富岡製糸場世界遺産伝道師協会 世界遺産情報

「富岡製糸場と絹産業遺産群」は日本で初めての近代産業遺産として2014年6月25日付でユネスコ世界遺産に登録されました。

 アメリカへの生糸の直輸出を実現した新井領一郎(みやま文庫「海を渡った幕末明治の上州人」より)

2006年02月27日 23時48分32秒 | 世界遺産伝道師協会
幕末・明治に世界へと舞台を広げ目覚しい発展を遂げていった上州の生糸。その上州生糸の発展を担った人、支えた人々を見ていくと多数の著名人がいます。その人々を知っているようでいて、いざ説明しようとすると、その業績などを余り知らないことなどに気が付いたりします。これから、折に触れてそのような人物を取り上げて考えてみたいと思います。

今回は3月27日に講演をしていただくことになりました前橋国際大学名誉教授の石原征明先生が昭和63年に標記の書物の中に書かれた“新井領一郎”を取り上げてみます。


領一郎は安政2年(1855)7月19日勢多郡水沼村(現桐生市)で星野弥平の子として出生。兄に星野長太郎、周次郎がいた。慶応2年(1866)年、新井家の養子となり新井姓を名乗った。

明治7年(1874)星野長太郎の水沼製糸所(水車動力による器械製糸)が操業開始。

明治8年(1875)佐藤百太郎(佐倉順天堂の佐藤泰然の孫)がアメリカでの商業実習生として日本人青年を求める。

熊谷で県令楫取素彦と速水堅曹・星野長太郎が会談。20歳になる英語・商法に優れた領一郎(高崎藩英学校や慶応義塾で尾崎行雄と一緒に学んでいる)をアメリカに送り出すことにした。

送り出す目的は不平等条約下の生糸貿易で外商や生糸仲買商に生産者が不利益を受けることが多々あり、生糸のアメリカへの直輸出の道を探っていたことによる。

明治9年3月10日(1876)オクシデンタル・インド・オリエンタル会社の汽船オセアニック号で横浜を出航し渡米する。このとき乗船していた日本人5人の若者は「オセアニック5人組」と呼ばれ日米貿易の先駆者となった。(新井領一郎~生糸の直輸出。森村豊~ノリタケ・チャイナで活躍。伊達忠七~三井の店員、美術・骨董。鈴木東一~丸善の品物販売。増田林蔵~狭山茶の直売。)

16日の船旅でサンフランシスコに着き、ユニオン・パシフィック鉄道(アメリカ大陸横断鉄道)に乗り4月10日ニューヨークに到着している。
ニューヨークで日本人最初となる個人商店「佐藤・新井商会」を開店。佐藤百太郎は陶磁器・漆器などを領一郎は生糸を販売した。しかし、粗悪品輸出による日本の生糸の不評から生糸は売れなかった。

水沼製糸所の生糸の見本を持って糸商を回り、一ヵ月後にB・リチャードソンと契約が成立。納品時、生糸の値段が急騰していたが、契約どおりの値段で取引して信用を博し、生糸直輸出の道を開くことに成功した。後、アメリカの生糸の需要に合わせて、捻造改良生糸の輸出を始める。

明治13年(1880)速水堅曹を社長に、生糸輸出を目的に同伸会社が作られ、星野長太郎は取締役となり、本社を横浜にき、明治14年(1881)にニューヨーク事務所がおかれ、領一郎はニューヨーク総支配人となって活躍した。

領一郎は牛場卓蔵(山陽鉄道創始者)の娘田鶴子と結婚し米男と美代子という2人の子供が生まれ、美代子の娘が駐日アメリカ大使を勤めたライシャワーの夫人ハルであった。

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第5回富岡製糸場世界遺産伝道師養成講座はじまる

2006年02月25日 23時16分39秒 | 世界遺産伝道師協会
2月25日(土)群馬県庁で第5回養成講座が始まり、31人の受講生のうち初日は30人が受講しました。

主催者の挨拶の後、受講生の自己紹介が行われ、1分間の制限時間で次々に受講生番号を言って紹介が行われるので、「のど自慢みたいだ」といった人もいましたが、聞いていると、色々な分野で活躍されている人・いた人で多士済済の面々が集ったという感じがしました。

