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山南ノート4【劇団夢桟敷】

山南ノート4冊目(2008.10.3~)
劇団夢桟敷の活動や個人のことなどのメモとして公開中。

日々(ひび)。

2016-06-15 16:55:29 | モノローグ【エトセトラ】
6月14日(火)
あら、えっさっさーっ!天気はれ。お天道様が笑っている。
今朝から旧アパートに来て片付けています。閉め切っていた故か、ドアを開けるとカビ臭い。それもすぐ慣れた。この2ヶ月の日常だった。
男おいどん、二重生活もあと一歩で終わるでしょう。
それにしても要領が悪い。大きいものを先に運んでいたら新居も早く整理できただろうに!
グッドモーニングコーヒーを飲みながら、今日の作業手順を考えているだけで1時間以上過ぎてしまった。
さて、運び出すか!

6月15日(水)
劇団創立37年であります。
1979年のこの日、東京都新宿区早稲田鶴巻ハウス(6畳1間)で、劇団名は「ブラックホール」として立ち上げた。
劇団の名前は1978年の1年間、文芸雑誌(ガリ版印刷100部発行)「ブラックホール=黒い社交場」(熊本)をそのまま使った。
1979-1984年までを第一期、旗揚期間として「ポストアングラ劇」を掲げていた。
主な上演は「四畳半夢の下張」「乱 蜘蛛の糸」「黒い十字星」(作//上村源太)「ピンク中毒」「眠れぬ街」(作//夢現)「まことちゃん事件」「酔狂異人伝」「空中を歩く男」など小劇場を中心に行っていた。
37年か!今日の稽古が終わったら、ひっそり静かにお祝いをしようと思います。
ブラックホール→夢桟敷、九州「劇」派space早稲田演劇フェスティバル参加公演→そして再びブラジル公演2018へ向かいます。

チェチェチェのロボット演劇

2016-06-01 14:06:56 | モノローグ【エトセトラ】
平田オリザ氏の「ロボット演劇」って何なのよ?
それへの疑問と同時に将来に向けての演劇の在り方に不信感や危機感さえ感じる。
ロボット演劇、その前に、私なりの平田オリザ氏への見方、考えを言います。
2005年、劇作家協会主催による「劇作家大会 熊本」が熊本県立劇場で開催された。その時点で氏の影響力は多大なものがあると感じていた。それは公共との根回しのうまさや地方演劇人への動かし方の要領の良さに唖然とした。つまり、政治的な力を感じていた。数の力学を知っているな。
案の定、氏は民主党政権時代、内閣官房参与の座に就き、政権のバックボーンとなっていた。上への堕落か?
5年前のフクシマ原発爆発について、氏は「汚染水を海に流したのはアメリカの強い要望があった。」と発言したのだが、何故か、その発言を撤回してしまったのだ。目に見えない大きな力が働いたのだろう。もはや劇作家や演出家としての信念を捨てたな!と確信したのだった。自らを芸術家と名乗る者だったら裏の裏の裏まで表現するもんだがね。とりわけ、大きな権力については!

政治から産業へ流れた。これも氏独自の世渡り術なのだろう。
いわゆるロボット産業に身の置き場を持って行ったのだ。
演劇をロボット産業に役立てたいという名目があった。ロボットをよりリアルに人間に近づけること。ロボット産業への演劇術への貢献と位置付けているのだろうか?
産業ロボットの人間的追求とは何か?究極、効率良く生産し利潤を高めること。厄介なのはここに人間論を用いて、役者に対する演出や演技論をプログラミングすること。逆に言えば、役者を人間として扱っていない考えだ。詰まるところ、役者のロボット化に通じる。人間論とは逆走するのではないか。
ロボットの不自然さを失くす「演劇の力」とは何を言っているのだろうか。自分で何を言っているのかわかって言っているのだろうか。
演劇の力とは、役者の持っている力を引き出し、役者は自分の中にある他人と出会うことの醍醐味にある。稽古では無駄の発見を楽しむことさえある。無駄が新しいことへの原動力となり、劇を見る観客はそこに感動を覚えることが多々ある。つまり、役者は効率良く、上手いだけでは観客の感動はあり得ないということ。

