伝えたんく

日々の何気ないできごとに感じた幸せ

常識

2007-11-30 21:41:04 | 言いたんく

ゆきたんくは常識的な人間か?
自己評価はノーである。
常識的な言葉を操って、常識的に振舞うことは良いことなのだろうが、自分にとっては居心地が良くない空間が生まれるからである。

人に合わすことが余り好きではない。人に合わすことは自分を殺すことだと考えている。もちろん我(が)を殺すこととの違いは分かっているつもりだ。

このあいだ美味しんぼの第百巻で青森県の蕎麦について書かれていた。

 江戸前の蕎麦は三立て(挽きたて、打ちたて、茹でたて)が旨い。

ゆきたんくは東京の出身で親父が連れて行ってくれた蕎麦屋での話を思い出すと同様のことを言っていた覚えがある。
美味しんぼでは「津軽蕎麦」の美味しさについて書かれていた。
 食べる前の日に打ち、朝茹でて、午後過ぎに食べるという。
昼過ぎではない、午後過ぎである。と言うこと昼から夜にかけて食べているということだ。
 小麦の栽培の少ない青森県では、そばを食べるために二つの工夫を考えた。
 一つ目はソバガキを作って一晩寝かせた「コネリ」を使うこと。
 2つ目は栽培の多かった大豆を使うこと。
コネリと大豆のグルテンで蕎麦のコシを出そうとした訳である。
そして津軽そばの美味しさは出汁の素晴らしさにあることも書かれている。

そういえば、蕎麦通の振りをして出雲蕎麦を食べたことがある。
出雲市の北部にある「そばの加儀」である。割り子に蕎麦が入っていて、だし汁をかけて食べるというので変な蕎麦だと思っていた。
いざ店で注文し、出てきた蕎麦は色は黒っぽく、ザラザラしているように見えた。
しかし、だし汁をかけて一口すすろうものならば、あっという間に割り子3つを食べてしまった。斜め向かいの席にかけていた初老の男性が言っていた「割り子は5つにすることもできるんだよ。」を聞いておけばよかった。
きっとゆきたんくと長男のおーちゃんの体を見て、デフォルトの3つじゃ足りないと思って親切心で言ってくれたんだろうなあ。出てきた蕎麦は黒く、色から想像できる味とは違い、香りが立ち、出汁も蕎麦の味を引き立てる濃さで割り子を何枚でもおかわり出来そうだった。

青森と島根。本州の両極ともいえるこの県と中央に位置する東京で蕎麦の作り方や味が違うことは当たり前である。それぞれの好さがあり、それがその土壌に適した環境が作った味とも言えよう。触れ幅の大きい人間の感情よりも、郷土料理という普遍的なものを通してこそ常識は見えてくるのではないのだろうか。常識的と常識は違うのだ。

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本物は?

2007-11-29 22:57:49 | 

京都には、本能寺の変で知られる本能寺がある。
織田信長の最期の場所である。
ゆきたんくは旅行の際には、その土地にの歴史や建築物などについて予習する。(本来は勉強嫌いなのであるが)そしてさだまさし氏の歌の歌詞にある「地図にない町を探したきゃ、最初に地図が必要だってこと…」の如くB級スポットを探すのも好きなのである。ところで「本能寺はA級スポット」である。よって本能寺のことについては本などの資料をみれば分かると思い何の予習もしていなかった。

ゆきたんくの旅行中の習慣について述べよう。ゆきたんは旅行とあればツアーであろうと、自分で計画した旅行であろうと、無計画な旅行であろうと必ず朝の散歩をする。大体4時半ごろ起きて2時間半くらいたっぷと歩くのだ。冬などはまだ暗いが、夏ならば十分明るいし快適である。今日書くのは今年の正月に京都・奈良旅行でのことである。

マルコーイン京都(現コートホテル京都四条)を出て、西洞院通りを北に歩く。あらかじめ印をつけておいた地図を持参。オリジナルコースを頼りに歩くと目に飛び込んでくる新鮮な景色。当然カメラを向けるゆきたんくである。途中に記念碑のようなものがあるので覗きこんだ。碑には本能寺跡とある。「あれ、地図にある本能寺と違うぞ?」と思うと同時に新発見をしたような興奮が身を包んだ。

