伝えたんく

日々の何気ないできごとに感じた幸せ

同化

2008-04-30 21:27:27 | Weblog

昔をよーく知っていない私が、昔と今を比べるなんておこがましいと思う。しかし、これは間違いないとはっきりしているものならばいいかな。

 写真は浅草の雷門。ご存知仲見世の入り口でもある。国際色豊かで様々な国の外人さんがいらっしゃる。きっと旅の本の日本編に欠かさず載せられている土地なのだろう。 その雷門の入り口付近は歩行者天国で自由に行き来することができる。そして雷門を前にして右を振り向いた時に目に入ったのは、アサヒビールの社屋(アサヒビール吾妻橋ビル)である。


巨大なビールジョッキだ

 みなさんご存知の建物だと思う。鉛ガラスを使っているのか社屋の概観は、黄金色に輝きビールの色を想像させる。屋上付近はビールの泡よろしく、冠を頂いている。

 かと思えば、フラムドール(黄金の炎)と題された金色のオブジェがある。


フラムドール
いつもは高速6号線上からチラッと見る程度である。

 伝統の町、浅草に似つかわしくないと思いながら、ある程度時間が経つと溶け込んでくるのは人間の情と同じなのか。

 いつの間にか周りの風景に同化してるのである。


浅草に溶け込んできた風景

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リンク

2008-04-29 23:52:05 | Weblog

 写真の人物はイギリスの優れた軍人であり、政治家だったチャーチル(サー・ウィンストン・レナード・スペンサー)である。今回の記事はこの方の実績や戦争について記述する訳ではない。表題のリンクの意味通り、「つなぐ」、「連結する」事柄について考えたい。なお、この「伝えたんく」の親サイト「幸たんく」のコンセプト通り、管理者の感じた幸せであるので、「そんなことで、わざわざ」と思われる方もいらっしゃるかもしれないが悪しからず…

、休みを利用して写真を整理していた。まあ、コンピューター上の作業になる訳だ。今冬のインドネシア旅行の際、店中なので写真が撮れなかったが、義兄がびっくりして店員に確認していたことがあった。

 ジャカルタ北部の観光で昼食を「カフェ・バタビア」でとった。バタビアとは、旧コタ地区と呼ばれるジャカルタ北部の政治の中心となった都市の名前だ。その中央にあるファタヒラ広場を博物館とともに囲むように、19世紀の木造の建物がある。それがカフェ・バタビアだ。


カフェ・バタビア(インドネシア)

 義兄が確認していたことは、壁にかけられた沢山の写真の中に英首相だったチャーチルがいたことだ。店員に聞いた話では、チャーチルはこのカフェ・バタビアにきたことがあるという。

 そのチャーチルにしても、勉強嫌いのゆきたんくが初めて知ったのは2003年の英旅行で、バスで観光中に「銅像があるから写真を撮っておこう。」とくらいの気持ちで撮った写真を帰国後調べていて知ったくらいである。その人物の背景にある歴史なんてものに気がまわる訳でもない。

 今回のお題「リンク」にしても、自分の頭の中で5年間の時間をかけて一人の人物と一つの建物がつながったことを言いたかっただけであるのだ。


チャーチルの像(ロンドン)

 この方はゆきたんくが5歳の時(1965)に90歳で亡くなっている。リアルタイムでの記憶は全く無い。しかし、軍人であり、政治家である彼のことを掘り下げれば、イギリス出身のチャーチルが、地球の反対側に位置する東南アジアでどのような活動を行ったかが分るであろう。しかし、それはまた時間のある時の楽しみにしておく。

 なお、チャーチルは2002年、BBC行った「偉大な英国人」投票で第1位となったそうだ。

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こういうのも

2008-04-28 23:42:10 | Weblog

 時は2004年、島根インターハイ(出雲)のあった夏にゆきたんく一家は島根県にいたのだ。そして宍道湖畔のホテルでの朝食後、窓の外を見たら嫁ヶ島やシジミ取りの船を目にすることができた。


