビデオデッキに予約を入れて・・・
就職した年だったので大変忙しく、帰りも遅くなるので見ていなかったのである。
再生して見て、「やはり猪木は強いな、優勝は決まったな」と思っていた。
前に書いた、色気のある試合、相手の技量を受け止めてみせ、それ以上の技術で返していく。
いつも通りだ・・・
「あっ」と思ったのが、ホーガンのアックスボンバー(斧爆弾、ラリアートの変形)を後頭部に受け、その勢いで鉄柱に前頭部をぶつけた時である。
その後はリングに上がったところにアックスボンバーを受け、リング下に落ち失神してしまったのである。
アントニオ猪木 VS ハルク ホーガン
23分50秒から
ショックを受けた。
受身の失敗とも言われている。
しかし、結果的にスポーツ紙だけではなく、全国紙で取り上げられたことに当の猪木氏は大喜びしていたともいう。
それが事実ならば、なんとスケールの大きな人だといえる。
今日も猪木さんのお世話になる。
色気のある試合ができるのは猪木だけだと言った。
アメリカのレスラー、リック・フレアーも同様の試合の組み立てをすると聞いた。
この二人は、北朝鮮で1995年に行われた平和の祭典で試合をしている。
二日間で38万人の観客を手のひらに乗せたのだから素晴らしい。
その展開を崩す相手には情け容赦ないところを見せる。
それがこの試合だ。
アントニオ猪木、マジギレ試合 (グレートアントニオ戦)
手段を選ばず、お金を払って見に来たお客さんを満足させて返す。
試合を馬鹿にした相手を悪者に見立て、勧善懲悪のシチュエーションを作ってしまう。
努力に裏打ちされた天才である。
金曜8時にプロレスをやらなくなって久しい。
ゆきたんくが20代の頃には、プロレスがブームになっていた。
ヒーローアントニオ猪木が現役で、藤波がいて、長州がいて、タイガーマスクがいて、一週間に一度は興奮できたものだった。
とくにアントニオ猪木のプロレスは色気があり、誰にでもまねのできるものではないと思っていた。
受けの美学、キラー、テクニシャンと様々な引き出しを持っていた。
生き方そのものが稀有のアスリートである。
アントニオ猪木vs馳浩 1992.1.4東京ドーム
この試合は東京ドームで見た。
家ではビデオを撮っていた。
ドームで見ても、テレビの画面で見ても、空間の使い方がこれほどうまいレスラーはいない。
リングを舞台に見立てて、演じている役者のようだ。
今日は職場に土曜出勤である。
休日出勤ではない。
全員出勤である。
よって、お昼はおそろいのお弁当。
結構食べでのあるお弁当である。
みんなで食べるからおいしい。
それに、職場の方たちがお吸い物を作ってくださった。
かわいい手毬麩のお吸い物
もう、この1品が増えただけで、とても嬉しい気分になるのだ。
紀伊国屋サザンシアターで青年劇場の「臨海幻想2011」を見た。
30年前の演目の2011年度版。
日本の原子力発電所の在り方を問題提起した演目である。
あのチェルノブイリ発電所事故の5年前に公開されているのだ。
今回の公演は、昨年の東日本大震災の時の福島原子力発電所の事故が、「臨海幻想」で想定されていたことが現実になってしまっていることから改訂版として再び世に出たこと。
なるほど訴えてくることはあった。
自分にとって、今一つ響きが足りないのは、本当の情報が国民に伝わっていないように思うからだ。
これね、なんでこんな形なの?。
そう思うのがロンドン市庁舎。
シティ・ホール
様々なあだ名がついているが、どれも格好のよいものはない。
せいぜい、"onion"くらいである。
自分なんてスライスゆで卵だからね。
しかし、ここがイギリスの中心地の象徴であることには違いない。
九州の旅も終わりに近づき、福岡空港に向かう途中の車中から見た光景です。
堀の魚が、空中に飛んで虫をいただいているようです。
虫取り魚
白い巨塔Op(1978)
ゆきたんくにとって忘れられない曲。