旅行後、本やインターネットで調べて見た。確かに織田信長の自刃の場所である本能寺であった。現在ある本能寺は1587年に移ったものだという。

誰の制約を受けることなく、自分だけの我がままツアーが可能なのが朝の散歩である。国内はもちろんのこと海外でも危険がなければやってみることをお奨めする。意外に知られていない本物が道の片隅にあるかもしれない。

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引退

2007-11-28 23:43:24 | 

定年という引退がある。
引退と言う言葉は割りと若いうちから自然に遣っていたような気がする。
部活動の引退がそれである。
「もう受験を考えなくてはいけないから…」、「夏休み前の試合で最後にする…」なんて結局は自分で決めることができるのが引退であった。

しかし定年という引退は、自分で引くのではなく、ルールによって引かされるのである。ルールだから守らねばならない。いや、守らされるのである。
若い頃親父が「自営業はいいぞぉ、定年がないらかなぁ。」と言っていたのを思い出す。実際病気をするまでは実年齢より十は若く見えた。仕事もバリバリにやっていた。

ゆきたんはく定年のある職業についている。ついこの間、息子が生まれたと思ったら来年はもう成人式である。20年経ってしまったのだ。そして定年までは13年ときているから、残りの仕事人生もあっというまに過ぎてしまう気がするのだ。

島根県に旅行をした時に、「旧JR大社駅」に寄った。とても素敵な造りである。しかし、駅舎というものは乗降客がいてこその駅舎である。1924年から1990年までの66年間頑張ったのに今は駅舎として機能していない。

ところが、引退した後は日本各地から見に来る人が絶えないそうである。地元駅として機能していた現役時代から、日本の名所旧跡として有名になった大社駅。

発想を変えて、引退は仕事という縛りから解き放ってくれるものだと思いたい。体の元気なうちに世界各地を周れるといいなぁ。

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おたく

2007-11-27 23:08:33 | 

旧マナースタジオ と ゆきたんく

ゆきたんくは、よく「おたく」と評される。ギターおたく、コンピューターおたく、陸上おたく、ラーメンおたくなどといろいろな言われ方をする。もちろん自分では「おたく」とは思っていないのだが…。

 「おたく」をウィキペディアでは「社会的認知度が高くない趣味に傾倒する人の一つの類型またはその個人を示す言葉」とある。 となるとそれが当てはまらなくもない部分も持ち合わせている。 その一つを紐解いてみた。ゆきたんくのフィバリット・アーティストにマイク・オールドフィールド氏がいる。 日本では映画「エクソシスト」のテーマ曲としてデビューアルバムの「チューブラーベルズ」の冒頭部分が使われた。アルバムは大ヒットした。1973年5月25日にリリースされ、イギリスチャート第1位になるのが1年3ヵ月後である。自身のセカンドアルバム「ハージェストリッジ」が1974年の8月に1位になったのをファーストアルバムが抜き返すというビートルズのようなこともやっているのである。そして1975年9月にチャート8位になったのが1けたの最後で1980年6月に89位という100位圏内を記録し、何と7年間に渡って売れ続けたのである。その収益が、現在イギリスに拠点を置く企業「ヴァージングループ」の発展につながっている。マイク氏もこのヒットで億万長者になった。

 ヴァージングループで一番大きな位置を占めるのがヴァージン・アトランティック航空である。今や世界的な企業家リチャード・ブランソン氏が趣味で立ち上げたレコードの通信販売から一つのレーベルにする時の第一号契約アーティストがマイク・オールドフィールド氏だったのだ。チューブラーベルズが売れ、収益が上がり、ヴァージンレーベルはヴァージングループに大成長を遂げた。リチャードとマイクの類まれなる天才同士が出会うことがなかったら、マルチプレイヤー、マイクオールドフィールドもリチャードブランソンも世界に名前を知られることはなかっただろう。

マイク・オールドフィールド氏はアルバム作りをする時、一人でいくつもの楽器を弾き、多重録音でロックシンフォニーを創り上げる手法を採っている。ゆきたんくもそれにあこがれて多少だが、楽器を弾き多重録音もする。最初に手にした弦楽器がマンドリンなのだが、それもマイク氏の影響である。

最後に大ヒットアルバム「チューブラーベルズ」が生まれた家を紹介しよう。イギリスはオックスフォードの西にあるShipton on cherwell(シップトン・オン・チャーウェル)という場所にマナーハウスがある。ここは1995年までヴァージンのスタジオとして使われていた。

