上毛新聞5月31日の一面トップ記事で7月12日に文化庁が文化審議会世界遺産特別委員会を開催し「富岡製糸場と絹産業遺産群」の推薦を決定するとの報道をしました。
http://www.raijin.com/news/a/2012/05/31/news01.htm
この手順でいけば、2年後の世界遺産委員会で「富岡製糸場と絹産業遺産群」審議される見通しです。
ここで、世界遺産の登録が実現することを願ってやまない。
上毛新聞5月31日の一面トップ記事で7月12日に文化庁が文化審議会世界遺産特別委員会を開催し「富岡製糸場と絹産業遺産群」の推薦を決定するとの報道をしました。
http://www.raijin.com/news/a/2012/05/31/news01.htm
この手順でいけば、2年後の世界遺産委員会で「富岡製糸場と絹産業遺産群」審議される見通しです。
ここで、世界遺産の登録が実現することを願ってやまない。
「第21回渋川駅前通り歩行者天国イベント」の伝道師活動状況
5月20日(土)午前10時から15時まで「第21回渋川駅前通り歩行者天国イベント」で伝道活動を行いました。
主催は渋川市辰巳町地域対策協議会・駅前通り商店街振興会です。苗木の無料配布、路上イベント(渋川市民吹奏楽団・和太鼓・八木節ソーラン踊り等)やフリーマーケット出店ありで大変な盛況でした。
私達の世界遺産伝道活動の場所は本部のある“エッグホール”東側の路上です。持参したパンフレット、ノボリ、繭クラフト(ぐんまちゃん)並びにパネルを本日参加した伝導師が手際よく並べ、午前9時半には準備は完了しました。そして、10時から歩行者天国となり、それぞれが手分けして取り組みました。
日中は好天に恵まれ真夏のような暑さとなり、日陰がほしい一日となりました。
歩行者天国イベントへ来られた阿久津渋川市長へ挨拶、内山自治会長(地域対策協議会長)、冨岡副会長(地域対策副会長)とも懇談し世界遺産登録へ向けての協力を要請しました。
市長も昨日、岡野富岡市長と県植樹祭開催についての引き継ぎがあり「富岡製糸場の世界遺産への登録」が大きな話題となったとのことでした。
また内山自治会長は前橋にあった「(株)上毛撚糸」に勤務した経験と、全国各都府県に商談に出向いた経験を持ち撚糸の知識もあり、非常に協力的でいろいろお世話になりました。
12時頃よりだんべえ踊り、八木節ソーラン踊りで人出も最高頂に達し時の経つのを忘れるようでした。昼食等は交代で済ませ、暑さしのぎの休憩を取りました。
パネル解説や繭クラフトの体験学習とも大変多くの人や子供達が訪れて大忙しでした。暑さのため一部悪戦苦闘する場面もありましたが、和気藹々のうちに一日の活動が終了しました。
渋川市は近年まで豊巻、吉野組等の製糸所が残ったところでもあり、旧養蚕農家の人や製糸に関係した人が多く存在し、世界遺産登録運動について関心の高さを痛感致しました。
午後3時過ぎ梨木副支部長の終了挨拶で出店を終了致しました。
渋川駅前での伝導師活動は今回が初めてでしたが、次回は10月14日(日)に行われる「秋の渋川駅前通り歩行者天国イベント」での伝導活動が予定されております。
今回参加した伝道師は梨木、中島(進)、津久井、清水、矢島、須藤、宮下、掛川の8名で暑い中大変ご苦労様でした。
(N.K記)
富岡製糸場世界遺産伝道師協会「平成24年度総会・第一回研修会」を開催
平成24年5月19日(土)9時半より、上毛会館二階孔雀の間を会場に「平成24年度総会と第一回研修会」が75名の出席を得て開催されました。
総会の開会挨拶で近藤会長は、まず桐生本町1・2丁目と天満宮地区が重伝建選定に答申されたことを挙げ「良かった。ぐんま絹遺産の重要なファクターとなる」と感想を述べ、近藤文化庁長官が先の講演会で「(富士山、鎌倉)の次の候補として先頭を走っている」と述べたたことに触れ、後から追いかけている候補があり安心することなく日常の活動に参加をしていただきたい、と強く要望されました。
来賓挨拶で松浦利隆課長から「もっと早く登録されるだろうと考えていた。このまま順調にいくと7月末か8月初めには『富岡製糸場と絹産業遺産群』を世界遺産に推薦、と報道されるだろう。平成26年6月頃には晴れて世界遺産となるのではないか」と心強い挨拶を頂きました。
