串カツ子の旅日記

美しい国、日本。まだまだ見たい所がいっぱい。
温泉、宿屋、食べ物、紅葉、桜、街並み・・・興味の対象は尽きません。

道明寺天満宮の梅

2019年02月22日 | 

2019.02.22 

我が家の最寄り駅から5つ目の駅にある梅の名所道明寺天満宮 

 神社のサイトでは、少し前から五分咲きになっていた。

そろそろ七分咲きぐらいになっているのでは?と、行ってみた。

今、これを書くにあたって神社のサイトへいくと七分咲き
なっているが、あれで七分・・・?

もちろん梅の品種によって満開の木もあるが、梅園全体では
まだ五分咲きではないかと思った。

 

 

 

 

 

 花がよく咲いているところばかり撮ったが、まだ蕾という木も多い。

幹を見ると、かなりの古木のように思ったが、どの木もよく花を咲かせている。

きっと手入れが行き届いているのだろう。

  

 

 

               

盆梅展が開催されていて覗いてみた。

長く伸びた枝を結びアーチ状になっている木があった。

枝の先まで蕾がたくさんなっていて、これが満開に
なった姿を見てみたい。

梅園は三脚持ち込みOK。

この先の天候にもよるが、素人目に満開と言えるのは3月
に入ってからだろうか。

2月25日(月)は梅花祭、骨董市、餅撒きの予定有り。


2019 屯倉神社の梅

2019年02月20日 | 

 2019.02.20 

屯倉(みやけ)神社の梅の咲き具合は・・・?

 

 枝垂れ白梅は満開。

 

 

 白梅は満開近し。

 ひときわ紅い鹿児島紅(?)は、早くも散りかけ。

横の枝垂れ梅は7分咲きかな。

対の狛犬前は五分咲きかな。 

 

 

 

梅まつりは3/2(土)3/3(日)の10:00~15:00まで。

梅まつりまで後1週間。

枝垂れの白梅などは終わっているかも。


八丈島 大越アロエ園

2019年02月18日 | 旅-関東・中部

千畳敷を後にして北上し、八丈島の北端に位置する大越アロエ園へ。 

 凄い!アロエ畑が上の方まで広がっている。

それに赤い花もいっぱい咲いている。

20万株あるとか。

細い道が丘の上まで続いてて、登ってみるが、延々と続くようなので、この辺でいいかと引き返す。 

う~む、我が家にもアロエがたくさんあったが、花が咲いているのは見た事がない。

12月~1月に咲くらしいが、毎年咲くのだろうか? 

大越鼻灯台と左手に展望台。

ここは昭和50年に廃校になった永郷小学校の跡地。 

 

 展望台から見る八丈小島。

 アロエの品種はキダチアロエ

食用になるアロエベラと違い凄く苦い。

小学生の頃、腎臓を患った私に薬だと言ってアロエのすりおろしたものを親に飲ませられた苦い経験がある。

入院してる病室へ毎日のように持って来た。

思えば有難い話だけど、効いたかどうか不明。

しかし、慢性化していた腎臓病、入院は3ケ月に及んだ。

西洋医療に見切りをつけた父親は、むりやり退院させ、父親が信頼していた鍼灸院に私を通わせた。

下腹部へのハリや背中へのお灸は嫌だったが、みるみる回復し、入院していた病院の医師が驚いた。

以来、腎臓に障害は出ていない。

アロエのお蔭も少しはあったかな?

 

 アロエは外用万能薬かもしれない。

庭で蚊に刺された時、葉をちぎってドロッとした液をすり込むと痒みは少しマシかな。

クラゲに刺された時、近くの民家の人がアロエを持って来てくれた。

火傷した時もすぐに塗る。

こんなにたくさんは要らないけど、庭の片隅に植えておくのもいい。

しかし、繁殖旺盛で、いくらでも増え広がっていくから鉢植えがいいかな。


八丈島 南原千畳敷

2019年02月17日 | 旅-関東・中部

 八丈一周道路を北へ向かい、南原千畳敷へ。

 

 

 一面真っ黒は溶岩台地。

 

溶岩流の末端まで行ってみる。 

荒波が打ち寄せ、少々不気味。

すぐ近くに八丈小島が見える。

八丈小島は、昭和44年に島民全員が本島に引っ越し、今は無人島

家畜として飼っていたヤギの一部を島に置き去りにした為、2~3年で野生化したヤギが増え、ヤギの捕獲・保護・里親募集などの事業があったようだ。

 

