伝えたんく

日々の何気ないできごとに感じた幸せ

ちょい旅写真198沖縄・読谷

2019-10-31 23:08:15 | 戦争遺跡

シムクガマ。

聞かれたことはあるだろうか。

那覇から北に行くと読谷(よみたん)という村がある。

沖縄にはガマ(鍾乳洞)が多くあるが,読谷には対照的なガマがある。

有名なのはチビチリガマである。

戦時中避難していた方々の60%の82名(85名とも言われる)が集団自決された場所である。

同じ村内のシムクガマでは亡くなった方は一人もいなかった。

そこには1000名もの方が避難されていたのである。



シムクガマの内部。外国人の方も訪れていた。


1000名の人命を救った比嘉平治氏・比嘉平三氏が記された「救命洞窟の碑」


 ハワイ帰りで英語の分かる両氏が,米軍兵士とのやりとりを避難民に伝え,1000名を救命することができたのである。

意思疎通の大切さを知る一つの事例である。

チビチリガマにもこういう方がいらっしゃったらと思った。

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やばい・・・

2019-10-30 23:03:11 | 言いたんく

度忘れである。

職場で撮った写真。

何かに必要だから撮ったのだ。

それが思い出せない。

や・ば・い・・・



なんだったっけ・・・ 


 

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遠たび写真13…イギリス・ウッドストック

2019-10-29 23:38:20 | 

ウッドストックで思い出した。

最初に断っておかねばならないが,先日お世話になったwoodstock-cafeさんは,きっと1969年8月にアメリカのニューヨーク州ベセルで開かれた野外コンサートから名前を取られたのだと思う。

マスターに聞いておけばよかったと思う。

さて,ゆきたんくのお話である。

マイフィバリット・アーティストのマイクオールドフィールド氏。

氏がデビューアルバム「チュブラーベルズ」を録音したオックスフォードのシップトン・オン・チャーウェルから車で12分(最短コースだと8分だが,道を知らなかった。)のウッドストックという町を越えた所にポツンとあるB&B「デューク・オブ・マルボロ(住所はウッドストック)」を思い出した。

まだアメリカに行ったことのないゆきたんく。

ウッドストックといえばイギリスなのだ。



B&Bデューク・オブ・マルボロ(マルボロ公爵) →Map 


夜のウッドストック。 左手前の店で夕食を買い込んだ。 → Map


夜のマナーハウス(旧ヴァージン・マナー・スタジオ)入り口。 → Map
奥にあるマナーハウスが見えない。


しょうがないので,次の日の朝(12月28日)に撮ったやつ。(何回行ってるんだ・・・)


 2011年12月27日から28日にかけてのことである。

いい歳こいて無茶苦茶な旅をしているものである。

という訳で,お名前で振り返った思い出である。

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お世話になったお店は・・・

2019-10-28 23:27:04 | 言いたんく

新御茶ノ水のwoodstock-cafeだ。

マイク氏のオフ会の会場になって久しいが,マイクオールドフィールド招聘委員会委員長のおぐりん(ハンドル)さんにご足労いただいて開催していただいている。


 
woodstock-cafeさんのカッコ良いコースター


 この名前で検索していただけば,すぐに分かるお店だ。

音楽が好き,そしてたたずまいが素敵な空間を味わうには良い場所である。

1年に1回弱訪れているゆきたんくが生意気を言うが,お勧めである。(個人的見解)

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昨日は

2019-10-27 23:15:25 | マイグルメ

マイクオールドフィールド氏のアルバムエクスポーズドの40周年記念オフ会だった。

自動車好きのゆきたんくが珍しく電車で移動したのであった。

会場への最寄り駅は新御茶ノ水駅だ。

少し足を伸ばして若い頃足を運んだ楽器店の方へ行く。

駿河台下。何年ぶりだろう。

ここでお腹が鳴る。

アラカン近いおじさんがスマホを手にしてお店検索(笑)

素適な名前を見つけた。

「キッチン・カロリー」だ。

ここでご飯を食べることにした。



何てメニューだったっけ。 ハンバーグのなんとか。旨かったですよん。     → Map


 創業65年(1954年開店)。

そうマイクオールドフィールド氏と同い年なのである。

この日に相応しい,お店だったのである。

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エクスポーズド

2019-10-26 23:07:46 | 音楽

なんだそりゃ。

エクスポーズというのは,マイクオールドフィールド氏の初期三部作の次に出されたボックストアルバムのことだ。

4枚組のレコードと,素敵なブックレットがついていた。

その40周年を祝って,オフ会があった。

いつもお世話になっている,マイクオールドフィールド氏招聘委員会の委員長様の呼びかけで集まったのである。


 
オフ会会場入り口。


 体調の加減でここ3回ばかり欠席していたオフ会。

出れて良かった。

エクスポーズドの音源(当時はレコードのみ)を聞いて40年前に戻る。

そう,秋川高等学校の寮でヘッドフォンをつけて自分だけの世界にいた時があったことを思い出す。

その後,CDが発売され,映像もDVDで出た。

良い世の中になったものである。

ブックレットの中にあった写真が,コツウォルズの館と呼ばれたマイク氏のスタジオ。

スローアムというところにある。

で,行ってみた(笑)



