伝えたんく

日々の何気ないできごとに感じた幸せ

旅の緊張6

2015-09-30 23:55:00 | 

2014年、フランクフルトからICEに乗ってケルンを目指す。

アム・ラインで行った。

ライン川沿いの風光明媚な風景を楽しもうというのだ。

その中で一つだけ違和感のある風景があった。


 
ミュールハイム・ケルリヒ原子力発電所 線路から125m


 帰国してから、この写真の場所を調べたら原子力発電所だった。

それに関しての所感は他所が書いているのでここでは書かない。

今年の旅では、車でここに近づいてみた(運転手はプロの方)。

現在は稼働してはいないが、民家から300mの原子力発電所はなかなかないと思ったからだ。

まあ、ろくに調べてはいないので、他所にはあるかもしれないが・・・



線路を挟んだ道路からの撮影。


なぜか目に焼き付いた「RWE」
 


 ゆきたんくの我儘で寄っていただいた原子力発電所。

緊張したのは、この次に寄った街、ベルンカステル・クースであった。

モーゼル川を挟んで東側のベルンカステルのマルクト広場は、絵本の世界のようだ。



木組みの家が美しいマルクト広場


 この写真の真ん中の建物を右に行く道がある。

その道の両側には店が立ち並び、観光客の足を止めている。

ゆきたんくと運転手のNさんは男なのでさっさと行きたいが、4人の奥方は目を奪われている。


 


店が途切れてきた辺りの写真。この先に教会がある。


教会。その奥には墓地がある。


 そろそろ建物もなくなってくるので引き返すポイントにきたようだ。

 これだけ異国情緒に包まれると、その国の人間になったような気分になる。

言葉を操ることができればなおそうだろう。

 

教会の前でふと地面に目を落とす。

何か訳の分からない緊張が走る。

どこかで見た。

何だろう。



そう、目に焼き付いた「RWE」だ。 


 廃炉に向かってはいるが、民家から300mの原子力発電所の建物にあった表示「RWE」。

KABELとRWE。

調べたらなんてことはない。

RWEは「Rheinisch-Westfälisches Elektrizitätswerk(ライン・ヴェストファーレン)」電力会社の略称だ。

ようするに金属の蓋にカタカナでケーブル、漢字で東京電力と表示されているようなものだ。

原子力発電所とRWEの組み合わせが強烈な印象があったので緊張したのである。

なんて小心者なんだろう。

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旅の楽しみ264…ドイツ・ケルン

2015-09-29 23:35:15 | 

ゴシック様式の建築物としては世界最大のケルン大聖堂。

大戦の際、14発の直撃弾を受けたが全体が崩れなかったので修復は早かったそうだ。

ただ、修復の材料が破壊された時の廃墟からの再利用のものが多かったが1990年代に入り、元の形にする工事が進んでいる。

さて、2本の尖塔が特徴の大聖堂だが、この157mの高さを誇る尖塔部分は、大聖堂の西側に実物大の模型がある。


 
ゆきたんくの身長の5倍以上ある模型。


 模型の大きさは、手前にゆきたんくが立っているので分かると思う。

まあ、ゆきたんくの全身が写っていないので、模型の表示「日本語版」の写真を載せる。



高さが10m近くあるのだから比べるまでもない。


 ところで、塔は下から順番に造っていくはずである。

現在のケルン大聖堂は3代目で、1880年の完成だ。

工事にあたって、現在ある重機のようなものはなかった時代である。

この尖塔部分をどうやって150mもの高さに載せたのであろうか。 


 


