富岡製糸場世界遺産伝道師協会 世界遺産情報

「富岡製糸場と絹産業遺産群」は日本で初めての近代産業遺産として2014年6月25日付でユネスコ世界遺産に登録されました。

春日神社(前橋市)に御神木として桑を植栽

2010年12月25日 20時46分15秒 | 世界遺産伝道師協会

  12月24日、前橋市上佐鳥町にある春日神社の境内に御神木として桑の苗3本が植えられました。この桑の植栽は、春日神社の例祭日に行われる太々神楽の中で「蚕の舞」が演じられていることから、桑を御神木として植え自前の桑を舞いの中で使いたいとの意向から植えられたものです

。 

桑は養蚕用の品種「一ノ瀬」2本を県蚕糸技術センターが寄贈し、観賞用の「しだれ桑」1本はM.M伝道師が一昨年「桑の接木講習会」で接ぎ木して育てていたものを寄贈したものです。当日は神楽保存会の役員達によって日当たりの良い境内の西側に植えられました。

 この桑の植栽は、地元の中沢伝道師が神社の氏子になっていることから神楽保存会に呼びかけて実現したものです。ここ春日神社は、毎年5月3日(祭日)の祭礼日に太々神楽24座が上演されています。その中でも9番目に上演される「蚕の舞」は興舞(愛嬌舞)とも言われ、神様を喜ばせるための舞いで明るくユーモアに富み、おどけた仕草で観客を笑わせながら演じることで知られています。

「蚕の舞」は、農家の夫婦と下男(若者)2人がひょっとこ面をかぶり、養蚕の掃き立てから繭を収穫するまでの一連の作業を踊りながら表現するもので、昭和49年に前橋市無形文化財に指定されています。本協会でも,本年6月にイオンモール高崎で開催された「シルクカントリーぐんまキャンペーン」の開会式の際に上演していただきました。

この神楽の始まりは、明治時代の中頃、渋川市下南室にある赤城神社で始まったものが前橋市下大屋町の産泰神社を経て春日神社に伝わったと言われています。産みの親とも言える渋川市の赤城神社では現在も「養蚕の舞」が演じられていますが、養蚕を演目とした太々神楽は全国でも渋川の赤城神社と前橋の春日神社の二か所のみとなってしまいました。養蚕を題材とした太々神楽は両保存会の人達によって伝承されており、養蚕が盛んだった群馬ならではの生活文化を取り入れた優れた伝統芸能の一つとなっています。

このたびの御神木としての桑の植栽により、「蚕の舞」の神楽が後世に伝承されていく一助となればと思っています。(M.M記)

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共愛学園中学・高校「富岡製糸場で学ぶ」

2010年12月21日 19時01分51秒 | 世界遺産伝道師協会

12月4日(土)、共愛学園高校教諭の阿久澤佳之伝道師の企画により、共愛学園中学・高校の地歴部と日本史教科受講者の計6名の生徒が富岡製糸場の現地見学会を行いました。平成18年の7月に行って以来4年ぶりの実施でした。阿久沢教諭は日本史を教え、地歴部の顧問です。同じ地歴部顧問の福島教諭と一緒に引率し、伝道師の井上が前回に続き同道しました。午後1時半、学校所有のワゴン車で学校を出発しました。

 

Y.I伝道師はパンフレット等を配布し、往復の車内で養蚕の歴史、富岡製糸場建設に至る過程、製糸が日本の近代化に果たした役割、世界遺産の意義、世界遺産条約ができたきっかけ等の説明を行いました。阿久澤教諭も日本史の観点から補足説明を行いました。  

 

製糸場の正門を入ると、生徒は眼の前にせまる東繭倉庫の想像を超える大きさに圧倒された面持ちでした。製糸場の職員で解説員のH.I伝道師が場内の案内・説明を担当してくれました。H.I伝道師は各見学場所で、生徒に質問を投げかけます。説明をただぼんやりと聞いているわけにいかない緊張感があります。説明は要点を押さえながら、とても分かりやすい内容で生徒も感銘を受けていました。

 

東繭倉庫、繰糸場、ブリューナ館、鏑川を望む敷地際、2・3号館、中庭、西繭倉庫と明治の日本の力強さを肌で感じながら知識を吸収した生徒達でした。

 

