伝えたんく

日々の何気ないできごとに感じた幸せ

いよいよ今年も

2007-12-31 19:50:16 | Weblog
今年もカウントダウンに入りました。
もっともこちらとは時差が2時間あるので、早く新年を迎えられるのですね。来年が皆様にとって良い年になりますように。


というのを12月31日19時50分にアップしたはずでした。
姉のパソコンで打っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2007-12-30 23:31:16 | Weblog
今日はサマンサリとプランバナンへ行ってまいりました。サマンサリは王宮と、ブランバナンはボロブドゥールと並ぶ大乗仏教の遺跡です。そして今はジャカルタにいます。ガルーダ・インドネシアの小型機でしたが速いこと速いこと。文明の機器発達で昔の遺跡に早く会えるのです。しかしプランバナンはジャワ中部地震で補修中でした。終るまでには十年単位の時間がかかるそうです。ちゃんとしたのに会えるのはいつの日でしょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ではと言いながら

2007-12-29 18:36:48 | Weblog
どうも、ゆきたんくでございます。只今、インドネシアはジャワ島の中部ジョグジャカルタのホテルにいます。初めての2日連続の飛行機搭乗でございましたが、旅は快調です。本日はボロブドゥールと王宮を堪能してまいりました。一息ついてコーラを飲んでいます。勿論ダイエットのやつです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

では

2007-12-28 07:23:27 | Weblog
これからインドネシアに行ってきます。
ブログの再開予定は1月4日です。

みなさま、よいお年をお迎え下さい。

             ゆきたんく
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

出発前日

2007-12-27 16:51:49 | Weblog
いやいや、持ち物は全部そろえたはずなのに実に落ち着かない。
パスポート、電子搭乗券、ビザを買う米$、カメラなど
着替えも数を数えて入れたはずである、チェック表で合わせたはずだ。
なのに何かを忘れている気がする。


とここまで打ってインドネシアに旅立ちました。
なんのことはない「伝えたんく」をアップしていなかったのね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水路閣

2007-12-26 23:38:33 | Weblog
昨年12月末に近畿へ旅をして、もう1年が経とうとしている。
今年は28日にインドネシアへ行き、新年の4日に戻ってくるのでしばらく「伝えたんく」はお休みになるか、ネタがあるので、できるだけたくさんアップして行くかどっちかになるであろう。

さて近畿の旅の話だった。場所は京都市の水路閣。創作ではあるが、かの大泥棒石川五右衛門が「絶景かな、絶景かな」と見得を切ったと言われる、京都は南禅寺の三門のある境内にあるのだ。

琵琶湖疎水を京都の人は単に「疏水」と呼んでいる。そのほか「京都疏水」の名もある。
 疏水は明治期に琵琶湖から京都に引かれた水路で、舟運・発電・上水道・灌漑用水などの目的で作られた。今では京都市に上水を供給するのが主たる目的となっている。「第一疏水」、「第二疏水(全線暗渠)」、「鴨東運河」、「鴨川運河」とあるが、南禅寺境内を横切り哲学の道に沿って流れ高野川・賀茂川を横切って堀川に至るものを「疏水分線」というそうだ。水路閣もこの疎水分線の通り道にある。レンガ造りでヨーロッパ調のおしゃれな水路である。100年近く経っているが、水を流し、現役で頑張っている。創設時にはいろいろと言われたそうだが、いまではなくてはならない観光資源となっている。
無条件に格好いいと思う。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

メガ豚

2007-12-25 23:40:57 | Weblog
わぉ!
 巷はメガ牛丼とか、問題になったテラ豚丼で一時期賑わったが、今ではどこ吹く風である。

土曜日になると友人から昼飯を喰おうよと電話がかかってくる。
そして入った店で衝撃的な出会いがあった訳だ。
店の名前は「みちる屋」である。「イブクロがミチル」ことをスローガンに美味しいメニューを提供してくれている。

大男3人で店に入る。ゆきたんくはこれで4回目である。上司と、長男と、次男と、そして今回である。白味、白味と豚マヨ飯、黒味と食べて、今日はどれにしようかと楽しい気分である。それというのも店員さんの感じの良いことがあげられる。

結局、メニューで目が停まったのは壁に掲示してある「メガ豚みちる」である。店員さんに自分のやっているブログに載せて良いと許可をもらったのに、カメラから写真をPCに移すインターフェースを忘れて、今日のアップになってしまった。
何を言いたいかって? 正確なメニュー名を忘れてしまったのである。

