伝えたんく

日々の何気ないできごとに感じた幸せ

松戸の戦争遺跡 9

2008-09-30 23:06:04 | 戦争遺跡

 戦争遺跡に興味を持ったのはここ3年ばかりのところだ。
中でも陸軍の境界標柱を見つけた時の喜びが大きい。
地元の松戸市の境界標柱は、新規のものがなかなか見つからなくなった。
ネットで調べたもの、知り合いに聞いたもの、そしてニュースソースがなく、自分が発見したのではないかと思われるものは出尽くした感じた。

 その中で、戦跡と言われる土地の近くにあったものの中で、境界標柱になったのではないかと思われるものがある。それが写真の御影石の棒だ。

 写真の御影石は松戸第一中学校の裏にある坂道脇にあるものだ。
そしてその形状から境界標柱ではと思ったものの確信が持てなかったゆきたんくである。

 以前、南鎌ヶ谷(千葉県)にある境界標柱を友達に紹介してもらった。


2005.11/23取材の南鎌ヶ谷陸軍境界標柱

 その標柱がどんな状態にあるか見に行ったら、なんと住宅の新築工事のために抜かれてしまったのである。この境界標柱は下の写真のどちらのものである。


2006.11/23の南鎌ヶ谷陸軍境界標柱

 住宅地になっても、昔から土地の位置を表すものと残されてきたものもあるが、最近では抜かれてしまうのだろう。まあ戦争遺跡に興味がない方にとっては、せっかく新築する住宅地に「陸軍」などという文字の刻まれた御影石の柱があるのは不気味かもしれない。

 さて、この抜かれた境界標柱の写真をもう一枚みたいただこう。


土中にあった部分も見える写真だ

 陸軍の文字が彫られていて、土中から顔をだしていた部分は、直方体になっているが、土中の部分は最初の写真のように見える。

 ここでもう一枚見ていただこう。


新京成電鉄八柱駅近くの陸軍境界標柱

 かつて土中に埋まっていた部分もはっきりと認識できる境界標柱である。
土中部分は、南鎌ヶ谷のものと最初の写真のものと同じ形状だと思われる。

 よって松戸第一中学校近くに、ずっと横たわっている御影石は、松戸工兵学校の境界標柱になる予定だったものだと考えられるのだ。

 陸軍の文字こそ彫られなかったが、これも戦争遺跡の1つ言ってよいのではないだろうか。

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松戸の戦争遺跡 8

2008-09-29 23:00:41 | 戦争遺跡

 男なら、死ぬ時でも前のめりに倒れたい。なんと言葉を聞いたことがあると思う。

 文字通り、前のめりに倒れている方は、松戸第一中学校裏門から上本郷へ抜ける軌道敷跡で国道6号線の近くに倒れられているのである。

 お顔を前に、どなたかのサイトで拝見したことがある。
確か「陸軍」という字が見えた。
 そして、この後姿も見たことがある。


地獄坂入り口付近の陸軍用地境界標柱

 最近、この標柱の辺りが明るくなってきた。道路向かいの山の上にある樹木の葉が枝ごと落とされたからである。そしてどんどん綺麗になっていく。この標柱も抜かれることなく残ってほしいと思うのだが・・・

 


改めて前のめり倒れ標柱

どうだろうか。御影石でできた直方体のものではない。
標柱後部が少し丸くなっている形だ。


前のめり境界標柱から、軌道敷き跡を臨む

 実は、この標柱は自分で見つけたものではない。この近くまで来たら、ゴルフの練習をされている方がいたので、聞いて分ったのだ。
 御影石の標柱を探していたのだから見つかるわけがない。
聞いたおじさんのすぐ横に、それはあった。
 写真左側歩道橋が国道6号にかかっている。
ここを突き当たり、左折し10mで国道6号線だ。

 この倒れているのを助けようと、手をかけて力を込めるがビクともしない。
ゆきたんくは、波の大人よりは力がある。しかし、よる年波で無理をして怪我をするのも怖い。お顔は拝顔せず諦めることにした。鉄道第二連隊の軌道敷跡はまだまだあるという。見つかり次第アップできるようにがんばるつもりだ。

 

鉄道第二連隊境界標柱
境界標柱の位置

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松戸の戦争遺跡 7

2008-09-28 23:31:09 | 戦争遺跡

 写真は、松戸市岩瀬の某所から見た松戸工兵学校跡(現松戸市立第一中学校)の写真だ。中学校のグラウンドとその右側には聖徳大学の校舎が写っている。

 そこから直線距離で約200m離れた所で境界標柱を発見した。とはいっても民家の塀に埋め込まれた形になっていて柱の1面だけしか確認することができない。暗くなってから行って、斜め上から懐中電灯の光を当ててみたが文字のようなものは浮かばなかった。


