lizardbrain

だらだらぼちぼち

13年

2008年01月18日 21時57分02秒 | 無駄話

13年前の昨日、1月17日、阪神淡路大震災が起こった。

その日は、母親の付き添いで広島へ出かける予定だった。
その頃、広島に住む母親の友人が臥せっていて、余命わずかと言う事だったので、お見舞いに行くはずだった。

どうやら新幹線も止まっているみたいだし、広島へ行くのは不可能そうだった。
あきらめて、TV画面に映し出される神戸の街を見て呆然としていた。

情報が不足しているものの、どうやら大変な状態らしいのがはっきりするにつれ、神戸に住む伯父の安否が気がかりになった。
ワタクシの家から叔父の家に電話してみたが、当然、つながらない。
災害時の電話回線が錯綜している時には、家庭の電話回線よりも公衆電話からかけた方がつながりやすいらしいという事を思い出して、近くの公衆電話まで原チャリに乗って行った。

家から500mほど離れた公衆電話からダイヤルすると、あっけなくつながった。
だが、電話に出た声に聞き覚えは無い。
「○○さんのお宅でしょうか?」
と訊ねてみると、違うらしい。
よりによって、こんな時に間違い電話をしてしまったのだ。
間違い電話をわびて、もう一度ダイヤルし直したのだが、またもや先ほどの家につながってしまった、、、、、、

何度もお詫びを言って、一旦家に帰って、神戸の叔父の電話番号を確かめてみると、ワタクシが手帳に控えていた叔父の電話番号が間違っていたのに気付いた。
叔父はその何年か前に引っ越していて、以前に住んでいた家の電話番号を書き直さずにそのままになっていたのだ。

正しい電話番号をメモして、さっきの公衆電話からもう一度電話してみた。
午後4時を過ぎていただろうか?
寒かった。
公衆電話まで原チャリで走っている間も寒かったけど、電話ボックスの中に入ってもとても寒かった。
ワタクシの家に帰るとストーブもコタツもあるが、おそらく電気もガスも止まっている被災地ではどれだけ寒いだろうか、、、、、、、

ダイヤルすると、今度もあっけなくつながり、呼び出し音が聞こえてきた。
今度こそ電話に出たのは叔父だった。
電話に出られると言う事は、最悪の状態は免れたのかも知れない、
と、ほっとしながら、叔父宅の様子を聞くと、
「はいはい、ものすごく揺れてね~、食器棚の食器が飛び出してきて、だいぶ割れてしまったけどね~、皆大丈夫ですよ~」
と、落ち着いた声が返ってきた。

大丈夫だとは言っても、長電話で手を止めるのは申し訳ないので、安否の確認を取っただけですぐに電話を切った。

叔父の家は神戸市北区の高台にあって、その地域の被害は少なかったようだ。
翌日にはガスも電気も復旧したらしい。

あの時、最初に間違い電話してしまったお宅の人には、今でも謝りたくてしようが無い。
最初にかけたのは、市外局番078で始まる電話番号だったので神戸市内のお宅に違いない。
あんな大地震の直後の、混乱しているであろう時に間違い電話なんかしてしまったのだから、さぞや迷惑だったに違いない。

何ヶ月か経ってから、ふと、間違えたお宅にもう一度電話してみようとしたのだが、その電話番号がわからなくなっていた。
手帳に控えていた叔父宅の電話番号を新しいのに書き変えてしまい、それ以前の電話番号の控えを捨ててしまったのだ。
間違えてしまった電話に出たのは大人の男性で、叔父以上に落ち着いた声だった。



新幹線が復旧したのが5月。
広島の母親の友人は末期の癌だったが、頑張った。
復旧した新幹線に乗り継いで広島へお見舞いに行った母親は、友人との最後の面会を果たす事ができた。