第三ステージはピラール ド スール市(通称、ピラール)。会場は日本語学校(入植65年。運営は文化体育協会)。ここでの滞在中、子どもたち60名余りと交流した。劇団員たちはふたり一組になってホームステー。楽しいひと時を綴ります。
2月11日(水)
プロミッソンの安永さん宅では朝からお餅をついてくれていた。
今日はピラール ド スール市の日本語学校へ移動する日。プロミッソンから400kmは離れている。・・・貸切バスに乗り込む際、お父さんの涙にもらい泣きする。別れは淋しい。しかし、「さよなら」が言えない。「又、会いましょう!」で別れる。ありがとうございました。オブリガード!
テレビの「うるるん滞在記」でタレントが涙を流す場面があるが、その心境がわかる。嬉しくて悲しい。
安永兄(考道さん)が同行してくれる。全日程、兄さんは道案内と通訳で私たちをサポートしてくれる。このブラジル公演の旅では大黒柱になってくれた人だ。
劇団員17名、全員揃っているかで毎回、番号の点呼を取っていたが兄さんは「18番!」と大きな声で応えてくれる。間違いなく劇団員になっていたのだ。
6時間後の午後2時にピラール日本語学校に到着する。道中の道路工事や市内に入ってからの交通渋滞で到着時間が1時間遅れた。
ここでの会場担当者は田中幸太である。渡辺先生とは連絡を取り合っており、子どもたちとの交流会も企画されている。
昼食は文化体育協会の方々と学校の先生、生徒さんたち、PTA(日系)の方々と盛大におこなわれる。子どもたちの「よさこいソーラン」の稽古も見せてもらう。大拍手である。・・・この時点から劇団員たちと生徒さんたちは打ち解けていた。
夜は舞台仕込みに取り掛かる。会場での音の響き方が気にかかる。馬場君の悪戦苦闘が始まる。舞台上の吊りバトンがない。竹で枠を作り旗などの布をレイアウトする。村上と卓さんの指示も板についてきた。・・・座長の唇の怪我もメンバーの体調不良も気にならなくなった。
ホームステーへ。劇団員たちはそれぞれの家に分かれる。私は単独、協会会長(阿部さん)宅へ行く。金髪シェリーちゃんがいる、と聞いて「日本語は通じるのですか?」と聞くと「全く喋れない。」と言う。「困った。」・・・会うと子犬だった。金髪ではなく黒い。・・・一日中、雨。
日本では春一番の風が吹いたという。中国から黄砂が降っていると、ブラジルからNHKを見て知った。
2月12日(木)
生徒さんたちとグラウンドにてゲームなどを楽しむ。
<グループ作り> 先生が言った動物の名前の仮名の数と同じ数のグループを作る。
<仲人探し> 紙を取り、そこに書いてある名前と同じ紙を持っている人を探してペアを作る。
<だるまさんがころんだ> 日本の伝統ゲーム(70人バージョン!)
