富岡製糸場世界遺産伝道師協会 世界遺産情報

「富岡製糸場と絹産業遺産群」は日本で初めての近代産業遺産として2014年6月25日付でユネスコ世界遺産に登録されました。

富岡製糸場世界遺産伝道師協会「養蚕・製糸WG勉強会」(第2回・製糸編)報告

2014年05月30日 23時33分43秒 | 世界遺産伝道師協会

「養蚕・製糸WG勉強会」(第2回・製糸編)報告

 5月29日(木)に「養蚕・製糸WG勉強会」(第2回製糸編)が県庁295会議室で午後1時半から行われました。小野世話人(養蚕・製糸WG)の司会で近藤会長あいさつ、その後、講師の元繭検定所長高橋榮志先生の丁寧で熱心な講義が行われました。今回は、主要な製糸行程(繰糸関係)について講義が行われました。講義の概要は下記のとおりです。

 

製糸行程(繰糸) 1

・繭の受付:入荷した繭の重量計測、サンプル採取、繭の区分を行う

・殺蛹:蛹が羽化する前に熱で殺蛹する。上蔟後7~8日目

・乾燥:長期保存とするため繭を乾燥する。生体量基準で40~42%を目安

・貯繭:貯蔵中の繭質変化、カビの発生、虫害、鼠防除対策

蛹の含水率を16%以下に、ヒメ、ヒメマル、トビカツオブシムシに注意

製糸行程 2

・選繭:調整:繭を混合しながら不良繭を選繭する。

・玉繭:二頭の蚕が吐糸(とし)した繭

・穴あき繭:出殻、発蛾、カツオブシムシで穴の開いた繭、ムシのなめた繭

・外部汚染繭:繭層の外部から汚染された繭

・内部汚染繭:繭の内部が汚染している繭、生産の時は見えないが、乾燥してから下からの光のある選繭台で選除する。大半が内部汚染繭です

・破風抜繭(はふうばつまゆ):薄皮繭、奇形繭、簇着繭、浮しわ繭、かび繭、つぶれ繭、二重層繭

製糸行程 3

・煮繭の目的:繭層の繭糸を膠着させているセリシン(溶解性の蛋白質)水、熱で軟和膨潤させ、繭糸が切断したり、もつれたりしないで繰り取られるように処理する

・湯浸透浮繰法:蒸気浸透沈殿法など小規模工場、試験研究所などで・煮繭機の開発は昭和8年頃エンドレスチーン方式であること、湯、浸透を蒸気浸透など隔版のないことなどで、各種機能を備えた煮繭機が登場した

・繭の特性:落緒の発生は繰りはじめ10%と繰り終わりに近い70%のところで集中して起こる

・繭の浮沈  浮く>0.03v>沈  ただしv…繭腔内の容積

製糸工程 4

・新繭補充:煮繭機から送られてくる繭を索緒機へ自動的に補充する

・索緒(さくちょ):煮繭された繭から実子箒で緒糸を求めることを索緒といい八重緒がでる

・抄緒(しょうちょ):索緒で出た緒糸を抄ぐって正緒をだすことを抄緒といい繭糸1本となる

給繭器への繭補給:抄緒された正緒繭を移動する給繭器へ補給する

製糸工程 5

・糸道:粒付→接緒器(せっちょき)→集緒器→よりかけ→第一鼓車→第二鼓車→よりかけ→断続鼓車(だんぞくこしゃ)→感知器→第三鼓車→第四鼓車(感知レバー)→絡交稈→小枠

・よりかけ:トモヨリ方式・2緒の糸をよりあわせ再び2本の生糸にして小枠に巻き取る

      ケンネル式・鼓車を使い緒内でよりあわせて小枠に巻き取る

製糸工程 6

繊度感知器(ABS樹脂製):繊度感知器は昭和30年頃、蚕試式、片倉式、郡是式など開発され自動繰糸機に導入され、能率、繊度偏差の向上となった

・給繭器:給繭器は繰糸槽(そうしそう)に沿って移動し、感知器が細感知すると機械的に接緒稈が作動し給繭器から繭を取り出し接緒する、こうした接緒機構をそなえている

製糸工程 7

・検尺器:枠周1.125mに200回、糸を巻き取って225mの繊度糸を100本採取検査料糸とし、1本秤で繊度偏差を算出、さらに全量から正量繊度を計測する

・節:セリブレーン板に糸を巻きつけブレーン検査室で標準写真と比較し減点しながら点数を付ける

製糸工程 8

・ボイラー:製糸では熱源としてボイラー(気缶)を利用する、近年では貫流ボイラーという、講習可能程度で操作可能なものができている

・製糸用水:製糸では水商売といわれるほどで、生糸1㎏製造するのに用水0.85立方メートルが使用される、また水も無機塩類の少ない軟水でないとセリシンが収斂(しゅうれん)する