終了後の生徒の感想は「富岡製糸場のことが良くわかった。来て本当によかった」、「本物が見られてとても楽しかった」ということでした。 

 

伝道師協会の活動に学校キャラバンがありますが、学校としては授業確保という制約もあり、なかなか学校キャラバンを受け入れにくい現状があるようです。共愛学園を除いては、学校内での実施や今回のような形での実施も中学・高校ではありませんでした。阿久澤教諭のように、実施形態や曜日を考慮して行えば、多くの学校で実施可能なのではと思われます。身近にあり世界遺産候補になっている貴重な遺産について、一番学んで欲しい対象は中学生・高校生・大学生だと思います。いろいろ考えさせられる半日でした。 

 

最後に有意義な企画を実施された阿久澤教諭、福島教諭と企画に協力された共愛学園中学・高校に感謝いたします。

             (Y.I記)

 

 

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富岡製糸場世界遺産伝道師協会が富岡市内で「現地学習会」

2010年12月20日 23時55分22秒 | 世界遺産伝道師協会

富岡市内で「現地学習会」

 

12月9日(木)10時、富岡駅に集合。風もなく暖かい晴天で散策日和でした。近藤会長をはじめ16名の伝道師と推進課の秋山さんが参加しました。

 今回の目的は一昨年に続き、富岡製糸場のバッファゾーンになる富岡市内の街並みや主だった施設についての研修と、合わせて今後街並み見学を希望する来訪者の案内ができる伝道師を増やそうという企画です。

 

 講師は富岡の歴史・地理にも造詣の深い伝道師の徳江さんです。最初の見学地は駅の間近にある旧甘楽社赤レンガ倉庫(現富岡倉庫)です。その敷地内で富岡倉庫が12年ほど前まで稼働させていた生繭乾燥機の入った建物内部を特別に見学させていただきました。大きな乾燥機に圧倒されそうでした。初期の頃は石炭を燃料とし、その後は重油を使用したそうです。将来的にも一般公開され見学コースになることを望みます。敷地内には明治・大正期のレンガ造倉庫、大谷石造倉庫、土蔵造倉庫が並んでいて圧巻です。

 【入山家2階】

 続いて諏訪神社(九斉市の市神)、旧吉野呉服店(土蔵建築)、大黒屋(醸造業)、阪本医院(土蔵建築・元呉服太物商)を通りから見学しながら龍光寺に着きました。器械製糸に先鞭を付け、若くして亡くなった工女達に思いを馳せました。明治8年建築といわれる長屋(製糸場建築関係者の住宅)の一角では、当時の梁や壁をそのまま生かした古民家カフェの店となっている内部を見せていただきました。古い建物を活用しながら保存する良い例だと思いました。

 

 それから海源寺(工男、工女の墓)、櫛淵邸、篠原邸と回った後、ご主人が伝道師の

入山商店の内部を2階まで見せていただきました。代々糸商を営んでいたという建物の太い梁や商品を入れて荷車に積んだというつづら様の箱など年期の入った施設・備品類を通して往時の富岡の繁栄ぶりが目に浮かぶようでした。さらに横山陶器店、旧横山酒造(赤レンガ倉庫)と外観を見学しました。

 

 富岡の街並みは約400年前、代官であった中野七蔵によって計画的に作られましたが、直角に曲げられた道路や短冊形の屋敷割、道の角に配置された神社や寺の位置などが昔のままで残されていることが、徳江さんの案内でよくわかりました。明治期の重厚な土蔵建築やレンガ造り、石造りの倉庫が点在し、養蚕・製糸で栄えた時代を彷彿とさせます。宮本町で多く見られる、おもては改装されているが横から眺めると屋根、壁、窓など昔のままの重厚な造りになっている商家に驚かされます。おもての改装部分を取り除くことができたなら、昔の風景が甦って素晴らしい街並みが再現できるのにという意見も出ました。

 

 レストラン(新洋亭)で昼食後、4台の車に分乗して移動、七日市前田藩陣屋跡(現富岡高校)を見学しました。普段は立ち入り禁止の陣屋内に入れていただき、建物内の各部屋を回って歴史的資料を拝見しました。明治6年、英照皇太后と昭憲皇后が富岡製糸場に行啓の折、宿泊された「御座所」も見学することができました。

 