この時ばかりは劇団員たちも生徒さんたちも無邪気に楽しむ。大きなプレゼントを頂いた。みんなの笑顔である。
遊びの合間に舞台作り。夜は2時間程度の舞台稽古。9時終了。会場では食事の世話などで協会の方々が居残ってくれる。
いよいよ明日は本番である。
気を抜くと怪我をするのが舞台。緩みっぱなしのピラールの一日であった。
2月13日(金)
東田さん(マナミー)を女優にする!その目標はブラジルに着いてからは達成されたように思う。宮下遥(はるかちゃん)も昨年4月の出演の時と比べれば人が変わったように演劇を楽しめるようになった。
上手な役者さんは熊本、日本、世界中にうんざりする程いる。演劇は上手だけでは物足りないと思い続けてきた。それがブラジルにやって来て見えたような気がする。
自己表現では追いついていかないのだ。・・・今回の舞台で脇役の固まり方に問題を感じていた。最初から「これは群集劇である。」と言っておいたが、全体を感じながら自分の立つ位置を決めることは容易なことではない。滅私奉公ではないが「わがまま」が通用しないのが群集の中の個人である。下がりすぎてもいけないし、出すぎてもまずい。・・・劇団笠戸丸は「役者に統一性がない。」と言われ続けたが、それは台詞がないと芝居ができない者たちが目立っていたからだろう。
ここに来て、移民劇に対する思いの深さに個人差はあるものの、確実に深まったのである。個人の力ではどうしようも出来ないことが、環境の力で一点突破することがあることを実感した。
ピラール日本語学校の先生たちは個性豊かな方ばかりだった。笑顔が無邪気で「よさこいソーラン」や和太鼓を指導、見つめる目は鋭くなる。このメリハリに惹かれた。生徒さんたちの豊かな表情と無邪気さ、舞台に立ったときのパワーの秘密は、この学校の先生たちの豊かさにあるのだと思った。・・・ここでは「陸上部」「ソーラン部」「太鼓部」の部活動があって、サンパウロ州でもトップレベルで活躍されている。
演劇公演は一部「日本語学校のソーラン・和太鼓」(30分)と二部「ボクノフルサト。」で構成する。
同じ舞台に立つ仲間だ。来られるお客さんたちに感動してもらいたい。会館は400名近くで満杯になる。劇団メンバーと生徒さんたちとの絆はこの三日で強く結ばれている。
夜7時開演。2時間を越える公演に見入って頂けた。終演後は役者たちも満足したようであるが、それ以上にお客さんたちに囲まれる様子を見て胸を撫で下ろす。
劇団員たちと生徒さんたちのメール交換や、生徒さんたちからプレゼントしてもらった「インタビュー記事」を見て感動する。
舞台の搬出作業を終えて打ち上げパーティーをしてもらう。安永兄さんも楽しく飲んでいる。
今夜は下見の際にお世話になったジョージマさんのお宅に宿泊する。座長・山本真実・山室優衣のホームステー先である。ここには二人のゲストさんも宿泊している。
打ち上げでも飲み過ぎていたが、ここでも追加のビールを頂いて熟睡する。
2月11日(水)
プロミッソンの安永さん宅では朝からお餅をついてくれていた。
今日はピラール ド スール市の日本語学校へ移動する日。プロミッソンから400kmは離れている。・・・貸切バスに乗り込む際、お父さんの涙にもらい泣きする。別れは淋しい。しかし、「さよなら」が言えない。「又、会いましょう!」で別れる。ありがとうございました。オブリガード!
テレビの「うるるん滞在記」でタレントが涙を流す場面があるが、その心境がわかる。嬉しくて悲しい。
安永兄(考道さん)が同行してくれる。全日程、兄さんは道案内と通訳で私たちをサポートしてくれる。このブラジル公演の旅では大黒柱になってくれた人だ。
劇団員17名、全員揃っているかで毎回、番号の点呼を取っていたが兄さんは「18番!」と大きな声で応えてくれる。間違いなく劇団員になっていたのだ。
6時間後の午後2時にピラール日本語学校に到着する。道中の道路工事や市内に入ってからの交通渋滞で到着時間が1時間遅れた。
ここでの会場担当者は田中幸太である。渡辺先生とは連絡を取り合っており、子どもたちとの交流会も企画されている。
昼食は文化体育協会の方々と学校の先生、生徒さんたち、PTA(日系)の方々と盛大におこなわれる。子どもたちの「よさこいソーラン」の稽古も見せてもらう。大拍手である。・・・この時点から劇団員たちと生徒さんたちは打ち解けていた。
夜は舞台仕込みに取り掛かる。会場での音の響き方が気にかかる。馬場君の悪戦苦闘が始まる。舞台上の吊りバトンがない。竹で枠を作り旗などの布をレイアウトする。村上と卓さんの指示も板についてきた。・・・座長の唇の怪我もメンバーの体調不良も気にならなくなった。
ホームステーへ。劇団員たちはそれぞれの家に分かれる。私は単独、協会会長(阿部さん)宅へ行く。金髪シェリーちゃんがいる、と聞いて「日本語は通じるのですか?」と聞くと「全く喋れない。」と言う。「困った。」・・・会うと子犬だった。金髪ではなく黒い。・・・一日中、雨。
日本では春一番の風が吹いたという。中国から黄砂が降っていると、ブラジルからNHKを見て知った。
2月12日(木)
生徒さんたちとグラウンドにてゲームなどを楽しむ。
<グループ作り> 先生が言った動物の名前の仮名の数と同じ数のグループを作る。
<仲人探し> 紙を取り、そこに書いてある名前と同じ紙を持っている人を探してペアを作る。
<だるまさんがころんだ> 日本の伝統ゲーム(70人バージョン!)
