伝えたんく

日々の何気ないできごとに感じた幸せ

別れ。

2016-05-31 23:18:56 | 東京都立秋川高等学校

さて、ドイツ最終日の朝。

T先輩はゆきたんくをデュッセルドルフ国際空港まで送って下さった。

そしてパトロールしている警官に切符を切られる危険があるのに、エティハド空港のターミナル近くに路駐してゆきたんくを案内して下さった。

「ここに並んでいれば大丈夫だよ。」

「それじゃまたね。」

長年の友のように・・・

5年も先輩であるのにフランクに・・・

いつもは異国の思い出だけの旅行が、心に残る旅行になった。

8/31までは暇だからと、大切な休暇をゆきたんくのために割いて下さった先輩には感謝しかない。

感傷的になったゆきたんくが、去りゆく先輩の後姿をカメラに収めようとした時、大きなカートを引いた外国人の方たちが前を通った。

踏切で貨物列車が通る時は時間がかかるではないか。

何両も、何両もやり過ごすではないか。

そんな状態でカートが5台くらい通り過ぎた。

再びカメラを向けた時に先輩の姿はなかった。

カメラを向けたついでに、その方向にあったオブジェをカメラに収めた。

その時に思い出したことがある。


 


ビール瓶で乾杯なんてかっこ良いではないか。飲めないゆきたんくにはできないが・・・


 渡独する前に、「ビールのわんこそば」をしようと言われていたのである。

「ビールのわんこそば」のことは、アルトシュタットを歩いている時に教えていただいた。

アルトシュタットの中にあるブラウハウス(醸造所兼酒場)で飲む地ビールの旨さ。

そして飲み終えたと思ったらすぐに次のグラスを置くウエイター。

そのすばやさが「わんこそば」のように速いとか。

もう飲めない、と思ったら、コースターでグラスに蓋をするのがお約束ということ。

飲めないゆきたんくは先輩をがっかりさせてしまったようだ。

まあゆきたんくの体は、飲んベイの方を喜ばせる体型をしているからなおさらか(笑)

またデュッセルドルフに行きたいなぁ。

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嬉しかった小旅行。

2016-05-30 23:14:27 | 東京都立秋川高等学校

3日連続で、ゆきたんくの母校、東京都立秋川高等学校がらみである。

同期生、同時に在学した2年先輩、そして今回は異国の地で初めて会う5年上のT先輩。

昨年の夏にドイツに行った。

初日の夜、最後の夜と最終日には先輩に大変お世話になった。

前に書いたこともあるので、重複しない部分を書く。

初日は、友人のお見舞い。

そしてゆきたんく以外は女性というご一行様の予定を尊重した行動(笑)

