評論家・山崎元の「王様の耳はロバの耳!」
山崎元が原稿やTVでは伝えきれないホンネをタイムリーに書く、「王様の耳はロバの耳!」と叫ぶ穴のようなストレス解消ブログ。
時計と時間と私の合理性
4月から朝型(といっても通常人の普通型です)に変えて、1月が経過した。何とか継続できているのは、家族のおかげだが、正直なところ、まだ、調子が出ない。ものの本によると(たとえば、築山節「脳が冴える15の習慣」NHK新書)、午前中から仕事をする方が調子がいいはずなのだが、原稿を書いても、本や資料を読んでも、午前中、もっと言えば、日の高い間は能率が上がらない。眠い、というわけではないのだが、昼間は、空気の分子がわさわさ動いているような感じがして、落ち着かない。気がつくと、時間だけが進んでいる。
もっとも、意識的な生活リズムとして夜型を30年くらい続けてきたわけだから、急に昼間の人になるのは、無理なのだろう。焦るまい。
時間については、実は、もう一つ悩みがあった。時間が非常に重要な仕事(講演やテレビなど)は事前に余裕を持たせるので遅れないが、取材を受けるといった、5分、10分遅れても、その場では困らない仕事で、しばしばアポイントメントに数分遅れるのだ(取材にお見えになった皆様、「まことに、申し訳ありません!」)。決して時間を軽視している積もりはないし、地下鉄の乗り継ぎでは半ば走るし、「すみません・・・」と謝りもするのだが、約束の時間に遅れていいはずがない。特に、私のように、個人商店的な仕事をしている場合、個人的な信用の上で時間厳守は重要だし、時間に遅れて、相手を軽視しているような印象を与えることは、非常に拙い。
待ち合わせの時間に遅れる理由を分析すると、出がけに思ったよりも時間を喰ってその遅れが取り返せないことが多く、交通機関の乗り継ぎ不具合等の外生要因を大きく上回っている。出がけに、メールの返事を余計に一本書いて、慌てて出ようとして、会社のIDカードを忘れて、玄関からもう一度部屋に戻って、出かけたら、計算上のリミットから5分遅れていた、というような状況が典型的だ。意地汚くメールなど書かずに、半強制的に、間に合う時刻には家を出るといいのに、と思うのだが、命令し、監視するのが、自分とあっては、なかなか上手く行かない。
そこで、原始的だが、時計の針を5分進めてみることにした。具体的には、腕時計と、机上に置いている時計の二つの針を5分進めてみることにした。デジタル電波時計の目覚まし時計も机上にあって、この時計をベースに、他の時計の針を合わせていたのだが、こいつは、「あっち向いてホイ」のように、右か、左を向けて、時刻が直ぐには見えないような方向に置くことにした。
まだ3週間ほどしか経っていないが、効果は現れている。「しまった、行かなくては!」と思ってから出かけても、待ち合わせ時間ピッタリに目的地に着くケースが、明らかに増えた。また、デジタル時計の文字盤を見えない方向に向けたことも良かったようだ。これまでは、原稿書きをしていても、時計を見るともなく見ていて、11時11分11秒とか12時34分56秒ような時刻になる瞬間を見て喜んだりして、ただでさえ不足気味の脳力リソースを、余計に事に使っていたことが分かった。何と馬鹿な!