麺玉3個にチャーシューが3種類、キャベツがたくさんである。
麺はなめらかで食べやすかった。スープは白味のみ。量が多いので、白味なら最期まで食べれるのだろう。チャーシューはでっかいスライスに角切りのやつ、そしてこれを食べたいために「メガ豚」を頼む人がいるという、肉味噌チャーシューである。ゆきたんくがもう少し若ければご飯も頼んだのだが、ここは無理をしないことにした。店員さんが言うには、となりの人の「メガ豚」を見てキャンセルする人もいるのだとか。
この日はそれが3つ並んだのである。そして3人とも完食である。

大満足の「メガ豚ミチル」であった。
※店員さん、アップが遅れてごめんなさい。

ミチル屋を経営している株式会社ジンクルのサイト
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蜂蜜色の町

2007-12-24 23:05:32 | Weblog
蜂蜜色の町として有名な所としてイギリスのコツウォルズがある。
日本の建築物は木造文化であるが、ヨーロッパの建物は石造りが多い。
もっとも日本のように地震がないので、石積みの技術だけで耐用年数の多い建築物になるのである。つまり、昔に建てられた家が未だに使われているということである。
イギリスでの最初の一泊は友人の家であった。
場所はポーツマスの近くにあるポーチェスターという町だ。
家を見たところ石造りでないように見えた。

まあ、新しい家もあるのだろうと思って聞いたら、築80年だという。

コツウォルズに話を戻そう。
ここの家屋は近くで取れる石灰岩で造られている。
ライムストーンと呼ばれている。その色が蜂蜜色なのである。

代表的な家屋で有名なのはマナーハウスがと呼ばれている代物である。

ライムストーンの家屋はそれぞれが全く同じ色という訳ではない。
濃い、薄い、鮮やかと違いはある。

写真はウィンドラッシュという川が街中を通っていることで有名なボートン・オン・ザ・ウォーターという町の一角である。
見事なまでに蜂蜜色である。この通りには一般の家、それから簡易宿のB&B(Bed & Breakfast)もある。ちょっと先に進めば病院もある。その病院までもが蜂蜜色なのである。ゆきたんくにとってはとても落ち着く色である。

前に白川郷の項で書いたが、白川郷のランドマークは合掌造りである。旅の雑誌を見るとランドマーク的な家屋に焦点が当てられている。ゆきたんくは朝の散歩の時に見つけた農機具倉庫が小さな合掌造りなのに感動した。

これと同じで、スポットが当たっているマナーハウスばかりじゃつまらない。
教会、不動産屋、博物館、雑貨屋、喫茶店、フィッシュ&チップスの店までが蜂蜜色なのである。
蜂蜜色の家というよりも、蜂蜜色の町なのである。
そして500年以上も前に立てられたものもあるという。
それが未だに現役で頑張っているというすごさ、その歴史。


できれば老後はこういうところでゆっくりと過ごしたいなあ。
(ビブリー…人によってはバイブリーと呼ぶ…もいいなあ。)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジャイアント・ロボ

2007-12-23 22:30:31 | Weblog
「飛べ、ジャアント・ロボ」
「フガッハ」

なんてぇのを知っている方は相当古い。
現在45~55歳までの方であると思う。

写真は牛久大仏。
立って120mの世界一の大仏である。

ただのモニュメントではなく、胎内にはお墓もあるのだ。
れっきとした東本願字系の寺院でもあるのだ。

ゆきたんくの父の実家は茨城県である。
この牛久大仏に初めて連れて行ってくれたのは従姉妹である。

地元の名所だからって、わざわざ大仏を見に行くこともないだろう。
なんて思いながら行ってみたら、びっくりである。
大きいこと大きいこと・・・

その時に頭に浮かんだ言葉が
「飛べ、ジャアントロボ」なのである。
斜め下から見ると、かっこいいし、大きいし。
子どもの頃にテレビで見るのを楽しみにしていたことを思い出した。

その数年後、胎内に入り85mの最高の高さまで上がってみた。
ジャアント・ロボの視線でものを見ることができたのである。

東京タワーの250mよりも感動したのを覚えている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

馬の背

2007-12-22 23:02:05 | 

「月の砂漠をはるばると」なんてラクダが砂漠を歩くなんてのが日本では見れないと思っていた。もっともゆきたんくの地元千葉県には童謡「月の砂漠」のモチーフとなった御宿海岸がある。しかし長さは1kmにも満たないのである。