下から見て比較する。その大きさの違いときたら・・・


何の気なしに見ていたケルン大聖堂の尖塔。

天上への架け橋の意味合いを持つ尖塔には、考えた人、造った人たちの思いが込められていたのだ。

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旅での緊張5…ライン川の洪水

2015-09-28 23:00:06 | 

ブラウバッハでマーク城を観光した時から感じていた。

やばいと・・・

次はサンクト・ゴアールスハイゼン。

ライン上りの船着場だ。

サンクト・ゴアールスハイゼンに着いた。

やばいと感じてから50分。



サンクト・ゴアールスハイゼンの船着場とのりたん。


 取りあえず写真を撮った。

素晴らしい景色なのだが、それを楽しんである余裕はなかった。

運転手のNさんに聞く。

ゆきたんく「トイレは近くにありますか。」

Nさん   「モウスグフネガクルカラソレマデガマンネ。」

ゆきたんく「何分くらいでしょう。」

Nさん  「ムコウギシニイルフネダカラアト3プンクライネ。」

3分とは言っても、乗り降りがある。

さっきまでそばにいたNさんがいない。

洪水の危機だ。

 やばい、緊張が走る。

乗船チケットの確認をしてくれていたNさんが戻ってきた。

限界であることをNさんに告げると、「コッチネ。」

Nさんは走り出した。

ゆきたんくは後をついて行く。

Nさん  「コノレストランノオクノミギガワニトイレガアル。オカネハイラナイネ。」

ゆきたんくは間一髪ご奉仕をして洪水の危機を逃れた。

その間1分。

船は、まだこちら岸に着いていない。

ホッとしてレストランを振り返る。

(^^♪ 柱の傷は一昨年のぉ~

ではないが、洪水の記録が・・・



1995年にはゆきたんくの背の高さまで・・・


1988年には2回も。 完全に溺れる高さまで水が来ていたのである。 


 危うく、この場所にゆきたんくの洪水の記録を記すところであった。

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旅での緊張4…話しかけても

2015-09-27 23:35:58 | 

場所はクーヘン(コッヘム)。

モーゼル川沿いの散歩や景色を楽しみ、旨いソーセージもいただき街中散策の続きをして次の場所に移動するだけ。

どうしても撮りたい写真があった。

水場なのだが、それが噴水形式ではないやつ。

四角い水槽の上にモニュメントかある。

それは、葡萄を一生懸命絞っているような姿。

そして樽の下の方から葡萄酒が出てくるという趣向だ。

まぁ、葡萄酒ではなく水なのだが、水場だから当たり前だな。

それを正面から撮りたかったのだが、年配の方が寄りかかって体を休めている。

写真を撮りたいので話しかけたのだが、お耳が遠いらしい。

不明瞭な言葉で東洋人に話しかけられても困ったことだろう。

「嫌な思いをさせてしまったらどうしよう。」

そう、緊張の一瞬である。

少しして、目をつぶっておられたので横から撮ることにした。

おじいさん、ご免なさい。



葡萄を絞っているようなモニュメント。さすが葡萄畑に囲まれた町、クーヘン(コッヘム)だ。 


 

