大木昌の雑記帳

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「物語り(ナラティヴ)」による医療-医療思想の革命-

2012-12-18 23:47:32 | 健康・医療
「物語り(ナラティヴ)」による医療-医療思想の革命-


今,医療の現場で静かですが,革命的とも言える根本的な変化が起こりつつあります。

この変化を一言で言えば,「証拠に基づく医療(Evidence Based Medicine)」から「物語りに基づく医療( Narrative Based Medicine)」への変化です。

もっとも,この変化を「革命的」と考えているのは,私だけかも知れません。

この医療の方法について説明する前に「物語り(ナラティヴ)」といういう言葉の意味を簡単に説明しておきます。

私たちが,何かを理解し説明する仕方には大きく二つの道があります。

すなわち「科学的理解」・「科学的説明」と「物語的理解」・「物語的説明」です。

科学的説明とは,普遍性,一般性,客観性,必然性から物事を説明することです。

最も分かり易い例を示せば,リンゴが木から落ちることを,万有引力の法則から説明することです。

科学的説明とは,物事を必然の世界で説明することです。

こうした説明は「科学の物語」ということもできます。

これにたいして「物語的説明」は,必然性だけでなく,偶然性をも含んだ物事の展開から説明することです。

ある事件が起きたとき,これまで確認されている科学的法則を当てはめて事態を説明しようとします。

たとえば,家庭環境にこういう問題があると人間はこういう行動をする,あるいは,性格にこんな傾向が生ずると
いった具合です。

しかし,同じような境遇にあっても事件を起こさない人が大半なのに,なぜこの人だけが事件を起こしてしまった
のか,という疑問も生じます。

そこには,必然や法則だけではとても説明がつかないような,「偶然のいたずら」「運命のいたずら」も関わって
います。

このような時,偶然も含めてその人がたどってきた物事の展開を,一貫性をもったひとつのまとまりとして描かれた
世界が「物語」です。

言い換えると,物事の「物語」を理解して,「なるほど,そういうこともあり得るな」というふうに了解を可能
にする説明が「物語的説明」です。(注1)