・廃水処理:製糸では有害物質はないが、蛋白質を含んでいるため水質汚染防止法が適用され廃水処理の必要がある

製糸工程 9

・枠湿し:小枠を枠挿棒にまとめて減圧タンクに入れ真空ポンプで減圧、戻し、加圧をくりあえし数回行う、糸量が多いと薬液が浸透いにくい

・スラブキャッチャー:糸の節を感知する装置で揚返機の各緒に設置してあり瞬時に糸を切断する

製糸工程 10

揚返し(再繰):小枠に巻き取った生糸を、枠周1.5mの大枠に乾燥させながら巻き返して(かせ)に仕上げる

あみそ(緒留(くちどめ)、力糸):糸の始めと終わりの糸を結ぶことを緒留、綛の2カ所に形が崩れないよう綿糸で割留すること力糸をかけるという

・水分調整:仕上がった綛を多湿なところで給湯させ水分率11%に調整、ストレス解消に努める

  

まだ勉強すべきところがありますが、今回の勉強会ではここまででした。

参加者の皆さんは講義を熱心に拝聴し、メモを取りながら勉強をしました。 講師の解りやすい説明有り難うございました。

次の養蚕・製糸WG(製糸編・最終回)の開催は、6月19日(木)午後1時半より県庁22階の222会議室開催されます。希望者は奮って参加くださるようお願いします。

            (K川 記)

 

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富岡製糸場世界遺産伝道師協会東毛(水沼製糸場関連など)・足尾方面現地研修会

2014年05月30日 23時19分15秒 | 世界遺産伝道師協会

東毛・足尾方面現地研修会

 

 5月27日(火)、「平成26年度第2回研修会」が行われ、37名の伝道師と事務局1名が大型バスを利用し、「東毛地域と足尾方面」をじっくり研修してきました。

 高崎駅を出発したバスは9時にみどり市大間々町へ着き、参加者全員が揃ったところで最初の見学地の大間々博物館へ行きました。館内では2班に分かれて、2009年に行われた「ニッポン開国! ~横浜浮世絵が伝える異文化へのまなざし~」の企画展を中心に解説していただきました。大間々出身の生糸売込商・吉田幸兵衛(屋号は吉村屋幸兵衛)などの資料もあります。

【大間々歴史資料館】(みどり市)

 大正10年に建設された近代化遺産である旧大間々銀行の本店を活用した博物館。

 建物が「ぐんま絹遺産」に登録されている。

 

 次の見学地の桐生市へ移動し、「黒保根歴史資料館」「水沼製糸所跡」「星野長太郎の墓」の三か所を見学しました。記念に水沼製糸所跡の長屋門をバックに全員で写真に納まりました。

 

【黒保根歴史資料館】(桐生市黒保根町)

 黒保根地域の歴史や文化財資料が展示されている。

 藩営前橋製糸所で研修を受けた星野長太郎が、民間初の器械製糸所として創設した水沼製糸所の資料が展示されている。

 

【水沼製糸所跡】(黒保根町)

 星野長太郎が明治7年2月、自宅に水車を動力源とした器械製糸所を設立した当時の石垣と長屋門が現存する。

 明治9年に弟の新井領一郎をアメリカに派遣し生糸の輸出で成功をおさめるなど、器械製糸業界に先駆的な役割を果たした製糸所。領一郎の孫娘・ハルは昭和36年~41年まで駐日アメリカ大使を務めたエドウィン・O・ライシャワーの夫人である。

 

【星野長太郎の墓】(黒保根町)

 水沼製糸所跡近くにある星野一族の墓を見学。

 

 星野長太郎(弘化2年~明治41年)は水沼村の豪農に生まれ、養蚕・製糸の振興を図るため、前橋藩営製糸所で学び、自宅に水車を動力源とした水沼製糸所を設立しました。当時の建物は長屋門だけですが、往事を忍び、墓に花と線香を手向けました。