リアリズム論争は百年前くらいから巻き起こった。そのひとつが社会主義リアリズムに対する批判だったと思う。文学、絵画や演劇に於いて党やその時代の政権に利用されることを拒んだ流れがあった。
平田オリザ氏のリアリズムとは日常の動作であるのかも知れないが、日常の中にも狂気や異常とも思える人間の不条理や理不尽が在る。これとの葛藤は劇作家や演出家だけでなく、役者自らも考え、最終的には観客も巻きこんで楽しんだり怒ったり泣いたりするものだ。
根本的に演劇の現場と産業の現場では地平が違うと思うのだが。

政治や産業に利用される演劇は間違いを起こすだろう。ロボットの目的は一歩間違うと戦争に使われることは承知している筈。
私たち演劇に携わる人間たちはここのところには敏感になっておこうと思うのだ。

■■

以下、小澤俊夫氏のコメントに大賛同します。

(小澤俊夫氏の評論)

自身を芸術家と名乗る平田オリザよ、貴兄の意味する芸術とは何ぞや?文科省のバックアップで阪大の石黒浩と協同でアンドロイドロボット(人型ロボット)を開発し、ロボットと生身の役者を対峙させるロボット演劇なるものを国内外で公演。カフカの「変身」を上演する際には、遺族からのロボットによる上演禁止の反対を押し切り、最近では、ロボットが主人公の映画まで制作させる始末。そもそも人型ロボットの開発は米国の軍需産業下におけるものであり、原発同様、米国政府からの要請で我が国も研究開発に勤しんでいる。アラブ諸国の上空を飛び交い、一般庶民を誤爆する無人暗殺機「ドローン」にも我が国の技術が導入され、軍需ロボットの開発をするボストン・ダイナミクス社が発表した二足歩行ロボット「アトラス」の最終目的は、AI(人工知能)を搭載したロボット兵士。そのボストン・ダイナミクス社はグーグルに買収されて傘下となり、先日、囲碁の世界で人間に勝利したロボットのAI技術もボストン・ダイナミクス社のもの。AIを搭載したロボット兵士が戦場に送り込まれるのも時間の問題だが、その技術開発に貢献する青少年の育成にも我が国は力を注いでいる。10数年前からNHKで放送されている高専・大学生を対象にした、ロボット技術を競わせる通称「ロボコン(ロボットコンテスト)」。つい最近では、小学生にプログラム教育をさせると文科省が発表。平田オリザよ、演劇のリアルを語る前に、ロボットのリアルを語らないのは何故だ?民主党に首を突っ込んだかと思えば、今度は自民党に尻尾を振り、政界の風見鶏ならぬ演劇界の風見鶏が演劇論をぶつのは笑止千万。しかも平田が阪大の学生たちに行ったであろう抗議内容を読んで腹が立つどころか、政権ににじり寄った男の哀れさを感じてしまう。
「認知心理とか人間工学っていうのはさまざまなデータを集めて、そして例えば人間の無駄な動きなら無駄な動きを解析しようとするんですけど、どうしても平均値が出ちゃうんですよ、普通の科学的な研究だと。平均値ってことは、無駄なものは埋め込まれちゃうんですよね。じゃ、ランダムにすればいいってことでランダムにするんですけど、どうしてもそこからは人間らしさは生まれてこない。要するに、どのぐらいランダムにすればいいかが誰にも分からない。ところが、私がこの研究に入ったことによって、ロボットは圧倒的にリアルになりました。なぜなら私たち芸術家は、どのようにランダムにすればいいかの答えを先に知っているからです」
この自画自賛にも呆れ返るが、そもそも無人化システム(ロボット)は産業面に応用されるべきものであり、人間らしさは必要ないので平均値で充分。フラクタル理論から転じた「ランダム工学」「あいまい工学」はあくまでも機械制御の分野であり、ロボットは機械以外の何者でもない。その機械であるロボットをどのようにランダムにすれば良いかの答えを先に知っているのなら、障害者アート(この差別的な分類にも呆れるが)として取り上げた、山下清がパリのサクレ・クール寺院を赤く塗ったのは「統合機能が失調しているため」と言えるのか!ピカソが人の顔とも思えない顔を描いたのも、「統合機能が失調している」からなのか?ダリのぐにゃぐにゃした時計も、「統合機能が失調している」からなのか?だったら平田にとっての芸術、芸術家とは何ぞや?黒いモノを政府が白と言ったら白と言うのが、お前の価値観だろう!青年団時代の作品には見るべきものがあったが、最近のお前は何だ!役者論を唱える前に、演出家とは何かを考えろ!安倍晋三同様、最近のお前の顔を見ると(石黒浩も)反吐がでる!