 陣屋跡から北へ1分ほど歩くと、文政11年(1828年)シーボルトが帰国する際、国禁となっていた日本地図を国外に持ち出そうとした、いわゆるシーボルト事件に連座した通詞の 稲部市五郎の碑があります。事件に関わった一人として異郷の七日市藩に預けられ、永牢を言い渡されます。11年後に牢内で病死。昭和6年、この事件・市五郎の人となり・業績を後世に伝えようと甘楽郡医師会により牢獄の跡に顕彰碑が建てられました。興味深い話に富岡の歴史を感じました。

そこから東に400mほど離れた金剛院にある稲部市五郎の墓が最後の見学地です。参加者には7名の富岡市在住者がいましたが、いつも何気なく通り過ぎていた街並みを今回のようにていねいに見ることができ、新しい発見が大分あったという感想でした。

 

 徳江さんのご尽力により4箇所の伝統ある建物の内部まで見学することができ、有意義な一日となりました。富岡の町が大分身近に感じられてきました。最後に講師を務めていただいた徳江さん、気持ちよく建物内部を見せて下さった入山商店、富岡倉庫、カフェドローム、富岡高校に深く感謝いたします。 

             (Y.I記)

 

 

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藩営前橋製糸所跡の碑」除幕式が開催されました

2010年12月18日 22時36分29秒 | 世界遺産伝道師協会

平成221218()「藩営前橋製糸所跡の碑」の除幕式が開催されました。

「藩営前橋製糸所」は、前橋藩主の指示により藩士深沢雄象と速水堅曹により官営富岡製糸場が創業する二年前の明治36月に日本で最初の器械製糸所として、前橋町細ケ沢(現前橋市住吉町一丁目)に民家を借り上げて開設されました。民家の転用では不便なため、三か月後に岩神村観民(現前橋市岩神町二丁目)に新工場を建設して本格的な生糸製造が開始されました。前橋製糸所は器械製糸技術の全国的普及の最初の拠点ともなりましたが、日本における実質的な器械製糸の発祥の地として前橋市岩神町で操業されていたことはあまり知られておりませんでした。

(除幕)

そこで藩営前橋製糸所が開設されてから140年となるのを記念し、操業場所となる現前橋市岩神町二丁目7-23番地に「日本最初の器械製糸所・藩営前橋製糸所跡」の碑を建立して、その歴史と先人の先見性を広く知っていただくため建立委員会(代表 近藤 功)が約160名余の個人、団体からの賛同(寄付金)をいただいて建立したものです。

 (高木市長)

式典は1330分より始まり、開式の辞に続き、高木政夫前橋市長、群馬県農政部長(代理山口憲作蚕糸園芸課長)、前橋製糸所開設にあたった深沢雄象と速水賢曹のご子孫の深沢満様と速水美智子様、地主の狩野邦雄様、二丁目自治会長(代理上野副会長)、碑の揮毫をされました横山香操様、近藤功建立委員会代表の来賓8名で除幕を行いました。

 (近藤代表)

 碑の除幕に続いて発起人を代表して近藤功建立委員会代表の挨拶、建立委員会事務局の町田睦さんから碑の建立の経過報告があり、来賓を代表して高木政夫市長と山口憲作群馬県蚕糸園芸課長より祝辞をいただきました。

続いて来賓15名の紹介の後、ご子孫を代表して速水美智子様に挨拶をいただきました。

 

 式典は14時過ぎ閉会の辞をもって終了となりました。

除幕式には建立に賛同されました関係団体や蚕糸関係者、富岡製糸場世界遺産伝道師協会の会員、一般市民の方々など70名以上が参加され、ともに記念すべき日を祝いました。

 (除幕式に集った人々)

上毛かるたの読み札に「県都前橋生糸の町」がありますが、今回建立されました碑が市民の皆様に往時を忍ばせてくれる大切なモニュメントとして大切にされ、また群馬県が進めています「富岡製糸場と絹産業遺産群」の世界遺産登録運動に資するものとなりますよう願ってやみません。

(K.K記)

 

 この行事は12月19日(日)の縄文新聞の記事になりました。

http://www.raijin.com/news/a/2010/12/19/news08.htmでご覧下さい。

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太田市世良田保育園で絹産業遺産群の広報活動

2010年12月14日 20時24分19秒 | 世界遺産伝道師協会

世良田保育園で広報活動 

 

