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山南ノート4【劇団夢桟敷】

山南ノート4冊目(2008.10.3~)
劇団夢桟敷の活動や個人のことなどのメモとして公開中。

演劇と教育

2008-11-16 23:10:52 | モノローグ【エトセトラ】
☆梅川事件について。←ここをクリックすると事件の概略を解釈することができます。

 最近、演劇を「コミュニケーション学」のテキストに捉えられたり、「伝える道具」として耳にすることがある。
 日本の教育現場(中学・高校)では演劇を「国語又は文学」の分野として位置づけられていたりする。音楽や美術のように学科として独立していない。
 一方、現実の表現ジャンルとして演劇は音楽や美術のように自立しており、芸術や娯楽として認識されている。
 このギャップは何だろう。
 実は大きな落とし穴がある。教育と現実生活の時間のスピードの違いからくる落とし穴である。

 (1)美術の中にアニメを取り入れてはどうだろうか。
 (2)音楽に演歌や現代ROCK、ラップもあっても良い。
 そう考えると、演劇は娯楽として教育に関わる必然を感じる。

 古典やクラッシクの落とし穴に入り込むと<現在>を見失う場合が多々ある。
 それが原因で、本来面白い筈の芸術が堅苦しいものになってしまう。
 つまり興味は半減されてしまうのである。
 古典があって現在があるかのように、人間の興味の持ち方が逆さまになってしまう。古典に向かう力は現在の興味の深まりから遡っていくものだろう。

 稽古場で口をついて出てくる。
 口先で説明すると演劇ではなくなる。

 次回公演では台詞として事件を説明する部分もある。ここには表情もアクションも体も見える劇として現したいために苦労する。
 言葉を理解するだけで満足できるものであったら活字だけでも充分だろう。
 ところが演劇は覚えた台詞だけでは物足りない。劇作家の代弁を仕事とする俳優などはいない。
 舞台では劇作家や演出家以外の他者としての登場人物を生み出す俳優が関わってくる。見えるものは、この他者が全てのようにできて完成する。
 敢えて言おう。
 事件の概略を説明する劇ではない。「夢の下張り」は観客が一枚、上張りをはがしてくれる楽しみ方を企んでいる。
 上張りをはがす観客と下張りに潜んでいる俳優の赤裸々。限られた狭い会場と時間の中で関係を作りたい。

 明らかに舞台はお客さんを教育する場ではなく、逆にお客さんから学ぶ繰り返しですらある。