 その後、栃木県日光市へ移動し、昼食を摂ったあと、足尾銅山に関する研修を行いました。

 【足尾歴史館】(日光市足尾町)

 平成17年4月に足尾学芸員協会のメンバーが設立した。銅山に関する歴史資料や写真、書籍等が展示されている。

 ここでは、日光市教育委員会・文化財課「世界遺産登録推進室」の上原晃室長から足尾銅山の世界遺産の取り組み状況を説明していただきました。

 

【足尾銅山めぐり】(足尾町)

 足尾銅山周辺をバスでめぐる。

 

 館内の説明とバスに乗ってガイドをしてくれたのはNPO法人足尾歴史館の理事長・長井一雄さんです。3時間にわたって解説をしていただき有意義な話を聞くことができました。公害問題は群馬県に住んでいて聞く話と違う内容もあり、片聞きでは本当のことは分からないものだと思いました。

 

 足尾銅山で思い出すのは、小説家・志賀直哉です。明治10年代、祖父の直道が古河市兵衛と足尾銅山を共同経営していたことがあります。明治34年、直哉は足尾鉱毒事件の見学会に参加しようとしたところ、父・直温に反対され断念します。このことなどが父子の不和の原因となり、『或る男、其姉の死』『大津順吉』『和解』などの作品を生み出していったのです。足尾銅山は志賀直哉の作品に大きく影響を与えています。

 

【和田英居住の役宅】(足尾町)

 『富岡日記』の著者和田英が、足尾鉱業所に勤務していた息子(副所長)とともに居住していた和洋折衷の役宅。

 

【宝蔵寺】(足尾町)

 和田英が役宅で死去したため足尾の宝蔵寺で告別式を行い、後に遺体は生地の長野県松代町に運ばれ埋葬された。

 境内には、足尾銅山発展の基礎を築いた坑長・木村長兵衛の墓がある。

 和田英居住の役宅は修理をするために屋根が青のトタン張りになっていて、平成18年10月に見た屋敷とは趣が違っていて残念でした。

 宝蔵寺でお参りをして、全行程が終了です。バスの中では「紅葉山の御養蚕」のビデオで最後の学習をし、帰路に着きました。

(Y.N記)

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荒船風穴友の会 設立総会で近藤伝道師協会会長が講演「富岡製糸場と絹産業遺産群」

2014年05月29日 21時52分59秒 | 世界遺産伝道師協会

世界遺産候補「富岡製糸場と絹産業遺産群」の世界さん登録における民間支援組織の存在意義と活動紹介

荒船風穴友の会 設立総会で近藤会長が講演

 

5月26日(月)15:00~17:00下仁田町文化ホールにて

「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産の一つ「荒船風穴」下仁田町地元有志により、

「荒船風穴友の会」が結成され、設立総会が執り行われました。

イコモス登録勧告の効果もあり、入会希望者は約457名の数に昇り、本日の参加者は

都合の尽く会員、約80名様が会場を埋めました。

これで4構成資産全部に、民間支援組織が誕生致した事になります。

下仁田町金井町長の開会宣言で始まり、役員が選任され各議案が承認され閉会されました。

研修の部が15:30から始まり

「富岡製糸場世界遺産伝道師協会の近藤功会長が講演」を行いました。

演題「富岡製糸場と絹産業遺産群の世界遺産登録における民間支援組織の存在意義と

活動紹介」と題して、スライドを使って講演を行いました。

・世界遺産とは

・世界遺産条約とは

・世界遺産の登録基準 条件

・富岡製糸場と構成資産の説明、解説・・・等とても解りやすく、講演して、戴き

聴講者は真剣に耳を傾け、メモを取っていました。

次ぎに「伝道師協会の活動の様子」を話されました。

行政と手を組み、世界遺産登録活動に懸けた情熱と努力

伝道師協会を設立してからの歳月

会員数

年間活動回数

チラシ配布活動の苦労話

パネル解説の話

県外にての伝道活動の話

学校キャラバンの話

啓発勉強会の話・・・等 

民間支援組織としての伝道師協会の、歩みと活動の実態を話され、

15:00終了致しました。

 

聴講者の皆さんは、講演時間1時間30分の間、

誰一人、席を外す人も無く、近藤会長の熱演に盛大の拍手が鳴り止みませんでした。

近藤会長様、遠方からありがとうございました。

(T.I)記

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「おぎのや横川店」で世界遺産伝道活動「富岡製糸場と絹産業遺産群」

