lizardbrain

だらだらぼちぼち

2000.11 神戸 (1) 

2007年02月19日 14時52分59秒 | On My Side

1999年2月、
母親が脳出血を患った。

この頃の事を話したくて、ストーンズのナンバーからタイトルをパクったTIME IS ON MY SIDEというカテゴリーを立ち上げた。

この頃の事は、時にはあまり口に出して言いたくなかったり、また逆に、時には山ほど言いたい事が浮かんでくるものの、どこから話し始めればいいのかというきっかけがわからない。
どこから始めればいいのかがわからないので、どこで終わればいいのかもわからない。
とりあえず、このカテゴリーについては、今回のエントリーで一応のピリオドを打とうと思う。



今回のテーマは、
ワタクシが、現在のようにコンサートあるいはライヴ観戦に熱を入れるようになったきっかけを与えてくれたのであろうジャズシンガーについて。
というのも、幸か不幸か、このジャズシンガーの生演奏を聴いてしまった事が、ワタクシの行動パターンがすっかり変わってしまうきっかけになってしまったのだ。



あれは、1996年だったか、97年だったか、98年だったか、、、、、、、?

深夜のドキュメンタリー番組が、大阪・神戸方面のライヴハウスで唄っている女性ジャズシンガーを追跡していたのを、偶然にも観てしまった

そのドキュメンタリー番組の内容について、ワタクシの記憶にある事柄を記そうと思うのだが、いかんせん、あれから8年ほどの月日が経過している。
これから書く事が番組の中で伝えられていた事なのか、あるいは、その後に、ライヴでのMCや紙媒体のインタビュー記事などで知った事なのか、そのあたりの区別が判然としない点もあるが、記憶違いをしていたらばお許しいただくとして。

TVカメラが追っていたのは、決して若い女性シンガーではなかった。
アメリカに渡り、アメリカ人と結婚し、長男を出産した後に日本に帰ってきたアグレッシブなシングルマザーだった。
神戸に戻り、パートタイムの仕事や、ジャズヴォーカル教室で指導しながら、ライヴハウスで唄っているシンガーだった。
年齢的には、ワタクシより1歳年上で、乳癌の手術を受けた後の抗がん剤治療の副作用が喉に現れたために、一時は声が出なくなってしまったのだという。
そのドキュメンタリー番組の収録時点では、喉の方は回復して、唄えるようになっていたようだったが、定期的な検診は欠かせず、いつまた声が出なくなるかわからないという状態だったらしい。
声が出なくなってしまうと、唄う事は出来ない。
日々、シンガーにとって、一番起きて欲しくない不安と戦っているのに違いないのだが、TV画面の中のジャズシンガーの表情は、決して暗くはなかった。
そして、そのジャズシンガーが発する言葉も常にポジティブで、
「声が出なくなったらどないしよう、って考えてみてもしゃあない。そん時は、今やってる給食のオバサンでも、ピアニストでも生きていけるやんか。」
と言う趣旨の発言をしていた。

世の中では、何かにつけてポジティブ・シンキングポジティブ・シンキングと取りざたされているが、ワタクシ自身は、何事かの不安がある時にポジティブ・シンキングが出来ない人間である。
あくまでも個人的な経験則として、その逆に、ネガティブ・シンキングをした方が事態が楽に進む事の方が多いのだ。
例えば、自分の健康状態に何かしら気になる事があるとする。
「な~に、大した事では無いさ。」
と楽天的に考えた時よりも、
「もしや、悪い病気ではないだろうか? 悪い病気では無かったとしても、長引く病気ではなかろうか?」
と眠れないほど心配した時の方が、検査を受けた後の診断結果は、大した心配をする症状ではない事の方が多い。
最悪、あるいは、最悪に近い事態を想定しておいた方が、現れる結果は悪くは無いように感じられるのだ。
ワタクシの場合、ポジティブに楽天的に考えていて、悪い結果が出た時の気分的な落差は大きいと思う。
そういう性質の人間から見ると、彼女の思考法は驚きだった。

声が出なくなると言う不安だけでも充分に大きな物だろうが、その原因となった病気に対する不安とも戦いながら、こういった思考法を取れるという人物のパワフルさにも驚いたが、そのシンガーがピアノを弾きながら唄う、ライヴハウスでの演奏シーンにはさらに驚いた。
何や、このオバサン 
こんなにも唄える人が、なんでパートの仕事をしながら小さなライヴハウスで唄ってるんや 
日本にも、メジャーではないのに、こんなどエラいシンガーがおったんか

という感想を持った。

おそらく彼女の自宅でやっていたのだろう、ジャズヴォーカル教室のレッスンシーンでは、生徒に対する指導は厳しくて、
「アンタが今唄ってる、『I LOVE YOU』っていう言葉は、いったいどこの誰に向かって伝えたいんや? 今目の前におる人に向かって『I LOVE YOU』って言いたいんか? ここやのうて大阪におる人に向かって『I LOVE YOU』って言うてるんか? 東京におる人に向かって『I LOVE YOU』って言うてるんか? ニューヨークにおる人に向かって『I LOVE YOU』って言うてるんか? それを浮かべながら唄うてるんか? 
今のアンタが唄った『I LOVE YOU』は、この部屋の壁にも届いてへんで!」