言語不明?

2016-05-31 22:57:51 | モノローグ【エトセトラ】
「なかさにさ。」
?。。言語不明。

うちの孫が文明の機器をいじって、この「なかさにさ。」をある方のフェイスブックにコメントしたらしい。送信元はパパになっている。
くるくる爺さんは「うけるーっ!」と笑ってしまった。
この意味は「こんにちは。」と良いように訳した。
最近、ファミリーレストランに入って小さなお子さんが騒いでいても腹が立たなくなったよ。

因みに、昔の南阿蘇の牧場では「うなうな!」と叫んで牛たちを追う婆さんがいました。今では誰も知らない。



ところで、夜御飯外食中、座長が「先日、坂本スミ子さんに会ったよ。」と喋りだした。今、住んでいるアパートの近所、豪邸に住んでいるらしい。訳もなく嬉しくなったよ。
私たちはミーハーである。

プライベートな夜とプラス

2016-05-27 10:51:51 | モノローグ【エトセトラ】
4月14日からテレビも無ぇ、デジタル機器(パソコンなど) も無ぇ、冷蔵庫もレンジもオーブンも炊飯器も無ぇ。つまり、友人や親戚からもらった保存食とコンビニ弁当、ファミレスなどの外食で食いつないでおります。自炊ができないのです。
今夜は久しぶりに座長と二人きりで居酒屋に行った。酵母菌は飲み過ぎなければ体に良し!免疫力が高まりますね。百薬の長だー。
6月10日より新居へ引っ越すのを指折り数えており、その作業と次の公演準備が同時進行となっている。
帰り道、方向は反対になりますが、娘夫婦の新居に4番の孫と猫の おおもり君に会ってきたよ。
清く正しく クルクルパー!をモットーにしながら日付が変わってしまった。
今夜はおとなしく寝て、明日は朝から劇団の制作会議のことを進めよう。はい、脱力!

【追加記事】

新宿梁山泊の金守珍さんの過日亡くなられた蜷川さんへの追悼記事です。
夜中に帰り着き、すぐにでも寝ようと思ったのですが、この記事を読んで、つるんとした脳が伸びたり縮んだり屈伸を始めた。眠れない!モヤモヤではなく頭がスッキリしてきたのだ。
追悼文の流れは唐十郎さんとの出会いや、そこで学んだこと、蜷川さんがそのきっかけを作ってくれたことが述べられています。
出会いですね。待っててもダメですね。守珍さんはとても素晴らしい環境と体験をされている。
私にも人生を変えてくれた良い出会いがありました。本当に感謝しています。
守珍さんが関係した蜷川さんや唐さんとは距離感が違い過ぎて羨ましいやら嫉妬したくなるやら!バネになります。
まずは、この記事を一番読んでもらいたいのは、今から取り組む「少女都市からの呼び声」(唐十郎 作)九州「劇」派メンバーだ。
今日の夜は制作会議がある。守珍さんのことが話題になるのが目に見えてきましたよ。
何故、space早稲田演劇フェスティバルに参加するのか。何故、唐十郎作品なのか。その道筋を立てて行こうと思います。