細い道端にある境界標柱

 これが、境界標柱(多分、御影石でできている。)だと思える物件だ。
色・形・大きさは陸軍境界標柱のものと変わらない。問題は「陸軍」の字がどちらを向いているかだ。


境界標柱近くにあった階段(上部分)

 ただの生活道路かもしれないが、それにしては年季が入っている。
この辺りは、工兵学校から低地に降りて、また岩瀬交差点に向かって高くなるところ。そして工兵学校と同じくらいの高さの所に境界標柱がある。そして花蔵院というお寺は少し斜面に建っているのだが、そこよりも平らなところに境界標柱は建っている。今でこそ、国道6号に分断されてはいるが、かつて鉄道第二連隊が敷いた軌道敷き跡の道路に面した土地でもある。


階段の下部分

 しっかりとした造りだが、今様の造りにはなっていない感じがする。
相模台の南には、かつて工兵学校の弾薬庫(現松戸拘置所)があった。そこの台地と低地を結ぶ階段が今でも残されている。そして斜面と道路の間には境界標柱が存在するのだ。階段部分と斜面部分が並行して造られているが、弾薬庫を台車のようなものに載せて運んだのだろうと思われる。


相模台南の旧弾薬庫と低地を結ぶ階段

 平面部分があるかないかの差だが、生活道路の匂いはしない。(現在は、ここを使っていらっしゃる方も)

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親の愛情って・・・

2008-09-27 23:44:37 | 言いたんく

 わがゆきたんく家には、人間と言うと60を超えた老猫が2匹いる。
 メスのニャンとオスのジローだ。もう一匹若いミーというオスネコがいる。今日はこのニャンとジローについて書きたいと思う。

 最近の事件で、親が子の命を奪ってしまう事件があった。
子供に障害があるために行く末を悲観し、心中するつもりだったようだ。
しかし、自分は死に切れなかったということだ。

 「死ぬつもりならば何でもできる。」という言葉を聞くことがあるが、ゆきたんくにはその意味は良く分らない。死のうと思ったことがないからだ。自分なりの人生を計るものさしのひとつとして、「いつかは死ぬのだから、精一杯生きよう。」と思っているのだ。どんなに頑張ってもあと200年は生きることはできない。だからまだもつはずの自分の命を自分で絶とうとは思わないし、他人にも頑張ってほしいと思うのだ。

 さて、自殺をする動物はこの地球上の生物の中では人間しかいないという。
 自分で自分を殺すのだから、何かが間違っていると思う。
 武士の時代のように、自刃・切腹で死に至ることが1つ美学として教育されていた時代とは違う。

 そう、ネコの話だった。
 今から10年前のこと、我が家のニャンとジローは結婚をした。
4匹の子供をもうけたのだが、その直後に女房ののりたんが撮った写真がこれだ。
実は、この写真には次男のつっくんも写ってはいたが、ニャンと子供にスポットを当てたかったのでトリミングした。


母親としての責任を態度で表すニャン

 生まれて間もない子供達にかまうなとばかり「シャー」である。
 ゆきたんくが苦手の口が耳まで裂けるやつだ。
 実は自宅二階にあるゆきたんくの部屋のたんすの影で産み落とした。
 そしてつっくんがかわいいので1階まで運んだら、ニャンの怒ったこと。
 般若のような顔で、一匹ずつ首をくわえて、元の位置に戻したのだ。
 子供に危害が加わらないように守る親の姿勢はネコであろうともしっかりと持ち合わせているのだ。

 女房ののりたんは、ニャンと子猫のために柔らかいケースを買ってきた。
幸い、ニャンが気に入り子猫をそこに運んで子育ての場とした。


ニャンが結婚前に使っていた寝床


 今度は父親のジロー(キジトラ)の登場だ。
 子育てはニャン任せではない。こうやって子猫と過ごす時間を大切にしていたジローである。ニャンのダークシルバーとジローのキジトラ模様の混ざった愛の結晶達なのがお分かりになると思う。


相変わらず柔らかケース好きのニャン
薄目で子供の様子を見ている。

 子供達の目が開くと、もう行動範囲の広がること。写真は育児の合間に休憩をとるニャンだが、そばにいる子供には、しっかりと目を行き届かせている。これだけ大きくなってもおっぱいを飲みにくる。起きている時も寝ているときも子供には関係ない。飲みにくれば、ニャンは邪魔をせず吸わせていた。

