伝えたんく

日々の何気ないできごとに感じた幸せ

鉄道第二連隊の境界標柱 1

2016-10-31 23:55:15 | 戦争遺跡

さて、昨日の投稿で陸軍第二連隊の教会標柱を紹介すると書いた。

 習志野市の千葉工業大学の正門から、松戸市の松戸市立第一中学校通用門までで訓練用軌道として敷かれていた鉄道第二連隊に関連する陸軍境界標柱について紹介をしていこうと思う。

 順序は逆ではあるが、ゆきたんくの住んでいる松戸市から習志野市に向かって紹介する。

 まずは陸軍工兵学校の跡地(現松戸市立第一中学校、聖徳大学、松戸市立相模台小学校、松戸中央公園、検察庁、裁判所、法務局が建つ)の周囲には10本を越える境界標柱が残されている。

そのうち鉄道第二連隊の軌道敷に関する標柱は1本しかない。



場所は国道6号線の近く。


コンクリート製で基礎から折れて転がっていた。 2007.08.25 → 
Map


2013.12.14の写真。 標柱の「陸軍用地」の「陸」の部分から折れている。

 
松戸工兵学校(松戸第一中学校通用門)から上本郷駅までの軌道敷跡
オレンジの印が境界標柱のある場所 


 現在の新京成線の上本郷から松戸駅までの軌道は会社のオリジナルである。

この区間で確認した境界標柱はこの1本だけである。

なお、松戸胡録台郵便局から南東に向かって県立矢切特別支援高等学校まで伸びていた軌道敷跡もあるが、私有地を含むため別に扱う。

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新規

2016-10-30 23:24:07 | 戦争遺跡

新しいのを見つけた。

場所は松戸市。

陸軍工兵学校のあった所だ。

見つけたのは陸軍境界標柱である。

鉄道第二連隊の軌道敷跡が新京成線沿線からずれているところである。


 


太い線が新京成線。細い線がショートカットされる前の鉄道第二連隊軌道敷跡。 

白い矢印の所が今回見つけた陸軍境界標柱のある所 → Map


 かつての軌道敷跡では10本の境界標柱を見つけている。

千葉県立松戸特別支援学校の周囲での発見がないので、その付近がアバウトではある。

数年ぶりの発見だが、職場での飲み会の帰りに通った道にそれらしきものが見えたのを後日確認した境界標柱だったという訳だ。

戦争遺跡がお好きな方はすでにご存じかもしれなかったが、ゆきたんくの中では大変嬉しい発見だったのである。


 


陸軍特有の御影石でできた標柱


第二鉄道沿線にある教会標柱の頭に見られる十字。

 
県道51号線沿いにある標柱 


 かつての軌道の両側10mくらい外側に埋め込まれた標柱の一部である。

この機会に、鉄道第二連隊関係の標柱を紹介していこうと思う。

※ 現在仕事が忙しく、取材がままならないゆきたんくのごまかしでもあるが(笑)

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今日知った。

2016-10-29 23:45:33 | 音楽

ピコ太郎。

 ただ、単純におもしろい。



小坂大魔王ことピコ太郎氏。

 PPAP(Pen-Pineapple-Apple-Pen Official)”LONG” ver. ペンパイナッポーアッポーペン「ロング」バージョン/PIKOTARO(ピコ太郎)

 


そしてギネスの世界記録に認定おめでとうございます。

様々な意見があるが、動画再生回数が4億5千万回というのは凄い。

世界で通用する結果を残している日本のエンターテイナーだと思う。

たまたま職場からの帰宅中にナビのテレビで見ることができたのである。

ラッキー。

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ちゃんちゃこ

2016-10-28 23:28:00 | 音楽

ふと空を見た。

「ちゃんちゃこ」

頭にその言葉が出てきた。



この形は・・・


 1970年代に活躍したデュオの「ちゃんちゃこ」を思い出した。

記憶喪失の方の記憶というのが、突然戻るというのはこんな感じなんだろうか。

もう何十年もの間、記憶の地層に埋まっていたはずである。

そう、「空飛ぶ鯨」という曲を毎日のように聞いていたことがあった。

きっとTBSの『ぎんざNOW!』だったな。

自分が中学生の頃の夕方30~40分間はテレビを見ていたな。

友たちの家で見たり、自分の家で見てそれからまた遊びに行ったことを覚えている。

そう、ちゃんちゃこの話だった。


空飛ぶ鯨 ちゃんちゃこ @3丁目カフェ20150613

 