 1210日、太田市にある世良田保育園の年長児46人を対象に、2人の伝道師で活動をしてきました。

 

 午後2時の開始に備え1時半ころから会場となる部屋で座繰りの準備をしていると、次々に15人の保護者が集まってきて授業参観の雰囲気になりました。予想外の出来事に、保育園と保護者の教育方針を無言のうちに感じ取ることが出来ました。

 2時に開始の挨拶をした後、園長先生が「カイコの一生」というプリントを用意してくれていたので、S.Nさんに蚕と繭の話を5分くらいしてもらいました。その後、全員が塗り絵を始め、順番で座繰りのハンドルを回してもらうことにします。

 園児の対応は5人の先生が担当してくれたので、2人の伝道師は繭の話をしながら座繰りがスムーズにいくように神経を注ぐことが出来ます。先生は、1人が15回ずつハンドルを回すと決め、その姿を11人写真に収めます。

 

 保護者にも座繰りはめずらしいようで、写真やビデオを撮っていました。そして遠慮しながら座繰り体験もしてくれました。会場は静かな中にも熱気が漂います。

 

 園児の興味はサナギにも及び、先生がビニール袋に一匹ずつ入れて持たせていました。園長先生からは「生きた蚕はいつ、どこで見られるのですか?」と聞かれ、園児の知識欲を満たしてやりたいのだと感じました。

 

 大盛況のうちに約束の1時間が過ぎて、「お家へ帰ったら、パンフレットを読んでもらってね」と挨拶して閉会となりました。

 

 6歳の園児を対象にした活動に不安もあったのですが、先生や保護者の熱心さに頭が下がり、「来てよかった」というさわやかな気分で帰路に着きました。

(Y.N)

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「富岡製糸場と絹産業遺産群」国際シンポジウム2010.11.28を終わって

2010年12月09日 21時16分02秒 | 世界遺産伝道師協会

  このシンポジウムの会場で群馬県世界遺産学術委員会委員長の岡田保良国士舘大学教授(ICOMOS国際記念物遺跡会議執行委員)は2627日に開かれた国際専門家会議の概要を次の3点にまとめて報告しました。「富岡製糸場と絹産業遺産群の価値」について蚕糸業技術の開発、移転で人類の価値観を双方向で表している伝統的な生糸生産と製糸工場の融合が独特生糸生産の増大が日本近代化の原動力となったのは特筆すべき現象の3点を確認したと報告しました。

 「富岡製糸場と絹産業遺産群」は新しいノミネートの考え方だとの意見がありました。普通、シリアルノミネーションというと、同質の遺産をいくつか並べて申請するものをいうのだが、今回の考え方は養蚕から製糸に至る産業のシステムを説明する遺産の集合体で、新しい考え方のようです。

  ディヌ・ブンバル氏(イコモス・カナダ会長)は「伝統とイノベーション、そして、新しい技術や市場とのつながりを見る事が出来た、日本が近代国家になった要素であると思った。各構成資産は関連付けられてはいるが、ノミネーションの申請では工夫が必要だ。」感想と意見を述べました。

 タマシュ・フェジャルディ氏(イコモス・ハンガリー事務局長)からは「 『顕著な普遍的価値の証明』(OUV)は構成資産が物理的につながっていなくても、各資産を関連づける類似した要素がある場合、相互補完性を説明することが重要です。」とのご意見をいただきました。

 絹産業が世界との技術交流、そして国内での技術革新が顕著に見られ、それらが相まって日本の産業の近代化に大きく貢献してきた。このような視点を導入して普遍的価値(OUV)を世界に通用する書き方で、タマシュ・フェジャルディさんの発言によれば<ユネスコ語>で推薦書を書くことが大切とのアドヴァイスをいただきました。

 今回のシンポジウムで「富岡製糸場と絹産業遺産群」の“顕著な普遍的価値”(OUV)については現地に来て見てもらい、説明を聞いてもらえれば十分に理解してもらえることができるが、世界遺産委員会に提出する推薦書がイコモス関係者にどこまで理解してもらえる内容になるかユネスコに通用する論理や言葉で表現できるかが、今後の大きな課題であることが明らかになりました。

 