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旅での緊張3…ケルンのトイレで

2015-09-26 23:40:45 | 

ヨーロッパの旅で・・・

と言っても、ゆきたんくはアジアとヨーロッパしか海外旅行をしたことがない。

アラブ首長国連邦はトランジットなので、お題には関係ない。

ヨーロッパの旅で、いつも気にしていることはトイレである。

ホテルやレストランはよい。

その他の場所でトイレに入るには50セント硬貨が必要だ。

トイレの掃除をしている方の生活費になるそうだ。



写真右端のマクドナルドで・・・


 ケルン大聖堂の観光が終わり、次のクーヘンまで1時間半。

トイレに行くことにした。

用意した50セント硬貨は使い切ってしまったので、のりたんにもらう。

それだけで緊張が解ける。

運転手のNさんに、「アノマクドナルドオクニ、トレイガアルヨ。」

と教えてもらって速足で移動する。

入り口にいるはずの番人がいない。

お金をどこに置けばよいのか分からない。

粗相をしてはいけないので、トイレに駆け込む。

ご奉仕が終わり、手を洗ってトイレの外に出る。

あっ、番人がいる。

後はお金を置く場所を聞いて、お金を置いて店を出るだけだ。

ところが、そこで番人が怒っている。

番人「50セント」

女性「???」

番人「50セント」

指を指した先に皿がある。

あぁ、皿に硬貨を置けば良かったんだ。

女性「???」

見たところ日本人だ。

おぉ、同士が困っている。

ゆきたんく「50セント硬貨をここに置くんですよ。」

女性「???」

ゆきたんく「???」

女性「?_+L}`P+LLL*{」 ← たぶん中国語。

あらら、ご奉仕の後でリラックスしていたのに、また緊張してしまう。

ゆきたんくは50セント硬貨を皿に置いてみせた。

女性「,.;@::][[[,l@」

番人「50セント」

女性はなぜ払うのだろうという感じである。

言葉が通じないので、これ以上は助けられない。

何か忘れ物をしたような気持でマクドナルドを出た。

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旅での緊張2…機内食メニュー

2015-09-25 23:19:42 | 

いやぁ、空の旅はいいねぇ。

前回の投稿は真逆のことを書いていたゆきたんくである。

ところが機内食は楽しみの一つであるゆきたんくだ。

始めて乗るエティハド航空の機内食。

メニューは何かな?

最初に開いたページが悪かった。

「えっ・・・」

アラブ首長国連邦の飛行機だけれど片言英語くらいなら通じるだろうなぁ。

と少し不安を抱えた時に開いたページがこれだ。



アラビア語のメニュー


「 ・・・。」

読めない。

どうしよう。

しばらく悩んでいたら、となりに乗っていた奥方ののりたんが

のりたん「あなた、どうしたの?」

ゆきたんく「メニューが読めないんだ。」

のりたん「ついにボケが始まったの?」

ゆきたんく「メニュー読めるの?」

のりたん「何馬鹿なこと言ってるの?」

ゆきたんく「アラビア語読めるんだ、凄いねぇ。」

のりたん「日本語のページあるでしょう。」

ゆきたんく「えっ・・・」

てな訳で、日本語のページがあることに気が付かなかったゆきたんくである。

余計な緊張をしてしまったのである。

馬鹿だねぇ。

 

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旅での緊張1…初めて乗る航空会社

2015-09-24 00:03:41 | 

今夏の旅で、初めて乗る航空機が2つあった。

始めての航空機は緊張する。

ゆきたんくは、それなりにビビリなのである。

北海道旅行での「エア・ドゥ」も緊張した。

北海道国際航空株式会社」の通称だが、聞いたことがなかったからだ。

全日空とのコードシェア運航をしているということで安全なんだなと思うことにした。

さて、今回はエティハド航空。

これはアラブ首長国連邦の国営会社ということで安心。

デュッセルドルフで乗り換えた時の機体のデザインがどうみてもエティハドではない。

よーく、チケットを見ると「エアベルリン」とある。

聞いたことがない。

チェック漏れで、事前に気が付かなかったことにビビる。



デュッセルドルフ空港に無事に着いて、1枚撮影。


 まあ、UAEとの共同運航だからと自分の言い聞かせて乗り込んだ。

気になったのが、滑走路に移動するまでに天井がガラガラ音を立てていたことだ。

何かボルトか何かが転がっているような音だった。

飛び立って、安定飛行になった時に音が止んだ。

7時間のフライトなので、しばらくは忘れていた。

着陸した後に思い出したようにガラガラと・・・

まぁ、着陸した後に堕ちることはないので「まぁ、いいか」と思った。

いったい何の音だったのだろうか。

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ケア

2015-09-23 23:11:37 | 健康

いやぁ、体にガタが出てどうしようかと思っていた1年前。

腰の痛み、硬さが何をしても取れなかった。

今年の1月にMECに出会ってから、体の調子がどんどん良くなっていった。

体もだんだんに動くようになってきた。

運動でも15年前の動きができるようになった。

その分、体に痛みが出ることが増えてきた。

それは怪我ではなく、回復力が弱くなったことを補っていなかったことに気付かせてくれたのはいつもお世話になっている整体の先生だ。

若い頃は馬鹿にしていた、電子治療器。


 


