評論家・山崎元の「王様の耳はロバの耳!」
山崎元が原稿やTVでは伝えきれないホンネをタイムリーに書く、「王様の耳はロバの耳!」と叫ぶ穴のようなストレス解消ブログ。
松岡農相自殺の新聞6紙の扱い
後世には、おそらく「ナントカ還元水」という言葉と共に思い出されることになるだろう松岡農水相が自殺した。
自殺自体は、何とも痛ましいこととしか言いようがない。62歳という彼の年齢を考えると、まだまだ元気と、そろそろ弱気、が交錯する微妙な時期だったのだろうし、政治資金問題で矢面に立つような悪そうなイメージとは裏腹に、意外にデリケートな性格だったのだろうなどとも、推察する。私のような凡人は、「何も死ぬことはないではないか。全て放り出して、別の人生をやってみるといいのに」というようなことを思うが、方々との利害の絡む人間関係や立場というものを離れて生きる、ということは、人間にとって難しいことなのだろう(思い詰めると、凡人だって・・)。
何度か書いたと思うが、政治家はなかなか自分の意思で引退できないことがあるし、政治家が急死した場合に、凡そ政治家向きでない奥さんなどが、代わりに立候補するように、一人の政治家の周辺に巡らされた利害の網の目から、逃れることは、簡単ではないにちがいない。政治家個人は、一つのビジネスモデルの部品になっている。朝日新聞によると、松岡氏は、2日前には、地元の元県会議長らとの会合で、日本酒の杯を重ねながら、「スパっと辞められたらなあ」と洩らしていたという。
さて、ここでは彼の功罪は論じない。今回は、彼の死が、どのようなイメージで伝わり、どのように作用するかを見てみたい。
昨日、NHKのニュースを見ていて、たとえば社民党の福島代表のコメントには、はらはらした。言葉が正確に思い出せなくて恐縮だが、彼女は、「ご冥福をお祈りするが、(松岡農相には)説明責任をきちんと果たして欲しかった」というようなことを言った。説明責任を求めること自体は間違いではないと思うが、社民党は、松岡氏を追求する側の立場だったから、正論ではあっても、松岡氏を責めるようなことを言うと、世間は「死者に鞭打った」というような捉え方をして、ひいては、彼を追求した側が、反感を買うことになる。
この点は、野党側で気がついているようであり、”ただ、野党内には、「最終的に『安倍さんのせいだ』という世論の受け止めになればいいが、しばらく喪に服さないと」(民主党国対幹部)という空気も強い。”、”世論の反応を測りかねているのが実情だ”と、29日の毎日新聞朝刊も報じている。
世論の、特に感情に関わる部分を作るのは、新聞よりもテレビだろうが、新聞の扱いはどうか。各紙は、どのような印象を読者に与えようとしているのか。拙宅に来た、朝刊6紙を見てみた。以下、「」内は、ことわりのない限り、新聞の見出し。()内は、何面の見出しかを示す。
・<読売新聞>
「松岡農相 国民へ『迷惑かけた』」「宿舎に遺書など8通」(1面)、「強気答弁、深まった孤立」(3面)、「安倍政権に衝撃 松岡農相自殺」「『2か月後』影響読めず」「野党は首相の責任追及」(4面)。社説の中では、「参院選を念頭に置いた政争の具などにしてはなるまい」と述べている。
・<朝日新聞>
「参院選前 政権に打撃」「強気運営から一点・・・焦り」「封書6通と便箋に遺書」(何れも1面。同面に、「政治の深い闇払え」と題するコラムや、「内閣支持率最低の36%」の見出しの記事もある)、「疑惑の山残して絶つ」「かわし続けた8カ月(3面)、「かばった末 首相沈痛」「『任命責任重さ感じる』政権への影響『大きい』」「民主、世論見極め攻勢」(2面)。「政治とカネ幕引き不安」「『説明不足』与党からも」(4面)。社説では、死者にムチ打つつもりはない、とことわりつつも、事実を明らかにし、責任があれば、これを認めるべきだったと述べて、「その後、スキャンダルが噴出しても、首相はかばい続けた。昨年末の佐田行革担当相の辞任に続く閣僚辞任となれば、政権への打撃が大きすぎるとの思惑もあったのではないか」と書いている。
・<日本経済新聞>
「揺れる政権収拾急ぐ」「政治資金・年金 参院選争点に」「軽視できない政治不信」(1面)、「首相かじ取り厳しく」「反攻機運崩れ守勢に」「かばい続け交代機逃がす」(3面)。社説タイトルは「農相自殺『政治とカネ』うやむやにするな」、文中に「こうした首相の対応が適切であったかどうかが今後厳しく問われることになろう」。
・<毎日新聞>
「遺書『迷惑かけた』」、「自殺の松岡農相 自筆で 首相らに計8通」、「首相『責任感じる』」「参院選戦略に打撃」(1面)、「首相の擁護裏目」「恐れた『辞任ドミノ』」(2面)、「疑惑を自ら封印」「検察のターゲット」(3面)。社説のタイトルは「安倍政権の状況は深刻だ」。
・<産経新聞>
「松岡農水相が自殺」「林道談合追求の渦中」「裏目に出た首相の決断」「早期ダメージ回復、参院選へ命運」(1面)、「首相に『重責』残し」「現職閣僚の自殺は戦後初」(2面)、「標的失い野党困惑」「民主、2、3日喪に」(3面、「政府与党に衝撃 議員ら多くを語らず」(4面)。社説では、柳沢厚相も残したことに触れた後、「閣僚を更迭した場合のメリットとデメリットを計算し、批判を受けることも承知の上で、あえて政治判断をしたのだろう。結果的には、政権運営上の失策といわれても仕方がない」。
・<東京新聞>
「松岡農相の死亡確認」「首相『任命責任感じる』」「『迷惑かけおわび』遺書8通謝罪も」(1面)、「守り続けた首相衝撃」「『献金』釈明の道失う」「危機意識欠如の見方も」(3面)、「参院選に影響必至」「政権イメージに傷」(2面)。社説のタイトルは「かばった首相の胸中は」、「潔く更迭に踏み切っておれば、農相の死はなかったのではなかろうか」、「『厳しく追及されていたが専門分野で頑張っていた』との首相コメントにも異議がある。異様な出来事を人ごとのように語っていては、政権の前途を危ぶまれても仕方がない」。
読売は政権の責任というニュアンスを避けたがっているように見え、朝日は、安倍首相の責任と結びつける印象を与えたがっているように見える。毎日も基本的には朝日的立場で、安倍政権を後押しをしそうな産経が意外に首相に批判的な伝え方なのは、少し意外だ。東京新聞もかなり厳しい。日経は、無難な見出しだが、安倍首相の責任というニュアンスは他紙(読売を除く)より弱く感じる。
どうやら、今のところ、この問題は、松岡農相は、安倍首相の都合に振り回されて追いつめられた(=可哀想だ)、というニュアンスで、安倍首相に不利に伝わっているようだ。ダーティーなイメージだった松岡氏の記憶が参院選まで残ることも含めて、与党にとって、有利な材料ではなさそうだが、野党側の対応が下手だと、一転して、野党に国民の反感が向かうこともあり得ると思う。
たぶん、野党側としては、「深く哀悼の意」を評し続け、松岡問題の存在を有権者に忘れさせない一方で、「このような犠牲者がもう出ないような政治にして行きたい」と述べるだけにとどめるのが上策だろう。
(注:ご指摘により、本文中「勘定」→「感情」と変換ミスを修正いたしました。)
自殺自体は、何とも痛ましいこととしか言いようがない。62歳という彼の年齢を考えると、まだまだ元気と、そろそろ弱気、が交錯する微妙な時期だったのだろうし、政治資金問題で矢面に立つような悪そうなイメージとは裏腹に、意外にデリケートな性格だったのだろうなどとも、推察する。私のような凡人は、「何も死ぬことはないではないか。全て放り出して、別の人生をやってみるといいのに」というようなことを思うが、方々との利害の絡む人間関係や立場というものを離れて生きる、ということは、人間にとって難しいことなのだろう(思い詰めると、凡人だって・・)。
何度か書いたと思うが、政治家はなかなか自分の意思で引退できないことがあるし、政治家が急死した場合に、凡そ政治家向きでない奥さんなどが、代わりに立候補するように、一人の政治家の周辺に巡らされた利害の網の目から、逃れることは、簡単ではないにちがいない。政治家個人は、一つのビジネスモデルの部品になっている。朝日新聞によると、松岡氏は、2日前には、地元の元県会議長らとの会合で、日本酒の杯を重ねながら、「スパっと辞められたらなあ」と洩らしていたという。
さて、ここでは彼の功罪は論じない。今回は、彼の死が、どのようなイメージで伝わり、どのように作用するかを見てみたい。
昨日、NHKのニュースを見ていて、たとえば社民党の福島代表のコメントには、はらはらした。言葉が正確に思い出せなくて恐縮だが、彼女は、「ご冥福をお祈りするが、(松岡農相には)説明責任をきちんと果たして欲しかった」というようなことを言った。説明責任を求めること自体は間違いではないと思うが、社民党は、松岡氏を追求する側の立場だったから、正論ではあっても、松岡氏を責めるようなことを言うと、世間は「死者に鞭打った」というような捉え方をして、ひいては、彼を追求した側が、反感を買うことになる。
この点は、野党側で気がついているようであり、”ただ、野党内には、「最終的に『安倍さんのせいだ』という世論の受け止めになればいいが、しばらく喪に服さないと」(民主党国対幹部)という空気も強い。”、”世論の反応を測りかねているのが実情だ”と、29日の毎日新聞朝刊も報じている。
世論の、特に感情に関わる部分を作るのは、新聞よりもテレビだろうが、新聞の扱いはどうか。各紙は、どのような印象を読者に与えようとしているのか。拙宅に来た、朝刊6紙を見てみた。以下、「」内は、ことわりのない限り、新聞の見出し。()内は、何面の見出しかを示す。
・<読売新聞>
「松岡農相 国民へ『迷惑かけた』」「宿舎に遺書など8通」(1面)、「強気答弁、深まった孤立」(3面)、「安倍政権に衝撃 松岡農相自殺」「『2か月後』影響読めず」「野党は首相の責任追及」(4面)。社説の中では、「参院選を念頭に置いた政争の具などにしてはなるまい」と述べている。
・<朝日新聞>