以下、金守珍さんの記事

シアターコクーンから演出の依頼を受けた。とても光栄な事ではあるが、同時に寂しさが込み上げてくる。役者の私を演出できるのは唐十郎と蜷川幸雄しかいない・・・。

追悼文(シアターコクーンに向けた)
 蜷川さんの訃報を聞き、あぁ、とうとうその日が来たのかと、全身の力が抜けた。それは14年前に父を亡くした時の感覚と、とてもよく似ていた。
 演劇を志した若い頃、初めて蜷川さんが演出する『オイディプス王』を見て、これほどダイナミックな表現をする日本人がいるのかと激しい衝撃を受けた。そこで私は「蜷川教室第一期生募集」の告知を見つけた時、迷わず応募した。
 教室で蜷川さんはしきりに「おまえら、唐十郎の状況劇場を見て来たか!」と檄を飛ばし、エチュードでは『盲導犬』が使われる。その台詞に感動を覚え、状況劇場の『ユニコーン物語』を見に行くと、意味はよくわからないがなぜか体がカッと燃え上がった。その後『近松心中物語』や『ノートルダム・ド・パリ』『ロミオとジュリエット』の舞台に立たせてもらったが、熱気をはらんだテント芝居が忘れられない。そこで『ロミオとジュリエット』の楽日に帝国劇場の屋上で打ち上げをしている時、蜷川さんに「しばらく状況劇場で修行し、成長して帰ってきます」と宣言した。1979年夏のことだ。
 翌日から毎日唐十郎の稽古場に押しかけ、6日目にやっと本人にお会いでき、「丁稚奉公をさせてください」と直談判。そこから研究生以下の「飼育生」としての生活が始まる。私は唐さんの小説を芝居化したりするなかで徐々に認められ、異形の役をもらえるようになった。たまに状況劇場を見に来る蜷川さんからは、「おまえ、がんばっているな」と声をかけてもらった。
1987年、唐さんの『少女都市からの呼び声』を自ら作り上げたいと思いから、新宿梁山泊を旗揚げした。旗揚げ当初は在日コリアンをテーマにした作品が中心だったが、満を持して唐十郎の作品を演出。以来、今に至るまで唐作品に取り組み続けている。
私は演出家としても、役者としても、若い日に蜷川さんから教わったふたつの言葉を自分の座右の銘としてきた。そのひとつが「幕開き3分勝負」。日常を背負って劇場に来た観客を、3分以内に日常から引き離さなくてはいけない。その仕掛けをいかにつくるかが、演出家の重要な仕事だ。もうひとつが、「役者は一生自分の言葉を持つな。そこに悲惨と栄光がある」。役者は自分の生理で台詞を変えてはいけない。作家の言葉を完全に消化する、精神と肉体のタフさを持たねばならない。そしてスペクタクルな演出も、蜷川さんから学んだ。
蜷川さんが演出する寺山修司作品『血はたったまま眠っている』に役者として出て呼ばれたのは、6年前のことだ。公演中、「僕の演出は、すべて蜷川さんからもらったものです。僕は蜷川さんの弟子でいいですよね」と言ったら、蜷川さんはすっと手を出して私に握手を求め、「ありがとう」とひとこと言ってくれた。その瞬間、涙があふれ出て止まらない。5年くらいで戻るつもりでアングラの世界に修行に出て、実に31年。放蕩息子はやっと演劇的父の懐に戻ってくることができたのだ。
 蜷川さんはもともとアングラ演劇から出発し、商業演劇で「世界の蜷川」となった。だが常に、アングラ演劇への強い思いを持ち続けていた。テントという子宮の中に咲く闇の花は、大きな劇場の光の元でも決してその魅力を失わない。そのことをダイナミックかつ繊細な演出で、私たちに見せてくれた。  
晩年はもう一度アングラと向き合い直したいという思いから、唐十郎や寺山修司の作品をたてつづけに演出した。そんな蜷川さんがどうしても手掛けたかったのが、唐十郎の『ビニールの城』だ。それだけ思いの深い作品だった。その願いがかなう前に逝ってしまったことは、本当に悔やまれてならない。
 私はこの作品に役者としてキャスティングされていたが、蜷川さんが入院したため、蜷川さんの演出を手助けできないかと考えていた。だが残念ながら、間に合わなかった。しかしBunkamuraに演出を依頼されたからには、蜷川さんはこうしたかったであろうとイメージし、そこに向かって全力で進むしかない。
 蜷川さんの死によって、アングラ1世代は確実に終わろうとしている。アングラ芝居は一種の風俗として始まり、世界に誇る日本の演劇文化として育っていった。この文化をしっかり定着させ、次代につなげていけるかどうかは、私たち2世代目、3世代目にかかっている。演出家・蜷川幸雄が最後まで抱き続けた、劇作家・唐十郎への敬愛の念を、なんとか形にしていきたい。この2人のエッセンスを後世につなげていくことが、私の使命だと思っている。