オムロンに感謝。


 いつもお世話になっている整体の先生に、電子治療器の効果について教えていただいた。

怪我ばかりが痛みを発するのではなく、傷む部位に付着している筋肉の緊張が取れないのも原因だという。

それには低周波の電子治療器が良いという。

購入してみた。

毎日のケアのためだ。

 使ってその効果に驚いた。

効くのだ。

痛みが取れたり、軽くなったりする。

現在は、毎日ケアしてゆきたんくである。

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練習

2015-09-22 23:39:39 | 音楽

小学校と高等学校が一緒だった友人からオファーがあった。

「ギター弾いて」とのこと。

まぁ、少しくらいいいかと思っていたら、ビートルズをやれと言うことだった。

それも人前で。



これにビートルズの曲が4曲入っていた。


 現在「イマジン」を練習中である。

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カメラって

2015-09-21 23:13:07 | 写真

いやぁ、カメラって凄い。

ゆきたんくは写真は上手ではない。

40の手習いで友人に教えてもらって始めた。

デジカメだけしか操れない男である。

現在は4代目のカメラ、フジフィルムのファインビクスS1だ。

ケーズデンキの店頭を見たら、「世界初、防塵、防滴仕様」の字が目に入った。

2014年に、ゆきたんくの夢の場所、ハージェストリッジでにわか雨に降られ、カメラをカバンに雨宿りで撮れない景色があったからだ。


 
ハージェストリッジ。


 そう、そしてS1はゆきたんくの手許にある。

先日、ドイツに行ったが、その行きの飛行機と帰りの飛行機の窓から撮った月の写真がある。

以前のカメラだったらば、ゆきたんくの腕では絶対に撮れなかったろう。

では



行きの飛行機から撮った月。


 その1週間後、帰国時も飛行機の中からお月様と会った。



出発したのは昼だったが、少し微睡んで外を見ると飛行機の翼の上に月が光っていた。


シャッタースピードを調整して撮った。


 素人がこんな写真を撮れる時代になったのだ。

ところで、飛行機の中は防塵、防滴は関係ないか・・・

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写真整理

2015-09-20 23:04:50 | 写真

さて、旅が終わると写真整理だ。

オリジナル画像はストレージ用のハードディスクにフォルダを作ってしまう。

そのコピーをホームページ用のフォルダに入れる。

そしてレタッチ等を試みて使えない画像を捨てる。

レタッチ等では、自分の目で見た景色に近くなれば良しとする。

こんな感じだ。

ライン川を挟んで、シュタットベツィルケ03とノイス辺りの写真だ。→ Map



撮った写真はこんな感じ。


アプリを使って、自分の目でみた感じに近づける。


 こんな作業を少しずつ、そう3か月くらいかけて行う。

そしてビルダーで組み立て、テキストを書く。

その第一段階が写真整理なのだ。

 

