植物の不思議な世界(2)-私たちは植物について何を知っているのか-
前回は,“自死”する松の話を書きました。
この松は,目の前で値段を付けられて,人間でいえば“憤死”ともとれる枯死をしました。
もちろん,松が枯れたのは,単なる偶然だと考えることもできるし,その方が“常識”的には受け入れやすいでしょう。
第一,植物が人間の言葉を理解したり,感情をもっているということは,とうてい受けいれがたいからです。
ところが,そう決めつけることはできない出来事が,今から45ほど前の1969年にアメリカで起こりました。
フランス人ジャック・ブロスにしたがって,紹介しておきましょう。
この年,警察で検流計による嘘発見器の優秀な専門家であったクレーヴ・バクスターは,突飛な思い付きで,一見,非常識なことをやりました。
ある日彼は,電極を部屋に飾ってある,水をやったばかりの植物に嘘発見器の電極をつなぎました。
驚いたことに,嘘発見器の針は直ぐに反応しました。計器は,感情的な刺激を与えられた人間に電極をつないだ時の線と全く同じような,
ギザギザのグラフを描き始めたのです。
驚いたバクスターは,他の種類の植物でも何回か実験しましたが,ますます驚くべき結果を目撃することになったのです。
目の前で小エビが熱湯に入れられると植物は反応したり,血を見てさえ反応しました。
バクスターはさらに,植物には感情があるだけでなく,その感情を覚えてさえいることを証明する実験もあります。
バクスターは6人の学生を集めて目隠しをし,帽子に入れた四つ折りの紙切れを一つ選ばせました。
その内の一枚には,二本の植物がある部屋へ行って,片方の植物を引き抜いて完全に潰れるまで踏みつけて,
そのことを他の人たちに言ってはいけないと指示しました。
こうすることで,この木の殺戮の唯一の証人は隣に置いてあった植物という状態を作ったのです。
6人がそれぞれ部屋に入って出たしばらく後,残った植物に電極をつないで,6人の学生を次々とその植物の前を通過させました。
植物は,はじめのうちは何の反応もしませんでしたが,“犯人”が見えると,直ぐに計器の針が激しく揺れ動きました。
やはり,植物には感情も記憶もあるとしか考えられません。
私の記憶に間違いなければ,この「バクスターの実験」はその後,多くの研究者によって行われ,ほぼ同様の結果を得たようです。
もし,上の実験で植物が自分の周囲で起こったことを“感じ”たり,怒りや恐怖を感じたり,記憶さえもっているとしたら,
植物にも中枢神経(部分的な刺激・反応ではなく,生命体全体に指令を与えるる神経系)器官がそなわっていることになります。
あるいは少なくとも中枢神経に相当する何らかの組織や器官,システムがなければなりません。
しかし,私たちの常識や科学的知識では,中枢神経系は動物にしかないと認識しています。
これにたいして,『植物の魔術』を書いたフランス人,J.ブロスは,つぎのように書いています。
結局,植物の感受性すなわち,植物が示す「知性」,「記憶」は植物の要求を察して育てる述を知っている
真に植物を愛する人々にとっては何も目新しいことではない。そうして植物を育てた結果,門外漢を驚かせることになり・・・・・・・。
といのも,この力が推論や外から得た知識から生じるのではなく,植物の「欲望」の直感的把握からきていることを表しているからだ。
植物がこうした深い理解をちゃんと感じとり,満足するだけではなくいわば「感謝」をも表すということは,
何度も自分が世話をした結果を観察してきた人々に疑いのないことなのである。
だが,彼らはこのように信じているとはっきり言うのははずかしいと思っていたようで,それほど社会通念とはかけ離れていたわけだが,
たぶん科学がこの考えに堅固な根拠を与える時がやってくるだろう。(142-43ページ)
このように考えると,ところで,私たちは植物についてどれほど知っているのか,思いこみや常識を取り除いて考えてみる必要がありそうです。
私たちは,「動物」という言葉が「動く物」という意味であることの対比で考えると,私たちは,「植物」とは「植物人間」という言葉が表すよ
うに,動かない生物だと認識しています。
確かに,植物は動物のように自由に動き回ることはできませんが,根がアスファルトを持ち上げてしまう事実は,移動はできないが力強い動きを
想定させます。
植物には声帯がないから声を出すこともできません。とうことは,聴覚器官ももたないということです。
動物と植物の違いは挙げてゆけば切りがないほどたくさんあります。
しかも私たちは,植物は動物よりも進化が遅れていると考えがちです。
しかし,ブロスが言うように,ある種の「進化」と思われるものは同時に退化と考えることもできます。
植物から動物への過程はは,最初は獲得ではなく喪失となって現れる。光合成の能力が失われ,光合成とともに独立栄養性が失われた。
その結果,動物は補食の役割を余儀なくされた。また,雌雄性と引きかえに,植物のもつ無性生殖の能力が失われた。そして最後には,
とうとう植物の硬さのもと,細胞レベルでいわば骨組みとなっている細胞壁を失ってしまった。これに関しては,動物の細胞が,