という訳で、短い時間になってしまったが先輩とお会いしたのは、その日の夜。

ゆきたんくの泊まっているホテルまで、車で送迎していただいた。

そしてデュッセルドルフのアルトュタット(旧市街)を案内していただいた。

飲んベイの天国アルトシュタットの中をゆったりと歩き、「ビールのわんこそば」の話や週末の賑わいなどを教えていただいた。

詩人、ハインリッヒハイネの生家やシューマンが最後に過ごした家の前で記念撮影。

渡独する前にメッセンジャーでシューマンの最期の軌跡を調べようと思っていることも書いたら、なんと前調べをして下さっていた。

なんとも有り難いことではないか。

中3日空けてデュッセルドルフに戻ってきた。

ドイツ最後の夜にお会いする約束をしたのである。

 ところが、デュッセルドルフ中央駅からホテルまでの400mの間に何者かにペンキを服やバッグにかけられ、その始末で1時間ほどロスしてしまった。

 先輩に遅れる旨の連絡をすると、取られたものは無いか確認してのこと。

 スリ集団の使う手口の一つのようだという話だった。

 ゆきたんくは宿泊するホテルの目の前だったので、すぐにホテルに入ったのでそれ以上の被害には遭わずに済んだのかもしれない。

そして再びアルトシュタットの散策。

 時間をかけて、シューマンの家からライン川までの道のり(シューマンは精神を病み、自宅からライン川まで走り身を投げたという)を先輩と一緒に確かめた。

 ゆきたんくが小学校3年生の時に手に入れた原色図解百科の音楽編にあったシューマンのライナーノートがきっかけだった。

 シューマンの家から、近くの市場まではまっすぐ。

 市場から北へ行ったのか、すぐに川に行ったのか。

 当時46歳だったから距離の長い方は選ばなかったとか。

 シプスブリュッケ(船橋…シップスブリッジ)があったのはこの辺りだとか。

 ライン川は流れが速いからシプスブリュッケの手前で飛び込まないと、助けられる人はいなかったとか・・・

 まだまだたくさん話をしながらライン川沿いを歩いた。

 ご飯をご馳走になって、ホテルまで送っていただいて・・・

 一晩明けるとデュッセルドルフ空港から日本に向かう。

 先輩が送って下さるという。

 電車は苦手にゆきたんく。

 甘えることにした。

 そしてホテルから空港に向かうまでに小旅行をプレゼントしてくれた先輩である。



ケーニッヒスアレー 秋川高等学校のメタセコイア並木を思い出した。


秋川高等学校卒業生の心の支え、メタセコイア並木(東京都あきる野市)



大型ショッピングセンター「シャドウ・アルカーデン」


市電の走る郊外


 今回、トランジットがあったので、成田を出てから最初にベッドに横になるまで33時間寝ていなかった。

ゆきたんく得意の朝の散歩ができず、デュッセルドルフの街中は歩いていなかったのである。

それを先輩は運転手兼ガイドで実現して下さったのである。

車に乗っているので移動範囲は歩くよりも広い。

初日の夜、最後の夜、最終日の朝。

初めて会った後輩にここまでして下さるなんて。

やはり秋川高等学校は素晴らしい。

ちなみにお世話になったT先輩は7期生である。

次の夢は、9期生のK先輩との3人でライン川に向かって秋川高等学校の寮歌を歌うことである。 

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お祝い。

2016-05-29 23:06:51 | 東京都立秋川高等学校

自分が高校の時にお世話になった先輩のお祝いである。

某町の町会議員に当選されたのだ。

それを秋川高校の1期生から始まる同士でお祝いした。

なんと大先輩の1期生が場所等の設定をして下さった。

本当は若手がやらなくてはいけないのだが甘えてしまったゆきたんくである。


 

 

 


宴会の席


 12期の友人D氏の車でで横浜中華街へ。

仕事が混んでいるので、2次会は失礼して帰宅した。

町会議員の先輩には部活等で大変お世話になった。

あれから40年。

秋川高等学校というかつてあった全寮制の高等学校の絆は壊れないのである。

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竹芝に向かう。

2016-05-28 23:03:38 | 東京都立秋川高等学校

竹芝桟橋。

高校時代に同級生の家に遊びに行った。

場所は八丈島。

そう、今から40年前。

フリージア丸に乗って八丈島へ行ったのだ。

それ以来竹芝桟橋には行っていない。

今日は「島じまん2016」というイベントが開催される。

その新島・式根島ブースを仕切っているのが、秋川高校の同級生なのである。

そして、38年ぶりの再会である。

もう、ワクワクしているのだ。


 


行く途中でみた草車。素晴らしい。

 