 とにかく自分で餌を食べれるようになるまでは、「親が子を守る」ことを第一に自分の人生を生きているように感じる。

 人間でいえば、子供が二十歳になるまでだ。
 そうそう、言い切ってはいけない。二十歳というのは、1つの目安・ものさしで法律上のことではないか。
 二十歳になる前に、自分で食べていくことのできる基礎的なものの考え方を身に着けなければならないだろう。
 それを実行に移すための能力は、年とともにだんだん上手になっていくはずだ。人間の親の義務が何なのか、またいつやらねばならないのかは家庭教育の伝承で身につけるしかないと思う。

 乱暴な言い方だが、それを身につける前に親になってしまうと、子供は自分の夾雑物に感じるという。
「目に入れても、痛くない」という言葉があるが、こどもが視線に入るだけで鬱陶しいという話も聞いたことがある。本当に子供にとって災難な時代でもあるようだ。

 動物のネコ(他の動物でもそうだろうが)でさえ、鉄は熱いうちに打っているようだ。
人間はその時間が他の動物に比べてえらく長い。その間にどれだけの愛情を子供に注げることができるのか。

 小さい命ではあるが、この10年間ネコから学んだことはとても多かったと思う。「与えられた命を精一杯生きること。」これが一番大きかったかな。

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旅の楽しみ18…岩手無量光院

2008-09-26 22:20:21 | 

 旅の予習をはずれてしまう物件もあることはある。
そんな時は、急に目の前に現れ、喜びの種になることもある。
岩手県の平泉を訪れると、大体目当ては中尊寺の金色堂だ。

 そんなお目当ての後はデザートが欲しくなる。この時の旅のデザートは「幽玄洞」である。名前でお分かりになると思うが鍾乳洞のことだ。ただここは全国で唯一の自然洞窟博物館であり、3億5千万年前という日本最古の地歴を持つ鍾乳洞なのだ。

 その帰りのことである。宿を衣川(国民宿舎衣川荘)にとってあったので平泉に帰ってきた時のことだ。何か人だかりがある。その中心には「柳の御所」があった。あまりにも人だかりが多いのでスルー。

 さらに宿に近づくと、「無量光院跡入り口」という文字が目に入った。その固有名詞よりも、「入り口」という表現に目が止まった。
 入り口というからには、何か物件があると考えたからである。


無量光院入り口だ。15年前までは、ここに事業所の建物があった。

 さっそく車を停める。この旅は、奥方ののりたんと次男のつっくんとの3人である。長男のおーちゃんは大学の合宿に行っている。


ここが無量光院跡。

 ここには平等院の造りを真似、一回り大きく造られた建築物があったという。
藤原氏が攻め滅ぼされると共に、無量光院も衰退の一途をたどり、当時の建物は残っていないそうだ。


一段低くなっているところが池だった所

 最近まで、ここは水田として使われていたようだ。

 

 
中島の跡

 そこに遺されている木だけが、往時の無量光院の中島のことを知っているのだろう。広く穏やかな水面を湛えた池の中にある小さな島といったところだろうか。

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打ちのめされて…

2008-09-25 23:41:25 | 

いやいや、何だこの無機質な写真は・・・
「旅の楽しみシリーズ」にしようと思ったが、あまりにもかわいそうな内容なんで題名を変えた。そして2003年渡英時の熱波のことをあまりにも言い過ぎたので、今回を持って熱波は封印しようと思うのだ。

 2003年8/6~8/13の一週間をイギリスで過ごした。
その間、38度くらいの気温の中にいたことを記している。

今日は帰国時の時のことを思い出した。
ロンドンはヴィクトリアのイブリーハウスホテルをチェックアウトし、暑いのを承知でサスウケンジントンまで歩いた。随分長く感じたが、ロイアル・アルバート・メモリアルまで直線で2.1kmしかない。

 この日は帰国日なので、帰りの飛行機の時間を考え、すぐにサウス・ケンジントン駅まで戻ることにした。だいぶ距離があるにもかかわらず、目の前に駅入り口とある。しめたと思って行ってみたら地下道だった。表よりも随分と涼しいのが嬉しかった。それと同時に眠気が出てきたのである。やはり、この1週間は熟睡できた日がなかったのだと思う。


地下道は薄暗く、涼しかった。



歩を進めるにつれ、明るくなってくる。なぜ?

