コメント
第三権力(これも死語なのか)
(
サムライ
)
2007-11-29 11:12:52
新聞社には確かに社会の公器としての要素もありますがそれに加えて「第三権力」という意義もありそちらの円滑な機能を考えるとやはり報道する側は匿名である方が望ましいように思います。ミャンマー政権の長井さん殺害を例に出すまでもなく権力を報道するには常に身辺にリスクが付き物でありこの日本でも報道陣を対象にしたテロまがいの事件は過去いくつもあるのですから権力が報道を暴力で潰す志向を加味した上でバランスを考慮するべきかと。でないと取材する側に萎縮効果を齎し公にできないことをする人間を利することになりませんか。
それともう一つ。被疑者云々の下りは理屈はその通りだと思いますが、香川の殺害事件にみられるように被疑者以前の人物が加害報道をされるといったことはこれまでもいくらでもあったのになぜ敢えて守屋氏の時にそれを言うのかなとは思います。守屋氏のことは納税者として国民全員が被害者といってもよい事件で公にされない警察の取調室などではなく国会である程度自白に近い証言もしています。奥さんがあれだけたかっていて娘さんが完全な白ということはないでいょう。山田が用意した寿司の一つくらい食べているのではないですか。正直同情しかねます。
訂正
(
サムライ
)
2007-11-29 11:20:42
第三権力ではなく第四権力でしたね。お詫びして訂正いたします。
Unknown
(
山崎元
)
2007-11-29 12:13:53
サムライさま
守屋氏に対する怒りには全く同意します。なぜあんな男が次官になったのか、という辺りに、社会としては一番の問題があるのかも知れません。
一方、全てのリアルタイム報道が必要なものかというとそうでもないような気がします。逮捕などのテレビ同時中継は事件の解明よりも視聴率狙いの場合が多いのではないでしょうか。また、マスコミは、結果的にそうなることがあるとしても、社会的処罰を与えることを目的として活動すべきではないと思います。
証人喚問などは、表情に情報として意味があるので動画音声付きで伝えるべきです。ただ、出頭・逮捕という辺りの報道はもっと軽くてもいいのではないでしょうか。ヘリをぶんぶん飛ばすことで防衛汚職に関して新たな情報が得られる訳ではありません。堀江氏の逮捕の時も思いましたが、あれはかなり迷惑です。
また、記者やカメラマンの行儀の悪さが目に余ることも時にあります。名を名乗って個人の責任の下で、覚悟の上で取材したらいい、というのが概ね私の意見です。彼らはペンやカメラと媒体の力で個人を攻撃することができる人達なわけですから、彼らを安全圏に置く必要はないと思います。
私はかつて匿名の批評原稿をかなりの数書いたことがあるので、「匿名」が重要な場合があることも分かるのですが、しかし、多くの場合は、取材や批評・批判は世間に対して実名・顔出しで行うのがフェアだし適当だろうと思っています。これはフリーのライター・カメラマンであっても、大メディアの正社員であっても、そうでしょう。
加えて、ジャーナリストをチェックする機能を誰が受け持つのかという点も問題です。たとえば「記者クラブ」というインチキな制度を自己批判して解体できないような人々には、公権力ではない第三者のチェックが必要ではないでしょうか。
非常時くらいは
(
年上女房っていいですよ
)
2007-11-29 12:48:28
阪神大震災で被災した時、ぺしゃんこで瓦礫同然になったアパートの中に『誰かいませんか~』と呼びかけ、小さい弱い声が返ってこないか耳をすましていると、遠くの空に取材・撮影ヘリがいて、声の有無が判別できなかったことがありました。遠くのヘリでもそんな感じでしたから、頭上に何台かのヘリがいたら、こちらの呼びかけの声さえ相手に聞こえなかったでしょう。救出真っ只中にそこまでしたマスコミ取材ですが、被災した私にとっては、停電(まっすぐ立っている電信柱の方が珍しかった)などでテレビも新聞もしばらく見ることがありませんでした…。あとで友人に聞くと地上のテレビレポーターが頭上のヘリの爆音に負けじと大声を張り上げていたそうです。今は命がかかっている非常時くらいは詳細な取り決めをしているのでしょうか。期待できませんね。
記名という幻想
(
作業員
)
2007-11-29 13:51:48
ちょっとずれるけんど、毎日新聞が何故だめか、について書いてみたい。わしの家は代々毎日派で、別にアカヒにかえようとか思ったことは一度もない市井のリベラル一家だ(わし個人は、おねーちゃんだますために、読めもしないのに英字新聞をずっととっていたことがあるだけで、新聞など買ったこともない)。
新聞社のなかで、記名報道にこだわってきたのは、毎日なんだが、だからといって毎日の記事につよい責任感を感じることなどなく(特に経済記事などはオテモリ感が強い記名記事、ぷっ)、面倒なクレームにジャーナリスト個人(の信念)として最後まで対処したと聞いたこともない。論者として名が出るのは、いつまでたっても、権力をエサに肥え太った岩見のブタと、思うように太れなかったから相撲取りを諦めてなんとなく記者になった小ブタ岸井ばかり。ずっと毎日を読むには読んでいるが、記者の名前が浮かぶのは、ただひとつ、「中島みゆき」だけだ。そんな新聞が売れるわけなかろうに、学会信者に買ってもらうか、オテモリ記事の山でキヤノン様にでも買ってもらうしかなかろう。
書くべき記事を書けば、記者なんぞ身元わられてプスプス刺されたりするのが、普通の国、だろうに。闇の勢力と対決する、などと笑えないネタで漫才をやっている民主野田ブタや民主前原ブタが、いつまでもプスプス刺されもしないこの普通ではない国で、記名に幻想など持ってはいかん。さっき、CNNだったかで、デモクラシーという言葉を連発するブッシュの姿を見て、アホなんだろうが明らかに安倍氏よりはましだな、などということをいまさらながら思ったのであった。デモクラシーやがな、デモクラシー。
さっき百円コーヒーだけいただいたマクドで読んだ日経の一面は、御○所キヤノンの新工場建設。一面で書くなら、「こんどこそ、休み時間内に行って帰ることができる距離に、安い社食をつくれ! この○所企業が!」と訴えてくれや、名前は書いていない、○所紙さんよ。
匿名の意義
(
サムライ
)
2007-11-29 15:11:56
11月11日(日)に放映されたNHKスペシャル、ヤクザマネー~社会を蝕(むしば)む闇の資金~はご覧になられましたか。変声機を通してしゃべる暴力団員は「組織の維持拡大にはカネがいる。」「カネがあれば懲役が、死ぬのが恐くないなんて奴をいくらでも買える」とのたまっていました。
恐らく今に始まったことではありませんがそのような勢力が日本中枢に深く食い込んでいるのです。「匿名」が重要な場合があることも分かると仰いますがそれではその基準はどのようなものでしょうか。まさかヤクザを直接取材するような場合のみ匿名でとは言われませんよね。もしそのようなルールなら彼らの”顧客”の大物は大喜びですよ。
”フェア”云々は取材される側もペンにはペンでというルールを遵守している場合のみ言えるものでありそれが担保されていない状態で一方的に取材する側に個人の責任、覚悟の上で、安全圏に置く必要はないなどと仰るのはとても酷薄に思えます。先方が暴力その他汚い盤外戦略を用いてくるのに対抗して用心しての匿名なのです。どうしてそれをアンフェア呼ばわりされねばならないのでしょうか。
世間では建前とは逆に社会システムとして人の心証、好悪、裁量に委ねられる部分が多くあり権力が言論で痛いところを突かれた時に書き手の個人がわかっていればそれらを使って言論以外で楽に決着をつけようとする誘惑に勝つことは容易ではないと思います。
マナーの良し悪しと実名かどうかは本来分けて考えるべきであり匿名がその意義以上にマナー違反を助長しているとは思えません。犯罪被害者の遺族に突撃する民放の実名レポーターが実名ゆえ抑制されてあの程度なのだとは言いますまい。
その他の部分には概ね同意します。米軍基地や選挙カーのことを考えたらたまのヘリぐらい、とも思いますがヘリは落ちる危険もありますし嫌われてもしかたありませんか。
都合
(
bobby
)
2007-11-29 16:37:45
>匿名の意義 (サムライ)
横レス失礼します。サムライさんの意見は、特殊な例を強引に一般化されているように思えます。匿名性の必要な(特殊な分野の)取材は、そういう人材を使えばよいだけではないでしょうか。それはメディアと記者が考えて判断すれば良い問題と思います。
匿名の意義2
(
サムライ
)
2007-11-29 20:37:00
bobyさま山崎さまの負担も減りますし横レス歓迎です。議論も膨らみますのでぜひどうぞ。
閑話休題、私の意見のどこらあたりが”特殊”で”強引”なのか具体的ご指摘がありませんが仮に特殊だとしてその線引きはどのようにするのでしょうか。人間というのは弱いもので口で負かされるとどうしても手足が出たりそのことを根に持つというようなことになりやすいです。
議論から離れたところでも相手のことを否定したり別のことで仕返ししたりといったことにどうしてもなりやすいのが人情ではありませんか。『坊主憎けりゃ袈裟まで憎い』『江戸の仇を長崎で討つ』といったことがきわめて起こりやすいものと思います。
それらを性善説で相手のモラル任せにしてしまうのではなく匿名というやり方で自己防衛するのは理に適っていることではないでしょうか。
一度、実名=フェアという思考停止から離れてみませんか。実名匿名に関わらず取材する上でマナーは重んじられるべきだし反論の窓口さえ用意されていれば個々の取材する側がいちいち実名・顔出しでする必要はないと思います。
記事の質、マナー共に実名は匿名にことごとく勝るというほどの統計的根拠は乏しいでしょう。素晴らしい記事であればどんな人が書いているのだろうという好奇心は満たせますが、学歴や経歴がノイズとして偏見を助長する場合もあると思いますので純粋に中身で勝負することの妨げになることもあると考えます。
Unknown
(
山崎元
)
2007-11-29 22:07:59
サムライさま、bobbyさま
身の安全ということはジャーナリストならずとも常に心配しなければならないことですが、衝動的な凶行を別とすると、書かれた側が「消してやろう!」と思うような記事の場合に、相手を特定するくらいのことはそう難しくないと思います。それでも、「記事を恨んで殺した」という事件が毎月何回も起こるような事態にはなっていません。
殺す・殺されるというレベルで実名報道のデメリットを強調すると、議論の対象がかなり狭いものになるか、+-の判断に歪みが生じるかするのではないか、という危惧がbobbyさんの言う「特殊な例を一般化」ということの大凡の中身ではないかと思います。
私が考えているのは、主に、世間的に恥をかくかかない、というくらいのレベルの話です。取材対象と取材者が同列くらいに注目浴びてもいいというくらいの覚悟を持って、ジャーナリストは取材にのぞむべきではないか、ということです。
公務員でも民間人でも被疑者的な立場に立った場合、強引で迷惑な取材をされることもあれば、意地悪な写真を撮られたり、間違った記事を載せられたりすることがあります。この場合の報じる側の人々に対して、もう少し個人的な緊張感を強いてもいいのではないか、というのが私の考えです。それほど厳しい要求だとは思いません。
「匿名」が許されるのは内部告発のように、社会的には告発にメリットがあっても、告発者個人の利益が著しく失われる可能性のある場合や、取材者が特定されるとその後の取材が難しくなるような場合でしょう。
