富岡製糸場世界遺産伝道師協会 世界遺産情報

「富岡製糸場と絹産業遺産群」は日本で初めての近代産業遺産として2014年6月25日付でユネスコ世界遺産に登録されました。

保存整備工事を完了した“西置繭所”を見てきました。

2020年10月19日 09時53分29秒 | 世界遺産伝道師協会

保存整備工事を完了した“西置繭所”を見てきました。

 

 世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産である富岡製糸場の“西置繭所”(国宝)は、保存整備工事が平成27(2015)年1月末に始められ、令和2(2020)年4月末に5年余を経て完了しましたが、新型コロナウイルス感染症対策のため、開館が延びて、この10月3日(土)にグランドオープンをしました。これを期に10月13日(火)の午後に出かけてきました。

(回収後の西繭置所の外観)

 西置繭所は、文化財建造物としての保存修理、耐震補強と新たに公開活用をしていくための手立てなど、3つのことを同時に進めることで、その魅力を活かすことを目指しての保存整備工事が行われたとのことだそうです。

この工事に当たっては、事前に綿密な建物調査と史料調査という重要な作業があったとのことと文化財的価値を損なうことのないよう慎重に進められたこのことです。

(1F案内板)

そして外観は建設当初の姿を維持しながら、生糸生産の最盛期(昭和49年)の姿に復旧するとの方針で、その内容を変更するときは、国の文化審議会において審議していただき許可を受けたとのことです。

西置繭所の使われ方の変遷について、1階の建設当初は「繭取扱・糸取扱・石炭置場」として、明治29年頃には「揚返場・選繭場・束装場」として、大正8年以降には「貯繭場・繭買入場」として、そして昭和41年には「貯繭場」へと変化をし、それに合わせて床、壁、建具などが改造されてきたとのことです。2階は、一貫して繭の貯蔵がされてきましたが、建設当初は「窓を開放して通風により繭を乾燥し保管」してきました。その後の乾燥技術の発達により貯蔵方法が「完全乾燥後の繭を袋詰めに密閉して保管」に変わり、これが改造のきっかけとなり棚や仕切り、そして壁などの造作が改良されてきようです。

(1Fギャラリー 製糸場の歴史パネル)

保存活用にあたっては「ハウス・イン・ハウス」という手法を採用して、本来の工場としての機能を失った大規模な建物を人の活動に合わせて使いやすくしたり効率的に利用したりするために既存の空間に、新たな「箱」を内部に設ける手法が用いられています。この新たな「箱」の構造は耐震補強を兼ねるよう工夫されておりますが、「補強材」という印象はあまり感じられません。保存、耐震、活用が成り立つようになっているとのことです。

(1F多目的ホール)

保存整備工事後の“西置繭所”は、1階の入口は建物の中央より、やや左手にあり、2階への動線の一つとして「エレベータ」が脇に、その前に総合案内があります。左手には「ギャラリー」があり、ここでは富岡製糸場に保管されていた製糸工程に関する道具や工女の暮らしにまつわる什器などが多く残されていたため、これらの資料の展示で製糸場を知っていただく場となっています。中央部分はホワイエとして休憩やガイダンスのためのスペースとなっており、その右手には新設された2階への階段が設けてあり、さらにその右に多目的に利用が可能な「ホール」となっています。

(2F回数後の製糸場模型)

 2階は、ダイナミックなトラス構造や1階よりもさらに高く広い貯繭空間を体験できるなど官営期からの西置繭所での繭の保管方法の変遷や歴史と漆喰塗壁や建具などに刻まれた様々な痕跡など115年間の体感をできるようになっておりました。また、2階のベランダからは眼下に“鉄水槽”の全景を見ることもできました。

(2F 新たな「箱」東窓側)

 おおよそ40分程の短い限られた時間でしたが保存整備工事を終えた“西置繭所”を見てきました。

(2Fベランダからの鉄水槽)

この日の参加者は、K藤会長、M田(睦)、Y田、K原、I上(雄)、O田(三)、N島(進)、I川(武)、U原、N屋と飛び入りのT江(康)さんの11名でした。

(N島 進 記)