 


 

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心残り2

2016-10-27 23:53:08 | 

さて、次の心残りは先日投稿したトリアーでのことだ。

ここには、「資本論」のカール・マルクスの家がある。

ゆきたんくが大変お世話になった神奈川大学の教授だった方が、学位論文をカール・マルクスで書いた。

その話に興味を持ったのはゆきたんくよりも女房ののりたんである。

ぜひ、ここには来たいとずうっと前から言っていた。

それがトリアーにあるとは全く知らなかった。

この旅でそれが実現する。

営業時間は18時まで・・・

まだ明るいのでよしと思ったが、トリアーに着いた時点で18時半であった・・・

ヨーロッパの夏の夜は明るい・・・


 


カールマルクス・ハウス → Map


レリーフ


博物館説明


 ここも宿題になってしまったが、ゆきたんくよりものりたんの方が残念であったろう。

いずれ、のりたんをここに連れていってあげようと思う。



のりたんとカール・マルクス・ハウス


 

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心残り1

2016-10-26 23:41:09 | 

2015年、ドイツ旅の目玉。

「シューマンハウスからライン川までの軌跡を追う」のはデュッセルブルフ在住の秋川高校の先輩のご協力で完遂できた。

ただ、シューマンハウスの営業時間をはずしてしまい、中に入ることはできなかった。

これは宿題である。

あたらにできた宿題は、ライン川に向けてゆきたんくと秋川高校の先輩2人の3人で寮歌を歌うことだ。



シューマンハウス。 → Map


シューマンハウスのシューマンとクララのレリーフの前で。 


 さあ、先輩かデュッセルドルフにいる間に行かないと・・・

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あれは悪かった。

2016-10-25 23:26:19 | 

トリアーの朝散歩から帰っての朝食。

そう、自室でのんびと過ごそうと思っていたのだが、ホテルアウルマンの受付でフォローしてくれた運転手のN氏の勧めで朝食を予約した。

N氏「ココハタマゴガアイシイヨォ」

ゆきたんく「それは楽しみです。」

結局食べたのはこれ・・・



並んでいるものから取って載せた。 2015.08.30


 いつも買い物で済ませたり、イギリス式のB&Bの朝食で済ませていて楽をしていたつけがここに出た。

まぁ、一番のなまけは言葉を勉強しなかったことだな。

周囲を見渡すと、日本人なんて一人もいやしない。

卵を食べている人もいたし、そうでない人もいた。

何かを聞こうにも、厨房に人影は見えない。

しょうがないので食事の写真を一枚撮って食事をした。

窓際に座ったので、窓からの写真を一枚撮って食堂を後にした。

50も過ぎた男がなんて情けないことだ。



ホテルアウルマンの窓から北西の風景。セント・ポールス教会の尖塔が見える。 → Map 


1年以上過ぎた今にこれを書いていて思ったことがある。

そこが日本だったらどう振舞ったかということだ。

1 以前泊まったホテルで同じ形式のところがなかったか。

2 厨房に声をかける。

3 周囲の客に聞いてみる。

これは日本だったら普通にしていることである。

さて、この場で2と3は自分の言葉に自信がないから躊躇した。

1はケルンのアパーテル・アム・ドムに泊まった時と似ていた。

この日やったように、主食とおかずを皿に盛る。

飲み物を選ぶ。

卵はそう、厨房の人が焼いてくれた。

慌てずに食事をして、お代わりでもしながら厨房に人が戻ってきた時に注文すればよかったのである。

こんな小学生でもできそうなことをゆきたんくはできなかったのだ。

なんと小心なことか。

課題は2つ。

言葉の勉強と、落ち着きである。

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あれは良かった。

2016-10-24 23:54:02 | 

独りぼっちで泊まったホテルアウルマン。



アウルマン玄関。右上の端の部屋(4階も壁が灰色)に泊まった。


 この玄関を出て、右に歩くと突き当たる。

そこには楽器屋さんがあった。

