伝えたんく

日々の何気ないできごとに感じた幸せ

今月も終わり。

2015-05-31 23:55:02 | 言いたんく

さて、今月も今日で終わりである。

4月に入り、忙しい思いをしたが、そのせいか時間の過ぎるのが速いこと。

夕方にミーの流動食をかかりつけの動物病院に取りに行った。

その帰り、夕焼けがあまりにも綺麗だったので江戸川土手に行ってみた。



西の空に沈む太陽


真っ赤かである。 


 あぁ、5月最後の太陽が沈んでいく。

理由なき感傷に浸ったゆきたんくである。

しかし、これを見た途端にその思いは飛んでしまった。



日大歯学部病院の窓を燃やす夕焼け。


 建物の中が燃えているような錯覚を起こしたのである。

沈んでいく時間帯とはいえ、太陽のエネルギーの凄さを教えられた。

それも束の間で、少しはうるさかった明るさは、静寂へと表現を変えていくのだ。



さようなら5月

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点滴。

2015-05-30 23:49:45 | 家族

さあ、今日はミーの通院日。

点滴をするのである。

この暑い中、脱水症状を起こしているらしい。



この恨めしそうな顔。自由を奪われるのはいやなのである。 


 実は、前日ミーは脱走しているのだ。

近所の方が訪ねてきた時、長男のおーちゃんが対応していた。

扉は開いている。

その時に脱走したのである。

天気は雨。

2時間後に濡れて帰ってきたがサバサバした様子。

鈍かった動きも素早くなってきた。

ようやく猫らしくなってきた。

そのことをお医者様で話したら、元気になったことを喜んでくれたのと、

もしも、外で低血糖を起こしたら助からなかった可能性があることを示唆された。

誠にその通りである。

無事で良かった。

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打ち上げ

2015-05-29 23:42:22 | マイグルメ

職場で一つのプロジェクトが終わると打ち上げだ。

酒の飲めないゆきたんくはソフトドリンク。

「何がいいですか?」

職場の女の子が気を利かせて聞いてくれる。

当たり前に頼んでもつまらないので

「かわいいやつ。」

最初は戸惑っていたのだが、2杯、3杯目になると慣れてきて、適当に頼んでくれる(笑)

そして「どれが美味しかったですか?」と聞いてくる。

「○○は△△で、□□は▼▼だよ。」

とここは真面目に答えるゆきたんくである。

さて、行った先は魚民である。

ゆきたんくが一番旨いと思ったのはこれだ。


 


みかん&マンゴーミルク


 体質改善?

打ち上げの時くらいはお休みをいただく。

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お母さん。

2015-05-28 23:35:34 | 言いたんく

わが子を育てるために頑張っているお母さん。

マイホームの準備は整った。

あとは子供の生まれるのを待つばかり。

外出も自分の食事をとるために出かけるだけ。

いつになったら子供たちの声が聞こえてくるだろうか。

現在はお母さんの温かいおなかの下で気持よく寝ているのだろう。

ゆきたんくの職場の建物につばめが巣作りをしているのだ。

現在は卵を産んで温め中のようだ。

頑張れお母さん。


 
つばめのお母さん。 

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知久寿焼

2015-05-27 23:51:36 | 音楽

平成元年の「いかすバンド天国」出身で一世風靡したバンドたま。

そのたまのリーダーでありギタリストの知久氏のギタープレーは、であった中(アコギ)で楽譜初見でコピーできなかったアーティストの一人である。

その見かけとは裏腹に高度なギターテクニックを持ったミュージシャンだったのだ。

現在はソロ活動が多い知久氏。

豊富な練習量に裏付けされたそのテクニックはやはり素晴らしい。

弾き語りとはこういうものだと感じさせてくれる数少ない歌手である。


『ああ素晴らしき音楽祭vol.2』知久寿焼"らんちう"

 


 

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流動食

2015-05-26 23:41:43 | 家族

ミーの調子が上がってきた。

とは言っても食欲にムラがある。

糖尿病で一番怖いのが低血糖である。

食べない時には、強制給餌だ。



のりたんに流動食をもらうミー。 


 最初は逃げてばかりいたが、慣れというものはあるもので。

捕まえられてしまったらもう観念しているミーである。

スポイトの半分ずつ口の横から流し込む。

ミーはそれを飲み込む。

1回10g程度2分の食事時間。

自力で糖尿病用固形食を食べることもあるが、たくさん平らげたら平げたで血糖値は上がる上がる。

病状が安定するのはいつのことだろうか。

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腹立ち

2015-05-25 23:50:33 | 戦争遺跡

 