このレッスンのシーンを観たワタクシからすれば、
「教わる方は当然アマチュアで、教える方も、お世辞にもシンガーとしての確固たる実績を経ているとは思えないわけで、何もそこまで厳しくボロクソに言わんでもエエのに、、、、、、、、
レッスン料による収入も生活の糧にせんといかんのに、そんなに厳しい指導してたら生徒なんか集まらんのとちゃうやろか?」
と思ってしまった。
今から考えるに、この時にレッスンを受けていた女性には、これだけの厳しい指導をしてもそれを消化して、尚伸びて行くくらいに深い将来性が見込まれていたのだろうが。
そして、そのレッスンの最中に彼女が唄った唄は、確かにその部屋の壁を越えて、目の前にはいない誰かに向かって『I LOVE YOU』の気持ちを届けているように聴こえた。

このドキュメンタリー番組は、彼女が自主制作した(2枚目だったか、3枚目だったか?)CDが完成して、それを持ち込んでライヴハウスで唄っているシーンで終わっていたような記憶がある。

いつまた声が出なくなるかもという抗がん剤の副作用の事も、その症状を引き起こした元凶である乳癌という病気の事もあり、相対的な印象としては、彼女の将来にあまり明るい見通しを感じさせないイメージを通奏低音として暗示させながら作られていた番組のように、ワタクシは感じていた。
ドキュメンタリー番組のテーマは、『癌と戦うジャズシンガー』として扱われていた。
もちろん、彼女が持つ音楽性とは全く関係がない、『癌と戦う、、、、云々』というテーマについては、番組の作り手サイドが付けた物であって、決して、彼女自身がそう扱って欲しいと望んだわけでは無いだろう。

今と比べると、当時のワタクシは、コンサートホールあるいはライヴハウスなどの現場に出向いて音楽を聴くという習慣を持っていなかった。
その上、(そのジャンルはともかく)メジャーレーベルからアルバムを出していなくて、小さいスペースでこつこつと音楽活動を続けているミュージシャンに関する情報など知る術もなかったので、その女性シンガーの事は、そのドキュメンタリー番組を観て初めて知ったのだった。

だが、彼女の事も、彼女の名前すらもすぐに忘れてしまった。
それどころではない事態が、ワタクシを待っていたのだ。


しばらくの後、
そう、99年の2月。
最初に触れたように、母親が脳出血を患った。
手術を受け、療養生活に入り、やがて、その介護のためにワタクシ自身が1年間仕事を休む事になった。
色んな経過があって、母親が老人保健施設に入所し、ワタクシの負担が軽くなったのが、2000年の4月。

こう言っては母親に悪いが、
母親がいる老人保健施設への面会は欠かさないようにしながらも、外の世界を出歩く事ができた。
それまでの、家の中に閉じこもり気味で、娯楽と呼べるのはTVくらいで、書店やCDショップを冷やかして歩く事など夢のまた夢の状態の生活から、抜け出す事が出来た。
何につけても、久しぶりに時間を気にせずに寄り道して、一人で自由に外に出られる事が新鮮だった。

ある日、
書店で音楽雑誌をパラパラめくっていると、『40歳を過ぎてデビューして、たちまち大人気となった女性ジャズシンガー』の記事が目に留まった。
ある時、
家でFM放送のジャズ番組を聴いていると、これまた『40歳を過ぎてデビューして、たちまち大人気となった女性ジャズシンガー』という要旨で紹介されているシンガーがいた。
そして、またある日、
レンタルビデオ・CDショップを散策していると、狭っ苦しいジャズコーナーに、目を惹くポップ広告をディスプレイして、聞いた事があるような無いような名前のシンガーのアルバムが並べられていた。

驚いた事に、

そのシンガーが、

以前に、深夜のドキュメンタリー番組に出ていたジャズシンガー、綾戸智恵だったのだ





4 コメント

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Unknown (ぼくてき)
2007-02-22 23:45:13
お久ぶりにおじゃまします。そうですか、綾戸さんってデビューそんなに遅かったんですか。とっても劇的な出会いに感じられました。ぼち×2さん、文章うま!でも、・・・前フリ長!(←「あんたに言われたくないわ!」というぼち×2さんのお返事が聞こえましたが(爆)、気のせいでしょうか?
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Unknown (ぼち×2)
2007-02-23 23:06:18
前フリだけしときながら、本編がなかなか登場しない、、、、、あ、いやいや、お互い様でしたね、、、?こちらも(って、他に誰がいるってんだい? 笑)早いところ続編を仕上げないと、来月に迫ったアヤド姉さんの来襲に間に合わなくなりそうです。その後、花粉症の調子はいかがでしょうか?今日、軽めの山登りをしてきましたが、杉林から黄色いスギ花粉が大量に飛んでいるのが遠目にもよくわかりました。ただ見ているだけで、クシャミが出そうでした。
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Unknown (ふーゆ。)
2007-03-05 12:28:02
いい話です!!!いい話過ぎて、コメント入れるの忘れていました(苦笑)そして、あの時、ボチ様が強く勧めて下さらなければ、私は綾戸の歌声の素晴らしさとライブの面白さに気付くことなく日々を過ごしていたのかも・・・と思うと、本当に『縁』って大事だなーとしみじみ。来月かぁ~、いいなぁ。花粉飛び交う中、頑張ってくださいね♪ええ、私は今年も花粉とは縁がなさそうです。えへへ
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Unknown (ぼち×2)
2007-03-07 15:51:33
あ、そんな事もございました。あの時点では見ず知らずの人間のいうことを真に受けて、まさか、本当にコンサートに行ってしまうとは思いませんでした。その上、その感想をアヤド姉さん本人のBBSに書き込みまでしてしまうという、大胆な行動に出ることまでは予想だにできませんでした。ふ~ゆさんの後先考えない行動力には、恐れ入ります。はい。『縁』も大事ですが、『円』(100万単位で)も大事にしましょう。今年の花粉症は心配ないと思っていたら、ここ1週間ほどの間、ちょっと来てます、、、、、フェックション
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