国際学術会議・シンポジウムについての群馬県の公式ホームページの記事は次のURLをご覧ください。

 

http://worldheritage.pref.gunma.jp/ja/wh001.html#043


 

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中之条小学校で世界遺産の学校キャラバン

2010年12月07日 19時53分40秒 | 世界遺産伝道師協会

  

11月17日(水)午後2時から中之条町立中之条小学校4年生74名と、その保護者の親子行事として今回のキャラバンを行いました。

 この日は、県世界遺産推進課から金谷さんと秋山さんのお二人と伝道師は高橋、丸山、梨木、中島(進)の6名で行ってきました。

 

県蚕糸技術センターに集合し、曇り空で肌寒さを感じながらの出発でしたが、渋川を過ぎ中之条が近付くと、なんと秋晴れの穏やかな日差しが降り注ぎ、周りの山々は赤や黄色に染待っていて何とも言えない絶好の日和となりました。

 

 中之条小学校の校庭にあるモミジ、イチョウ、ドウダンツツジなどが、今を盛りと色を競っている中、午後1時少し前に到着し、玄関では、中之条小学校の山田先生が迎えてくれました。キャラバンの開始は午後2時ですので、時間までは学校との打ち合わせ、伝道師間の打ち合わせと繭クラフトの作成手順の確認などを行って万全の期しました。

 

午後2時、学校内の多目的ホールで先生、児童そして保護者を併せて150名超す集まりの中、梨木伝道師が「世界遺産」や「富岡製糸場と絹産業遺産群」について、20分ほどの短い時間で、大変に分かりやすく要領よく話されました。

 

午後2時半ころから、大勢ですので2教室にわかれての繭クラフト<パンダ>作りとなりますので、伝道師たちも3名一組2班に分かれての対応となりました。

 

 最初に出来上がりの<パンダ>を見てもらい、続いて説明書で簡単な作成方法とカターやハサミなど刃物の使用上の注意を説明した後、親子でのパンダ作りが始まりました。

 

作業が進むと「ここはどうするの」「次はどうするの」など、次々と声がかかり、伝道師たちはフル回転で、その対応に終始しました。

 

 

30~40分もすると、出来あがる親子もいますし、まだ途中の親子もありで終わりの時間を気にしながらお手伝いをして、全員が何とかパンダを完成させることができました。

 

作ったパンダを持ちよった子供たちを先生が写真に撮ったりもしていました。出来あがった繭のパンダの表情は、全てが違っていて、私たちも、つい笑みがこぼれましたし、何といっても子供たちの笑顔が最大のプレゼントでした。

 

午後3時半に終了し、お世話になった先生方にお礼を述べて帰路に着きました。

(S.N 記)

 

 

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桐生市本町1丁目で世界遺産PR活動

2010年12月06日 20時12分52秒 | 世界遺産伝道師協会

  124日、桐生市本町1丁目で恒例の東毛支部活動を行いました。参加伝道師は3(S.Y Y.N  H.N)です。

 

 この日は朝から風が強く、いつもなら道路上に並べている桐生市内のパネルは省くことにして、イーゼルに載せる4枚だけを展示しました。少し経つとパネルが倒れてしまったため、中嶋さんがイーゼルの足を道路脇にある石の柵に縛ったりガムテープで止めたりして固定してくれました。

 歩道の柱に縛っておいた旗は、上の方が飛ばされ、立てて置けなくなったため取り外すことにしました。

 

 10時には活動が出来る体制になり、S.Yさんが3枚のチラシを組み合わせてくれたものを通行人に配って行きました。ほとんどの方に受け取っていただけましたが、立ち止まってパネルを見て行く時間はないようでした。

 

 買場紗綾市では、六合村の物産品を売っていると聞き、花豆を買いに行きました。隣の場所では男子児童が座繰りをしていました。座繰りの持ち主である千明さんが留守にしている間、物産店を出すために来ていた赤岩の方の子どもさんが手伝っていたようです。青と赤の繭で挽いた糸は薄い紫の糸となって小枠に巻かれて行き、見学者の目を引いていました。

 

 午後1時半から「買場ふれあい館」で世界遺産ミニ講座があるのを知り、私たちは早めに昼食を摂り、聴講に臨みました。講師は篠原辰夫氏、演題は「重伝建と地域づくり」です。