このメンバーで講習会終わり、伝道師協会に加入していただければ、強力な活動家が誕生してもらえるかな!と期待を持ちました。この講習会で、ぜひ、動ける、動くための力をつけていただければ・・。と期待しています。

今日の講義は、先ず、室長による「近代化遺産とは何かー群馬県の場合―」「世界遺産登録のしくみと現状」で午前中を終わりました。室長に近代化遺産の話を続けてもらえば1日中でも話題だ絶えないのではないだろうかと思われる話し方でした。

午後は「富岡市の地域と歴史」「世界遺産と周辺部―バッファゾーンの考え方と実例―」を世界遺産推進室職員が講義。自己紹介でも都市計画関係の人は受講生に少なかったと思うので、難しい法律論は大変でしょうが、“実例”がたくさん出てきたので、理解が早かったのではないかと思われます。パワーポイントの威力は、こんな時に充分に発揮されます。自分でもパワーポイントでプレゼン資料を作ってみたいですね。

最後が、NHK前橋支局チーフプロデューサー佐滝 剛弘氏による「欧州の世界遺産ウォッチング~近代化遺産を中心に~」という講演で、富岡製糸場世界遺産伝道師協会の第4回研修会を兼ねての開催でしたので100人ほどの参加となり大盛会でした。講演内容も豊富で参加者一同「聞きに来て良かった」と実感したお話でした。

内容は「世界遺産、国によって異なる認知度、日本の世界遺産ブーム」「世界遺産となった産業遺産、35件あまりにものぼる『産業』世界遺産」「2005秋 オランダ、ベルギー、ドイツで見る産業遺産」「富岡との類似性~れんが造り工場の世界遺産~*ヴェルラ製材・板紙工場(フィンランド):クレスビダッダ(イタリア)」「番外!こんなものまで世界遺産」「富岡製糸場の客観的価値」「『可視信仰』で失うものー“大切なものは目に見えない・・”といった項目でのお話でした。内容のまとめについては、後日、まとめられたら、掲載させていただきます。

終了後、講座受講生にとっては交流会、協会員にとっては新年会が催され、各々、世界遺産実現に向けての熱い思いを語り合って、和やかな充実した時間をすごすことが出来ました。明日からの活動のエネルギーになって欲しいと願いつつ、「ガンバロー!」で締めくくりました。
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Sankei Web Special [探訪] 2008.02.19 に見る富岡製糸場

2006年02月24日 09時09分00秒 | 世界遺産伝道師協会
前回の記事のコメントにあった、堅曹世話人に千葉県の後輩から送られてきた新聞が「産経」の2月19日とのことだったので、インターネットで探してみました。

「からっ風に耐える“明治”群馬県・富岡製糸場」との見出しの下、美しい写真とともに内容も優れた紹介をされています。地図もあり高速道路・鉄道でのアプローチを示しています。

厳しい「空っ風」に耐えて130余年、明治の面影を強く残していることを紹介し、そして、明治5年の壮大な工場が「産業革命の礎」として鏑川の河岸段丘上に厳然と残っていること。そして、その建物が「木骨レンガ造り」であり、繰糸場は柱の無い壮大な空間で、昭和62年まで、そのままの形で現役の工場で動いてきたことが書かれている。

さらに、工場の運営は「あゝ野麦峠」のイメージとは異なり、近代的労働形態のさきがけをなす8時間労働の実態を書き、世界遺産へ向けて各種の市民運動だ展開されていることを紹介して富岡製糸場が「世界に誇れる『文化』も紡いでいる」と結んでいます。

写真報道局の門井聡という人の記事でした。下記のURLで産経新聞のこのページがご覧になれます。
http://www.sankei.co.jp/databox/pc_tanbou/htm/060219tomioka.htm
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富岡製糸場、創建時の建造物を重要文化財申請へ

2006年02月23日 14時26分26秒 | 世界遺産伝道師協会
平成18年2月23日の上毛新聞によると、富岡市が富岡製糸場の重要文化財への申請書をまとめて、22日に県教育委員会文化課に提出したと報じています。

記事の内容を見ると、重要文化財指定を申請するのは創建時の建造物に限り、東西の繭倉庫、繰糸場、ブリューナ館(旧首長館)、旧女工館、旧検査人館などに絞っているということです。