但し、ジャーナリストの取材が常に自発的に実名で名を名乗ったものである必要はありません。取材方法の非礼やデメリットを知ることが出来る事実の価値が上回ると「賭ける」行為は常に許されるべきでしょう。ただし、その人物が、名前を特定されたり、顔をさらされたりしたくらいでキャアキャア言うのはいかがなものか。ジャーナリストとはもともと際どい(法的にも、倫理的にも、名誉・安全の上でも)職業なのではないでしょうか。ホンの僅かの凶行の可能性も恐ろしくてペンがすくむというような方はもともとジャーナリストなどやらない方がいいでしょう。読者としても、そんな根性無しの書いた記事は読みたくないでしょう。
「凶行」に話題を戻しますと、私程度の「ぬるい」ことを書き、時々雑誌やテレビに出る程度の知名度・顔売れであっても、悪意や逆恨みによって何らかの被害を受ける「可能性」はあろうか、と多少は気にしているつもりです。しかし、それで、意見を変えようとは思っていません。不幸な事件が時にあるのは事実ですが、私などよりも、もっと憎まれているであろうと思える多くの人が案外安全に生活できているのも一方の事実です。用心は大切ですが、心配のしすぎはいけません。
人にもよりますし、程度の差もあるでしょうが、他人に対する主張や行動は名を名乗って行うのが礼儀であり普通だろうと私は思っています。まして取材対象から見ると影響力が大きい(そのわりに訂正記事は小さくて地味だし・・)ジャーナリストをこの原則の例外に置くことがいいとは思いません。
Unknown
(
サムライ
)
2007-11-30 00:59:15
殺すか殺されるかと書いたつもりはないのですが拙文ゆえミスリードしましたか。普通まともな人ならいきなり殺したりしないわけで小さな圧力から加えればいいのですから殺すところまで抵抗する人は稀でしょう。たとえばフリーの人なら仕事を干される危険や社員なら人事での冷遇をちらつかせるよう圧力をかけることで日に陰に攻撃することができます。
もし命に関わるようなこと以外の不利益は甘んじて受け入れよと仰るならやはり酷薄ではないですか。たとえば家のローンがある経済的立場の弱いフリージャーナリストが伸び伸び取材できる余地があるほうが風通しのいい社会だと思いますがどうでしょう。いかなる注釈をつけようと実名を原則べき論とすれば匿名記事は非礼だろうというレッテルを貼られることになります。
仰る通り他人の努力で取材する側が名前を特定されたり、顔をさらされた場合は単に取材される対象が入れ替わったと解すればよいわけで特別同情する余地はありませんし、報道被害も看過できない問題でそれは賠償金の安さや司直の甘さが原因だと思うのですが、それらを実名か匿名の問題と結びつける論理運びには強い抵抗を覚えます。
他がそのままならばもし仮に実名を徹底したところで会社が名誉毀損の記事を書きたいと思えばフリージャーナリストだろうと社員だろうと使い捨てて書くと思うのですが違いますか。
論点整理+匿名・実名もんだい
(
山崎元
)
2007-11-30 03:01:41
サムライ様
話は成り行きが楽しいものなので、怒っているわけではありませんが、そもそも、殺すの殺さぬのというレベルの話を持ち出されたのはサムライ様なわけです。ブログのコメント欄は論争ゲームではないので、「論点のすり替えだ!」などという野暮な話では騒ぎませんから、まあ、この点は、経緯を分かっていただければ良しとしましょう。
また、私のエントリーは、行儀の悪いジャーナリストは実名・顔出しで叩くのが良いということが言いたかったのであって、記事の署名を実名でという話は二次的に「その方がまっとうだと思うよ」という程度の話なのです。
したがって、サムライ様の直ぐ上のコメントの「取材される対象が入れ替わる」ような時を主に問題にしている訳で、本来なら取材対象になるような行為がジャーナリスト側にあった場合に、「特別同情の余地はない」という重要な点で、われわれの意見は一致しています。
主な違いは、私は、メディアどうしはお互いに対して甘いので、被害者や一般市民がもっと厳しく監視していいのではないか、と付け加えている点でしょう。
●
話の成り行き上、匿名記事の可否が話題にになりましたが、私は匿名の報道や批評にも存在の余地を残すことに賛成ですが(たとえば内部告発者のために)、報道・批評は原則として実名で行うべきだと思っています。
これは報じられ・論じられる側への礼儀と共に、やはり、実名の文章と匿名の文章では責任感に差が出ると思うからです。
文章の責任感については、機会があれば、ご自身で匿名の原稿と、実名の原稿をそれぞれ発表されてみるといいと思います。とりあえず手っ取り早いのは、サムライ様が、氏名、勤務先などを明かして、実名で次のコメントをお送り下さることでしょうか。顔写真もメールでお送り下されば(1MB以下のファイルサイズで、プロフィール欄にあるアドレスにお送り下さい)、UPするように手配します。新聞やテレビのような観客数が無くて恐縮ですが、デイリーで5千くらいのPVはあるので、幾らか「見られている」感は味わえると思います。
私の場合、主に匿名(ペンネーム)で書いていたのが90年代で1999年のJMMの創刊の頃から実名原稿が増えましたが、前者を決していい加減な気分で書いていたわけではないのですが(編集部に対して責任を負っているので)、実名原稿になると、さらに、(1)場合によっては自分自身で直接説明責任を負うこと、(2)文章の出来不出来が自分個人への評価に反映すること、などから、格段にプレッシャーが増したことを覚えています。実名でプレッシャーがちがうというのは、人物が小さくて恥ずかしい話ですが、正直なところ、事実でした。
単に論を述べるだけでなく、対象の利益と名誉に影響する「報道」をする人は基本的にはこのレベルで仕事をすべきだと思います。
ついでに参考文献を。匿名批評の批判については、古典ですがショーペンハウエルの「読書について」(斉藤忍随訳、岩波文庫)をお勧めします。匿名で原稿を書いていた時代にこれを読んで、ずいぶん凹んだことを思い出します。
補足(メールアドレス)
(
山崎元
)
2007-11-30 03:22:48
サムライ様
直接ご連絡を頂いたり写真を送って頂く場合のメールアドレスは
yamazaki_hajime@mail.goo.ne.jp
です。
●
ついでに。
>たとえば家のローンがある経済的立場の弱いフリージャーナリストが伸び伸び取材できる余地があるほうが風通しのいい社会だと思いますがどうでしょう。いかなる注釈をつけようと実名を原則べき論とすれば匿名記事は非礼だろうというレッテルを貼られることになります。
別段おかしなことをしなければ取材も論評も構わないのですし、それに、こういう人が匿名で仕事をしていると、いつまでも「経済的立場が弱い」ままに終わりそうで心配ですね。
匿名の報道・論評が非礼かどうかは価値観の問題ですが、私は非礼だと思います。ただ、「非礼だけれども、それ以上に報じる価値があると考えるから、残念だけれども匿名で報道する」ということはあっていいでしょう。そういう整理でいいのではないでしょうか。
自分が匿名で実名の個人を俎上に乗せることに対しては、なにがしかの「負い目」を感じるべきでしょう。それを全然感じないで、「伸び伸び」しているだけの奴はただのバカだと私は思います。
Unknown
(
UNKNOWN
)
2007-11-30 15:26:22
横槍ですみません。
ショーペンハウエルの本は私も覚えています。
匿名で攻撃されてもまともに反撃しようがない
ことの不満も、ショーペンハウエルにはあった
のだろうと推察します。
しかし、活動の対価として所得を得ているプロフ
ェッショナルとして、実名を出さざるを得ないと
いう立場に置かれないかぎり、ペンネームに頼っ
てしまう気持ちもわかります。
そもそも匿名性は群集心理と結びついてきやすい
ので、そのあたりが匿名のインモラル性と関係し
ているのかという気もします。
Unknown
(
サムライ
)
2007-11-30 20:47:01
山崎さま
もう回答はいただけないかと思っていましたが朝、こちらに訪れてみたら長文が認められていて嬉しい誤算でした。せっかくメールアドレスまで紹介してくださったのに恐縮ですが現状私は発表時の匿名には強い意義を感じておりかつ”腰抜け”の”バカ”更に”心配のしすぎ”と三拍子揃い踏みの人間ですから自発的に情報は公開しませんしご期待に沿ったものはお送りしません。それを高所から馬鹿にしたければどうぞご自由にしてください。
しかし一晩明けてお書きくださった文章を読んだら仰る通り拘っているのはもう瑣末な部分なのかなとも思えるのも事実です。コメントの参加者も思ったより増えず次のエントリーを待つ読者にも、なにより主筆の山崎さまにも迷惑でしょうからここでこれ以上反論するのはやめておきます。もしストレス解消ブログなのにストレスを感じさせてしまっていたらすみません。そしてなにより長々とお付き合いありがとうございました。
「読書について」も折をみて読ませていただきます。
Unknown
(
山崎元
)
2007-12-01 02:27:35
サムライさま
私としては、サムライ様に、別段、実名とお写真を公開して欲しいという希望なり、要求なりがあるわけではありません。「匿名と実名では、たかだか小さなブログのようなようなものでも、感じが違いますね」という点について実感が共有できればいいな、というだけの意図があっただけです。写真の送り先云々は念のため手続きを用意しただけです。
もちろん、サムライさんと「戦って」いる感覚もありませんし、「腰抜け」と「バカ」にしたい訳でもありません。
匿名の報道・批評が「有意義」なのか、「失礼」なのか、「許されるべきでない」のか、は人により、ケースによって、判断が違っていてもいいと思います。
私は、この種のべき論や倫理的判断には、プラスとマイナスと両面があって、あるテーマに対して、プラスが多い場合には、トータルで「YES」と判断すればいいが、マイナスの要素もあることを強く意識しつつ、YESの方向に進むべきだと思っています。
要は、事情によっては匿名の記事は容認するけれども、書き手には、「今回はこれでいいのだ」という判断と共に、「残念ながら匿名である」という一種の精神的負い目を持つデリカシーを失って欲しくないと思っています。
私は、匿名の内部告発の原稿や情報提供で、結局当時の会社には居にくくなって、転職したことがあります(詳しい事情にご興味があれば、文芸春秋「僕はこうやって11回転職に成功した」をご参照下さい)。これは、匿名でも、自分にはデメリットがあっても、告発の利益の方が上回ると思ってしたことですが、当時の私の実力(家族や経済力も含めて)では、匿名でやらざるを得ないものだったので、匿名が必要なこと、匿名にもメリットがあることは、実感としても理解している積もりです。
現在程度であっても、実名での意見発表が出来るようにするには、それなりにコストが掛かりましたし、働き方を再編成する必要がありました。
ただ、生活もあれば、家族もいる、生身の個人や会社を俎上に乗せるなら、できれば実名を名乗って論ずるべきだろう、そうでなければ、対象の方は堪らないな、というのが私の意見です。
船場吉兆の関係者にも生活があるし、守屋氏のような人の場合にも本人の言い分もあれば家族もいる。単に、相手側に反論の機会があればいい(自由に反論できる機会を本当に持っている場合は、公人でも少ないと思いますが)、というものでは無さそうに思えます。
マスコミは反権力を掲げがちだけど癒着しているという実態
(
まひわり
)
2007-12-01 14:36:11
>証拠隠滅の可能性を考えると
>検察のリークによるものという以外の可能性が思いつかないが、このスケジュールは既にメディア各社の知るところとなっていて
リークは悪ですよ。証拠隠滅の機会を与えますからね。
積極的な取材で日程がわかる、ならいいんですが、単純にいろいろな役所に浸透してるんでしょう。それは取材とは違う馴れ合いでしかない。
守秘義務違反がどうのというつもりは無いんですが、違反を教唆するほうもお前どうよと指摘をされていいんじゃないかな。
そうかなあ? どう考えよう?