今井幹夫所長は「松浦課長は長すぎたと言われたが、私は早いと思う。これは伝道師協会の普及活動のお蔭と思う。まだ検証が終わっていないので目標に向かって頑張りたい。」と述べられました。
富岡製糸場を愛する会の高橋信二会長から「慎重な松浦課長が堂々と公言されるようになり、目前に迫ったな、ということを実感している。研究や連携で全体的に価値を高めることが伝道師の皆様に課せられている」との祝辞をいただきました。
高山社を考える会の小坂雄一郎会長は「連休中に行ったららん藤岡での活動の協力へのお礼と、世界遺産は通過点であり、地域活性化が目標。これからも協力をお願いしたい」と挨拶されました。
総会に入り、中島良員副会長を議長に選任、第一号議案「平成23年度事業報告及び収支決算について」と監査結果報告、第二号議案「役員の選任について(案)」は西毛県外支部長が福田友三郎氏から近藤基晴氏に交代する件、第三号議案「平成24年度事業計画及び収支予算(案)」が原案通り拍手を持って承認されました。また「富岡製糸場世界遺産伝道師協会規約第15条会費」を途中で新規加入する者について減額できるとする(案)に対し、佐々木克敏会員から詳細に表現した方が良いとの意見もでましたが、笠原実会員、小林一男会員の賛成意見で原案通り承認され、11時に総会は終了しました。
休憩をはさみ11時10分から、神奈川県立大和東高等学校 総括教諭で、前神奈川県文化遺産課世界遺産登録推進グループ副主幹 梅澤広昭先生が平成19年から5年間世界遺産登録に取り組んだ経験を踏まえて「武家の古都・鎌倉の世界遺産登録について」と題し講演されました。
群馬県との縁は父親の実家が前橋の駒形町小屋原の養蚕農家で夏の夜に蚕が桑を食む音を聞いて育った経験談から、配布された資料に沿って講演されました。
世界遺産総論として、日本の世界遺産は16件あり、国別では20位以内にあって決して少なくない。まだ1件も無い加盟国もある。今後登録を目指すには独自性を証明することが必要、鎌倉は「平泉」との比較を検討した。
鎌倉は①鎌倉が世界遺産にならないと日本の歴史年表は完結しない。②英語表記で「Kamakura,Home of the Samurai」としたが、サムライと表現することに抵抗があったが海外の専門家の意見に従った。③鎌倉は観光という言葉を敢えて使わず、市民の理解を得るため純粋に歴史的価値をアピールすることにした。
登録に20年かかったが、実際に動き始めたのはH14年で、城砦に囲まれていたという「城砦都市鎌倉」の仮説に基づき発掘調査した。何も出てこず、「武家の古都・鎌倉」となった。登録に向けたプロセスは今年夏のイコモスの現地調査を経て、来年の平成25年6~7月の世界遺産委員会で登録の可否が決議される。現地調査は登山できる期間が限られる富士山が先だろう。
平成19年に教職に在ったが指名されて文化庁に派遣となった。
当時は「疑わしい(資産は)は入れる」という考え方で、また文化庁の指導で予定以上に指定地域が広がり、史跡が26から31史跡に増え鎌倉市の5%を超えることになった。
世界遺産登録に向けて本格的に動き始めたのは平成19年から。国際専門家会議の開催は鎌倉が最初で4回開催した(鎌倉モデルと自称している)。4回目の会議の3月11日に東日本大震災にぶつかったことは忘れられない。
鎌倉は一つの資産で、21の構成資産は重要な要素と位置づけている。
構成資産の法的保護措置は文化財保護法と古都保存法で、古都保存法は国土交通省の所管であるが、海外の専門家の意見で縦割り行政を超えて適用した。
バッファーゾーンは、高さ制限では例えば鶴岡八幡宮を超えないこと、土地改変も規制する、色彩の例ではマクドナルドの看板の色を変えてもらった・形態・意匠も制限・木材の伐採も規制した。
「武家の古都・鎌倉の顕著な普遍的価値」について時間の関係で資料を読んでください。
「武家の古都・鎌倉」を守り伝えるために、「鎌倉世界遺産登録推進協議会」を立ち上げたが、伝道師協会とは違い団体が会員の組織である。
市民を入れた組織にしていくため、リタイアした人が多い意見交換会に加えワークショップなど若者にも参加いただくよう取り組んでいる。
