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生命保険にニーズはあるか?

 現在発売中の週刊ダイヤモンドの私の連載でも述べているが、生命保険の意味をファイナンス的に解釈すると「人的資本(の価値に)対するヘッジ」ということになる(死亡保険の場合)。

 たとえば、現在2000万円の金融資産と、1億円の人的資本を持っている35歳のサラリーマンがいるとして、彼の人的資本の価値は、収入の変動などによっても変化するが、死亡した場合はゼロになるので、広義の資産運用の意思決定としては、この人的資本をなにがしかのコストを掛けてでもヘッジしたい、というニーズはありうる。

 ここで、人的資本とは、一人の人間の価値を株価のように考えた概念で、たとえば、将来の予想収入を、金利よりもかなり高いそれなりの割引率(人的資本は流動性が乏しく換金できないし、また死亡や病気等のリスク、職業が不調に陥るリスクも当然ある)で現在価値に割り引いて合計したものだ。上記の35歳のサラリーマンは、今後の人生で2億円くらいの収入を稼ぐかも知れないが、「人的資本」として評価すると、1億円くらいのものではないだろうか。「証券アナリストジャーナル」の8月号に翻訳が載った、Peng Cheng, Roger G. Ibbotsonらの論文では、このように定義されている。

 もっとも、人的資本をこのように定義するのがいいかどうか、については、議論があり得るだろう。稼ぐためには、当然、食費その他の生活費のコストが掛かるから、「利益の割引現在価値」として人的資本を評価するなら、稼ぎに必要な最低限の生活費(どうやって計測するか別の問題が持ち上がるが)を差し引いた稼ぎの割引現在価値の合計を考える必要がありそうだ。

 先の論文では、資産配分の期間を一年として、生きている状態の資産と遺産に対する評価の差を表す変数、一年以内に自分が死ぬことの主観的確率、をそれぞれ考慮して、生きている状態の効用関数(金融資産の期待額と人的資本の期待値の合計に対して定義される)と、遺産に対する効用関数(金融資産額と死亡保険金)の値を、加重合計するような形で、金融資産と人的資本と生命保険(生命保険をふやすと保険金は増えるが、保険料が掛かるので金融資産の額が減る)総合的な効用関数を定義して、この最大化の問題として、資産配分の問題を解くフレームワークを提示しており、年齢と生命保険のニーズ、資産配分におけるリスク資産の比率、といった具合に、幾つかの変数間の関係を分析している。

 このように問題を定式化したのだから当然ともいえるが、「生命保険に関する意思決定と、資産配分(アセット・アロケーション)に関する意思決定は、人的資本を考慮して、同時に行われなければならない」というのが、この論文の結論で、これは説得的だ。(保険屋のおねえさんと相談しただけで、生命保険について決断してはいけないのだ!)また、こうした考え方は、今後のFPに期待される役割の大枠を示していると思う。

 さて、このように考えると、生命保険(死亡保険)にニーズがあることは納得できる。たとえば、私の場合も、小さな子供が居ることでもあり、安価に掛けられる生命保険があれば、加入してもいい、という気持ちはある。

 ただ、たとえば私が死んだ場合、公的年金の遺族年金が多少はあるし、しばらく生活を立て直すだけの貯蓄があれば、妻も働くだろうし、子供達の生活は、何とかなるだろう、という大まかな計算は立つ。また、保険の貯蓄機能については、保険会社には申し訳ないが、自分で同じ額を運用する方が、おおかたの人にとって遙かに効率がいいだろう。

 また、生命保険のような複雑且つ高額の対象で、もともと相互扶助が目的の公的な性格を帯びた金融商品が、手数料に相当するもの(「付加保険料」。生命保険会社の経費などになって、保障にも貯蓄にも回らない保険料)が公開されていないことが大きな問題だと思うが、死亡保障の定期保険の場合、保険料に占める付加保険料率が、三割、四割になる、ということを考えると、馬鹿馬鹿しくて、保険に入る気にならない。

 医療保険ならどうか、ということを考えると、これも何らかの意味で、人的資本の価値に対するヘッジだが、健康保険の高額医療費制度を考えると、健康保険の範囲内の治療を受ける限り四ヶ月目からは月額八万円強の負担でいいし(最初の三ヶ月は十数万円かかる。所得などによって負担の金額は変わる)、これも、数百万円レベルの貯金を持っていれば、全く必要ないといっていい。(詳しくは、内藤眞弓「医療保険は入ってはいけない!」ダイヤモンド社をご参照下さい。これは実にいい本だと思います。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4478600511/sr=11-1/qid=1162547844/ref=sr_11_1/249-0728934-9902711)

 では、年金保険ならどうか。公的年金は、2004年の年金改正で決まったマクロスライド方式で、今後、負担は重くなる(厚生年金で年収の18.35%まで)一方で、給付の実質価値がじわじわ値切られていくので、おおかたの人は「老後は、年金だけでは、不十分だ」ということに気付いているだろうし、私自身も、例外ではない。もちろん、なるべく嫌でない仕事をして、とは思っているが、今後、長きにわたって働いて行くつもりだが、それと平行して、「自分自身の年金をつくる」ということに対する必要性を痛感する。

 ただ、これに対しても、市販の生命保険は適さない。「個人年金」といった耳障りの良い名前の商品が多数あるが、要は、変額保険であり、運用商品としての実質は「投信よりも、手数料の高い投信」にとどまる。投信と較べると、費用は高く且つ分かりにくいし、解約が不自由だ。ここでも、自分で運用する方がいい。

 結局、市販の、民間の生命保険会社の生命保険には、私が欲しいものがないのは勿論、「どういう人なら、どの商品を買うのがいい」とイメージできるものが、見つからない。一方、確か、日経に載っていたのだと思うが、世界の2%しか人口のない日本人が、世界の生命保険料の25%を払っている、といった、保険の過剰とも思える普及率を考えると、日本の生命保険市場は、かなり成熟していて、成長余地が乏しいようにも思える。また、生命保険・個人年金保険の年間払込保険料は、男性の40代で34.5万円、50代では37.4万円にもなり(近代セールス社「FPデータハンドブック」による。生保文化研究センター調べ。20年間の単純合計で719万円にもなる!)、これ以上の保険料を払わせるのは、大変ではないか、とも思う。

 ただ、もちろん、それ自体が効率の良い投資になっていたり、不利の(主として、付加保険料の)小さいリスク回避手段になっていれば、もっと払ってもいい、ということは、勿論あり得る。

 こうした状況を生命保険会社の側から見るとどうなのだろうか。もちろん、顧客の不安を喚起する共に、自社の保険商品の良いイメージを刷り込む、といった、マーケティング上の工夫には、今後も一層注力するのだろうが、大規模なセールス部隊を抱えて、高コストな営業を行い、効率のマージンの商品を売る、というビジネスモデルはもう限界だろう。

 たとえば、単純な保険を、保険料の計算根拠も開示した上でネットで販売し、顧客は、FPなどのアドバイスを聞きながら、必要十分な保険を購入する、というようなことができればいいな、と思うのだが、どうだろうか。
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