(
サイレントじゃないマジョリティー
)
2007-12-01 20:28:15
今晩は。
「メディアと報道の在り方」に就いての真剣な意味ある論議には、長文になるので今夜は避けますが、別途参加します。取材された側の「守屋むすめ」に就いての意見です。
>守屋氏の娘さんと覚しき女性の・・・・・・大目に見られる範囲ではないか。>の部分に対しては「そうかなあ?」との思いがあり皆様に諮ってみます。
◆◆◆◆
守屋武昌・幸子両容疑者夫妻の娘さん(以下単に娘)が水を浴びせるべきであったのは、頭を冷やさせる為に寧ろ両親&/or自分自身に対してであったのではないのかなあ?
両親容疑者のこれまでの恥ずべき所業に対する報道と家庭内での長期にわたる日々を身近に見聞き体感していて、我が身の置かれた立場と状況を冷静に見詰めるための充分な能力(米国留学までしてるらしい)と徳性を多少なりとも備えた人間であれば、いかに報道陣の常軌を逸した暴力的とも言える取材攻勢があろうとも、自分の生きる糧となった費用(例えば住居費・食費・学費・留学費用)の出所が仮に極一部であっても親の勤労に伴う浄財でなかった疑いにがっくりと落込みまたは慄然として、少なくとも事の真偽を自分なりに出来る範囲で確めることが為すべき事ではなかったのか、と思うのです。
まあ!あんな良識と良心に欠ける両親に愛しみ育てられた娘に公徳心の芽生えなど期待するほうが所詮は無理ということだとしたら、厚顔無恥&破廉恥の拡大再生産がこの先も続くことは間違いなかろう。
であれば娘に多少とも考える機会を与えたことは一部いい加減ジャーナリズムといえども、チョットだけは社会貢献を為したことになるのではなかろうか(本稿で報道陣の弁護をする積もりは全くないが)。毒が毒を以って牽制された、くらいのことではなかろうか? 毒はどっちにしても要らないが、決して消滅滅亡して二度と現れないなんてことも無いでしょう。
娘!、もしこのブログを訪れ読んでいるなら、風呂桶を冷たい水で一杯に充たし3~4時間ほどジックリ漬かってその頭を芯から冷やしてみてはどうかなあ、其れをお勧めしましょう。
もし本当にその必要性が無いと仰る場合はどうでしょう??
なんなら帽子やマスクは外してお得意のデジカメで撮ったご自分の顔写真も載せた上で、ご両親容疑者の身の潔白・所業の正当性を証明する論陣を例え一生をかけてでも正々堂々と展開されては如何ですか。
「何だ?何が悪いのだ?私には判らない!!でも両親とも塀の向こう側に堕ちて行って仕舞った!どうしよう!?」と途方に呉れ凹むくらいのお馬鹿さんであったなら少しは同情の気持ちが湧くかもしれない。
◆◆◆◆
いじょうの事を書いて自分自身に対する引っ掛かりがあるとすればそれは自分の匿名寄稿の点ではあります。
深く賛同
(
サムライ
)
2007-12-01 22:53:22
「皆様に諮ってみます。」とのことですので再度投稿することをお許しください。「サイレントじゃないマジョリティー」さまのご意見に深く賛同します。私としては以前匿名であることに負い目を感じる必要はないとの立場ですので「引っ掛かり」を感じる必要もないと思うとの応援も付け加えておきます。
「サイレントじゃないマジョリティー」さまご寄稿ありがとうございました。百万の味方を得た思いです。
訂正
(
サムライ
)
2007-12-01 22:57:31
二行目「以前」を「依然」に訂正いたします
絶対権力は絶対腐敗する。
(
恩田川 鴨次郎
)
2007-12-02 00:22:55
「守屋氏に対する怒りには全く同意します。なぜあんな男が次官になったのか、という辺りに、社会としては一番の問題があるのかも知れません。」ですが、
欧米のことわざに、「絶対的権力は必ず腐敗する」というのがあります。
役人が収賄で逮捕されるのは日本では時々氷山の一角として顕在します。平成8年の厚生省の岡光次官や平成10年の大蔵省ノーパンしゃぶしゃぶ接待でも逮捕者がでています。
他の発展途上国にくらべれば、まだ程度はよいといえる。
役人は中国の宦官とおなじなので、次官にでもなれば、そういう誘惑があることを当然として収賄をチェックするようなシステムを作る方が実際的と考えます。
反対です。
(
どんぐり
)
2007-12-02 01:04:10
サイレントじゃないマジョリティー様のご意見について、僕はキビシー(><)って思いました。
守屋嬢は親が逮捕されてテンパってるんだろうから、はたから見るとオカシイ行動を取ってしまうこともあるんじゃないでしょうか。僕はニュースを読んでて、嬢も大変だなあ、かわいそうにって思いました。
また嬢の生活費がブラックなお金だったとしても、嬢は必ずしもがっくりと落込まなくてもいいんじゃないでしょうか。親のお金の問題はあくまで親だけの問題で、娘とは切り離して考えたいです。嬢がこれについて「残念だったけど、私にはどうしょもないわ」と思ったとしても、僕は一つの正しい見解だと言ってあげたいです。
良識と良心に欠ける両親に愛しみ育てられた娘ということならば、娘はぎゃくに可哀そうだと思うし、かなり余計な御世話なんですが、保護して導いてあげたい。守屋嬢よ、冷たいお風呂じゃなくて、あったかいベッドでとりあえず休みなさい!