「参院選前 政権に打撃」「強気運営から一点・・・焦り」「封書6通と便箋に遺書」(何れも1面。同面に、「政治の深い闇払え」と題するコラムや、「内閣支持率最低の36%」の見出しの記事もある)、「疑惑の山残して絶つ」「かわし続けた8カ月(3面)、「かばった末 首相沈痛」「『任命責任重さ感じる』政権への影響『大きい』」「民主、世論見極め攻勢」(2面)。「政治とカネ幕引き不安」「『説明不足』与党からも」(4面)。社説では、死者にムチ打つつもりはない、とことわりつつも、事実を明らかにし、責任があれば、これを認めるべきだったと述べて、「その後、スキャンダルが噴出しても、首相はかばい続けた。昨年末の佐田行革担当相の辞任に続く閣僚辞任となれば、政権への打撃が大きすぎるとの思惑もあったのではないか」と書いている。
・<日本経済新聞>
「揺れる政権収拾急ぐ」「政治資金・年金 参院選争点に」「軽視できない政治不信」(1面)、「首相かじ取り厳しく」「反攻機運崩れ守勢に」「かばい続け交代機逃がす」(3面)。社説タイトルは「農相自殺『政治とカネ』うやむやにするな」、文中に「こうした首相の対応が適切であったかどうかが今後厳しく問われることになろう」。
・<毎日新聞>
「遺書『迷惑かけた』」、「自殺の松岡農相 自筆で 首相らに計8通」、「首相『責任感じる』」「参院選戦略に打撃」(1面)、「首相の擁護裏目」「恐れた『辞任ドミノ』」(2面)、「疑惑を自ら封印」「検察のターゲット」(3面)。社説のタイトルは「安倍政権の状況は深刻だ」。
・<産経新聞>
「松岡農水相が自殺」「林道談合追求の渦中」「裏目に出た首相の決断」「早期ダメージ回復、参院選へ命運」(1面)、「首相に『重責』残し」「現職閣僚の自殺は戦後初」(2面)、「標的失い野党困惑」「民主、2、3日喪に」(3面、「政府与党に衝撃 議員ら多くを語らず」(4面)。社説では、柳沢厚相も残したことに触れた後、「閣僚を更迭した場合のメリットとデメリットを計算し、批判を受けることも承知の上で、あえて政治判断をしたのだろう。結果的には、政権運営上の失策といわれても仕方がない」。
・<東京新聞>
「松岡農相の死亡確認」「首相『任命責任感じる』」「『迷惑かけおわび』遺書8通謝罪も」(1面)、「守り続けた首相衝撃」「『献金』釈明の道失う」「危機意識欠如の見方も」(3面)、「参院選に影響必至」「政権イメージに傷」(2面)。社説のタイトルは「かばった首相の胸中は」、「潔く更迭に踏み切っておれば、農相の死はなかったのではなかろうか」、「『厳しく追及されていたが専門分野で頑張っていた』との首相コメントにも異議がある。異様な出来事を人ごとのように語っていては、政権の前途を危ぶまれても仕方がない」。
読売は政権の責任というニュアンスを避けたがっているように見え、朝日は、安倍首相の責任と結びつける印象を与えたがっているように見える。毎日も基本的には朝日的立場で、安倍政権を後押しをしそうな産経が意外に首相に批判的な伝え方なのは、少し意外だ。東京新聞もかなり厳しい。日経は、無難な見出しだが、安倍首相の責任というニュアンスは他紙(読売を除く)より弱く感じる。
どうやら、今のところ、この問題は、松岡農相は、安倍首相の都合に振り回されて追いつめられた(=可哀想だ)、というニュアンスで、安倍首相に不利に伝わっているようだ。ダーティーなイメージだった松岡氏の記憶が参院選まで残ることも含めて、与党にとって、有利な材料ではなさそうだが、野党側の対応が下手だと、一転して、野党に国民の反感が向かうこともあり得ると思う。
たぶん、野党側としては、「深く哀悼の意」を評し続け、松岡問題の存在を有権者に忘れさせない一方で、「このような犠牲者がもう出ないような政治にして行きたい」と述べるだけにとどめるのが上策だろう。
(注:ご指摘により、本文中「勘定」→「感情」と変換ミスを修正いたしました。)
コメント ( 71 ) | Trackback ( 0 )
« 「消えた年金... | ボトルの個体... » |
石原都知事は「死んで責任を取るということは彼も侍だったね」という当たっているようなトンチンカンなような、妙なコメントをしていましたが。
ただどうなんでしょうね~。野党にあんたらが責めたから自殺した、という非難はいくんでしょうか。
あれだけヒドイ状態で答弁も無責任だった事を考えると、自業自得ということで哀れみとかを感じて無党派が与党に流れる事は無いと思いますけど。
先日の長崎市の市長選挙でも銃弾に撃たれた現市長の後釜にとつぜん娘婿が立候補して落選しましたし、死ぬ=同情票ってのはもう通用しないんでしょう。
「カタキを取る」「彼の遺志を継ぐ」なんて方向に持っていったら自民党は大変な事になるでしょうね。
ちょっと気になるのが海外の反応です。
現職の農相が自殺というニュースが海外にとってどう受止められるんでしょうか。
今までナントカ還元水というのもコップの中の嵐というか、海外とは関係の無いウチワモメでしたけど、これとあわせて現職が談合集団から政治献金を貰っていた事が発覚して自殺→アベってのはどれだけ人間を使えないバカなんだという論調になるかもしれないですね。
海外ではこまかな事情よりもアベが彼を辞めさせれば自殺などありえなかった、というのが一番分かりやすいストーリーでしょうし。
多分政治家以前に人間として彼を信用する海外の政治家はいなくなっちゃうんではないでしょうか。
このコメント欄ではアベ氏は総理就任時から世紀のバカ総理になるというのが山崎さんも含めて一致したコンセンサスだったと思いますが、はるかにその斜め上を行きましたね。
いまさらながら政治のダイナミックさというものを思いしっています。
笑える展開でまことに結構ですな。
しかし、この程度の腹の据わり方しかないようなモンが
政治屋とは、今の日本の政界の程度の低さの象徴そのものだな。
じつに、くだらん。
アホラシ。。。
しかし、それと一連の事務所経費問題や緑資源の問題とは関係ないと思います。真実を明らかにして、当事者も死んだことだしうやむやに・・・というようなことではこういった問題は繰り返されるばかりではないでしょうか。
死んだからといってそれは責任を放棄したことにしかなりません。
野党議員のかたには追及の手をゆるめずしっかりやってもらいたい・・けど、野党の連中もいまひとつピリっとしないからできるかなぁ・・・。
これは、別の、本来的には、もっと重要な問題だなあ、と皆様のコメントを読んで、思いました。
まず、美しい国を目指すはずの内閣がなぜにこれほどまでにヨゴレの集団なのかという問題だが、ひとつには身体検査の甘さがある。身体検査は検察のしかるべき人物にケツの穴のシワの数まで数えてもらう、とも言われている。精神年齢が幼稚園児の安倍が身体検査なしに、身内だけの内閣を作ってしまったので、起こるべくしてこの結果は起こった。安倍が身体検査を自身のケツの穴程度に緩めたのは、ひとえに、警察検察権力は常に自分の側にある、という三世特有の勘違いだろう。親中の後藤田ラインもまだ生きているだろうし、悪事のすべてが、おめこぼされたりはしない。
柳沢は更迭、御○所会長など経済界の代表として絶対に認めない、そういう常識なり美意識が安倍にはない、のは当たり前で、脳味噌が入るはずの場所にカニ味噌とクソ味噌をつめられたオムツ蝋人形だから、ヒモを操作しているアメコーまでたどって責任を追及しないと何もかわらない。
わし的に言えば、日本会議池田学会連合安倍亜保政権とは、松岡(氏)のような悪代官面の人間が左手でバラマキとソデノシタやりながら、右手で大田弘子のようなドエス女王様きどりの英語ペラペラ人間が弱者の首を絞め続けている。そういう古典的悪党と倒錯者の乱交政権である。
それにしても石原大統領の言語センスというのは、いつもいつもなぜにあそこまでトンパチなんだろうか。松岡(氏)の自死も侍の行い、「君のためにこそ死ぬ」のも侍の行い、では天皇様のために死んだ人間だけが、犬死にか。
ついでなので大相撲の話にも年金の話にも触れたい。
ダイホンエーニエッチケーは、「八百長報道」するのが仕事なのだ、と言えばそのとおりだろうから、相撲の八百長を糾弾したりはせんのだろうと、中川(カエルではなく、自死したから侍、の息子の方)の年金問題に対するクダラナイ発言を垂れ流しているのを見て思った。何故に中川? あの侍の亜保ボンは、銀行に勤めていたのに年金の手続きを知らなかった、ので一度も年金はかけなかった、というようなパクチーだろうが、いくら右翼の襲撃について相談した仲だとはいえ、八百長エニエッチケーめ。
山さんとの話で、年金はかけた方がいいね、とまとめていたけれど。国民年金、というしばりをほどくと。年金は、どうも45歳ぐらいから60歳ぐらいまで自分で厚く積み立てるのが一番かしこいようにわしは思う。
森永さんが、おもしろいことを言っていて。百歳まで生きるリスクがあるので、ひょっとしたら長生きしてしまうかもしれないリスクのためにかけたらどう と大人の意見である。
最後に郵政の西川というこれまたヨゴレの話であるが。西川がアルバイトで総裁をやっているのなら、マルチ奥谷はどうなのよ。民間企業とのつながりが問題、なんて言うのなら、自分の会社に3億以上引っ張っとるやないけ、あの洗剤売りながら郵政役員バイトに精を出すマルチ婆は。西川にしても奥谷にしても、バイトするなら、御○所掃除、是定番なり。フジオの顔でも磨いとけ、そのよう落ちる洗剤で。
私も今日の日経新聞読みましたが、1面の報道を読むと安倍首相の責任を追求する姿勢は弱く感じました
中の政治欄のコラムでは「軽々には言えないが」と前置きして安倍政権を批判していました
松岡農水相の弔い合戦で自民党大勝になったらおもしろいですね
民主党の小沢党首は手腕が問われる勝負どころです
閣僚予定者すべて身体検査を施したのでしたね。
それに比べると、安倍クンの政策秘書というか
筆頭秘書は、よっぽどノータリンのようで
しっかり内閣の管理が出来てませんな。
マスコミ対策もなってないし
これでは、参議院選挙は、自民党のダラ負け必定ではないかね?
