富岡製糸場世界遺産伝道師協会 世界遺産情報

「富岡製糸場と絹産業遺産群」は日本で初めての近代産業遺産として2014年6月25日付でユネスコ世界遺産に登録されました。

サントリー地域文化賞」を受賞  素晴らしい授賞式でした

2015年10月05日 22時16分08秒 | 世界遺産伝道師協会

サントリー地域文化賞」を受賞

 

 9月30日(水)午後5時から、東京都港区赤坂のANAインターコンチネンタルホテル東京で「サントリー文化財団」(鳥井信吾理事長)よる第37回「サントリー地域文化賞」の贈呈式が行われました。今回の受賞は「富岡製糸場世界遺産伝道師協会」をはじめ、全国から5団体の活動が顕彰されました。

 富岡製糸場世界遺産伝道師協会の受賞理由は、「富岡製糸場と絹産業遺産群」の文化的価値を伝える活動が世界遺産登録として結実し、地域の活性化にも繋がっている点が高く評価されたこと、また。選考委員の法政大学田中優子総長は選評で、『富岡製糸場世界遺産伝道師協会がサントリー地域文化賞に選ばれたのは、なによりも市民自身が内発的にこの活動をおこない、広めているからである。 世界遺産に向けての活動はどうしても行政主導になりがちで、委員会なども外部の人たちを多く入れて行政のもとで構成される。しかし、その土地の価値をどう伝えるかは、そこに生き、日々の暮らしのなかで地域の自然と文化の価値を深く理解している人々の言葉や表現にかかっている。それは実際に、そこで生活する人々に向けてであっても、外からやって来る人に対してであっても、同じであろう。 その土地の人々は、その場所の価値に無関心でいることが多い。外部からやってくる人は表面しか見ない。ではいったい誰が伝えるのか? 学びつづけ、見つめつづけ、自覚をもった地元の市民である。私は多くの場所で、そういう人々からその地域のさまざまな価値を教えられ、日本について理解を深めていった。それは文献で江戸時代を学んできた私にとって、目の前のことが歴史と不可分であることに気付く衝撃的な体験ばかりであった。 しかし、ほとんどの場合、その語り手たちは孤立し、生涯の趣味あるいはつとめとしてそれを行っているのであって、その気持ちが途絶えることが気になった。伝道師協会は土地の理解者を生涯支え、次の世代を生み出していくための「組織化」である。これは思いつかなかった。と同時に、この仕組みが全国に拡がれば、日本はずいぶん変わるだろうと思う。その活動は言葉での伝達だけでなく、繭や絹にかかわる体験や、催し物や、新しい場所や課題の発見など多岐にわたる。きっかけは世界遺産登録であったが、この活動は世界遺産地が衰微せず常に新しい活気を創り出していくために、今後、各地で必要である。また、世界遺産に限らず、たとえば限界集落や移住誘致をする地域においても有効である。日本各地に無数の誇れる要素がある。必ずどこでもおこなうことができる。このように伝道師協会は普遍的な価値をもっている。』と評しています。

 この贈呈式には、近藤会長ご夫妻と役員である13名の伝道師、それに伝道師協会と関係の深い方々として群馬県から笠原企画部長と布施世界遺産課長、さらに松浦県立女子大教授(前世界遺産課長)と田村県文化財保護審議会専門員また、県外の学者研究者で伝道師協会の研修等にご尽力いただいた方々の出席がありました。それに他の受賞関係者、政財界や文化団体の人たちが多数出席されました。

本受賞については、前号の伝道師通信(No115)で、近藤会長は、その受賞決定の喜びを語っておりますが、この日の受賞者スピーチに立った近藤会長は「世界文化遺産登録により、養蚕をはじめとする絹産業の価値を県民に身近な文化であることを気づかせることで、地域に自信と誇りを持てるようになりつつあるし、この受賞を機会に、さらに一層の活動を続けたい」と述べました。また、スピーチ前には、当協会を紹介する映像が流されました。