ゆきたんくはここを訪れることをずっと夢見ていた。飛行機嫌いだったので夢で終わるだろうと思っていた。しかし、海外旅行でイギリスを訪れることになったため、すかさず計画に入れたのである。もちろん観光地ではないからレンタカーを走らせてのことである。ヒースローでレンタカーを借りてポーツマス、ウッドヘンジ、ハージェストリッジなど、マイクの曲名に関する場所を回り、どうしてもと訪れたのが写真に写っている建物である。かつてのヴァージン・マナースタジオだ。

ゆきたんくはおたくなのだろうな。

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白川郷

2007-11-26 23:18:14 | 

日本の誇る世界遺産の一つ、岐阜県の白川郷。実は今年の8月に友人と出かけたのである。合掌造りが特徴の、雪深い山の中にある集落がそうだ。  そしてここには泊まれる合掌造りの宿があって「伊三郎」という宿にお世話になった。気さくな女将さん、美味しい食事、耳に心地よいせせらぎ。何をとっても都会ではお目にかかることのできないリラックスした空間がそこにあった。白川郷とお世話になった「伊三郎」についてはいずれ幸たんくで紹介することになるので、普段はお目にかかれないが心に残ったことに触れたいと思う。幸たんくの月別挨拶でも扱ったことがあるが、ここ伝えたんくでもあらためて取り上げたいと思う。

白川郷というと高台から見た集落の並びの美しさや、夜に雪中で三角屋根に明るく光る窓といった風情が一般的な情景として皆さんの頭の中にあると思う。もちろんゆきたんくもその風景を求めて(夏の旅行だから雪はないが)いたことは確かである。ところがそんな期待を上回るものに出会ってしまったのである。

ゆきたんくが旅行に出かける時には、必ず朝の散歩というメニューがある。例えばツアー旅行であっても、同行客に迷惑をかけることなく、自由に行動できる時間帯だからである。今回は仲間内の自由な旅行であったので、前の晩からウキウキしていた。お世話になった「伊三郎」さんは合掌集落のある荻町中心部ではなく、城山展望台(合掌集落全体を見渡せる場所…旧荻城址に当たる)近くの高い所にある。展望台にまっすぐに行けばいいのに、わき道があると入っていってしまうのはゆきたんく習性なので仕方がない。さすがねずみ年の男である。この辺りは基本的には稲作地帯。しかし土地の落差があるので棚田で稲を育てている。その棚田の途中にあったのが写真の農機具庫である。

 さすが白川郷。農機具庫も合掌造りである。まぁ、当たり前のことなのだが旅行誌に載ることがないであろう合掌造り。ゆきたんくにはスポットライトを浴びているものよりも、このように陰に隠れている物の方が強い思い入れを持てるのである。みなさんも昔、そう小学生や中学生だった頃に大人しいんだけれども、何か気になる人がいたのではないだろうか?そんな初心な頃の気持ちを思い出させてくれた農機具庫であった。

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頭塔

2007-11-25 23:07:52 | 
頭塔(ずとう)ってご存知だろうか?
なんでいきなりこんな話を切り出したかというと…。

三連休だったので、一日くらいは自分の好きに使っていいだろうと旅行をしたときの写真を整理していた。というよりはサイト作りをしていた。
今年の正月に奈良に行った時に、東大寺の南950mくらいのところにある「頭塔」を訪れたのだ。奈良の遺跡としては相対的にB級にはなってしまうが、なかなか訪れる人はいないだろうしと足を伸ばした。

昔の偉い人の頭を埋めたのが名前の由来になったとされているが、本来の土の塔つまり土塔(どとう)がなまってずとうになったと考えられている。そして今までに見たことのない構造を持っていたのである。

それがどうしたって?
実は義理の姉がインドネシアの方で、近いうち(冬休みか春休み)にインドネシアを訪れる予定なので旅の本を買って予習をしていた。
インドネシアには世界最大の仏教遺跡であるボロブドゥールがある。合計9層の段が山のようにだんだん高くなっている。その頂上にはストゥーバ(日光東照宮の徳川家康の墓に形が似ている)がある。ストゥーバの中には仏像が安置されている。6段から上にストゥーバがあり、切り窓から手を伸ばして仏像の右手薬指に触ると願い事がかなうという。階層ごとに窓の形違い、それぞれに意味があるそうだ。
頂上のストゥーバは大きく窓がなく「無の世界」を表しているそうだ。

奈良の頭塔はずっと小さいが、構造的にはボロブドゥールに似ているのである。
調べてみればどこかでつながりがあるかもしれない。
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時代劇チャンネル

