伝えたんく

日々の何気ないできごとに感じた幸せ

どうなんだろうね。

2017-07-31 23:27:32 | 言いたんく

かつて旧東ドイツのドレスデンにあった聖母教会は、第二次世界大戦中の爆撃を乗り切ったが、その翌日崩壊した。

最初は、このことを忘れないために再建はしないということになっていた。

しかし、復元は2005年に終わり、その年のうちに聖別された。

かつて敵同士の和解を象徴する建物に生まれ変わったのである。

連合国とドイツの和解である。

一方、日本ではナガサキ原爆の爆風で吹っ飛んだ、山王神社の一本足鳥居がある。

鳥居は未だに一本足であるが、これは現在は「不撓不屈のお守り」として強さの象徴となっているようだ。
 
その吹き飛んだ鳥居はどうなっているか。
 
一本足鳥居から山王神社までの参道に横たわっているのである。

 

 この鳥居は、和解の象徴とはしないのだろうか。
ナガサキの爆風に耐えた鳥居を讃えているのだろうか。
扱いが難しいよねぇ。
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7回忌

2017-07-30 23:55:30 | 東京都立秋川高等学校

ゆきたんくが高校時代に大変お世話になった1個上である先輩の7回忌があった。

毎年、近隣に住む先輩と墓参りに行っている。

今回は親族の方から呼ばれた形である。

筋肉の塊のような体つきをしていた先輩である。

陸上競技のやり投げの選手で73mの記録を持っている。

ゆきたんくが高校時代は、ハンマー投げの練習に付き合ってくれたことがある。

筋肉トレーニングのしかたしっかりと教わった。

とても優しい先輩であった。

その近くにあった塚の写真を載せる。



「歯の塚」がある林泉寺 → Map


 

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いつそろうか・・・

2017-07-29 23:51:58 | 言いたんく

ゆきたんく家はいつも一緒にいた。

長男も成人してからも親父と肩を並べて歩くことを嫌がらない。

しかし、ゆきたんく家は他の家とも同様の時期に来ている。

長男が独り立ちした。

次男は仕事で忙しい。

4人が揃うことが少なくなってきたのである。

家族の誕生日にはかろうじて揃うのは、長男が近くに住んでいるからだろう。



今日と西本願寺でのショット(のりたん撮影) 左からゆきたんく、つっくん、おーちゃん。


 

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義父。

2017-07-28 23:43:25 | 言いたんく

おもしろい人だった。

かわいい人だった。

今年2月に亡くなった義父である。

時々、こうして思い出す。


 


静岡沼津にある大瀬崎の神池で長男のおーちゃんと次男のつっくんとのりたんと → Map


白浜アロエの里にて次男のつっくんと → Map


次男がじいちゃんの身長を抜いた年、京都慈照寺にて


 義父のいる所にはいつも笑いがあった。

とても楽しかった。

そろそろ85回目の誕生日がやってくる。

生きているような気がするんだよね。

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夏の思い出。

2017-07-27 23:34:28 | 言いたんく

♪ 夏がくーれば 思い出すぅ~ ♪

そう、ゆきたんくのリベンジの材料である。

夏がくれば思い出す、東北の旅、熱射病である。

熱射病で十分に楽しめなかった場所がある。



大湯環状列石の近くまで来た。


ここまで来て、頭痛のため断念。


初めての十和田湖。



素敵な場所である。


水も澄んでいた。


 30年の歳月を経て、ついにと思っていた場所に行きつけなかった。

ゆきたんくに初めてハンマー投げの手ほどきをしてくれた菅原武男氏(メキシコオリンピック4位)の母校である、毛馬内(現秋田県立十和田高等学校)に寄ろうと計画していた。

熱射病でもうダウン。

大好きな運転も奥方のりたんに頼んで・・・

いつかリベンジする。

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あらっ残念と・・・

2017-07-26 23:26:16 | 言いたんく

ふと行ったことのある場所をグーグルマップで見ることがある。

そこで、「あら残念」と口から出てしまった。

青森旅行で一晩お世話になった十三湖脇にある岩亮という旅館に「閉業」と表示が出ていたのだ。

慌てて、岩亮を調べてみると店はある。

何か、グーグルマップに閉業が出るという状況が発生しているようだ。



ここのしじみ汁は旨かった。 → Map 


 マップのリンクを開いて下されば分かると思うのだが、閉鎖とか閉業とかの表示が(現在)出ている。

営業に支障がなければ良いのだがと思う。

旨いしじみの取れる汽水湖である十三湖脇にある素敵な宿だ。


 


料理もおいしかった。


このしじみ汁が最高。


 