まあ、こんな腐った内閣など焼却炉にでも早々に放り込みたいものだね。
まあ、呆れてモノ云えんわな。
今、国民に一番必要なのは公安です
何よりも、信頼できる警察です
ペッパーランチ心斎橋店の事件での
恐怖感と絶望感は言葉で言い表せません
ぜひ、山崎さんもひとりの国民としての
意見をブログで教えてください
あんた、警察の回し者かね?
いい加減にしてくれんか?
お前たちと防衛省予算は「青天井」
ふざけんじゃねーよな~~~
警察国家の暗さがドウイウものか分かって
そういうドトレーこと云ってるのか。
分からずに云ってるようなら
もう御仕舞いで、逝ってますけん。
精神病院でも、さっさとイケヤ。
コメントを削除しようかとも思いましたが(「精神病院でも、さっさとイケヤ」は公共の場の表現としてNGだと思います。分かりませんか?)、ブログは、最大限オープンなやりとりの場にしたいと思うので、敢えて、一度質問します。
「警察国家の暗さ」と仰っているものの内容は何でしょうか? なるべく簡潔にご説明いただきたいと思います。600字程度までの意味と根拠の分かる文章だと助かります。
匿名で、さらにハンドル名無しで、言いっぱなしの他人批判は感心しません。せめて重要な点の内容をきちんと書いてみて下さい。
なるべく多くの方にご参加いただきたいとは思うのですが、まとまった意見をきちんと書けない方や、匿名に隠れて放言する方は、歓迎できません。
しかし、一方で民主党や福島氏の批判は、そんなにまともなものだったでしょうか。政策論議であるよりはあまり生産的とも思えない粘着に終始した感が私にはありました。
松岡大臣の説明責任を否定的に捉えつつも、民主党も社民党も、政策論議においては決して評価に値しない存在である、というのが私の感覚です。
最近話題になっている年金問題にしても何ら適切な方途が政策として提示されていないことも、情けないばかりです。
もう少し、成熟した野党を期待したいものです。この野党を見ていて、私は国会にほとんど絶望しているのです。
安倍総理に対しては、コメントを見るとここの読者の皆さん、随分と否定的なのですね。私には理由がどうもよく分かりませんが。自分の政策をそれなりに着々と進めていらっしゃるように見えますから、私はそれはそれで評価しています。
今回の自殺については、安倍氏としてはつらいところだと思います。もとより辞任させていれば、それはそれで任命責任を問われただろうし、亡くなっても批判を受ける。
法的な不正・明らかなモラルの欠如が規定できない限り、安倍としてはそう簡単には動くことはできないのは確かだったことでしょう。大臣の任命はそれなりに重みがあるもの。
そもそも任命しなければよかったのだけど、あれだけ若い人が自民党を収めるには、それなりの人事的な配慮が必要であったこともいなめない。
何をやっても、批判を浴びる宿命だったようです。私などは、昨今の安倍批判は、不条理としか思っていませんが。
ともあれ、まずは死者の冥福を祈り、なぜに彼がそこまで苦しまなければならなかったかに、思いをはせることだと思います。
林道談合は途轍もなく奥が深そうに思います。
圃場整備事業やいろいろな農林省関連の事業がありますが、それぞれに強い利害関係人がいるので腐敗をしてもそこそこのところで収まるものですが、林野関係は利害関係人が極端に少なく、それこそ腐臭濃厚なズブズブの状態で4~50年が過ぎてきたと思います。
彼も林野庁の広報辺りにいたとのこと、そのズブズブの渦中に両足を入れていたのではないでしょうか?
何かまた一人自殺したらしいですが、組織への忠誠しか考えられず、より大きな正義に思いをいたせない人ばかりが役人となっているようですね。
(ネットというとちょっと前の小学生の同級生殺人を思い出します)
ちょっと話がずれた書き出しで申し訳ないです
さて、松岡大臣の自殺は予想外でしたがご冥福を祈るばかりです。遺族・後援者の方々もいたたまれない思いでしょう。
しかし、自殺することが良かった・悪かったかは別問題としてこの状態で選んだことはまずかったと思います。遺書の中身から切実な思いが伝わりますがせめて真実を闇に葬ることはするべきでなかったかと。これは遺族・後援者の方々のためでもあり、ひいては自分の名誉のためになったとおもいます。
例え無実だとしてもこのままでは「クロだから」というレッテルが貼られてしまいますから。
農家出身・鳥取大卒で大臣になるには、相当汚い事をやって来なければ不可能だったでしょう。
安倍総理も問題はありますが、他に誰がいるかと言えば、思い当たりません。
民主党も、なんか昔の社会党みたいになって来ているような気がします。
結局、安部総理が一番マシだという選択になりそうですね・・
岸血統出身・成蹊大卒なら汚い事をする必要がないとでも?
あと、汚い事が人を大臣の高みに押し上げると規定してしまうと、任命権者とはその汚さに最後のお墨付きを与える汚さの元締め、個々の大臣よりなお悪い、最もどす汚れた人物ということになってしまうのですがまずくはないですか。
俺たちの安部総統になんちゅうことをおっしゃるか。
犯人の行為自体は、許されざる酷いものだと思いますし、「怖い」というのは、仰るとおりです。私は、男で、単なるオッサンですが、こんなことがあるのかと思うと、私も「怖い」と思います。ただ、この事件が「公安」の問題なのかどうかは、私には良く分かりません。警察なり、刑法なり、社会なりの問題ではないでしょうか。「公安」というのは、ピンと来ません。
何れにせよ、ペッパーランチ心斎橋店の話は、松岡農相のエントリーとは、関係ありませんねぇ。ここでは、これ以上議論しません。
政治の世界のトップ級にいる人間が自殺するなど、国民、特に子供達に与える影響は計り知れません。中高生や元気の無い中高年は、今般の事件で「嫌なことから逃げる時」や「責任を取らされそうな時」に自殺を選択する確率が無意識の内に高まったと思います。
まだ、鈴木宗男氏のように希望に燃えながら活動する方が政治家としては正しく感じます。この農相は古今東西問わず最もクズな政治家であると思います。遺族も全力で恥じて頂きたい。
国民から不慮の死者を極力出さないことは政治の大きな目的の一つですし、教育改革を謳っている内閣が、教育上最も悪いことの一つである、自殺者を出したことは内閣のメンバーが全員政治家を辞めてもいいくらいだと思います。
メディアや識者の論調も最悪で、誰も自殺を非難していません。あたかもポピュラーな選択肢で、ともすると規定路線であるかのような錯覚さえ受けます。
これらの方法を打開するには(恐らく立件する寸前まで来ていたのであろう)検察に、死者に全力で鞭を打って頂きたいと思います。
大臣であれ、誰であれ、人間であるから、傷つくこともあれば耐え切れないこともあります。大臣たるものそれくらいは乗り越えて欲しいというのはたしかですが、人間の精神などどこかに限界はあります。
自殺をする人は、何らかの精神的な負担を抱えたということができると思います。こればかりは、どうしようもないかと。そして、責任感が強ければ強いほど身動きが取れなくなるのが、この病でしょう。
残念なことですが、今は死者の冥福を祈るばかりですし、私個人としては大変に同情もいたします。
自殺する人に平気でつばを吐ける人間というのは私の理解を超えた方ですが、どうも、そういう方が結構いらっしゃるのですね。驚きました。
何らかの業を背負っていたとしても、一旦は、その死をいたみながら、疑惑を明らかにするという態度を忘れたくないものです。
死者の罪は明らかにすべきであり(それがあればの話ですが)、それについての対策は国家として当然に講ずるべきですが、死者や残された家族にはむやみに鞭を打ちたくないものです。
苦しみ死んでいく人を「くず」と言う人がいます。そういう人は、自分を何だと思っているのだろうかと私は疑問に感じますね。
自殺は、いかなる人のものであれ、とても哀しいものなのだと思います。その上で、疑惑を解明して、これからにつなげていくしかないのだと思います。
死が贖罪になるかどうかはともかくとしても、いったんは、その本人の苦しみを受け入れて、本人がそこまでに至った経緯と内容をまずははっきりさせることかと思います。
「かれもアクダイカンだったね」と置き換えると妙にナットクするような??