富岡製糸場はすでに、平成17年7月14日に史跡に指定されており、史跡地55,391.42平方メートル(約16,657坪)とその上に建つ昭和20年以前の建造物は文化財保護法で保護されているので、創建当初の建造物群が重要文化財指定になれば史跡・重文の二重指定となり、手厚く保護され、今後の遺産の維持管理に大きな支えとなることになります。

この申請により、国が重要文化財として指定すれば、富岡製糸場の場所が日本で歴史的に重要な場所であるということだけでなく、創建当初の建造物群は建築史のうえからも重要な建造物と認定されることになり、建物そのものの価値を知ってもらうのに、今後大きな基準になり、国民に広く“世界遺産”を訴えるのに、強い追い風になってくれるものと思います。

審議会の答申を経て、官報告示がなされる日がそう遠くない時期であると確信しています。世界遺産の実現に向けて、この重文指定の流れの先に暫定リストへの登載となることを目指して、伝道師協会も活動の巾を広げ、更に活発化したいものです。

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歴史的な建造物をどう見るか。「群馬の古建築」村田敬一著(みやま文庫)に学ぶ

2006年02月22日 23時59分26秒 | 世界遺産伝道師協会
昨年、富岡製糸場世界遺産伝道師協会の研修会でご講演くださった村田敬一先生の著書を読ませていただいた。

村田先生は群馬県の歴史的建造物についての認識を「『群馬県史』では、近代建築について若干記されているにすぎない。県史に記されていないのは、群馬県に貴重な建築が無いのではなく、建築史が正当に評価されていないだけのことであろう。」と書いています。

群馬県は建造物については余り大切にしてきたとは云い難い面が多々あり、特に民家については県指定物件が一件も無い状態で、赤城型民家を始めとする特徴ある養蚕農家は開発の手が早く及んだ地域から、急激な勢いで消滅していき、群馬の農村は、かなり山奥まで、プレハブ型の住居に変貌してしまっていて、伝統的農家を改装して活用している建物は極めて少ないといって良いと思われる。

今、富岡製糸場を中心にして養蚕・製糸・織物をシステムとして捉えて世界遺産に登録していこうと考える時、養蚕農家の存在に注意をし、残すべきものはどうした物なのかを考えていかなければならない。

この村田先生の「群馬の古建築」は群馬の歴史的建造物が置かれている環境を考えさせてくれますし、何がどう残されているのか教えていただけますし、何よりも、各建築の見方を丁寧に教えてくださっています。

例えば民家建築では
1、 民家の見方
(1) 内法と心々(2)民家の平面形式 ア広間型 イ田の字型 ウ喰違い型
(3)民家の造り ア赤城型と榛名型 イ兜造 ウ出し梁造 (4)芝棟 (5)古
い民家の特徴 ア手斧仕上げの柱 イ低い軒・閉鎖的な開口部 ウ一間ごとに立つ柱
・土間に立つ柱 エ隅が丸い柱・曲がった柱・断面が長方形の柱 オその他
2、 農家  
というように展開しています。もちろん「近代化遺産」の章もあり、その見方と県内の現状をかかれています。

「近代化遺産は『近代化』という歴史的背景が重視されることから、従来のように建造物を単体としてではなく、建造物を中心としたシステムとして捉える必要がある。この点が、従来の重要有形文化財と大きく異なるといえよう。このことから、指定の際の員数は「一構」(ひとかまえ)としている。」と近代化遺産を見るときの留意点を書いています。

1、 近代化遺産の見方は
(1) 種別・構造・材料(2)基礎(3)壁(4)床(5)天井(6)小屋組(7)屋根(8)開口部(9)オーダー(10)ペディメント(11)エンタブレチュア(12)ディンティル と項目付けられ、近代化遺産を見るためのポイントを図入りで丁寧に解説されてます。

更に群馬県の近代化遺産の主要な建造物を紹介する中で富岡製糸場はもちろん取り上げられていますが、更に、旧群馬県衛生所、碓氷峠鉄道施設、旧アメイカンボード宣教師館、旧上毛モスリン事務所、旧吾妻第三小学校校舎、旧蚕糸試験場事務棟、旧沼田貯蓄銀行、臨江閣本館、旧碓氷製糸本社事務所、群馬県庁本町舎(現昭和庁舎)、旧東国敬神道場、日本キリスト教団安中教会、押切りの中島邸、旧碓氷郡役所、が説明されています。