昔使われていた船舶の事務所だろうか。廃墟マニアにはたまらない物件に見える。


 島じまんでは、それぞれの島のブースでご馳走を売っていた。

島ずしなどの人気商品は早い段階で売れ切れていたようだ。

ゆきたんくは、「たたき丸」を買った。

これはストライクだ。

明日葉の佃煮を芯に握ったおにぎりをさつま揚げの生地で包んで揚げたものである。

もう一種類「くさや」のやつは売れ切れていた。

友人のイベントの仕切りが終わった後に飲み屋で会う約束をした。



たたき丸。


竹芝埠頭公園は人であふれていた。


 今日会う友人は38年ぶりの再会である。

これからの12期(東京都立秋川高等学校の同期)について、自分の家族について話が弾んだ。



秋川高校12期。通称で、奥左ドス、右ジュウ、手前左アマ、右ゆきたんく


写真は少し、ボカシを入れた。

38年ぶりでも意気投合。

秋川っていいなぁ。 

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旅の楽しみ288…トリエル・ドイツ

2016-05-27 23:58:42 | 

ずっと前に「Оさんの代わりに」というタイトルで記事を書いていたことがあった。

そもそも、昨年のヨーロッパ旅行はОさんが提案者でコースも決まっていたのである。

ゆきんたくは行けるかどうか分からなかったが、そのОさんが病に倒れたということで訪独に踏み切ったのである。

御年75歳のОさんはドイツ人である。

ドイツの小学校の先生を退職された後、悠々自適に過ごされていたのである。

もう20年も前からデュッセルドルフにいらっしゃいと言われていて行けなかったので気にはなっていたのである。

そのОさんがドイツ人でありながら、行ったことがない場所が今回の予定にあった。

トリエルである。

その始まりはローマの植民地で紀元前に遡るドイツで一番古い都市なのだ。

トリアー、トリエル、トリーア、トリールと様々な呼び方があるが、一番ドイツ語の発音に近いのはトリーアだそうだ。

ただし、N氏は「トリエル」が一番近いと言っていた。

現地語が話せる方の話だから信じることにする。

イギリスでも同様のことがある。

コッツウォルズの有名な村、バイブリーでイギリス人と話をした時のことだ。

「バイブリー」と言ったら「ビブリー」と直されたことがあった。→ その時の模様


  
モーゼル通り。ローマ帝国時代の壁が残る通りである。 → Map

 
素晴らしい。


 普段、日本にいる時から戦争遺跡好きのゆきたんくである。

この景色には興奮してしまった。

ドイツ最古の都市トリエル。

Nさんの分まで見なければと思った。

ゆきたんくは仕事があるので8/31中に帰国するスケジュール。

奥方のりたんの一行は9/2帰国のスケジュールで、最後はデュッセルドルフに宿泊する。

もう一度Nさんを見舞い、旅の様子を報告するためである。



トリエルで最初に地面を踏んだパークプラザホテルの前。 → Map


正面玄関。


 現地で人気ナンバーワンのホテルだったようだ。

最初、この旅に行くかどうか分からないゆきたんくは予約を入れなかったのだ。

結局3か月待ってもキャンセル待ちを取ることはできず、300m離れたアルトマンというホテルに独りぼっちで泊まることになった。

一人で初めての地で、言葉も不自由で、頼みの女房も離れていて・・・

何かワクワクしてしまう自分に、嬉しくなっているのが分かる。

考えてみると結構無謀なことをしている。

20代の若者でもないのに・・・


 

 


ホテル・アウルマン。右上の壁の色が違う所に泊まった。 → Map

その窓からの景色。たまらない・・・


 ホテルにはN氏が連れて行ってくれた。

ホテルエントランスは建物中にあるエレベーターで2階に上がった奥にあった。

情けない話だが、N氏がいなければ分からなかったと思う。

感謝である。

そして、のりたんたちも、ゆきたんくも荷物を置き、トリエルの散策に出かけるのである。

待ち合わせ場所は「中央広場」である。

ここの景色がまたまたたまらなかった。



抜けるような青空とはこのような色なのか・・・ → Map


 紀元958年に建てられたマルクトの十字架が立つ中央広場。

そこに普通に人が座っているのが良い。

十字架の上には鳩が鎮座している。

奥にはトリエル大聖堂が見えている。

この青空で、トリエルが好きになってしまったゆきたんくである。

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お気に入り

2016-05-26 23:52:37 | 

先日の投稿に登場したN氏。

イランのご出身で、現在はデュッセルドルフ在住である。

デュッセルドルフにある旅行会社の社員であり、ツアーコンダクターであり運転手であるのだ。

一応、事前に行きたい場所を伝えたり、必要な金額を払い込んだりしている。

現地で行きたい場所の交渉もできるのである。

今回はドイツとルクセンブルクとベルギーの予定だった。

急きょ、オランダを追加したのだが、柔軟に対応してくれる。

何か国語も話せる強みである。

何処に移動する時もN氏の運転するワンボックスだ。



これだ。ルノーかな。 クーヘンにて 2015.08.26


 本当に楽である。

現地まで運んでくれて、手続きがある時にはヘルプをしてくれる。

現地に着くまでは、日本語の楽しいおしゃべり。頭が良いのが分かる。

それが終わると、どこかでコーヒーを飲んで待っている。

マックカフェがお気に入りなのだ。


 


「コレガイチバンオイシイネ。」とご満悦のN氏である。 顔はモザイクをかけてあります。


特別な干渉は一切ないのである。

そのN氏が運転中に話すことの一つにディスカウントストアがある。

「リョコウチュウハヨケイナオカネヲツカッテハイケマセン。」

「ミズハホテルトカバイテンデカッテハイケマセン。」

「ヤスイトコロガアリマス。フツウニカウト1.5ユーロモトラレルケレド、オナジモノガ15セントデカエマス。」

Nさんがお気に入りの店は数件あるそうだが、一番安いところはここ。

今回はコースになかったので入らなかった。


 


