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伝えたんく

日々の何気ないできごとに感じた幸せ

昔話

2007-12-20 20:57:35 | Weblog
 昔話は私達が子どものころ、童話という形で頭の中に入ってきた。
そのどれもが楽しく、笑いとかペーソスに包まれたものであった。

実際は、童話の行間を読まねばならないのであるが、子供にそんな芸当は不可能である。だから童話は楽しいという捉え方をされる。

奥州で悲惨な最期を遂げた、源義経と武蔵坊弁慶については、弁慶と牛若丸の物語として微笑ましい物語になっている。

実話と創作(実話だが、一部だけだと)ではそのギャップが大きいものが少なくないという。
それは意図的なものよりも、前述した物語に初めて触れた年齢と、意味が取れるようになった時の年齢によるものだろう。

写真は弁慶の墓である。衣川の館で義経を守り、最期は仁王立ちだった弁慶は藤原秀衡達四代が眠っている中尊寺の参道入り口近くに葬られたようである。

でありながら、弁慶は「実在しなかった」とか、複数の比叡山悪僧の所業が集められ、誇張されていって伝説上の武蔵坊弁慶が構成されたとか諸説あるが、明らかではない部分も多く含んでいる。

やはり、童話のままの方が夢があり、口当たりもいい。
コメント (2)
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