地下道の出口は、また暖房の効いた世界が待っていた。
現地の方々は、テレビ放送で内容をよく理解しているのだろう。
しょうがないなあという顔をしながら、歩いている。
日本人の自分には理解が今一歩のように思った。


サウス・ケンジントン駅入り口横の地下道入り口の表示

 地下道出口にあったガイドを見ると、すでに訪問済みの建物の表示があり、逆に歩いてきたのが分る。


昼食をとったリトル・ジャパン

 さて、いよいよ昼食だ。和食が食べたい。リトルジャパンと言う店を見つけた。店内には、東洋人の女の子がいた。おぉ、久しぶりに家族以外と日本語が使える(ロンドン三越では「いらっしゃいませー」は聞いてはいるが、会話はしていない。)と思ったが、日本語はまったくだめなようだった。


クロムウェルPl通りにあるオブジェ

 昼食後、気を持ち直したので撮った写真。
これはいったい何を表しているのだろうか。

 ひと段落してチューブに乗った。車内は暖房(自然)が効いている。ハァー
乗ってすぐに写真の男(の子)が近づいてきた。


チューブ・ライブ少年?

 本人の名誉のために写真をぼかしておく。
アコーディオンをしょって車内を歩いている。
そしてそのアコーディオンの横には空き缶がつけられている。
そこに金を入れろということなのだろう。
ジェスチャーで缶にお金をとするので、1£入れてやった。
どんな演奏が聴けるのだろうと思っていたら、さっさと行ってしまった。

暑くて起こる気力もなかった。

その後の、気抜けの状態で撮ったのが、冒頭のチューブのヒースロー・セントラル駅構内の写真だ。

そして、再び機上の人になるまで、一切の写真を撮らなかった。
暑さに打ちのめされたからである。

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旅の楽しみ16…香川

2008-09-24 23:14:41 | 

 旅の楽しみには、検証性があると思う。
 様々な情報ソースからの刺激を自分の目で確かめることだ。
 今回は何の番組かは忘れたが、四国を旅するに当たっての予習で再び掘り起こされた記憶の場所だ。

 この写真を見て何だか分る人はあまりいないだろう。
しかし、序文で四国と記していることから分った方も多いはずだ。
 この写真の場所は香川県西岸の観音寺市にある琴弾公園の銭型砂絵だ。

  何の銭と言われれば、寛永通宝を模した巨大な砂絵で。縦122メートル、横90メートル、周囲345メートルの楕円形をしている。とは言っても展望台に上がるまではその全貌を確認することはできない。


砂絵を見る展望台だ。


 ナスカの地上絵を見る展望台というのもあるが、こちらの方が格上だろう。
なんせ、山の天辺にあるのだからね。

「琴弾公園山頂の展望台からみると真円に見える。」とあるが、次の写真がゆきたんくが見たままの砂絵だ。


展望台からみた砂絵。真円には見えない。

 これが何のために造られたのかを調べてみた。

 1633年(寛永10年)に、丸亀藩藩主の生駒高俊侯が領内を巡視することになった折、土地の人々が歓迎の気持ちを現わすため、急遽白砂に鍬を入れ一夜にして作りあげて藩主に捧げた。

 と伝えられているが寛永通宝の鋳造はその後の出来事であり、矛盾が生じている。

 謎が1つ増えた。何が「検証の旅」なのだろうか。ということだが、そのうち分るだろう。


さて、広角で。やっぱり真円ではない。

 しかし、そんなことよりも、375年前の砂絵が残っていることがすごい。
地元の方々による、毎年の修復作業もあるというが、この海沿いにある砂絵を残すことのご努力の頭が下がる。 

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フラムドール

2008-09-23 23:21:26 | マイグルメ

今日は久しぶりに浅草に足を伸ばした。
ゆきたんくと奥方ののりたんが、人と人を会わせるためだ。
まあ、それはこの話の本筋ではないのでここまで。

それにしても天気が良い。アサヒビールの社屋に反射する太陽と隣にある巨大なやつがまぶしい。このオブジェに初めて会った時のことを思い出した。

今をさること15年前、高速6号線を通過中に、息子達が大騒ぎ。
当時6歳と2歳だったか・・・
「あぁー、おっきなう〇こだぁ~」
と大騒ぎだ。
そのう〇こは金の炎、フラムドールのことだ。
世界的設計士の作品であるのだ。


アサヒビールグループだ。
アサヒビールタワー、スパードライホール、アネツクス


まずは23番カフェで軽食。
ゆきたんくはアイスミルクラテを2杯。
のりたんとAさんは地ビール、Bさんはオレンジジュース


浅草寺の仁王門。

仲見世、伝法院通り、六区、浅草寺境内を4人で歩く。
らーめんのよろい屋、天丼の天健の看板がゆきたんくを呼んでいる。
残念ながら今日はスルー。
一通り通りを紹介しながら足は、金色のオブジェに向いている。
実は浅草寺散策の前に、23番カフェから吾妻橋に向かう時に、オブジェ下の黒い建物に入り口があり、どうやらレストランらしいことを確認していたのだ。
小腹がすいたら、あそこに行こう。