2007-11-24 23:32:30 | 言いたんく

今、ゆきんたくの健康を蝕んでいるのが時代劇チャンネルである。
面白いのである。1960年代の白黒時代の物を流しているが大変面白い。
奥方が見ていたので、自分もはまってしまった。
中でも栗塚旭(くりづかあさひ)氏が主演を張る、新撰組(土方歳三)や用心棒シリーズは見ていて飽きない。

はっきりした顔立ちなのに、朴訥としてやや不機嫌な役どころである。

いつも23時になるとケーブルテレビの時代劇チャンネルに釘付けになる。
もっとも今はあまり目が効かない(老眼と疲れ)のでハードディスクレコーダーに働いてもらって、このgooブログを書いている。その後続きを見たり、録画したのを見たりしている。12月に栗塚氏に会えるという企画が時代劇チャンネルであった。場所は栗塚氏在住の京都府。しかし、とても忙しい時期であると同時に日月の両日である。仕事を休む訳にはいかないので見送りの三振である。アウトである。昨年の暮れから正月にかけて京都・奈良を旅行した。哲学の道が終点近くの若王子付近で、奥方が「ここらに喫茶店があったんだけど」としきりに気にしていたが、栗塚旭氏の姉の経営する喫茶店があったという。もう亡くなられて閉店したとのことだが、ここまできたのならその跡を見ておきたいのは良くわかる。

いつか栗塚氏が元気な間に本物にお会いすることができるといいなぁ。

ところで、なぜゆきたんくの健康を蝕んでいるかお分かりになったでしょう。
酒でもタバコでもない。栗塚旭様がカッコいいからなのです。

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強度不足

2007-11-23 23:12:10 | 言いたんく

毎日の仕事に対して、自分の体の強度不足を感じる今日この頃であるが、前日伝えたんくに載せた「コンドロイチン」のおかげで体の痛みも軽減し、膝などは特に快調である。人間の体は足りない物を補えば調子が良くなるものなんだね。もっとも、うちの女房は私の体の頑丈さに魅かれて結婚した訳ではないから契約違反なんてものは発生しない。

 ところが建物は厄介だね。ところどころ痛んでくる。まして日本は地震国と言われるくらいに地震が多いから痛みも早いのだろう。イギリスなんて石を積んだだけの石造りの家が1000年くらい持っているし、人が住んでいるんだからね。

 わが日本では、家の揺れを軽減する設計にしたり、一戸建てでも柱を鉄筋にしたりして、地震への対策に積極的なはずであった。しかし、マンションの耐震強度不足のニュースが世間を騒がせた。毎日のようにニュースが流れ、関係者も日本中にその名が知れ渡った。

 にもかかわらず、JR市川駅南口の建築中の45階建て、超高層複合ビルの鉄筋が不足していると言う。2棟建っているうちの東京側1棟で問題が発覚した訳だが、駅そばということで契約者も多いという。前述の事件の後に建築が始まった訳だから今回の契約者は堪らないだろう。

「建設をしている清水建設を中心とする共同企業体は,柱のコンクリートを削り落して,鉄筋を追加する方法で修復する. しかし,部分的にコンクリートを削って,また元に戻すという工法では,『同じ強度を保つのは難しいのではないか」(引用)という専門家もいるそうだ。何通りか解決方法があるというが、それは耐震構造上の問題だけで、契約者の気持ちは反映することはできない。
 人の命に関わることは、生命だけではなく、結婚や大きな買い物などの人生のイベントもあるのだということを責任者は深く考えなくてはならないだろう。実際に過去の建物の件では、悠々自適の人生を奪われた人たちが多数いるという。その痛みを自分の問題にしない者たちがいる限り、このようなことは続くのだろう。



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美味しんぼ

2007-11-22 23:24:16 | 言いたんく

漫画というのは奥が深いものだとつくづく思うのである。
わが家で購読している本は2種類だ。
「月刊陸上競技」と「美味しんぼ」である。
その美味しんぼもコミックの数にして100巻を数えた。
山岡士郎と海原雄山の親子が登場する。新宿の、今はなき朝日生命ホールで観劇をした時に、脚本を書いたジェームズ三木氏が見出てきて言ったことはいまでも鮮明に頭の中に残っている。
「ドラマというのは、2つの対極がなければ成り立たないんですよ…。」
正義と悪、白と黒、男と女等挙げれば切りがない。

