富岡製糸場世界遺産伝道師協会 世界遺産情報

「富岡製糸場と絹産業遺産群」は日本で初めての近代産業遺産として2014年6月25日付でユネスコ世界遺産に登録されました。

5月26日の前橋市蚕糸記念館座繰り等体験の体験者数と写真について

2013年05月29日 23時21分26秒 | 世界遺産伝道師協会

5/26体験者数 座繰り体験50人、桑の木クラフト55人でした。

 

 

 

 



 

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伝道活動報告(蚕糸記念館:座繰り体験&桑の木クラフト;平成25年5月26日)

2013年05月29日 17時10分00秒 | 世界遺産伝道師協会

伝道活動報告(蚕糸記念館:座繰り体験&桑の木クラフト;平成25年5月26日)

 

蚕糸記念館にて前橋市教育委員会文化財保護課の依頼による座繰り体験と桑の木クラフトを通じての伝道活動を5月26日に行いました。

当日の参加者は、中島(進)、梨木、赤見、庭屋の4名でした。

本活動は、春のばら園まつり開催中の行事で先週に続いての活動でした。

当日は、天気も良く 我々が準備を始める9時ごろには、もう園内は、散策をする人であふれかえっていました。

当日の担当は、座繰り体験は、中島(進)、梨木(午前)、午後(庭屋)、桑の木クラフトは、赤見、庭屋(午前)、梨木(午後)で行いました。

前回と同様に盛況で、座繰り体験は、午前、午後とも開始前から行列ができ、家族で来た子供たち、中高年のご夫婦等、万遍なく、中島さんの絶妙な説明とともに体験を楽しまれていました。

中には、保育園にお勤めで、この体験を子供たちにさせたいといわれて連絡先を確認して、帰られた方もいました。

桑の木クラフトもやはり大人気で、大人顔負けの絵を簡単に描く子もおり、びっくりしました。中には、昨年も来ましたといって作品作りを楽しみ、また 来年も来たいとの女性の方もおりました。

簡単なお守り風のものが無料でできるというので、当日イベントの手伝いに来ていた方も休憩時間を使って楽しんでいました。

昼休みを挟んであっという間に15時半になり人手がひと段落したところで終わりにしました。本日の参加者は、座繰り体験50人、桑の木クラフト55人でした。

前橋にも 大勢人が集まるスポットがあることを感じながら、伝道活動を通じて様々な体験ができた1日でした。

 

(K.N 記)

 

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茨城・栃木方面産業遺産等現地研修会・結城紬、蚕影神社、足利織物記念館、足利織姫神社など

2013年05月23日 08時59分36秒 | 世界遺産伝道師協会

茨城・栃木方面産業遺産等現地研修会

 

 晴天に恵まれた5月21日(火)、平成25年度第2回研修会・「茨城・栃木方面産業遺産等現地研修」が行われました。伝道師26人、事務局1人の参加を得て、中型バスで高崎駅を朝8時に出発し、最初の目的地である「本場結城紬郷土館」へ向かいました。

 

 車中、近藤会長から「『富岡製糸場と絹産業遺産群』は、当初10の構成資産で世界遺産推進運動に取り組みましたが、検討委員会で協議の結果、4つの資産を世界遺産にすることに変更されました。このため、4資産の関連性を持たせた説明をしていただければ有り難い。健康に気をつけて頑張りましょう」等の挨拶がありました。

 

 その後、町田伝道師から「結城紬とは?」「養蚕に関する地名が一番多い茨城県」 「上垣守国の『養蚕秘録』の中に出てくる『金色姫伝説』の話」「栃木県の延島新田と島村の人たちとの関係」など盛りだくさんの話を聞き、息をつく間もない事前学習でした。

 

【本場結城紬郷土館】(茨城県結城市)

 結城紬の歴史や製造工程を紹介する施設で、「本場結城紬」の産元である(株)小倉商店に隣接しています。一階は織機や八丁撚糸機の展示と紬製品の販売、二階は工房です。

 結城紬の三要素である、①真綿から手紡ぎした糸を使い、②藍染による括り絣を施し、③地機で織り上げたものという過程を見たり、「純国産マーク」を見たりして、手仕事の価値を認識しました。

 なお結城紬は昭和31年に国の重要文化財、昭和52年に通産大臣(現経済産業大臣)の伝統工芸品に指定。平成22年ユネスコの無形文化遺産に登録されています。

 

【蚕影神社】(茨城県つくば市)