個人的には「鎌倉」の次は「富岡製糸場と絹産業遺産群」と思っているが、最終的に国が決めること。
最後に、世界遺産登録の最終段階で心がけることとして、
●信じること(遺産の価値も、取り組む仲間も)
●学ぶこと(私たちが「知のリピーターに」)
●伝えること(伝えることが受け手の感動に)
の3点を挙げ、講演を結ばれました。
近藤会長の謝辞をもって平成24年第一回研修会は終了しました。
12時40分から、会場を鳳凰の間に移し懇親会(昼食会)を開催しました。
近藤会長の挨拶から始まり、来賓の上毛新聞藤井浩論説委員、村田敬一先生、島村蚕種の会栗原事務局長から祝辞をいただきました。
8つのテーブルに分かれ1時間という限られた時間の中で、用意されたお弁当を食べながら、和気あいあいのうちに楽しく交流を深めておりました。
昼食を摂りながら交流を深めるという形式はすっかり定着し、各テーブルでは話に花が咲いておりました。
(文責:日下部 邦彦)
深谷花フェスタ
上毛かるたも飛び出して
日 時 4月28日(土)・29日(日)
9;00~15:00
場 所 深谷城址公園
4月の初めころか伊勢崎市の市民活動課の係長さんから深谷の花フェスタで世界遺産のチラシを配りたいとの電話が有りました。と同時にみちくさ塾で繭のストラップを講習してほしいとの事でした。そしてチラシは1日500枚2日で1000枚と言う。私は「ええ~?1000枚」ちょっとビックリ、でもそんなにパンフが貰えるものなのか、私は「県に聞いてみます」と答え。早速、日下部支部長に連絡すると意外にオッケイが出てしまった。
では、ついでにハッピも貸してくださいと言うとこれもオッケイ5着お借りしました。
私はどうなることかと心配しながら当日を迎えました。いざ会場に行ってみると伊勢崎市を宣伝をするブースらしく色々なパンフが並べられて市の職員の方が配ってくださったのです。
そして、私はここ深谷は富岡製糸場とは切っても切れない市で有ること・富岡製糸場が出来るのに大きな尽力を尽くした澁澤栄一氏や尾高惇忠氏の出身地で有ること、富岡製糸場のレンガを焼いた韮塚直次郎氏も深谷出身と言うことで、ご縁の深さを話掛けてみました。
それと隣の島村の田島家が世界遺産の候補になっていることを話してみると島村はお袋が生まれたところだとか、おばさんが島村に居るとか結構お年寄りが懐かしがってくれた方が沢山いらっしゃいました。やはり島村と深谷は昔からそして今でもご縁が深いようですね。
2日間で私たちのブースに訪れた方200人にストラップも作ってもらいました。繭のストラップを作っている時お父さんらしき人が子供に「繭と生糸はなんだっけ?」「日本一」と子供。私もすかさず「日本で最初の」と言うと「富岡製糸」と子供。やったねと!!
何だかほっとする私でした。夏のような日差しの中快い疲れを感じつつ帰途につきました。
もちろん1000枚のチラシは配り終わりました。
T.K記
岡谷市現地研修会に参加して
5月22日(火)、平成24年度第2回研修会「岡谷市産業遺産群現地研修会」が行われました。伝道師26名、事務局から1名が参加し、中型バスで高崎駅を朝8時に岡谷市へ向けて出発しました。
車中では近藤会長の挨拶を始めとし、町田企画部長による全行程の見学ポイントの説明があり、そのあと全員が自己紹介をしました。能弁の方が多いため、自己PRが終わったころには最初の見学地である「市立岡谷蚕糸博物館」へ着きました。
同博物館は昭和39年に開館したもので、明治から昭和にかけて岡谷が日本製糸業の近代化を担った歴史と精神を後世に伝えようと、蚕種、養蚕、製糸に関する機械類、標本、記録資料など3万点を超える資料を収蔵・展示しています。
館内は、伝道師の一員でもある高林千幸館長から丁寧な説明をしていただきました。また「足踏式座繰機」を使って糸を取る実演を見せていただきました。
この博物館は、明治5年開業した官営富岡製糸場の創業当時に使用していたフランス式繰糸機、水分検査器、台秤(だいばかり)、金庫、椅子、時計を収蔵しています。
博物館に隣接する図書館2階で昼食後、岡谷市にある経済産業省認定の近代化産業遺産(15か所)をPRするボランティア団体「岡谷近代化遺産を伝える会」の皆さんとの意見交換会を行いました。