     2016年5月16日  新宿梁山泊代表  金 守珍

山都町にて

2016-05-20 04:52:46 | モノローグ【エトセトラ】
5月18日

座長の実家、熊本県山都町に来ています。国の重要文化財、通潤橋が痛々しい。
生後21日の孫と10日ぶりに会う。丸みを帯びて成長していることに和むジジばかです。
ここにいると脳の皺がツルンとしてくる。下界に比べると刺激がないからだ。時間の流れも緩やかになり、動きもスローになる。
のんびりを活用して次のワークショップのプログラムを練っています。
ところで、二転三転していた引っ越し先がやっと決まった。今度こそ本当です。入居は6月10日から。ヒビ、カビの今のアパートからは解放される。それにしても住居移転を希望しながらも決まっていない賃貸住居者が6割もいるという。

5月19日

明日20日(金)は2回目にして最終回のワークショップになります。これは来る10月のspace早稲田演劇フェスティバル 東京公演に向けて出演者を募集する目的で行われています。
現在、10名程度が内定されており、明日のワークショップが終わり次第、配役やスタッフを決定します。
尚、12月の熊本公演の計画を立てております。未だ会場が決定されておりませんが、近日中には発表する予定です。当初、予定していた会場が震災の影響で上演が難しくなっており、公共ホールもメドが立っていない状況です。
発想の転換!臨機応変!困難な時にこそ、新たな展開を発見できます。
明日のワークショップでは、突然の訪問者も期待しています。想定外が新たな力を生み出すこともあり得る。

癒された山都町からカビ臭いアパートに帰り、ぼんやりと天井を眺めながら眠ってしまった。大きな揺れを感じて天井から押しつぶされる夢を見て目が覚めた。久しぶりに熟睡したのか、恐ろしい夢を見た割には頭が爽やかである。午前4時前。
生きている。良かった。このままでは死にきれない。
ふと、目に飛び込んできたのが山崎哲さんの「うお伝説」上映会のお知らせだった。1980年の頃が鮮明に蘇った。
1968年~アンダーグラウンドの演劇はメディアから発信される情報でしかなかった。学生演劇を経験したことはあるが、実は当時のサブカルチャーや最先端、演劇の革命を体験することはなかった。田舎に住んでいると頭デッカチになるものだ。情報だけでわかったような気分になる。
それが、1978年、黒テントの赤い教室シリーズ「馬 阿部定」や赤テントの「ユニコン物語」が立て続けに熊本にやって来た。
演劇だ!遅れて立ち上がったのが1979年、座長さかもとまり(夢現)と4人で熊本から東京へ劇団を作りに飛び出して行った。座長が早稲田大学文学部へ編入したこともきっかけにあったが。
右も左もわからない大都会で出会ったのが流山児さんの演劇団や哲さんの転位21だった。更に、右も左もわからなくなった。漂流の始まりである。暗黒舞踏を見てパーン!と頭が破裂し、天井桟敷を見て腰が抜けた。
流山児さんから「アングラ?そりゃあもう、カビだぜ、ぺッ!」と言われ失語症になりかけた。
哲さんの「うお伝説」を見た時はバラバラと解体される自分を感じた。
ここでは書ききれないことが1980年前後に山ほどある。
遅れてきた演劇青年は今やくるくるパーの白髪爺さんになったよ。
面白いじゃないか。先輩諸氏、亡くなられた方々もたくさんいるが、追っかける人たちがいる。
行ってみたいな、「うお伝説」へ。引退?演劇にはそれがないね。