 

 

 

 

 玉石垣の所から写した建物は、やはり廃業した八丈国際ホテルだった。

景観をそこねるので早く解体すれば・・・と、思うけど、同じく廃墟となっている八丈オリエンタルリゾート多重債権になっていて、
簡単には解体不可という事らしいので、
おそらくこちらも同じような状態で解体不可なんだろうか。


八丈島の玉垣

2019年02月14日 | 旅-関東・中部

大里地区にある玉石垣の続く馬路散策路へ。 

 

 一つの石を六個の石が取り囲み、六方積みとも言われる。

 漆喰など使わずに積まれた高度な技は、築城の経験者が積んだものかもしれないらしい。

室町時代には北条早雲他が八丈島を統治しており、この近くには良い水源もあったため、有力者が多く住んだようで陣屋跡もある。

一つの石を流人が運び、おむすび1個と交換した・・・という話はあるが、コメなどとれなかった八丈島では、それはないらしい。

海の向こうに八丈小島が見える。 

 小高い所から八丈小島を写そうとするが、どうしても茶色の建物が入り込む。

この建物は廃業している八丈国際観光ホテルだろうか?

営業中のホテルなら申し訳ありません。

 車を停めた駐車場に石碑が建っていた。

島木赤彦の歌碑。

多感な人で島の女性ともいい仲になったが、東京へ戻ってしまう。

歌の世界から八丈島を広く全国に紹介した業績をほめたたえている。

満天望をチェックアウトし、玉石がとれた横間海岸へ行ってみたが、石垣に使われているような丸い石はほとんどない。

とりつくされた?

八丈島歴史民俗資料館で伺った話では、宇喜多秀家が上陸した前崎海岸で玉石がとれた・・・と、いう事だったが。

その八丈島歴史民俗資料館は引っ越して、今は八丈支庁の中にあるが、以前はこの建物だった。

そこに置かれていた石製くりぬき井戸


八丈島 宇喜多秀家の墓

2019年02月08日 | 旅-関東・中部

鳥も通わぬ八丈島と言われた島への流人第一号は宇喜多秀家

関ヶ原の合戦に負け、島津家へ身を寄せていたが、
幕府に捕えられ、八丈島へ流された。 

妻である前田利家の娘豪姫は伴わず、息子2人と
わずかな家来で1606年八丈島の前崎海岸に到着。

1655年没というから49年間、およそ半世紀を八丈島で暮らした。

サツマイモが八丈島に伝わるまで、慢性的な飢饉状態だった八丈島。

2年に一度、加賀藩から米70表、金子などが届けられ
それは明治維新まで270年間続いたという。

さて、その宇喜多秀家の墓は、民間の墓地の中にあった。

車で走っていると見落としそうな看板。

八丈島の名所案内看板は、どこも小さくて見にくい。

車はどこに・・・と、回りを見渡す。

道路を隔てた向かい側に広い駐車場はあるが、
宇喜多秀家の墓用駐車場との表記はない。

ここに停めて良いのか迷ったが、バス用の広い区画線も
描かれているので、ここでよいのだろう。 

 駐車場側から見た大賀郷稲葉墓地。

ちょっと探したがすぐに分かった。

城主だった岡山城の天守閣の礎石が置かれていた。 

 

元々の墓は五輪塔の左横の墓石で、五輪塔は
1841年子孫によって建立された。 

八丈島と流人の事が知りたくて、八丈支庁内にある
八丈島歴史民俗資料館へ行く。 

宇喜多秀家を流人第1号として、明治までに1900人程の流人。

隅田川に架かる永代橋から出発し浦賀へ。

当時の隅田川は浅かったため大きな船は着けられない。

浦賀で大きな船に乗り換え、下田~三宅島へ。

三宅島と八丈島の間は黒瀬川と呼ぶ黒潮が流れ、
当時の船ではそう簡単に着けない。

三宅島で2~3ケ月風待ちし、やっと八丈島へ。

八丈島での流人の生活に関しては、こちらの方の
ブログが詳しいです。

八丈島には湧水井戸が多く、水を汲みに来る
若い娘と一緒に暮らす流人も多かったらしい。

 これは明治13年頃に掘られたメットウ井戸

新しいので、流人と水汲み女が出会った井戸ではない。

メットウという巻貝のように井戸の汲み口まで
らせん状の道がついている。

昭和30年まで生活用水として使われていた。

 

 今、水は枯れているのだろうか?