ドラマ「白い巨塔」のメインテーマと言えばお聞きになったことがある方もいらしゃるはず。
特にこの曲はゆきたんくに力をくれた。
ドラマ自体は、不条理がテーマであった。
しかし、この時ゆきたんくの母は癌に侵されていた。
「白い巨塔」最終話の1つ前、母はゆきたんくにこう言った。
「ねぇ、お母さんがああ(ドラマの中の財前のように)なったらどうする?」
もっともこれを言う場面は他にもあった。
財前に執刀された佐々木庸平が死んだ時にもあったはずだ。
財前が癌に侵され、自分の死と向き合った時のシーン、ドクター里見に真実を聞いたシーンの後だった。
「ああなる前に病院に行けばいいじゃん。」
当時全寮制の高校に通っていたが、12月を向かえ受験のために自宅に戻ってきていたのだ。
大学も第一希望に合格し、卒業式を終えて春休みになった時だ。
唐突に母がこう言った。
「おなかに悪いものができたから入院するね。」
その後、一人にしてくれというのでその場を離れた。
こっそり見ると母は泣いていた。
9ヶ月の闘病生活の末、母は天に召された。
亭主関白だと思っていた父が、母に精一杯尽くしたことは忘れない。
ゆきたんくは、母の全快を信じていた。
亡くなる2週間前まで癌だとは知らされなかった。
自分なりに本を買って読み、どう考えてもその症状は癌でしかないと思ったが父に聞く事はできなかった。
亡くなる3週間前、寝入りばなに酔った父がこう言った。
「お母さん、どうなっちゃうんだろう・・・」
ゆきたんくは答えられなかった。
なぜ、そんなことを言うのだろうと思った。
父はずっと前に余命を聞かされていたのだと思う。
避けられない現実を迎えるまでの間にゆきたんくを勇気付けてくれたのは「たそがれの都会」だ。
財前のような腕の立つ医師が病気に苦しむ母を助けてくれるような気にしてくれる曲だった。
ちょっとショックなことが。
またマイクねたである。
マイク・オールドフィールドのセカンドアルバム「ハージェストリッジ」のことについては何度かここにも書いた。
そのハージェストリッジというイングランドとウェールズにまたがる丘陵の隣にブラッドナーという小さな丘がある。
そこにマイクがスタジオ兼自宅として使っていた「ザ・ビーコン」という家がある。
ザ・ビーコンを背に
現在はオーナー、いわゆる世帯主がいる。
レンタルバケーションとしても登録されていたので、昨年12月25日に泊まらせていただいた。
今の時点ではレンタルバケーションの登録はされていない。
「ゆきたんく」の「旅たんく」も九州のことについてまとめていて、イギリス2011年の旅への取り掛かりについてはもう少しかかるだろうと思っていた。
表札? 世帯主の名ではありません。
そんな中、「ザ・ビーコン」が売りに出されているのを知ってショックを受けたわけである。
もちろん、人間どこに住もうがかまわない訳であるから引越しなんてぇのは当たり前のことである。
今回(2011.12.25)は事情があってゆっくりとできなかったので、宿主も「次に来る時にはゆっくりとね。」と話してくれていたから余計にびっくりした訳である。
「ザ・ビーコン」についての書き込みも何回かしたが、その内実に触れることはしなかった。
「ザ・ビーコン」がプライベートな住まいだったからだ。
売りに出された情報はライト・ムーブという不動産情報だ。
↑
クリックしていただくと「ザ・ビーコン」の情報が見れる。
そこにある写真はゆきたんくがとった写真とほぼ同じだが、まだオーナーは住んでいらっしゃるようなので掲載は遠慮しておく。
ただ、ゆきたんくが寝た部屋はスタジオだった場所である。
マイクが名作オマドーンを生み出した場所でもあるのだ。
スタジオだった場所
この上写真の左側に2機のテープレコーダーが置いてあった。
この後載せる動画には、マイクがミキシング・コンソールを操作している場面が出てくる。