朝の宍道湖、シジミ取りの船が見える

 ここ島根県松江では神秘的な美しさで有名な宍道湖の夕焼けがある。観光用PRの写真を見ると、大体嫁ヶ嶋とセットになっていて、日本の夕日百選にも選ばれている。
その宍道湖に来ているのならば夕日は見ておきたいと思っていた。ところが台風の影響でインターハイ観戦は土砂降りの雨の中だったり、はっきりしない天気の中で過ごしていたりしたので宍道湖の夕焼けは諦めていた。

 ところがである。インターハイ観戦後、出雲から松江のホテルに戻るまでの間に少し晴れ間があったのだ。その時に息子に撮らせた写真である。


国道9号沿い、宍道湖の夕焼け

 宍道湖東端にある嫁ヶ島からはほど遠い場所での撮影であるが、嫁ヶ島が見える所までいったら完全に日没である。湖面に写った夕日の赤がせめてもの慰めである。

 そして話は、本日投稿文の最初にもどるのである。この夕日の翌朝はバイキング朝食であった。そして窓から見えたのはまぎれもない嫁ヶ島。しかし小さくしか見えないので正体を確かめた。(宍道湖に浮かぶ島は嫁ヶ島ひとつということを後日知った。)


遠くの方に、申し訳なく見えた嫁ヶ島である


 レンズを少し広角にしてみる。そして撮影したのが最初にある写真である。松江のパンフレットで夕焼けの中に浮かぶ嫁ヶ島と同じ形のものである。神秘的な美しさとは言いがたいが、自分の目で初めて見た本物だということが、自分にとっての希少価値につながっているようで嬉しく思う。

 こういうのも自分の中ではOKなゆきたんくである。

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すごいね。

2008-04-27 23:27:20 | Weblog

  まあ、いきなり「すごいね。」じゃあ、何のことかわからない。
あの日本三景の一つ、松島海岸のクルージングの時についてくるかもめさんのこと。

 もう、船が動くまでは近にいてじっとしている。船が出ると着いてくるのだ。その時に「かもめのえさ」なるものが売っていたのだが、たまたま手にしていた「うまか棒」をあげることにした。

 とにかくかもめ達は人間の食べるものが大好きらしい。


ナイスキャッチ

 空中に投げちゃ、「ナイスキャッチ」

 


お行儀良く・・・

 海に落ちちゃ拾い・・・

 


お菓子の残量が分る

 お菓子があればあるだけ最後までいただこうという根性の持ち主達。

 極めつけは1枚目の写真、お菓子を手に持ってボウッとしていれば、このようにかんで持っていってしまう。

 観光客の立場でいると、これがまた楽しいんだぁ。

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こわさって…

2008-04-26 23:53:54 | Weblog

 写真は千葉県館山市の日本寺境内にある「地獄覗きである。」ゆきたんくのサイト「幸たんく」を見ていただいている方はご存知だと思うが、ゆきたんくは高所恐怖症である。任天堂64が流行ったころのボンバーマンで、ボンバーマンが雪山の頂上にたどり着いた時のテレビ画像を見たときに眩暈を起こしてしまったほどである。 


横からみた地獄覗き

 地に足が着いた状態であれば、強いゆきたんくである。上にあるような写真が撮れるのである。


地獄覗きの策から

 この写真は自分では撮れないので義兄に撮っていただいた。写真で見ても怖いゆきたんくである。きっと自分では撮ることができないはずだ。


実は遠くから撮った地獄覗きの先端

 この綺麗な景色は地獄覗きから撮った。といったもその突端からは数メートル離れたところである。
 このように高いところは怖いのである。しかし、次の写真は、飛行機の中からゆきたんくが撮影したヨーロッパ付近の写真である。北欧辺りが写っているのだろうか。

 高度は8万メートルくらいだろうか。たった10mでも恐怖心を感じる人間が、飛行機に乗り、高度が最高10万m達しても恐怖を感じない訳を考えてみた。

 
スウェーデン上空(多分)

