スミマセン、先月の歌舞伎座でございます。「書かなきゃ!」と思いながら、何となく他事に流されここまで放置してしまいました。このまま目をつぶるというのも“あり”かとも思いましたが、一応、このブログ、私の“老後の楽しみ”のための観劇記録でもありますので、書いておこうかと…。とは言うものの、1ヵ月以上前のお話、自分の記憶は曖昧な上に、他の方の劇評や感想も読んでしまうと、自分が思ったことなのか、人様が思ったことなのか、境目がはっきりしなくなっております。もし、途中でワタクシらしくない高尚な文言が出てきたら、それはきっとどこかで見た(読んだ)ものを真似して書いていると思います。そのあたりはどうかご寛容に読み過ごしてくださいませ。
昼の部は序幕の「鳥居前」はパスしております。銀座和光のティーサロンでまったりとコーヒーとケーキをいただいておりました。菊ちゃん、松緑さんスミマセンって感じでした。
二幕目の「渡海屋」「大物浦」、三幕目「道行初音旅」を見ました。昼の部はケチって3階B席、3階の10列目最後列でした。私のすぐ上は幕見席でした。遠いとやはり気持ちも遠くなりますね。これは夜の部が1階5列目花道近くの席で孝夫さん
の権太に感動したので、後からよけいそう感じたんだと思いますが。吉右衛門さんは大熱演、最後の海へ後ろ向きで飛び込む場面もまったく躊躇することなく(ま、当たり前なんでしょうけれど)、思いっきり後ろへ倒れたはりました。3階のてっぺんから見ていると、後ろで吉右衛門さんをキャッチする方たちまで見えました。後ろは海ということになっているので、皆さん、水色の水泳用のキャップのようなものをかぶっていらっしゃって、そっちが気になってしまいました。
「道行初音旅」は藤十郎さん・菊五郎さんコンビでした。さすがにお若い方たちのような道行にはならず、例の扇を放って受け取るというところは割愛されていたように思いました。この幕は“休憩”していたので、ひょっとしたら見逃しているかもしれませんが…。
で、もう「夜の部」です。上にも書いたように1階5列目12番というお座席、花道も舞台も近うございました。花道を孝夫さん
が通られるたびにワクワクドキドキしておりました。私が拝見した日は、右肩の手術・リハビリでしばらく休演というニュースが流れた翌日で、つい、右肩を見てしまいます。できるだけ右手を使わないように、右手は懐手にされていましたが、どうしても右手でないといけない場面はあります。それを見るたびにハラハラドキドキって感じでした。
お江戸のほうでは「すし屋」だけを演じられる方が多いそうですが、孝夫さん
は必ずその前の「木の実」「小金吾討死」をつけて上演されます。何年か前の巡業もこの形でした。「すし屋」だけでも十分悲劇なんですが、その前に「木の実」で権太の良き夫、良き父ぶりを見せておくことによって、権太は単なるドラ息子ではないことがお客さんにわかり、より悲劇性が高まるという松嶋屋さん、孝夫さん
の演出となっています。
孝夫さん
が権太、女房小せんが秀太郎さん、妹お里を孝太郎さん、母お米を竹三郎さんと“いつもの”メンバー、アンサンブルもばっちりですし、なにより上方言葉がNative、イライラせずに済みます。孝夫さん
の権太は一歩間違うと大衆演劇(旅回り一座?)になるところをギリギリのラインで歌舞伎に保っていらっしゃいます。話している言葉だって、関西の人間でも「ちょっとガラ悪いんちゃうん?」と思ってしまうところもありましたが、そこはほれ、孝夫さん
ですから、お品が隠せないと申しましょうか、「いやぁ、悪ぶったはるんやねぇ」と許してしまっているワタクシ…。女房小せんとじゃらじゃらする場面も「キャッ、もう孝夫さん
ったらぁ」とヘラヘラしてしまったワタクシ…。お母さん(竹三郎さん)との絡みのところも甘え上手な孝夫さん
、「あんな甘え方されたら、そりゃあお母さん何でもOKしてしまうわ」って客席でニヤニヤしてしまったワタクシ…。
そして後半、自分の妻子を身替りに仕立てたところは、今度は涙無しには見られません。この場面、小せんの役者さんは吹き替えを立てる方もいらっしゃるそうですが、秀太郎さんは「大好きな権太のためですもの」とご自身で演じられました。涙が出そうになるのを松明の煙のせいと言う権太、涙をこらえるためにわざと上を向く権太、なんとも言えない感情のこもった目で小せんを見やる権太、ハンカチは手放せませんでした。渾身の権太でした。
歌舞伎座からの帰り際、松嶋屋さんの番頭さんに思わず「お大事に」と言いに行きましたが、その後でちゃんと「すし屋、感動しました!」ってそれも申し添えておきました。
秀太郎さんブログによれば、孝夫さん
の休演期間は6ヶ月の予定だそうですが、インターネットではこの怪我は1年くらいかかると書いてあるのもあり、ご無理のないようにしっかりと治して戻ってきていただきたいものです。孝夫さん
がご出演なさらない南座の顔見世ってどうなんでしょう?ってちょっと思ってしまいましたが、四等席(3階のてっぺん)でも全然後悔しないと思うので、そういう意味ではお財布にやさしい顔見世になりそうです。

私の席から花道、舞台を撮ってみました。

八海山の甘酒です。要冷蔵じゃなかったら買って帰りたかったのですが…。

今回のお弁当は銀座三越の神谷のものです。お昼にケーキを食べてしまったので、昼の部と夜の部の間にいただきました。
昼の部は序幕の「鳥居前」はパスしております。銀座和光のティーサロンでまったりとコーヒーとケーキをいただいておりました。菊ちゃん、松緑さんスミマセンって感じでした。
二幕目の「渡海屋」「大物浦」、三幕目「道行初音旅」を見ました。昼の部はケチって3階B席、3階の10列目最後列でした。私のすぐ上は幕見席でした。遠いとやはり気持ちも遠くなりますね。これは夜の部が1階5列目花道近くの席で孝夫さん

「道行初音旅」は藤十郎さん・菊五郎さんコンビでした。さすがにお若い方たちのような道行にはならず、例の扇を放って受け取るというところは割愛されていたように思いました。この幕は“休憩”していたので、ひょっとしたら見逃しているかもしれませんが…。
で、もう「夜の部」です。上にも書いたように1階5列目12番というお座席、花道も舞台も近うございました。花道を孝夫さん

お江戸のほうでは「すし屋」だけを演じられる方が多いそうですが、孝夫さん


孝夫さん





そして後半、自分の妻子を身替りに仕立てたところは、今度は涙無しには見られません。この場面、小せんの役者さんは吹き替えを立てる方もいらっしゃるそうですが、秀太郎さんは「大好きな権太のためですもの」とご自身で演じられました。涙が出そうになるのを松明の煙のせいと言う権太、涙をこらえるためにわざと上を向く権太、なんとも言えない感情のこもった目で小せんを見やる権太、ハンカチは手放せませんでした。渾身の権太でした。
歌舞伎座からの帰り際、松嶋屋さんの番頭さんに思わず「お大事に」と言いに行きましたが、その後でちゃんと「すし屋、感動しました!」ってそれも申し添えておきました。
秀太郎さんブログによれば、孝夫さん



私の席から花道、舞台を撮ってみました。

八海山の甘酒です。要冷蔵じゃなかったら買って帰りたかったのですが…。

今回のお弁当は銀座三越の神谷のものです。お昼にケーキを食べてしまったので、昼の部と夜の部の間にいただきました。