補記
(
どんぐり
)
2007-12-02 01:06:56
それなりのボリュームの文章を書いたのですが、2行しか反映されてなさそうです。がーん。バックアップを取ってませんでした。。。またいずれ書き込みします(涙)
書き直しました
(
反対です。
)
2007-12-02 01:33:42
文章が消えてしまったことがあまりにも悔しくて、書き直して投稿します。連続投稿をおゆるしください。
サイレントじゃないマジョリティー様のご意見について、僕はキビシー(><)と思いました。親が逮捕されちゃったら、テンパって変な行動をとってしまうこともあるでしょう。水をぶっかけるくらいは大目に見ていいんじゃないでしょうか。
娘の生活費の出所が好ましくないかもしれないことはあくまで親の問題です。娘がいろいろ考えて「残念だったけど、親は選べないんだもの、しょうがないわ」と結論づけたなら、僕は一つの正しい見解と考えます。僕だってたまたま真っ当と思われる父母に育てられただけなので、このことで「がっくりと落込みまたは慄然として・・・」と言う気にはならないです。
また両親が良識と良心に欠けていたのなら、やはり娘はかわいそうだと思います。僕は娘に「冷たい水風呂なんていいから、あったかいベッドでお休みなさい」と言いたいです。
Unknown
(
どんぐり
)
2007-12-02 01:35:36
文章が消えてしまったことがあまりにも悔しくて、書き直して投稿します。連続投稿をおゆるしください。
サイレントじゃないマジョリティー様のご意見について、僕はキビシー(><)と思いました。親が逮捕されちゃったら、テンパって変な行動をとってしまうこともあるでしょう。水をぶっかけるくらいは大目に見ていいんじゃないでしょうか。
娘の生活費の出所が好ましくないかもしれないことはあくまで親の問題です。娘がいろいろ考えて「残念だったけど、親は選べないんだもの、しょうがないわ」と結論づけたなら、僕は一つの正しい見解と考えます。僕はたまたま真っ当と思われる父母に育てられただけなので、この部分「がっくりと落込みまたは慄然として・・・」と言う気にはならないです。
また両親が良識と良心に欠けていたのなら、やはり娘はかわいそうだと思います。僕は娘に「冷たい水風呂なんていいから、あったかいベッドでお休みなさい」と言いたいです。
反対です。
(
どんぐり
)
2007-12-02 01:40:10
文章が消えてしまったことがあまりにも悔しくて、書き直して投稿します。連続投稿をおゆるしください。
顔文字がいたずらして、文章が途中で切れてしまったかと思い、再度投稿します。
サイレントじゃないマジョリティー様のご意見について、僕はキビシーと思いました。親が逮捕されちゃったら、テンパって変な行動をとってしまうこともあるでしょう。水をぶっかけるくらいは大目に見ていいんじゃないでしょうか。
娘の生活費の出所が好ましくないかもしれないことはあくまで親の問題です。娘がいろいろ考えて「残念だったけど、親は選べないんだもの、しょうがないわ」と結論づけたなら、僕は一つの正しい見解と考えます。僕はたまたま真っ当と思われる父母に育てられただけなので、この部分「がっくりと落込みまたは慄然として・・・」と言う気にはならないです。
また両親が良識と良心に欠けていたのなら、やはり娘はかわいそうだと思います。僕は娘に「冷たい水風呂なんていいから、あったかいベッドでお休みなさい」と言いたいです。
Unknown
(
UNKNOWN
)
2007-12-02 06:52:16
実名のほうがより責任ある言動を期待しやすいことも事実です。匿名の場合、顔の見えない分、群集心理に陥りやすいという問題もあります。
ただ、実名を選んだ人にしても、それは実名で得られるリターンがコストを上回っているために、その人は実名を選んでいるだけだと思います。
天声人語も選挙の無記名投票も匿名です。それはコストとリターンを勘案した合理的な選択であるはずです。
Unknown
(
UNKNOWN
)
2007-12-02 07:13:28
守屋次官の娘さんの場合、防衛省の他の高級官僚も似たようなことをしているはずだし、「みんな」と同じ事をして何が悪いのか、というホンネが、そのまま行動にあらわれたのだろうと推察します。
責任の所在
(
xtc4241
)
2007-12-02 07:57:24
山崎さん
おはようございます(いま12月2日7:40朝です)
サムライさん、サイレントじゃないマジョリティーさん
あなた方の意見には反対です。
(マスコミの)職業としての責任の所在をはっきりさせることが必要だと思います。その影響力において、個人の比ではない。娘さんがそのときの感情にまかせてやってしまっても、いいとは言わないまでも、仕方ないことだと思います。それよりも、マスコミの有無をいわせない暴力といってもいいほどのその態度を批判すべきだと考えます。
ものの順番を間違えてはいけないと思います。
ついでにいえば、守屋さんが悪いことはたしかでしょうが、それを生んだ構造・システム・風土にそこそ一番問題がある。それは間違いにないことでしょう。
そこにこそ目を向けるべきだと思います。
それでは、また。
匿名について
(
岡ちゃんショーケン
)
2007-12-02 08:17:28
匿名の問題に話を戻しますが、ここに投稿されている皆さんは、ほとんどの方が匿名です。匿名ゆえに自分の意見を表明することができる、という方は私も含めて多いと思います。
実名を出すことによるリスクは、ネットの世界も現実の社会も同じ程度の大きさと考えても良いのではないでしょうか。大新聞でもブログでも、その主張するところに対し理不尽な攻撃をまったく受けないという保証は現在の所ありません。
そのような攻撃からわが身を守る方法が匿名であると思います。名前を隠すことですべてのリスクを回避できるとは思いませんが、今のところこれに変わる方法はないと思われます。
しかし、匿名というのはあくまで自身の意見を公表または報道する側がわが身を守るために講じる方法であって、報道される側や第三者についてははじめから対象外だということです。軋轢が生じるのは当然だともいえます。
重要なのは、それぞれの立場を考慮した一定のルールを定め、そのルールの遵守を担保する制度を整備することだと思います。報道機関には協定などのルールがあるのでしょうが、報道関係者のごみ捨てのマナーやヘリコプターの騒音などについて細かく規定しているとは思えませんし、それによって迷惑をこうむる第三者について考慮しているとは、到底思えません。テレビや新聞の関係者は、第三者に対しては身分証を提示する、しなかった場合は取材行動を制限されるといったような規定があってもいいと思います。
ネットの中の発言については、現状を見る限り誹謗中傷の書き込みが減る様子はありませんし、管理者による、それらへの対応が十分とはいえません。第三者による、もしくは公的な監視のための機関が必要とされても仕方ないかなと思わせます。
少なくとも、ネットに意見を書き込むときには自分の発言がネットの自由度を狭める可能性が、常にあるということを自覚して発言していただきたいと思います。
余談ですが、例えば作業員さんなど、実名でのコメントになると、かなり文章の調子が変わってしまうのではないでしょうか。
複数の問題
(
山崎元
)
2007-12-02 13:48:04
思うに、問題が複数あるのでしょう。
たとえば、守屋氏の娘さんの気分を推測すると、「確かに私の父母は悪いかも知れないが、それを問うべきは警察や検察であって、マスコミ連中にもみくちゃにされたり、面白おかしく扱われるいわれはない」というくらいの感じでしょう(違うかも知れませんが)。これはこれで、マスコミは処罰機関ではないので、重要な論点だろうと思います。
一方、たとえば私がマスコミのカメラマンでもやっていれば、守屋氏の落胆した様子や開き直った様子を、他社のカメラマンよりも印象的に面白く撮りたいと思うでしょうし、そのためにいいアングルを求めて隣家の屏にぐらいは登かも知れません。「ご迷惑は分かっておりますが、ヤクザな仕事なので、ご勘弁を」と心の中で唱えつつ、人間が複数居れば、自動車の進路を遮るくらいのことは平気でしょう。
他方、守屋氏の娘さんは、社会的にどうなのか、という別の問題があります。オヤジが不正に金品を貰い接待を受けていて、それが自分のメリットにもなってきたことは、子供でないのだから分かるだろう、という非難も当然あっていいでしょう。一方、娘は別人格なのだし、親父のカネの出所まで問うては可哀想だ、という見方もあるでしょう。前者の見方のメディアは、彼女に取材を申し込むなりして、堂々と非難の記事を書けばいいと思います。
ネットも含むメディアでのの匿名、実名は難しい問題です。私は、原則が実名でもいいと思いますが、匿名が有りでもいいと思っています。匿名でのやりとりにも、なかなか味わいがあり、これも捨てがたいと思う一方、たとえば個人的な攻撃を匿名でやるのは卑怯だなと思うことがあります。匿名には匿名の節度があると思うのですが、幸いこのブログへの来訪者は、この点をよくお分かりのようです。
たとえば御手洗冨士男日本経団連会長をの公的な発言や経営者としての行動を指して「人間便器!」とののしるくらいは、実名でも匿名でも「あり」だと思いますが、一般に知られていない彼の行動を取りあえげて非難するとすれば、少なくとも実名で事実の根拠を示してやるべきでしょう。また、彼の家族の問題について面白おかしく取り上げるとすると、これは、匿名でも実名でも「やりすぎ」だろうと思います。
2ちゃんねるのような掲示板は、匿名且つ言いっ放しの特別区のような存在ですが、これは、厳密には問題なのでしょうが、参加者と世間が「ここはこういう場なのだ」と了解している限りにおいて、許されるコミュニケーションなのでしょう。ただ、個人のプライバシーに関わるような書き込みや、名誉毀損などは、厳密に問われるとイケナイということでしょう。
一部ないし多くの人が「やりすぎ」に陥ると、この種の特区を早く潰してしまいかけないという、微妙なバランスの上に成り立っているのだろうと思います。
私は、匿名を止めて、実名にしたことで、悪口雑言の才能を封印した感じなのが自分では幾らか残念ですが、書いたり、喋ったりで、幾らか食べているので、実名で一貫性を保っておくのも悪くないかなと思っています(注;ペンネームがほぼバレバレですが匿名の原稿も書くことがあります)。発言が著しく不自由になったかというとそうでもありませんし、言いたいことの根拠を確認する癖が多少つくのも悪いことではなかったように思います。
たとえば私が銀行や保険会社に勤めながら、今のようなことを書いたり、話したりするのは、現実的には難しいかもしれません。ただ、思うに、私が書いたり言ったりしている程度のことは、どこに勤めている誰だろうが、個人の資格で言っても構わないと思いますし、それに対して所属組織が(たかだか会社ごときが)どうこう言うのは本当はおかしな事だろうと思っています。
水ぐらいじゃ、ニュースにもならないかな
(
タヌ夫
)
2007-12-04 03:06:44
娘さんが水を掛けたのは、良くないことかも知れませんが、取材する側が紳士的な態度(あるいは淑女としての態度)であったなら、そんなことも起こらなかったと推測できる訳で。
取材する側も、これだけのニュースですから、ちょっとは行き過ぎたこともしでかすでしょうし、そのあげく水を掛けられるぐらいはOK、というより「とてもおいしい」訳でして。
でもね、誰かが書いていたけど、震災の時のような場合は、「人命」をなにしろ第一に動いてね。しょせんスクープなんて、普通の人にはどうでもいいことなのよ。
さて、こうした公務員の悪事になると、「退職したので起訴できない」だとか、「退職金の返還は強制できない」という話が出てきますが、いい加減そんな馬鹿ないい訳をする前に、法改正のひとつでもしたらどうかと、山のタヌキは思う訳です。
以下、あくまで同僚のうわさ話。
今の防衛次官は、「憲法9条ぐらいの「しばり」があった方が、軍事はうまくいく」と言ったそうな。
なんだか、凄い話だ。
Unknown
(
UNKNOWN
)
2007-12-04 14:12:10
次女の口座にも200万円送金されていたそうですね。
>取材する側が紳士的な態度(あるいは淑女としての態度)であったなら、そんなことも起こらなかったと推測できる訳で。
単なる「やつあたり」でしょう。すべて他人が悪いと思っているので、あれだけ強気に出れたのでしょう。批判されても、批判=嫉妬としか思ってないのではないでしょうか。単なる推測ですが。
Unknown
(
UNKNOWN
)
2007-12-04 14:22:47
>家族の問題について面白おかしく取り上げるとすると、これは、匿名でも実名でも「やりすぎ」だろうと思います。
これはプライバシーの問題ですね。当人の意に反して私生活や実名の公開を強いられることは確かに問題です。
ただ守屋次官のケースは、家族ぐるみの犯行だと仮定すれば、自業自得の感もありますが・・。
はじめと学ぶ
(
サイレントじゃないマジョリティー
)
2007-12-04 21:29:16
皆様今晩は、ご意見を頂きました、有難う御座いました。
物事を複眼的・多角的・立体的に見る(自分の最初の捉え方から自力で離脱する)ことの難しさを再認識します。
守屋容疑者夫妻ほどの(例えそれが次官昇任前にあっても)地位と経済力を持つ人達が自分達の楽しみの為のたかだかゴルフや旅行とか飲食代金を人様の懐に頼りケチる卑しさに加え、リスク・リターンのバランス感覚や倫理観が全く欠如している実態を見せつけられ、これはもうこう言う人達を精神的に抑制し得るものは愛する子供へ塁を及ぼす出来事しかないのだろうなと(その薄情さを)思うと、こんな両親を持って仕舞った子供の不幸にも少しは思いが至ることも事実です。経済学の発想も法の精神も親の子に対する情も無い変な奴がエリート面を出来たとは情けない。
それにしてもあんな特定業者からの頻繁な饗応を受ける部下・後輩・同僚を少しは諌める事の出来る人がたったの一人も居ないのか不思議な思いをすると同時に大変不安に駆られます。
(防衛省はじめ各省庁とも同様な根腐されをして居るのが実態か!!!!)