 地獄覗きで地上30mくらい。ゆきたんくは10mでも怖い。テレビでやっていた「チキン決定戦」で飛び込み台から飛び降りるのなんてとんでもない。高いところ、危ないところは自らの意思で近づかないようにすることはできる。ところが飛行機は1回乗ってしまったら、自分ではもうどうにもならないのである。

 10mの高さから落ちても、10万mの上空から落ちても結果は同じだ。もうお任せするしかない状態になると諦めの境地になるらしい。そして上にあるような写真を撮ったり、窓から景色を楽しむ余裕ができるのだ。

 あれこれ余計なことを考えたり、できないことを悔やんだりするよりも、今できることを精一杯やることがいかに楽しいか。枯淡の域という言葉があるが、これこそ人生のエキスが詰まっていることを指すのではないだろうか。

 結局、怖さって自分次第なのである。

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こんな碑が…

2008-04-25 23:56:41 | Weblog

 息子の陸上競技の練習を見た帰り道沿いに碑を見た。そして説明の標柱を見たら、「かわうその碑」とある。なんとも珍しい碑だと思いながら車を降りて覗き込んだり、写真を撮ったりする。


標柱である

 かわうそといえば、川や湖にいて、茶色い体をし、水中で活動するという印象がある。そんじょそこらにいる気がしたが、調べてみるとわが日本では四国の一部を除いて絶滅している。よって特別天然記念物にしてされている。

 標柱には碑の由来があった。「ここ沼南に居を構えた廣瀬佐惣治が弟とかわうそを供養するために立てた碑」とされている。その昔、かわうそも今ほど少なかった訳ではなかったろうから、想像ではあるが、佐惣治の弟と弟がかわいがっていたかわうそを供養したと考えることはできる。


かわうその碑

 しかし史実「沼南の歴史を歩く」という本によると、かわうそを殺した家人が早死にをしたので、両者を哀れんで碑を立てたとある。昔のことで祟りが信じられていた頃のことであれば、説明に納得はする。

 とても珍しい意味合いのある碑である。

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熱波

2008-04-24 23:51:30 | Weblog

 人が倒れている。
場所はウォーター・ルー駅の構内である。
倒れているのは初老の女性で、連れの男性が雑誌で扇いで風を送っている。
しかし、そんなことは役には立たないだろう。

 気温は38度を超えている。
時は2003年8月9日、駅の時計は午後4時38分を指している。
駅構内の空気が、あまりの暑さのために澱んでいる。
普段は大人しくしているはずの埃たちが辺りを闊歩しているのだ。
初めての渡英し、その日のうちにロンドンのヒースローからポーチェスター(ポースマス)へ移動し、ゆるい右回りの楕円書いて観光をしてきたので、ある意味初めてのロンドンである。
 ここ数日、35度を超える気温に体が疲れているのが分る。


ウォーター・ルー駅構内

 例年ならば気温は8月でも20度ちょっとと聞いていたので避暑旅行になるとたかをくっていたが、とんでもないことになってしまった。救いだったのは、冷房がついていないと聞いていた、レンタカーに冷房がついていたこと。まあ、夏でもそんなに暑くはないから問題はないと聞いていたが、今回ばかりはうれしい誤算である。
 ヒースロー空港のレンタカー受付の兄ちゃんからはトヨタがあるよと言われていた。店舗に行き、店員から好きなのを選べと指を指された場所はグレードCの駐車場。トヨタなく、殆どがプジョーであった。初渡英を果たしたその日、すでに気温は36度あった。選んだ車に乗ると、エアコンがついていたのである。それから4日間は車の中は快適であった。なんとホテルにも冷房はついていなかったからである。

 女房ののりたんがホテルを探してくれた。それはヴィクトリア駅から歩いて10分の所というのを歩いて10分と勘違いしたために、約1時間の散歩が始まった。

 


感動したビッグ、、、、ミネラル・ウォーター?