ゆきたんくの趣味の一つに戦争遺跡探訪がある。

戦争遺跡というのは、日本陸軍・海軍に関する遺構のことだ。

結構、身の回りにあるものだ。

ゆきたんくの住んでいる松戸市の南に市川市がある。

その市川市の国府台の辺りに大きな切通の坂道がある。

囚人を動員して作られた軍用道路である。

途中に分岐点があり、急勾配の坂道「旅団坂」がある。



旅団坂 (上から下を見る)


下から上を見る


 坂の途中に野砲兵第二旅団司令部に続くからだ。

その分岐点に衛兵所があった。


 
衛兵所 


 この辺りに、戦争遺跡に興味を持った最初の物件「陸軍境界標柱」があった。

ここから先は陸軍の用地ということを示す標柱である。

この分岐点にもあった。



陸軍境界標柱 2006.09.16


 現在、標柱はこの場所にない。

 ネットでその所在を調べても載っていなかった。

一番は、この場所に近い所にお住まいの方に聞けば分かるかもしれないが、そのような輩は何度も来ているだろうからやめた。

この写真にある標柱は頭を30㎝ほど地上に出している。

土に埋まっている部分は1m近くはあるだろう。

であれば、意図的に抜くことがなければそこにあるはずである。

ここに来れば、この標柱を見れる。

大切な戦争遺跡のうちの1本。

それがない。

最悪盗まれたか。

何か腹が立つ。

どこかに戦争遺構として保存されていれば良いのだが。

最近、友人の家に近くにあった陸軍境界標柱も工事のために抜かれていて寂しい思いをしたばかりだ。

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竹弦囃子

2015-05-24 23:27:21 | 音楽

やっばり良いものは良い。

何の話かって?

タイトルの「竹弦囃子」だ。

ココフカの旅、和歌山で出会ったデュオである。

篠笛(竹)奏者の山田氏とギター奏者の愛川氏、和と洋のコラボレーション・デュオだ。

出会いはいつでも偶然の風の中。

偶然も偶然、その日(2013.8.11)の高野山が暑かったからである。

ココフカの旅は、いつもは飛行機で現地へ飛び、そこからレンタカーで観光というパターンである。

いつもは8月初旬の旅行である。

この時は、メンバーのじまさんの都合でお盆前になってしまった。

飛行機は満員で取れず、じゃぁ、車で行くとなると絶対に渋滞に巻き込まれる。

メンバー最年長のお父さんのリクエストは金剛峰寺。

足と宿さえどうにかなればと・・・

新幹線は取れた。

レンタカーも新大阪で取れた。

宿は、高野山の宿坊が取れた。

さて、宿坊の福智院(宿坊の中で唯一温泉のある宿)に荷物を置き、金剛峰寺周辺の散策に出かけた。

「暑い」、本当に暑いのである。

おまけに金剛峰寺入り口にある立て看板2本の「ここは弘法大師様がお住みになる聖地です。」の弘法大師の部分が何かで削られているのを見てますます暑くなったのである。



許せない! 


 ただ、初めての和歌山観光である。

できるだけ見れるものは見たい。

と思っていたらじまさんから提案。

「何か、高野山大学で催しものをやっているぞ。」

「中は冷房が効いているはずだから休んでいこう。」

本音は、そんなもの見ないで観光を続けたいと思っていた。

結局は「親子を護るコンサート」と題して開かれていた、和歌山消防隊の吹奏楽部の演奏を聴いた。


 
竹弦囃子との出会いの場所、高野山大学黎明館 


 強がりを言っても若くないゆきたんくは、涼しさと疲れでうつらうつらとしていた。

そんな時、目が覚めるような音色が聴こえてきた。

それが「竹弦囃子」の演奏だったのだ。

演奏中の写真はない。撮るのはご法度だろう。

ということで当日聞いた曲と同じ動画を載せる。


 

竹弦囃子(小編成ver)コンサート1 花神楽

 


デュオと書いたが、当日はパーカッションの岡本氏を入れた3人編成だった。

あの時、ゆきたんくが我儘をいっていたら、竹弦囃子との出会いはなかった。

会えて良かった。

そして、看板のいたずらで落ち込んだ気持ちを払拭してくれたのも「竹弦囃子」だった。

その日は19時からの演目もあったので、夜の部の観光をコンサート後にさっさと済まして、はみ出た分は翌日にまわして(笑)