二転三転

2016-05-16 11:29:03 | モノローグ【エトセトラ】
眼が覚めると「長崎は今日も雨だった。」いやいや、ここは熊本じゃけえ。。
写真は広島を舞台とした「仁義なき戦い」。文太さんにあこがれたのう。
今や、 市民とヤクザの区別がつかんのう。経済が市民をヤクザ化させたのか、ヤクザが市民に化けているのか。よう、わからんのう。
只今、全国で同時多発ピースリーディングが展開されとるのう。ええのう、ええのう!
わしら、しがない熊本地震界隈では引っ越しにあたふたしており、同時に、12月の熊本公演を実現するべく九州「劇」派は会場探しに奔走しちょるのう。
同時に、2018年ブラジル公演に向けて再スタートする準備の会議が今日の夜、あるのう。
今日も忙しいのう。同時多発のピースじゃのう。

朝一番で電話が入る。引っ越しの件である。
座長から「一昨日の仮契約した一戸建二階の水前寺の物件、ダメ!」の連絡だった。
実は彼女の働く会社による被災援助の要件にはまらないということ。アパートかマンションが条件になっていた。社宅もあるのだが、それはもう手遅れだった。
熊本市都心部にコネ有りのマンションがある。最後の一手はコネしかない。
二転三転である。

アングラ劇は善玉菌である

2016-05-15 23:38:10 | モノローグ【エトセトラ】
こんな汚い写真を載せてごめんなさい。
カビです。放っておくと、男おいどん、これに包まれて過ごすことになり、それは恐怖です。
天井のカビは拭き取れるものの、戸袋や落下した換気扇の場所は手が届かない。
今の住居は屋根の修理がようやく進み、雨漏りはしなくなった。
倒壊した家屋の方々からすると、なんて小さな悩みなんだと笑われるでしょう。
ダメなんです。カビを見ただけでも蕁麻疹が出てしまう。
カビにも色々あり、善玉菌は大丈夫!
特にクロレラ菌やビールの酵母菌は我ら人類の友だ。
今から取り掛かるアングラ劇「少女都市からの呼び声」(作:唐十郎)も善玉菌だ。
5月20日(金)19:00-22:00 熊本電鉄亀井駅裏の亀井公民館にて2回目にして最終回の東京公演10月に向けた募集を兼ねた九州「劇」派の演劇ワークショップをおこないますので、興味のある方はご参加下さい。
前回のワークショップで内定者が決まりました。残りポストは僅かです。個性溢れる役者さん、来れ!
問)09045815190(事務局)まで。



気忙しい1日だった。
1.
6月 引っ越しの段取り
2.
10月 九州「劇」派の段取り
3.
2018年ブラジル公演の段取り

段取りだけで1日が暮れてしまった。
明日16日(月)は以上の3段取りを同時進行で行動する。
男おいどん、くるくるぱ~になる前にサルマタ布団に入りましょ。

あれや これや

2016-05-10 17:51:10 | モノローグ【エトセトラ】
■5月9日(月)