小学校の時の確か国語の教科書に出ていたような記憶があるのだが、鳥取県の鳥取砂丘は大きいという印象があった。もちろん文を読んだだけなのだが、白黒の写真を見て、「日本にもこんな所があるのか」という気持ちになった覚えがある。しかし、そのころはアメリカも中国もイギリスも、砂漠があるという国々がどこにあるのかも知らない時だったから、宇宙にでも行かないと見れないような気でいたかもしれない。

2004年に山陰を旅行した。その時に鳥取砂丘にも寄った。
初めての砂丘に感動し、写真を撮り、家に帰ってから調べてみた。
なんといろいろな部品があるのだ。
 一番有名なのが、第2砂丘列(馬の背)である。ということは第1もあるということだ。「東スリバチ」、「長者ヶ庭オアシス」、「海岸」、「六つ子スリバチ」「第3砂丘列」…

ただの砂の山だと思ったらとんでもなく面白い存在なのであった。
馬の背に実際に登ったら、きついこときついこと、傾斜といい、頂上までの距離といい、いやぁきつかった。行きは目指せ日本海ということで頑張った。
日本海の波に足を洗ってもらい、一息ついて振り返ると、後悔が溢れてきた。

まあ、戻るには戻ったのだが、その時に目の前をラクダが通り過ぎていったのである。「ああ、あれに乗りたい。」砂丘の出口にある足洗い場までたった200mくらいであったが、もう自分の足では歩きたくなかった。

月ならぬ、昼の砂漠状態であったが、その鳥取砂丘の全長は16km。本当の砂漠地帯に比べたら小さいこと。グーグルで日本全体を見たときには分からないのである。

世界には日本全体が入ってしまう砂漠地帯もあるというのに。

ラクダとは友達になっておくべきだろう。うん。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

となりのトトロ

2007-12-21 22:29:37 | Weblog
あらま、昨日は疲れていて、草稿のままでアップしとりませんでした。
すみません。

写真は、言わずと知れた、宮崎アニメ「となりのトトロ」の一場面であります。
しかし、これはアニメではありませんで、実写(と言っていいのでせうか?)
であります。

ゆきたんくは息子の大学にハンマー投げのコーチに行くことがありますが、有料道路が混んでいたため、一般道に戻った時に見つけたのであります。

はっきり行って実物大。とてもおおきなトトロさんなんであります。
場所は埼玉県さいたま市岩槻区釣上新田1083-1です。
㈱岡崎巧芸さんがコマーシャルのために造られたトトロであります。
この他にもばあちゃんとか、ネコバスとか、いろいろあります。
一度行かれたらどうでしょうか。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昔話

2007-12-20 20:57:35 | Weblog
 昔話は私達が子どものころ、童話という形で頭の中に入ってきた。
そのどれもが楽しく、笑いとかペーソスに包まれたものであった。

実際は、童話の行間を読まねばならないのであるが、子供にそんな芸当は不可能である。だから童話は楽しいという捉え方をされる。

奥州で悲惨な最期を遂げた、源義経と武蔵坊弁慶については、弁慶と牛若丸の物語として微笑ましい物語になっている。

実話と創作(実話だが、一部だけだと)ではそのギャップが大きいものが少なくないという。
それは意図的なものよりも、前述した物語に初めて触れた年齢と、意味が取れるようになった時の年齢によるものだろう。

写真は弁慶の墓である。衣川の館で義経を守り、最期は仁王立ちだった弁慶は藤原秀衡達四代が眠っている中尊寺の参道入り口近くに葬られたようである。

でありながら、弁慶は「実在しなかった」とか、複数の比叡山悪僧の所業が集められ、誇張されていって伝説上の武蔵坊弁慶が構成されたとか諸説あるが、明らかではない部分も多く含んでいる。

やはり、童話のままの方が夢があり、口当たりもいい。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2007-12-19 21:52:36 | Weblog
千葉県の和田というと花の町である。
位置的には鴨川シーワールドの少し南である。

今から3年前の暮れを、和田にある別荘で過ごそうと義兄から提案があった。
ゆきたんくは次男のつっくんといっしょに愛車イプサムで和田に向かった。
もちろん義兄の車の後を追ってである。
このイプサムは義兄のお下がりである。
奥方ののりたんと長男のおーちゃんは不参加である。
おーちゃんは陸上の練習があって、のりたんが家にいないと食事の支度ができないからである。