マイクの左側から撮っている奥が、上写真の場所になる。
エンディングで画がストップする。奥にはカーテンがある。その向こうがこの窓である。
マイクが録音作業疲れ取りに、ハージェスト・リッジで飛ばしたグライダー模型も動画に出てくる。(8分16秒)
そのグライダーをかけておいた部屋には天窓がある。
Mike Oldfield - Documentario (frammento)
グライダーをかけた部屋
その真後ろには出窓がある。
現在は出窓の先にサンルームが造ってある。
動画では、その出窓の辺りに、ティンパニやゴングが置いてある。(8分40秒)下写真
この出窓の先にサンルームが造られている。
動画の時(1976)にはなかった
上写真の出窓の上に部屋がある。
マイクの姉サリーの寝室があったそうだ。
そしてこの奥に広がるのがセカンドアルバムのタイトルにもなったハージェスト・リッジである。
ハージェスト・リッジの伝説の石、ウェット・ストーンとゆきたんく
いわゆる休日出勤である。
その休日出勤の楽しみは、自分へのご褒美でもある昼飯である。
1000円もあれば、結構贅沢ができるのだ。
しかし、現在は減量中である。
7月初旬に山登りをわしなくてはならないのだが、体がついていかない状態なのだ。
それを思い知らされたのが4/28。
4/29は次男の誕生日なので、ケーキとかご馳走をしこたま食べて4/30からダイエットを始めた。
今日でちょうど20日目、3週間弱である。
4kg落ちている。
7月初旬までは、42日の6週間である。
ということは4×2で8kg、合計12kgが単純計算で落ちることになる。
ゆきたんくが目指しているのは15kgである。
よっぽど頑張らないといけない。
で、ご褒美の昼飯はこちら。
これは366キロカロリー
三ツ矢のきれいな水
朝はオールブランに牛乳で250キロカロリーくらいだから、朝昼で600キロカロリーくらいだ。
さて、頑張るぞ。
高校生の時にはまった、マイク・オールドフィールド。
デビューアルバム「チューブラー・ベルズ」の冒頭はエクソシストのテーマとして有名だ。
日本人にとってチューブラーベルズの入り口はエクソシストのテーマになっているからあまり好かれてはいない。
ところがヨーロッパ人にとっては、新しい音楽として受け入れられたのである。
冒頭の音楽に恐怖を感じる日本人。
それを聴いて歓喜するヨーロッパ人。
日本でのマイクの人気が今一つなのは、そういう背景によるものなのだと思う。
今日は、大ヒット曲チューブラーベルズのオーケストラ編曲版、「オーケルトラル・チューブラーベルズ」の動画を紹介する。
最初は日本の新日本フィルによるもの、もう一つは2編に分かれていて、1982年のものと思われるロンドンでの動画でマイクも登場する。
クラシックの聴衆にも耐えうる楽曲であることをマイクファンとして誇りに思う。
15. The Orchestra Tubular Bells Part 1 'The Exorcist'
The Orchestral Tubular Bells (1/2)
The Orchestral Tubular Bells (2/2)
何回か開いていらっしゃる方もあると思います。
良し悪しではありません。
自分の価値観ですかね。
そんな難しいものでもありません。
そう、先日結婚25周年のささやかなお祝いをしました。
今日17日は披露宴の日でした。
結婚式と披露宴の日が別々だったのです。
結婚披露宴から25年が経ちました。
感想から言うと、まぁ男の立場ですが「1回で十分な代物」です。
さらしものという感じでしたね。
この場を借りて、好きなように書いていますが誰もが同じことを思っていらっしゃることでしょう。
ゆきたんくとのりたんの関係?
お互い空気のようなもの。
いてもあまり意識しないけれど、ないと死んじゃうみたいな。
まあまあなバランスではないですかな。