単に任命責任に止まらず監督責任も大臣には大有りですぞ。
サマワに駐在したり、自国の何処を掘っても一滴も出ない燃料を色んな危険を冒して豊かなアメリカの艦船に補給する任に当たる兵隊さん達もよく腹が立たないなあ!?、持たされている鉄砲をぶっ放す者が一人も出ないことだけでも感謝しなくちゃね、上層部は。
検察官が防衛省の家宅捜査に踏み込む瞬間のヘリコプター映像を先日NHKニュースが放映しましたが、その際に思ったことは三つです。
①ジャストオンタイムに上空に待機出来るのは検察との事前合意による連携だなあ!
②解説する搭乗記者の声のバックにヘリの騒音を加えるのが演出意図ならえらく安物っぽい劇場型だなあ!
③NHK経営委員会の有識者達は何しているのかな?(有識者ってどう言う資質の人達?)
世の中は金融商品取引法施行に伴う財務諸表の信頼性確保の為の企業経営者責任の総理大臣への保証書提出準備で大変なことになっています。
同じ手法を無任所以外の全ての大臣と政務次官及び社会保険庁責任者達から全成人国民宛に第三者監査証も添えて提出させる、くらいの仕組みを作らないともたないのではないでしょうか、黙って静かに一所懸命に日々の労働に励む善意のマジョリティーももうもたない、偉い地位につく人達のことを信じられない本当に厭な世の中になりました。
塀の向こう側の元官僚とそのお内儀さん、メディアと政治屋の皆さん、そして有識者と自分で思っている皆さん、アダム・スミスの道徳感情論と国富論を読むことをお勧めする。君達の行為がどうして決して同感を得られないか多少のヒントくらいは掴むきっかけになろう。
お前に経済学のことが判るか!って? 店主のお勧めに従ってセイラー教授の行動経済学を読んだ。正直言って良く判らない(例えば息子に説明出来ない)ことが多かった。ホンネの投資教室第67回までの方が脳への定着率は高いと感じる。従って今後2~3回くらいは他の書物にも当たりながら読み直す。店主の前書きとホンネの投資教室その他の著作物の助けがなかりせば諦めたかもしれないほどに経済は難しいが亀に求める腹筋運動ほどではなさそうだ。
◆◆◆
私は今日は、次ぎの2冊の本を自宅最寄駅の本屋で買って来た、「会社は2年で辞めていい」と「富士大全 富士撮影のすべて」(㈱ニューズ出版)、それに店主またまたご教示の「読書について ショーペンハウエル 岩波文庫」は注文をしてきました。一週間くらいで店に届くらしい、とても楽しみだ。
つまらないことが目立つ世の中だが、まだまだ学ぶことで楽しみも追求し続けられそうな師走です。
転職は20年後でも
(
親方
)
2007-12-09 21:29:46
日本の会社ではある程度キャリアを積んで、実力つけても、いろいろの兼ね合いで日陰に置かれるのもあるのかな~と思います。
で、そういう実力者を同業他社に転職させないようなカルテルがあるようにも聞きますが、どうでしょう?
40,50の転職は厳しいと言いますが、真に実力のある40、50代社員が同業他社に行かれると、困るのでしょうか。
Unknown
(
山崎元
)
2007-12-10 00:17:08
親方さま
確かに、業界によっては、ライバル会社からお互いに人材を引き抜かないことが不文律になっているような所もあるようです。単純にこうした業界はツマラナイと思いますが、障害が多いとはいえ、業界を変える転職もあり得ますし、不文律の例外を求めて成功することもあり得ます。一度の人生ですから、改善を諦めるのはもったいないと思います。もっとも、成算が無くても転職すべきだとまでは、私でも思いません。
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それともう一つ。被疑者云々の下りは理屈はその通りだと思いますが、香川の殺害事件にみられるように被疑者以前の人物が加害報道をされるといったことはこれまでもいくらでもあったのになぜ敢えて守屋氏の時にそれを言うのかなとは思います。守屋氏のことは納税者として国民全員が被害者といってもよい事件で公にされない警察の取調室などではなく国会である程度自白に近い証言もしています。奥さんがあれだけたかっていて娘さんが完全な白ということはないでいょう。山田が用意した寿司の一つくらい食べているのではないですか。正直同情しかねます。
守屋氏に対する怒りには全く同意します。なぜあんな男が次官になったのか、という辺りに、社会としては一番の問題があるのかも知れません。
一方、全てのリアルタイム報道が必要なものかというとそうでもないような気がします。逮捕などのテレビ同時中継は事件の解明よりも視聴率狙いの場合が多いのではないでしょうか。また、マスコミは、結果的にそうなることがあるとしても、社会的処罰を与えることを目的として活動すべきではないと思います。
証人喚問などは、表情に情報として意味があるので動画音声付きで伝えるべきです。ただ、出頭・逮捕という辺りの報道はもっと軽くてもいいのではないでしょうか。ヘリをぶんぶん飛ばすことで防衛汚職に関して新たな情報が得られる訳ではありません。堀江氏の逮捕の時も思いましたが、あれはかなり迷惑です。
また、記者やカメラマンの行儀の悪さが目に余ることも時にあります。名を名乗って個人の責任の下で、覚悟の上で取材したらいい、というのが概ね私の意見です。彼らはペンやカメラと媒体の力で個人を攻撃することができる人達なわけですから、彼らを安全圏に置く必要はないと思います。
私はかつて匿名の批評原稿をかなりの数書いたことがあるので、「匿名」が重要な場合があることも分かるのですが、しかし、多くの場合は、取材や批評・批判は世間に対して実名・顔出しで行うのがフェアだし適当だろうと思っています。これはフリーのライター・カメラマンであっても、大メディアの正社員であっても、そうでしょう。
加えて、ジャーナリストをチェックする機能を誰が受け持つのかという点も問題です。たとえば「記者クラブ」というインチキな制度を自己批判して解体できないような人々には、公権力ではない第三者のチェックが必要ではないでしょうか。
新聞社のなかで、記名報道にこだわってきたのは、毎日なんだが、だからといって毎日の記事につよい責任感を感じることなどなく(特に経済記事などはオテモリ感が強い記名記事、ぷっ)、面倒なクレームにジャーナリスト個人(の信念)として最後まで対処したと聞いたこともない。論者として名が出るのは、いつまでたっても、権力をエサに肥え太った岩見のブタと、思うように太れなかったから相撲取りを諦めてなんとなく記者になった小ブタ岸井ばかり。ずっと毎日を読むには読んでいるが、記者の名前が浮かぶのは、ただひとつ、「中島みゆき」だけだ。そんな新聞が売れるわけなかろうに、学会信者に買ってもらうか、オテモリ記事の山でキヤノン様にでも買ってもらうしかなかろう。
書くべき記事を書けば、記者なんぞ身元わられてプスプス刺されたりするのが、普通の国、だろうに。闇の勢力と対決する、などと笑えないネタで漫才をやっている民主野田ブタや民主前原ブタが、いつまでもプスプス刺されもしないこの普通ではない国で、記名に幻想など持ってはいかん。さっき、CNNだったかで、デモクラシーという言葉を連発するブッシュの姿を見て、アホなんだろうが明らかに安倍氏よりはましだな、などということをいまさらながら思ったのであった。デモクラシーやがな、デモクラシー。
さっき百円コーヒーだけいただいたマクドで読んだ日経の一面は、御○所キヤノンの新工場建設。一面で書くなら、「こんどこそ、休み時間内に行って帰ることができる距離に、安い社食をつくれ! この○所企業が!」と訴えてくれや、名前は書いていない、○所紙さんよ。
恐らく今に始まったことではありませんがそのような勢力が日本中枢に深く食い込んでいるのです。「匿名」が重要な場合があることも分かると仰いますがそれではその基準はどのようなものでしょうか。まさかヤクザを直接取材するような場合のみ匿名でとは言われませんよね。もしそのようなルールなら彼らの”顧客”の大物は大喜びですよ。
”フェア”云々は取材される側もペンにはペンでというルールを遵守している場合のみ言えるものでありそれが担保されていない状態で一方的に取材する側に個人の責任、覚悟の上で、安全圏に置く必要はないなどと仰るのはとても酷薄に思えます。先方が暴力その他汚い盤外戦略を用いてくるのに対抗して用心しての匿名なのです。どうしてそれをアンフェア呼ばわりされねばならないのでしょうか。
世間では建前とは逆に社会システムとして人の心証、好悪、裁量に委ねられる部分が多くあり権力が言論で痛いところを突かれた時に書き手の個人がわかっていればそれらを使って言論以外で楽に決着をつけようとする誘惑に勝つことは容易ではないと思います。
マナーの良し悪しと実名かどうかは本来分けて考えるべきであり匿名がその意義以上にマナー違反を助長しているとは思えません。犯罪被害者の遺族に突撃する民放の実名レポーターが実名ゆえ抑制されてあの程度なのだとは言いますまい。
その他の部分には概ね同意します。米軍基地や選挙カーのことを考えたらたまのヘリぐらい、とも思いますがヘリは落ちる危険もありますし嫌われてもしかたありませんか。
横レス失礼します。サムライさんの意見は、特殊な例を強引に一般化されているように思えます。匿名性の必要な(特殊な分野の)取材は、そういう人材を使えばよいだけではないでしょうか。それはメディアと記者が考えて判断すれば良い問題と思います。
閑話休題、私の意見のどこらあたりが”特殊”で”強引”なのか具体的ご指摘がありませんが仮に特殊だとしてその線引きはどのようにするのでしょうか。人間というのは弱いもので口で負かされるとどうしても手足が出たりそのことを根に持つというようなことになりやすいです。
議論から離れたところでも相手のことを否定したり別のことで仕返ししたりといったことにどうしてもなりやすいのが人情ではありませんか。『坊主憎けりゃ袈裟まで憎い』『江戸の仇を長崎で討つ』といったことがきわめて起こりやすいものと思います。
それらを性善説で相手のモラル任せにしてしまうのではなく匿名というやり方で自己防衛するのは理に適っていることではないでしょうか。
一度、実名=フェアという思考停止から離れてみませんか。実名匿名に関わらず取材する上でマナーは重んじられるべきだし反論の窓口さえ用意されていれば個々の取材する側がいちいち実名・顔出しでする必要はないと思います。
記事の質、マナー共に実名は匿名にことごとく勝るというほどの統計的根拠は乏しいでしょう。素晴らしい記事であればどんな人が書いているのだろうという好奇心は満たせますが、学歴や経歴がノイズとして偏見を助長する場合もあると思いますので純粋に中身で勝負することの妨げになることもあると考えます。
身の安全ということはジャーナリストならずとも常に心配しなければならないことですが、衝動的な凶行を別とすると、書かれた側が「消してやろう!」と思うような記事の場合に、相手を特定するくらいのことはそう難しくないと思います。それでも、「記事を恨んで殺した」という事件が毎月何回も起こるような事態にはなっていません。
殺す・殺されるというレベルで実名報道のデメリットを強調すると、議論の対象がかなり狭いものになるか、+-の判断に歪みが生じるかするのではないか、という危惧がbobbyさんの言う「特殊な例を一般化」ということの大凡の中身ではないかと思います。
私が考えているのは、主に、世間的に恥をかくかかない、というくらいのレベルの話です。取材対象と取材者が同列くらいに注目浴びてもいいというくらいの覚悟を持って、ジャーナリストは取材にのぞむべきではないか、ということです。
公務員でも民間人でも被疑者的な立場に立った場合、強引で迷惑な取材をされることもあれば、意地悪な写真を撮られたり、間違った記事を載せられたりすることがあります。この場合の報じる側の人々に対して、もう少し個人的な緊張感を強いてもいいのではないか、というのが私の考えです。それほど厳しい要求だとは思いません。