その建物がスーパードライホールという名前が有ることは知らなかった。
まして1、2Fがフラムドールというビアホールということも知らなかった。

 
スーパードライホール入り口だ。
階段が光っている。

 
まずは100%アップルジュースだ。
コースターの模様は、オブジェだ。


ゆきたんくが頼んだのは「あっとびっくりオリジナルグラタン」
スーパードライタワーの形をしている。
パンのオブジェつきだ。

しかし、あの建物の中がビアホールだとは思わなかった。
そして、料理は美味かった。

フラムドールホームページ

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365以上

2008-09-22 23:30:46 | 言いたんく

 な、なんだこのタイトルは・・・
と思われる方もいらっしゃるはずだ。
 まあ、普通に考えて意味が分らない。

 2007年10月3日に初投稿、そして今日まで一日も欠かさなかった「伝えたんく」の投稿数が365回、つまり1年分を超えたのである。
 それ以前の日付の投稿もあるが、それは「幸たんく」のコンテンツであった「言いたんく」、「板んく(BBS)」、「その他んく」を統合する前の記事だ。

 時々、記事が遅れることはあったけれど、草稿(下書き)のままアップするのを忘れていることが多かったからだ。

 このgooのプログの使い方を覚えるまでに時間がかかったが、写真や資料の選択は楽しくすることができた。また、選んだ写真の内容を膨らますことも楽しかった。

 初めて使用した写真は、イギリスのウッド・ヘンジ。ストーンヘンジよりも古い遺構について考えてみた。



イギリス、ウォルトシャー州の遺構


 初めてトラックバックをいただいたは、2008年10月25日の「柔軟性」


「柔軟性」に使用した京都太秦の写真


 初めてコメントをいただいたのは、その3日後の2008年10月28日の「次男と」
使用した写真は次の


千葉県松戸市の史跡「柳原水閘門」

 来ていただいた延べ人数は昨日までで15283人、コメントを覗いていただいた延べ数は37541だ。大まかに換算すると、一週間当たり閲覧数が900以上、来訪者が350以上だ。

 人気プログなどと比べるだけのレベルは到底ない。しかし、自分の言いたい事を好き勝手に書いて人様に見せることのずうずうしさには慣れてしまった。
 まあ親サイト「幸たんく」のコンセプトの


拙サイト「幸たんく」

 変な名前のサイトと思われるでしょうね。
 まぁ星の数ほどもあるHPですから
 こんなページもOKということで…
 このページには様々な幸せをちりばめたいと思っています。
 幸せの基準?
 もちろん,私個人の感覚が基準です。「ちょっと違うぞ」という方がいらっしゃっても当たり前です。 しょうがないことです。 まぁ,笑って見てやってくださいな。

 をしっかり守って投稿を続けてきたつもりだ。
 理由は、何があっても続けるためだ。
 まずは最初の1年間はクリアである。
 「伝えたんく」を見て頂ける方達に感謝。

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今はなき・・・

2008-09-21 23:45:29 | 言いたんく

 千葉県流山市と松戸市には、関宿水閘門から始まる江戸川とその河川敷がある。河川敷は野球場やサッカー場、ゴルフ場などに使われていて、大雨の後は必ず水没する運命にある。土手を挟んで、その河川敷と反対側には住居が立ち並ぶ。

 何年前のことだかは分らないが、この住居が立ち並んでいる所は、その昔は牧場だったという。それを地元が流山市で生まれ育ったという友達に聞いた。

 その厩舎として使われていたのが写真の建物だという。トタンでできた建物だが高さがあり、大きな動物がいても不思議さは感じない。この写真を撮った当時は、中は物置のようにして使われていた。

 友達は、ここらが牧場でこの建物の中では牛が飼われていたのを見たという。もっとも、ここから7km離れた流山市西深井では野間土手跡が残っている。そして土手から500m離れたところには「おらんださま」、4km離れたところには「オランダ観音」が祀られている。オランダから取り寄せた馬が日本になじめず、死んでいった。その馬達を鎮めるために造られた馬頭観音が先の2つだ。


オランダ観音

オランダ観音
オランダ観音の場所

 


オランダさま

  

オランダさま
オランダさまの場所

 まあ、西深井の野間土手あとから流山7丁目辺りは牧があったと考えてよさそうである。そう、主人のいなくなったトタンの建築物は壊されて、建て替えられ住居になっているので住所は載せない。

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旅の楽しみ⑮ インドネシア2日目

2008-09-20 23:28:43 | 

 昨年末から正月にかけて、義兄夫婦の所を表敬訪問した旅紀行、「インドネシア2007-08」の2日目12/29の分が仕上がった。
 とは言っても、掲載写真の中写真や大写真へのリンクはまだつないでいない。当分先のことになりそうだ。