 ウォーター・ルーからヴィクトリアに向かうと言う事は、ウエスト・ミンスターを通るということである。テムズ川沿いにそびえる国会議事堂や、その北端にあるビッグ・ベンを見て感動するコースである。あの中学校1年生の時の英語の教科書にのっていたトムとナンシーの会話の脇役で出会ったビッグ・ベンの本物に会えるのである。

 ところが、初めて見るビッグ・ベンよりも川の柵の上に置いてあったミネラル・ウォーターに感動してしまった。理性を狂わせる暑さであったのだ。途中にスコットランド・ヤード(警察)やチャーチルの銅像があったが目に入らなかった。10分で着くはずのホテルが全然見えてこないのである。日は西に傾いているというのに、その輝きはギラギラのままである。ここはイギリスなのに、なんでこんなに暑いんだろうと考える余裕もないほどである。途中道行く人に片言の英語で尋ねながらお目当てのホテルは見つかった。

 ヴィクトリア駅のすぐそばのイブリー通りにあるその名を冠したイブリー・ホテル。
すぐに水のシャワーを浴び、一息ついた。テレビをつけるとどの番組でも同様の言葉が聴けた。

      「ヒート・ウェーブ・・・・・・・・」


イブリーホテルの窓からの景色

 ホテルの窓を開けっぱなしで寝た。久しぶりによく寝た感じがした。目が覚めてみた景色がこれである。朝の7時であるが、この日も太陽は頑張る予感がした。

 2003年、ヨーロッパの熱波である。フランスで老人が10000人亡くなったというニュースは帰国後に知った。その原因が地球温暖化にあったことが分るのはその3年後のことであった。

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その昔・・・

2008-04-23 23:01:40 | Weblog

 その昔、古墳時代があった。
 地域地域の長が集落をまとめていた時代のことである。
 その長の墓は古墳であった。
 有名なのが大きな前方後円墳である仁徳天皇陵だ。
 社会科の教科書に載ってたり、古墳関係のサイトに使われたりすることが多い。

 この古墳というのは意外に身近に存在するものである。
 学校の中にあったり、公園の中にあったりする。
 そのどれもが調査発掘済みのもので、かつての存在理由がわかるようになっている。

 写真の古墳であるが、いつも何気なく通っている道路沿いにあったのである。
 傍には史跡の表示があった。
 「墳頂部は後世の攪乱によって変形が著しい。昭和初期に東大で発掘調査行ったが、明確な内部主体は見られず、僅かに土師器片が出土したにすぎなかったという。」と記されている。


古墳の頂部分

 かつては古墳であったことが分るが、その正体が分からないというのは実につまらない。この古墳のあった地域の村落の構成や領地を治めていた者が分らないというということである。

 まあ、第二次大戦の戦時中に作られた施設はどんどんつぶされているが、このように「かつてここに古墳があった」ということが分るだけでもありがたいかもしれない。

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信仰

2008-04-22 23:17:33 | Weblog

 学制より遅れること1年、日本では「信教の自由」が保障され、キリスト教禁制が解かれたのが明治6年(1863)。ニコライ大司教(ギリシャ正教)の布教活動が北海道函館市より始まり、千葉には明治8年に教会が設置され、その後明治12年に手賀に教会が設置された。(写真…旧手賀教会)

 写真をみて分るとおり昔ながらの茅葺の建築物で質素なつくりである。敬虔な信者は教理に従って信仰を貫くという。このところ新築される教会などを見ているとヨーロッパの教会のように尖塔を持った造りの教会が目にとまる。ドイツのケルン大聖堂にある双塔の尖塔や、イギリスはイングランドのソールズベリ大聖堂の尖塔は、あくまでも、神にできるだけ近づきたいという思いが造らせたものである。
 実際、ソールズベリ大聖堂は、最初尖塔はなかった。信仰を重ねるうちに、「神に近づきたい」という思いが高まり、尖塔建築につながったものだ。


旧手賀教会縁側

 このつくりを見ていただきたい。縁側である。穏やかな日の光に包まれて余生を過ごしている老人が見える。老夫婦がお茶を飲みながら談笑しているのが見える。何の変哲もない、日常がこの教会に見えることから信仰が生活の一部であったに違いないことを感じることができるのである。

