岡谷・諏訪方面現地研修会
9月11日(木)、46名(事務局1名含む)の参加を得て、平成26年度第3回研修会が行われました。研修場所は「市立岡谷蚕糸博物館」「(株)宮坂製糸所」「旧片倉本部事務所(中央印刷(株)」「初代片倉兼太郎生家」「片倉館」です。
高崎駅を7時50分に出発し、10時半ころには「市立岡谷蚕糸博物館」へ着きました。車中では数冊の本の紹介があった後、町田企画部長から見学場所の概要の説明を聞き、事前学習を行いました。
「岡谷蚕糸博物館は、明治から昭和にかけて岡谷が日本製糸業の近代化を担った歴史と精神を後世に伝えようと、1964年(昭和39)に開館。蚕種、養蚕、製糸に関する機械類、標本、記録資料など約3万点を超える資料が収蔵・展示されています。平成26年8月1日に岡谷市郷田の旧農業生物資源研究所跡地へリニューアルオープンしました。製糸器械の発展が実物を時系列で展示し、技術革新が目で追いかけられること、そしてその中のいくつかは、隣に併設された宮坂製糸所で操業していることで大変充実した学びの時間を持つことが出来ます。
岡谷市は製糸に必要な水が諏訪湖から大量に入手できたことなどにより、明治8年には製糸工場が約200、女工は4万人までに栄えました。その後の昭和恐慌で倒産していき、昭和30年代には『東洋のスイス』といわれるまでに精密機械工業で復活を遂げていきました。
昭和14年に片倉組(現・片倉工業)が富岡製糸場を合併するまでに、2回、富岡製糸場の払い下げの入札に挑戦したが失敗し、初挑戦から48年かかって手に入れた」ということなどを説明していただきました。
博物館内は高林千幸館長が実物を見ながら丁寧で分かりやすく解説をしてくださいました。最初に見たものは、官営富岡製糸場の創業時に使用していた生糸の水分検査器です。館長が検査器の胴体に「鶴亀、松竹梅」がフランスで描かれたということを説明してくれました。明治5年に創業した富岡製糸場で使用したフランス式繰糸機、明治8年に武居代次郎がフランス式とイタリア式の良い所を取って開発した諏訪式繰糸機の説明や、1909年(明治42)に日本が中国を抜いて世界一の生糸輸出国となるまでの経過などを約50分に亘ってお聞きしました。
壁面には「1910年(明治43)、製糸家が共同出資して働く人たちの診療を主とする平野製糸共同病院を設立した」ときの写真や岡谷の年表などがあり、繰糸機や繰糸器具などが展示されています。
館内には岡谷市東銀座にあった「宮坂製糸所」がそのまま入り、上州式座繰り器などで糸を取る様子を見学できました。このような動体博物館は世界に例がないとのことです。
90分の見学が終わり、隣接する岡谷商工会館で歓談しながら昼食を摂りました。午後は片倉関連の研修です。
最初に旧片倉組本部事務所を訪ねました。1910年(明治43)に片倉組の事務所として建築され、初代、二代片倉兼太郎の活躍の拠点となりました。明治時代に建てられたレンガ造りの数少ない製糸工場事務所で、平成8年に国登録有形文化財に登録されました。現在は片倉工業株式会社の印刷部を継承した中央印刷株式会社の事務所として使用されています。平成24年5月の研修では内部も写真撮影が出来ましたが、今回は禁止となっていました。
初代片倉兼太郎の生家は事務所から歩いて5分くらいの場所にあります。約450坪の敷地に150坪ほどの茅葺き屋根の建物で200年以上経過しているということです。平成11年7月、国の登録有形文化財に登録されています。
初代片倉兼太郎・1849年(嘉永2)~1917年(大正6)は、明治、大正時代の代表的製糸家で「製糸王」と称されました。その足跡は次の通りです。
「1873年(明治6)、豪農片倉市助が自宅の敷地内に10人取りの座繰り製糸を始めた。長男の兼太郎が明治9年に家督を相続し、明治11年には天竜川畔に水車を動力源とする洋式器械製糸32釜の垣外(かいと)製糸場を創業した。
翌年、仲間と開明社を結成し、明治27年、開明社から分出して天竜川畔に360釜を有する大規模な三全社川岸製糸場を建設した。次の年、一族で片倉組を結成し組長となり、以後、片倉組は年々規模を拡大し、長野県外にも製糸場を数多く有し、大正6年には工場20余、釜数1万を数え、わが国製糸業界の筆頭に躍り出た。大正6年に兼太郎が没した後も、会社は片倉紡績(株)・片倉工業(株)として発展していった」。
最後の見学地は諏訪市湖岸通りにある国指定重要文化財の片倉館です。以下は敷地内の案内板より抜粋。
【片倉館は昭和3年(1928)に、当時日本の代表的製糸業者片倉家が、地元の人々の福祉施設として建設した温泉浴場です。
建物は日本の浴場では稀な西洋風に設計され、尖塔と煙突、傾斜の強い屋根は、非対称の美を表現し、ヨーロッパの古都を思わせます。また内部には動物意匠の装飾、ステンドグラスのはめ込みなど、童話風の趣があります。建物の基礎は湖岸の軟弱地盤に適する工法が採用され、今日まで耐震性の強さを証明しています。
設計者は森山松之助で、台湾総督府などの建築を手がけた昭和初期の建築家です。
指定平成23年6月20日 諏訪市教育委員会】
浴場棟には入りませんでしたが、背景にして集合写真を撮りました。その後、会館棟の内部へ入ると、外から見ると洋風でしたが、中は純和風に出来ていました。その違いに驚くように設計されているということです。大広間の舞台へ上がると、目の前の諏訪湖が一望できます。皆が舞台へ上がったところで集合写真をパチリ。良い記念となりました。
見学場所では雨に降られることなく全行程を終え、一路、高崎駅へと向かいました。
近藤会長が「片倉のルーツを訪ねる良い研修でした。大きな成果を上げることが出来て感謝しています。活動時に役立てていただければ有り難いです」と結びました。
駅には予定通り19時20分に到着し解散となりました。
(Y.N 記)