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富岡市立一ノ宮小学校キャラバン実施報告

2020年10月18日 18時31分16秒 | 世界遺産伝道師協会

富岡市立一ノ宮小学校キャラバン実施報告

 昨日10月16日(金)標記小学校でJ保千代子(敬称略、以下同じ)、Y澤朗夫、Y村和子、S藤和男、S藤裕子、I井規雄の6名の伝道師が参加して、今年度西部地域最初の学校キャラバンを実施しました。一ノ宮は貫前神社の門前町として栄え、かつては養蚕が盛んな地域でもありました(『一ノ宮小学校百のあゆみ』(1973)には明治・大正期、地域の希望をとりながら養蚕休業(「養蚕休み」とも言った)が毎年位置付けられていたことが記されています)。

本校は「かがやく瞳とあふれる笑顔の宮小っ子」を求め、児童数は299名。本日のキャラバンに参加してくれる4年生は63名で、午後1時55分より午後3時30分までA班とB班の2組に分かれ、講話と座繰り体験を交互に行う形で行いました。

 伝道師は開始1時間前に本校来賓用駐車場に集合し、まず新型コロナウイルスの感染対策としてそれぞれが持参した体温計で検温し、玄関では手指を消毒してから入校しました。

 器材搬入前に、全員で校長室に伺い、ごあいさつ・紹介を兼ね本日の担当学年主任の先生とともに本日の日程や、新型コロナウイルス感染予防のための児童への対応について打ち合わせをしました。座繰り体験出来る今日の日を子どもたちは楽しみに待っていたというお話も伺いました。

 学校と共通理解をもった上で早速2台の車から座繰り器2台分の搬入に入りました。学年主任の先生から「子どもたちにも手伝わせましょうか」と温かい声も掛けていただき、児童が協力してくれ大変助かりました。当日は視聴覚室のほかに隣接の教室も用意してくれ、キャラバンには快適な条件のもとで実施することができました。

 最初は視聴覚室に伝道師、児童が全員集合し、あいさつとオリエンテーションを行いました。子どもたちの目は生き生きと輝き、頑張ろうとする意欲がみなぎっていました。

 各伝道師に自己紹介をしていただきましたが、全員の方が子どもたちに話しかけるように、その人ならではの楽しい紹介をしてくれました。

 講話はY澤伝道師が担当し、パワーポイントを使ってスクリーンに投影した画像をもとに、板書(チョークで黒板に書く)や自己で用意した繭やパネルを提示しながら優しくわかりやすく、ときには子どもたちに発問(質問)を加えるなど工夫してお話ししてくれました。

「蚕」「養蚕」「生糸」「絹産業」を窓口にし、それぞれの解説や、「世界遺産とは何か」「富岡製糸場とは何か、何の目的で建造されたのか、繰糸所の内部はどのようになっているのか」、さらに「富岡製糸場のなかまたち」(傍点筆者)という言葉を使って、田島弥平旧宅、高山社跡、荒船風穴についてそれぞれの構造や果たした役割、技術革新についてわかりやすく説明してくれました。終末は、世界遺産は富岡製糸場だけでなく4つの資産で構成されていること、群馬県の宝物、世界の宝物を大事に守っていこうとまとめてくれました。

座繰体験では2つの班を出来るだけ離し、横並びにならないよう配慮し、J保伝道師とS藤裕子伝道師、Y村伝道師とS藤和男伝道師がペアを組んで体験指導に当たりました。

班ごとに最初にあいさつを交わし合い、座繰り器に対する概括的な説明や、座繰り繰糸の仕方・諸注意等全体的なことを話し、ミゴボウキを使う人とハンドルを回し繰糸する人の二人一組になって早速座繰り体験に入りました(全児童が終了すると役割を交替)。ミゴボウキは片仮名の「ノ」を書くように早く、ハンドルはゆっくりと、と手本を示しながら体験してもらいました。座繰り器への糸の掛け方、鼓車の役割、繭糸から生糸へ名前が変わること、繰糸鍋に溶けだしたセリシンの化粧品等への活用、人間の髪の毛と比べた生糸1本の太さ、蛹が食用にもなること、繭1粒の長さ、蚕の数え方等についても体験中あるいは体験の合間を縫って説明や解説を加えました。また、繭糸や生糸、蛹にも直接触ってもらいました。

中には蛹の臭いを嗅ぎ、顔をしかめているような子もいました。そして繰糸する教室の中の臭いにも関心が及びました。全員の座繰り体験終了後、小枠に巻かれた生糸に鋏を入れましたが、そのときは子どもたちからは大きな歓声が上がりました。「見て」「聞いて」「触れて」「体験して」…子どもたちはいつも真剣な眼差しで、そしてときには驚きや感動の声も教室に響きました。