 あるカトリックの司祭(神父)が言っていた。
 「信仰というのは教理に基づいて、信仰の道に入る、すなわち入信することである。」
 「教会というのは、元々は父(イエズス・キリスト)の元に集まった兄弟姉妹(信徒)のことであり、建物を指すのではない。」
 「入信した後は、教理に基づいた生き方の実践と日々の反省の積み重ねが大切」
「信仰とは生涯学習であり、信仰学習を続けること」

 その信仰学習の場として、建物の必要性が生まれたという。学習時の雨をしのぐことくらいはばちが当たらないだろうとのことである。

 信仰とは姿形のあるものではなく生き方なのだ。

 

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出会い2

2008-04-21 23:52:56 | Weblog

 4/19の「出会い」では、その偶然性について尊いことだと述べた。昨今では逆にインターネットの発達や携帯電話所持者の低年齢化による「出会い系サイト」犯罪の増加が見られる。「出会いがあれば別れがある。別れは新しい出会いへの始まり」と夢を持った出会いを語ることが出来ない世の中になってきている。 年々出会いの質は落ちているが、その実質は出会いに関わっている人間の質が落ちてきているからではないだろうか。
人間は文明を培うとともにルールを作り、その中で生きていくことで常識を作りあげた。その常識を守ることで我慢という術を身につける。
 これがストレスを産む。これは理性や経験によって上手な対処法を生み出すに至っているのが今までの世の中であった。しかし現在では我慢の限界を超えているのか、ストレス耐性が弱くなっているのか。どう考えても説明のつかないような事件が発生するのである。
 普段、理性で抑えている精神を開放することは健康には欠かせない。問題は精神開放の方法なのだ。常識の範疇を外れれば、世間様からのブーイングをいただくことになろうし、違法行為になればペナルティを払うことは当然である。 「人を殺してみたかった。」なんて理由の元に起こったバスジャック事件などは記憶に新しいのではないだろうか。これはただ、キレている状態である。表面的には激しくはないがこれはキレているのである。
 本当の意味での我慢をしてきていないのでストレスの矛先を他人に向けてしまうのである。
 「食べ物のせいだ。」「教育のせいだ」といろいろ言われてはいるが、その根本は、三つ子の魂百まで(家庭教育)にあるのではないだろうか。

 「出会い」という言葉が、本来の意味を失い、インターネットサイトではウィルスソフトのフィルターにかかる。悪い言葉の代表格のようになっている。

 出会いを良い言葉に戻したいなぁ。

 写真はゆきたんくを除いたゆきたんく一家である。
 出会いの賜物の一つである。

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大きな施設

2008-04-20 23:32:00 | Weblog

では、久しぶりにインドネシアネタで・・・

ジャカルタ観光は大きく分けて3つ。中央部と南部と北部。
 義兄が、ジャカルタ北部に行こうというので、バハリ海洋博物館をリクエストした。義兄も北部にあるカフェ・バタビアに行きたいというので、昼食そこに決めて出発した。
  ジャカルタ市内を北上していくうちに建物の様子が変わってきた。義兄から華僑が多く住んでいるから建物もチャイナタウン的な感じだと説明を受けた。そして雰囲気がだんだんに貧しくなっていった。昔から貧しい人たちが北部の港の辺りには住んでいることを聞いた。博物館周囲には、みやげ物やもあるにはあるが、売り物の中心は日用品のようなものであった。


みやげ物屋? それとも雑貨屋
博物館入り口の対面の店である。

しばらく行くと、写真にあるいかりが目に入った。博物館入り口である。年季の入ったいかりが目印である。


博物館入り口のいかり

 中では船の模型や、歴史的な写真を見ることができた。中は広く使われており、展示品は点在しているように見える。なんせ博物館の長さは170mもあるのだ。
 それに見学客は私と義兄と長男のおーちゃんだけであった。普段は客なんて珍しいのだろう。ガイドさんが張り切って、案内をしてくれる。貸切状態な上に日本語も堪能なのでずいぶんと楽しめた。