この時ばかりは劇団員たちも生徒さんたちも無邪気に楽しむ。大きなプレゼントを頂いた。みんなの笑顔である。
遊びの合間に舞台作り。夜は2時間程度の舞台稽古。9時終了。会場では食事の世話などで協会の方々が居残ってくれる。
いよいよ明日は本番である。
気を抜くと怪我をするのが舞台。緩みっぱなしのピラールの一日であった。
2月13日(金)
東田さん(マナミー)を女優にする!その目標はブラジルに着いてからは達成されたように思う。宮下遥(はるかちゃん)も昨年4月の出演の時と比べれば人が変わったように演劇を楽しめるようになった。
上手な役者さんは熊本、日本、世界中にうんざりする程いる。演劇は上手だけでは物足りないと思い続けてきた。それがブラジルにやって来て見えたような気がする。
自己表現では追いついていかないのだ。・・・今回の舞台で脇役の固まり方に問題を感じていた。最初から「これは群集劇である。」と言っておいたが、全体を感じながら自分の立つ位置を決めることは容易なことではない。滅私奉公ではないが「わがまま」が通用しないのが群集の中の個人である。下がりすぎてもいけないし、出すぎてもまずい。・・・劇団笠戸丸は「役者に統一性がない。」と言われ続けたが、それは台詞がないと芝居ができない者たちが目立っていたからだろう。
ここに来て、移民劇に対する思いの深さに個人差はあるものの、確実に深まったのである。個人の力ではどうしようも出来ないことが、環境の力で一点突破することがあることを実感した。
ピラール日本語学校の先生たちは個性豊かな方ばかりだった。笑顔が無邪気で「よさこいソーラン」や和太鼓を指導、見つめる目は鋭くなる。このメリハリに惹かれた。生徒さんたちの豊かな表情と無邪気さ、舞台に立ったときのパワーの秘密は、この学校の先生たちの豊かさにあるのだと思った。・・・ここでは「陸上部」「ソーラン部」「太鼓部」の部活動があって、サンパウロ州でもトップレベルで活躍されている。
演劇公演は一部「日本語学校のソーラン・和太鼓」(30分)と二部「ボクノフルサト。」で構成する。
同じ舞台に立つ仲間だ。来られるお客さんたちに感動してもらいたい。会館は400名近くで満杯になる。劇団メンバーと生徒さんたちとの絆はこの三日で強く結ばれている。
夜7時開演。2時間を越える公演に見入って頂けた。終演後は役者たちも満足したようであるが、それ以上にお客さんたちに囲まれる様子を見て胸を撫で下ろす。
劇団員たちと生徒さんたちのメール交換や、生徒さんたちからプレゼントしてもらった「インタビュー記事」を見て感動する。
舞台の搬出作業を終えて打ち上げパーティーをしてもらう。安永兄さんも楽しく飲んでいる。
今夜は下見の際にお世話になったジョージマさんのお宅に宿泊する。座長・山本真実・山室優衣のホームステー先である。ここには二人のゲストさんも宿泊している。
打ち上げでも飲み過ぎていたが、ここでも追加のビールを頂いて熟睡する。