保存整備工事を完了した“西置繭所”を見てきました。
世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産である富岡製糸場の“西置繭所”(国宝)は、保存整備工事が平成27(2015)年1月末に始められ、令和2(2020)年4月末に5年余を経て完了しましたが、新型コロナウイルス感染症対策のため、開館が延びて、この10月3日(土)にグランドオープンをしました。これを期に10月13日(火)の午後に出かけてきました。
(回収後の西繭置所の外観)
西置繭所は、文化財建造物としての保存修理、耐震補強と新たに公開活用をしていくための手立てなど、3つのことを同時に進めることで、その魅力を活かすことを目指しての保存整備工事が行われたとのことだそうです。
この工事に当たっては、事前に綿密な建物調査と史料調査という重要な作業があったとのことと文化財的価値を損なうことのないよう慎重に進められたこのことです。
(1F案内板)
そして外観は建設当初の姿を維持しながら、生糸生産の最盛期(昭和49年)の姿に復旧するとの方針で、その内容を変更するときは、国の文化審議会において審議していただき許可を受けたとのことです。
西置繭所の使われ方の変遷について、1階の建設当初は「繭取扱・糸取扱・石炭置場」として、明治29年頃には「揚返場・選繭場・束装場」として、大正8年以降には「貯繭場・繭買入場」として、そして昭和41年には「貯繭場」へと変化をし、それに合わせて床、壁、建具などが改造されてきたとのことです。2階は、一貫して繭の貯蔵がされてきましたが、建設当初は「窓を開放して通風により繭を乾燥し保管」してきました。その後の乾燥技術の発達により貯蔵方法が「完全乾燥後の繭を袋詰めに密閉して保管」に変わり、これが改造のきっかけとなり棚や仕切り、そして壁などの造作が改良されてきようです。
(1Fギャラリー 製糸場の歴史パネル)
保存活用にあたっては「ハウス・イン・ハウス」という手法を採用して、本来の工場としての機能を失った大規模な建物を人の活動に合わせて使いやすくしたり効率的に利用したりするために既存の空間に、新たな「箱」を内部に設ける手法が用いられています。この新たな「箱」の構造は耐震補強を兼ねるよう工夫されておりますが、「補強材」という印象はあまり感じられません。保存、耐震、活用が成り立つようになっているとのことです。
(1F多目的ホール)
保存整備工事後の“西置繭所”は、1階の入口は建物の中央より、やや左手にあり、2階への動線の一つとして「エレベータ」が脇に、その前に総合案内があります。左手には「ギャラリー」があり、ここでは富岡製糸場に保管されていた製糸工程に関する道具や工女の暮らしにまつわる什器などが多く残されていたため、これらの資料の展示で製糸場を知っていただく場となっています。中央部分はホワイエとして休憩やガイダンスのためのスペースとなっており、その右手には新設された2階への階段が設けてあり、さらにその右に多目的に利用が可能な「ホール」となっています。
(2F回数後の製糸場模型)
2階は、ダイナミックなトラス構造や1階よりもさらに高く広い貯繭空間を体験できるなど官営期からの西置繭所での繭の保管方法の変遷や歴史と漆喰塗壁や建具などに刻まれた様々な痕跡など115年間の体感をできるようになっておりました。また、2階のベランダからは眼下に“鉄水槽”の全景を見ることもできました。
(2F 新たな「箱」東窓側)
おおよそ40分程の短い限られた時間でしたが保存整備工事を終えた“西置繭所”を見てきました。
(2Fベランダからの鉄水槽)
この日の参加者は、K藤会長、M田(睦)、Y田、K原、I上(雄)、O田(三)、N島(進)、I川(武)、U原、N屋と飛び入りのT江(康)さんの11名でした。
(N島 進 記)