しかし、思い出してみると、「時計の針を○分進める」という行為は、私が、非合理的な行動として、大いに軽蔑していたやり方だった。真実を隠して、しかも、隠したことを知っていて、何になるというのだ。本人は正しい時刻の計算方法を知っているのだから、時計の針をずらしても、何の意味もなかろうし、意味があるとすれば、それは、その人物が非合理的であり、且つ自分をコントロールする意志が弱いということに、外ならない、と思っていた。
この意見は、今も変わっていない。つまり、私は、非合理的で、意志が弱いのだ。自分がそうだから、他人もそうだろうというような、失礼で乱暴な断定をするつもりはないが、身近なサンプル(=自分)が一つ加わったことで、人間の非合理性を事実として認めて分析の中心に据える、行動経済学的なアプローチに、また一歩、親近感が深まった。
尚、腕時計は、ときたま気分や目的で変えることがあるが、写真の時計を着けていることが多い。できれば機械式で、誤差は必ず進み方向で日差10秒未満、10気圧以上の防水(風呂にも着けたまま入るから)、日付表示があること(時刻と同じくらい見る事が多い)、材質はステンレスかチタン、といったところが選択条件だ。但し、いかにもダイバー用、海洋スポーツ用の大きなもの(たとえばパネライの時計)は、スーツに合わないし、私は、スポーツマン的な太い腕をしていないので、似合わないと思っている。腕時計は(革ベルトや防水が弱いものを除いて)、寝るときも、風呂にはいるときも、そのまま着けているので、愛用しているとも言えそうだし、酷使しているとも言える。
もっとも、意識的な生活リズムとして夜型を30年くらい続けてきたわけだから、急に昼間の人になるのは、無理なのだろう。焦るまい。
時間については、実は、もう一つ悩みがあった。時間が非常に重要な仕事(講演やテレビなど)は事前に余裕を持たせるので遅れないが、取材を受けるといった、5分、10分遅れても、その場では困らない仕事で、しばしばアポイントメントに数分遅れるのだ(取材にお見えになった皆様、「まことに、申し訳ありません!」)。決して時間を軽視している積もりはないし、地下鉄の乗り継ぎでは半ば走るし、「すみません・・・」と謝りもするのだが、約束の時間に遅れていいはずがない。特に、私のように、個人商店的な仕事をしている場合、個人的な信用の上で時間厳守は重要だし、時間に遅れて、相手を軽視しているような印象を与えることは、非常に拙い。
待ち合わせの時間に遅れる理由を分析すると、出がけに思ったよりも時間を喰ってその遅れが取り返せないことが多く、交通機関の乗り継ぎ不具合等の外生要因を大きく上回っている。出がけに、メールの返事を余計に一本書いて、慌てて出ようとして、会社のIDカードを忘れて、玄関からもう一度部屋に戻って、出かけたら、計算上のリミットから5分遅れていた、というような状況が典型的だ。意地汚くメールなど書かずに、半強制的に、間に合う時刻には家を出るといいのに、と思うのだが、命令し、監視するのが、自分とあっては、なかなか上手く行かない。
そこで、原始的だが、時計の針を5分進めてみることにした。具体的には、腕時計と、机上に置いている時計の二つの針を5分進めてみることにした。デジタル電波時計の目覚まし時計も机上にあって、この時計をベースに、他の時計の針を合わせていたのだが、こいつは、「あっち向いてホイ」のように、右か、左を向けて、時刻が直ぐには見えないような方向に置くことにした。
まだ3週間ほどしか経っていないが、効果は現れている。「しまった、行かなくては!」と思ってから出かけても、待ち合わせ時間ピッタリに目的地に着くケースが、明らかに増えた。また、デジタル時計の文字盤を見えない方向に向けたことも良かったようだ。これまでは、原稿書きをしていても、時計を見るともなく見ていて、11時11分11秒とか12時34分56秒ような時刻になる瞬間を見て喜んだりして、ただでさえ不足気味の脳力リソースを、余計に事に使っていたことが分かった。何と馬鹿な!
しかし、思い出してみると、「時計の針を○分進める」という行為は、私が、非合理的な行動として、大いに軽蔑していたやり方だった。真実を隠して、しかも、隠したことを知っていて、何になるというのだ。本人は正しい時刻の計算方法を知っているのだから、時計の針をずらしても、何の意味もなかろうし、意味があるとすれば、それは、その人物が非合理的であり、且つ自分をコントロールする意志が弱いということに、外ならない、と思っていた。
この意見は、今も変わっていない。つまり、私は、非合理的で、意志が弱いのだ。自分がそうだから、他人もそうだろうというような、失礼で乱暴な断定をするつもりはないが、身近なサンプル(=自分)が一つ加わったことで、人間の非合理性を事実として認めて分析の中心に据える、行動経済学的なアプローチに、また一歩、親近感が深まった。
尚、腕時計は、ときたま気分や目的で変えることがあるが、写真の時計を着けていることが多い。できれば機械式で、誤差は必ず進み方向で日差10秒未満、10気圧以上の防水(風呂にも着けたまま入るから)、日付表示があること(時刻と同じくらい見る事が多い)、材質はステンレスかチタン、といったところが選択条件だ。但し、いかにもダイバー用、海洋スポーツ用の大きなもの(たとえばパネライの時計)は、スーツに合わないし、私は、スポーツマン的な太い腕をしていないので、似合わないと思っている。腕時計は(革ベルトや防水が弱いものを除いて)、寝るときも、風呂にはいるときも、そのまま着けているので、愛用しているとも言えそうだし、酷使しているとも言える。