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帰国3… アブダビ 成田

2015-09-19 23:52:49 | 

アブダビ・成田間を飛ぶエティハド航空機内にいる。

実は乗り遅れるかもしれない状況に追い込まれていた。

嫌な予感は、デュッセルドルフ空港でエティハド航空カウンターでしていた。

Eチケットを受付に見せたら、デュッセルドルフからアブダビまでのチケット1枚しかもらえなかった。

アブダビ成田間のチケットのことを聞いたら、アブダビのカウンターでもらえという。

行きは4時間開いていたが、帰りは1時間40分しかない。

チケットがあれば乗り換えは楽なのにと思い、もう一度聞いた。

アブダビのカウンターでもらえというのは変わりない。

荷物のチケットは成田までとなっているのに、搭乗客は成田までのチケットを出してもらえないのかと聞いても

アブダビのカウンターでもらえと言うのは変わらなかった。

20時25分アブダビ到着予定の飛行機は20時45分になって窓から空港が見えて来た。

21時10分近くに到着、バスへの乗り換えまで10分、ターミナルまで10分近くかかった。

降りた客は乗り換え場所まで走る走る。

ところが乗り換え場所をゆきたんくは知らなかったのである。

行きは車いすの方が同行していたので特別扱いだったのだ。

飛行機から特別なバスに乗り、出国者と入国者がいる場所にダイレクトで行けたのだ。

バスが着いたのはその場所ではない。

乗り換え場所を間違えては元も子もないので、表示を見ながら慎重に進んだ。

乗り換えのカウンターが見つかった。

カウンターまでは長蛇の列。

その列に並ぶ前にもう一つカウンターがある。

そこにいるおねえちゃんに、このEチケットはここで良いのか聞く。

開口一番「ボーディングチケットは?」と聞かれ目が点になりかけたが、

「アブダビのカウンターで受け取るように言われた。」

と言ったら並ぶように言われた。

その時点で21時40分。

出発の22時5分まで残り25分。

一つ前のお客さんに時間がかかっている。

やっと自分の番が来た時点で残り15分。

Eチケットを見せる。

そして聞こえてきたのは「You are late.」

頭の中に浮かんだ言葉は、「遅いよ」「遅刻」の2つだった。

後者だったら乗れないと思いあせった。

「何時にここに来たの」と聞かれチケットを再度見られた。

しょうがないというような表情だったので「25分前にはそこにいた。」と伝えた。

まあ、片言英語なのでどこまで通じたかは実際のところ分からない。

そんなやりとりの中でチケットを出してくれた。

「あと5分で搭乗口まで行って下さい。」

と言われ、走りに走った。

荷物検査を通り、通路をひた走る。

周囲の人たちの注目を集めて走る、大柄の東洋人という感じだ。

やっと搭乗口の番号が見えてきた。

ここでAEDのお世話にはなりたくない。

時計は22時5分・・・

搭乗口が見えた。

それと同時に、そこに並ぶ乗客たちの長蛇の列も見えた。

出発時刻になって搭乗が開始されていたのである。

どっと汗が流れ、体の力が抜けた。

「ははっ、これで日本に帰れる・・・」と心でつぶやきながら緊張から解かれた。



相変わらずスパイシー。美味しくいただいた機内食


機内モニターでは新疆ウイグルの上空だ。標高の高い山が連なっている。5000m級の山と思われる。


 帰りの飛行機では面白いことがあった。

ゆきたんくは機体右の窓側。

隣に座ったのはイケメン青年。

時々、父親らしき人がきて明らかに英語やドイツ語ではない言語で話している。

英語くらいなら通じるだろうなぁ。

少し不安なゆきたんく。


 


日本に到着するのは昼。まだまだ時間がある。


 12時間のフライトである。暗かった機外も明るくなってきた。

トイレに行きたくなったので「Sorry I want go a lavatry.」と言ったら席を立って通り道を開けてくれた。

よし英語は通じる。

少し安心したゆきたんく。

席に戻ってシートベルトを締めようとしたら締まらない。

イケメン兄ちゃんのベルトを自分のと間違えたらしい。

実はお互いにそんなことをしていた。

思わず「あっ逆だ。」と言ったその後に、イケメン兄ちゃんが「あぁ、逆ね。」と・・・

完璧な日本語だった。

でも見かけは日本人ではない。

しばらくまどろんでいた。

ふと、目を覚まし隣をみるとかわいい小柄な女の子が座っていた。

なんだ?

