暑さを逃れて温泉旅の第3弾は、福井県境に近い、岐阜の神明温泉すぎ嶋へ。
まずは関市で昼ごはん。
関市は鰻の店が多く、それじゃぁ又、鰻にしようか・・・と、やって来たのは老舗の辻屋。
時刻は10:30、11:00の開店まで、あと30分程待たなくちゃいけない。
赤い毛氈が敷かれた長椅子に先客が一組。
二番目に並ぶが、次々人がやって来て、開店時には長い行列ができていた。
実は、辻屋へ来るまでにしげ吉に寄ってみたのだが、さすがに一番人気の店、建物を取り囲む行列を見て退散。
先頭の人はいったい何時から並んでいるのだろう?
店が開き並んでいた順に奥の方の席に座る。
店内を見てちょっと驚く。
7人が掛けられる、足を下ろせるテーブルがズラリ9列程並び、ほとんどの席がうまってしまった。
順に奥から詰めて、注文も奥から聞いてくれる。
その奥にも2階にも席があるようで、次から次へと客が入って来る。
注文したのは並丼、ご飯少な目。
う~ん、一切れが小さい。
下呂温泉のかばやの半分ぐらいの鰻量。
肝吸いもかばやの方がおいしい。
ちょっと残念な結果となってしまった。
いつもの旅の目的の一つである湧き水を汲みに行くが、リサーチが悪くてアチコチ道に迷う。
結局、道の駅ラステン洞戸で聞いて分かったが、全然見当違いの所で探していた。
ラステン洞戸から国道256号線を少し北上し、↑の写真のコンテナ(関市防災備蓄倉庫)がある所を右折し、県道182号に入る。
途中、上矢作神社を見ながら2キロほど走った所に目的地はあった。
通称菅谷の水、正式には水呑弘法霊水というらしい。
駐車場はないが、往来の少ない道なので、路肩に車を停める。
お地蔵さんが祀られている。
案内板によれば、かつて、ここはくずし坂道という名でよばれ、岐阜方面に向かう唯一の水場で、道行く人が喉を潤したらしい。
もちろん名前から分かるように、弘法大師伝説が残る。
パイプが2本あり、左手の方からはドンドコ流れ出て、ペットボトルはすぐに満杯。
便利なテーブルも置かれていて、地元の方の世話に感謝し、たくさん頂いた。
こちらは有名な高賀神水。
ポリタンクの持ち込み数が決められ、時には行列ができるほどの人気湧水スポット。
大きなポリタンクは持ってないし、行列も嫌なので、ここでは汲む気はなく、上記の菅谷で・・・と、思っていた。
日曜日だけど、人は少なくてすぐ汲めそうな雰囲気だったが、素通りする。
しかし、後で円空記念館の受付の方に聞いた話では、私が汲んだ菅谷の水は、アチコチから流れ出た水を集めた表層水。
いっぽう、この高賀神水は砂岩を通して地中から湧き出した水で腐らないらしい。
う~ん、そうか、そうなんだ、だから人気があるんだ。
ここは有料だが、このお金は高賀神社の回りの山々に木を植樹する費用に充てておられる。
山があっての高賀神水。
かつては自由に汲めたらしいが、争いが絶えず、警察沙汰にもなり、以来一人2個のポリタンク、もっと欲しければもう一度列の最後尾に並ぶというルールが出来た。
高賀神社へやって来た。
神社、素通りで隣接する関市洞戸円空記念館へ。
この狛犬かどうかちょっと不明だが、かつて神社の狛犬は円空さんが彫ったものが置かれていたが、円空ブームになり、危ないという事で円空狛犬は記念館に鎮座している。
関市は円空さんが亡くなった(入定)地でもあり、関市にも円空館がある。
円空さんは即身仏になるべく3年の木喰の後、関市の弥勒寺に入定、64歳。
しかし、長良川の洪水で、円空さんは流されてしまう。
流されていなければ、即身仏として今もお目にかかれただろうに。
今、弥勒寺近くの長良川河畔に入定記念碑が建っている。
館内は入り口辺りを除いて撮影禁止。
最後の作といわれる像や、かつての高賀神社の狛犬、1本の木から十一面観音、母の姿、円空自身と3体を彫った大作が展示されている。
何、これ?と、不思議だったのは、展示ガラスの前にズラリと並ぶ108もの巨大な数珠。
聞けばアメリカの9.11のテロの後、ある方が慰霊のために造ったものらしい。
使われた木は、アフリカ産樹齢2000年のブビンガという、今ではなかなか手に入らない木との事。
記念館の受付に座っておられた方にあれこれ説明していただいたが、この方、「こんな田舎に円空さんが宝物を残して下さった。」と、嬉しそうな顔で話された。
田んぼでは早くも稲刈りが行われていた。
今宵の宿、神明温泉すぎ嶋へ向かう県道52号線で猿発見。
車が来たので、慌てて草むらへ。
よく咲いている百日紅を横目で見ながらすぎ嶋に到着。
ほう~、なかなかの門構え、楽しみだなぁ。