資本主義社会からドロップアウトした人間にとって「災害」は日常である。これは笑い話だ。笑われた。
今朝から遠くに離れた親戚や昔の友人から立て続けに電話が入った。テレビのニュースを見て涙が出ると言う。私はテレビが見れない状況にあるから、どう報道されているのかわからない。歯の抜けた爺さんがインタビューに答えて私とかぶったというのだ。笑わせてくれる。
心配してくれていることに、「おー、男おいどんは忘れられた人間ではないのだ。」と息が荒くなった。呼吸が激しくなる。言葉が詰まりロレツが回らなくなった。ムチウチか?首も自由に回らない。病院に行こう!
有難いことにお見舞金を頂いている。このお金は引っ越しのために使わせて頂くことにした。間違っても夜遊びには使うまい。演劇をやっていると夜遊びする時間はないのだから。ビンボーは目標のために時間もカネも無駄遣いをしなくなる。こころは健康になるから、どうだい、この地震をきっかけに人生を変えることにしたら?笑い話である。こんなことを言うと警戒される。
自分で選んだ人生を貫きましょうよ。電話の向こうから励まされた。
さて、引っ越しを具体化しよう。

1979年6月15日,東京の早稲田鶴巻町6畳一間で劇団は結成された。一部屋でよくもまあ、立ち上げたもんだ。区画整理で馬場下に引っ越した時も6畳一間だった。早稲田大学文学部の学生長屋だった。
あれから37年を迎える。1984年より劇団の拠点を熊本に移した。座長にとってはUターンであり、私にとってはJターンである。学生時代を熊本で過ごしていたから、ここが私にとっては青春の門であった。
まさか、震災を体験するとは思わなかった。
浮き草だね。今日から移転先を本格的に探し始めた。移転を決意するのに3週間もかけてしまったからスタートが遅れた。
コネやネット情報を見ながらこちらの条件を満たす物件をあたっている。家賃、立地、道具置き場を兼ねれる間取りなど、座長と夜遅くまで検討した。
今や6畳一間で生活と劇団の事務所なんて考えられないことだ。
間取りを見ながら使いやすい住み家を探している。

■5月10日(火)

朝から雨。天井のカビは太り続けている。目を閉じ、息を止めてカビキラーを噴射して拭き取った。
電話で不動産屋へ物件探し。「申し訳ありませんがありません。」
ありませんがありませんとは?どう解釈すれば良いのだろう。屁理屈でも絡みたくなる。
ありませんがありません?ふふふ、あるということだな!大人気ないことは言わなかった。
熊本市中心部近くに一戸建てを見つけた。神業だった。山都町には浜線バイパスで直行できる。稽古場や座長の職場にも近い。劇団の道具置き場 兼 事務所としても可能だ。明日の3時、物件を見に行くことにした。決まれば棚から牡丹餅だとしよう。地震に耐えた家だ。幽霊が出る家だとしたら、それをネタに名所にしてやろう。儲けてやる。家賃高し。負けん県。

浮かれた気持ちで、これまで連絡がつかなかったカタオさん(半壊状態の家)を訪ねて菊陽町に走った。
カタオさんとは1990年から2000年までの10年、障がい者アート支援活動「とっておきの芸術祭」事務局の仲間だった。脳梗塞で倒れたと聞いて心配でたまらなかった。二つ上の先輩、悪友。酒好き女好き。人吉出身のお人好し。家族ぐるみの付き合いだった。久しぶりに会えてテンションがあがる。キンちゃん ジュンちゃんのコンビ復活か。
元気で生きていた。家には住めなくなったから、いずれ人吉に戻る算段をしていた。
気晴らしに大王を食べに行こう!えっ?閻魔大王?いえいえ、熊本名物、天草大王のことだった。一度は絶滅した大きな地鶏のこと。養鶏場と古民家レストランを経営している大津町の地産地消の店。
残念!今日は定休日だった。
代わりにトンカツを食べた。帰りには自家栽培しているサラダ玉ねぎと人参を山ほどもらった。
ビタミンは体に良いど。感謝!分かち合いたい。

山都町二日目

2016-05-05 18:12:07 | モノローグ【エトセトラ】
ゴールデン一泊二日、二日目の朝、山都町にて。
暑くなりそうだ。昨夜は余震を感じたが、ここでは震度3-4は屁のカッパだ。感受性が大雑把になる。ガサツになる。
自然の中に包まれていると自然の現象に従わざるを得ないと心が広くなる。
避難場所としては良いところだ。
じじバカ日記は今日まで。明日から劇団の活動を再スタートする。