 標高200メートルの蚕影山山頂に鎮座している神社で、古来より蚕の神様として北関東や甲信地方などの養蚕農家の信仰を集めていました。全国にある蚕影神社は、本社を分霊したものだといわれています。

 

『金色姫伝説』の中に「金色姫の亡骸を納めた唐櫃を開けたところ、中には小虫がたくさん入っていた」というところがあり、その場面の絵馬が架けられています。

 また、お堂の中を覗いたところ、養蚕が隆盛だったころ奉納されたと思われる「○○養蚕農業協同組合」と書いた幕があり、桑の紋が付いていました。「桑紋」は見たことがなかったので家で調べたところ、「『日本紋章学』に名称があるだけの幻の紋」と出ていました。

 

【足利織物記念館(旧木村輸出織物工場事務所棟)】(足利市助戸仲町)

 明治44年、木村輸出織物工場の事務所棟として建てられ、明治から昭和にかけて隆盛を極めた足利の絹織物や輸出織物関係の資料が展示されています。木骨石造り、2階建て、寄棟石綿スレート葺の近代洋風建築で、平成元年、県指定有形文化財となっています。

 東隣に私邸が残されていて、鬼瓦に「キ」の字を入れた特注品が使われていることからも往時がしのばれます。

 

【足利学校】(足利市昌平町)

「日本最古の学校」「日本最古の総合大学」と言われる足利学校の創建については、奈良時代の国学の遺制説、平安時代の小野篁(おののたかむら)説、鎌倉時代の足利義兼説などがあります。しかし歴史が明らかになるのは、上杉憲実(室町時代)が、現在国宝に指定されている書籍を寄進し、庠主(しょうしゅ学長)制度を設けるなどして学校を再興したころからです。(パンフより抜粋)

 

 栃木県が「近世日本の教育遺産」として、茨城県水戸市(弘道館)、岡山県備前市(閑谷学校)、大分県日田市(咸宜園)とともに、世界遺産登録を目指している「足利学校」についての取り組みを市教育委員会の方から次のような説明を受けました。

「足利市は平成12年6月20日、歴史都市宣言をし、歴史遺産を活かしたまちづくりに取り組んできました。そうした中、平成18年~19年度の2ケ年限定で国が都道府県市町村から世界遺産登録の候補を受け付け、審査することになりました。足利市も応募しましたが、暫定リストに記載されませんでした。その時、教育のコンセプトで類似する他市提案との比較・検討を行うべきとの意見が添えられ、シリアル・ノミネーションによる「近世の教育資産」の方向性が示され現在に至っています」

 

 説明を聞いた後、国指定史跡足利学校の見学を行いました。

 足利学校で教授していた「儒学」は、古代以来現在まで連綿と続いており、日本人の精神構造に影響を与え続けています。儒学の祖・孔子は「満ちて覆らないものはない」と弟子たちに教え、目に見える形にしたものが、方丈の玄関前と屋内にある「宥座之器(ゆうざのき)」です。「空(から)の時は傾き、水をほどほどに入れると起きてきます。また、いっぱいに入れるとひっくり返ります」

 これを「中庸の教え」というそうです。

 

【足利織姫神社】(足利市西宮町)

奈良時代初期(約1200年前)から織物の伝統を持ち、足利織物の守り神として祀られています。昭和12年に建設された鉄筋コンクリート造の建物で、中央に拝殿、その両側に翼廊(よくろう)を配する形は、日本古来の寝殿造建設をモデルにしています。

 神楽殿・社務所・手水舎と共に、平成16年に国登録有形文化財になりました。(案内板より抜粋)

 

 229段の階段を上ると、朱塗りの社殿が見えてきます。境内から見下ろす関東一円の景色は絶景で、階段の辛さを忘れるほどでした。帰りは足取りも軽く、いっきに駐車場へ下りました。

 

 午後5時に全行程を終え、バスは一路、高崎駅へと向かいました。

(Y.N 記)

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ぐんま絹遺産・旧蚕糸試験場事務棟(蚕糸記念館)で座繰り・桑の木クラフト体験