僕が小学生のとき、毎朝、校庭で行われる朝礼で、校長先生から「40歳過ぎたら、自分の顔には責任を持ちなさい」と、教わったことがあります。
松岡農水相の顔は、僕は好きにはなれません。
その理由は、腹黒いとは言わないまでも、何というか…得体の知れないものを感じさせます。
自分から近づきたい相手じゃないです。
僕は、この人は、カッコ悪い死に方をしたと思いました。
大手新聞社は、さすがに、このようなストレートな表現は用いていないようですね。
「命は一代、名は末代」という潔い良いものではなく、純粋にブザマな最期だと思いました。
僕も、いつかは死にますが、こういう死に方はご免です。
もし松岡氏が「地元熊本」で、「日中もしくは夜」に、「スーツ姿(正装)」で自殺をはかったのであれば、彼の政治的信条に基づくモノかも知れない。
しかし、報道によると、「朝」「パジャマ姿」で自殺をはかったのであれば、重度のプレッシャーから鬱状態であって、鬱病からの自殺では?と勝手に推測している人間です。
自殺を防げれば、様々のことが解明されていて、松岡氏は数年は苦労するかも知れないが、その後、再起復活や家族との老後の穏やかか生活を獲得できたのでは?と思うと残念でなりません。
(その時、政権与党の自民党がどうなっているかは知ったことではないですが)
松岡さんの身近に居た方の今現在の絶望感をお察しします。
身近な場所にいた方々は、あの朝、私がそばにいてれば?と考えているはずですから。
私が見落としていたポイントをご指摘いただいたものもありますし、いろいろな感じ方があるものだなあ、とも思いました。
私個人の中間的な総括としては、
(1)松岡氏の自殺で政治資金その他の問題の追及が鈍ってはいけない。他にも死者が出ているようで、どうも、見かけ以上に問題は深そうです。「死んだのだから、この問題は、もういいではないか」としないことが、政治・警察検察・世論それぞれのレベルで求められます。
(2)松岡氏が死んだこと自体は、優れた選択・行動とは思えないが、同情しても良い。正直なところ、私は、生前の彼を、気味の悪い、いぎたない、嫌な感じの男だと思っていましたが、それなのに死を選んだということは、よくよくのことなのでしょうし、彼の別の側面にも興味が湧きました。一人の人間に対する、興味とか、共感の可能性、といったものは、大切にしたいと思います。但し、そうした考えと、(1)の追求を、妥協することなく両立させることが重要です。
夕刊を見ると、緑資源機構の元理事も自殺しています。検察の事情聴取を受けていたようですが、今後に予想される取り調べでオチてはまずいよほどの事情があったのでしょう。松岡氏も自殺理由も似たようなものだったのかも知れません。
ところで、この自殺した方は、苗字が「山崎」です。記事的には、「・・・自殺した山崎元理事は、・・・」というような字面になるので、少々複雑な気分で記事を読んでいます。もっとも、これは時々あることで、自分の名前を検索すると、「山崎元幹事長」などというものが、幾つも出てきたりします。
ショックを受けた方がこんなところにもいらっしゃるようで…
http://kirik.tea-nifty.com/diary/2007/05/post_e1d1.html
おはようございます(今30日AM5:30頃です)
それにしても(いろんな議論はあるがという意味)、
あべさんのコメントはなんでしょうね。
彼に対して遺書を残していた。そのコメント・・・
「ありがとうございます」
「このままの農政で行けば、将来も発展していくでしょう」
そして
「大臣の大変な無念さが伝わってきました。」
このコメントだけで何故自殺しなければならなかったのか全くわからない。2つ目のコメントと最後のコメントが全く繋がらない。そして、「ありがとうございます」も意味不明だ。なにを指しているのだろう。
あべさんの短絡思考は承知していたが、これは人の死
にかかわっていることだ。さらにその人と、あべさん
にしかわからないこととされる内容だ。
あべさんは自分は正しい、私を理解してない人がいろいろいうが、そんなことには耳を貸さないのだ、という姿勢がこのところ際立っている。
その人が「憲法」だの「年金」だの「教育」だのやたら先を急いで結論を出したがっている。
僕は自民党こそ、この暴走を止める勢力が出てきてほしいと思う。参議院戦のためといっていると、すごくまずいことになるのではないか。自民党なんかに助けてというのはなかった。そういわなければ、ならないほどの問題のような危機感がある。
だからという訳じゃないけど、松岡がやってきたことは極めて日本的で悪いことだとは思わない。事実関係が露呈、世間に露呈しちゃったのがまずいだけ。
ここでインド、香港、カナダと国をまるごと盗んだ英国帝國主義者たちを思い出すべきだ。悪事もスケールが大きくなると英雄になり得る。「 悪い奴ほどは長生き、善人は早死にする 」の喩を素直に受け止めると、異常に長生きするには超極悪人になる他ない。なれりゃ、不死に近いと考えても大きな間違いはないだろう。
憶測だけど、英米のイラク侵攻もユダヤ資本の石油利権が絡んでいたという。憎まれ嫌われるほど儲かる。金は臆病な官僚、そして大衆から騙し取れるから無尽蔵に増える。だから、ジャンジャン浪費しよう。同時に自分の為だけに使わなければ善人になって短命となるから、バンバンと自己中で放蕩しまくってやる。
今の日本人は松岡農相に代表される通り、大半が小心翼翼とした連中ばかり。従って、小林信彦著「唐獅子株式会社」じゃないけど、恫喝が武器のヤクザ稼業が大儲け、世間から単純に騙し取ることもできる世界なのだ。
とすると、商売の成功法:ご愛嬌より大切なのは恫喝なのかな。そうとなれば、徹底して悪人になるだけ、それだけ。頭も努力も必要としないでボロ儲けの世界。中途半端が一番良くない。
で、「悪人は三日やったらやめられない。」・・・▼g▼ ギッヒヒ
辞任の要求やら,時間稼ぎばかりです。
まがいなりにも対応策を打ち出している与党のほうがましに感じます。
正直安倍政権は終わってほしいが,野党に勝機があるとも思えない。悩ましいところです。
では、安倍首相は、そのようなものになることができるか、というと、とてもそんなスケールや能力がありそうな感じはしませんね(たぶん、若き日のヒトラーも、そうだったのでしょうが)。
しかし、無能であるが故に「振り付け」がしやすいことに加えて、「自分は悪くない」ということに対する執着だけは強いものがあるので、バカにしていると、国民は妙なところに連れてこられていて、引き返しが利かないということになっているかも知れません。
松岡農相の自殺に関する、要領を得ないインタビューを見つつ、そんなことを考えました。
安倍首相には、早くお引き取りいただく方が安心だな、と思うのですが、代わりがいませんねぇ。与野党交代はいいことだとおもいますが、今の民主党にそれを求めるのは難しそうに見えます。与党の中ということになると、消去法的には谷垣さんあたりですかね。しかし、彼に変わっても、直ぐに、また不満が出てきそうですが・・。
したがって、自殺はいけない。
松岡氏はたぶん、政治家ではなく、官僚だったんだろう。
政治家が小粒になってしまって久しいけれども
まあこれはこれで、現在の日本が平和で強く個性的な政治家を要求してないとも伺えるから
悪くはないことかもしれないが、果たしてこういう状態が何時までも継続できるのだろうか?
財政なんか危機的状況と思えるし、それだからこそ日本の公定歩合は先進国最低なものに設定せざるを得ない。
公定歩合を他の先進国並に上げたら赤字国債の利回りも上げなければならないからね、、、。
経済問題に強いリーダーシップを発揮できる政治家が必要なのではないか?