赤城型と榛名型はどう違うのだったかな?と考えてしまった人、煉瓦のフランス積・イギリス積・ドイツ積・長手積の区別に迷った人、キングポストトラス・クイーンポストトラスの見方を整理したい人、など居りましたら、こうしたことの解説から、実際に残されている群馬の歴史的建造物を学ぶことが出来ます。

それほど気張らずに読める本です。一読をお勧めいたします。

平成14年の刊行でみやま文庫の会員外ですと1500円ということです。

購入できる場所
群馬県立図書館内 みやま文庫 〒371-0017前橋市日吉町1-9-1
電話 027-232-4241



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富岡製糸場世界遺産伝道師協会近代化遺産WG第5回勉強会・足利の繊維工場遺構の研修

2006年02月21日 15時37分23秒 | 世界遺産伝道師協会
近代化遺産WG第5回勉強会・足利の繊維工場遺構
(富岡製糸場世界遺産伝道師協会近代化遺産ワーキンググループ世話人さんから研修内容を教えていただきました。)

2月18日(土)よく晴れた日に足利市内の繊維工業遺産を見学しました。
今回の目的は足利市と桐生市との近代化遺産の共通点と相違点を探ることでした。

主な見学地は(1)足利織物記念館(木村輸出絹織物工場の遺構)(2)旧木村邸のレンガ塀(3)明治紡織工場の遺構(4)足利模範撚糸合資会社の遺構(工場棟)(5)治良右衛門橋で尾高惇忠自筆の碑でした。

世話人としては桐生と足利の共通点は次の様なことがあると考えていました。
建築年代・建築技術に共通点があるものを比較できるのではないか。

例えば次のように。

(1)【明治20年代】の建造物の比較
(桐生市)日本織物〈株〉煉瓦積遺構
(足利市)旧木村輸出絹織物工場

(2)【明治36年・1903】の建造物の比較
(桐生市)旧日本絹撚事務所(模範工場桐生撚糸合資会社の事務棟)大谷石
(足利市)旧足利模範撚糸合資会社(工場棟:大谷石造り鋸屋根瓦葺きで和洋折衷)

(3)【大正8年・1919】と似た建造物の比較
(桐生市)金谷レース工業(株)煉瓦造平屋建て鋸屋根
【大正2年・1913、大正8年・1919】
(足利市)旧明治紡織(株)煉瓦造りで鋸屋根

上記に示したように、施工年代が極めて近い近代化遺産が両市に残っていることがわかった。尚且つ、建材まで同一のものもあった。(生産地は不明ですが・・・)

今回の研修では、桐生市は、明治・大正・昭和初期と各年代の建造物が沢山残っているが、足利市の場合は施工は明治・大正時代だが、その後改装し、建て替えられ、元の姿とは別の建造物となったものも少なくないと感じた。

今回の見学地は外観のみの見学と思っていたが、幸いにも中も見学できたて幸運でした。貴重な近代化遺産を手で触れて体感できたことは、とても良い勉強になった。それに触れたことにより、当時にタイムスリップしたかのように、造った職人の汗と心意気やそこで働いていた人々の喜怒哀楽が感じられた気がした。そして、それを守り抜いた人々の努力と情熱も心に響いた。

足利市の現状を見て、そこから、また、桐生市へエールを送りたい。

尾高惇忠の石碑を見て:どうして、ここにあるのか?疑問であり、課題であると思った。
明治24年4月とあるが、資料によると、明治20~25年は、第一国立銀行仙台支店支配人になっており、明治25年63歳で退職とある。ということは、在職中に碑文を書いたのだろうか。第3回勉強会で見つけた「秋蚕の碑」(埼玉県美里町)は明治29年である。
(以上、世話人さんの視点と感想です)

《参加者の感想》
深谷に続いて2回目の参加となりましたが、いつも世話人さんに事前資料の準備をして頂いていて、列車での移動もあって、自分の足で歴史ある足利の織物関係建物等を見学出来て、これからのワーキング活動にも有意義な1日となりました。(T,Kさん) 
                                      
                                      
    

足利織物記念館内の木村織物事業を示す展示品の多さに圧倒された。(K.Kさん)

明治26年建築の織物工場は洋風トラスです、変形クィーンポストトラスです。依然として形態は和小屋構造の手法から脱却できない。しかし、完成度は高い。石造建築(明治43年)の建築見学中に地震に遭った。石造の建築のゆれ方を初めて体験した。(T.Eさん)                             