義兄の勤めている某石油会社の所有の別荘で人気が高いところをゲットできたので誘われたのである。

何のことはない花の町。しかし、訪れたのが12月30日である。
往路では久留里の辺りで雪に見舞われたのだ。

ひさしぶりにのんびりした夜。
和田の温泉(バラ色の湯で香りが抜群)につかり、和田の寿司屋で腹いっぱい食べ、風は多少鳴っているがぐっすりと眠る。

旅の朝は恒例の散歩である。
海が近いので行ってみた。
今回はつっくんが早起きしたので連れて行くことにした。
浜千鳥の碑がある花園海水浴場に出た。

ゆっくりと海岸に迫る波。
音はほとんどしない。
朝焼けの赤がだんだんと明るくなってくる。
空のライトシアンが海に反射している。

こんな幻想的な海には初めて出会った。
つっくんといるのも忘れ、しばらく恍惚となってしまった。
時間が止まるというのはこういうことをいうのであろうか。
載せた写真はゆきたんくが見た実物には程遠いものである。

一番感動が伝わる写真がこれなので勘弁していただきたい。
自然が造る一過性の芸術は、人間は敵わないのだろうなぁ。
この後、海は金色になったのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

時の流れ

2007-12-18 23:58:20 | Weblog
本当に日本ってせわしい国だなあてっ思う毎日なのである。

それに比べると中国は車も少なく、みんな自転車で通勤している。人口は多いけれど地球温暖化とは無縁の国なのだ。

と思っていた。
そうしたら車は多いは渋滞はするわで、描いていた中国(北京)とはかけ離れていた。得意の朝の散歩では、自転車よりも乗用車の方が数が多いし、バスなんて2両編成ですよ。まあ、来年は北京オリンピックが開催されるわけだから、町の形の変わり方も尋常ではないはずだ。

みんな新しくなって、古きよきものはどんどん姿を消していくのが、どの国でも常なのかなんて思ってしまった。

そして車に轢かれそうになりながら、道を渡り、団地内の公園を覗くことにした。

なんと、そこではイメージしていた中国の世界が広がっていた。
数名のお年寄りが、周囲には目もくれずに「太極拳」に取り組んでいたのだ。
そこには数千年前から変わっていない普遍的な世界があった。
自分のペースで、自分のために、ゆっくりと円運動を繰り返している。

もちろん自国の人間ではない者が、カメラを構えているのである。
日本だったら、警察に通報されてもしょうがないようなシーンである。
ゆきたんくには目もくれずに、自分の世界を守っている。

 ここにいることで、ゆったりとした時間の流れをおすそ分けしてもらっているようにも感じる。

 しかしこのような景色を見ることができる年数は残り少ないのかもしれない。
失われる資源は、鉱物や化石燃料ばかりではないのである。

写真は北京市内
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

よろず

2007-12-17 20:32:47 | Weblog

世界的な博物館の一つにブリティッシュ・ミュージアムがある。 1753年に創設され、約6700万もの膨大なコレクションを収集してきた。考古学的価値の高い展示物が数多くあるのだ。なんとエジプト、古代近東 、古代ギリシャ、アメリカ 、メキシコ、アジア、アフリカと世界中ともいえる遺産がここにつまっているのだ。かつて大英博物館の中庭だったところには、ヨーロッパ最大の室内公共スペース「グレート・コート」がある。

よくもまあ集めたものである。しかし、遺産の国籍はどこだろうか。当事国からクレームはないのだろうかと思う。ここにほとんどが個人の収集家の寄贈によるものだとしても、自国で誕生した物が他国にあることについてはどう思っているのだろうか。

かつて(1921年当時)イギリス帝国は7つの海を支配した国であった。 クリックしていただけばその当時の地図を見ることができる。

当時は世界最強の国と言っても差し支えないだろう。収蔵品の多くは、この大英帝国時代の植民地から持ち込まれたそうである。まあ、文化財保護の観点や宗教的理由から国外持ち出しが到底許可されないような貴重な遺物も少なくないといわれているが、イギリスとは宗教的な理由を口にする国だろうか。

『パルテノン・スキャンダル?大英博物館の「略奪美術品」?』なんて言葉もあるが、しばしば収蔵品の返還運動もおこされているらしい。

ゆきたんくがまとめたサイト「大英博物館」の「古代ギリシャ」を見ていただけばお分かりになると思うが、こりゃギリシャにしてみれば返して欲しいだろうなぁと思う。

このような事情で、イギリス人自身にも「泥棒博物館」や「強盗博物館」などとも言われてしまうのはいたしかたないが、逆に大英博物館に一堂に会したことで研究が進みやすいとも言われているそうだ。

写真は大英博物館前で、ゆきたんくと次男のつっくん。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブログ村Ping

http://ping.blogmura.com/xmlrpc/okr7t7fen957