2014年05月28日 22時48分23秒 | 世界遺産伝道師協会

「おぎのや横川店」で伝道活動

 

5月24日(土)、25日(日)『おぎのや横川店』の入口(二箇所)で伝道活動を行いました。

 

パネルは、お店に入るお客様の妨げにならないよう配慮し、5種類の展示となりました。行楽シーズンと天候に恵まれ、ほとんどが県外からの多数の方が、絶え間なくいらっしゃり、10時から14時まで大変有意義な活動となりました。特に観光バスが到着するとお客様が殺到し、配布活動は大忙しでした。

 

イコモスの勧告以降、富岡製糸場の知名度が一気に上がり、チラシを拒否される方は1、2割程度で、ほとんどの方が受け取りながら、「世界遺産登録になりそうでよかったですね。」「あと一息ですね。」「今日これから、富岡製糸場に行きます。」「今、行って来ました。」等々答えて下さいました。なかには、「先週、製糸場であなたに解説して頂いた者です。」とK藤(基)さんに話しかけて来た男性が、いらっしゃたのには、ビックリ。

 

パネルも以前は、声をかけても拒否される方や、解説しても富岡製糸場しか知らない方ばかりでしたが、今回は、自ら興味深そうに見て、日本の絹が世界に果たした役割と4資産の関連に多くの方が、関心を持ってくれた事を実感しました。

 

活動後皆さんと、おぎのやさんに提供して頂いた昼食を食べながら、反省会をしてお開きとなりました。

 

参加伝道師は、24日・N嶋(弘)、K藤(基)、S藤(昌)、M細津の4名。25日・O田(三)、F田の2名でした。

(S.M 記)

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私邸バラ園にて世界遺産活動=伝道師協会東毛支部

2014年05月28日 22時05分03秒 | 世界遺産伝道師協会

私邸バラ園にて活動

 

晴天となった5月18日(日)、太田市にある個人の庭園・「ふれあいのローズガーデン」でチラシ配りをさせていただきました。

 このお宅では、バラ開花中は無料開放しています。期間中の花が満開になる時期を見計らい、1日限定で「ハーモニカコンサート」を開催して今年で10回目です。県内外からの招待客らがこの日だけで300人以上も訪れるため、宣伝になると思い活動をさせていただきました。

 

 支部活動を間近に決めたため、伝道師の都合がつかず、私1人で行きました。園内入口で受付をする方が、コンサートのプログラムと一緒に世界遺産基本チラシを挟み込んで配ってくれました。コンサートは13時半からですが、早く来てバラの花を観賞している方に、世界遺産のことやチラシ内容などを話しました。

 そんな中で、高崎市の清水勇治伝道師に声をかけられ驚きました。バラ園主は、清水さんの元上司という縁で招待状をいただくそうです。

 群馬県一の私邸バラ園には370種、430本のバラが満開で、ハーモニカ演奏を楽しみながら活動させていただき、伝道活動に記念の1ページを加えることができました。

(Y.N 記)

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「とりせん共栄会」(伊香保ホテル天坊)で初の世界遺産広報活動富岡製糸場と絹産業遺産群」

2014年05月28日 21時39分06秒 | 世界遺産伝道師協会

「とりせん共栄会」(伊香保ホテル天坊)で初の広報活動 

5月27日(火)、伊香保のホテル天坊で行われた「とりせん共栄会」で活動しました。

「株式会社とりせん」は明治45年、前原仙吉氏が館林市に鶏肉・鶏卵卸の「鳥仙商店」を創業したのが始まりです。現在は、群馬県を中心に多数の店舗を展開するスーパーマーケットチェーンです。

3月29日(土)には、(株)とりせんが主催する「館林さくら祭り」で、大変な賑わいの中、初の活動を行いました。

今回の活動の場は、「とりせん共栄会定期総会」が行われたホテル天坊1階のロビーです。総会には、取引先400社から約600人が集まりました。

活動参加者は、近藤会長、日下部、井上(雄)の3名です。

車に乗り合わせ、まばゆい新緑の中を10時過ぎ会場に到着。㈱とりせん佐々木課長と初対面の挨拶、打ち合わせ後パンフレットのセット(メインと子ども用)、のぼり旗2本、号外パネルと8枚のパネルの設営をします。

