NEWSでご存知の方もおられると思います。
先日7月10日、「熱海殺人事件」「初級革命講座 飛龍伝」などの作品で演劇界の革命児と言われた、つかこうへいさんが亡くなられました。62才。
その昔、劇を見た時に、この作家は「ひねくれているなー。」と笑い転げてしまいました。
この「ひねくれ」は、私にとって少数派、サブカルチャーのようなキーワードで共感していたのです。
Gパンで役者さんたちが登場する。一見、フツウの人々である。
しかし、そのフツーがとんでもないことで騒ぎ始める。ミーハーの反乱のように。
汗を吹き出し、唾を飛び散らせ、何だ!このパワーは!まるで狂気の沙汰のように叫び散らすのです。尋常ではない不自然な威圧感。
お行儀のよい演劇なんかではない。偽善があるならば、偽悪だとも思える。
後、俳優たちは、あれよあれよ!とメジャーデビューして行った。
在日韓国人二世の劇作家としても知られるようになり、やっと、最近になって、日本ー韓国との演劇交流が始まる礎のような存在でもあった。
彼は、日本ー韓国の演劇界が閉鎖的だった頃から日本の演劇状況を韓国に届けていたのである。
アングラ第二世代とも呼ばれていました。いわゆる小劇場系の旗手として、70年代の演劇界をリードしていった人でもある。
「二」を背負った天才だった。
私は彼と一度だけ、東京高田馬場の大衆居酒屋で遭遇したことがあり、「やあ、天才のつかさん!」と挨拶すると、「君は何者だ?」と言うので、「ぼくは白菜です。」と答えたら、場が完全にシラケました。
人が亡くなり、その時代は終わりを告げる?・・・そんなことはありません。
つか演劇は、彼に育てられた俳優たちに受け継がれています。更に増殖していくでしょう。
私も「不自然なパワー」「ひねくれ」を思い返します。
死者との会話も楽しめるようになった今日この頃、あの世が賑やかになっていくな~、とこの世のさみしさを知るようにもなりました。
つかさん、あの世でも「酒、たばこ」をお楽しみください。
合掌。
【追記】
つか芝居は口立てと言って、台詞を台本を読んで覚えてやる方法ではなかった。
つまり、作家であるつかさん自身が口で言って、それを役者がオーム返しに言って、稽古を繰り返す。
ただ喋ればいい、というものではない。同じように喋ってもダメ出しの応酬だったようだ。
大衆演劇などでは口立てが常識のようにやられている。
「ことば」には「魂」がある。
伝達手段の記号ではない。つまり、演劇では「台詞」は単なるコミュニケーションの道具ではない!ということ。
伝えること?・・・だったら読めば済むではありませんか。
私は、つか芝居の本領は役者の言霊にあると見ています。
だから、つか芝居を見た者にとって、コピー演劇が面白く感じられない。
役者だよ!役者。
そこを受け継いで欲しいと思うのです。
これは自身に言い聞かせています。
先日7月10日、「熱海殺人事件」「初級革命講座 飛龍伝」などの作品で演劇界の革命児と言われた、つかこうへいさんが亡くなられました。62才。
その昔、劇を見た時に、この作家は「ひねくれているなー。」と笑い転げてしまいました。
この「ひねくれ」は、私にとって少数派、サブカルチャーのようなキーワードで共感していたのです。
Gパンで役者さんたちが登場する。一見、フツウの人々である。
しかし、そのフツーがとんでもないことで騒ぎ始める。ミーハーの反乱のように。
汗を吹き出し、唾を飛び散らせ、何だ!このパワーは!まるで狂気の沙汰のように叫び散らすのです。尋常ではない不自然な威圧感。
お行儀のよい演劇なんかではない。偽善があるならば、偽悪だとも思える。
後、俳優たちは、あれよあれよ!とメジャーデビューして行った。
在日韓国人二世の劇作家としても知られるようになり、やっと、最近になって、日本ー韓国との演劇交流が始まる礎のような存在でもあった。
彼は、日本ー韓国の演劇界が閉鎖的だった頃から日本の演劇状況を韓国に届けていたのである。
アングラ第二世代とも呼ばれていました。いわゆる小劇場系の旗手として、70年代の演劇界をリードしていった人でもある。
「二」を背負った天才だった。
私は彼と一度だけ、東京高田馬場の大衆居酒屋で遭遇したことがあり、「やあ、天才のつかさん!」と挨拶すると、「君は何者だ?」と言うので、「ぼくは白菜です。」と答えたら、場が完全にシラケました。
人が亡くなり、その時代は終わりを告げる?・・・そんなことはありません。
つか演劇は、彼に育てられた俳優たちに受け継がれています。更に増殖していくでしょう。
私も「不自然なパワー」「ひねくれ」を思い返します。
死者との会話も楽しめるようになった今日この頃、あの世が賑やかになっていくな~、とこの世のさみしさを知るようにもなりました。
つかさん、あの世でも「酒、たばこ」をお楽しみください。
合掌。
【追記】
つか芝居は口立てと言って、台詞を台本を読んで覚えてやる方法ではなかった。
つまり、作家であるつかさん自身が口で言って、それを役者がオーム返しに言って、稽古を繰り返す。
ただ喋ればいい、というものではない。同じように喋ってもダメ出しの応酬だったようだ。
大衆演劇などでは口立てが常識のようにやられている。
「ことば」には「魂」がある。
伝達手段の記号ではない。つまり、演劇では「台詞」は単なるコミュニケーションの道具ではない!ということ。
伝えること?・・・だったら読めば済むではありませんか。
私は、つか芝居の本領は役者の言霊にあると見ています。
だから、つか芝居を見た者にとって、コピー演劇が面白く感じられない。
役者だよ!役者。
そこを受け継いで欲しいと思うのです。
これは自身に言い聞かせています。
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