顔が完全な日本人なので話しかけてみた。

ゆきたんく「日本の方ですか?」

女の子 「はい。」

ゆきたんく「あの。先ほどまで男性がいらっしゃったので少し驚いています。」

女の子「あぁ、あれは兄です。」

ゆきたんく「はぁ。」

女の子「実は家族旅行を5人でしたのですが、その内4人にビジネスシートが当たったんです。」

ゆきたんく「ほぉ。」

女の子「お父さんが、じゃぁ、ビジネスシートはお前とお兄ちゃんとで交代で乗りなさいということになって。」

それ以外に、家族の事情とかいろいろと話してくれた。

それがないと私に状況が伝わらないと思ったのだろうか。

外国人の父、外国人青年の兄、日本人の娘・・・

かえって申し訳なく思った。

ゆきたんく「お兄さんは日本語を話せるの?」

女の子「はい、4か国語くらいペラペラです。日本語も普通に話せます。」

合点が言った。

そして言葉の大切を知った。 

ゆきたんく「気をつけて帰って下さいね。」

女の子「はい。」




成田に着いた。これから車で1時間半、職場に向かう。


かくして、Оさんの代わりに様々な所に行くことができた。

今度は全快したОさんと一緒に旅をしたい。

今日はデュッセルドルフに戻った女房達がОさんの入院している病院へ行き、旅の報告をしているだろう。 

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帰国2…デュツセルドルフからアブダビ

2015-09-18 23:45:17 | 

さて、エティハド航空の機上の人となったゆきたんく。

2014年9月1日からの規制緩和で、飛行機の離発着時の写真撮影も可能になった。

座席は窓側で、どんな風景が撮れるかとわくわくしていたゆきたんく。

ふと気が付くと、隣には外国人女性が座っている。

何か早口の英語で独り言を話している。

言葉をしっかりと聴き取ることはできなかったが、雰囲気からして怖がっている感じだ。

ゆきたんく「Are you nervous ?」

女性 「Yes, it is scary.」

ゆきたんく「Me too.」

と言ったら女性がクスッと笑って、こちらを見た。

片言英語で話すしかなかったゆきたんく。

相手がドイツ人女性でケルン在住だったこと。

ゆきたんくがケルン大聖堂に憧れて、昨年に続き2年連続で訪れたことなどを話した。

まあ、気立てが良くて日本人に近い感じがした。



離陸後初めて撮った写真。ライン川が写っている。

 


エティハド航空のロゴが翼に見える。


機内食はスパイシーである。



少しうつらうつらして気が付いたら外は真っ暗。月が見えている。



こんな写真が飛行機が撮れるようになったんだ と感激したゆきたんくである。


 ゆったりと時を過ごすゆきたんく。

 となりの女性は成田からジャカルタに向かうという。

 ゆきたんくの義理の姉がインドネシア人で、ジャカルタを訪れたことがあることを話した。

 まあ、これから旅する訳なので何が素晴らしいと言わないで、「良い所」と言うに留めた。

 はっきり言えば、ジャカルタの素晴らしさを伝える言葉を持っていなかっただけの話である。

 

 さてアブダビに着いた時、写真の1枚も撮る暇がないほどの目に遭うのだ。

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帰国1…デュッセルドルフ空港まで

2015-09-17 23:39:35 | 

さて、いよいよドイツともお別れである。

デュッセルドルフ空港からアブダビドランジットで成田に向かう。

空港までは、昨日シューマンの軌跡を一緒に確かめた高校の先輩が送って下さる。

本当に申し訳ない。


 


ホテルモテル・ワンの前まで車をつけて下さった。


 ここでずうずうしいゆきたんくなのだが・・・

デュッセルドルフに着いた日に、旧市街(アルトシュタット)に行く予定がないことを知って案内して下さった。

そして次の日からは予定に沿って、デュッセルドルフを離れたために、一か所行ってないところができた。

ケーニヒスアレイである。

伝えたら、快く「いいよ、行こう。」と車を走らせて下さった。



ケーニヒスアレイ → Map

 


橋の上から北側を写す。正面の景色は美しい。


 飛行機の時刻に遅れないように少し観光をと車を出してくれた先輩。

様々交通規制に以前困らされた話を伺いながら、ドライブである。 


 
赤と白と黄色交通規制の色。



トンネルはできたばかりで綺麗。


昨日訪れた場所の北側にある橋、オーバーカッセラーを渡りながら、ペンペルフォルトという地域を見渡す。


 写真は取り剥ぐってしまったが、キリスト教徒ばかりのこの地区にお寺がある。

観光雑誌には絶対載っていないようなことも教えていただき、デュッセルドルフが身近なものになった。

もう2~3日はじっくりと見たいと思った。


 

 
デュッセルドルフ空港


 先輩は、空港に到着したらスマホをササッと操り、どのゲートなのかを調べて教えて下さった。

「あの長蛇の列のところかな?」

自分のたくさんの時間を割いていただき、本当に感謝しかない。

別れは惜しいのだが、空港の外の車を停めた場所にポリスが来る恐れがあるので短時間でお別れした。

「本当に有難うございました。」

最初に旅の話が出た時には、一人で回ろうと考えていた。

でも、アルトシュタットの人込みの中を一人で歩けただろうか。

ホテルの近くでペイントをかけられた後、外に出る勇気があっただろうか。

先輩がいて下さったことが本当に心強かった。

この歳になっても自分の一人の力がどんなに小さいものか、思い知らされたのである。

ここで気合いが入ったことがアブダビで生きてくる。

 