活動開始まで少し時間があるので、近くの手打ちそばの店で早めの昼食を摂りました。間もなく会場に戻りスタンバイします。パンフレットを置くテーブルには、推進課から持参の富岡製糸場をモチーフにしたテーブルクロスを掛けましたが、これを見た㈱とりせんの関係者から「おお素晴らしい」と感嘆の声が上がりました。確かに見栄えのするテーブルになったのです。

テーブルの中央には、包み紙に富岡製糸場の錦絵、その両側にとりせんイメージキャラクターと工女ぐんまちゃんをあしらったトイレットペーパー約300個を、ピラミッド形に積み上げ、その両脇にパンフレット類を並べたので壮観です。

臨時に設けられた受付コーナーは、鮮魚部会、惣菜部会、一般食品部会等と、約10の部会ごとに分けて並んでいます。

間もなく前原社長と小林取締役が私たちのところへ挨拶に見えました。やがて取引先の関係者が続々と入館して来ます。自家用車、ホテルの送迎バスが頻繁に入ってくるのが見えます。

受付を済ませた方々に「来月には世界遺産が決定します」と声を掛けながらパンフレットを差し出すと、気持ちよく受け取ってもらえました。時折「ああ、冨岡製糸場ですね」、「おめでとうございます」などの声が返って来ます。ほとんどの方が東京方面からです。

受付では、とりせんイメージキャラクターの「ハートりん」と「工女ぐんまちゃん」が仲良く並んで愛嬌を振りまきながら出迎えています。今回は客に子供がいないのですが、一緒に写真に納まる光景を結構見かけました。大人にも人気なのですね。家に帰って子供に自慢するのでしょうか。

少ないながらもパネルに見入り、解説を熱心に聴いて下さる方もいました。昨日から腰痛が出ている近藤会長ですが、先頭に立ってパンフレット配りに大奮闘です。こちらも元気が出てきます。

やがて総会が始まり、来場者の影もなくなってきました。持参したパンフレット類もほとんど配布でき、残部はホテルが引き取ってくださいました。片付けを終え、午後3時過ぎ主催者に挨拶をして帰途に就きました。

近藤会長、日下部支部長には精力的な活動、お疲れ様でした。

最後に伝道活動に理解を示され、ロビーの好位置を活動場所に設定してくださった、㈱とりせんの関係の方々に感謝いたします。

 

            (Y.I記)

 

 

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世界文化遺産登録直前 伝道師と行く 富岡製糸場と絹産業遺産群 のツアーが実施されました

2014年05月27日 20時51分35秒 | 世界遺産伝道師協会

5月23日(金) ツアー参加者23人を乗せて9時過ぎにバスが高崎駅東口を出発しました。最初の見学地は田島弥平旧宅です。車中の説明は伝道師の役目です。世界遺産の話や田島弥平さんのこと、養蚕新論・庄内藩士たちの話などをしながら目的地に向かいました。

境島村では田島弥平旧宅の解説要員である伊勢崎市の嘱託職員から島村の地形的な歴史から島村の特徴、桑の話、清涼育について田島弥平について、詳しく解説をいただき島村の集落を一巡してバスに戻りました。これぞスタディバスツァーです。

伝道師も飽きられないほどに車中の解説を続け、世界遺産委員会に推薦書とともに提出したDVDを日本語版で鑑賞、富岡製糸場で、こんなところを見てきては?といったヒントを示すなどして車中の時間を使い、富岡市の中町駐車場に到着。萬屋さんの風格のある蔵の部屋で昼食。おいしくいただき、参加者からも部屋と食事が好評でした。路地から城町通りに出て散策しながら製糸場へ

富岡製糸場の見学は解説員の解説です。今回は伝道師協会副会長で解説員のNさんが担当でした。バス添乗の伝道師協会近藤会長は解説をN副会長に安心してお任せでした。

富岡市の中町駐車場を出発して高山社へと向かいます。車中、高山社の話と「蚕の一生」のDVDを鑑賞高山社では解説員の解説を受けるが、遺産の規模があまり大きくないので内部に人が増えると混雑してきて解説も大変です。清温育や高山社が全国的に果たした役割などをしかっりと聞き取り、清温育における蚕室の構造を学んできました。

帰路のバスも伝道師の解説です。

スタディバスツァーの実りを乗せてバスは高崎駅東口に戻ってきました。参加者は年配の人が多かったのですがこのコースも解説ともに好評で無事日程を終えました。

 

 