19時前には高野山大学で演奏の始まるのを待っていたココフカであった。

 

 そう、今日は竹弦囃子のライブだ。

ギタリストの愛川氏からライブのお知らせをいただいた。

丁度ココフカ三人組の予定が空いていて行くことになったのだ。

もっともじまさんはお孫さんができてお食い初めとぶつかると行けないということで流動的だったが・・・



珈琲美学、店内照明のかさ


店内の様子。すぐ近くで演奏を聴くことができた。


 結果的に3人揃って学芸大学駅そばにある珈琲美学のライブに行くことができた。

そして、我々3人が和歌山の地で初めて会った時の3人組が揃うのである。

山田氏、愛川氏、岡本氏である。それにピアノとベースを加えた5人編成だ。

ライブ前のナーバスな時だったろうが、愛川氏、山田氏、岡本氏と話すことができた。

3氏とも私たちのことを覚えていて下さってとても嬉しかった。

新曲を交えて、素晴らしい演奏はCDにならないだろうか。

たくさんの人に聴いていただきたい。

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のりたんと一緒

2015-05-23 23:23:58 | マイグルメ

今日の昼は子供たちも仕事に出かけていない。

のりたんと食事に出かけた。

場所は千菓進である。


 


千菓進の扉をあけるのりたん。


 さて、続けているMEC食。

ゆきたんくはソーセージエッグのソーセージ2倍盛。

のりたんはコロッケ定食。

マスターとママ、常連のお客様とお話をしながらいただく。

楽しくて美味しいなぁ。



注:レモンは絞った後です。撮るタイミングを誤りました。 


 これをよく噛んで食べる。

のりたんも満腹のようだ。

ホッとする一時。

千菓進のマスター・ママに感謝だ。

そう、入り口のサツキがあと1週間もすると満開になるという話だった。

また行かねば。



千菓進入り口横に植わっているサツキ 


 

 

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お気に入りの場所で

2015-05-22 23:25:46 | 家族

さて、家族のミー(雄猫10歳)が元気になってきた。

構われるのが嫌な時はテレビ台の下に隠れている。

このところ、お気に入りの場所にいる時間が増えたのが嬉しい。

お気に入りの場所とは、爪とぎ台の上である。


 


安定感は悪いだろうに、ここが好きなのだ。


ここにいる時には、どんなにちょっかいを出しても動くことはあまりない。

一つだけ、掃除機をかける時には脱兎のごとくテレビ台の下に隠れる。

あの「ゴォー」という音が苦手なようだ。

その脱兎の動きも俊敏になってきた。

一時期は命さえ危ぶまれた状態だったのでよく回復してくれた。

現在はごはんもよく食べる。

血糖値が上がっちゃって上がっちゃって、インシュリンのお世話になっている。

 