民主党は、鳩山さんが、まだうろうろ表に出てくるようではダメですね。おっしゃるように、国会で反抗のパフォーマンス(ガキの反抗みたいなの)をするだけではダメで、参院選挙の際の主張の根拠になる質疑と対案が必要です。根拠を貯めておいて、選挙の時期に合わせて、一気にメディアを使ってキャンペーンをやる、といった策が必要でしょう。
年金なら、古川元久さんあたりを前面に立てて実質的且つフレッシュにやりとりをすればいいと思うのですが、小沢、鳩山、菅、横路といった、能力的にもイメージ的にも「終わった」、政治的資源に成長の期待できない政治家が、お互いをリストラできずにいますね。
自民党は自ら転ぶことが怖いのであって、民主党が怖いのではない、という心境ではないでしょうか。
山崎様の安部総理へのご批判は、すでに過去に記事があったのかもしれませんが、ここのコメントでは「無能」だとか「自分は悪くないという執着」という印象的かつ抽象的な発言の域を出ていないために、どうも理解しにくい面があります。
何がそれほどに悪いとお考えなのでしょうか。もしも差し支えなければ教えていただければありがたく存じます。私は昨今の安部批判がじつに言いがかりとしかいえない、実のない批判ばかりであるように感じているのです。
消去法的に谷垣さん、とうのも、正直なところややがくっと来ました。松岡大臣が利権にダーティな印象があったように、お金やそれに準ずる何かが絡んでいるかどうかはわかりませんが、谷垣氏の中国などへの姿勢にもかなりの疑問があるように感じます。
たとえば、先の六カ国協議では日本以外の5カ国が北朝鮮への原油の供与を決定しましたが、もしもこのとき安部氏ではなく谷垣氏だったら、私は間違いなく日本もそれなりの石油や援助金を払う羽目になっていただろうと確信しています。
私は日本も負担すべきだったとは思いませんから、安部のとった姿勢は、評価に値するものだったと思っています。
たしかに、中国や韓国に近く、それなりの人脈を有している人材は貴重です。当然に、国会でもそういう人材の活躍が求められます。
一方で、中国や韓国の利益のために働く(それが日本のためと信じる)、というのは、紙一重の違いですが、あまり与党の政治家としては望ましくなく、ましてや総理には不適格だと思います。谷垣さんや加藤さんはこのパターンだと思っています。
新しい世代、新しい意識を持った政治家が望まれるのだと思います。個人的には、さしあたりは、女性で総理を出し(中川あたりが後ろで支えればよい)、そのあとは、若手、たとえば石原の息子あたりが候補になってこれば、という風に思います。
民主のほうでは、枝野、前原、松原あたりが核心になっていくと面白いことでしょう。今は残念ながらまだ民主党のお仕事は「足を引っ張ること、けなすこと」であるようです。
私としては、亡くなった松岡農水相には、「地方出身者のひとり」として、お悔やみ申し上げたいと思っています。
というのは。今回の件で名前の挙がっている緑資源機構、私の出身地近辺も無縁ではなかったからです。
数年前まで「村」だったある地域に「林道」が計画されており、この林道計画に絡んでいるのが、上記機構でした。
希少生物の生息地だとかで、「地球に優しい方々」(←まだまだ地方では少数です)が問題にしたことで、私も計画やら機構の名を知りました。その件を知るうちに、なんだかゼツボウ的な気持ちになったのです。そういう「ゼツボウ」がお亡くなりになった松岡さんに及んだのでは、と勝手に推測しているのです。
そのゼツボウとは、「無関心の連鎖」というか、利権丸出しとのギャップというか。そういうものです。
まず、その林道の必要性については、「作りたい人が自前でお金出して作るならかまわないが...(もちろんそんなことはありません)」という、いかにもケインズ的な、「穴掘って穴埋めて仕事を創り出せ」という公共工事でした。
そういう公共工事自体、地方では珍しくもないのですが、私がゼツボウしたのは、「地元(=元村民)は死活問題」といいながら、併合した自治体(←私は前職でこれに絡んでました)のま~ったくの無関心でした。現在の管轄先である自治体は、それなりの規模の自治体でしたので、山奥の林道一本、市町村合併でくっついた過疎地域なんか、本音としては、ど~でもいいのです。(市街地のハコ物になると、担当者の趣味が反映できるからか、もうちょっとやる気を出します)
責任の主体たる自治体でさえ、内心どうでもいいと思っている「スキマ」の集積、緑資源機構の利権ということのようです。
全国津々浦々の、ほとんどの人が無関心であろう「どうでもいい」利権が、ごく一部の人の「無限関心」として膨れ上がり、松岡氏を追い詰めていったのでは、と思うと、「無関心も積もれば罪だなあ」と思うのです。
ちなみに、出身県というくくりで言えば、「世界遺産になれそうな港の、その絶景スポットに橋を架けて埋め立てて観光バス呼び込む」なんて話が「地元民の悲願」だったりします。過疎の一番の哀しみは、「残るは執着、当座しのぎ、大多数の無関心」であり、そういう哀しみが「何らかの機構」によって利権に換金され、地元でなく都会に還流されていることです。
わしのポジションとしては、やはり大田弘子の責任を追及したいですね。市場至上の対極にあるのが、松岡(氏)あるいは安倍一族に代表される土建屋体質、であるはずですね。大田弘子だけが、同一内閣内別の穴のムジナだった、などという言い訳はできんでしょう。大田はどんな批判をくらっても、水に落ちた犬を打つべきですね。北九州市で生活保護を打ち切られ餓死した同胞の命も、侍松岡(氏)の命も同等に尊いものであるはずです。わしには、その両方を奪ったのが安倍に見えますが、違いまっか、大田さんよ。だいたい、三十代までの死因一位、自殺。これって世界的にみて、当たり前のことなのか? アカヒの田岡元帥いわく。年間三万人超の自殺者を戦死と考えればベトナム級の戦を続けている国になってしまう、らしい。ええかげん、自殺体質の改善、食育でもなんでもええから、した方がええと思います。
日本会議あるいは池田学会に所属している宗教右派の方が安倍を熱烈支持することは、それはそれでよい、ことだと思っています。わしなんかは、グルになる相手も山さんぐらいしかおらず、帰依するグルもまだまだ遠い存在たるお釈迦さんぐらいしかおりまへんので。日本パッシングを嫌って外国金融資本を国内市場へ誘導しながら、軍事オプションまでつけて子供たちの大切な命をアメコーにさしだしつつ、統一協会に祝電を打つ安倍の亜保タレなど、まあここでは穏当な言葉で、御手洗かノツボにでも落ちて出てくるな、としておきます。
しっかし、松原前原は民主党にいらんとわしは思うんだがなあ。好みの問題か。わしテッチャンやないしなあ。松原は口にもしたくない。
1)ヤクザによる「追い込み」、2)林野庁汚職の起訴ではないかと。新井将敬氏など1)の事例が多いと。
小泉内閣の1年目も、種々の事件が多かったと。
政府の規制改革会議(議長・草刈隆郎日本郵船会長)が 略 緑資源機構を事実上、解体する方針だ。
草刈(氏)って、好かんのやけど、えらく勝負が早いなあ。デキレースですか。
松岡(氏)とともに、小西甚一先生の死を悼みたいと思います。近所の図書館に無理を言って「日本文藝史」を入れてもらったことが懐かしいなあ。合掌。
松岡農相の自殺は検死だけして、司法解剖はしないのですね.まったく他殺の可能性はなかったのでしょうか.と、素人が思ってもしかたないことかもしれませんが。。。
きょうの党首討論を見ても、なんか民主党さえませんね.残念ながら.結局、安倍首相に、消えた年金の救済策を説明させる場を設けてあげただけのような内容でした.でも、実際1年以内に救済って出来るんでしょうか.しかも2010年までに解体される社保庁の
職員が、土日も24時間態勢で電話で受け付けるなんて、、、自動録音の応答か、話し中が続くのでは?と疑ってしまいました.
ここでは、私見を。
正直、松岡大臣がこんな真面目な方とはびっく
りいたしました。
少々なことではとても神経が参るとは思えない方
と思っていましたから。
このなんとなく情のなくなったと感じていた
世の中にあって、責任を感じて、自ら、、。
同情します。冥福をお祈りいたします。
これが私の周りだけなのかどうか?
そのあたりがよくわからなかったので調べてみたのですが、どうもそうではないらしい。
今のところWEBサイトなどをちらちら見ているだけなので、ネットを利用しない人の意見はそれほど多く聞いているわけではありません。
でも、使者に鞭打つような・・・という意見は少ないですね。
普通なら、おじさん中心でこの手の意見が広がっているはずなんですけど。
追求すべきと私も考えているので、同じような意見だけが目にはいってくるのでしょうか?
さて、松岡農相はチョボチョボの大学を出てチョボチョボの官庁に入り、チョボチョボの結婚をしてショボショボの定年を無事迎えるシナリオが向いていた。しかし、何で血迷ったのか分からないけど、官僚人生から脱線、政治家に成り上がって泥沼にはまった。
で、誰が超悪党か選ぶとしたら誰になるだろう。個人的見解だけど、前世紀だけをみりゃ、天寿をまっとうしたスターリンと毛沢東。びびってピストル自殺したヒトラーなんて全然小さい。どっちの強欲オヤジも3千万人以上の同胞を粛清し、飲み打つ買うを死ぬまで楽しんだ。実にケシカラン。
忘れていたけど、最悪のオヤジは禿げ獅子トルーマン。日本に原爆落とし、戦後、我々のウン玉を全部抜き取りやがった。
よほどデリケートな問題と見えて、かの日刊ゲンダイも、記事中で、この政治家の名前を出していませんが、林業関係の利権が竹下元首相の頃からの経世会の利権であることを強調し、山崎氏(←私じゃないよ!)が頼ったのも「竹下氏に近い"政界のドン"」とされると書いています。また、松江市内の建設業者をガサいれしたとも書かれています。
経世会、竹下氏に近い、「ドン」という呼称から推測すると(あくまでも推測です)、参議院の青木氏が思い浮かびますが、さて、正しいのでしょうか?
