atakaの趣味悠久

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黒岩涙香 「人外境(にんがいきょう)」(2)

2020年04月21日 21時01分11秒 | 日記


**4月21日 黒岩涙香の作品の17作目「人外境(にんがいきょう)」を現代文に直したものの連載第10回を掲載しました。


**新聞「萬朝報」に明治29年(1896年)3月 7日から明治30年(1897年)2月26日まで連載されたもので、作者 アドルフ・ペローの「黒きビーナス」の訳です。


**例によって登場人物は日本人の名前に成って居ます。


**原文が難しい漢字や漢字の当て字を多く使っていること、旧仮名表記なので、現在の漢字や仮名表記に直しました。


**難しい漢字の熟語は読みずらいかも知れませんが、文中に()と《》で読みと意味を記しました。


 


**人外境(にんがいきょう)のあらすじ(2)


芽蘭(ゲラン)男爵夫人は心の整理をするためアフリカに夫男爵の死に場所確認と、その墓参りに行くことにする。  


**ゲラン男爵夫人に思いを寄せている茂林、平洲は芽蘭夫人に付いてアフリカに一緒に行く事にする。


**茂林はアフリカに一緒に行く医師として博打好きな寺森医師を取り込んだ。


**アフリカに一緒に行くのは茂林、平洲、茂林の下僕與助、芽蘭夫人の侍女としての帆浦女、医師としての寺森と言うことに成った。



 


**この「人外境」の話が荒唐無稽な話に思えたので、話の信憑性を確かめるため、リビングストンの「リビングストン探検記」やスタンレーの「暗黒大陸」を読んで見た。リビングストンの探険は1850年代、スタンレーのアフリカ探検は1870年代だった。この「人外境」がかかれたのが1890年代で、小説なので創作した部分も多いと思われるが、「人外境」に書れているアフリカの実態は「リビングストン探検記」、スタンレーの「暗黒大陸」に書かれている事とあまり変わっていなかった。 
 155回と長い小説だが1850年代のアフリカの様子が分かる話なので、コロナ騒動で外出自粛とも相まって訳す事にした。
 1850年代のアフリカはこれくらいの理解度だったのかと再認識した。

今から150年前のアフリカはこんなだったのかと思う事ばかりだった。  





 黒岩涙香の「人外境」を読む方は下の
「トシのウォーキング&晴耕雨読」のURLから
 お入りください。
  直接「トシのウォーキング&晴耕雨読」の「人外境」に入る方は、下の青文字「人外境」からお入りください。
    

「人外境」





 他に、鉄仮面、巌窟王、ああ無情など黒岩涙香の16作品を掲載しています。コロナウェルスで図書館も閉館に成って居ます。ぜひこの際、黒岩涙香の作品を読んで見て下さい。
 まだ、噫無情(ああむじょう)を「銀の皿」を盗む話だと思って居る方はぜひ下の青文字「ああ無情」クリックし、お読みください。
 今、毎週日曜日の夜、11時からNHKで「レ・ミゼラブル」を放映して居ますが、黒岩涙香のこの「ああ無情」を読んだ方が、映像で見るよりももっと情景が鮮明に目に浮かんで来ます。黒岩涙香の文章の描写力のすごさを感じます。

 黒岩涙香の「噫無情」を読む方は下の 
 「噫無情」をクリックするか下のURLの
 「トシのウォーキング&晴耕雨読」からお入りください。
  http://www.tosi-w.com/
  

「噫無情」






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