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椿の海2

2015-05-21 23:49:19 | 言いたんく

もちろん、当時の技術なので水害、活水、干ばつが発生した。

終戦後の1950年(昭和25年)に排水と利水を両立させる大利根用水が完成した。

しかし1965年(昭和30年)には塩害が拡大、利根川河口堰が計画され1971年(昭和46年)に竣工した。

1668年に開始された工事は1971年は303年後に完成したのである。

幕府首脳に進言できるレベルの僧侶はそうそうはいない。

鉄牛和尚については、千葉県でもっと取り上げる人物ではないだろうか。

そうだ。

福聚寺に行かねばならないと思った訳を思い出した。

2005年当時、鉄牛和尚の資料として「お墓の写真」が小さなものしかなく、写りも悪かったので確かめたかったのが動機である。

現在も東庄教育委員会サイトにある鉄牛和尚の墓の写真は5×4㎝くらいのものだ。



石造無縫塔


以下は東庄町教育委員会サイトを参照した。

遺言により境内で荼毘にふされ、その場所に石造無縫塔が建立された。

塔は2mに及ぶ巨大なもので伊達綱村・稲葉正通の寄進。

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鉄牛和尚

2015-05-20 23:47:47 | 言いたんく

鉄牛(てつぎゅう)和尚は千葉県では、社会事業としての椿の海の干拓に力を入れた。

その後人々に乞われて椿の海跡池近くに福聚寺を建てて、この地で亡くなっている。



福聚寺境内にある「椿海古図」 


フルネームは鉄牛道機(てつぎゅうどうき 1628.8.25-1700.10.2)。

金子みすゞで有名な山口県の長門生まれという説がある。

鳥取で修業し、京都は宇治にある黄檗宗万福寺の創建に従事した。

その他京都の寺を立て直し(中興)たり、小田原の紹太寺、江戸の弘福寺を開山した。

さて、鉄牛和尚の登場だが、江戸時代に人口増加で食糧事情が悪化したことで、江戸の町人・杉山三郎衛門が幕府に干拓を申請した。

しかし、この申請は椿海を水源としている下流の村々が渇水による被害を受けるという理由で許可されなかった。

続いて、白井治郎右衛門が友人の幕府大工頭内刑部左衛門とともに再度申請、この際辻内は自分が帰依していた鉄牛に援助を求めた。

ここで鉄牛和尚の登場である。

鉄牛は幕府首脳に進言し、下流の村々の反対があったが人口が激増していた江戸の町の食料事情もあって強行。

ところが白井は破産し、辻内の病没すると資金難もあり事業継続が困難となった。

そこで鉄牛和尚は老中稲葉正則と談判して6,000両の融資を受ける事に成功し、改めて辻内の婿養子・善右衛門と江戸商人の野田市郎右衛門・栗本源左衛門に工事の継続が命じられた。

3年間にのべ8万人もの人々が動員されて工事が完成したのである。



東庄町県民の森の上(福聚寺境内)からかつての椿海を見渡す。

写真奥に見える台地の右端までは3㎞離れている。
この写真の右側に椿海は広がっていた。 

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福聚寺

2015-05-19 23:45:59 | 言いたんく

福聚寺と書いて「ふくしゅうじ」と読む。

千葉県の東庄町にある県民の森の上にある。 → Map

ここに、椿の海干拓の大きな力となった鉄牛和尚の墓があるのだ。



福聚寺山門 2005.11.05


 その人を知るには、縁のある所に行ってみることが大切と思うゆきたんくである。

ところが、スケジュールのどこに入れるかと考えてみた。

ここを訪れたのは、長男が高校2年生の時だ。

ちょうど千葉県総合スポーツセンター東総陸上競技場をメインに千葉県高等学校の駅伝大会が開かれていた。

長男の高校の応援を兼ねて、その帰りに寄ったのである。

時間にして20分程度なので、あらためて行くよりも無駄がない。

わくわくして福聚寺の山門をくぐったのであった。

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椿の海

2015-05-18 23:42:42 | 言いたんく

写真は東庄町にある鎌田貯水池にある碑だ。

「疏水潤白里芳水満椿海」とある。

かつて千葉県に干潟市という市があった。

現在は旭市と合併してない。

そもそも干潟というのは、海水面の時間による干満の変動で陸地と海水面下を繰り返す地形のことだ。


 

 


 「椿の海」とは何か。

かつてこの地にあった約5.1平方キロメートル(東京ドーム390個分)の大きさがあったと言われた湖である。

現在の東庄町、旭町、匝瑳市の境界付近にあったそうだ。

正確な面積は分からないが、相当な広さがあったことは確かである。



現在の千葉県と江戸時代のものをレイヤーで重ねてみた。


 →の先がかつての椿の海と言われている所だ。

鎌田貯水池は、湖の北に尖がっている辺りにある。

ただ地図には湖ではなくて椿海(干潟)とある。

当時の治水の技術では、十分な工事はできなかったと思われるのと、海からは近い所で6㎞離れているので干潟に近かったと思われる。

ここを埋立て干潟百万石としたのは、当時の江戸が人口の増加に対して十分な農地が無かったということだ。

ここを農地に変えるために、江戸の町人、白石治郎右衛門と、大工の棟梁であった辻内刑部左衛門は、鉄牛禅師に助けを乞うたのだ。

この鉄牛については、千葉県の歴史でもあまり重要に取り扱われないことが不満なゆきたんくであるので鉄牛について触れてみることにする。

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職場行事・お弁当

2015-05-17 23:21:21 | マイグルメ

今日は職場の行事。

となれば、昼食は仲良く仕出し弁当である。

暑い中での作業を終了し、冷たいお茶に喉を潤わせご飯をいただく。


 

 


仕事の机だろうか、今日はお構いなし。


 ご飯は人にあげて。

それ以外の物をよーく噛んでいただきました。

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