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2002.10中国・青島-南昌-上海を訪ね「水を語り、水を見る」

2015年06月16日 | 旅行

2002.10 中国・青島-南昌-上海を訪ね「水を語り、水を見る」
                             
青島建築工程学院で講義
 2002年10月、中国・青島建築工程学院で講義を行い、続いて中国建築学会・南昌大学・江西省建設局主催の「建築・文化2002国際学術討論会」で論文を発表し、帰路、上海郊外・朱家角を見学した。案内は中国・青島建築工程学院のS副教授である。

 初日、朝9時ごろ家を出て、成田発-上海乗り換えで青島に向かった・・当時、青島-成田の直行便がなかった・・。上海では虹梁旧空港に到着したが、なぜか青島行きは浦東新空港だった。リムジンバスでおよそ1時間ぐらいだそうだが、到着が遅れていたのでタクシー乗り場に行ったところ、長蛇の列でとても間に合いそうもない。やむを得ず、言い寄ってきた白タクと値段を交渉、かなりふっかけられたが仕方ないので、それでも値切って浦東新空港に向かった。
 浦東空港はフランス人の設計だそうで幻想的な雰囲気だが(写真)、鑑賞する時間もなく飛行機に乗り、夜の9時半すぎ、何とか青島空港で迎えのS副教授とJ学科長に会う。13時間余もかかってしまった。

 翌2日目、午前中は講義の準備、午後、両替をし、南昌への航空券を購入したあと、4時から青島建築工程学院建築学科で「水環境共生の考え方と水景観計画」について、スライドを使った講義を行った。
 受講者は3~4年、大学院生を主に、テーマに関心の教授など、80名ほどが受講した(写真)。日本語・中国語の通訳はS副教授が担当してくれた。S副教授は日本で修士号を取得していて日本の事情にも詳しいから、中国の事情にあわせいくつか補足説明をしてくれて助かった。
 中国では沿海部の開発が急速のうえ、北京の次期オリンピックにあわせ青島も会場建設が急ピッチであり、環境への視点が二の次になりやすい。講義を聴き、環境と共生した開発の重要性を改めて再確認したとの意見が多かった。

 講義後の会談で、建築系主任で近く大学が改組になり建築学部長となるJ教授から、青島旧市街の住み方調査に関する共同研究について要請を受けた。青島はドイツによって開発・発展してきた歴史があるが、現在の急速な開発でドイツの都市計画・建築様式の影響を受けた旧市街が再開発される状況にある。歴史的な都市構造や住み方の変化と現代的な住志向を明らかにしたうえで、歴史的な意義を生かした再開発計画を提案したいそうだ。
 昨年度、青島建築工程学院で「住民参加のまちづくり」を講義しており、あわせて、住民参加の計画作りの可能性についても検討したいとの希望もあった。今後、共同研究の詳細について検討を進めることにした。

国際学術討論会で研究報告
 3日目、国際学術討論会の会場がある江西省の省都・南昌にS副教授と向かった。青島から上海浦東新空港、同じ浦東空港から南昌空港へ、ここから車でおよそ2時間走った廬山の国際会議場まで、およそ11時間、中国での移動はともかく時間がかかる。なんでこんなところで国際会議?と思ってしまうが、南昌は中国共産党の革命発祥の地として世界的にも知られているうえ、標高1500mに近い廬山は古くから名山として有名で、著名人の別荘も多いそうだ。ホテルから数分のところに周恩来氏の別荘もあった。
 国際会議参加登録はおよそ200名で、日本からは私と、I芝浦工業大学名誉教授、C鹿児島大学教授、T八戸工業大学教授の4名、ほかにアメリカ、タイ、香港からの参加があった。この日は開会宣言のあと、主題解説4名、学術報告4題があり、終了はなんと夜の10時になった。
 4日目、午前は全体会学術報告7題、午後から分科会で、私は第1分科会The Temporal Architecture Comparison cross Architectural Cultures の第1報告で、「The Traditional Water supplies and Traditional dwellings」を発表した(写真は第1分科会会場、国際学術討論会の赤い垂れ幕)。
 1時間の発表時間を与えられたので、主題解説・学術報告の流れを考え、研究発表を30分で切り上げ、水環境共生の重要性を青島での講義スライドを用いて解説した。
 急速な開発の進む中国では、例えば、この5年間に大学を倍増する計画が実施されており、1年に満たない時間で広大なキャンパスの計画・設計が進められ、しかも新しい建築表現が求められるため、アメリカやヨーロッパ、日本などの現代建築の表現が開発計画に導入される傾向が強い。私の、こうした開発計画の根元的課題である水環境計画の重要性を再認識すべきであるとの報告に少なからず賛同を得た、と自画自賛した。
 最終日は分科会報告と全体討論であるが、飛行機の時間にあわせて途中退場、上海に戻った。