「美味しんぼ」は、その二人が料理というコンセプトで対決するのであるが、それに盛り込まれるのは、歴史、地理、地学、陶芸、書、時事問題、環境問題、政治等見るものの興味関心を引くばかりか、他の書物を紐解いて謎解きをしたくなる代物である。

 原作者は雁屋哲氏は東大の出で、オーストラリア在住。幼少の頃から青年にかけての食の経験が物語り作りに大いに影響しているようだ。画がなければ小説仕立てにしても大変面白い読み物になったと思う。一時、ドラマ化もあったが政治問題ではかなり深く突っ込んでいるので、このまま続くことは難しいだろうと思っていたら、はやく終わってしまった。
 現在オーストラリアに在住していることはそれとは無関係ではないように思う。
自分の言いたいこと、やりたいことを山岡士郎と海原雄山の二人に語らせているように感じるのだ。
 その読者はゆきたんくのように、他の書物を紐解いている者もいるだろう。そうであれば、雁屋氏は外国からの遠隔操作で日本人をオルグしているとも言える。事実、「美味しんぼ」を読んで、納得させられるところはたくさんあるのだ。
ヒット作というのは、人の心に届くように作られているのである。

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千葉県

2007-11-21 23:44:10 | 
おぉ、二つの記事を草稿(下書き)で保存してして公開するのを忘れていた。

さて、ゆきたんくは千葉県に住んで20年近くになる。
現在松戸市に住んでいるので東京、茨城、埼玉、神奈川にはすぐに出かけられる。
ところが房総半島の方には滅多に出かけることはない。交通の便と袋小路状態になっているのが、気持ち的にネックなのだと思う。
北西部の東葛飾地方や、ちょっと足を伸ばすと成田だったり銚子だったりと行きやすい所へ行くのだ。ゆきたんくの日課にセブンイレブンに寄ることがある。本棚をみるのが楽しみなのだ。そうしたら、「千葉を愉しむ」なんて本が並んでいた。間髪いれずに買い物籠に入っていた。
自分の住んでいる県なのにまだまだ知らないところ、素敵なところがたくさん載っているではないか。それを見に行く障害は暇と金である。
ガソリンは高いし、毎日16時間は働いているし。
終末は三連休である。1日くらいは自分の好きに使っても良いだろう。
久しぶりにワクワクドキドキのゆきたんくである。
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コンドロイチン

2007-11-20 23:37:23 | 健康

ゆきたんくが若い頃にハンマー投げをやっていたことは述べたと思う。
今50前にして、その時の後遺症が出てきている。
肩痛、腰痛、膝痛などである。
もっとも今をときめく室伏選手はフィニッシュ時に400kgの負荷が体にかかるようなレベルの選手であるが、体のメンテナンスはしっかりとできている。

ゆきたんくは、根性根性で練習をし、ほぼやりっぱなしの状態でいた時代の人間である。痛みがあっては人生面白くないので薬屋にいってみた。
なんと、五十肩、神経痛、腰痛、関節痛に効くという「コンドロイチンZS錠」というマジンガーZを彷彿させるような名前の薬があった。
これを飲むと、関節の柔軟性が戻るという。それと共に痛みも去るのだそうだ。

さっそく買って飲んだ。安い買い物ではない。かなり高額なのだ。
一か八かである。そしたらば、効いた。
今まで悩まされていた痛みが軽減したのである。
風邪ひきは手術では治せない、がん患者は風邪薬では治らない。
今回は体にあった薬が見つかったのである。
今現在、10年くらいは若くなったつもりで動けている。
ありがたいことだ。

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冷えた

2007-11-19 23:57:59 | 健康

今日は寒かった。
皮膚を通り越して骨に伝わってきそうな冷気に、風を引いたのでは思わせられた。
滋賀県の伊吹山では今年初めての冠雪で例年よりも2週間早かったそうである。これで次の春を迎えるまで山は雪のぼうしをかぶることになる。京都では紅葉シーズンだったので赤と白の共演が見られたそうである。
今年の遠赤外線で骨まで火が通りそうになる熱い夏とは対極的に、骨まで冷やされる冬を想像してしまうのは私だけだろうか。
 温暖化の影響で「寒い冬」にご無沙汰しているこの十数年の間に、寒さに対する体の耐性がなくなってしまった自分にとって不安が大きいのも事実である。
また、今までは何ともなかったのに、今年の冬は足が痛くて仕方がなかった。せっかくの京都旅行も足の痛みとの闘いだった。フェィタスも何も効かず、一乗寺下り松をしっかりと目に焼き付けることよりも痛みとの闘いであった。効いたのは旅館の風呂であった。今考えると神経痛だったかもしれない。年々衰えていくのは仕方がないが、なんとか食い止めなくてはならない。
 これからは毎年、この季節にはカリフォルニアにある別荘で過ごすことにしよう。と考えることができる人はいいなぁ。とりあえず、全身の隅々まで、血を行き渡らせて酸素の供給を図れるようにストレッチをすることにしよう。ゆったりと湯に浸かり、動脈硬化寸前の血管を和らげてからのストレッチである。効かない訳がない。早速やって寝よう。