 その中で一番印象に残っているのが旧刑務所である。ガイドさんの話では、悪事を働いた者はこの写真中の建物に服役させられたのである。建物の周囲が水なのでなかなか逃げることができないという。今では写真にあるように水溜り(海につながっている。)の上を親子で遊んでいるような光景が見られるが、ここが刑務所の現役だった頃は脱走した時点で命が消えるような状況だったという。
 


旧刑務所

 博物館はかつて東インド会社の香辛料倉庫だった。港も近く、この辺りでは、1番か2番目に大きな建物である。1942年には日本軍が物資を保管する倉庫として使っていたという。日本ではかつて軍が使用していたおきな建物は、学校などの公共施設になっていることが多い。文化的な施設として生まれ変わっているならばよしとしよう。

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出会い

2008-04-19 23:43:59 | Weblog

♪出会いはいつでも 偶然の風の中~♪
 とさだまさし氏は「天までとどけ」という歌の中で歌っている。ゆきたんくも同感である。
今、自分の身の回りにいる人たちとのかかわりを考えると「数多くの偶然の重なり」であることに気づく。

  自分の人生を考えてみると、生きてもたかが7~80年である。その短いスタンスの中に重なり合う偶然。実際に卑弥呼や、ダビィンチは過去の人間だし、バロック音楽好きであっても生バッハに会うことはできないのである。
 そして日本に生まれたこと。 世界には192(日本が承認している国の数191か国と日本)の国があるのに、日本に生まれ育ち、現在ある一都市に生活しているという事実。日本の地方、同じ都道府県、同じ市町村・・・。学校の子供達はどうだろうか。同じ学校、同じ学年、同じクラス。
そして、その時代の背景を考えなくはならないだろう。
人との出会い、場所との出会い、物との出会いによって人生とは大きく変わるものなのだろう。
ヘレン・ケラー女史がサリバン先生と出会わなければ・・・。
ヨハン・セバスチャン・バッハが音楽一家に誕生しなかったら・・・。
長島茂男氏が野球のない国で生まれたら・・・。
 時間・場所・機会(TPO)が三位一体となって人生は動いている。
 人との出会いが多く語られるけれども、自分を取り巻く全ての事象が出会いなのだろう。
今いる自分って、何億分の一の確立で誕生したキャラクターなのだろう。
例え、それがかっこよくても悪くても、宇宙で唯一の存在なのだろう。
それを思ったとき、自分を尊く思えるのなら幸せなんだろう。

そう、ゆきたんくも女房と知り合わなければ、息子たちには会えなかったのだ。

出会いって素晴らしい。

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にゃん

2008-04-18 22:47:53 | Weblog

 我が家の次男、司以来の家族の増加はにゃんの登場であった。
そして、それは唐突に訪れた。
ゆきたんくは猫が大嫌いであった。だって笑わないんだからね。そして欠伸をすると耳まで裂ける口が怖かったのである。
飼うなんてとんでもなかった。

 10年前のある日、帰宅時に出迎えてくれた子猫に「なんだ、これは?」と目が点になった。
女房ののりたんの職場の近くに捨てられていたんだそうだ。
5匹いた中から一番器量のいい奴を持ってきたんだと。まっ確かにニャンは美猫である。 生き物一匹飼うのに、十数年は一緒にいる覚悟はいる。一言「だめだ、俺が猫嫌いなのを知っているだろう。」と言おうとした時、玄関の隅にあるネコトイレ、トイレに入れる砂、餌の袋、食器、ネコのおもちゃが目に入った。そして当時、小学校入学前の次男つっくんが、「パパァ、飼ってもいいでしょう。」とかわいい声で言う。
 思わず「いいよ」と言ってしまったゆきたんくであった。


我が家に来た当時のにゃん

 

我が家に来た当時のニャンである。これは拾ってきた日の夜に(ゆきたんく以外の誰か)写した写真である。


足にかぶりつくにゃん

 その当時のにゃんは、動くものを見れば、飛び掛っていく。そして口を一杯に開き、目標にかぶり付く。一生懸命に噛み噛みしているのである。ゆきたんくもやられたが、子猫は歯が細く針のように尖がっているのである。そのチクチク痛いこと。後でみたら歯型がついて点々と血も出ていた。ごろっと横になって本を読んでいても足先がちょっとでも動くものなら飛んできて噛み付くのである。