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オピニオン21 視点 シルクカントリー群馬 「すそ野が広い産業構造」[上毛新聞コラム]

2006年02月19日 08時31分49秒 | 世界遺産伝道師協会
上毛新聞2月17日(金)の33面 余り積極的に見ない紙面だと思いますが、この記事を読んだ伝道師の方から連絡がありました。

文章を書いていたのは石原征明さんでした。先日私が読んでいた「群馬の生糸」(みやま文庫)では『大正期の群馬の製糸』を纏めていた石原さんが研究者の“視点”で文章を書いていました。

今回の記事で世界遺産運動にエールを送ってくれていますが、今年の私宛の年賀状でも「世界遺産でのご活躍、大変頼もしく、力強く思っております。ぜひ実現したいものです。」と励まして下さっていました。

新聞では、中世の日野絹や仁田山絹の話から始まって、生糸が輸出の花形として世界にはばたいたこと、多くの外資を稼ぎ、日本の産業革命に大きな役割を果たしたこと。官営模範工場としての富岡製糸場と新町紡績所がそれぞれのアイデンティティーを持ちながら、シルク生産に当たってきたこと。そして、この二つの模範工場が、それぞれの特色ある姿で、産業遺産の宝として、世界遺産に登録されるために残されてきたような気がすると書いています。

そして、糸に関しては更に、組合製糸や資本主義的生産を営んできた交水社の製糸にも触れ、その後、絹織物にも思いを広げ、シルクの産業は横への広がりを持ち、歴史的にはたてに繋がり、その上に総合的な産業遺産が残っており、それを世界遺産に登録する機会は今しかない。世界遺産に向かって粘り強く働きかけたい。としています。「チャンスは今しかない」と力強く励ましてくださる言葉も載っています。このことからも、世界遺産に期待する気持ちが伝わってきます。

村田敬一先生のご講演をお聞きしたように、こうした身近に居られる関連分野の研究者のご講演をお聞きできる機会をこれからも持てるように努力したいと思っています。そして、伝道師としての力を更に向上させ、幅広い活動につなげていきましょう。今年は、力を尽くして、更に頑張りましょう。

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「カラー版 近代化遺産を歩く」を読んでみました(中公新書)

2006年02月18日 00時43分15秒 | 世界遺産伝道師協会
2月14日(火)「春の関東越静観光展」で伝道活動するために、【横浜そごう】に行きました。集合時間より大分早く到着したので7階にある紀伊国屋書店に行ってみました。「手軽に読める本を」と思い新書の棚を見ていたら中公新書で「カラー版 近代化遺産を歩く」を見つけました。増田彰久という写真家が日本の近代化遺産を歩いて、興味深かった遺産の写真とともに、素晴らしい見聞記を書いています。

どんなことをしていた人だろうと思い、巻末を見たら日大芸術学部写真学科を卒業した後、大成建設に勤め、定年後、写真家として活躍している人で、著書を見たら「写真集成日本の近代化遺産」「和風モダン」「建築探偵東奔西走」「看板建築」などがあり、これをみると清水慶一先生の仲間だ。と思って読み出したら、あとがきの中に清水先生の名前が出てきました。

土木・建築の視点、写真家としての見方、歴史的遺産を見る視点から産業遺産をしっかりと見て、興味深く読める文章を作り、写真とともに一気に読ませてくれました。長い間撮りつづけた写真を使っているので、[現存せず]という遺産も、いくつも出てきています。

群馬県の遺産は、富岡製糸場、碓氷第3橋梁、碓氷第5トンネルが取り上げられています。富岡製糸について「これが『生糸』と『軍艦』の時代を代表する建物の一つである。」とむすんでいます。

本の組み立ても、1、時計塔。2、駅舎。3、機関庫。4、橋梁。5、トンネル。6、ダム。7、水力発電所。8、浄水場。9、配水塔。10、火の見櫓。11、窯。12、工場。13、煙突。14、灯台。15、港湾。16、税関。17、倉庫。18、ドッグ。19、運河。20、要塞。21、送信塔。22、気象台。23、天文台。24、温室。25、ホテル。26、刑務所。の26分野からなっており、各分野から日本の近代化が、このような形で進められてきたのだということを考えさせてくれます。