スローアム・スラッド・マナー。マイクの三番目のスタジオがこの丸窓の中にあった。
2011.12.26 現在(2011だが)は私邸なのでマップは控える。 


 

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遠たび写真12…ヴェトナム・ミト

2019-10-25 23:54:15 | 

すみませんね。

その日その日に撮った写真がないので,過去の写真でごまかしているゆきたんくである。

さて,本日は2010年11月20日の出来事だ。

メコンデルタの中に浮いているトイソン島に行った。

でっかい中洲である。

そこで,養蜂の様子や,民芸品の販売,蛇と仲良くなるチャンス,そしてマングローブに囲まれた細い川をボートで・・・

そのボートが一番印象的だったのだが,そのごの昼食で強烈な出来事に会う。

まあ,美味しかったから良かったけれどね。

トイソン島の養蜂場の近くで蜂蜜の入ったお茶をご馳走になる。

その店の中に,生け簀のような場所があった。

そこで泳いでいた方がこちらである。


 


なかなかの貫禄のお方だ。


 お名前はエレファント・イアー・フィッシュ様だ。

一期一会かねぇ・・・

だが,その後もう一度お目にかかることになる。

昼食をいただいたレストランで再開したのである。

どうやら高温の油の中で泳がれていたようだ(笑)

それが,こちら。



なんとまあ,素敵にデコレーションされて・・・


 もちろん,おいしい再開であった。

 (最初のお魚さんと同一人物?ではありませんが・・・)

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遠たび写真11・韓国・宗廟

2019-10-24 23:35:47 | 

肩を並べて・・・

二人の間に息子の手をつないで・・・

前後にブランブランなんて・・・

落ち着いて旅行ができる年齢にはなったが,二度とできなくなったこともある。

二人の間で,キャッキャッ喜んでいた息子もね大きくなった。

そんなことをふと思ったのは息子の背中を見た時。



宗廟の中心である正殿。2012.08.26


ご存じゆきたんく。


奥方,のりたん。


長男のおーちゃん。でかっ! ちなみに足のサイズは29㎝である。


 まぁ今,夫婦で息子の手をつないでプランブランなんてやったら肩が抜けるだろう。

その前に持ち上がらないか・・・

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遠たぴ写真12・ドイツ・フランクフルト空港

2019-10-23 23:08:38 | 

いやぁ,独りぼっちの飛行機。

お客が1人と言うことではない。

空港の入国審査を終えた後のことである。

ゆきたんくは,ドイツの鉄道に改札がないことを知らなかった。

一日早くケルン入りして待っている友人に電話をかける。

ゆきたんく「今,フランクフルトなんだけれどドイツ鉄道の改札が分からないのです。」

S氏「〇〇さん,ドイツの鉄道は改札がないのですよ。」

勉強不足だったゆきたんくである。

旅行で来ているのだ。

基礎的な知識をしらないでどうする・・・

そう,どうすることもできなかったので電話でヘルプだったのである。

携帯の無い時代だったらば,そこらを歩いているドイツ人をつかまえて教えてもらうしかないではないか。

札を改めないのだから改札ではないとな。


 
彷徨うゆきたんくが,彷徨った記念に撮ったフランクフルト空港駅構内の写真 → 2014.08.08


英語だ。これだけで安心した。


そしてICE。憧れの高速鉄道だ。


 幸たんくにある旅たんくのトップに,

「見知らぬ土地、いわゆる初めての土地に立った時は自分の存在がなんと小さく感じることでしょうか。

幼い時に経験した、不安にも似た感覚を瑞々しく感じることができるのが旅であると思います。

また旅での経験が自分を変えていく糧の一つであることを表現できたらとも思います。」

ゆきたんくは良い歳をしたおっさんだが,この時には上にある気持ちを味わうことができた。

ただね,情けないのは「友人という保険」付きの上での話だったからだ。

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未来

2019-10-22 23:59:04 | 言いたんく

なんてね,友人と自分たちのこの先の人生について話していた。

むろん,アラカンの親父がなにかどでかいをことをやるとかは考えていない。

のんびりして,時々旅に出て・・・

それが幸せかなァ


 