その後、バスで「((株))宮坂製糸所」へ向かいました。当工場は昭和3年に創業し、明治から昭和にかけて使われていた諏訪式繰糸機を現在も稼働させている全国で唯一の製糸工場です。他に江戸末期から明治初期に使われていた「上州座繰器」で玉糸生産も行っています。自動繰糸機も稼働しており、中でも1000デニールの極太糸をつくる繰糸は見ものでした。
次に「旧山一林組製糸事務所」へ行きました。林組製糸は林瀬平により明治12年に創業し、全国展開を図りましたが、製糸業は昭和47年に閉業しました。大正10年に建築された事務所は、「岡谷を代表する製糸会社の本社事務所建築の遺構として貴重(文化庁)」と評価が高く、平成17年2月に国の登録有形文化財に選定されています。
最後の見学場所である旧片倉事務所および初代片倉兼太郎生家を訪ねました。明治43年に大製糸会社片倉組の事務所として建築され、初代、二代片倉兼太郎の活躍の拠点となりました。明治時代に建てられたレンガ造りの数少ない製糸工場事務所で、平成8年に国登録有形文化財に指定されました。現在は片倉工業株式会社の印刷部を継承した中央印刷株式会社の事務所として使用されています。
初代兼太郎の生家は事務所から歩いて5分くらいの場所にあります。約450坪の敷地に150坪ほどの茅葺き屋根の建物で200年以上経過しているということです。平成11年7月、国の登録有形文化財に指定されています。
そぼ降る雨の中での移動でしたが、無事に全行程を終え、帰路に着きました。帰りのバスの中では、交流会でいただいた「岡谷市のDVD」を鑑賞しました。富岡市と岡谷市は姉妹都市になっていますが、さらに両市の見識を深める有意義な研修となりました。
(Y.N 記)
平成24年5月10日を発行日として、「旧官営富岡製糸場所長速水堅曹詩歌集『一本の糸』」が刊行されました。編纂は富岡製糸場世界遺産伝道師協会歴史ワーキンググループの皆様が御苦労されて出来上がりました。
上毛新聞のミヤマ春秋に早速紹介されました。
http://www.raijin.com/news/d/2012/05/24/column.htm
明治の傑出した人物は、その素養がしっかりしており、現代に生きる私たちに考えさせるものがあります。
この詩歌集は予算の都合もあり、発行部数が少数のため入手しにくい貴重本です。関心のある方は群馬県立図書館等でお読みください。
「釜飯のおぎのや」横川店の伝道活動
写真はパンフレットを配布する須永さんです。
5月12日と13日の10時~14時までチラシ配布をしました。
10時前に二階の事務所へ挨拶へ行くと、ゼネラルマネージャーを始め、 スタッフの皆さんに快く受け入れてもら、「頑張られなければ」という気持ちになり、 来店されたお客様に声がけを始めました。今年は天候不順のせいか、五月半ばなのに風が冷たかったです。
入り口のドアが開くとひんやりした風が吹きこんできました。大型連休の後のため、大型バスも一日に10台前後と少なめでしたが、昼食時間に合わせて続々とバスが 入ってきました。バスからはたくさんの人が降りてきたのに合わせ、私達は左右に分かれ手際よく漏れのないようにチラシを手渡しました。ほとんどの人が受け取っ てくれましたが、説明するまもなく二階の食堂へと移動してしまう為、お食事中かバスの中で目を通してくださいと言いました。興味のありそうな人は、おみやげを 買いに一階に降りてきたときに話をかけてくれたり、こちらから話したりと他のイベントの説明とは少々違っていました。
家族連れの車やバイクの人などには話しか けやすかったです。兵庫、愛知、埼玉、東京、などの県 外の方々が多く群馬に一泊した観光目的の人が多かったです。いらした方に話を聞くと、以前製糸場に きたが、駐車場が少なく、留められなかったので今度またきますや、今でも製糸場の中で糸を作っているのか、これから行くところです、などなど。中でも印象に 残った埼玉本庄市の年配の方が昔は繭から糸をとり、染めて着物を作り、今もっている物はすべて自分で作ったものです。一緒にいる娘の着物もすべて私の手作りで 箪笥の中には入りきれないぐらいあります、と言っていました。思わず是非拝見したいと申し出ると、たくさんありすぎるが今の若い人は興味なくほとんど捨ててし まうということで困っているとの事。こんな話は多くの年配の人達の悩みであるらしい。