八丈島にもつわぶきが多く咲いていた。


八丈島へ

2019年02月05日 | 旅-関東・中部

2019.01.20 伊丹~羽田~八丈島と飛行機を乗り継ぎ八丈島へ。 

見える島影は大島だろうか。 

 羽田からの飛行機は引き返すかもしれないという
条件付きのフライトだった。

着陸間際は左右によく揺れた。

八丈島空港は、八丈富士と三原山の間の平地にある空港。

風の通り道。

右下に廃墟と化した八丈オリエンタルリゾートが見えた。

 翌日、車中から撮った八丈オリエンタルリゾート。

 片方の翼が地面に擦れそうな状態になってひやり。

無事に着陸。

飛行機の着陸で思い出す話がある。

20年程前だろうか?飛行機が着陸すると機内から拍手が。

問題なく普通に着陸したんだけど。

それは中南米(多分)の人達のグループからだった。

国内線しか乗った事のない私は、後にも先にも
こんな拍手は聞いた事がない。

しかし、この八丈島空港への着陸は、思わず拍手をしそうになった。

天気は雨。

雨の日も楽しめると、いうパンフを見てえこ・あぐりまーとへ。 

 地熱を利用した農産物直売所だが、奥にミニ植物園があった。

八丈島特産のキクチレモン、パパイヤ、食虫植物・・・。

 パパイヤの木ってまるで茶色の布を巻いたみたい。

 鮮やかな赤い花は、コッキネアというトケイソウ科の花。

すぐ近くの八丈島地熱館へ。

えこ・あぐりまーとで栽培されている植物は、地熱発電利用後の温水を利用している。

 入場無料。

スタッフに案内して頂き、八丈島の成り立ちなど興味深い話を聞いた。

東山と呼ばれる三原山が約10万年~3700万年頃まで活動。

西山と呼ばれる八丈富士は、数千年前から活動を始め
この二つの火山が接合し、現在の八丈島となった。

この発電所で島全体の電力供給量の1/4をまかなっている。

               

     堅い岩盤を掘るビットの実物が展示されていた。

     八丈島の温泉が島の南部にかたまっているのは、地下に豊かな水源が
     あるかららしい。
     火山の多い日本、地熱発電所はもっと増えてもいいのだが、適した場所
     は国立公園、国定公園内にあり新設が認められなかった。
     しかし2012年から規制緩和が進む。
     又、温泉地からの反対も強い事が、開発が進まない一因でもある。
     しかし、八丈島の温泉では、この地熱発電所の試し掘りで出た温泉
     利用している所もあるらしい。

                          


やっちょん広場へ

2019年02月04日 | 日常

 久しぶりに和歌山県橋本市のやっちょん広場へ。

以前はよく通っていたが、近くにあすかてくるでという道の駅しらとり
農産物直売所が出来てからは、すっかり遠ざかっていた。

国道371号線紀見トンネルの大阪側入口。 

この看板は今も変わっていません。

こちらは和歌山側の入口。

以前、と、言っても10年以上前ですが、こちら和歌山側にも
橋本市の
宣伝看板が架かってました。

なんと、橋本市の商売上手に対して河内長野市は何してるん!

大阪人としては、少々腹立たしいものがありました。

これでいいやんか。

紀見トンネルは、漏水や石灰流出などで傷みが激しい。

国道371号線も林間田園都市手前からバイパスが出来、
橋本へ出るのも走りやすくなっていた。

 橋本ではさぬきのうどんを食べなくちゃ。

いつもこのかやくうどん

値段は10年以上変わらず600円。

ダシは丁度良い味、手打ちのうどんはやや固めでしっかりしたもの。

 はぁ、おいしかった~。

 やっちょん広場では、みかん(はるみ)をメインに
天野米やら色々買い物。

染色したかすみ草が売られていた。

黄色、紫、藍色、ピンクもあったけど、色が濃いので買わなかった。

これをドライフラワーにしよう。 

自分でもプリンターのインクで染色していたが、
なかなか色づかないかすみ草もあり困っていた。

新鮮な花なら水上げも良く早く染まるんだ。 

              

     去年、メル友から頂いた版画のカレンダー。月毎のカレンダーで、その月が過ぎても捨てるのが惜しくて
     とっておいたものを適当な台紙に張った。我が家の真っ白な壁を飾っている。