 2日目は、ジャカルタからジョグジャカルタへの移動、世界遺産ボロブドゥールの見学、かつてジョグジャを統治していたスルタン王国(王宮)の見学、屋台でのジョグジャ名物の夕食など盛りだくさんの内容になった。


ジョグジャカルタの玄関、アディスシプト空港
ジャカルタからの移動手段は空を使って1時間


ボロブドゥールの隠れた基壇
とにかく大きい。見れて幸せ

 ジョグジャのアディスシプト空港からは、義兄の頼んでくれた運転手が2日間足となってくれた。乗り物の時間や種類を気にせず、言葉の違いの心配もせずに、旅を楽しむことができたのは義兄のおかげだ。


クラトンの中庭にて、じいちゃんとおーちゃん


ホテル、ハイアット・リージェンシーの客室窓からの風景

 


ジャラン・サガンにあるグドゥッ・サガン


ベチャは気持ちが良い。

 ジョグジャのアディスシプト空港からは、義兄の頼んでくれた運転手が2日間足となってくれた。乗り物の時間や種類を気にせず、言葉の違いの心配もせずに、旅を楽しむことができたのは義兄のおかげだ。

 と言うわけでインドネシア12/29をごらんいただけるとありがたい。

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旅の楽しみ⑭

2008-09-19 23:20:36 | 

 旅行を考えると、「あっちに行きたい、こっちに行きたい。」と行き先の候補がたくさん出てくる。計画を考えるうちに、休暇の日数や費用という常識とフィルターを潜り、自然淘汰されて行く。

 旅を重ねるうちにそれらが繋がっているのではないかと思えることも出てくる。
時は10年前の1998年5月。初めて中国地方を訪れた。場所は山口県だ。まだ旅行の楽しみ方を知らなかったゆきたんくが、奥方ののりたんに連れて行ってもらったのである。

 山口県出身の詩人「金子みすゞ」の故郷、長門市に行ったのだ。この時に、ゆきたんくのたびにつきものの朝の散歩が始まったと言ってもいい。その時は長門市内の地図を用意していなかったので、山口駅で借りたレンタカーで、「ちょっと遠出」をすることにした。長門市の北には「青海島(おうみじま)」という島がある。その島に渡り、未知の世界を覗くわくわく感を味わうことにした。

 ところが青海島入り口に当たる青海大橋から、終点の通(かよい)小学校までは、往復で20km足らず、早朝のドライブだったので30分もかからなかったのだ。

 宿泊先の青海島観光ホテルに戻り、のりたんとのりたんの友達、おーちゃんとつっくんもようやく起きたので、ゆっくりと朝食を食べ、どこに行こうと話をしていた。

 のりたん「青海島ってあるけれど、なんにもないよね。」、
 のりたんの友達「知らない所は、あんまり行かないほうが良いね。」 
 常識的な会話だ。しかしゆきたんくは
 ゆきたんく「朝行ってみたけれど、変な所ではなかったよ。」
 の「じゃあ、行ってみようか。」

 これは画期的な出来事である。のりたんがこのように言うのはめったにないからだ。

 そして青海島には見所がたくさん。ゆきたんくのはったりが良いほうに出たようだ。
 皇子島公園からの風景。長門の町がすっぽりと視界に入る。金子みすゞがこの風景を見て竜宮城と言ったという。


竜宮城の長門市

 現在、日本で夏みかんと言われている果物の原樹である、「大日比夏みかん原樹」という。びっくりしたのが鯨墓(くじらはか)だ。鯨は寒い所にしかいないと思っていたからだ。中国地方の山口と言えば九州の隣で暖かいという認識であった。
 そこに鯨の墓があるという。解説を見ると、ここ山口は捕鯨も産業のひとつだったという。そして捕らえた鯨の中には、胎に子を宿しているものもあったという。当然死んでしまう訳だが、生きて外の世界を見ることなく逝った子鯨の魂を慰めようと作られたのが鯨墓だというのだ。


青海島のくじら墓の前で

 6年の歳月が過ぎ、2004年におーちゃんの高校の選手がインターハイに出場するので応援に行くことにいた。もちろん家族旅行を兼ねてである。島根インターハイを見るとと同時に松江から出雲にかけて、そして隣の鳥取県にも足を伸ばした。

 鳥取では砂丘はもちろんのこと、境港の水木しげる氏関連の施設も見逃さなかった。つっくんのリクエストで「海とくらしの史料館」に行くことにした。のりたんとおーちゃんは車の中でダウンである。