 座繰り体験をし、教室から出ていくとき「おもしろかったー」と満足して帰る姿が印象に残りました。

 子どもたちの事前学習も行き届いている感じを受け、学ぶ姿勢も立派でした。

また、講話、座繰り体験とも伝道師の子どもたちの側に立った温かい指導と熱意あふれた接し方も子どもたちにも響いてくれたのではないかと思います。

計画通りの時間に終了し、最後はまた全員視聴覚室に集まって今日一生懸命取り組んでくれた児童一人一人の顔を見つめながら、「期待に応えられたかな」と思いつつ、お別れのあいさつを交わし合い、全日程を終了しました。

搬出に当たっては先生方がまた協力してくれ、申し訳なく思っています。

今日一日、校長先生、教頭先生、学年主任・担任の先生方、そのほかたくさんの職員の方々にお世話になったこと、厚く御礼申し上げます。

なお、座繰り器材を一ノ宮小学校まで運搬するのに齊藤伝道師に大変お世話になったことを申し添えます。

本日参加してくれた伝道師の皆さんには充実した内容のある伝道をしていただき本当にありがとうございました。

(I井規雄 記)

 

 

 

 

 

 

 

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榛東村立北小学校での活動報告

2020年10月03日 15時56分33秒 | 世界遺産伝道師協会

榛東村立北小学校での活動報告

 

令和2年9月30日(水)榛東村立北小学校で、四年生2クラス67名対象の、今年度最初の学校キャラバンを行いました。

前年度は令和2年2月28日が最終の学校キャラバンでしたが、その日は奇しくもコロナ禍による学校閉鎖の要望がその朝出されたという巡り合わせの日でした。

それから約七か月後の本日、まだまだ予断を許さない状況下での学校キャラバンが始動しました。

会場は広々とした体育館でしたので密閉の心配はなくて、本日担当の五人の伝道師は、準備始めと終了時の二回検温し、マスク着用で臨みました。

当校は10月5日に富岡製糸場見学が決まっていまして、その事前学習として申し込みされました。

座繰り器は二台使用し、講話と座繰り体験をクラス毎に交代で行いました。

講話はH岡誠さんが担当し、予めホワイトボードに要点をまとめておいて、お蚕の飼育から始まって織物までの絹産業のつながりと、世界遺産となった富岡製糸場を中心とした四資産の価値について、時折質問を投げかけながら進めました。

今年度から、子供用パンフレットを前もって学校宛てに送っていただきましたので、事前学習してもらえたのでしょうか、お蚕について児童から複数の質問がありました。

H岡さんは四年生が理解できそうな言葉を選んで答えましたが、更に理解を深めて貰えたらとの気持ちから、帰宅後お蚕に関する手持ちの参考資料を学校宛てに送りました。これは広岡さんの熱意と見識の高さがあってこそのことです。

座繰り体験はI上雄二さん・N島進さん・M下寿美江さんが担当しました。

二台の座繰り器に夫々16~17名ずつ児童をグループ分けして、交代しながらハンドルを回しました。

煮繭した繭から糸口を引き出して見せると「おおー」と驚きの声が上がりました。又「どうして繭を煮るのですか」「糸はどこまで続いているのですか」「繭の数が違うとどうなるのですか」などなど矢継ぎ早に質問が続きます。

1・2・3・4と声を出して、ハンドルを一回転させると小枠が何回転するかも目で確かめてもらいました。

「この棒が動いているので平らに巻けているんですね」とあや振り棒の役割に気付いた児童がいたのには驚きました。座繰り器の後ろ側も見て貰って、その仕組みを自分で確かめて「そういうことか!」と納得です。

参考にと『かせ』にした生糸を持参して自由に手を触れてもらいました。中にはそれを頭に被って「ベートーヴェン」とはしゃぐ子供もいました。

コロナ発生以来七か月ぶりの今期最初の学校キャラバンでしたので、五人の担当者は少なからず不安な気持ちで臨みましたが、子供たちの反応の良さに助けられ、校長先生はじめ担任の先生方にもお喜びいただけた様子でしたので、ほっと一安心しました。

この初めて遭遇するコロナ禍の社会情勢の中、登校自粛で授業時間も少なくなってしまっているにも関わらず、学校キャラバンを実施してくださることに感謝し、これからも安全に行えるようより一層努力しなくてはいけないと感じました。

本日の担当はI上雄二さん・N島進さん・M下寿美江さん・H岡誠さんとY田節子の五名でした。皆様大変お世話になりました。 (記:Y田)

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