ネットという。→ Map


 安い買い物の話をしていて、「ネット、ネット」と仰るので、うん、何でNETの話になっているのかなとすぐに理解できなかったゆきたんくである。

 ただしくはNetto。

 N氏は、ただでさえ海外旅行はお金がかかるのだから、そこでしか食べれない名物以外は、自分で食材を買って済ませた方が美味しいと教えてくれたのである。

 ゆきたんくと別れる時にN氏は、「コンドハモンサンミシェルアンナイスルヨ。」と言っていた。

そう、フランス語もペラペラのN氏ならば安心だ。

懐も安心だ。

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旅の楽しみ287…リューデスハイム・ドイツ

2016-05-25 23:49:53 | 

さて、2015年の旅でお気に入りの場所があった。

リューデスハイムである。

ライン川沿いにある可愛い町である。

もう、何回かここについては書いたが、今回はポストについて。

この旅のツアーコンダクターというか、運転手のエヌ氏がいう。

「コノボストノシャシンヲトルトイイデスヨォ。キネンニナルシレキシノヘンキョウニナルネ。」

6か国を操るNさん。

ドイツ語を話している時はシリアスでカッコ良いのであるが、日本語になると愉快な話し方になる。


 
青いポストである。「postbroefkasten」とある。日本語訳は「ポストメールボックス」だ。 → Map


 そういえばドイツのポストは黄色いと誰かに聞いた覚えがある。 

ここが田舎だからまだ旧式のものを使っているのだろうか。

よく見ると、箱としての機能だけではない。

様々なところに意匠が施してある。


 


確認するのを忘れたが、手紙の入れ口はここの溝のように見えるところか・・・


 この時には、ヴェトナムの僧侶の方々がこの近くで休まれていた。

どの国の人も良いものは良いのだと肌で感じているのに違いない。

日差しが強く、喉が渇いた。

手持ちのペットボトルの水も良いが、このポストが毎日見ている店があった。

アイスクリーム屋さんがあったのだ。

さて、買いましょうと思ったその時・・・

日本語がたくさん聞こえてきたのである。


 


日本人観光客がたくさん・・・。


 この方たちは別に悪いことは何もしていない。

ただ、先ほどまでの異国情緒が・・・

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当たった。

2016-05-24 23:48:54 | 言いたんく

セブンイレブンで買い物をすると、くじを引けることがある。

はっきり言ってあまり興味がない。

必ず当たるのが「応募券」だからだ。

さて、今日の出来ごと。

店員「4枚どうぞ」

ゆきたんくは、いいよ引かなくてもと思ったのだが一応・・・

4枚とも当たったのである。

店員さん「こんなことは初めてですよ。良かったですねぇ。」

ゆきたんくは「当たりしか入ってないんじゃないの(笑)」

店員さん「そんなことないですよ。」

と自分で引いてくれた。

3回ともはずれだった。

うん、気分が良い。


 

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ご褒美

2016-05-23 23:32:42 | マイグルメ

5月21日が土曜出勤だったので、本日は代休。

よって昼飯は少し豪華にいった。

平日の昼食を千菓進でいただく。

暑かったので、まずは子どもの時からの憬れであったソーダ水。

クリームソーダは高嶺の花だったのである。

だから敢えてソーダ水なのだ。



緑のソーダ―水。赤いチェリーが泣かせるねぇ。


 これで喉を潤す。

氷を少しずつ溶かしながら、喉に流していく。

極楽である。

メインディッシュは「ポークソテー」。

ご飯はなし。

そう、糖質減らしでタンパク質プラスは続けているのである。

ここ千菓進のポークソテーは絶品である。

どうしたら、豚肉がここまで美味くなるのか。

皆様には画像のプレゼントである。



千菓進ポークソテーだ。


 