ただ、この「ドン」への波及を恐れたというだけでは、松岡、山崎両氏が自ら口を塞いだことの意味として、もう一つ納得するほどの説得力がありません。やはり、どなたかのコメントにもあったように、「渡ってはならないところに、カネが流れていた」という事情があったのではないかと思われます。
それがどこかは、今の私には分かりませんが、影響力を持った相手だとしても、一般的には地味なので、検察が是非取り上げたいというモチベーションにはつながらないかも知れませんね。
しかし、この際、事件の背景を余すところなく解明して欲しいものです。
「原子力」関連の利権も物凄いものがある。
一体、今までに何人のフリージャーナリストが消されたのが分からないくらい、、、大体が轢き逃げなんだけど。
推進派に流れるマネーも半端じゃない。
関わっている業者も数が限られた特殊業界。
あれがエネルギー問題では無く、政治問題とされるのもムベなるかな。
この問題には結局誰も踏み込めないのでしょうね。
もし踏み込んだら何人の犠牲者が出ることやら
戦争並みの人の屍が出るのと違いますか?
この利権が一番コワイ世界ではなかろうか?
したがって、既得権層からは邪魔者扱いされ、殴られ、蹴られ、投げ飛ばされる事は回避できない。それでも懲りず飽きずに”悪事”を重ねて、遥か彼方の大事(善事)を為す。
せこい"島の法則”に染まった政界の”悪事”を暴露するよりももっと大事なものがある筈。
高遠なる政治の明日を語るにおいて、こんなに陰鬱でセコイことに拘っているヒマなんてないのじゅないかな。
over
新井(氏)のときも思いましたが、政治家あるいはその秘書が自殺するのは、生きていても殺されるだけだから、でしょう。青木ロードは確かにハーベイロードですが、筋が若干違うようにも思います、どうなんでしょう。いつまでもあっちがおさかんなトラさんの師匠青木は確かに最後のドンですね。ここへきて、検察と政権の思惑がズレているようにも、見えます。
ドバイの旅行パンフをおねーちゃんと眺めたりしながら、「ドバイは税金がほぼゼロらしいが、それは地下資源があるからであって、わが日本には人的資本ないし資源しかないのであるから、教育が一番大切なのであるからして、統一に祝電を打つ安倍や山谷などに絶対につまらない教育を復古させてはいかんよ」と言うと、ドバイなど絶対に連れて行ってもらえないとすでに悟っているよくできたおねーちゃんはキョトンとしておるわけであった。
裏返せば、日本においては、「エネルギー」を握っている人間が権力の真ん中にいる人間で、そいつがヒトの顔をしていたり野獣の顔をしていたりするわけだ。からして、産経なんかが我が物顔なわけね。教育水準を落とすと国際競争力がなくなるし、インテリジェンスを持ってしまうと、正論は読まなくなるし。安倍的スタンスは綱渡りなんだなあ。
まあ、「恐怖いぱ~い」の最たるものは
USAに反抗することでしょうね。
日本人に真の意味に於ける「独立不羈」の覚悟があるのなら
在日米軍の基地など1つも無いはず。
さ~、やってみたまえ、米軍追い出し作戦を。
直ちに「原油」「食糧」すべて停止。
ここまで弛みきった日本など全てのセクションで沈没だろう。
原子力だって、所詮、石油が無ければマトモに運営できないカタワ・しすてむ。
じゃ、農業はどうだ、農業機械は動かせず、肥料も農薬も無い。
原油だけ停めれば、たぶん完全崩壊するのが
この情けのない日本国ですね。
プライドも無いこういう存在が深く国際社会から尊敬されるわけも無い。
ただの都合のいい「使いパシリ」ではないか。
お金だけは今のところ比較的潤沢にあるようだから
なんとか、「経済大国」とかいう分けわからん存在としてのポジションを貰っているだけ。
「ゼニ」の切れ目が「エン」の切れ目かな?
まあ、散々過去悪行だらけの「大日本テイコク」の末裔ですから
それなりの報いは受けることになるでしょう。
すでにその兆候は出始め、「他人の恨みを買わば、3代以上祟る」そんな観自在ボサツ。
まあ、私もこういう非道な国の国民ですから
今後、どんなことが発生しようとも
この二つのマナコで見届けようと覚悟を決めております。
日本人一人ひとりが誠意を持って過去の所業を
深く反省するのならば、もしかすると一筋の光明が差すかも知れません。
しかし、それは無さそうだな、昨今の状況を鑑みるに、残念だけれど。
皆さんもある程度の覚悟はしておいた方がいいかもしれません。
ひとつ言えるのは、池田学会が日本会議等右派との連合を続けるかどうか、やなあ(政治が手を結んでも、ネットをのぞけばわかるように、右翼にとっては学会など反日集団やけんね)。憲法を争点にすると、末端の(学会)信者が反乱を起こす可能性もゼロではないからなあ。池田大○先生も耄碌して、「庶民の王」とかボケかましてるし。庶民に階級もちこむような人間革命性などあるものか、この博士号フェチが。
といっても、今更、「もともと仏教系リベラルなので、民主さん一緒にやりましょう」、とか言われても、日本会議系の松原とか困るやろうしなあ。やから、松原なんかには、とっとと出て行け、とわしは言うとるんよね。新社会党支持キャラとして。
ここは、山崎兄の御庭なんで
ここまで言うのはどうかと思ったが
敢えて言うことにします。
皆さんには、たぶん可愛い子供たちがいるはずだ。
で、六ヶ所でこれから行われることは
毎日、日本の原発の電気出力100万KW級1基1年分放射性物質が排出。
その廃棄物は、あの煙突と海岸から数キロ先まで延ばされた排水口から垂れ流しです。
実は、私の知人たちが、その排水口の上から
葉書大のカードを流したわけさ。
どこまで行ったと思う、、、。
北海道全域の海岸
東北の海岸は全滅
なんと、千葉犬吠埼から200キロ地点でも発見。
もうアカンがな~
あの海域は日本の宝といっていい漁場揃い。
それらがすべてこれから汚染されていく。
楽しい世界ではないか?
我々の浮わついた後始末を
あなた方の子供たち、お孫さんが清算しなければならないのだね。
われわれも、ある意味、既得権益者。
その清算を後世の人々にさせるなんて
なかなかいい度胸をしてまして
オメデトウって言わざるを得ないと、、思う。
しかし、このように書いてる俺だって
実は同罪なんで、どうしたらエエのか
なんか具体的な行動を起こさないといけないのに
和食派の俺としては、ものすごい危機感だらけなんだわ。
農林水産と広義で重なるが、原子力は筋違いな話なので、参加する気はないのだが。一言だけ、どうしても言いたいなあ。わし、団塊のような無様な世代やないからどうでもええんだが、もし仮に団塊の世代やったりしたら、ウ○コマンオブザ同世代、に鬼畜企業出身の弘兼を肥え高らかに推薦する。ほんま、最低やな、こやつは。恐怖いっぱいしゃん、ありがとさん。では失礼。
私は原子力の廃棄物再処理のための基金(電力会社が拠出している)の運用委員会の委員をしているので、ある意味では、原子力発電への協力者です。
ただ、賛否は別として、現実に、原子力発電は行われており、廃棄物の処理は必要なので、そのための資金運用に協力するのは、悪いことではないという、立論は可能でしょう。
とはいえ、技術的なことがよく分からないので、「原子力は大丈夫」「原子力は人間にはダメ」「原子力は安い」「原子力は本来のコストが高い」何れなのか、よく分からないのは、気持ちの悪いところではあります。本当のところ、どうなんでしょうね?