「匿名」が許されるのは内部告発のように、社会的には告発にメリットがあっても、告発者個人の利益が著しく失われる可能性のある場合や、取材者が特定されるとその後の取材が難しくなるような場合でしょう。
但し、ジャーナリストの取材が常に自発的に実名で名を名乗ったものである必要はありません。取材方法の非礼やデメリットを知ることが出来る事実の価値が上回ると「賭ける」行為は常に許されるべきでしょう。ただし、その人物が、名前を特定されたり、顔をさらされたりしたくらいでキャアキャア言うのはいかがなものか。ジャーナリストとはもともと際どい(法的にも、倫理的にも、名誉・安全の上でも)職業なのではないでしょうか。ホンの僅かの凶行の可能性も恐ろしくてペンがすくむというような方はもともとジャーナリストなどやらない方がいいでしょう。読者としても、そんな根性無しの書いた記事は読みたくないでしょう。
「凶行」に話題を戻しますと、私程度の「ぬるい」ことを書き、時々雑誌やテレビに出る程度の知名度・顔売れであっても、悪意や逆恨みによって何らかの被害を受ける「可能性」はあろうか、と多少は気にしているつもりです。しかし、それで、意見を変えようとは思っていません。不幸な事件が時にあるのは事実ですが、私などよりも、もっと憎まれているであろうと思える多くの人が案外安全に生活できているのも一方の事実です。用心は大切ですが、心配のしすぎはいけません。
人にもよりますし、程度の差もあるでしょうが、他人に対する主張や行動は名を名乗って行うのが礼儀であり普通だろうと私は思っています。まして取材対象から見ると影響力が大きい(そのわりに訂正記事は小さくて地味だし・・)ジャーナリストをこの原則の例外に置くことがいいとは思いません。
もし命に関わるようなこと以外の不利益は甘んじて受け入れよと仰るならやはり酷薄ではないですか。たとえば家のローンがある経済的立場の弱いフリージャーナリストが伸び伸び取材できる余地があるほうが風通しのいい社会だと思いますがどうでしょう。いかなる注釈をつけようと実名を原則べき論とすれば匿名記事は非礼だろうというレッテルを貼られることになります。
仰る通り他人の努力で取材する側が名前を特定されたり、顔をさらされた場合は単に取材される対象が入れ替わったと解すればよいわけで特別同情する余地はありませんし、報道被害も看過できない問題でそれは賠償金の安さや司直の甘さが原因だと思うのですが、それらを実名か匿名の問題と結びつける論理運びには強い抵抗を覚えます。
他がそのままならばもし仮に実名を徹底したところで会社が名誉毀損の記事を書きたいと思えばフリージャーナリストだろうと社員だろうと使い捨てて書くと思うのですが違いますか。
話は成り行きが楽しいものなので、怒っているわけではありませんが、そもそも、殺すの殺さぬのというレベルの話を持ち出されたのはサムライ様なわけです。ブログのコメント欄は論争ゲームではないので、「論点のすり替えだ!」などという野暮な話では騒ぎませんから、まあ、この点は、経緯を分かっていただければ良しとしましょう。
また、私のエントリーは、行儀の悪いジャーナリストは実名・顔出しで叩くのが良いということが言いたかったのであって、記事の署名を実名でという話は二次的に「その方がまっとうだと思うよ」という程度の話なのです。
したがって、サムライ様の直ぐ上のコメントの「取材される対象が入れ替わる」ような時を主に問題にしている訳で、本来なら取材対象になるような行為がジャーナリスト側にあった場合に、「特別同情の余地はない」という重要な点で、われわれの意見は一致しています。
主な違いは、私は、メディアどうしはお互いに対して甘いので、被害者や一般市民がもっと厳しく監視していいのではないか、と付け加えている点でしょう。
●
話の成り行き上、匿名記事の可否が話題にになりましたが、私は匿名の報道や批評にも存在の余地を残すことに賛成ですが(たとえば内部告発者のために)、報道・批評は原則として実名で行うべきだと思っています。
これは報じられ・論じられる側への礼儀と共に、やはり、実名の文章と匿名の文章では責任感に差が出ると思うからです。
文章の責任感については、機会があれば、ご自身で匿名の原稿と、実名の原稿をそれぞれ発表されてみるといいと思います。とりあえず手っ取り早いのは、サムライ様が、氏名、勤務先などを明かして、実名で次のコメントをお送り下さることでしょうか。顔写真もメールでお送り下されば(1MB以下のファイルサイズで、プロフィール欄にあるアドレスにお送り下さい)、UPするように手配します。新聞やテレビのような観客数が無くて恐縮ですが、デイリーで5千くらいのPVはあるので、幾らか「見られている」感は味わえると思います。
私の場合、主に匿名(ペンネーム)で書いていたのが90年代で1999年のJMMの創刊の頃から実名原稿が増えましたが、前者を決していい加減な気分で書いていたわけではないのですが(編集部に対して責任を負っているので)、実名原稿になると、さらに、(1)場合によっては自分自身で直接説明責任を負うこと、(2)文章の出来不出来が自分個人への評価に反映すること、などから、格段にプレッシャーが増したことを覚えています。実名でプレッシャーがちがうというのは、人物が小さくて恥ずかしい話ですが、正直なところ、事実でした。
単に論を述べるだけでなく、対象の利益と名誉に影響する「報道」をする人は基本的にはこのレベルで仕事をすべきだと思います。
ついでに参考文献を。匿名批評の批判については、古典ですがショーペンハウエルの「読書について」(斉藤忍随訳、岩波文庫)をお勧めします。匿名で原稿を書いていた時代にこれを読んで、ずいぶん凹んだことを思い出します。
直接ご連絡を頂いたり写真を送って頂く場合のメールアドレスはyamazaki_hajime@mail.goo.ne.jpです。
●
ついでに。
>たとえば家のローンがある経済的立場の弱いフリージャーナリストが伸び伸び取材できる余地があるほうが風通しのいい社会だと思いますがどうでしょう。いかなる注釈をつけようと実名を原則べき論とすれば匿名記事は非礼だろうというレッテルを貼られることになります。
別段おかしなことをしなければ取材も論評も構わないのですし、それに、こういう人が匿名で仕事をしていると、いつまでも「経済的立場が弱い」ままに終わりそうで心配ですね。
匿名の報道・論評が非礼かどうかは価値観の問題ですが、私は非礼だと思います。ただ、「非礼だけれども、それ以上に報じる価値があると考えるから、残念だけれども匿名で報道する」ということはあっていいでしょう。そういう整理でいいのではないでしょうか。
自分が匿名で実名の個人を俎上に乗せることに対しては、なにがしかの「負い目」を感じるべきでしょう。それを全然感じないで、「伸び伸び」しているだけの奴はただのバカだと私は思います。
ショーペンハウエルの本は私も覚えています。
匿名で攻撃されてもまともに反撃しようがない
ことの不満も、ショーペンハウエルにはあった
のだろうと推察します。
しかし、活動の対価として所得を得ているプロフ
ェッショナルとして、実名を出さざるを得ないと
いう立場に置かれないかぎり、ペンネームに頼っ
てしまう気持ちもわかります。
そもそも匿名性は群集心理と結びついてきやすい
ので、そのあたりが匿名のインモラル性と関係し
ているのかという気もします。
もう回答はいただけないかと思っていましたが朝、こちらに訪れてみたら長文が認められていて嬉しい誤算でした。せっかくメールアドレスまで紹介してくださったのに恐縮ですが現状私は発表時の匿名には強い意義を感じておりかつ”腰抜け”の”バカ”更に”心配のしすぎ”と三拍子揃い踏みの人間ですから自発的に情報は公開しませんしご期待に沿ったものはお送りしません。それを高所から馬鹿にしたければどうぞご自由にしてください。
しかし一晩明けてお書きくださった文章を読んだら仰る通り拘っているのはもう瑣末な部分なのかなとも思えるのも事実です。コメントの参加者も思ったより増えず次のエントリーを待つ読者にも、なにより主筆の山崎さまにも迷惑でしょうからここでこれ以上反論するのはやめておきます。もしストレス解消ブログなのにストレスを感じさせてしまっていたらすみません。そしてなにより長々とお付き合いありがとうございました。
「読書について」も折をみて読ませていただきます。
私としては、サムライ様に、別段、実名とお写真を公開して欲しいという希望なり、要求なりがあるわけではありません。「匿名と実名では、たかだか小さなブログのようなようなものでも、感じが違いますね」という点について実感が共有できればいいな、というだけの意図があっただけです。写真の送り先云々は念のため手続きを用意しただけです。
もちろん、サムライさんと「戦って」いる感覚もありませんし、「腰抜け」と「バカ」にしたい訳でもありません。
匿名の報道・批評が「有意義」なのか、「失礼」なのか、「許されるべきでない」のか、は人により、ケースによって、判断が違っていてもいいと思います。
私は、この種のべき論や倫理的判断には、プラスとマイナスと両面があって、あるテーマに対して、プラスが多い場合には、トータルで「YES」と判断すればいいが、マイナスの要素もあることを強く意識しつつ、YESの方向に進むべきだと思っています。
要は、事情によっては匿名の記事は容認するけれども、書き手には、「今回はこれでいいのだ」という判断と共に、「残念ながら匿名である」という一種の精神的負い目を持つデリカシーを失って欲しくないと思っています。
私は、匿名の内部告発の原稿や情報提供で、結局当時の会社には居にくくなって、転職したことがあります(詳しい事情にご興味があれば、文芸春秋「僕はこうやって11回転職に成功した」をご参照下さい)。これは、匿名でも、自分にはデメリットがあっても、告発の利益の方が上回ると思ってしたことですが、当時の私の実力(家族や経済力も含めて)では、匿名でやらざるを得ないものだったので、匿名が必要なこと、匿名にもメリットがあることは、実感としても理解している積もりです。
現在程度であっても、実名での意見発表が出来るようにするには、それなりにコストが掛かりましたし、働き方を再編成する必要がありました。
ただ、生活もあれば、家族もいる、生身の個人や会社を俎上に乗せるなら、できれば実名を名乗って論ずるべきだろう、そうでなければ、対象の方は堪らないな、というのが私の意見です。
船場吉兆の関係者にも生活があるし、守屋氏のような人の場合にも本人の言い分もあれば家族もいる。単に、相手側に反論の機会があればいい(自由に反論できる機会を本当に持っている場合は、公人でも少ないと思いますが)、というものでは無さそうに思えます。
>検察のリークによるものという以外の可能性が思いつかないが、このスケジュールは既にメディア各社の知るところとなっていて
リークは悪ですよ。証拠隠滅の機会を与えますからね。
積極的な取材で日程がわかる、ならいいんですが、単純にいろいろな役所に浸透してるんでしょう。それは取材とは違う馴れ合いでしかない。
守秘義務違反がどうのというつもりは無いんですが、違反を教唆するほうもお前どうよと指摘をされていいんじゃないかな。
「メディアと報道の在り方」に就いての真剣な意味ある論議には、長文になるので今夜は避けますが、別途参加します。取材された側の「守屋むすめ」に就いての意見です。
>守屋氏の娘さんと覚しき女性の・・・・・・大目に見られる範囲ではないか。>の部分に対しては「そうかなあ?」との思いがあり皆様に諮ってみます。
◆◆◆◆
守屋武昌・幸子両容疑者夫妻の娘さん(以下単に娘)が水を浴びせるべきであったのは、頭を冷やさせる為に寧ろ両親&/or自分自身に対してであったのではないのかなあ?