式典冒頭のあいさつで鳥井理事長は「絹産業遺産の価値を広めたことは、日本の成長戦略は経済のみではなく、このような文化の力、地域の力がなければ達成できない」と伝道師協会の活動に触れられ、称えてくれました。ちなみにサントリー文化財団の目的は『国際化、情報化、高度大衆社会の時代に応えて、それを支える学術研究の育成、文化活動の振興ならびに国際理解の推進に寄与することにあります。この趣旨に基づき、毎年、地域の文化向上に顕著な貢献をした個人・団体に対し、「サントリー地域文化賞」を贈呈する』としています。

式典後は、記念撮影、記念パーティー、懇親会が開催され、午後8時過ぎに終了となりました。

(S.N 記)

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現地学習会「みなかみ町・沼田市・昭和村」の絹産業遺産を訪ねる

2015年10月05日 22時01分33秒 | 世界遺産伝道師協会

現地学習会「みなかみ町・沼田市・昭和村」の絹産業遺産を訪ねる

 

9月25日(金)、近藤会長を始め21名の伝道師が車4台に分乗し、3か所の「ぐんま絹遺産」や大型養蚕民家を巡る学習会を行いました。

今回は町田睦伝道師・梅澤伝道師に講師を依頼しました。大降りではないものの一日雨という、現地学習会としては初めての天候でした。9時に蚕糸技術センターの駐車場を出発、関越道をみなかみ町に向かいました。

初めに宝台樹スキー場を目前にした道沿いにある雲越家住宅を訪ねました。みなかみ町教育委員会の田村さんが約1時間の道のりを解説に来てくださいました。

雲越家は明治20年(1887)に建築の中規模農家です。通風と採光のために左右の妻部を切り上げた「兜造り」で利根地方によく見られるものです。軒は2階の梁を約3尺突き出し、その軒裏に板を張って船造(せがいづくり)にしています。豪雪時には軒下を通路にするそうで、当家は前面と左右の三方を船造にしています。囲炉裏のある部屋は、煙を抜くため2階の床板を張らず、吹き抜けになっています。

かつては庭の南に養蚕用の建物があったそうです。明治30年生まれの雲越仙太郎は、物を大切にした自給自足の生活を貫き、昭和55年に84歳で亡くなりました。現在は「雲越家住宅資料館」として一般公開され、内部には当時の養蚕用具や農具など739点が展示されています。平成9年に国指定重要有形民俗文化財に指定されました。

みなかみ町から沼田市に移り、市内の食事処で昼食を摂った後、途中のリンゴ園で各自リンゴを購入。片品川の平出ダム近くにある「蚕神塔」に向かいます。十二山(じゅうにやま)神社の鳥居から少し登った崖の下に複数の石宮と並んで「蚕神塔」はあります。明治9年の造立ですが彫り面がとてもきれいです。

高さ約1.5㍍、円形の石に彫られた女神坐像です。右手に蚕の種箱、左手に桑の枝を持ち、左右に合わせて8粒の繭玉が彫られています。今年2月、「ぐんま絹遺産」に登録されました。

そこから数キロ先の林の中に、やはり2月に登録された「蚕影山宮の石宮」があります。安政7年(1860)、越後の国の石工によって作られた石宮を安置した小さな社殿は年3回、祭りなどの時だけ開帳されます。今回、町田伝道師の知り合いで平出歌舞伎保存会会長のO野さんが特別に開けてくださり、石宮の細かい彫刻も間近で拝観できました。

次に沼田市から昭和村に入ります。昭和35年頃までは養蚕農家の全盛でしたが、現在は養蚕をしている農家はありません。しかし、関越自動車道近くの糸井地区を中心に様々な形をした養蚕民家の集落が見事な景観を呈しています。  