東京在住の歴史に詳しい男性 が岡谷、富岡の工女の話など30分ほど話込ん だり、富岡に疎開していたので懐かしいと言う人もおりました。又、バス五台でやってきた東京の昭和女子大学付属高校の生徒達は、富岡製糸場は知らないという人 がほとんどで、興味ないという感じでした。おぎのやさんでの活動でいつも感じることは、釜飯の売り場はどこですか?や、トイレはどこですか?と従業員の方と間 違えられる事が多々あります。12日 が福田、須永、岡田。13日が福田、鈴木、筒井、近藤さんの計7名で行いました。12日で800枚、13日で900枚のチラシを配りました。お客様がまばらになってきたの で遅い昼食を取り、事務所に配布数を報告し、お礼を述べ、おぎのやを後にしました。添付した写真に、気さくにチラシを手渡す須永さん、と記載しておいてくださ い。宜しくお願い致します。
M.O記
盛況の「島村渡船フェスタ」で伝道活動
5月20日(日)、伊勢崎市境島村の島村渡船乗り場で行われた第17回島村渡船フェスタで伝道活動を行いました。5月下旬の太陽は暑さを感じますが利根川を渡る川風が何とも気持ちの良い日でした。
今年の渡船フェスタは「富岡製糸場と絹蚕業遺産群」として境島村の「田島弥平旧宅」を含み、世界遺産登録に向けたPR活動も行うことをメインのテーマとして開催されました。
そのために「ヘリテイジ仮面ショウ」も出演を要請され、郷土芸能発表ステージのメインとして出演しました。
島村渡船は群馬県と埼玉県を結ぶ県道の役割を果たしています。江戸中期に始まり200年の歴史があります。この4月1日、県道から市道に移管され、伊勢崎市が渡船の運営主体となりました。
参加者は伝道師11名と世界遺産推進課の高橋補佐、金谷主任で、昨年同様渡船乗り場近くに割り当てられたテントに8時集合。テーブル・椅子・パネルの設置・チラシ2種類の用意とたちまち準備完了、簡単な打合せ後活動開始です。隣のテントは例年どおり「ぐんま島村蚕種の会」です。
利根川河川敷の広大な会場には約50のテントが並び、各種模擬店や体験コーナー、展示コーナー等が入っています。また、マス釣りやカヌーの体験乗船も行われました。
良い機会なので渡船体験の無い7名が8時半の渡船開始に合わせて乗船、南岸に着くやUターンで戻り活動に加わりました。
9時を回る頃には大勢の親子連れ等で会場は賑わってきました。渡船の乗り場は長蛇の列ができ2時間待ちの表示が出ています。南岸にはテントが張られ、希望者には大型養蚕農家群を案内するガイドが10人待機しています。また、渡船フェスタ会場と南岸渡船場を結ぶバスも運行されました。
しかし、渡船した人達の9割は養蚕農家群を見なかったという結果だそうです。まだまだ一般の人々の関心がそこまでいっていないのかとがっかりした気分にもなります。これが世界遺産になれば当然ながら全く違ってくるのでしょうが。県外の人達も結構いますが、県内からの人達が圧倒的に多い感じです。チラシは本当に良く受け取ってくださいます。パネルの説明にも熱心に耳を傾けてくださいました。
今朝一番で東京から来た芝原伝道師は、ぐんまちゃんのぬいぐるみを着て、暑さをものともせず精力的に来客とふれあい記念写真に収まっていました。
10時過ぎに行われたヘリテイジ仮面ショーは数百人の観客に囲まれ、大盛況でした。隊長は1回だけでなく2回公演したかったと残念そうです。
公演後、ヘリテイジ仮面がテント前に来て希望者と記念撮影会を行いました。ぐんまちゃんも加わり、ダブルの人気キャラクターに大勢の子ども連れが記念写真の順番を待ちます。私達もこの両キャラクターが一緒の場面は初めて見ました。両者の集客力は抜群だと再認識しました。
活動中、伊勢崎市の五十嵐市長が巡回して来られました。今日参加の櫻場伝道師とかつての同級生だったそうで、懐かしそうでした。
世界遺産推進課の井上さん、かつて推進課に在籍の吉田さん(今日のヘリテイジ仮面ショーに出演)が激励に来てくれました。地元の村井伝道師も差し入れに来てくれました。金井伝道師は、今日は自分が主宰するボランティア団体「みちくさ塾」のテントでベーゴマ教室を開催。渡船をデザインした特注のベーゴマを私達伝道師にもプレゼントしてくれました。