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最近、私も朝型の生活に切り替える事にして家中の時計を全て定時に戻しました。
いまのところ緊張感も手伝い、うまくいっています。
私は、家電製品についているデジタルの時間表示と携帯電話と固定電話のアラーム機能とでこと足りるため、腕時計はしないし部屋には時計を置いていません。外出時も壁に掛かっている時計の場所をすぐに見つけてしまうため、困ったことがありませんでした。
しかし、仕事には遅れないし、他人との待ち合わせには5分以上前に着く私が、夫(今はまだ別々に住んでいる)との待ち合わせにはいつも軽く10分は遅れてしまいます。相手が夫の時に限って、何故か出掛けに部屋の電話が鳴ったりするので…。呆れた夫から、とうとう置き時計を贈られてしまいました。
私の場合は、緊張感の有無で、時間を守れたり守れなかったり(もしくは守れない状況を無意識に引き寄せたり)するようです。
山崎さんも、取材のような仕事もテレビ出演と同じように、緊張感を持つのが1番なのかもしれませんね。
最後に一言、12時34分56秒ような時刻になる瞬間を見て喜んだりしているなんて、私と同じなんだなぁとちょっと嬉しくなりました。
私はメーカーに勤務している営業ですが、私と同行する予定の営業職は当然、技術職の新入社員が客先のアポイント時間に遅れると、強制的に帰しています。お客様には会わせません。自分一人で対応しています(個人商店の山崎さんとは環境があまりに違いますが)。
自分の責任という意識がないという事で、新人さんにお説教すること小一時間になります。
遅れても仕事で自分の責任を果たせれば、実はいいと思いますが、新入さんは自分の存在意義をどう考えるかという意識が薄いので、時間管理をネタに言えば自分の存在意義を考えてもらういい教材(機会)です。
人の役に立つ人間にならなければ存在価値がないという自分の価値観でのお話です。
時間に遅れても許される人間になるためには、お客様からの信頼感がなければダメです。
許されてきた山崎さんは、その人間関係の信頼感があるのではないかと思います。
でも、当たり前ですが、時間は守りましょう。
投資も時間管理も自己責任ということが必要だと思います。
なんて、目上の方にご意見するほど、自分が出来た人間かと思うとそんなことは当然ありません。
生意気なことをいって失礼しました。
確かに、徐々に騙されなくなるのかも知れません。その時には、また、新しい時計を買う理由(!)が発生するかな。
>ミランダさま
直接的に脳だけの話ではありませんが、ジョージ・エインズリー「誘惑される意志」(山形浩生訳、NTT出版)は、主に双曲割引(時点の違いに対応する価値評価の歪みです)を取り扱った本ですが(特に前半は)、後半の自分の中でエージェント同士が交渉するモデルの話が、難解ながらも読み応えがあります。自分の心の中のエージェントが、なぜ約束(コミットメント)にこだわるのか、今一つスッキリ納得できませんでしたが、これは、面白い本です。
>椿と真珠さま
私は、小学生くらいの頃から時計が好きで、近年、財政的には都合の悪いことに、機械式の時計が気に入って、手持ちの時計の個体毎の秒差を傾向を較べたりして、数個の腕時計を愛でていますし、それ以外にも、デジタル、アナログ、機械、クォーツを問わず、時刻を表示する機械が好きです。考えてみると、時間に縛られるのは嫌いなのに、不思議なことです。
おっしゃることは、ごもっともで、100%同意し、反省しております!こんな簡単なところで、隙が出来るようではいけませんね。
≪将来的には、中国は、軍事に加えて経済的にも圧倒的に大きな存在になるでしょうから、中国が合州国的な体制になって台湾が米国に於ける州のような形で併合されるような状況も考えられるのではないでしょうか。≫
(「合州国」は山崎さんの原文のまま。)
こういう論者が多いから言うのだが、
こと「台湾問題」になると、「国と国のあいだで貿易が行われている」という、小学生でも知っていることが忽然と頭から消えるらしい。
中国が「経済的に圧倒的に大きな存在」になったら、中国と経済活動をするには単なる国際貿易ではすまず、「併合」されなきゃいけないわけ?
もし仮にそれが正なら、世界数十カ国が米国に併合されているはずだがね。
東欧諸国はドイツに併合だよ。
韓国も東南アジア諸国も昭和後期に日本に併合されていたよ。
もちろん、そんなことはなかった。だって、貿易と投資が行われれば、それでいいわけだから。
経済は、「併合」の原因にはなりません。
http://plaza.rakuten.co.jp/yizumi/diary/200705150000/
メールを頂いている(yamazaki_hajime@mail.goo.ne.jpに)のは知っていますし、中身も拝読していますが、必ず、返事を出す、ということろまでは、対応できません。
>いbvさま
JMMをお読みでしたか。私は、将来の中国本土による台湾併合は、あくまでも一つの可能性であって、必然だとは思っていません。(文末は、「~な状況も考えられるのではないでしょうか」となっていますね。まあ、そう興奮しないで・・・!)