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なかなか。

2016-05-22 23:12:06 | マイグルメ

日体大集団行動メンバーのR氏とデート。

デートと言っても男同士である。

たいてい、自分とR氏の家の間にある大久保珈琲かコメダ珈琲、あるいはデニーズでデニるのである。

この日は気分が二人ともコーヒーだったので、コメダ珈琲に向かった。

なんと満員御礼で、さらには待っている人が大勢。

14時過ぎなのに、空いていなかったのだ。

では、しょうがない。

近隣にできた星乃珈琲に移動した。

注文は初めての店なので「星乃ブレンド珈琲」を。



まずはそのお店の名前を冠した品を・・・


 一口すする。

旨い。

すっきりとした旨さである。

これだと話も弾む。

今日のお話は、公務員の不祥事について。

話をすると腹も減る。



フレンチトースト。


 糖質である。

たまにはいいか。

上に載っているクリームでは太らないしね。

向かいにいるR氏は苺のケーキ。

大人の男2人が甘い物に舌鼓。

いいんです。

食べたいものは食べる。

有意義な時間であった。

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もう一度行きたい2。

2016-05-21 23:09:41 | 

昨日はウェールズとイングランドに跨る尾根、「ハージェストリッジ」に登る途中にあった「ハージェスト・クロフト・ガーデンズ」について書いた。

このガーデン、この近くの地域では皆が口をそろえて美しいというガーデンのようだ。



ハージェスト・クロフト・ガーデンズの石看板。右下の丸いのはのりたんの頭(笑)


 ウェールズとイングランドの境にあった、パンディというアコモデーションからハージェストリッジを目指し、国境に沿った道を走った。

ハージェストリッジの西端にあるグレイズトリーという場所でハージェストリッジまでの道を聞いた。

聞いたのは道路沿いにいたおじいさんだ。

今考えるとおじいさんはハージェストリッジをよく知らなかったらしい。

有名なのは国境に沿ってあるオファス・ダイク・パスという177マイル(283km)のナショナルトレイルだ。

このオファス・ダイク・パスはハージェストリッジの中を通っているのである。


 


ハージェストリッジの衛星写真。星印の少し上に小さな文字が見えている。
それがOffa’s Dyke Path(オファス・ダイク・パス)だ。


衛星写真中心から右より
に見える水溜り。

暖かい日は、馬やヒツジが水を飲みに来る。


さて、おじいさんに話を戻そう。

この時話をしてくれたのは奥方ののりたんだが、ハージェストリッジではなく「ビューティフルガーデンがある。」というようなことを言っていた。それがハージェスト・クロフト・ガーデンズであることは間違いない。



おじいさん道を聞くのりたん。2003.08.08 → Map


話があちこち飛んでいるが、また行きたい場所はハージェスト・クロフト・ガーデンズである。

大変綺麗な花をたくさん咲かせているガーデンは、ゆきたんくが行った場所からどのくらいずれていたのか・・・


 
☆から☆まで、直線で170m。まっ、歩いて2分半ってところだ。


あまりに暑かったとはいえ、勿体ないことをした。

次の機会には・・・

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もう一度行きたい。

2016-05-20 23:03:38 | 

ゆきたんくの一生の夢の一つに「ハージェストリッジ」に行くことがあった。

これはもう3回行くことができたので十分である。

というのは嘘で、また行きたい。

ハージェストリッジというのは、イギリスのインクランドとウェールズにまたがる尾根のことだ。

なんのことない尾根である。

ゆきたんくのフェバリットアーティストのマイク・オールドフィールド氏のセカンドアルバムのタイトルが「ハージェストリッジ」ということから興味を持った。

ただ、当時飛行機嫌い(高校生でまだ乗ったことはなかった)のゆきたんくがこの場所に行くことなどは考えもしなかった。

2003年にイギリスに初めて行くことになったので是非この場所を訪れたいと思った。

そして、ナビもなかったが自分で運転してこの場所に着いた。

今回書くのはハージェストリッジのことについてではない。

ハージェストリッジに登るためには、キングトンという町に行かねばならない。

登るためのコースの一つがリッジ・ボーン・ロードである。

その途中にハージェスト・クロフト・ガーデンというイングリッシュ・ガーデンがある。



ハージェスト・クロフト・ガーデンの駐車場で見栄を切るつっくん。


リッジ・ボーン・ロード。この先にハージェストリッジがある。


休憩所から見たガーデンの一部。 → Map


 何回か書いているが、この時はヨーロッパは熱波でイギリス38℃以上あった。

よって、ハージェトリッジに登るのは入り口のゲートから5分歩いた所で諦めている。

降りる途中にあったハージェスト・クロフト・ガーデンには休憩で寄った。

ヤギの乳で作ったアイスが旨かったことを覚えている。

上写真にあるのは、綺麗に芝生が管理されているガーデンの一部だ。

ここを歩いて、左の方に行くと素晴らしいガーデンあるのだ。

2011年と2014年にもハージェストリッジには行ったが、ハージェスト・クロフト・ガーデンには寄っていない。

次に行く時には、予定に入れておかねばと思う。

 