参加者の積極的な働きもあり、約6時間の活動でチラシは、受付で袋に詰め合わせて配布された1,200枚と合わせて3,000枚、子ども用チラシ400枚の計3,400枚が配布できました。子ども用は午前中に無くなってしまい、来年は1,000枚以上用意したいものです。
チラシ配りも順調、渡船体験やヘリテイジ仮面ショー、郷土芸能も活動しながら楽しめて、良い思い出となりました。
暑さの中、精力的に活動された伝道師の皆さん、推進課のお二人には大変お疲れ様でした。
今回の参加者は、日下部、町田(睦)、諸井、小野、櫻場、五十嵐、中山、芝原、井上(雄)の9名でした。
(Y.I 記)
2012.05.14
「花と緑のぐんまづくり2012in前橋 活動報告 (ふるさとキラキラフェステバル)
5月12日(土)及び13日(日)の両日「前橋公園緑の散策エリア」で広報活動を
行いました。このフェステバルは前橋市制施行120周年記念行事として行われ、“花と緑のぐんまづくり”を推進することを目的としたイベントです。
会場の“前橋公園”は明治38年に開園した前橋市で最も歴史のある公園です。また
メイン会場の“緑の散策エリア”は旧競輪場の跡地を平成20年の緑化フェアーに合わせて整備された場所です。
5月12日(土)
“緑の散策エリア”に午前9時に集合し、テント2張り、机4、椅子20脚、ノボリ2、パネル3枚をセットしパンフレット(子供用300部、一般用1000部、一般用英字版50部)を準備し午前10時活動開始しました。朝から可なりの風でしたが2つのクラフト、パンフレットの手渡し、パネルの解説も順調に進みました。
昼食は全員一緒にとり12時30分より午後の活動を開始してまもなく強風が吹き荒れた為、隣の“ころとんふわふわドーム”が店終い、当方も危険を感じてテントを畳み午後2時半頃活動を中止しました。後片付け、周辺のゴミなどを拾って3時に解散となりました。
当日参加者は 日下部邦彦、中島進、赤見隆、諸井透、高橋榮志、中嶋紀嘉、門倉るみ子、掛川尚充、清水政之の9名でした。
5月13日(日)
2日目の13日は前日の活動と同様に午前9時に集合し、9時40分より活動を開始
昨日とは違って晴天、微風、初夏を思わせるほどの気温となり汗ばむほどでした。
桑の木クラフト、繭のぐんまちゃんクラフトも椅子の空くのを待ち切れないほどの大盛況、パンフレット配りも可なり広い会場をくまなく周り攻めの姿勢で子供用300部、一般用1000部を消化しました。(一般用英字パンレット50部は丸山貴美子様に後日、知人、友人等に配布して頂くようお願いしました)
今回の活動で感じたことは、高齢の方は勿論若い人達にも大分富岡製糸場を中心とした絹産業遺産郡について関心を持ってきてくれたように思った2日間でした。
活動参加者は日下部邦彦、中島弘、井上雄二、赤見隆、町田悟、篠田道代、丸山貴美子、澁澤美代子、清水政之の9名でした。
(M.S記)
甘楽町総合運動公園(お祭り広場)での伝道活動
4月8日(日)例年ならば、満開の桜の中で武者行列であるが、今年の桜はまだ蕾状態
でも、当日は天候に恵まれ、25,000人(実行委員会調べ)の人出で賑わった。
今回の伝道師協会の取り組みとしては、お祭り広場の一角に,町で用意されたテ
一ブースを借り、「繭クラフトコーナー 座繰り体験コーナーを設置、」その前に
「富岡製糸場と絹産業遺産群」パネルを4枚展示、また同チラシ500枚の配布を行った
暖かな天候に恵まれ、休日の事もあって家族連れが多く、クラフトコーナーや座繰り体験
伝道師が休む暇がないくらい盛況であった。
パネルの前には、足を止め、伝道師に質問 説明を求める人々もおり、中でも
「富岡製糸場パネルと、荒船風穴パネル」に関する、ものが多かった。
来場者の中で、地元町会議員 元片倉に勤務した事のある人や、元蚕業技術員(昔の養蚕教師)等から、富岡製糸場について、町の取り組み方や含蓄のある話を聴かせて戴いた
午後3時 花火を合図に 本日のお祭りが終わった。
今回の活動参加者は、
市川(武)富岡支部長外 徳江 宮下 松浦(志) 鈴木(晃)小田 中嶋(弘)
以上7名
(中嶋 弘 記)