「海とくらしの史料館」入り口にて

 かつてこの町が漁業で成り立っていた町であることが良く分る造りになっている。様々な魚類の剥製が並べられている。これでもかと並べられている。その奥には当時の漁師達の暮らしが分るように、当時の日用品の紹介がされている。

 中庭のような所があったので行ってみた。(もちろん、つっくんの後を追ってである。)そこには近隣の収集家から寄贈されたたくさんの蝶の標本があったり、市民のギャラリーがあったりした。

 そして、漁に使われた船もあった。
 びっくりしたのは、冒頭にある写真だ。
 何だと思います?
 体長30mを超える、世界最大の哺乳類の「シロナガスクジラ」の頭蓋骨がおいてあったのだ。当時中学2年生のつっくんがいるので大きさが想像できると思う。

 そこで「はっ」と思ったのが山口県の旅行のことだ。
 中国地方で捕鯨なんてしていたんだという認識。
 そして同じ日本海沿岸の地方。漁業が生業であったこと。

 今、世界的に捕鯨を認める雰囲気はないし、様々な問題も起きている。
 これだけ詳しく、地元の産業について分るようにできている史料館でさえ、訪れる人によっては見逃してしまうのではないかという所に、大した解説もなくシロナガスクジラの頭蓋骨が展示されている。

 さて、検証中の物件を1つ。
 中国地方の隣、四国地方(今夏、初めて訪れた)は高知県の桂浜を一望できる、坂本龍馬記念館南にある展望台でのこと。桂浜の写真を撮っていた時に、目に入ったのは。シロナガスクジラの水飲みである。


坂本龍馬記念館の駐車場傍にある鯨の水飲み

 中国・四国地方の水産業には何かのつながりがあるかも。

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初めての弦楽器

2008-09-18 23:59:22 | 音楽

 タイトルが弦楽器だが、ゆきたんくは音楽嫌いであった。
ところで退屈というのは人が活動しようとする意欲喚起をするものだと思った。
その退屈さを産んだものは何か・・・

何度も書いているが、ゆきたんくは全寮制の高等学校に在籍していた。
部活をするわけでもなく、同好会に所属している訳でもない。
一般的な高等学校ならば帰宅部というやつだ。
この頃、朝食のパンは菓子パンに近いものが出てきた。当然好き嫌いがあるので残すやつがいる。それを必ずもらっていたのがゆきたんくだ。

授業が終わると、寮に一番乗りくらいの速さで帰っていく。
そして、朝食時に集めたパンやチーズをおかずに漫画を読むのだ。
至福のひと時であった。
しかし、そんな単純なことでは次第に飽きてくるものだ。

 そんなゆきたんくの時間帯をブレイクする音色が聞こえたのはそれからしばらくしてからだ。ソプラノリコーダーの澄んだ音色が耳に入ってきたのだ。

 音色を辿っていくと、音楽大学を目指している奴だった。木でできたリコーダーを自由に操りながら曲を奏でているのだ。
 ゆきんたくはすぐに弟子入りした。
 アンサンブルを演奏するようになったころには、アラ不思議、楽譜が初見で読めるようになっていた。そしてあれほど嫌いだった音楽に対する抵抗はなくなっていたのだ。


ゆきたんくの初めての弦楽器ラウンド型マンドリン
(ナガノスズキ)

 そんな時、他の部屋の友達を訪問していたら、聞き覚えのある曲が聴こえてきた。
ゆきたんくのフィバリット・ミュージシャンであるマイク・オールドフィールドのデビューアルバムのチューブラーベルズだ。映画エクソシストのテーマというと分る方もいらっしゃると思う。でも40代より上の方々だな。ヨーロッパ方面では大スターなのでマイクの出身地のイギリス在住の日本人に聞くと、「日本で言うと北島三郎かな」という存在なのだそうだ。

 そのチューブラーベルズのB面(当時はレコード)にマンドリンを使ったとても綺麗な旋律があった。その音の正体がマンドリンと知った時、無性にその楽器を弾きたくなったのだ。その旋律を弾きたいがためだけにである。わがままもいいところだ。

 そしてその二ヵ月後、高校で文化祭が開かれた。マンドリンで弾ける手持ち曲4曲という中で文化祭に参加したゆきたんくの姿が最初の白黒写真である。

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読み応え 定価500円

2008-09-17 23:19:50 | Weblog

 ワンコイン
 ワンコインというと、お弁当や定食を想像する方が多いと思う。
 そう、庶民の味方のような値段が500円なのである。
 今、ゆきたんくがはまっている500円というと、コンビニで手に入る本なのだ。