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オシム監督

2007-11-18 23:31:01 | 健康

サッカー日本代表のイビチャ・オシム監督(66)が急性脳梗塞で倒れた。
倒れていたのが自宅で、息子(アマル氏…ジェフ千葉監督)と同居していることが幸いした。未だに意識は戻らないが、今はサッカーよりも早い回復を臨みたい。日本代表のために、体調には人一倍気を遣い、毎月の健康診断を欠かさず受けていたともいう。もっとも監督業の責任は重く、日本人相手では大変だったと思う。

とにかく一刻も早い回復を願っている。

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そんなの関係ない

2007-11-17 23:38:23 | 言いたんく

巷を席捲した小島義雄氏の「そんなの関係ねぇ!」は小さい子には大変な人気である。テレビ番組で学校にいる子供たちとの企画まであるが、どうもねぇ。
学校の本来の存在目的を軽視しすぎているんだよな大人が…。

今日、ゆきたんくは地元の神社仏閣に出かけた。そんな時、参道で小島義雄風に台詞を言いながら道のど真ん中で、「そんなの関係ねぇ」を大きな声で言っている子供がいた。正確には親子連れである。自分だったら「こんな所でやめなさい。」と言う。やることが悪いとは思わない。やる場所がまずいのである。その子の親は何の注意もせず笑っているのである。自分の子供が恥をばら撒いて歩いているのに何の注意もしないなんて…。

目くじらを立てすぎているだろうか。子どもだからいいのだろうか。駅のホームでもいいのだろうか。電車の中でもいいのだろうか。公衆道徳という言葉はどこへ言ったのだろうか。場所や時間はともかく、パフォーマンスそのものにも好き嫌いがあるはずなので、親は注意するのがベストだったろう。まだ精神が柔らかく、何にでも染まる時に、公衆道徳やけじめという色をつけるのは親の責任である。世の中から自分の子供に歩み寄ってもらうのではなく、自ら世間に歩み寄る努力をしなければならないはずである。そしてそれは人間がこの世に生を受けた時から始まっているのである。

ちなみにゆきたんくは、子供の行動を見て、顔をしかめるのが精一杯でした。はい。画像はサンミュージックのサイトより拝借

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なんで…

2007-11-16 23:18:36 | 言いたんく

人権を守るための一つとして、情報漏洩に関してはかなり厳しく対処する世の中になってきている。
 住所、電話番号、年齢、家族構成、既婚・未婚、血液型、学歴、職歴ときりがない。
 それなのに、すっぱ抜きの記事などは新聞や週刊誌、ネットに垂れ流しである。このギャップは何なのだろうか。一方は、そのせいで仕事を失うこともあるのに、もう一方はそれが飯のタネになっている。芸能人の方々の中には有名税と呼んで歓迎している方もいらっしゃるようだ。上級管理職や公務員にとっては厳しい世の中なのである。

 よく、マンション経営の電話がかかってきたことがあった。人の金を元手に博打をするような業界であると思っている。「あなたの幸せのために…」なんて決まり文句があるが、その「あなた」を相手はどれだけ知っているのだろうか。たとえ自分の持ち家があっても、マンションの一室を買って人に貸すなんてことは人生二番目に大きい買い物ではないだろうか。
 その「あなた」の電話番号、住所、職場などを知っている相手とは、電話をかけるその時まではお互いに声を聞いたことがないのである。顔も知らない、人柄もしらない。
 さて、その情報はどこから漏洩したものであろうか。その人物は犯罪を犯している自覚があるのだろうか。また、その情報を使って利益を上げようとしている輩は犯罪にならないのだろうか。

前に別項で書いたことがあるが、臭いにおいは元から絶たねばならないのではないだろうか。

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