尚、「日本人に真の意味に於ける「独立不羈」の覚悟」(←前の戦争であれだけヘボな負け方をしてナマイキな!)など無いことと、そんなものは必要ないことの二点については、原子力の話と違って、少し自信があります。個人は自立すべきですが、それは、日本人として、ではないと思っています。
死者にむち打つというのは、日本独特の考えなのだろうとも思いますが、その点を突いたのが石原都知事が言っていた”彼はサムライだった”という一言に尽きると思います。今のところマスコミは石原知事を批判できていません
今日のJMMにありましたが、自殺は他の国と日本では違う意識があるのだろうと思います。
自殺して、自分の責任をわびるという考え方は日本人独特の考えなんでしょう。それは私個人としては理解できるのでそう思います。ある意味、究極のみそぎなのでしょう。
自殺した友人がいて、そう思う次第です。
自殺したから何の問題の解決にもならないですし、残された遺族の方の心の傷は、とても深いものだということを経験しているので自殺を推奨する気持ちにもなれませんが、
そういう国民性はあると思います。
談合という名の受注調整は、富の再配分という機能という点で、地方にとっても議員にとても居心地の良い制度だったのだろうと思います。
そこに利権が生まれ問題が発生するわけですが、では、富の再配分をどうするか?大きい政府と小さい政府とどちらを望むのか?ということのコンセンサスは、今の日本にはないのだと思います。
大きな政府を望む年金を既に貰っている世代と、小さな政府を望む年金が今の団塊世代より貰えない世代の、世代間格差の利害は埋めようがないと思います。
その埋めようのないギャップをマスコミも議員も感じて、なんとも方向性のない記事や国会発言になっているのだろうと思います。
貧富の格差は昔も今もありましたが、日本が公共事業や年金という形で、富の再配分をすることができなくなるのは自明のことであり、それを個々人の自己責任で行うのか?、税負担を増やして富の再配分を増やすのか?、二者択一の問題に誰も答えたくないのだろうと思います。
私は自己責任を強いられるが、富の再配分が小さな政府を望んでいます。実も蓋もないけど、自分が生きていた責任を自分で負いたいです。
人(かみさんや子供や他人)にお役に立てない人間は生きている意味がないという自分に変なこだわりがあるのは否定できません。親が”人に役に立つ人間になれるのであれば職業はなんでもいい”と言い聞かされたのは、今の社会生活で自分の中で一番生きた言葉だと思っています。
人は、誰かと付き合っていないと生きていない生き物ですから。その中で自己防衛としてお金の運用も必要な世の中ですが、好き人とのお付き合いがもっと大切なのだろうと思います。
その人との関係で相手に致命的な迷惑をかけるのであれば、自殺という手段を取って責任を取るという考え方があるのではないか思う人間です。
そういう考え方の人は、少なくないのかも知れないと思った今回の松岡農相の自殺でした。
もしかすると、、、
自分の最も守らねばならない人=親族を守らんがため
ああいう決定を下した可能性はあるぞ。
なんでこういうことを言うかといいますと
私の大学時代の恩師がやはり当局とブツカッタことがありまして
その時、、、、
電話が深夜、入りまして~~~
「きみにも、可愛いお子さん、奥さんいるでしょ?」
「どうなってもいいんでっしょうかね~」
こんな感じで会話は進むわけさ。
モチロン、向こうは自己紹介などしない。
これってきついぞ。
一種の人質か誘拐まがいや。
松岡利勝さんが、こういう自己決定をした背景には
周りの血縁者にたいする配慮があったのかも知れません。
でも、これらの経緯は当人が死んでしまった現在では証明のしようが無いわけで
今更、どうしようもないわけですよ。
この国は「民主主義」とはかけ離れたコワイ国。
ああ、思い出しました
「石井もとき」衆議院議員のあの最後。
できれば、松岡議員にも、、、
あのくらいの迫力ある「男子の本懐」を遂げられれば
後世の後輩は、決してあなたの死に方を軽んじないし
政治家の最後ってものは、もしかすると斯くなるものかもしれないと
いろいろな意味で「政治家」って「スゲー」って感覚をお持ちになってくれたかもです。
まあ、死者1人たりとも出すべきではありませんが
昨今の政治関係者の余りにも覚悟のなさに
悲しいものを感じざるを得ないわけな、オッサンのボヤキです。。。
無視、削除OKですよ、、管理人さま。
おはようございます(今6月1日6:15頃です)
原発は無理だというのが結論です。
原発ができてたかだか50年。その間、スマイリー島の事故があった、チェリノブイリの事故があった、その他ヒヤリとしたことは数知れない。
それで、原発はその処理にあたっては、何百万年必要だという。そんなものを人間が制御できるとおもいますか?
できる、できないという議論とともにそんなものを後世の人に押し付けちゃいけないと思う。だから、これからの建設には絶対反対です。
いまある原発はどうするんだ。ということなら、議論の余地はあります。僕は解体などやめて、人間のあさはかさの象徴としてそこに残すべきだという意見にサンセイしています。それでも問題は残りますが・・。
>「日本人に真の意味に於ける「独立不羈」の覚悟」(個人は自立すべきですが、それは、日本人として、ではないと思っています。)
では、もし海外に出たとき
「山崎元」さま、、は
いったいどうするんでしょう?
国連ライセンスでもあるんですか?
一般人の場合、やはり
あの気分の良くないレッドな「菊」の御紋
いるのではないでしょうか?
気持ちは、、、すご~~~く分かるけれど
具体的にあの「日本人」たる入れ墨から
逃れることができますのでありしょうか?
是非、お教えいただきたい。
わたしも、あんな「パスポート」って
いつも思っておる1人なんですよ。
無理でしょ、国籍破棄しない限り。
さ~あ、ドンナ解法あるのでしょう~ね?
別に国籍で人間性がきまる訳ではないですからね。
現実には国をめぐる不自由(たとえば、国籍を変えるのは簡単ではない)はありますが、それで自分の本質を「日本人」と決める必要もないし、「国のため」を理由に他人を利用している連中に跪く必要もないのではないでしょうか。
冴えないパスポート、他人から見た「日本人は・・・」というレッテル貼り、なんだか訳の分からない社会的意思決定、等々、不愉快なことが多いでしょうが、不愉快なことがあるのは仕方がないですね(無い方がいいけど)。全てが思う通りにはなりませんが、思う通りにならないからといって、不愉快が不愉快であると考えることを止めるいわれもありません。
残念ながら自分が日本人であることの痕跡を消去する「解法」なんていう都合のいいものはありませんが、だからといって、日本国の「『独立不羈』の覚悟」なんてあり得ないものに加担するお調子者に成り下がる必要はありません。
補足です。
>この国は「民主主義」とはかけ離れたコワイ国。
私は、国際通ではないのですが、深夜の脅しの電話程度のコワさはこの国に限らないことだと思います。「この国」「この国」という、国と自己を重ね合わせた過剰な自意識のようなものは、持たない方が、物事がよく見えるし、スッキリ生きられるのではないでしょうか。
一言愚痴を付け加えると、経済に限っても、何らかの「論」を立てようとすると、「日本経済をどうするか?」「日本の景気はどうなるか?」等々、日本に依存した文脈でないと、議論が成立しないことがしばしばあります。
村上龍さんがよく仰っていることですが、たとえば、「経済がグローバル化していて「日本」に拘って物事を考えていると個人も企業も正しい意思決定ができない・・・」というようなことを一所懸命に話しても、インタビューアーが次に訊くのは「では、日本はこれからどうしたらいいですか?」という質問だったりするのですね。多少はバカだから、ということもあるかも知れませんが、「日本は・・・?」という以外の文脈を持っていないから、こういう質問しかできないのです。
実際には、日本と関係なく、自分のやりたいことをやっている人もいるし、実質的に日本に拘束されている人もいるし、いろいろですね。世の中的には、自由にできる可能性が開かれていれば、最低ラインは、十分でしょう。私は他人に対する期待値が高くないので、自分にとっての環境にはほぼ満足しています。
後は、「強く願えば何でもできるんだ」とポジティブ・シンキング・バカになるか、「どうせこの国では、個人が思ったようになんてならないんだ」とネガティブ・シンキング・グズになるか、どちらに近づくかは、いわば個人の「芸風」ですね(私は、どっちつかずの売れない芸風です)。
近年私が残念に思うのは、私が文章を日本語で書いていることです。英語で文章を書けると、潜在読者が10倍(?)いるのに、と思うと、残念です。もっとも、これは、自分の努力の不足や、方針設定の際の不明によるもので、日本国のせいでも、親のせいでもありません。
確かに、「原子力」に限っても
かの有名な『カレン・シルクウッド』事件もあることですし。
たぶん、既得権益者の利ケンを破壊しようとするものは、生命すら投げ出さなければアカンものでしょう。
だからこそ、「ジャーナリズム」の醍醐味もあるし
ジャーナリストの凄みもでるのだが~
それこそ、「キリスト」みたいに~
しかしながら、私はここ日本で日本人として生息しています。
私も「村上龍之介」氏の言説にはそれなりの敬意を払わないってことはしませんが
しかしながら、彼だって、日本でああやって商売してるわけだな。
日本人っていう属性があるから
あの程度の認識レベル商売できるわけだと思っています。
村上龍さんは、佐世保出身。
あそこは、一種の出島や。
TV東京の『カンブリア宮殿』なる番組がある。
この番組は中小零細企業ながらキラキラしたものを持った「オヤジ」が基本的に主役であることが多い。
これはいいぞ~。
