山南ノート4【劇団夢桟敷】

山南ノート4冊目(2008.10.3~)
劇団夢桟敷の活動や個人のことなどのメモとして公開中。

ブラジル公演日記【7】

2009-02-27 23:29:58 | ブラジル公演2009.2
 毎日新聞熊本支局の和田さんがサンパウロ市より同行取材してくれている。ブラジル公演に向けては密着取材でこれまでも稽古の段階から付き合ってくれた。劇団員たちもマスコミの人を忘れて、身内のお兄さんのように気楽な関係となっている。
 安永信一兄さんが劇団員の点呼を取るときに孝道兄さんに続いて「19番!」。和田さんも「20番!」で応える。いつしか、劇団員は17名から20名になっていた。
 ブラジルに着くまでは17名から何人減ってしまうのだろうか心配だったが、逆に増えたのである。

 2月16日(月)

 和田さんは孝道兄さんと上塚周平先生の墓参りのために昨夜の交流会後よりプロミッソンへ走る。きっといい取材になるだろう。しかし、往復1000kmはある。 

 昨夜の熊本県人会では調子に乗って飲みすぎた。実はピラールに着いた時に血尿が出たから、余り飲まないようにしようと控えたつもりだったが、ついつい調子に乗ってしまう。ホテルに帰っても男たちが集まってウイスキーを飲む。酔うと健康管理もあったものではない。・・・四会場とも無事に終わったのだ。
 
 今日はサントス港へ向かう。移民船笠戸丸が着いたところ。その近くにはビーチがある。トップレスに立ち会いたい。
 バスに乗って窓を眺めながら時々「トップレス!」と囁くと、近くの席の男性共が眠っていたのに片目を開けて窓をみる。私は上半身裸の男が道を歩いているのを「トップレス!」と囁いていた。
 サントス港を眺めるためにケーブルカーに乗って丘に登った。大西洋か。この海はアフリカとヨーロッパにつながっているのか。アジアを遠くに感じる。
 ビーチに行って若者たちははしゃぎまくっていた。まだ、完全燃焼していなかったのか。否、立ち直りが早いのだろう。子どものように浅瀬を走っていた。

 夜。ラウル社長のマンションのガーデンにて打ち上げパーティーを催してもらった。ピンガにキューイを混ぜたカクテルを飲む。何から何までお世話になりっぱなしである。昨日公演のビデオを見ながら遠い時間のようにも思えた。

 2月17日(火)

 午前中はフリータイム。みんなはお土産を買うためにリベルダーデの店を回る。日本語が通じる店も多い。リベルダーデ広場で「カサトマル!」と声を掛けられた。公演を見られたお客さんだろう。嬉しいことだ。後ろ指をさされなくて良かった。
 午後より文協福祉会館にある「移民資料館」に行く。ここには安永さん提供の上塚像(木彫り)もあった。信一さんが子どもの頃、この像を踏み台にして遊んでいたそうだ。その名残に耳が欠けていた。

 夜、サンパウロ空港からアトランタに向かう。安永兄さんたちに見送られる。最後までありがとうございました。・・・まだまだ感謝し切れない。
 ブラジルで出会った全ての皆様、ありがとうございました。又、お逢いしましょう。

 2月18日(水)~2月19日(木)

 日本へ。長い時間である。飛行機の中は夜が長い。アトランタで乗り換えの際、コーヒーを飲む。英語がわかるような気がした。ポルトガル語よりも耳に慣れている故か。
 サンパウロを夜出発して熊本着が夜だった。飛行機の中で2泊3日したことになるのだが、日付変更線のマジックにより時間が混乱する。
 熊本空港では劇団員の家族が迎えに来てくれていた。無事に帰れたことだけが最大のお土産でもある。
 時間が経過するにつれて、今回のブラジル公演体験は大きく膨らんでいく。

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 まだまだ言い足りないこと、具体名が足りないこと、色々気になりながら、いつか演劇や文化的な活動の中で生かしていこうと思う。