昨日「リヒターの一枚の絵が4100万ユーロで落札」というタイトルの記事がケルンで発行されている地方紙のトップに掲載されました。

リヒター氏はケルン在住でケルン市の名誉市民にもなっているのでトップに掲載されたのだと思います。
ケルンの大聖堂にもリヒター氏のステンドグラスがあります。
4100万ユーロって日本円に換算すると55億円ではないですか

でも画伯は自分の絵がこれほど高額で取引されていることを「馬鹿げたことだ」と思っているのだろうなあと想像したことでした。
2011年の秋に「ろうそく」の絵がやはりロンドンで1200万ユーロで落札された時も「信じられない」という感想をもらしていましたから。
今から10年前になりますが日本の美術雑誌の方々とケルンのリヒター氏のアトリエを訪れお話しを伺ったことがあります。
お仕事をご紹介して下さったのは以前、東京で「通訳集中講座」に参加した時知り合いになったKさんです。
彼女はその頃からすでに会議通訳者として仕事されており別に受講する必要はなかったのですが、何故か参加され、トレーニングで一緒にブースに入った時など色々助けていただきました。
現在はドイツの首相や大統領が来日したりベルリン・フィルやドイツのオペラが来日公演するときの通訳を務め日独通訳のトップグループのひとりとして活躍しています。
私はそれまでどちらかというと行政関係の仕事が多く、美術関係は初めてだったので基礎知識から学ばなくてはなりませんでした。ちょうど隣町のデュッセルドルフでリヒターの大回顧展が開かれていたのでそこでカタログと邦訳された「写真論・絵画論」を購入して勉強しました。


300ページもあるドイツ語の大冊をよく読破したものです(マ、絵がかなりのページ掲載されていたことも確かですが)

以前から画伯とお付き合いがある画廊の方が「インタビュー嫌いで気難しいこともある」とおっしゃっていたのですが、訪問時は機嫌良く真摯にこちらの質問に答えてくださいました。
美術雑誌に掲載されたアトリエの写真です。

アトリエには10点ほどの絵が整然と並んでいて画伯は「何枚かはまだ途中で、何枚かは完成している」と言われたのですが、居合わせた誰一人として「どれが完成作品?」かはわかりませんでした。抽象画は難しいです

それにしても掲載誌を手にとる度に「エッ、こんな難しいことを私は通訳していたのかスゴイなあ」と自分のことながら感心してしまいます。この時の仕事は通訳歴の中でも金字塔のひとつで、ご紹介してくれたKさんに感謝しています。
でも「過去の栄光?」をこのように懐かしく思い出すなんてやはり私もかなり「退職モード」になってきたことを痛感します。
色々理由をつけて仕事を断る私は通訳仲間のひとりから「有閑マダム」などと呼ばれてしまいました

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