中国が台湾をたとえば一つの州のような形で取り込むことは一つの可能性としてあるかも知れないとも思いますし、無いかも知れません。当事者同士が決めたらいいことではないでしょうか。
ブログも拝見しました。
ここのエントリーは、中国問題がテーマではありませんが、何かまとまったご意見でもあれば、コメントをお書き下さっても結構です。
...待ち合わせの時間に遅れる理由を分析すると、....出がけに、メールの返事を余計に一本書いて、慌てて出ようとして、会社のIDカードを忘れて、玄関からもう一度部屋に戻って、出かけたら、計算上のリミットから5分遅れていた、というような状況が典型的だ。...の記述は、まるで私の生活の一場面を表現されたようで、思わず「そうそう」と頷いてしまいました。
元婚約者は、金銭と時間管理に相当厳しい人で(今は結婚しなくて心から感謝しています)プロポーズされた翌日、ホテルのロビーでの待ち合わせにオンタイムで到着した私は、1分遅刻したと責められた事がありました。記念すべき日の翌朝ぐらいしおらしく待っていると期待していたのに自分より遅れたことが面白くなかったようでした。
夕食に招待された時はちょっと遅れていく方がホストへの思い遣りだと言われてきたし、デートの時にも数分遅れていくのが習慣だったので、彼と関わって何だか自分が相当ルーズな人間のように思えた時期がありました。相手の時間を盗んでいる、などと正論をたたかれれば全くその通りなのですが、これも程度問題だというところに落ち着きました。
今は彼のことを、実は気が小さい人、と思っています。
そういう私の枕元には、1時間進めたスニーズ付き時計とアラームが設定された携帯が置かれています。
時間に対する感覚は、何より人の感じ方により、また人と人の個々の関係により、或いは地域や状況によって、いろいろですね。
人によって、「どうしても我慢ならない一点」は異なりますが(時間が経って変わることがありますが)、きっと当時の彼にとっては、時間を守ることの意味がそれだったのでしょう。気が小さかったのかどうか(少なくとも、「大きい」という判断材料はありませんが)私には分かりませんが、多分、彼なりに、そういうことが気になる性格の苦労を引き受けていることが想像できます。まあ、それぞれの人が、それぞれに幸せになってくれればいい、と思います。
目覚ましが必要な場合は、私も、二段構えです。①音の優しい時計と、②デジタルの電子的で大きな音の時計(写真の二つです)を、①、②の順に鳴らすようにしています。
目覚ましが、あるいは時計というものが、一切必要ないような暮らしは自由でしょうが、これは、何となく、張り合いがないような気がします。しかし、本当のところは、やってみないと分かりませんね。
...多分、彼なりに、そういうことが気になる性格の苦労を引き受けていることが想像できます。...
こういう見方をすれば、私にも思い当たるところがあります。私の場合は、整理整頓が気になる方なので、気づいた分だけ余計な仕事を増やしてしまったり、不自由さを感じたりします。
一緒に生活をするのは難しいでしょうが、時間にうるさい人が側にいると何かと助けられることも事実です。以前、彼の講議をとった学生が「...遅刻は厳禁。一度、クラス全員がお叱りを受けました。」と評価欄に書き込んでいたのをみて、何となく彼らしいなあと微笑ましく感じました。
ただし、うちの母のように8時半の始業時間に対して早朝6時に出社して人より先に仕事を片付けるという完全な朝型人間は、送迎する側も大変(=迷惑)でしたし、これはもう違う次元のような気もします。
(余談ですが、気が小さい、というのは時間というより、金銭により縛られていたように思えたからです。私など比較にならないほど多額の金銭を所有していたにもかかわらず、常に将来を悲観し、失うことを恐れていたように思われたのです。)
時間の使い方は人それぞれですが、本当に難しいですね。
作業員センセイの大好きな丸山健二さんの本を見ていたら、参考になる記述が出てきました。
「時間の上手い使い方とは、とりもなおさず緩急の付け方のことです。・・・。生身である人間の脳の力は、フルスロットルでせいぜい一日に二時間が限度です。・・・。その貴重な二時間を得るために、あとの二十二時間をどう過ごすかが成否の鍵を握るのです」(丸山健二「生きるなんて」朝日文庫、p38)