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のらって

2017-07-25 23:18:21 | 言いたんく

ゆきたんくの家では猫を飼っていた。

そう、そのために猫の顔の違いが分かるようになった。

そこで言えるのは、野良猫には凛々しい奴がいるということだ。

ゆきたんくの趣味の戦跡巡りで、北区の赤煉瓦倉庫を見に行った時のこと。

まあ、出張が終わって帰宅までの途中にそれがあったということ。

それは、1919年に建設された東京第一陸軍造兵廠第一製造所(旧陸上自衛隊十条駐屯地275号棟)の赤レンガ倉庫だ。

現在では図書館として活躍している。



いいよねぇ、この雰囲気。 → Map


この図書館の西側にあるのは、自衛隊の十条駐屯地である。

その境の金網のところに悠然と佇んでおられる方がいた。

この方である。



かなりイケてると思う。 


 山口の萩でも野良様を撮ったが良い顔をしているのである。

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話しちゃうんだよな。

2017-07-24 23:07:34 | 言いたんく

ゆきたんくは人からどう見えるのだろうか。

いや、普段の姿ではない。

旅に出た時には、不思議な行動が伴っているはずだ。

話しかけてしまうことがある。

話しかけるって普通の行動だと思うだろう。

実際にはこんなだ。



シーボルト宅跡で、シーボルトの銅像に話しかけるゆきたんく →Map 


 何を話しかけたかは忘れてしまった。



軍艦島に話しかけるゆきたんく → Map 


展望台の下にあった海軍境界標石に話す。→ Map

 
山王神社の大クスにナガサキ原爆で空いた穴に話しかける。→ Map 


見るものが何かを語っているように思えることが多い。

 そんな時、共有の時間を持てる、ゆきたんくである。

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疲れていると

2017-07-23 23:55:46 | 言いたんく

思い出す。

若い頃温泉を馬鹿にしていた話は前にも書いた。

観光地に行き「見るもの」がたくさんあるのに、なんでお湯に浸かるのが楽しいのか理解できなかった。

人間というのは勝手だと振り返って思うゆきたんくである。

「見るもの」の前は食べ物だった。

「旨いもの」があるのに、なんで神社仏閣などを見て歩くのが楽しいのだろう。

その前もある。

地元に旨いカレーがあるのに、なんで長野くんだりまで行ってそばを喰うのだろう。

一言で言うと「価値を知らない」ことだったろう。

今から10年前のゆきたんくや、20年前のゆきたんくから見れば「お前さ、何やってんの」の世界である。

今では写真を良く撮るが、若い頃旅に出ると写真を撮っている人を見て「無駄なことやってんなぁ」と思ったものである。

それどころか旅そのものを無駄だと考えていた。

随分と変わったものである。

そう、今日のお題は「疲れていると」だった。

歳を取り、温泉が体に良いものだということは少しずつ理解できてきた。

ただ、今までで衝撃的だった温泉がある。

効能とはこういうのを言うのだろうと言わしめた温泉だ。

別府の「血の池地獄」にある足湯である。

ゆきたんく得意の強行軍の旅で、ゆっくりと温泉に浸かることはなかった。

せめて足湯でもと思って10分くらい浸かった。

ぬるいぬるい。こんなんで体温まる訳がない。

というくらいぬるい足湯だった。

そのあと半日の間、膝下からが気持ち良いこと。

下腿から快感が全身に広がるのである。


 


pHおよそ2.6。食酢よりも強い酸性と後で知った。→ Map


 それから温泉と聞くと耳がダンボになるゆきたんくである。

下手な薬よりも何倍も体に良いことは間違いない。

現在は炭酸泉にはまっている。

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前と比べて

2017-07-22 23:10:59 | 言いたんく

ゆきたんくの若い頃の写真は、グッと口をつむっているものが多い。

ここ数年だが、カメラに向かって笑っていることが多くなったようだ。

何か余分な力が抜けたというか。

別にかっこをつけている訳ではない。

わざと笑おうとしている訳でもない。

普段に何気なく過ごしていて嬉しく思うことが増えた。

何か望みがかなった訳でもない。

本当に何だろう。

そのような状況が好きな気がする。



グラバー亭内のエスカレーターにて


 