 


ドーナツ枕にはまって寝ているにゃん

 これはドーナツ型の座布団の穴の部分にスッポリとはまって寝ているニャンである。ゆきたんくのこぶしが一つ入る程度の小さな穴が心地よいようだ。大きなあくびをするとまず向かうのがドーナツ座布団。しばらく穴の周囲に体をこすりつけてから眠りに入るのがきまりであった。

 そのにゃんも10歳、人間で言えば60過ぎのおばあさんである。

 

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相性

2008-04-17 20:53:38 | Weblog

 先日、ゆきたんくの家にすんで10年になるネコ達(にゃん夫婦)について載せた。そして女房の職場の同僚であった女性が飼っていたネコが、その女性の帰国(中国の方)に伴って、ゆきたんく一家の一員になってしまった(ミー2歳オス)のである。しかしなあ、うちのネコ達はゆきたんくを見ると蜘蛛の子を散らしたように、逃げるんだよなあ。おりゃあ何もしてねーぞ(怒)

 一方、鳥さんである。唐突に鳥さんじゃあ分らないのでもう少し。
ゆきたんくは、母方の田舎で飼っていた文鳥の子供をもらって育てたことがある。この文鳥の名前が桜文鳥のジロー、ジローの妻で白文鳥のポコ、ポコの弟で白文鳥のペコ、そして途中から居候になった桜文鳥のチコである。居候のチコはゆきたんくが通っていた小学校の近くを飛んでいた時に、疲れ果てて捕まっていたのを「俺が育てる」と言って連れて帰ったものである。鳥かごを用意し、餌を入れた。10分間もの間、餌入れに頭を突っ込んだままで食べ続けた姿を今でも覚えている。

 チコを除いて、全て手乗りであった。みんななついてくれて、特に恋の相手がいないペコはゆきたんくの手の傍でくちばしを鳴らし、歌を歌いながら求愛のダンスをしたものである。チコは手に乗ることはなかったが、ゆきたんくの帰宅を待ち、帰宅を喜んでくれた。ゆきたんくが寝る時は籠の外に出すと、枕の端でずっと寝ていた。今考えると、まだ稚鳥であったチコはゆきたんくを親だと思っていたようなふしがある。飼われるまでの間に、インプリーディングの機会がなかったのかもしれない。

 そのチコもゆきたんくが小学校5年の時だったと思う。4日間母の実家に行って家を空けた時に父が水を取り替えようとして籠の扉をあけた瞬間に飛び去ってしまったという。多分私を探しに行ったんだろう。

 まあ、長くなったが猫との相性は悪いみたいだが、鳥との相性は良いということを言いたかったのである。場所は日本三景の松島でのことである。松島海岸駅で降車し、駅前の観光案内所に行ったら、軒先にツバメの巣があったのだ。


松島海岸駅前観光案内所

 近くには観光客が群がり親鳥が近づけない状態でいた。巣の中には雛がいるようなので、写真を撮ったゆきたんくである。


大人しい雛達

 ところが、すぐに今まで近づかなかった親鳥が餌を与えに近づいてくるではないか。雛たちは黄色いくちばしを開けて大きな声で鳴き、餌を欲しがり始めたのである。


賑やかな雛達

 その様子を見て写真を撮り、その場から遠ざかり始めると親鳥は再び観光客と距離をおいたのである。これってゆきたんくが鳥と相性のいい証拠かもしれない。このことについては今まで人に語ったこともなければ、その時近くにいた職場の同僚にさえ言っていない。ずっと温めていたテーマであったのだ。

しかし、家の猫はなんでなつかないのだろう…

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感覚

2008-04-16 23:58:50 | Weblog

 普段私たちが何気なく使っている電話は大変便利なものである。距離とか移動時間を気にせずに用を足せる便利な文明の機器である。まっ今では自分の大切な時間を浪費するために使っている方々が多い気がしないでもないが…