当初は病気の細胞や衰えた細胞だったことが明らかになっている。(10-11ページ)
ここで,植物の独立栄養性とは,他の生命に依存しないで,自ら栄養と体を作る能力のことです。
植物は,太陽エネルギーを利用して,水と光と空気中の炭酸ガスを材料として糖(澱粉や炭水化物など),タンパク質,
脂肪を作り出す地上で唯一の生命体です。
これは,光合成あるいは炭酸同化作用と呼ばれる能力です。
植物にこれらの活動ができるのは,葉緑体(クロロフィル)をもっているからで,動物に葉緑体はありません。
全ての動物は,自らこのように栄養素を作ることができないので,植物が作った一次栄養素を取り込んだり,
肉食動物のように草食動物が生産した栄養素を食べることで,自らの生命を維持します。
このため,動物は文字通り,動き回って食物を確保しなければなりません。
繁殖の問題を考えると,植物のほとんどは雌雄同体ですが,動物は雌雄が分かれているいるので,
繁殖のためにも相手を見つけるために移動する必要があります。
もちろん,動物にもメリットはあります。別々の遺伝子をもった雌雄が結合することによって,多様性や適応力を増すことができます。
こうしてみてくると,動物と植物とでは,生命を維持する羽こと,子孫を残すこと,という生命体にとって最も重要な課題に関する限り,
植物の方が独立性が高い,ということができます。
植物には肺も鰓という,特別な呼吸器官もないのに呼吸をし,胃や腸などの消化器官もないのに,根から水分と栄養を吸い上げて吸収
する能力があります。
人間は呼吸のために肺を,消化のために胃腸や膵臓や肝臓,胆嚢などの消化器官を,そして栄養の配分のために心臓と血管という,
大きな臓器をたくさん持つ必要があるのです。
また,根から吸い上げた水分を,毛管現象と浸透圧の力を利用して,20メートルあるいはそれ以上の高いところに送り届けます。
こうした植物の効率的な生命維持能力と繁殖方法をみると,なんだか植物の方が動物より効率な生命体にみえてきます。
そして,いまさらながら,植物にたいする尊敬の念さえ生まれてきます。
次回は,諸物の不思議についてさらに最近の研究を紹介したいと思います。
(注)
バクスターの実験に関しては,C・バクスター『植物はきづいている バクスター氏の不思議な実験』(穂積由利子訳),教文社,2005年を参照されたい。
また,バクスターの実験の紹介も含めて,本記事では,J・ブロス『植物の魔術』(田口啓子・長野督訳),八坂書房,1994年から引用,
参考にしました。
前回は,“自死”する松の話を書きました。
この松は,目の前で値段を付けられて,人間でいえば“憤死”ともとれる枯死をしました。
もちろん,松が枯れたのは,単なる偶然だと考えることもできるし,その方が“常識”的には受け入れやすいでしょう。
第一,植物が人間の言葉を理解したり,感情をもっているということは,とうてい受けいれがたいからです。
ところが,そう決めつけることはできない出来事が,今から45ほど前の1969年にアメリカで起こりました。
フランス人ジャック・ブロスにしたがって,紹介しておきましょう。
この年,警察で検流計による嘘発見器の優秀な専門家であったクレーヴ・バクスターは,突飛な思い付きで,一見,非常識なことをやりました。
ある日彼は,電極を部屋に飾ってある,水をやったばかりの植物に嘘発見器の電極をつなぎました。
驚いたことに,嘘発見器の針は直ぐに反応しました。計器は,感情的な刺激を与えられた人間に電極をつないだ時の線と全く同じような,
ギザギザのグラフを描き始めたのです。
驚いたバクスターは,他の種類の植物でも何回か実験しましたが,ますます驚くべき結果を目撃することになったのです。
目の前で小エビが熱湯に入れられると植物は反応したり,血を見てさえ反応しました。
バクスターはさらに,植物には感情があるだけでなく,その感情を覚えてさえいることを証明する実験もあります。
バクスターは6人の学生を集めて目隠しをし,帽子に入れた四つ折りの紙切れを一つ選ばせました。
その内の一枚には,二本の植物がある部屋へ行って,片方の植物を引き抜いて完全に潰れるまで踏みつけて,
そのことを他の人たちに言ってはいけないと指示しました。
こうすることで,この木の殺戮の唯一の証人は隣に置いてあった植物という状態を作ったのです。
6人がそれぞれ部屋に入って出たしばらく後,残った植物に電極をつないで,6人の学生を次々とその植物の前を通過させました。
植物は,はじめのうちは何の反応もしませんでしたが,“犯人”が見えると,直ぐに計器の針が激しく揺れ動きました。
やはり,植物には感情も記憶もあるとしか考えられません。
私の記憶に間違いなければ,この「バクスターの実験」はその後,多くの研究者によって行われ,ほぼ同様の結果を得たようです。
もし,上の実験で植物が自分の周囲で起こったことを“感じ”たり,怒りや恐怖を感じたり,記憶さえもっているとしたら,
植物にも中枢神経(部分的な刺激・反応ではなく,生命体全体に指令を与えるる神経系)器官がそなわっていることになります。