 篠原氏が、重伝建になったいきさつなどについて20分くらい話をしたあと、活発な質疑応答があり、3時ころに閉会となりました。

 

 今回は、事前に「12月の活動は出られません」と言っていた伝道師が多く、森宅に着くまでは「私一人で活動するのかな」と心配でしたが、前橋からH.Nさんが来てくれました。その後、S.Yさんの顔も見え、どうにか3人で1年の締めくくりの活動を終えることが出来ました。

(Y.N)

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富岡市第5回産業祭・ぐんま食育フェスタin富岡での世界遺産伝道活動

2010年12月06日 20時04分00秒 | 世界遺産伝道師協会

 11月21日の日曜日、午前8時45分の花火を合図に、「とみおか市第5回産業祭」と同時開催の「ぐんま食育フェスタin富岡」が富岡小学校を会場として開催され、富岡製糸場世界遺産伝道師協会富岡支部として参加して富岡製糸場の世界遺産登録推進を改めてPRしました。

 

当日は天気に恵まれ、日曜日であることから午前10時頃には大勢の来場者で賑わいました。ステージでは「あばれんぼう太鼓」や当協会の「ヘリテイジ仮面ショー」が人気を集め、テント村では農産物等の即売会をはじめ、焼き肉、牛乳、こんにゃく、こしね汁等の試食コーナーは沢山の行列ができていました。

 

伝道活動はテント村の一角にテントを借り、パネル解説、チラシ配布、座繰り体験・実演の準備を午前8時から開始しました。世界遺産推進課から奥原主幹が参加、H.O、N.A、S.K、K.Tの各伝道師が担当して座繰りの体験と実演を中心に活動を行いました。

 

「懐かしい」、「むかし家でやっていました」、繭までは知っているが生糸をひくのは初めて知った」、「綺麗な生糸をありがとう」等の感想や、世界遺産については「いつになりますか?」、「もっと地元が力を入れなければ」等の意見や激励がありました。

 

 また、当日はJRの「駅からハイキング」が上信電鉄の上州一ノ宮駅から上州富岡駅まで7㎞区間で行われ、一の宮の「富岡市社会教育館」で支部活動を、Y.T・T.Iの伝道師2名で行いました。午前11時頃までに約120名くらいの入場者があり、いろいろな質問や意見交換を行い、「これから富岡製糸場に行きます」、「頑張ってください」等の言葉をいただきました。

 

 なお、本会場は午前中で伝道活動が終わったため、両名の伝道師は富岡小学校に移動して合流し、午後3時まで活動しました。皆さんお疲れ様でした。

(K.T 記)

 

 

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妙義青少年自然の家オープンデーでの世界遺産伝道活動

2010年12月06日 20時00分18秒 | 世界遺産伝道師協会

 

    10月31日(日)に、毎年開催される「妙義青少年自然の家オープンデー」が実施され、当支部も参加(Y.T、K.T)し伝道活動を行いました。

 

この会場は、今年8月9日に「群馬キッズアドベンチャー」が行われた際にも活動した経過があり、妙義青少年自然の家のいろいろな体験の中に「座繰りによる生糸づくり」も、位置づけがあるようです。

 

今回は朝から小雨がぱらつく生憎の天気でした。このイベントは、地元妙義地区をはじめアウトドアスタッフ・各ボランティアの協力で、地元との交流、施設を良く知ってもらうことを目的として開催されます。開会セレモニーに続き、八木節、舞踏、民謡、オカリナ演奏、更に座繰り、ツリークライミング、火おこし、竹とんぼ等がコーナーとして設定され、スタンプラリー方式で体験する内容でした。

 

朝9時30分よりテントで準備を行い、パネル解説、座繰り体験の用意をして参加者を迎えるころには、会場は綿菓子、トッカン、模擬店等も配置され行列が出来る所も見受けられました。

 

15回くらいの実績があり毎回楽しみしている人たちも多くいるようで、親子で参加する人が多く、座繰り体験は人気があって午後の分の繭は追加で煮るほどでした。また、妙義地区は養蚕農家が何件かあり、生糸や養蚕に対して詳しく話をしてくれる等、富岡製糸場に対しても世界遺産登録の意識は強く、激励を受け有意義な一日となりました。

(K.T 記)

 

 

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