名前はMusikhaus Reisserだ。

ようするにミュージック・ストア・ライサーということ。

トリアー到着の初日夕方と、2日目の朝散歩で店舗を覗いただけ。

中に入りたかったなあ。


 


突き当りの1階がライサーだ。 軒の辺りがピアノの鍵盤模様になっている。 → Map


city-initiative-trier.deというサイトからの借り物です。


この写真にあるような楽器たちをガラス越しに見ただけである。

 営業時間に訪れたかったなぁ。

触りたかったなあ。

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おおっ

2016-10-23 23:32:15 | 

トリアーの街中を散歩した。

ドイツ最古の都市、トリアー。

一緒に旅行をするはずだったОさんの企画だが、彼女は具合が悪くて来れない。

その彼女の代わりにゆきたんくと女房達がトリアーを訪れた。

トリアーに着いた夜。

もう一人で自由行動して良いということで、インペリアル・バスを目指した。

カイザー・テルメンと呼ばれているローマ風呂の跡である。

結局その日はたどり着くことが出来なかったのであるが、こんなものを街中で見つけた。



どうみても日の丸である。


 この近くで、周囲を見渡したが日本関係のものは見当たらず。

何だろうと思いながらも、日の入り時刻が近い(この時、20時12分)のでホテルに戻る。

朝散歩で確認できないか。

次の日の朝、カイザー・テルメンとバルバラ・テルメンの2つの史跡をメインに見に行くことにしていた。

まずはカイザーテルメン。

その帰りに見つけた。

これだ。



入れ墨のスタジオである。だから日本だったのだ。 → Map


 

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どこだ・・・

2016-10-22 23:13:58 | 言いたんく

2004年の山陰旅行。

島根県出雲市では出雲そばを食べたくて「そばの加儀」という店で旨い出雲そばを食べた。

そこから後は島根インターハイを見るために浜山運動公園に向かう。

出雲市駅の近くを通り、途中で通った道に「塚山古墳」という小さな古墳があったがその場所がずうっと分からなかった。

グーグルマップで検索をかけても出て来ない。

出雲市内の史跡に関する様々なサイトを見た時に手がかりになる文が一つ見つかった。

「本町商店街のはずれにある」とのこと。

 

「塚山古墳」を見つけた時のことである。

まず運転する自動車からは不思議な建築物が目に入った。



なんだこれ。(帰宅後階段の下から3/4くらいの左側に「塚山古墳」という札があるのに気づいた。)


鍵のかかっている扉から中を写した。石室のように見える。 


 2004年当時はマップファンウェブでブックマークしていたが、ピンポイントではなかった。

多分この辺りということで妥協したのだと思う。

今回見つかった場所から直線で60mばかり離れていた。

主な道路に出るための道が分からずに、たまたま通った場所で見つけたかわいい古墳。

グーグルマップ検索でも見つからなかった古墳。

ヒントになる文から見つかった訳だが、最初の頃はそうした作業が多かったことも思い出した。

さて、その場所である。

塚山古墳 → Map

ここはグーグルマップの「地図に載っていない場所を追加」する機能を使って登録中である。

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鳥取で

2016-10-21 23:25:23 | 言いたんく

鳥取で地震が発生した。

 震度6。

さきの熊本の自身が思い出される。

状況が心配だ。

北栄町に倉吉。

初めて鳥取に行った時にお世話になった「しあわせひょうたんの宿 旅館 水郷」の近くだ。

距離にして5㎞ほどしか離れていない。

近くに東郷湖という湖がある、旧町名「羽合町」というハワイと姉妹都市だった町だ。

ゆきたんくが行った1か月後に市町村合併で湯梨浜町に名前が変わった。

その東郷湖の水は溢れていないだろうか。

3.11の時には、学校のプールの水が半分ほどこぼれてしまうほどの揺れだった。

あの楽しかった旅行。

やさしくもてなして下さった旅館の方々。

地震の被害に遭われた方々の無事を祈りたい。


 