上海・新天地
 上海には夕刻に着いたので、荷物を下ろしてから新天地を訪ねた。上海にはかつて里弄住宅と呼ばれる都市住宅地が大量に建設された。それでも中国の爆発的な人口増を受け止めきれず、里弄住宅の一つをさらに分割して複数世帯が住んでいる状況が見られた。
 1986年、初めて上海を訪ねたときに、そのような厳しい住宅事情を見てまわったことがあり、同済大学でC 教授の助手をしていたM 君が案内をしてくれた。M 君はその後、私を頼って日本に留学し、東大大学院に進んでいま博士論文をまとめている。
 今回の南昌大学・国際シンポの話しを連絡したところ、昔の里弄住宅の一部を残し、新天地として再生されたから是非見てほしいとEメイルが来た。
 里弄住宅を再生した新天地訪ねてみて、かつての面影を残しながらもあか抜けた町並みに変貌していてすっかり驚かされてしまった(写真)。
 古いものを取り壊し、新しく建て替えることが得意な中国人というイメージは、新天地を見る限りあてはまらない。巧みな空間構成といい、古い残像と新しい表現の組み合わせといい、実にうまい。外国人ばかりでなく中国人も人並みをつくっており、町並みのデザイン手法が評価されていることを裏付けていた。もっとも、飲食の値が高いように思う。その辺は相変わらずの中国人商法で、ちょっとばかりがっかりであった。

上海郊外・朱家角
 5日目は、地下鉄で体育館前まで行き、ここからバスで、上海郊外の運河を都市構造とした歴史都市・朱家角を訪ねた(写真)。水の汚れが気になるが、一時失われていた運河機能の再利用によって町ににぎわいが戻ってきたそうである。
 運河は自動車交通の効率性にはかなわないが、人間的な交流と水による感性的な刺激に充ちている。いったん、水を汚してしまい、あるいは水のもつ様々な働きを失ってしまうと、水環境を復元するために時間のかかる啓発と膨大なエネルギーを必要とする。
 それでも運河が残っていれば水環境の再生は可能であるが、もし運河を埋め立て水環境そのものを失ってしまえば、水の復元・再生は不可能となろうし、同時に土壌が乾き、緑を失い、急速に環境の悪化が進むことになろう。あとは、人工的な水環境を新たに作り出す開発計画しかない。朱家角の運河保存・活用は目を見張る活動ではないが、たとえ小さな活動でも運河を残すことがいつか本格的な水環境保全につながるという当たり前の重要性を再認識し、帰路についた。

 1986年以来、何度も訪ねている上海はいつも新しい空気がみなぎっている。今回も新天地といい、地下鉄が通った南京路といい、新しい都市景観を作り続ける外灘といい、思い切った斬新さに驚かされた。
 常に新しい時代に突き進んでいく上海人の気質のせいかもしれない。おそらく、次に訪ねたときにはさらに新しい空気が吹いていると思う。その反面、いろいろな場面で遭遇する人と人の結びつきのようなものが変わらず生き続けていることも象徴的だった。
 大げさに大きな声で、何十年ぶりかであった親友か肉親のように、他の人などに目もくれず話しあう様子は、広大な土地に多民族が住みあい、しばしば激変する社会にあっては人と人の結びつきこそが真実を確かなものにするということのあらわれであろうか。上海が飛躍的に発展すればするほど、一方で、自分の存在を確かなものとするために知人を見つけては大げさに大きな声で話そうとする習癖は、これからもなくなりそうもないと思える。わずか1週間の中国であったが、中身の濃い充実した時間だった。 (2002.12)

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