両親容疑者のこれまでの恥ずべき所業に対する報道と家庭内での長期にわたる日々を身近に見聞き体感していて、我が身の置かれた立場と状況を冷静に見詰めるための充分な能力(米国留学までしてるらしい)と徳性を多少なりとも備えた人間であれば、いかに報道陣の常軌を逸した暴力的とも言える取材攻勢があろうとも、自分の生きる糧となった費用(例えば住居費・食費・学費・留学費用)の出所が仮に極一部であっても親の勤労に伴う浄財でなかった疑いにがっくりと落込みまたは慄然として、少なくとも事の真偽を自分なりに出来る範囲で確めることが為すべき事ではなかったのか、と思うのです。
まあ!あんな良識と良心に欠ける両親に愛しみ育てられた娘に公徳心の芽生えなど期待するほうが所詮は無理ということだとしたら、厚顔無恥&破廉恥の拡大再生産がこの先も続くことは間違いなかろう。
であれば娘に多少とも考える機会を与えたことは一部いい加減ジャーナリズムといえども、チョットだけは社会貢献を為したことになるのではなかろうか(本稿で報道陣の弁護をする積もりは全くないが)。毒が毒を以って牽制された、くらいのことではなかろうか? 毒はどっちにしても要らないが、決して消滅滅亡して二度と現れないなんてことも無いでしょう。
娘!、もしこのブログを訪れ読んでいるなら、風呂桶を冷たい水で一杯に充たし3~4時間ほどジックリ漬かってその頭を芯から冷やしてみてはどうかなあ、其れをお勧めしましょう。
もし本当にその必要性が無いと仰る場合はどうでしょう??
なんなら帽子やマスクは外してお得意のデジカメで撮ったご自分の顔写真も載せた上で、ご両親容疑者の身の潔白・所業の正当性を証明する論陣を例え一生をかけてでも正々堂々と展開されては如何ですか。
「何だ?何が悪いのだ?私には判らない!!でも両親とも塀の向こう側に堕ちて行って仕舞った!どうしよう!?」と途方に呉れ凹むくらいのお馬鹿さんであったなら少しは同情の気持ちが湧くかもしれない。
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いじょうの事を書いて自分自身に対する引っ掛かりがあるとすればそれは自分の匿名寄稿の点ではあります。
「サイレントじゃないマジョリティー」さまご寄稿ありがとうございました。百万の味方を得た思いです。
欧米のことわざに、「絶対的権力は必ず腐敗する」というのがあります。
役人が収賄で逮捕されるのは日本では時々氷山の一角として顕在します。平成8年の厚生省の岡光次官や平成10年の大蔵省ノーパンしゃぶしゃぶ接待でも逮捕者がでています。
他の発展途上国にくらべれば、まだ程度はよいといえる。
役人は中国の宦官とおなじなので、次官にでもなれば、そういう誘惑があることを当然として収賄をチェックするようなシステムを作る方が実際的と考えます。
守屋嬢は親が逮捕されてテンパってるんだろうから、はたから見るとオカシイ行動を取ってしまうこともあるんじゃないでしょうか。僕はニュースを読んでて、嬢も大変だなあ、かわいそうにって思いました。
また嬢の生活費がブラックなお金だったとしても、嬢は必ずしもがっくりと落込まなくてもいいんじゃないでしょうか。親のお金の問題はあくまで親だけの問題で、娘とは切り離して考えたいです。嬢がこれについて「残念だったけど、私にはどうしょもないわ」と思ったとしても、僕は一つの正しい見解だと言ってあげたいです。
良識と良心に欠ける両親に愛しみ育てられた娘ということならば、娘はぎゃくに可哀そうだと思うし、かなり余計な御世話なんですが、保護して導いてあげたい。守屋嬢よ、冷たいお風呂じゃなくて、あったかいベッドでとりあえず休みなさい!
サイレントじゃないマジョリティー様のご意見について、僕はキビシー(><)と思いました。親が逮捕されちゃったら、テンパって変な行動をとってしまうこともあるでしょう。水をぶっかけるくらいは大目に見ていいんじゃないでしょうか。
娘の生活費の出所が好ましくないかもしれないことはあくまで親の問題です。娘がいろいろ考えて「残念だったけど、親は選べないんだもの、しょうがないわ」と結論づけたなら、僕は一つの正しい見解と考えます。僕だってたまたま真っ当と思われる父母に育てられただけなので、このことで「がっくりと落込みまたは慄然として・・・」と言う気にはならないです。
また両親が良識と良心に欠けていたのなら、やはり娘はかわいそうだと思います。僕は娘に「冷たい水風呂なんていいから、あったかいベッドでお休みなさい」と言いたいです。
サイレントじゃないマジョリティー様のご意見について、僕はキビシー(><)と思いました。親が逮捕されちゃったら、テンパって変な行動をとってしまうこともあるでしょう。水をぶっかけるくらいは大目に見ていいんじゃないでしょうか。
娘の生活費の出所が好ましくないかもしれないことはあくまで親の問題です。娘がいろいろ考えて「残念だったけど、親は選べないんだもの、しょうがないわ」と結論づけたなら、僕は一つの正しい見解と考えます。僕はたまたま真っ当と思われる父母に育てられただけなので、この部分「がっくりと落込みまたは慄然として・・・」と言う気にはならないです。
また両親が良識と良心に欠けていたのなら、やはり娘はかわいそうだと思います。僕は娘に「冷たい水風呂なんていいから、あったかいベッドでお休みなさい」と言いたいです。
顔文字がいたずらして、文章が途中で切れてしまったかと思い、再度投稿します。
サイレントじゃないマジョリティー様のご意見について、僕はキビシーと思いました。親が逮捕されちゃったら、テンパって変な行動をとってしまうこともあるでしょう。水をぶっかけるくらいは大目に見ていいんじゃないでしょうか。
娘の生活費の出所が好ましくないかもしれないことはあくまで親の問題です。娘がいろいろ考えて「残念だったけど、親は選べないんだもの、しょうがないわ」と結論づけたなら、僕は一つの正しい見解と考えます。僕はたまたま真っ当と思われる父母に育てられただけなので、この部分「がっくりと落込みまたは慄然として・・・」と言う気にはならないです。
また両親が良識と良心に欠けていたのなら、やはり娘はかわいそうだと思います。僕は娘に「冷たい水風呂なんていいから、あったかいベッドでお休みなさい」と言いたいです。
ただ、実名を選んだ人にしても、それは実名で得られるリターンがコストを上回っているために、その人は実名を選んでいるだけだと思います。
天声人語も選挙の無記名投票も匿名です。それはコストとリターンを勘案した合理的な選択であるはずです。
おはようございます(いま12月2日7:40朝です)
サムライさん、サイレントじゃないマジョリティーさん
あなた方の意見には反対です。
(マスコミの)職業としての責任の所在をはっきりさせることが必要だと思います。その影響力において、個人の比ではない。娘さんがそのときの感情にまかせてやってしまっても、いいとは言わないまでも、仕方ないことだと思います。それよりも、マスコミの有無をいわせない暴力といってもいいほどのその態度を批判すべきだと考えます。
ものの順番を間違えてはいけないと思います。
ついでにいえば、守屋さんが悪いことはたしかでしょうが、それを生んだ構造・システム・風土にそこそ一番問題がある。それは間違いにないことでしょう。
そこにこそ目を向けるべきだと思います。
それでは、また。
実名を出すことによるリスクは、ネットの世界も現実の社会も同じ程度の大きさと考えても良いのではないでしょうか。大新聞でもブログでも、その主張するところに対し理不尽な攻撃をまったく受けないという保証は現在の所ありません。
そのような攻撃からわが身を守る方法が匿名であると思います。名前を隠すことですべてのリスクを回避できるとは思いませんが、今のところこれに変わる方法はないと思われます。
しかし、匿名というのはあくまで自身の意見を公表または報道する側がわが身を守るために講じる方法であって、報道される側や第三者についてははじめから対象外だということです。軋轢が生じるのは当然だともいえます。
重要なのは、それぞれの立場を考慮した一定のルールを定め、そのルールの遵守を担保する制度を整備することだと思います。報道機関には協定などのルールがあるのでしょうが、報道関係者のごみ捨てのマナーやヘリコプターの騒音などについて細かく規定しているとは思えませんし、それによって迷惑をこうむる第三者について考慮しているとは、到底思えません。テレビや新聞の関係者は、第三者に対しては身分証を提示する、しなかった場合は取材行動を制限されるといったような規定があってもいいと思います。
ネットの中の発言については、現状を見る限り誹謗中傷の書き込みが減る様子はありませんし、管理者による、それらへの対応が十分とはいえません。第三者による、もしくは公的な監視のための機関が必要とされても仕方ないかなと思わせます。
少なくとも、ネットに意見を書き込むときには自分の発言がネットの自由度を狭める可能性が、常にあるということを自覚して発言していただきたいと思います。
余談ですが、例えば作業員さんなど、実名でのコメントになると、かなり文章の調子が変わってしまうのではないでしょうか。