旨いよね。プロの淹れてくれたコーヒーはうまいねぇ。


 なんて思っているのだ。

珈琲館「蔵」で旨い珈琲をのみながら話すのも面白い。

帰り道は爆撃に気を付けた。

無数の戦闘機が集団で飛び交っているのだ。



大人しくしている時もある。


空を舞っている時もある。


 まあ,新松戸のけやき通りの昔からの風景ではある。

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はじめたのはね・・・

2019-10-21 23:12:14 | コンピューター

1999年10月のこと。

出張帰りの途中に友人の職場があった。

よって話をしている時にホームページの話になった。

「今時ね,情報を受け取るだけでなく,発信する側にならないとなぁ。」

何言ってんの,面倒くさいと思ったゆきたんくである。

なんせ,文を書くのが嫌で嫌でしょうがない輩であったのだ。

友人のせいではない。

友人は,元データを作って知り合いに配布していた。

情報発信を知り合いに勧めていたのである。

〇〇さん(ゆきたんく)もやるかい,データあげるよ。

素直にもらっておけばいいのに,挑戦的になり

「自分で作るからいいですよ。」

と断ってしまった。

それから9か月後にの「伝えたんく」の親ページ「幸たんく」が誕生するのである。

最初の半年ぐらいは,自分の言ったことを忘れていた。

確認されるごとに

「やってますよ。」

とごまかしていたゆきたんくである。

とうとう尻に火がついて,とにかく写真,そしてテキスト。

その最初の写真をがこれである。



旧マーライオンの裏で,次男つっくんを肩車のゆきたんく。2000.07.28


 幸たんくには,カテゴリーが散らかっているが,「旅の項」は作ろうと思っていたのである。

 旅の項はその後「旅たんく」になった。

幸たんくの誕生は2001年5月4日だった。

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こういう時にさ

2019-10-20 23:05:09 | 

今日は親しい友人の見舞いに行ってきた。

年齢を重ねると,いろいろと出るものだ。

何かって?

それは個人情報が煩くなる前からのことで,言わないでおこうと思う。

友人の病院を出た後,自宅までの通り道にある場所に行ってみた。

女房の,のりたんが見ていた映画をのぞき見した時に,登場人物の女の子が走っていた。

それは商店街の中。

ゆきたんくが幼少の時を過ごした風景に似ていたのである。

寄ってみた。

そう,道の幅やその道を挟んでいる建物の高さが懐かしく思える。

場所は向島である。


 


入り口。鳩のマークが印象的な「鳩の町通り商店街」 → Map


この道幅,両側の建物の高さ・・・


 ゆきたんくの自宅があった東京都品川区大井町の商店街の雰囲気なのである。

ゆっくりと歩いていたが,あっという間に商店街は終わってしまった。

その終点を少し先に進むと墨堤通りである。

結構通っていた道のすぐ近くに「鳩の町通り商店街」はあったのだ。

のりたんの見ていた映画をのぞき見することがなければ,行くことがなかったろう。

ある意味奇跡と呼んでもよいかな。



ここが終点である。入り口にあるのと同じ色のポールが建っている。鳩さんもいるぞ。


 ここは観光名所にもなっているらしい。

「こぐま」という店が有名で,ここで供される焼きカレーがたべたいな。

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ゆめ

2019-10-19 23:18:06 | 音楽

引っ張るよなぁ。

ん?

しつこいってこと。

小学校3年生の時に買ってもらった「原色学習図解百科」の9巻は音楽の章。

そこにあった,シューマンが身を投げたというライン川の川岸はここではないかという検証(というのか?)ができた。

ハイドンの生家というのがあって,そこも行ってみたい場所の1つなのだ。



ハイドンの生家 → Map


この写真は原色学習図解百科をスキャンしたものである。 

ウィーンから約50㎞のところにある。

いつの日か,絶対に行こうと思っている。

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遠たび写真10…インドネシア・ジャカルタ

2019-10-18 23:43:58 | 

あらっ。

今まで「遠たび」と打っていたつもりが「遠たぴ」になっていることに気が付いた。

タピオカのせいではない。

ところで,2日連続のインドネシア投稿。

そう,後悔したのである。

現在,義兄が日本に戻ってきている。

今度,いつインドネシアにいけるだろうか。

義兄に「乗る?」と言われて遠慮したのがいけなかった。

国によって名前はちがうが,インドネシアでは「バジャイ」と呼ぶ三輪オートのことだ。

そのバジャイがタクシーをやっていたのである。

タイのトゥクトゥクより一回り小さいそうだ。

見た目もかわいかった。


 


これだ。


うん,とにかく乗っておけば良かった・・・ 

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遠たび写真9…インドネシア・ジャカルタ

2019-10-17 23:30:40 | 

ジャカルタのオランダ植民地時代の名前がバタビアだ。

先日ジャガタラ娘の記事で載せたかな。

義兄がインドネシア勤務だった時に訪れた。

ジャカルタ北部の観光の際,昼食をカフェ・バタビアでとることにした。

義兄が前から行きたかったところだという。



カフェ・バタビア → Map 


 義兄はインドネシア語がペラペラなので安心して観光することができた。

メニューなんか読めなかったが,義兄任せ。

ちょっと情けない。

ホットサンドのようなものを頼んだ。

すっげぇ旨かったな。



メニュー


冷製ホットサンドといったところか。コールドとホット,どちらだ・・・


 店にはチャーチル首相の写真とかもあった。

撮影しておけばよかったな。

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