かしこまらずに、気軽に読み進められる教養書です。読んで見て、近代化遺産にどんなものがあるのか考えてみるのもいいのではないでしょうか。

「カラー版 近代化遺産を歩く」 増田彰久 著 中公新書 980円+税


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六合村教育委員会、赤岩地区伝建群の重伝建申請書を県教育委員会に提出

2006年02月17日 15時21分41秒 | 世界遺産伝道師協会
2月17日(金)の読売新聞群馬版に「養蚕集落の面影残す 六合・赤岩地区『国の保存地区』選定を 村が申請」という見出しで、16日に村が県教育委員会に申請書を提出したと報じている。県教育委員会はこれを受け、今後、文化庁に手続きし、国の文化財保護審議会の審議を経て、文部科学大臣に選定の答申がなされ、官報登載になれば、群馬県初の重要伝統的建造物群保存地区となります。

このことについては2月3日のブログに上毛新聞記事の紹介をしてありますが、今回の記事でも、文化庁文化財部記念物課のコメントとして「養蚕農家の家屋や蔵が立ち並ぶ赤岩集落は選定の資格は十分にあるように思える。」と書いています。

重伝建群を申請した対象地域の広がりは、集落のほぼ全域と背後の里山を含む63ヘクタールで、対象の建造物は母屋・蔵など63件、工作物は114件、古木が9件となっています。

今後、村の条例などに従って保存修理等も行われますが、増改築などの時には建築当初のかたちに外観は復元することになっていますので、懐かしい村は、更に往時の姿を取り戻して行けるものと思います。

選定後の活用もうまく行き、養蚕・製糸・織物の世界遺産の県の取り組みの中で、他の地区の重伝建の取り組みの推進役になってくれれば・・・と期待は大きいと思います。

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「春の関東越静観光展」【横浜そこう】で大活躍

2006年02月15日 13時11分44秒 | 世界遺産伝道師協会
2月14日(火)は「春の関東越静観光展」の群馬県の日でした。13:00に現地集合。

伝道師8人、協力者1人、推進室2人、富岡行政事務所3人で参加しました。会場は「横浜そごう」の地下入口の広場でした。各県のパネル展示がしてあり、各種観光パンフレットがおいてある前での活動でした。伝道師たちは新調したイベント用のグリーンのジャンバーでの初舞台です。

伝道師への協力者の女性が工女ゆうまちゃんの着ぐるみを着てくれました。ヘリテイジ仮面は伝道師のヘリテイジ仮面2号です。

持参したもの、「富岡製糸場を世界遺産へ」の幟旗、推進室作成の「富岡製糸場を世界遺産へ」のパンフレット、富岡市が作成した「富岡製糸場」のパンフレット、そして「繭ぱふ」を1000個。

先ず14:00~15:00は「前橋広域観光物産協議会」のイベント、抽選でダルマ・桃の花・サボテン・前橋の水・野菜等を抽選で配布、そして宣伝。伝道師協会も人集め、集合した人達の整列を手伝い、世界遺産のパンフレットを便乗で配布。景品をもらうまで並んでいるのでパンフレットに目を通していただき、反応もありました。

15:00~1600は「わたらせ渓谷鉄道(株)」の時間。これにも参加して元気で活動。

16:00~17:00がいよいよ「世界遺産」の時間、気を引き締めて最終打ち合わせ、ゆうまちゃんとヘリテイジ仮面も準備完了。事前にポジションを決め、時間を待つ。どれだけ人が集まってくれるか、ゆうまちゃん・ヘリテイジ仮面、そして、富岡行政事務所の女性が工女姿ででお迎えしてイベントの開始。子供を連れた主婦も集まってきた。「繭ぱふ」を差し上げます。と主婦の方を中心に呼びかけ、アナウンスで、ゆうまちゃん・ヘリテイジ仮面を紹介、そして、歯切れの良い、良く通る声で広場一杯に富岡製糸場の説明。集まった人は列をなしパンフレットを受け取り「繭ぱふ」を手にして、満足してさって行きました。1000個用意した「繭ぱふを、3回に分けて、殆ど配布して17:30に終わりました。

朝から現地に向かい、夜中に自宅へ戻るといった活動で、殆ど立ったままで疲れは大変だと思いますが、ボランティアのパワーで大成功でした。

このイベントをセットした群馬観光物産プラザの代表の方も、良い出来だった、今後のイベントにも参加して下さい。との評価でした。今後も更に頑張りましょう。

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