無理は長続きしないし、明日の貴重な2時間のために、手抜きや睡眠が大切なのだそうです。
実感として分かるような気がしますが、私のような凡人は、なかなか、このようには割り切れません。
村上龍氏が、友人の編集長への提灯記事に、「わしらは一貫してマイノリチーだった」と書いていて、吹き出してしまった。超メジャーじゃ、おめえらは。マイノリチーとは、松下竜一だったり丸山健二だったり、じゃないのか。よしんばなんとならばむべなるかな。
ちなみに、わしは人を待たせたことがたぶん一回もない、と言えるぐらい、気が小さく金銭に亀甲縛りされている。
そういえば丸山は、文豪と呼ばれる人たちが晩年に傑作を書くことがほとんどないのは、酒のせいだ、と言っています。丸山はミルクしか飲まない希有な文豪であり庭師であります。山さんも気をつけないと、飲みながら書くという芸当はできなくなっていくと思ったりしますが、書くより飲む方がそりゃ、楽しいですわな。
経済学のテキストの、「限界」の説明に、彼女が彼氏に、「物理の試験とあたしとのデート、どっちが大事なの?」とせまる例え、がありました。彼氏は、「限界的には物理学である」という硬質の答えを返していました。なにかネタが浮かびそうなのですが、披露するほどのモノにならず、どこにでもある痴話実話でも、メモ夫人に紹介して失礼します。
男のサービス(券)
見られてはいけないメモなどを食べる話はよくありますが、わしも昔、紙を食べようとしたことがあります。おねーちゃんに、ラブホのサービス券を見つかりそうになり、それを食べようとしたのですが間に合わず、おねーちゃんのものすごい力に抵抗すること三十分、ついに、このわしの指を一本一本開いたおねーちゃんにサービス券は見つかってしまいまして。このサービス券は、おねーちゃんとも使っていたホテルの券なので、本来は隠さなくてよかったのですが、ですね、枚数がですね、若干、おねーちゃんの記憶と違っていたらですね、大変ですからね、わしは、潔く食べてしまおうと思ったのですが、そのヤギのような不審な行為から、当然悪さはばれてしまってですね、軽く修羅場。であったのですが。
「サービス券あと少しで、おまえの欲しがっていたあのバッグがもらえるから、やりたくもないナニをしたまでだ。ようやくあと一枚まで、たどり着いた。褒めてやるのが女じゃないのか」とわしは開き直り、なんのかんので、おねーちゃんと仲良くバッグをもらいに、くだんのラブホに行って愛し合ったという、倫理的なのか経済的なのか、よくわからないところにこの話はオチたのでした。
梯 久美子 (著)
方向と人の名前音痴ですまん。
ついでなので。ジャーナルな話。
「安倍首相の公設秘書らは17日、日興コーディアル証券の上場維持に関与したかのような事実無根の誤った印象を一般視聴者に与えたとして、朝日新聞社と同社の山田厚史編集委員を相手取り、謝罪広告の掲載と3000万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こした 5.17産経ウェブ」
腐敗した政権下で暴力団とハ○コーが野放しな現在、訴えられも襲われもしないジャーナリストなど、偽装ジャーナリストではないでしょうか。
安倍事務所が、また朝日を訴えた、という件を、私は、「夕刊フジ」の報道で見ましたが、どうも、この種の訴えはこれからも増えていきそうに思えます。この件は、どの程度取材がしっかりしていたのか分からないので、何とも言えませんが、政治屋など報道される側(と腐れ弁護士)が、何でも訴えてやるぞ、という姿勢を強めていることは、間違いなさそうです。
朝日としては、例の本田記者のNHK問題のテープでも公開して猛反撃すれば面白いと思うのですが、サラリーマン集団がそんな(同時に「損な」)ことをするとも思えません。
今後、この種の訴えの金額も大きくりそうですし、大組織のサラリーマン・ジャーナリストは、どんどん妥協していくのではないか、という気がします。
>風呂にはいるときも、そのまま着けている
湯気による影響はありませんか?
僕は10気圧防水のエコ・ドライブの電波時計を使っていますが、風呂は熱いし湯気の影響を考えて、時計は外しています。
機械式時計は、大丈夫なのでしょうか?