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デュッセルドルフに戻って

2015-09-16 23:11:47 | 東京都立秋川高等学校

いやぁ、やられた。

散々、駅の東側が危ないと聞かされていた。

ホテルはデュッセルドルフ中央駅の西側だから注意をあまり払っていなかったのも事実だ。

電車を降りて、駅の下の通路でデュッセルドルフ在住の高校の先輩に電話をかけて

アドヴァイスを受けて駅の外に出る。

完璧だ。

左の肩に小さいバッグをかけて、トラベルバッグを引っ張って・・・

ホテルは目の前。

交差点の中をトラムが走っている。

その線路を越えた辺りで、

「ヘィ、ユー。,:@[]\/:@@@;@[]]」と酔っ払い親父のような奴に声をかけられた。

振り返ってバッグを見ると、鳥の糞が大量にかかっていた。

まったく、これから出かけるのに・・・

チェックインの手続きの時に、荷物を少し離して置いた。

受付のお兄さんに、デュッセルドルフの警察のお達しで荷物は近くに置いてということを聞いたが臭うと思ってそのままにした。

部屋で汚れのチェックをした。

肩掛けカバン、トラベルバッグ、着ていたシャツ、ズボンにドロドロにかかっていた。

部屋の水道で洗う。

 全然落ちない。

臭いをかぐ。

 全然臭くない。

しばらくして、ペイントだということに気付いた。


 


この旅行のために買った、肩掛けバッグ。いくら洗っても落ちない汚れ。


 誰かにかけられたのだ。

駅からホテルまでの道のり、かけられたことには気づかなかった。

ホテルのすぐ前で声をかけられた。



ホテル「モテル・ワン」の真ん前、矢印の先辺りで声をかけられたゆきたんくである。


 トラムの線路があるので立ち止まるには良い場所ではなかった。

 線路を越えて信号の手前で汚れを確認。

すぐふかなければ思い、宿泊するホテルが目の前だったので入った。

それがかえって良かったのだろう。

ホテルで汚れを確認し、洗ったことでペイントだと分かった時点で、一緒に出掛ける予定だった先輩に電話をかけた。

「何か盗まれてない?」

第一声で、スリ軍団に狙われた疑いを持った。

約束に遅れることを詫びて、洗い物の続き。

落ちない汚れだということを理解して、乾く前にビニール袋に入れてカバンにしまった。 

 ホテルがもう少し遠かったら別の展開(悪い)があったかもしれない。

今日は土曜日なので車を停める場所が見つからないだろうとわざわざ電車がかけつけてくれた先輩である。

かねてからアルトシュタット(旧市街)とそれにまつわるシューマンについて検証することとなった。

そして宿泊するホテルは初日と同じホテル。

その夜にも先輩と歩いた場所がある。

次の写真の場所だが、その時は人がいなくてガラガラだった。

「休日になると人が通れなくなるくらい賑わっているよ。」

「みんなここでビールを飲みながら過ごしているんだ。」

と聞いていて、今日は休日。


 

  
いやぁ、店の中ではなくて外で飲む。お話の通りの光景。 → Map 


 
この人込みを通り抜けてライン川へ。 下戸のゆきたんくで、先輩に申し訳ない・・・


さて、シューマンの自宅からライン川に飛び込んだ場所を推理する。

シプスブリュッケという名前を突き止めていたのだが、先輩曰く。

「船橋だね」と。

そう、船を渡した橋のことである。

シプスはシップス、ブリュッケはブリッジと英訳すればシップス・ブリッジで船橋となる。

実際、当時ライン川に架かっていたのは、船橋だったそうだ。

先輩に対岸を見るように言われた。




対岸には通路が切れたような部分があった。 → Map


 ライン川の水位は一定でなく、水量が多い時には溢れるくらいになるという。

その時にも川に架かっている橋に近づくのなら、この延長上に橋があったんではという推理だ。

そしてもう一つ。当時のエッチングである。

ゆきたんくが小学校3年生の時に見ていた原色図解百科の第9巻「音楽と鑑賞」でトロイメライのライナーノートの中にあったエッチングである。


 