U澤伝道師が推奨し、前もって連絡をとってある2軒の養蚕民家を訪ねました。まず林家ですが、明治5年の建造で間口15間半という県内最大級の木造総2階建です。総櫓の上に4ツ櫓を設けるという他に見られない珍しい構造です。屋根は当初の茅葺きから現在はトタンに葺き替えられています。通りから望むと建物南にある白壁の土蔵とマッチして素晴らしい景観です。

U澤伝道師の計らいで広い座敷に上げていただき、ご主人・U澤伝道師・M田伝道師から当家の説明がありました。2階で蚕を飼い、総櫓の部分は上簇に使用したそうです。ご主人が畳の上に家相図を広げて説明、参加者は取り囲み、感心して見入りました。

林家を辞して次の養蚕民家、高橋家に向かいます。村内には櫓に代わる煙突状の空気抜きの上がった養蚕民家も見受けられ、参加者は目が離せません。

橋家は明治20年頃の建築で、木造総2階建、当初の板葺屋根をトタン屋根に葺き替え、総櫓の両側に小さな櫓が載るという他では見られない構造です。ここでもご主人・U澤伝道師・M田伝道師から説明していただきました。蚕室だった2階は窓が小さめで、白壁に格子状の木組みが他の重々しい養蚕民家に比べ、軽快で優美な外観です。

当家を辞した後、近隣に存在する大型養蚕民家群を見学し、心も満たされた思いの中、一路蚕糸技術センターに向かいました。

最後に、みなかみ町教育委員会の田村さん、平出歌舞伎保存会会長のO野さん、林家・高橋家のご当主、わかりやすい解説で好評だったM田伝道師・U澤伝道師に感謝いたします。

        (Y.I 記)

 

 

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世界遺産登録一周年記念事業 モニターツアーで伝道活動

2015年10月05日 21時37分36秒 | 世界遺産伝道師協会

世界遺産登録一周年記念事業

モニターツアーで伝道活動

 

世界遺産登録一周年記念事業が10月2日~4日の三日間開催される。

初日の2日(金)、田島弥平旧宅・高山社跡・荒船風穴の3資産を日帰りで巡るシルクカントリーぐんまモニターツアー「世界遺産物語」に4コースがあり、私はツアーⒶ「ぶらり半日世界遺産」(高山社跡と田島弥平旧宅を巡るコース)に柳澤理事と添乗しました。

 13時にJR高崎駅に集合、参加者は21名、明日の「絹の国サミット」で事例発表される原田和彦氏と谷本進氏と千葉県からの1名を除くと皆さん県内からの参加であった。

 バス車内で自己紹介と伝道師協会を紹介し、解説員と内容がダブらないよう留意しつつ車内では解説を行い、またDVD2本(富岡製糸場と絹産業遺産群、カイコの一生)も視聴いただいて、見学後には感想と質問を受ける役割です。柳澤理事と事前に分担を決めバスに乗り込みました。

 最初は高山社跡、解説は一階だけで終わり、二階は解説しないので自由に見学してくださいということでしたので、二階の解説は我々が行いました。

 次の田島弥平旧宅では解説員による外観見学を行いました。

二つの資産とも見学時間は40分間ということで、時間が少し短いと感じました。

 見学後は補足説明を行い、次いで参加者アンケートを実施、そうこうするうちに高崎市内に入りましたので、“お別れ挨拶”を行い到着予定の17時20分前にJR高崎駅に到着。

 下車後、谷本様から何点かの質問を受けましたのでY澤理事と二人で対応させていただきました。

 晴天の中、無事行程を終了しましたのでホットしつつ帰路に着きました。(K.K 記)

 

Dコースの終了報告
 
    本日の「モニターツアー D コース」(高山社跡・競進社等)
   は無事終了しました。
 
    参加者14名(うち3名は、伝道師)です。14名全員が群馬県内からでした。
 
    天気の良いのが何よりで、皆さん秋の一日を楽しんでいたようでした。
 
    以上無事終了した報告まで。
 
                        10月2日  Y.I
 
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