財政金融員会に損保協会の東京海上石原会長が不払い問題について説明をしておられました。47万件 349億円、これは規制緩和が急に進み、客のニーズに応えるために保険の種類が増えすぎたからとかいう理由なんですと。朝日の朝刊一面に各保険会社の役員の謝罪する姿が並んでいたのは久しぶりに褒めて上げたいと思いましたが、就職内定した大学生はあれを見てどう思うのだろうか。
毎日粛々と法案が衆議院を通過し、参議院に回されているのです。野党が法案の穴を突いたところで結局数でみんな決まってしまうのだから空しくなってしまいます。久しぶりにグリーンピア(昔某有名建築家の設計したものを見に行った事がありますが、こんなとこまで誰がくるんだろうかと話した記憶があります)についても質問がでましたが、どうしてあれが訴えらえないんでしょうかあああ。
またスレ違いでした。
株はもう用語からして遠い世界なので(つまり全く頭に入らない)人任せにしてわたくしは庭の花の株でも大切にすることにしました。忙しくしているうちにせっかくボタンが美しい花を咲かせてくれたのにゆっくり見る暇もないような生活はいけません。丸山先生のように美しい庭は百年かかってもできそうにありませんが・・・。
さっき学生向けの本屋によっていて、開高の口癖だった「すでに本は多く書かれすぎている」などというフレーズをつぶやいていたら、なぜか隣に立っていた東欧の人に声をかけられて、日本で暮らす悩みを相談してきた。
本屋によったのは、和式洋式キャノン式の隣に山さんの本を置くという遊びをするのが目的だったのだが、メモ夫人言われるように、縁のないものに興味はわかないのにから、「文系人間のための金融工学の本 (日経ビジネス文庫) 土方 薫著」などという本を眺めてみたりはした。山さんの名著ファンドの書評に、「数式が多い」と書いていた人がいて、笑ってはいかんが笑ってしまった。わしも数式など書いてあってもとばして読むから、なるべくいい日本語でわかりやすく説明してほしいとは思っているが。山さんお書きのものには、数式が極めて少ない。たぶん意図されているのだと思うが、どうか。眺めただけなので感想もなく、土方氏には悪いと思う、すまん。山さんの本は棚に見あたらなかったから、売れたのだと信じたい。朝日新書の「偽装請負」は数冊売れた気配があったが、それよりも文春文庫の減りが早いように感じたので、これも時流かと思ったのであった。
時計か時間の話になんとしてももっていこうと思ったが、ふと「時計仕掛けの偽装請負」という言葉が意味もなく浮かんだだけだった。シンギーン インザレーン。今日もランチは人妻とだったので、浮かれているまでだ。が、この人妻、こないだ、「好きな人ができてしまったんです」などと言い出すので、いやそれはいかんいかんぞとリュウチシュウのような素振りをしつつも、「新自由主義化がとまらないように、恋心もとまらないものさ」などと言ってみたら、「主人の部下を好きになってしまいました」と人妻に続けられてしまった。あ、そう。主人の部下。主人の部下ね。心当たりの人は探偵でも雇ってくれ。わしのせいじゃねーぞ。
「時計仕掛けのオレンジ」は好きな映画です。人間のよこしまなココロを描いたキューブリックの映画は、どれも好きですが、最後の「アイズ・ワイド・シャット」だけ、なんであんなに駄作になったのかが、今もってよく分かりません。
●
本は、数式無しで内容が伝わるように書けるといいですね(特に一般向けの本は)。日記ビジネス人文庫の「お金をふやすシンプルな常識」は、最後の付録部分にだけ数式が出てきますが、どの本も、なるべくあんな感じで書きたいと思っています。
で、超メジャーになるというのは、よくでけた話だと思うなあ。最近まったく映画を観ていないので、この話はここまで。で、日曜の朝の話題としては、黒岩氏が地中海あたりの老健施設のおばあちゃんにインタビューしているところ、しか覚えていない。顔で人を判断してよいなら、前世まで言えるわしもインタビューしてくれ、ボケならかませるぞ。なまくらな憲法論議などやめて、とりあえず国民投票で天皇制が人民の「総意」に基づいているか確認すればよい。押しつけられたのは、国体、なのであるからして。では、以下メモ夫人におまかせします。
おじさまたちにファンの多いという七生女史を老健施設のおばーちゃんだなんてひどくねー?