この場所についての検証である。右に深く折れ曲がっている場所に入り江があって船が出入りしていたようだ。


 エッチングにあった、教会はランベルタス教会で現存している。

ただ、大戦時、この辺りは徹底的に破壊されたということだ。

ケルンにある大聖堂は周囲が破壊されても、キリストということで破壊されなかったことから、教会だから当時の建物だろうと考えていた。

先輩は、「いや、再建のようだね。ドレスデンの有名な教会も破壊されたままのことがあった。教会だからと言って破壊を免れないものもあったようだ。」と仰った。

当時の場所に教会が建っているのだろうか。 



現在のランベルタス教会


休日のせいか、人で溢れているライン川沿いである。

夜も8時30分をを過ぎだんだんと暗くなってきた。

人通りも落ち着いてきたようだ。

エッチングのように見えるポイントを探す。


 
なかなかポイントは見つからない。先輩の一言で場所を移動する。


 エッチングには樹木があった。

この近くで樹木があるところに行って見よう。

その提案で樹木のある所まで移動した。 → Map

ライン川沿いで樹木が認められるのは、ラインクニ―橋のたもとだ。

橋脚が邪魔で見えない。

見える位置に移動する。

「おぉっ」



小さいが、エッチングの構図とほぼ同じだ。


少し近づけてみる。


 そして、シプスブリュッケがあっただろう場所に歩いて行く。

対岸の通路がある部分に対峙する。

ゆきたんく「この辺りでしょうね。」

先輩   「まず、そうだね。」

当時のことを見ていた人の話に触れたことがないので、妥協する以外にはない。

そして、シューマンハウスからこの辺りまでの道筋は。

当たり前に考えて、精神を病んでいた人が川に飛び込もうとしている時、そして46歳(当時)という年齢を考えた時にそうそう長い距離を走れるものではない。

そして、川沿いを歩いていて発作的に飛び込んだのではなく、家を飛び出してライン川に飛び込んだということから考えてみる。

ゆきたんく 「自分だったら最短距離で行きますね。」

先輩    「わざわざ遠回りはしないだろうね。」


 


5月の投稿で使った画像である。


実際にはこうではなかったかという検証(青矢印)


 シューマンハウスから北に140mのところにカールプラッツという市場がある。

この交差点でまっすぐ進んだか、左折したかということで議論になった。

シプスブリュッケを基本に考えると直進が考えられる。

しかし、精神状態からすると近道を選ぶだろう。

そしてライン川の流れは非常に速いことが分かった。

青矢印の最後の部分で飛び込んで流されたことも考えられる。

実際には飛び込んだ瞬間を見た人はいないようだ。

少し流されてから助けられたということだ。

その場所がシプスブリュッケであってもおかしくはない。

先ほど書いたようにラインの流れは速い。

実際に見てその速さに驚いた。

助けようとした人が飛び込んだとしても、助けられたか。

敢えて物語りを作るとすれば、青矢印の最後の所で飛び込みシプスブリュッケの辺りで助け上げられたというのが考えられる。


 カールプラッツを左折するとここ(シュール通り)に出る。 → Map

この写真を撮った立ち位置のすぐ後ろはライン川だ。


振り返るとライン川


 もうこれ以上の検証のしようはない。

 様々な角度からエッチングの検証をした。

 そしてエッチングの絵の場所に来れたことは間違いないようだ。

 小学校3年生から40年以上の時を経て、その場所に立てたことに感激した。

 一瞬頭の中に「トロイメライ」が流れた。

 「食事にしようか?」

 先輩に促されて移動する。


 

 
 電車に乗ってインマーマン通りの方に戻る。



インマーマン通り。ラーメン匠のチャーシューメン。


 最後はホテルの近くでラーメンをご馳走になり、ホテルまで送っていただいた。

東京都立秋川高等学校の先輩は面倒見の良い方が多い。

しかし、この1週間で初めてお会いしたのに、散々お世話になりっぱなしで恐縮である。

また、明日はデュッセルドルフ空港まで送って下さるという。

感謝してやまない。

先輩、この場をお借りしてあらためて御礼申し上げます。

コメント (2)
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