日本は地震が多いが、台湾でも大地震が起きている。その一つの1999年に起きた集集地震は、マグニチュード7.3(兵庫県南部地震M7.2とほぼ同じエネルギー、東日本大震災はM9.0)、震源の深さ1.1km(兵庫県南部地震は16kmだったので集集では相当な激震になった)である。さっそく国際交流宮あじ会に呼びかけ、義援金を送致した。
その後、復興の話を聞いた。とりわけ少数民族である邵族の復興では協力造屋と呼ばれる方式で復興とともにコミュニティを再生したそうだ。しかし、協力造屋がよく分からない。
そこで、2007年11月、集集を訪ね、協力造屋の発案者である謝英俊氏に聞き取りをし、復興住宅を取材した。その結果を2008年度の日本建築学会関東支部研究発表会に報告したので、転載する。
2008.3 調査報告「集集地震を契機とした台湾原住民邵族のコミュニティ再生」 日本建築学会関東支部
集集は台湾の景勝地・日月湖に近い。邵族はこのあたりに住んでいた。漢民族の移住とともに生活は厳しくなったが、それまでは半農半漁で生計を立てていた。住まいは、木軸に竹を補助に使った簡素なつくりで、屋根は草葺きだった。
集集地震でほとんどの家は全半壊したが、簡潔な構造だったため人災は少なかった。しかし、畑地が崩れ、湖の水位が下がり農業、漁業ができなくなった。都会に出て働こうと考える人も多く、政府は分散した移転先を提示した。
謝英俊氏たちは、日月湖の近くにコミュニティを再生して暮らす画期的な案を提示した。
通常の復興住宅は、被災者は仮設住宅で暮らし、建設業者が建てる復興住宅の完成を待つことになるが、謝氏たちはさらに画期的なセルビルドのアイデアを提案した。セルビルドとは、被災者が建設工事を請け負う方式である。こうすれば工事費が被災者の収入になる。セルフビルドだから、これまでの住まいの住みやすさを取り入れることができる。
これが協力造屋である。
復興住宅地が完成し、伝統的な祭礼が復活した。日月湖に訪れる観光客も復活したうえ、邵族の伝統的な祭礼も人気となり、さらに大勢が観光で訪れるようになったそうだ。そのため、農業、漁業に加え、観光業の仕事も増え、生活も安定してきた。
協力造屋のアイデアがなかったら、コミュニティは崩壊し、伝統的な祭礼も消滅したかも知れない。
協力造屋は災害復興に集落再建に示唆深い方法である。
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