憲法調査会の海外視察で2度ばかり御意見拝聴されているようで、枝野氏が言及されていましたのでファンの方はどうぞ。
http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/
kaigiroku/
015116520061019002.htm
女史は各国の元首の顔について問われ、日本の現首相については「真面目」という感想のみでしたね。サルコジ氏はフランスとういかヨーロッパでは丁度前首相と同じ迎えられ方ということなのかな。宗主国大統領はドジった時のはにかみ顔がいいって、やっぱり老健施設でしょうか。
政局が不安定なのが一番困る、と断言されておられましたね。それが多くの日本人の望むところでもあるのでしょう。
>政局が不安定なのが一番困る
政局など、めちゃくちゃになればいいのです。キヤノンの御○所会長が、どの面さげてって、○器面さげて支持するのが、自民党ですからな。○器悲願の「偽装請負の合法化」が、なされてしまいます。規制緩和至上亜保学者がついに、フルキャストのように建設現場等に人貸ししても罪にならないようにしましょう(正社員化義務撤廃等も)と言い始めました。「一億総日雇い日本サンヤアイリン化計画」が金融資本のバター犬前世がロバのパン屋のロバの川本裕子によって進められています。規制緩和論者を(サキッチョコンビを除いて)わしは心底軽蔑しています。ハローワークを民営化して人材を労働基準監督官などに移す、などと言いながら、隣の席のマルチオバハンが監督署自体をなくす労働法もなくす、とほざいているのに笑っているアホども。監督署の仕事が増え続けている、と認識できるのなら、規制緩和でヤクザ者が横行してさらに監督署の仕事が増えて、ヤクザ者がやりたい放題になる、と予想はできんか。キヤノンの偽装請負やフルキャストの人貸しを徹底的に告発したり取り締まったりしなかったヤクザ学者どもが、「フルキャストのような人夫出しの合法化を!」とは、なーにごとだ。わしゃ、ほんと戦慄を覚えるよ、その面の皮の厚さ、人間○器かつ馬面に。
肝心のカットフルーツ問題を書く気が失せたじゃないか。中南米の反米赤化について、日本ではほとんど解説がないが。あの辺りに経済学者が一人もおらんわけではないだろう。竹中程度の学者は、いくらでもおるわけや。そういう学者が、「ローティーンの子供たちが学校にも行けず、冷蔵倉庫の中で、毛玉が落ちないようにTシャツ一枚で一日15時間におよぶ過酷な労働を強いられている。その子供たちのカットしたフルーツが、アメリカのアホガキのデザートになっている。おかしいやなかか、革命ばい!」と九州弁をしゃべって69をしつつ革命家となって校長室にウ○コしたかは、アカヒニュースターをちらっと見ただけで確認できてはいない。言えることは、新自由主義のいきつくところを見据えて、先に補正かけるのが、「文明の可能性の守護者」の仕事だろうが、ちゅうことだけである。若い血と汗を吸った苦い根にようやく実った薄甘い果実をむしり取っていく経団連の人間○器どもに天誅を!と、革命家でも学者でもないのにいくらか過激に叫んでみたりしたが、15歳が伝統文化に則ってエンコ落とす御時世だから、少々過激でもよかろう。
イン・ザ・マネー ジェニの海に溺れないための掟ポルシェ
という本の題をインザミソスープから考えたが、すでに誰か使ってるかなあ。ネタが古いが、掟ポルシェが濁流を泳ぐ写真とか、表紙に使いたい。掟氏の肖像権は、マイナス500円ぐらいじゃないかと思うが、どうか。
最後に山さんの好きな写真のネタだ。昨日たまたまカメラマニアのおっさんと話すことがあって、リ○ーはいいところがほとんどないが、接写に優れている、などというたぶんその世界の常識を教えてもらった。おっさん曰く。
「ペンタで撮ると、スッピンの女が写る。キヤノンで撮ると、厚化粧の女が写る。り○ーで撮ると、顔にドロを塗った女が写る」
日本を代表する識者を呆け老人扱いするようなあんまりな比較なので、伏せ字にした。もちろん、おっさんには、
「キヤノンは、なにをやっても偽装なんですね」
と言っておいた。性能の良さは認めるしかないのですね。三億もらっている現人○器御○所会長より、三百万しかもらっていない大野君たちに、心から拍手を送りたい。パチパチ。
最高顧問 御○所冨士夫 日本経済団体連合会会長
理事会長 河野洋平 日本陸上競技連盟会長
不祥事続きの発火する○器会社がおわびの印に大阪である陸上競技の大会のスポンサーにでもなって、テレビで、しゃべるデジタル○座の映像を流している、とされていたのだが、どうも、ベトコンカメラの御○所会長のきったない○器顔そのもの、だったようだ。しっかし、右翼あるいは左翼諸君。ここまで(関係者が)汚いスポーツの祭典はあるだろうか。オルセーに続きキヤノンはまたすばらしきかな人間にミソとクソを塗りたくってくれるのだなあ。
それにしても、文豪村上の化石のような番組に出ると会社にミソがつくという都市伝説も結構実話に近い。すべて谷間を見せないパチ屋の娘がサゲマンだからだろうと思う、彼氏の焼鳥屋も流行ってないらしいし。そろそろ潔さは天下一品の相澤仁美に代わってもらいたいのだが、相澤はときどき顔がハイヒールモモコかムネオスズキかアホの坂田に見えてしまうところがまっこと、おしい。