 そして、電話の便利さと裏腹に怖い部分は相手の顔が見えないことである。今ではお互いの顔を見ながら話をできるテレビ電話というものも登場してきているようだが、まだ多くは顔の見えない電話であろう。
 顔が見えないことの怖さというのは、相手が目の前にいる緊張感から開放されている状態なのである。  例えば、恋に悩み、相手に自分の気持ちを伝える時でも電話だとできてしまうことがあると聞く。常識的な抑制力が働かなくなっているからである。喧嘩をするにしても、相手が見えないものだから言いたいことを言い、エスカレートすることだってある。便利さを良しとして肝心のことを忘れてしまっている輩が多くなってきているのではないだろうか。


 先日のことである。某業者から電話がかかってきた。日曜日ではあったが、差し迫った仕事を自宅でしていてた時のことである。ゆきたんくさんでいらっしゃいますか?こちらは***********のKと申します。ワンルームマンションの経営についてお電話させていただきました。
       私は「あまり興味ないので結構です。」と申し上げた。
      間髪入れず、 「あっ、一戸建てですか賃貸ですか。」

 私の返事に対して、何も感じていないのだろうか?
 休日の午前中に電話をかけてきて矢継ぎ早な話を続けるのである。
 「お休みのところ失礼します」とか、「今お話を聞いていただけますか」とか、「今、お時間よろしいですか」とか、営業マンであるのならばこの辺は常識であろう。
 一戸建てか賃貸かお聞きしているんですけれども。」不満そうな声で言われたのである。私は不機嫌そうな声で「はい?」と聞き返した。相手の声は聞こえているのである。聞き方に対しての返事であった。

 ちなみに我が家は一戸建てである。「はい?」と言った訳は、「一戸建てかマンションか」ということであれば答えたであろう。「賃貸か?」というのはまず常識的には聞かないはずである。まぁ、マンションでも賃貸のケースはあるとは思うが無礼な聞き方だと思う。それと休日の無礼な電話に腹を立てたからでもある。
 まして、「興味がない」と聞いた後、矢継ぎ早に物を言い、こちらの話を聞かないのであれば、それは話の強要である。
ゆきたんく  「申し訳ありません、あまり興味がないもので失礼いたします。」その瞬間、

業者「話を聞かないなんて失礼じゃないか!」と電話口で大声で言われたのである。

 ゆ「あなたは営業の方ですね。休日の午前中に電話をかけてきて、こちらの都合も聞かずに話を続けるとは何事ですか。加えて私は興味がないと申し上げました。あなたのために申し上げますが、今のような対応では営業という仕事は成立しませんよ。例え私があなたが薦めたものに興味を持っていたとしても、あなたのところでは頼まないと思いますよ。」

 それに対して謝罪どころか、
業者「私はあなたの老後を心配しているんです!その気持ちを分らないのですか!」

ゆ「あの、私はあなたのことを何も知らないのですよ。顔を見たこともなければ、話をするのも初めてじゃないですか。そのような方に心配と言われてもねぇ。」

業「あなたの仕事は○○ですね。だからそういう対応をするのですね。よ~く分かりました。」
 私はあきれた。先方はこちらの情報を調べて電話をかけてきているのは分かる。営業で自分に都合の悪いことを並べられると、こちらの仕事のことをあげつらい、だからそういう対応をするのだと言う。
    「申し訳ありません、失礼します。」私は電話を切った。 しばらくはムカムカした気持ちが治まらなかった。ワンルームマンション経営の電話は、いまだに休日になるとかかってくる。できるだけやわらかい対応につとめているが、前述した失礼な奴からもかかってくる。どんなに声色を変えても、本人だと分かってしまうのに、別人を装ってかけてくる。
 その時は「今、仕事中なので失礼しますと、すぐに切ってしまう。まぁ、顧客の確保に必死なのだろうが、性急すぎたり自分の常識に合わせて物を言えば相手は拒否するであろう。 まして、電話では相手の心は分からないものであることを理解しておかねばならないであろう。

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