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旅の楽しみ316…長崎

2017-07-21 23:03:06 | 言いたんく

にゃん、ジロー、ミー。

かつてゆきたんくの家にいた猫たちである。

そんな訳で、旅先で猫に出会うと気になるゆきたんくである。



もうすぐ龍馬のブーツ像だというのに・・・ 2016.12.27 → Map


ブーツ像のそばでも・・・


ゆきたんくが撮った猫。ピンボケ。


 まっ、こんなのも旅の楽しみである。

京都、若王子にある栗塚旭氏の喫茶店近くにも猫はいたねぇ。



長男おーちゃんの足元で・・・ 2006.12.31 → Map 


あぁ、約10年の時間の開きがあるのだね。 

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ここに

2017-07-20 23:54:07 | 言いたんく

出島。

かつての国の玄関であった。

まぁ、平戸から長崎に移ってきたのだね。

当時人工島だった出島と長崎の町をつなぐのは「表門橋」という唯一の橋であった。

半年前はかつては橋があったところに貼り紙があった。



表門橋の完成は2017年冬の予定。写っている川は中島川 → Map


 橋がかかるのが楽しみてある。 

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この歳になって

2017-07-19 23:16:49 | 言いたんく

この歳になってと書いたけれど。

ゆきたんくは長男が29になるおじさんである。

そして、一人っ子で自己中が得意かもしれない。

その「自己」の反対の意味を持つ言葉については、じっくりと考えたことがなかった。

6月の旅でそれを知ることになる。

ゆきたんくは、2011年、2016年、2017年と3回長崎県を訪れている。

その最初に訪れた2011年に行きたかった場所があった。

2畳の聖地とだと言われている場所である。



医学博士の永井隆氏が亡くなるまでの3年間を過ごした如己堂(にょこどう) → Map


ここで急だが、長崎で医学博士であり随筆家である永井隆氏の話を書く。

永井隆氏は支那事変に軍医として出征し、河北・河中・河南で計72回の戦闘に従軍した。帰国後、長崎医科大学助教授に就任した。

戦時中は結核のエックス線検診に従事した。

フィルム不足で透視による診断を続けたために白血病に罹り、余命3年の宣告を受けた。

それから2か月後、長崎医大の診察室にてにナガサキ原爆を被爆した。

その後永井氏は、「永井千本桜」と呼ばれることになるたくさんの桜を各地に寄贈する。

浦上の人たちやカトリック教会の協力により、永井氏が療養を行うための庵が完成する。

「己の如く人を愛せよ」の言葉から、庵の名前を「如己堂(にょこどう)」と名付けた。

ヘレン・ケラーが見舞いに訪れたり、昭和天皇に謁見したりした。

浦上公民館でギルロイ枢機卿見舞を受けたこともある。

長崎市名誉市民にも推挙された。

「自己」の対極に位置する言葉は「如己」である。

なお「如己」は辞書に載っている言葉ではなかった。

キリスト者ゆえの命名であったのだと思う。

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全国戦争遺跡調査研究会

2017-07-18 23:35:59 | 言いたんく

写真はゆきたんくの後姿である。

そのTシャツには「全国戦争遺跡調査研究会」というロゴが見える。

これはシャレではなく、れっきとした同好会なのである。

隊長のナウスラ氏を中心に千葉、東京、埼玉、神奈川の有志で構成されている組織だ。

今までにも戦争遺跡をしっかりと取材している。

さて、6月の取材をした軍艦島は戦争遺跡なのだろうか。


 


初軍艦島に胸躍るゆきたんく


 日露戦争により鉄の需要が急激に増えた時には、まだ八幡製鉄場に石炭を送っていなかった軍艦島も、明治末期には送るようになる。

民間から鉄の需要が増えたのである。さらに、第一次世界大戦では大幅に鉄鋼需要増えるのだ。

そう言った意味では端島炭坑も戦争遺跡の要素はあるのかもしれないと思う。

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いつのまにか

2017-07-17 23:19:44 | 言いたんく

ゆきたんくは高所恐怖症だ。

そして暗い所、狭い所もだめ。

それか3拍子揃っているところが飛行機の座席である。

その空間で、拘束具をつけられたハンニバル・レクタ―のように過ごしているゆきたんくである。

そう、ヨーロッパに行く時などは10時間以上その状態だ。

その時間を快適に過ごすための必需品がカメラである。

窓の外に気に入った景色を見たら撮影するのだ。

被写体は無限だ。

自分にとって、ある意味苦痛の時間だと思っていた。

ところがである。

友人が撮ってくれた写真のゆきたんくは・・・



笑っている・・・


 暗い写真だが、確かにゆきたんくは笑っているのである。

まぁ、狭くても暗くても窓の外には限りない空間が見えている。

かなりの高所(10万m以上)だが、ここからだと高さ100mから落ちても結果は同じと思っている。

それなりの楽しみ方を身に着けることができた結果ではないだろうか。

初めて飛行機に乗った時(のりたんとの新婚旅行)はずっと顔がこわばっていたという(byのりたん)。

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