あるいは少なくとも中枢神経に相当する何らかの組織や器官,システムがなければなりません。
しかし,私たちの常識や科学的知識では,中枢神経系は動物にしかないと認識しています。
これにたいして,『植物の魔術』を書いたフランス人,J.ブロスは,つぎのように書いています。
結局,植物の感受性すなわち,植物が示す「知性」,「記憶」は植物の要求を察して育てる述を知っている
真に植物を愛する人々にとっては何も目新しいことではない。そうして植物を育てた結果,門外漢を驚かせることになり・・・・・・・。
といのも,この力が推論や外から得た知識から生じるのではなく,植物の「欲望」の直感的把握からきていることを表しているからだ。
植物がこうした深い理解をちゃんと感じとり,満足するだけではなくいわば「感謝」をも表すということは,
何度も自分が世話をした結果を観察してきた人々に疑いのないことなのである。
だが,彼らはこのように信じているとはっきり言うのははずかしいと思っていたようで,それほど社会通念とはかけ離れていたわけだが,
たぶん科学がこの考えに堅固な根拠を与える時がやってくるだろう。(142-43ページ)
このように考えると,ところで,私たちは植物についてどれほど知っているのか,思いこみや常識を取り除いて考えてみる必要がありそうです。
私たちは,「動物」という言葉が「動く物」という意味であることの対比で考えると,私たちは,「植物」とは「植物人間」という言葉が表すよ
うに,動かない生物だと認識しています。
確かに,植物は動物のように自由に動き回ることはできませんが,根がアスファルトを持ち上げてしまう事実は,移動はできないが力強い動きを
想定させます。
植物には声帯がないから声を出すこともできません。とうことは,聴覚器官ももたないということです。
動物と植物の違いは挙げてゆけば切りがないほどたくさんあります。
しかも私たちは,植物は動物よりも進化が遅れていると考えがちです。
しかし,ブロスが言うように,ある種の「進化」と思われるものは同時に退化と考えることもできます。
植物から動物への過程はは,最初は獲得ではなく喪失となって現れる。光合成の能力が失われ,光合成とともに独立栄養性が失われた。
その結果,動物は補食の役割を余儀なくされた。また,雌雄性と引きかえに,植物のもつ無性生殖の能力が失われた。そして最後には,
とうとう植物の硬さのもと,細胞レベルでいわば骨組みとなっている細胞壁を失ってしまった。これに関しては,動物の細胞が,
当初は病気の細胞や衰えた細胞だったことが明らかになっている。(10-11ページ)
ここで,植物の独立栄養性とは,他の生命に依存しないで,自ら栄養と体を作る能力のことです。
植物は,太陽エネルギーを利用して,水と光と空気中の炭酸ガスを材料として糖(澱粉や炭水化物など),タンパク質,
脂肪を作り出す地上で唯一の生命体です。
これは,光合成あるいは炭酸同化作用と呼ばれる能力です。
植物にこれらの活動ができるのは,葉緑体(クロロフィル)をもっているからで,動物に葉緑体はありません。
全ての動物は,自らこのように栄養素を作ることができないので,植物が作った一次栄養素を取り込んだり,
肉食動物のように草食動物が生産した栄養素を食べることで,自らの生命を維持します。
このため,動物は文字通り,動き回って食物を確保しなければなりません。
繁殖の問題を考えると,植物のほとんどは雌雄同体ですが,動物は雌雄が分かれているいるので,
繁殖のためにも相手を見つけるために移動する必要があります。
もちろん,動物にもメリットはあります。別々の遺伝子をもった雌雄が結合することによって,多様性や適応力を増すことができます。
こうしてみてくると,動物と植物とでは,生命を維持する羽こと,子孫を残すこと,という生命体にとって最も重要な課題に関する限り,
植物の方が独立性が高い,ということができます。
植物には肺も鰓という,特別な呼吸器官もないのに呼吸をし,胃や腸などの消化器官もないのに,根から水分と栄養を吸い上げて吸収
する能力があります。
人間は呼吸のために肺を,消化のために胃腸や膵臓や肝臓,胆嚢などの消化器官を,そして栄養の配分のために心臓と血管という,
大きな臓器をたくさん持つ必要があるのです。
また,根から吸い上げた水分を,毛管現象と浸透圧の力を利用して,20メートルあるいはそれ以上の高いところに送り届けます。
こうした植物の効率的な生命維持能力と繁殖方法をみると,なんだか植物の方が動物より効率な生命体にみえてきます。
そして,いまさらながら,植物にたいする尊敬の念さえ生まれてきます。
次回は,諸物の不思議についてさらに最近の研究を紹介したいと思います。
(注)
バクスターの実験に関しては,C・バクスター『植物はきづいている バクスター氏の不思議な実験』(穂積由利子訳),教文社,2005年を参照されたい。
また,バクスターの実験の紹介も含めて,本記事では,J・ブロス『植物の魔術』(田口啓子・長野督訳),八坂書房,1994年から引用,
参考にしました。