ゴールデン一泊二日の昼、山都町通潤橋で宮崎から帰り道の成一さんと待ち合わせた。
美味しいものでも食べよう!と目的の喫茶店に行ったが閉店中。結局、通潤橋の食事処テラスで飲み食いする。
成一さんが宮崎に行った理由がわかった。救援物資を熊本に運ぶためだった。
こちらにも沖縄そばなど大量の物資を頂いた。ファミリー、劇団員、近所の困っている人にも配布しよう。
今日の夜、熊本市に帰る予定だったが、もう一泊して明日の早朝に帰ることにした。

じじバカ日記

2016-05-04 20:02:44 | モノローグ【エトセトラ】
5月4日(水)
座長の実家へレッツラゴー!一泊二日 の山都町へ!
猫のおおもり君はお留守番です。
サキたちの新住居ではおおもり君専用の部屋があり、その窓からは広い景色が広がっている。家猫としては世界が広がった。
これより1ヶ月くらいはママと孫は九州山地のどまん中で療養します。
じじバカ日記はつづく。

矢部名物おちかラーメンを食す。
夜の余震、震度4だった。その直後、へその緒がとれた。

さようなら、20年。

2016-04-30 09:32:32 | モノローグ【エトセトラ】
すごいスピードで時間が巻き戻った。20年の歳月、我がファミリーは熊本電鉄はけみや駅前の賃貸マンションに住んでいた。3DKで肩を寄せ合い、貧しいながらも楽しい我が家だった。
長女サキは清水小学校6年生、長男トウマが3年生、次男ユウムが1年生だった。
1階だったから庭付きである。喜び勇んでトマト、ナス、キュウリなどを栽培したが、実らず全部枯らしてしまうというダメぶりを笑っていた。ストレス解消で草むしりをしていた。むしってもむしっても生えてくる草め!逞しいと思った。その内、ムカデを発見して草をむしらなくなると、あっという間にジャングルと化した。
昨日で引っ越しの掃除が終わり、今日が不動産屋へ引き渡す日。
昨夜は座長が考え深げにファミリーLINEで何もなくなった部屋の写真を流した。みんなからの思い出のコメントは飼い猫のリンタロウのことばかりだった。この庭にリンタロウは眠っている。

このレコードは!

2016-04-14 11:41:43 | モノローグ【エトセトラ】
このレコードは1985年の頃、熊本のミュージシャン有志が集まり、「We love music」~アフリカの難民を救え!製作されたものです。
先日、劇団の倉庫を整理していると出てきたもので、懐かしすぎて猫のおおもり君と記念撮影しました。
ジャケットのモデルはサキです。デザインはハナブサアキラ。

明日15日(金)は亀井公民館(熊本電鉄亀井駅裏)にて19:00-22:00「唐十郎研究~特権的肉体」演劇ワークショップです。見学のみでも歓迎します。
予約お問い合わせは電話でお願いします。
09045815190 劇団夢桟敷制作

バカにつける薬

2016-04-12 06:47:27 | モノローグ【エトセトラ】
バカにつける薬。
このタイトルを変えなければならない。同名の本が出版されていた。
バカにつける薬はない、と言われている。人は常識に縛られる。常識だからと諦める。
しかし、世の中には常識を疑う者たちがいるのだ。
バカにつける薬はある、と思っている人はいた。
理論で組み立てようと思っている。いや、小説か演劇で!
どうしてもその薬が必要であれば薬の専門家と共同作業で取り組めばよい。
非常識が常識として認められることもある。
フィクションからサイエンスへ。サイエンスからフィクションへ。その繰り返しが弁証法的に発展する。

さて、今日は一日中、演劇ワークショップ「唐十郎研究」ノートを整理するか。同時進行で東京公演とブラジル移民劇公演のための根回しもする。
バカにつける薬は必要である。