しかし、時に「問題」だらけの会社(例えば、トヨタ、花王)のようなモンに対して御追従してる彼の二面性に対して怒りすら感じる。
芥川賞作家で、、、
その作品がベストセラーになったのが
都知事はんと龍さんだったように記憶してる(間違ってる可能性ありますけど、突っ込んでくれな、諸君)、、、。
ちんちゃんは、ゆうちゃんの話。
自分のお話ではない。
比して、龍さんのは、本人の体験談。
これは明らかに「龍之介」さんのカチや。
これ以上、書くのヤメマス。
たぶん、こんなもん見せ付けられた人
不愉快になるはずだし
それに管理人さんのお庭を
農薬撒き散らし、意味も無く破壊してるような感じやねん。
ごめんなさい、山崎元さん。
村上龍之介さんには
本人の前で云いたいことが沢山あるけど
ここはそういう場ではないことですから
これ以上、云いません。
俺はアホというか
沸点が皆さんよりも
相当程度低い。
したがいまして
詰まらんことで
吼える習性がある。
で~
このオニハは好きなん。
すごく学習できるしね。
つぎは、どんな「鬼」が出てくるのかと、、、
一切無視してください
米不要です。
不愉快なら削除してくださいな。
山さん語録をつくるのに、JMMを読み直して、わしは仰天したなあ。まともに読んでいないわしが悪いのだが、金融屋と株屋の言いたい放題、やんけ。ただの一人も労働者生活者が議論に加わっていない。浮き世離れもはなはだしいがな。
かつて開高健は、佐高信師匠に罵倒されたことがある。それは、谷沢向井という二流の人間を世に出し、同じく二流の娘を世に出してしまったその責任を問われてのことであった。わしはJMMを読み直して、師匠と同じことを思ったなあ。よく観察すると思うほど顔はガメテいないからそう悪い人ではないとは思うのだが間違いなく亜保学者の土居とか世に出すのに一役はかったのか、文豪村上、なんてね。まあ、基本的には文豪村上も山さん(とその友人連)も好きなので、この話はこんなもんで。
だが、やっぱ石原大統領には気が滅入るなあ。小説家、名乗らなんだらええのにから。曾野もまったく知らなかったみたいだが、石原先生はちゃんと小説を書き続けている、箸にも棒にもかからないだけだ。石原の小説が二流なのは石原の思想が二流なのもかなり影響していると思う。「君のためにこそ死ぬ」って、彼自身が信仰する霊○会の「先祖供養」みたいなちんけな発想に思えてならない(信者向けの言葉ではないので誤解なく)。宗教なら、それも非常に大切なことかもしれんけんど。祖先のたーめ、親のたーめ。芸術って、そんなもんかなあ。親って、そんなもんかなあ。わしなんかは、親は子のために死ね、と思うし、死んでから化けてまで子や孫に迷惑かけるジジババなど、それこそもう一度死にくされ、と思う。親のために子が死ぬのであれば、せめて天皇様のために死ぬ方が、究極の選択だがまだましなように、わしは思うがの。もちろん、石原は天皇主義者ではまったくない雨に打たれたコケシ人形なので、暴れん棒の米長クンニオと同じく、超平和主義者の今上天皇様がうざくてしかたない。君が代の君のためにキャツは死んだりはせん。なじぇなら、石原は侍だから。
よ~くわかることだけど
『母国語』ってのがな。
いくら、無国籍人を装ったところで
無理だな、日本っていう「マザー・ランゲージ」
そのものからは、決して解放されない。
というか、逆に「日本」を意識してしまう。
俺は自分がどちらかっていいますと
「コスモポリタン」だと思っていた。
しかし、海外で生活する度に
逆に「日本人」性を強く感じることになる、この皮肉感。
別に「日本」国家とか「テンチャン」制とか
ど~でもいいけど、、、な。
『楢山節考』みたいな
得体の知れぬ
分けワカラメな「若布」にトラワレテしまったと
己ながら感じています。
あのマズイ酒しか造れない
バード山の宣伝員でっしゃろ。
達磨なんて悲惨な成分やったな。
本来、ヴィスキーというのは
ぴゅわ~なもんやねん。
ところが、測定器にかけたら
アレゲな中身やんか、、、。
「達磨」といえば、達磨大師じゃけん。
ともかく、会社ごとフザケていましたわ。
わたしの貧乏大学時代の愛イン酒っていうのが
「はいにっか」ですわ。
だって、さんとりー飲むと
次の日必ず、、、ふつかよい。
オイオイ状況でした。
ところが、ニッカ系は
次の日課も予定通りコナセマシテ
じつに快調だっやわけなんやな。
ゴメンなさい、管理人さん。
作業員さんの話に触発されまして。
これ以上、このスレでは発言厳禁にします。
作業員はん、、、
ほ~、「日本果実」嫌いかいな?
なんで?
おれは、鳥きらい。
飛んでる鳥は、定期的に双眼鏡で見て
結構楽しんでるわ。
いいな、鳥はええ。
自由きままでんがな。
あいつら、組織に縛られた
人って、パーにしか見えないと思うわ。
とくに、カラスの動態を観察してると。
おれ、ときたま
人間辞めたくなる瞬間がありまして
川鵜とか烏の乱高下っていいますか
見えるとこで「乱交」スルナヨーって
感じです。
これが、見もの。
生きた人間ほどメンドクサイものは無いね。
ともかく、疲れるぞ。
処理「作業」も大変やで~
このまま、書くと
たぶん、管理人さんに
刺し子というアナが開きそうなんで
ひとまず、この辺でだわ。
酒に関するスレッド
立ち上げて頂きたいです。
このブログに酒瓶を表示してるくらいだし
おれは、趣味が「酒」
まあ、管理人さんのハイレベルな酒じゃないかもしてないが
「ばくだん」とか、変な酒飲まされて
オカシナ頭が、更におかしくなった、、
その手の「お笑い」話のストレージ
イパ~イあるでっせ。
こんな、クダラン話は
せんほうがエエわな~~~?
ウチの社長は年頭の挨拶で、体には気をつけてください自己管理は自己責任で、みたいなこと言いやがりまして、それって仕事がキツクても病気になるのはお前らの勝手と言われてるようで、実際そういう仕打ち(?)しかないのだけれど、ワザワザ言うなよと思ったことがあります。
ナントカ還元水などという奇妙な言葉を考え出したくらいだからタヌキなんだろうと思ってたけど、実は「よくあるインチキくさいやつだよ~」という本音だったのかも。
そうだとすると病気になるまで働かされていながら、侍だったの、潔白を示すための死だのと、いいように宣伝文句に使われちゃうと言うこと自体が、集団ヒステリーていうか、病んでるよ。
病むことが美しいのか?アベさん!!
同じような思いをされた方が多いからこそ、自殺に追いこまれた背景はきちんと解明すべきと言う方が多いのではないでしょうか?
>方針設定の際の不明によるものです
英語についてのコメントがありましたが、『不明』の意味がわかりませんでした。
それは、山崎様が過去のある時点において英語の重要性を認識していなかったということですか。
お酒のエントリーを立てておきました。
>BBさま
私の母方の祖父も老人性の一時的と思われる鬱状態で自殺しました。自分が創業し経営していた証券会社が二代目に渡ってから上手く行かなくなって、状況を悲観し、ストレスを感じて、鬱っぽくなっていたようです。松岡氏の自殺のニュースに接したときに、他殺、自分自身による口封じ、ということを最初に考えましたが、次には、ストレスによる鬱、という可能性が思い浮かびました。
>21歳い~様
この文脈での「不明」は、「明るくない」つまり、「≒バカ」の意味です。ご推察のとおり、過去のある時点(大学生時代でしょうね)で、英語の重要性を十分認識せず、たかを括って手を抜きました(教養の英語の授業中には、教室で日本酒を飲んだりしていました)。
振り返ると、大学受験に受かったり、最初に入った会社の英語のテストでそこそこの点数を稼いだり、ということができる程度の、試験の要領の良さが仇になった感じがあります。また、正直に言うと、「英語だけできる奴」に対する軽蔑の気分もありましたが、要は、好きな科目ではなかったということです。
しかし、私の子供達には、適当なタイミングで、「英語と数学は、できればできるほど良い。特に、英語は、自由に文章を書けるレベルまであるといい。同じ本を書いても、潜在読者10倍(?)ちがうし、会社に勤めると、将来、レポートは英語で書くことになるだろう。だが、好きずきだけれども、英語屋(通訳的な仕事)や数学屋になるとツマラナイかもしれないよ」と伝えるつもりです。
現在、英語の強化を100%諦めたわけではありませんが、日本語のように英語を書けるようになるのは難しいでしょうね。
見方は色々です。
一つ気になったこと。
ある方が「成り上がり者の必然うんぬん」とおっしゃられていました。
なんとも、なさけない傲慢なコメントと感じました。
残念です。
でまあ、ほんの少し納める期間が足りないので無年金となった者を身内に抱えるわしとしては、もらえるはずの人がもらえず、もらえないはずの幽霊社員小泉純一郎がもらったり、といった不正まみれなんじゃないかと思ったりして本当に不快だ。完全税方式で基礎部分完全皆年金にするべきだったなあ、運用は山さんにまかせて。
キヤノンごときを日本を代表する優良企業とおっしゃる日本を代表する電通の回し者のジャーナリスト田原の番組では、トラが大トラでおもろかった。政治と金のことで言えば、トラの事務所はヤな人に家を貸してたことがばれたことがあるし、ズブズブの土建屋から運転手を出させていたことがばれたこともあるからして、トラも侍松岡と同じ穴の侍だ。で、いい年こいておさかんなトラを落選させるのは簡単で、国士平沼が宗教右派正論諸君を動員して反トラ選挙をすればいいだけである。工作名はトラトラトラだ。が、平沼、よいよい一歩手前で、できれば波風なく自民に帰りたいだろうから、静観するんだろうなあ。戦前、右翼とずぶずぶで今もそうかわらないにしても、平沼が保守なのは確かだろう。御○所キヤノンの大野君たち偽装請負奴隷にしてみれば、小泉安倍などという亜流ではなく、国士平沼が首相を務めていた方が、いくらか寿命が伸びたのかもしれない。左派の労働者からすれば皮肉なもんだ。しばらくはヤケ酒で大トラな日々が続くだろう。収監されないことだけを祈る。