第2回研修会「長野県須坂市の絹産業遺産を訪ねる」
11月17日(日)8時、近藤会長を始め会員15名を乗せたバスは、高崎駅東口を出発し長野県須坂市に向かいました。今回は、明治から昭和初期にかけて製糸業によって隆盛を極め、現在は蔵の町として当時の繁栄を伝える須坂市の絹産業関連施設の研修を企画しました。
須坂市は長野県北部にあり、人口約5万人、隣接する市町村は長野市、上田市、小布施町等です。須坂藩は江戸時代から明治維新まで堀氏が藩主(1万石)でした。
研修日の天候は、須坂市到着時に不安な黒雲が空を覆いそうな一瞬を除き、終日好天で絶好の研修日和でした。
最初に訪ねたのは、旧越家住宅です。解説を担当された小林さんのお話は分かり易く、伝道師としての解説の仕方にも勉強になりました。
また、群馬県から伝道師が来てくれるということで、現在休館中の須坂市立博物館から後述の「東行社」の扁額を借りて来ていてくださいました。感謝いたします。製糸王と呼ばれた越寿三郎ゆかりの建物で、明治45年頃次男・泰蔵の結婚にあたり購入したといいます。奥座敷は3部屋続きで36畳あります。
住宅のある一帯は、寿三郎の製糸場・山丸組の敷地でした。平成10年、土地建物を須坂市が購入、地域住民の学習や交流の場として利用されています。平成15年、主屋と2棟の土蔵が国の登録有形文化財になっています。
寿三郎は豪農・小田切家に生まれ、明治16年、20歳で越家の養子となります。明治20年に26釜の製糸工場を開業します。その後、越の製糸場「山丸組」は埼玉県大宮、愛知県安城にも製糸場を創業します。最盛期には8千人を擁し、「山丸組製糸王国」と称されました。銀行、水力発電など製糸業発展のための事業は須坂を大きく発展させました。渋沢栄一や大倉喜八郎とも親交がありました。
昭和4年の世界大恐慌の影響で、昭和5年山丸組は倒産します。越家は須坂でいち早く電話を架設、番号が1番だったので「山丸一番館」と呼ばれます。床の間には、親交のあった渋沢栄一から贈られた、栄一揮毫の掛け軸がかけられています。
続いて旧越家から南へ30m、大笹街道と谷街道が交差する交通の要所にある大きな屋敷、旧小田切家に向かいました。学芸員の五味さんの案内で建物内外を詳しく見学できました。
小田切家は酒造、油、蚕糸、呉服商などを営む豪商で須坂藩の御用達を務めていました。明治3年の須坂騒動により家屋のほとんどを打ち壊しで失いました。現存する建物群は明治時代の当主の小田切辰之助が再建したものです。
現在の敷地には、主屋、長屋門、店、土蔵などが残っていて製糸業が盛んだった頃を偲ぶことができます。須坂騒動の被害に遭った小田切家には、有事に備え建物外に逃げられる抜け道が設けられていて、参加者は興味深くのぞいていました。屋敷内の水車小屋には復元された水車があり、水車の動力を利用して器械製糸を試みた貴重な場所だと言われています。
旧小田切家は、昭和の後半から空き家となっていたのを須坂市が買い取りました。平成28年に文化施設「旧小田切家住宅」としてオープンしました。平成30年に長野県宝となりました。
辰之助は明治8年、小規模製糸工場が集まった日本最初の共同出荷のための製糸結社である「東行社」創立に加わり、明治17年には東行社に続き製糸結社「俊明社」を設立します。明治28年には上高井銀行を創立、初代頭取となります。後に須坂銀行の創立に関与するなど金融業の発展にも尽力しました。
学芸員の五味さんに屋敷内外をていねいに案内していただき、小田切家の様子がよく分かりました。
昼食は市内にある、大きな古民家を改修した食事処で摂りました。次に向かったのは豪壮な土蔵造りの旧製糸関連の建物や大壁造りの商家などの立ち並ぶ須坂の中心街です。なんとこの日は関東各地から約20台のバスが入り、通りは観光客で大変な賑わいです。
まず「須坂市蔵のまち観光交流センター」に寄りました。旧角一製糸の3階建ての繭蔵で明治中期の建造です。1階は観光情報の提供や地場産品の販売などです。多目的ホールとして使用している2階で交流センターの畔上さんから建物の歴史や構造などを伺いました。
続いて、通りのはす向かいにある「須坂クラシック美術館」を訪ねました。須坂藩御用達の呉服商・牧新七が明治初期に建てた屋敷で、長屋門、土蔵、主屋、上店の4棟が現存する須坂市内でも最大規模の家の一つです。新七は山一製糸を興すとともに、前述の製糸結社「東行社」を支え、仲間とともに須坂銀行を創設するなど大きな功績を残しています。
屋敷は幾多の変遷を経て平成7年、日本画家の岡信孝氏からの寄贈を受けた古民芸コレクションを収蔵する「須坂クラシック美術館」として開館しました。解説員の廣田さんから概要を聞いた後、贅沢で凝った造りの広い屋敷内を参加者は時間が足りないという思いで見て回りました。主屋の2階には、1階座敷裏の物置部屋に通じる「抜け道」があり、参加者は小田切家に続きここにもあるねと感心していました。
続いて、「須坂市ふれあい館 まゆぐら」を訪ねました。旧田尻製糸の3階建ての繭蔵です。都市計画道路の建設で解体を迫られ、平成12年に約180m離れた現在地に3ヶ月かけて曳家移転しました。小窓を整然と並べた外観の美しい建物です。この窓に外側からハシゴをかけて繭の出し入れを行ったそうです。
現在は2階に須坂の養蚕・製糸を支えた器械や道具類を展示しています。1階は市民ギャラリーとして、また蔵の町を散策する人々の休憩所として活用されています。国の登録有形文化財です。
最後の見学地は、気分を変えて須坂市からバスで約20分の小布施町にある岩松院です。
県の北東に位置する人口約1万人の小さな町ですが、葛飾北斎と栗の町として週末などは観光客で賑わいます。岩松院は町並みの東端にあり、ブドウ畑やリンゴ畑に囲まれています。
北斎は小布施の豪農商・高井鴻山の依頼で、鴻山の菩提寺・岩松院の本堂大間の天井絵を制作しました。21畳の大きさの天井いっぱいに翼を広げた鳳凰で、どの方向からも鋭い眼光が感じられることから「八方睨み鳳凰図」と呼ばれています。170年経っているとは思えない色鮮やかな大絵に、参加者は首が痛くなるまで見入っていました。
起伏のある広い境内には、長野県出身の小林一茶の句碑や「賤ヶ岳の七本槍」で知られた武将・福島正則の霊廟もあります。参加者は敷地内の物産館で土産を購入するなど、思い思いにわずかな自由時間を楽しんでいました。
帰りのバス中では、順に参加者の感想・近況などを話していただきながら、和やかな雰囲気の中夕方6時を回る頃高崎駅に帰着しました。
最後に、懇切ていねいに解説してくださった須坂市の各施設の解説員の皆様に感謝いたします。
(I上 雄二 記)