 写真は㈱一水社の「真説・幕末 最強は誰だ?」だ。
 幕末の志士達を「長州」、「薩摩」、「土佐」、「諸藩」、「幕府」、「公家」、「新撰組」に分けて一人ひとりを分りやすく紹介している。小学生が読んでも分るように書かれている。

 それも総勢50名。よく時代劇で見かける人物が掲載されている。テレビドラマはいろいろと脚色はされている。それによって構築された人物像とはまったく違った面も紹介されている。最も、時代劇は主人公を誰にするかによって、それを取り巻く人物の立場は変わるものだ。

 それにしても読み応え良しの500円だ。巻末に紹介されている参考文献が15ある。また、写真・資料掲載協力は公私併せて16もの団体だ。

 参考文献を購入する金額や団体へ出向く費用などを考えると、500円という値段が高いのか安いのかは語ることは愚かだろう。

 人により興味の度合いは違うが、興味を持った場合は良書としてとらえて良いのではないだろうか。コンビニにある手ごろな一冊だが、内容は以外に濃いことに気づくことができてよかったと思う。一昔前だったら馬鹿にしていたと思う。

 人によっては、良書はハードカバーの本が良いといって、月に15万円もの本を買って読む人もいるという。残念ながらゆきたんくには、それは参考にはならない。もっというと参考にはできない。本代が勿体無いというのではない。自分が気に入り、糧を得ている現在の仕事で、月に15万円もの本代は捻出できないということだ。また、金を持っていても、そのように使うかどうかは分らない。
 物によってはハードカバーの本も購入することはあるが、そんなに回数の多いものではない。

 ゆきたんくにとっての良書
  PHPビジネス新書     仕事の充実に欠かせない
  PHP新書          自己啓発
  プレジデント・ブックス   資質向上
  まっぷる・たびまる     訪れる地の予習と検証
  地球の歩き方        訪れる地の予習と検証
  知的生き方文庫      人の生き方のつまみ食い

 考えたら、ハードカバーの本って趣味の世界の本ばかり・・・

 

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松戸の戦争遺跡⑥

2008-09-16 23:00:55 | 戦争遺跡

 さて、松戸市内の戦争遺跡で、最も痕跡が少ないと思われるのが松戸飛行場関連の遺構だ。

 境界標柱は見つからないわ、建築物も陸上自衛隊松戸駐屯地の敷地内にしか確認することができなかった。

 前の職場の一部に市の史跡関係の調査部が設けられていた。そこの方のお話で、稔台工業団地近くの鉄道第二連隊軌道敷跡を見漬けることができた。
 もう1つは松戸市飛行場関連の遺構、掩体壕(えんたいごう)の跡が松戸市五香の畑の中にあるという。


近くで見た、掩体壕(えんたいごう)基部


近くを通ったおばあさんと・・・
ゆきたんく「あのぉ、少しお伺いします。」
おばあさん「なぁに?」
ゆ「あの畑のなかの大きなコンクリートの塊のことをご存知ですか。」
お「はいはい、あれはねぇ、肥溜めでねえの。」
ゆ「こえだめ・・・、あっ、ありがとうございました。」

次に多いパターン
近くを通ったおじさん(同年代だろう・・・)
ゆきたんく「あのぉ、少しお伺いします。」
おじさん「なあに」
ゆきたんく「あの畑のなかの大きなコンクリートの塊のことをご存知ですか。」
おじさん「あっ、俺地元の人間じゃないもので」

 さて、おまけだ。
近くを通った方おじいさんに
ゆきたんく「あのぉ、少しお伺いします。」
おじいさん「なあに」
ゆきたんく「あの畑のなかの大きなコンクリートの塊のことをご存知ですか。」
おじいさん「知らない」
ゆきたんく「どうもありがとうございました。」
おじいさん「あっ、思い出した。」
ゆきたんく「何でも結構ですから、教えて下さい。」
おじいさん「俺が若い時よ、松戸で・・・」

とどんどん話がずれていく場合。
とにかく親切にお話を下さるので、最後まで聞くようにしている。その中に次の探索のヒントが隠されている場合もあるからだ。

 


松戸市五香の遺構。すぐに見つかる所にある。

 そもそも掩体壕(えんたいごう)は、航空機を敵の攻撃から守るための格納庫だ。
 通常は、コンクリート製でかまぼこ型をしており、内部に航空機を収納する形になっている。写真の遺構は格納庫前側の基部になる所が見えている。ここから写真向こう側にかけてアーチ上にコンクリートが盛り上がっていたのだ。そのことは向こう側にも基部の一部が残っていることで確認できる。

 ゆきたんくが調べたり、聞いたりして確認できた松戸飛行場関連の遺構はここのみだ。どなかたか情報がある方は教えていただけるとありがたい。

コメント (2)
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