たとえば、守屋氏の娘さんの気分を推測すると、「確かに私の父母は悪いかも知れないが、それを問うべきは警察や検察であって、マスコミ連中にもみくちゃにされたり、面白おかしく扱われるいわれはない」というくらいの感じでしょう(違うかも知れませんが)。これはこれで、マスコミは処罰機関ではないので、重要な論点だろうと思います。
一方、たとえば私がマスコミのカメラマンでもやっていれば、守屋氏の落胆した様子や開き直った様子を、他社のカメラマンよりも印象的に面白く撮りたいと思うでしょうし、そのためにいいアングルを求めて隣家の屏にぐらいは登かも知れません。「ご迷惑は分かっておりますが、ヤクザな仕事なので、ご勘弁を」と心の中で唱えつつ、人間が複数居れば、自動車の進路を遮るくらいのことは平気でしょう。
他方、守屋氏の娘さんは、社会的にどうなのか、という別の問題があります。オヤジが不正に金品を貰い接待を受けていて、それが自分のメリットにもなってきたことは、子供でないのだから分かるだろう、という非難も当然あっていいでしょう。一方、娘は別人格なのだし、親父のカネの出所まで問うては可哀想だ、という見方もあるでしょう。前者の見方のメディアは、彼女に取材を申し込むなりして、堂々と非難の記事を書けばいいと思います。
ネットも含むメディアでのの匿名、実名は難しい問題です。私は、原則が実名でもいいと思いますが、匿名が有りでもいいと思っています。匿名でのやりとりにも、なかなか味わいがあり、これも捨てがたいと思う一方、たとえば個人的な攻撃を匿名でやるのは卑怯だなと思うことがあります。匿名には匿名の節度があると思うのですが、幸いこのブログへの来訪者は、この点をよくお分かりのようです。
たとえば御手洗冨士男日本経団連会長をの公的な発言や経営者としての行動を指して「人間便器!」とののしるくらいは、実名でも匿名でも「あり」だと思いますが、一般に知られていない彼の行動を取りあえげて非難するとすれば、少なくとも実名で事実の根拠を示してやるべきでしょう。また、彼の家族の問題について面白おかしく取り上げるとすると、これは、匿名でも実名でも「やりすぎ」だろうと思います。
2ちゃんねるのような掲示板は、匿名且つ言いっ放しの特別区のような存在ですが、これは、厳密には問題なのでしょうが、参加者と世間が「ここはこういう場なのだ」と了解している限りにおいて、許されるコミュニケーションなのでしょう。ただ、個人のプライバシーに関わるような書き込みや、名誉毀損などは、厳密に問われるとイケナイということでしょう。
一部ないし多くの人が「やりすぎ」に陥ると、この種の特区を早く潰してしまいかけないという、微妙なバランスの上に成り立っているのだろうと思います。
私は、匿名を止めて、実名にしたことで、悪口雑言の才能を封印した感じなのが自分では幾らか残念ですが、書いたり、喋ったりで、幾らか食べているので、実名で一貫性を保っておくのも悪くないかなと思っています(注;ペンネームがほぼバレバレですが匿名の原稿も書くことがあります)。発言が著しく不自由になったかというとそうでもありませんし、言いたいことの根拠を確認する癖が多少つくのも悪いことではなかったように思います。
たとえば私が銀行や保険会社に勤めながら、今のようなことを書いたり、話したりするのは、現実的には難しいかもしれません。ただ、思うに、私が書いたり言ったりしている程度のことは、どこに勤めている誰だろうが、個人の資格で言っても構わないと思いますし、それに対して所属組織が(たかだか会社ごときが)どうこう言うのは本当はおかしな事だろうと思っています。
取材する側も、これだけのニュースですから、ちょっとは行き過ぎたこともしでかすでしょうし、そのあげく水を掛けられるぐらいはOK、というより「とてもおいしい」訳でして。
でもね、誰かが書いていたけど、震災の時のような場合は、「人命」をなにしろ第一に動いてね。しょせんスクープなんて、普通の人にはどうでもいいことなのよ。
さて、こうした公務員の悪事になると、「退職したので起訴できない」だとか、「退職金の返還は強制できない」という話が出てきますが、いい加減そんな馬鹿ないい訳をする前に、法改正のひとつでもしたらどうかと、山のタヌキは思う訳です。
以下、あくまで同僚のうわさ話。
今の防衛次官は、「憲法9条ぐらいの「しばり」があった方が、軍事はうまくいく」と言ったそうな。
なんだか、凄い話だ。
>取材する側が紳士的な態度(あるいは淑女としての態度)であったなら、そんなことも起こらなかったと推測できる訳で。
単なる「やつあたり」でしょう。すべて他人が悪いと思っているので、あれだけ強気に出れたのでしょう。批判されても、批判=嫉妬としか思ってないのではないでしょうか。単なる推測ですが。
これはプライバシーの問題ですね。当人の意に反して私生活や実名の公開を強いられることは確かに問題です。
ただ守屋次官のケースは、家族ぐるみの犯行だと仮定すれば、自業自得の感もありますが・・。
物事を複眼的・多角的・立体的に見る(自分の最初の捉え方から自力で離脱する)ことの難しさを再認識します。
守屋容疑者夫妻ほどの(例えそれが次官昇任前にあっても)地位と経済力を持つ人達が自分達の楽しみの為のたかだかゴルフや旅行とか飲食代金を人様の懐に頼りケチる卑しさに加え、リスク・リターンのバランス感覚や倫理観が全く欠如している実態を見せつけられ、これはもうこう言う人達を精神的に抑制し得るものは愛する子供へ塁を及ぼす出来事しかないのだろうなと(その薄情さを)思うと、こんな両親を持って仕舞った子供の不幸にも少しは思いが至ることも事実です。経済学の発想も法の精神も親の子に対する情も無い変な奴がエリート面を出来たとは情けない。
それにしてもあんな特定業者からの頻繁な饗応を受ける部下・後輩・同僚を少しは諌める事の出来る人がたったの一人も居ないのか不思議な思いをすると同時に大変不安に駆られます。
(防衛省はじめ各省庁とも同様な根腐されをして居るのが実態か!!!!)
単に任命責任に止まらず監督責任も大臣には大有りですぞ。
サマワに駐在したり、自国の何処を掘っても一滴も出ない燃料を色んな危険を冒して豊かなアメリカの艦船に補給する任に当たる兵隊さん達もよく腹が立たないなあ!?、持たされている鉄砲をぶっ放す者が一人も出ないことだけでも感謝しなくちゃね、上層部は。
検察官が防衛省の家宅捜査に踏み込む瞬間のヘリコプター映像を先日NHKニュースが放映しましたが、その際に思ったことは三つです。
①ジャストオンタイムに上空に待機出来るのは検察との事前合意による連携だなあ!
②解説する搭乗記者の声のバックにヘリの騒音を加えるのが演出意図ならえらく安物っぽい劇場型だなあ!
③NHK経営委員会の有識者達は何しているのかな?(有識者ってどう言う資質の人達?)
世の中は金融商品取引法施行に伴う財務諸表の信頼性確保の為の企業経営者責任の総理大臣への保証書提出準備で大変なことになっています。
同じ手法を無任所以外の全ての大臣と政務次官及び社会保険庁責任者達から全成人国民宛に第三者監査証も添えて提出させる、くらいの仕組みを作らないともたないのではないでしょうか、黙って静かに一所懸命に日々の労働に励む善意のマジョリティーももうもたない、偉い地位につく人達のことを信じられない本当に厭な世の中になりました。
塀の向こう側の元官僚とそのお内儀さん、メディアと政治屋の皆さん、そして有識者と自分で思っている皆さん、アダム・スミスの道徳感情論と国富論を読むことをお勧めする。君達の行為がどうして決して同感を得られないか多少のヒントくらいは掴むきっかけになろう。
お前に経済学のことが判るか!って? 店主のお勧めに従ってセイラー教授の行動経済学を読んだ。正直言って良く判らない(例えば息子に説明出来ない)ことが多かった。ホンネの投資教室第67回までの方が脳への定着率は高いと感じる。従って今後2~3回くらいは他の書物にも当たりながら読み直す。店主の前書きとホンネの投資教室その他の著作物の助けがなかりせば諦めたかもしれないほどに経済は難しいが亀に求める腹筋運動ほどではなさそうだ。
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私は今日は、次ぎの2冊の本を自宅最寄駅の本屋で買って来た、「会社は2年で辞めていい」と「富士大全 富士撮影のすべて」(㈱ニューズ出版)、それに店主またまたご教示の「読書について ショーペンハウエル 岩波文庫」は注文をしてきました。一週間くらいで店に届くらしい、とても楽しみだ。
つまらないことが目立つ世の中だが、まだまだ学ぶことで楽しみも追求し続けられそうな師走です。
で、そういう実力者を同業他社に転職させないようなカルテルがあるようにも聞きますが、どうでしょう?
40,50の転職は厳しいと言いますが、真に実力のある40、50代社員が同業他社に行かれると、困るのでしょうか。
確かに、業界によっては、ライバル会社からお互いに人材を引き抜かないことが不文律になっているような所もあるようです。単純にこうした業界はツマラナイと思いますが、障害が多いとはいえ、業界を変える転職もあり得ますし、不文律の例外を求めて成功することもあり得ます。一度の人生ですから、改善を諦めるのはもったいないと思います。もっとも、成算が無くても転職すべきだとまでは、私でも思いません。