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群馬県民による世界遺産登録推進イベントが開催されます~シルクカントリーぐんま世界遺産キャンペーン~

2014年05月27日 20時35分21秒 | 世界遺産伝道師協会

県民による世界遺産登録推進イベントが開催されます
~シルクカントリーぐんま世界遺産キャンペーン~

 このキャンペーンは、「富岡製糸場と絹産業遺産群」の世界遺産登録に向けた更なる機運の高揚を図るとともに、県内に残る絹産業の遺産を活かした地域づくりに貢献することを目的に、「シルクカントリーぐんま連絡協議会」が中心となって開催します。
 なお、本イベントは、県との間で「地域活性化包括連携協定」を締結しているイオン(株)の全面協力により開催するものであり、県も積極的に応援します。
【日 程】平成26年5月31日(土)~6月8日(日)9日間 10:00~17:00
                              (平日は13:00~17:00)
【会 場】イオンモール高崎(高崎市棟高町)
【主 催】
 シルクカントリーぐんま連絡協議会
 赤岩重要伝統的建造物群保存活性化委員会(中之条町)
 ぐんま島村蚕種の会(伊勢崎市)
 高山社を考える会(藤岡市)
 富岡製糸場世界遺産伝道師協会(前橋市)
 NPO法人富岡製糸場を愛する会(富岡市)
 NPO法人本一・本二まちづくりの会(桐生市)
 よみがえれ!新町紡績所の会(高崎市)
【共 催】群馬県、イオンモール(株)(イオンモール高崎)、イオンリテール(株)
【主な内容】
◇5月31日(土)
・閉会式(主催者挨拶等、世界遺産登録カウントダウン時計除幕式)
・ヘリテイジ仮面(ヒーローショー)、八木節“上州島村”披露、
 ご当地キャラ「シルキーちゃん」、「工女ぐんまちゃん」写真撮影会など

◇6月8日(日)
・世界遺産登録応援式
(登録応援メッセージカード贈呈式、ぐんまシルクWAON寄附金贈呈式)
・エフエム群馬公開収録 ゲスト:岡田浩暉(ぐんま観光特使)
・世界遺産応援ソング「GUNMAはシルクカントリー」
(ご当地アイドルAKAGIDAN ユニット「くるくるシルク」)

◇その他期間中
・「富岡製糸場と絹産業遺産群」や「ぐんま絹遺産」等、県内絹遺産のPR
・「富岡製糸場と絹産業遺産群」4資産のお菓子でつくった模型展示
・登録応援メッセージカード募集
・生きた蚕、養蚕・製糸・織物の展示
・まゆクラフト、桑の木クラフト、上州座繰り、機織り、組紐づくり等の無料体験

※ 内容は日替わりで変わりますので、詳しくは別添リーフレットでご確認ください。
PDF シルクカントリーぐんま世界遺産キャンペーン(pdfファイル:999kb)

【参考】シルクカントリーぐんま連絡協議会
 県内絹産業遺産のPR活動や、それらを活かした地域づくりに積極的に取り組んでいる県民団体によって平成19年4月に設立され、現在7団体が活動しています。「シルクカントリーぐんま」と呼ばれる群馬県の、養蚕・製糸・織物に関する歴史や文化を県内外に発信するとともに、世界遺産登録の早期実現を目指し、県民主体で様々な活動を行っています。

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伝道活動報告(蚕糸記念館:座繰り体験&桑の木クラフト;平成26年5月25日)

2014年05月26日 23時08分48秒 | 世界遺産伝道師協会

伝道活動報告(蚕糸記念館:座繰り体験&桑の木クラフト;平成26年5月25日)

 

蚕糸記念館にて前橋市教育委員会文化財保護課の依頼による座繰り体験と桑の木クラフトを通じての伝道活動を蚕糸記念館で5月25日に行いました。

当日の参加者は、K下部、S水、A見、N屋の4名でした。

本活動は、春のばら園まつり開催中の行事で先週(5月18日)に続いての活動でした。

当日は、天気も良く 8時半頃現地に着いた時には、もう園内は、散策をする人であふれかえっており朝の新鮮な空気とともにばらの花を楽しんでいる様子でした。

蚕糸記念館は、9時にならないと開かないと聞いていましたが、既に扉は開いており、管理人の方が掃除をしている最中で既に見学者も何人かいました。

管理人の方には、「今日はおじさんだけ」と言われ、今回の担当が全員男性なので少しがっかりしていたようでした。(女性の参加を期待していたようです?)