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社会科嫌い…吉田松陰先生編4(岐阜県大垣市)

2016-05-19 23:05:08 | 史跡

岐阜県大垣市は、ゆきたんくの母の実家があるところだ。

この大垣の大垣城の城代である小原鉄心は山鹿流という兵学を山鹿素水から学んだ。

この山鹿流の祖である山鹿素行の女系・津軽山鹿氏の末裔で、始祖から6代目の子孫が山鹿素水である。

当時長州藩だった吉田松陰先生が入門して学んだという。

結局、小原鉄心に伝授した後は京都の綾部藩に招かれた。

吉田松陰先生はその時に入門したので、大垣とのつながりは無いと言って良いだろう。

まあ、元々綾部藩主の九鬼隆都に教えを授けていたので綾部に戻ることになったのだろうが、大垣での活躍が綾部藩に戻るきっかけではなかっただろうか。



大垣城(大垣市のホームベージから借りました。)


 

少しでも関連があることに喜びを感じているゆきたんくである。

 

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安堵感?

2016-05-18 23:29:23 | 

海外の旅はいつも不安が伴う。

母国の日本と違ってランドマークが頭の中にないからだろう。

次の写真はアーヘンからデュッセルドルフへ戻る時の車窓からの景色である。

ヨーロッパの軌道の辺りはだいたいこんな景色が多い。


 


緑が多い。軌道の脇には木が植えられている。


視界が開けると、牧草地や風力発電の風車が目に入る。


 これはこれで楽しい。

時々トッピングとして牧草ロールが転がっていたり、牛が草を食んだりしていれば上等である。

同じ景色の繰り返しなのだが飽きがこない。

綺麗な青空に、白い雲がぽっかりと浮かんでいても良い。 


 
今回超安心のケルン駅。ドイツの駅で一番最初に降りた駅だからだ。

 
そして、ケルンでの第一目的だった大聖堂。 この近くに宿を取った。


 ドイツ語では大聖堂のことをドムという。

ドイツでの初めての1泊をアパーテル・アム・ドムという所でとった。

自分にとって数少ないランドマークである。

ケルン中央駅を過ぎる時に安心度が高まったが、通り過ぎるとまた不安になった。

小さい子供が、これで良いのだろうかと不安になる気持ちに似ている。

これを50過ぎて味わうというのもなかなか良いものである。

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慣れが必要か・・・

2016-05-17 23:33:33 | 

旅が好きになったゆきたんく。

海外旅行も数を重ねたが苦手なものはある。

まぁ、一つに語学が堪能でないことが原因だな。

ヨーロッパ鉄道駅の券売機で切符を買う。

慣れている人にとっては何でもないことなんだと思う。

券売機の操作が様々なこと。

きっと外国人が日本の券売機を見たら同じように感じるのだろう。

勉強が解決してくれると信じて、少し努力する。

そして慣れないのが、「中央駅」という表現ね。

「Hauptbahnhof」 ハーフトゥ バン ホーフと読む。それで中央駅。

ヨーロッパはあちこちに中央駅がある。

おまけに駅名の最初に固有名詞がついていない。

下の写真にも「Hauptbahnhof」だけ。



アーヘン中央駅だ。ドイツ鉄道のDBはついているが、「アーヘン」はついていない。


 もっとも地元の方々は間違えることはないだろう。

年のせいか、文化の違いのせいか、横文字のせいか、勉強不足のせいか、

全部なんだろうけれど、まだ頭の中になじんでいないのが実情だね。

まだ、セントラル・ステーションならねぇ。


 


ホームではアーヘンが入っている。 Hbfがハーフトゥ バン ホーフで中央駅だ。


 また、このホームで待っていた電車が参った。

前に書いたことがあるが、思い出したのでもう一度。

デュッセルドルフへ行くのに、時刻表を見てホームを確かめて電車を待った。

4両編成の電車が来た。

発車するまでに5分あった。

よーく見ると、前2両と後ろ2両の行先表示が同じものではない。

前2両の位置で待っていたのだが、これに乗ってはデュッセルドルフへはいけなかったのである。

後ろ2両に乗りかえて事無くデュッセルドルフへ着いた。

安心していたら、デュッセルドルフ中央駅からホテルまでの400mで徒歩5分の間に、服とカバンにペンキをかけられたのだった。

徒歩、徒歩、トホホ・・・

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ブログ村Ping

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