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伝えたんく

日々の何気ないできごとに感じた幸せ

2007-12-06 06:54:36 | 言いたんく

昨日は通夜に行っていたので、下書きの状態であった。
テーマも用意してあったのだが、その亡くなった方について書かせていただこうと思う。

その方はドイツ文学を大学で教えていた教授であった。
ドイツ語・英語なども流暢であった。

もう一つの顔として、カトリックの司祭をされていた。
キリスト教の大本、ローマ・カトリックである。
司祭と呼ばれるのは、毎週日曜日のミサをキリストに代わって司るためである。
また16世紀にカトリックの腐敗を怒り、マルチン・ルターがプロテスタントを興した。現在のキリスト教はこの2つの柱で成り立っているのである。
ちなみにプロテストというのは抗議する人という意味である。

カトリックの司祭のことを神父、プロテスタントの司祭のことを牧師という。
2派の違いはカトリックは世襲制を認めていない。つまり神父や修道女の婚姻を認めていないのである。自分の人生は信仰と布教のためにあると考えて生きていくのである。プロテスタントが甘いと言っているのではない。プロテスタントにはプロテスタントの厳しさがあるのだ。

その神父と初めて会ったのは今から21年前である。
友達について行き、その教会で出会ったのである。
愛想は悪く、いかにも頑固な感じを漂わせていた。
ミサと言うものにも参加してみたが、何をやっているのかさっぱり分からない。
途中でお説教があった。現代社会においての問題点を探るのに、物差しになる教えが必要だと説いていた。そして方法を見つけるのは自分であり、方法を実践するのも自分であることを強調されていた。

真剣に聞いた。しかし若かったゆきたんくにとって鬱陶しい、大人の文句にしか聞こえなかったことを今となっては恥じるだけである。
神父の言う一つ一つの言葉の中に、よりよい世の中を生きるためのヒントがたくさん隠されていたのである。

ゆきたんくも少しは大人になり、二人きりで勉強する機会を得た。
毎週土曜日の夜、2時間半にも渡って教理学習を教えていただいた。
相手は大学の教授である。すごく高級な家庭教師とでもいうべきか…
とても有意義な1年間が過ぎた。

 ゆきたんくの視野が広がるとともに心も広くしていただいたように思えた。
 そして神父の体調が崩れた。
 心臓がおかしいと言う。
 脳梗塞の疑いもあるという。

 神父は生きるために、いや遣り残した仕事をやるための時間を稼ぐのに病院を探した。3週間の検査入院をし、結論は心臓の手術をしなければならないという診断であった。次の診察まで1週間あるというので、通院したい旨を話すと命の保障ができないという。慌てて、退院し200万円を支払う。その時、カロリー制限の病院食のために神父の体は弱りきっていた。別の病院を探す。すると新しい診断は、末期の胃癌であった。ステージ4というやつである。全身状態が弱っているので手術はできないという。しかし心臓はメスを入れなくてもいいという。では最初の病院は何をやったのか。栄養状態を悪くし、胃癌が発見できず、高額の入院加療費用を払っただけではないか。

 抗がん剤を用いて、癌をたたくしか方法は残されていなかった。
神父は毎日徐々に弱りゆく体に鞭打って、教会を守った。毎週土曜日の午後と日曜日の朝に行っているミサを日曜日に絞って、なるべく良い状態で行えるように頑張った。幸い、彼のドイツ人の友達がビザの期限のギリギリまで傍にいてくれた。11月下旬にドイツに戻り、1週間後の12月6日には戻ってくるという。彼は再び一人きりの生活に戻った。1週間に数回、彼の妹が訪ねて来てはいたが…

 そして12月3日の朝、倒れている彼を彼の妹が見つけた。
 すぐに救急車を呼び、彼は病院に運ばれた。
 午前10時、彼の臨終の知らせが教会に届いた。

 その日ゆきたんくは彼に会いに行く予定であった。
 しかし、3日前にひいた風邪で咳が止まらず、熱もあった。
 末期癌患者に風邪は禁物である。感染=死であるからだ。

携帯メールを見た。彼が死んだことが書かれていた…
時間が止まった。

「神父様、お元気になられたらドイツのケルン大聖堂を見に行きましょう。」
「うん、そうなることを願っている。」

この会話は死ぬ一週間前に交わした最後のものである。
私と一人の崇高な神学者の人間関係は、あの時のままで止まってしまった。

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