当日の担当は、座繰り体験は、清水、庭屋(午前)、日下部(午後)、桑の木クラフトは、赤見、日下部(午前)、庭屋(午後)で行いました。

前回と同様に盛況で、座繰り体験は、午前、午後とも興味を持つ方が、様々な質問とともに体験を楽しまれていました。

特に、ツアー客で埼玉県からのお客さんが多いいようでした。

ばら園見学で 思わぬ体験ができたと大喜びのグループもいらっしゃいました。

清水さんの説明は、年齢、性別に合わせて、とてもわかりやすく好評でした。

また パンフレットもほとんどの人が断らずに受け取っていただきとても気持ちの良いものでした。

桑の木クラフトもやはり大人気で、昨年も来ましたといった母娘の母親は、「実家が前橋なのでと、昨年は、岐阜から今年は川口から来ました」と言い、娘さんは「とても楽しみにしてきたんだ、おじさん覚えてる?」と話しかけ、赤見さんも以前会ったときのことを思い出して楽しい会話を交わしていました。(小学校2年生で来年以降も来そうな感じでした)

また 中年ライダーの仲間3人(男性2人、女性1人)は「秩父から来た」と言って思い思いの図柄を書いて作品を作っていったのも印象的でした。

簡単なお守り風のものが無料でできるというので、老若男女 幅広い人にブームが広がりつつあるようです。

昼休みを挟んであっという間に15時過ぎになりお客様も途切れたところで活動は終わりにしました。本日の参加者は、座繰り体験110人、桑の木クラフト80人でした。

また 蚕糸記念館の来場者は、約360人とのことで ばら園来場者の1,2割が来場するとのことなので、ばら園も5000人ぐらいで賑わっていたものと思われます。

前橋敷島公園ばら園は、様々なばらが楽しめて入場料が無料なので遠方からのお客様も多いいとのことです。今回の伝道活動は、県外の方へのPRにもなったと思われます。

世界遺産に登録されることが確実になったせいかお客様も興味を持ちパネルの前で立ち止まり質問もされる方が多くなったような気がします。益々 我々も勉強を怠ることなく対応をしたいものだと思いました。

管理人の方には、「次回は、女性も来るからね?」と一言行って家路につきました。

すがすがしい空気の元 楽しい1日を過ごせました。

どうもありがとうございました。

(庭屋 和幸 

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NHK歴史ヒストリアで「少女たちが紡ぐ極上シルク」と伝えました

2014年05月25日 21時32分04秒 | 世界遺産伝道師協会

世界遺産ま間近な富岡製糸場をしっかりしたNHKの番組で取り上げていただき全国の人々に、「富岡製糸場と絹産業遺産群」について知っていただけたことは大変うれしいことでした。しかし、番組表や、番組のナレーションで気になったことがあります。実際に製糸場で働いていた人に取材して、彼女らが工場で「生糸を紡いでいた」と証言したでしょうか?「糸を挽いていた」「糸を取っていた」と言っていたのではないでしょうか?取材の過程でマスコミ的に言葉の響きのよさそうな「紡ぐ」に翻訳されてしまっていなかたでしょうか?今までもあったことなので、今回もそんなことが起こってしまったのかな?と気になりました。

繭から生糸を引き出す作業を、製糸工場で「紡ぐ」とは言いませんでした。生糸は蚕が繭を作るときに吐き出した1400メートルほどの一本の糸(繭糸)を上手に数本まとめて引き出して生糸を作ります。この繭から糸を引き出す作業を「糸挽き」と言っていました。また、「糸取り」とも言いました。「糸を紡ぐ」というときは綿花や羊毛のように繊維の短い材料を撚りをかけながらつないで糸にしていく作業を指していたのではないでしょうか?

生糸で「紡績」という”紡ぐ”仕事は糸が引き出せないようなくず繭などを使っての糸の製造過程で使っています。日本で最初の近代的屑糸紡績工場は明治10年に完成した群馬県の新町屑糸紡績所(官営)です。日本での絹紡績はここから始まります。この明治10年の官営工場も群馬県高崎市に現存しています。

NHKの放送などで「糸を挽く」という言葉を「紡ぐ」に置き換えられてしまうと「糸挽き」ということばが死語になってしまうのではないかと心配です。生糸を作る作業は通常は「紡績」でなく「糸挽き」です。

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