転職話はどうもピンとこないので、最近あったちょっといい話をここで紹介したい。わしの若い友人の一人が、発電機の仕事をしていて、毎日油まみれになって工場を回っていた。ある日の休憩時、その油まみれの友人に、元請けのおっさんが話しかけた。「君、若いのに、いい仕事するねえ」。わしとは違って寡黙なことだけが取り柄の友人は、元請けにおべんちゃらの一つも言えるわけではなく、ダジャレの一つも交えてエロ世間話をすることもできない。だからといって会話ができないわけではないから、友人はおっさんと仕事について当たり前の話をし、休憩が終われば再び寡黙になって、バラした発電機を組み立てた。そんな感じで何度かおっさんの下で働いていた友人に、転職の話がきた。話は、その元請けのおっさんからだ。「君、うちにこないか」。こんな話、あるところにはあるんだなあ。友人は油まみれの作業着を脱ぎ、上場企業の何故か総務で働いている。
成功する転職の教訓は。ダジャレを言わない。エロ話をオチにしない。ぐらいだろうか。必要以上にウケを狙う必要は、どうもないようである。
「川嶋、名城、誰でもかかってこい。百万やるぞ」
という亀田三男は、まだ十五歳。
「中国株は、いずれ劇的に収縮する」
というグリーンスパンは、何歳かなあ。
あいかわらず右がリードにならない、いくらかは強いがキレのないパンチを打っている亀田長男にはかける言葉がないのだが、三男の「百万やるから、誰でもかかってこい」は、すばらしい。ひさびさにおもろい発言を若者から聞いた。名城くん、そのへんてこな右フックで亀田の小僧ぶん殴っちゃれ。と思うが、名城くんぐらい足がそろってしまう格闘家を生まれてこのかた見たことがないので、恥をさらすかもしれんなあ。
中国は元を切り上げないし、外資を(自由には)参入させない、でいてバブっているわけであるが、そういう「中国との競争に負ける」からこっちの制度を変えるというのも、なんだかなあ。心優しき我が自衛隊では、「元切り上げろ」ちゅう脅しにならんのか。核武装の夢を見るおっさんの気持ちも、わからんでもない。
人気ブログから引用なんかしたら著作権が面倒な気がするので内容だけ言うと、竹中が顧問を務めるパソナの南部とマブダチでかつ電通とズブズブであることだけが自慢の田原氏は、「沖縄への自衛隊動員は違憲だが、反対闘争参加者は自然保護とは全く縁のない土建屋と地権者だから、電通とジャニーさんに支配された中央のマスコミは、そのようなインチキ活動家を黙殺してかまわないのだ。これでいいのだ」という趣旨のことを鼻毛を揺らしながら発言しているらしい、○ねばいいのに。
さっきサンデー毎日を開いたら、佐高師匠も「田原、○ねばいいのに」と書いていた。辺見庸がまだ生きていることが不思議だな、それにしても。生きてみろ、辺見。
田原は最近、地方の講演でこう繰り返している。
「小泉改革でめちゃくちゃになった部分は確かにある。派遣部門、派遣法などは、すぐに規制強化しなければならない」
ほんでから田原は、大手メーカーケツモチの自分の番組でも、こぎゃん正論吐いてくれるんかのう。テレビでは、「日本的経営を代表する御○所キヤノン製品の不買運動など起こし、非正規雇用の拡大を阻止しようとしている活動家は、自然保護とは無縁の土建屋あるいは既得権益者ないしは作業クズだ」、とか言いそうだろ、みなはん。ほんと、○ねばいいのに。
『略 労働局の「個別労働紛争解決制度」に寄せられた相談が06年度に約18万7000件に上ったことが厚生労働省の集計で、25日分かった。前年度より6%増え過去最多。解雇の相談が24%で最も多く 以下略』
解雇における経営側裁量権の拡大を御○所経団連とその御用学者などは言っているが、現実には、「明日から来ないでいい」解雇、がいくらでも行われているじゃないか。上場企業正社員のボーナスは過去最高。あったりめーだろ、大野君たち優秀な下請けが性能のいいベトコンカメラを作るから、貿易黒字はいくらでも積み上がっているんだからして。大野君たちに時蕎麦ぐらいおごってやれ、キヤノンの鬼畜正社員どもは。
三角合併の話のときもずっと思っていたのだが、一部上場企業正社員など、労働者全体からみれば、「いない」に等しい。そぎゃん労働者がどぎゃん扱われようが、大方の労働者には関係のないこと、なんだが、回り回って我ら大方の労働者に悪影響があるのなら、なんとしても三角だろうが四角だろうが新制度に反対せねばならん。労働者の分断は政権に有利になる、と一般化はできると思うが、一部上場企業の正社員など、こちらから切り捨てていっこうにかまわん、とわしは思っている。奥谷のようなタコマルチ社長ばかりになって、一部上場の正社員が全員過労死したら、山さんの「ポストがあけばチャンスは増える」理論、によって、わしらにも転職の夢が見られるようになるのである。はしかとか鳥インフルとかの蔓延の方が早いようにも思うが、栄養状態で劣位にあるので、それではこちらが先に淘汰くらってしまうような気もするのであった。生存競争は大変である。