自然現象と異なり,人間の思考や行動について,科学的・普遍的な説明だけでは理解できないことの方が多いので
はないでしょうか。

私たちは,ある事件や事態を一つの繋がりをもった「物語」として描くことができたとき,それらを理解したと
感じます。

逆に描けなかった時は不可解となるのです。

つまり,「物語」は,混沌とした世界に意味の一貫性を与え,了解可能なものしてくれるのです。

ここで,「物語」についてもう一つ基本的な点を整理しておきます。

「物語」の最小限の要件は,複数の出来事(思いや感情も含めて)を時間の流れにそって並べ順序関係を示した
ものです。

これにはストーリー(a)とプロット(b)があります。

(a) 王様が亡くなりました。そして王妃様の亡くなりました。
(b) 王様が亡くなりました。そして悲しみのあまり,王妃様も亡くなりました。

(a) の文章を聞いている方は「ふ~ん,それで?」という反応しか出てきません。

(b) の文章では,王妃様が亡くなったのは,悲しみのためだった,という事情を聞いて,“なるほど”と事態の全体を
了解します。

ここで私たちは,王様の死と王妃の死との関係がはっきりと理解できるのです。

つまり,「物語」の重要な点は,物事を「つなげる」ことなのです。

「物語り(ナラティヴ)」とは,ストーリーとプロットを含んだ概念です。

さらに,「物語り」は,「物語そのもの」(story) と「物語を語る」(story telling) の両方の意味を含みます。

ところで,上に述べた「物語り」が医療とどういう関係があるのでしょうか。

前者の「証拠に基づく医療」とは,確かな科学的な証拠に基づく医療という意味です。

通常の,いわゆる西欧医学は自然科学として,実験と観察による検証を経て,客観的な理論を構築し,治療方法を
発展させてきました。

体の不調があって病院に行くと,血液,尿,血圧,体温,心電図,レントゲン写真,時にはCTやMRIといって
高度な検査機器で,検査を受けます。

これらの結果は体の異常の正体を判断する際の確かな「科学的なデータ」つまり,「証拠」として用いられます。

そして,「病名」が付けられ,それに対する標準化された治療なりケアが行われます。

これが,通常の治療プロセス,科学的証拠に基づく「医学の物語」です。

そして,医者は次に,医学の物語を借りて,「医者の物語」を患者に告げ,多くの場合,一方的に押しつけます。

そして患者も医者の物語を概ね受け入れます。

しかし考えてみると,患者は患者で医者とは異なる人生についての物語,「人生物語」をもっているはずです。

たとえば,当の患者は,現在どのように感じ,その病気をどのように意味づけ,家族との関係をどのように考え,
治療について何を望んでいるのかなどをえているはずです。

しかし従来の医療では,患者の物語が十分に考慮されることはほとんどありません。

物語に基づく医療の発端となったのは,心の病,精神疾患の治療現場でした。

従来は心の病を,心理学理論に基づいて診断し,つまり「医学化」し,科学的な「医学の物語」として治療が行わ
れてきました。

しかし,90年代以降,ナラティヴ・セラピーが注目を集めるようになりました。

それは,セラピストが患者の物語を十分に聞き,クライエント(サイコセラピーでは「患者」という言葉ではなく,
クライエントという言葉を使う)と共同で「人生物語」を構成してゆく実践です。

セラピストとクライエントの関係は,物語の「共著者」に例えられます。

従来,セラピスト・医者とクライエント・患者は上下関係でした。

ナラティヴ・セラピーはこの関係を根本的に変えてしまったのです。

というのも,さまざまな実践の場で,この方法によりクライエントは,自らの苦悩,迷い,希望などを自由に語る
ことにより,「自己に関する物語」を構成しやすくなることが分かったからです。

ここで,ナラティヴのもう一つの側面である,「物語る(story telling)」ことの大切さが発揮されるのです。

心の病の治療に対してナラティヴ・アプローチの有効性が認知されるようになると,これは全ての医療やケアにも
有効ではないか,という方向に発展してきました。

たとえばあなたが医者に“がん”であることを告知されたとしましょう。

一般的な治療のプロセスは,まず医者がさまざまな検査結果と症状から,あなたのがんが,どこの臓器にどれほどの
範囲で,どの程度の進行しているかを“科学的”,“客観的”に説明します。これは

そして,この病状にたいして,どのような治療方法があり,多くの場合医者は,この病状に対する「標準的な」
治療方法を薦めます。

しかし,ナラティヴ・アプローチでは,まず医師は,患者がどんな人生物語をもっており,現在の病をその物語の中
にどのように位置づけ,これからどんな治療を望んでいるのかを一緒に考えてゆきます。

こうした物語を語ってゆく過程で患者は,自分が本当に悩んでいること,望んでいることを,自分自身で確認し,
新たな人生物語を構成する事ができるようになるのです。

医師の役割は,そのプロセスを一緒に考えて,物語の構成の手助けをすることになります。

これも,従来の医療とは根本的に異なります。

残念ながら,現在の日本では,このような医療はあまり実践されていませんが,私は,これこそ医療の原点だと思います。

ナラティヴ・アプローチは,今では医療の領域に留まらず,人類学,社会学などの分野にも及んでいます。

これらについては順次,書いてゆきたいと思います。



(注1)今回の記事に関しては,野口裕二 2002 『物語としてのケア―ナラティヴアプローチの世界へ―』医学書院
    ―――― 2005 『ナラティヴの臨床社会学』 勁草書房
    グリーンハル,トリシャ,ブライアン ハーウィッツ(編) 2004(2001) 『ナラティブ・ベイスト・メディスン―臨床における物語と対話―』
    (監訳者 斎藤清二,山本和利,岸本寛史),金剛出版
    を参考にしています。



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