宮本神社横の風景。 → Map

 


通りのモニュメントと長男のおーちゃん 


 

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牛?

2016-10-20 23:33:04 | 言いたんく

今日は上野動物園に行った。

西園にあるこども動物園。

その中にいらっしゃった。



れっきとした豚さんである。

 

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30万

2016-10-19 23:34:27 | 言いたんく

拙ブログ、「伝えたんく」の訪問者トータルが今日を持って30万を超えた。

リピーターの方々がどれくらいいるのかはよく分からない。

ただ、単純に嬉しいのである。

小さいながらの積み重ねではある。

来て頂いている方々には感謝の気持ちしかない。

2006年の3月23日に始めた。

2007年の10月3日からは、遅刻はあるがほぼ毎日更新している。

コンセプトは拙サイト「幸たんく(ゆきたんく)」の「自分をものさしにした幸せ」である。

何を書こうが自由。

人がくだらないと思ったものでも自分が気に入ればOK。

そのスタンスだから続けられたのだろう。

もっとも読んだ人を嫌な気持ちにさせるのはまずい。

これからもよろしくお願いいたします。

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20年

2016-10-18 23:07:26 | 言いたんく

親父が亡くなって今日で20年が経つ。

 先日東京品川の大井町に同窓会で出かけたが、実家跡には寄らなかった。

ゆきたんくが父母と3人で過ごした家屋はもうないからだ。

ゆきたんくの記憶に残っている3人で過ごした思い出・・・

大井町よりも、4歳まで住んでいた中延の4畳半でのことを思い出す。

キャラメルのおまけだったと思う。

カプセルのおもちゃで、半分をつまむと残り半分が空気の力で飛び出すようなやつだ。

親父が何回も、やってみせてくれたのを覚えている。

自分がやって上手く行くと親父は笑っていた。

数少ない記憶に残る職人親父の笑顔である。

ふと、今日こんなことを思い出したのだ。

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もう一つのエルツ城

2016-10-17 23:22:22 | 

ドイツ旅行で印象に残った城にエルツ城がある。

周囲をエルツ川の円形の流れに囲まれた小高い立ちに城が建っている。



エルツ城  Map 


 まあ当時のヨーロッパにおける権力争いの舞台になった場所でもある。

 駐車場から城まで往復には無料バスが出ているのだが、運転手のN氏の提案で行きは歩くことにした。

正解だった。

あまりに急な坂なので、走ることは不可能である。

転げてしまうからだ。

これならば急な襲撃は無理である。

城の周囲は川。

そして城の建っている台地部分まで登るのも大変。

上手く考えたものである。

おぉ、あそこに遺構がある。

ゆきたんくは勝手に城を守るための施設思っていた。

ところが・・・ 


 


トゥルッツエルツ城。 → Map


ドイツ最古の都市、トリアーの大司教兼選帝侯を務めたバルドゥインが領土を広げようとしたことから始まる。

その中で、エルツ城を攻めた歴史があった。

エルツ城の前方の高台に砦を築き、投石器で城を攻撃してエルツ城を兵糧攻めにしたという。

それは2年間に渡り、エルツ城は降伏した。

この砦がのちのトゥルッツエルツ城になる訳だが、エルツ城が降伏したことにより、存在意義を失くし自然に任せて荒廃したという。

それを知って、この遺構を見るのとそうでないのでは大きな違いがある。

勉強不足だった。



エルツ城門から見た、トゥルッツエルツ城。 


 

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