2013年05月22日 15時50分39秒 | 世界遺産伝道師協会
  • 旧蚕糸試験場事務棟(蚕糸記念館)で座繰り・桑の木クラフト体験
  •  

5月19日(日)ぐんま絹遺産ガイドブックの冒頭に掲載されている旧蚕糸試験場事務棟(蚕糸記念館)で前橋市教育委員会(文化財保護

課)の依頼により、伝道活動を主体に座繰り・桑の木クラフトの体験を行いました。

 事務棟は、前橋市の敷島公園ばら園に併設し、18日から「春のばら園まつり」が始まり好天に誘われ、終日、見物者は途切れることの

ない賑わいでした。

 活動参加者4名は、午前9時の開館に合わせ現地に集合、30分の準備時間を要し、9時30分から活動をスタートさせ昼食を挟み午後4時の閉

館までの活動でした。

当日の担当は座繰り体験コナーにS,木嶋、M.鈴木・桑の木クラフトコナーにT.赤見、補助に吉澤朗夫がはり付き、状況を判断しながら6枚のパネル解説を行いました。

座繰り体験には、幼児から、初体験の中年女性、かって座繰りを日常のくらしとして体験のある高齢者も参加するなど多彩でした。

体験者数は県内各地をはじめ茨城県・栃木県・埼玉県等からの52名でした。木嶋伝道師の絶妙な口説と紡いだ製糸は荷物にならないお土産に満足し、体験者から好評を頂きました。

桑の木クラフトにも、活動開始直後から体験の者が列をなし、赤見隆伝道師は汗だくの奮闘、途中から吉澤が補助に付き、対応しました。

中途作業のニス塗り後の乾燥に5~8分程度の時間、パネルの解説や養蚕・織物等の説明を行いました。

このゆったりとした充分な交流時間は、世界遺産、登録への理解を容易に作用しているようでした。

桑の木クラフトには県外者を含め50名が参加しました。

東京から来た若い家族はクラフトの出来栄えに満足し、赤見隆伝道師に褒められ、あの照れ笑いをくれた童顔が私たちに対する活動のご褒

美のように映りました。 (A.Y 記)

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第18回島村渡船フェスタで世界遺産活動・富岡製糸場と絹産業遺産群

2013年05月21日 21時04分09秒 | 世界遺産伝道師協会

第18回島村渡船フェスタで世界遺産活動

 

5月19日(日)第18回渡船フェスタが、伊勢崎市境島村の利根川北側河川敷を会場に開催されました。天候は数日前の雨の予報から一転し花曇で絶好のイベント日和でした。

近藤会長、町田睦、井上雄二、中島進、諸井透、新井春枝、栗原恵子、村井かつ枝、今井玲子、日下部と世界遺産推進課高橋補佐、鈴木主任の12名で活動しました。

毎年乗船場すぐ傍という絶好の場所で「ぐんま島村蚕種の会」と隣り合わせたテントで、活動も6年目となりました。

昨年に続き境島村の田島弥平旧宅を含む「富岡製糸場と絹産業遺産群」のPRも開催目的の一つで、今年も「ヘリテージ仮面ショー」が特別出演、終了後はヘリテージ仮面と工女ぐんまちゃんとの記念撮影を希望するちびっこ達で人だかりができていました。

参加団体は43団体、色とりどりのテントが並び、渡船だけではなく自衛隊ボートの利根川遊覧、ジャブジャブ池で魚つかみ、カヌーの体験乗船や料理の無料試食コーナーなどに今年も多くの家族連れで賑わっておりました。

早朝8時に集合し、パネルの設営を早々に済ませ渡船フェスタが初めての伝道師の皆様が先陣を切り渡船体験がスタートしました。残った伝道師達は島村蚕種の会から預かったパンフレット1000部をセットにしてから活動開始です。

富岡製糸場と絹産業遺産群の世界遺産登録について度々場内アナウンスがあり、また富士山の世界遺産登録のニュースもあってか非常に関心は高まっていると感じました。

会場入り口でパンフレットを手渡し、また渡船の乗り場で2時間待ちの行列の皆様にパンフレットを配りながら説明をしたりして、休む間もなくフル活動した結果メインパンフレット2000部と子供向け300部を配布できました。

このイベントは子供が多いことを知りながら子供用を300部しか用意しなかったことを大いに反省、来年は倍以上の準備が必要と思ったところです。

活動中には五十嵐清隆伊勢崎市長が今年も激励に来て下さり活動の励みになりました。

また横澤総務部長、茂木企画部長にも立ち寄っていただき激励の言葉をいただきました。

鈴木主任が扮した工女ぐんまちゃんも大人気で、我々のテントまでたどり着くのに一苦労で子供連れを誘導するのに大いに活躍してくれました。鈴木主任大変お疲れ様でした。

田島弥平旧宅を抱える伊勢崎市がこうしたイベント等を通じ、地元住民の皆様や見学された方、されなかった方などの声を広く聴取し、ハードだけでなく特にソフト面における対応に待ったなしで取り組んでいただけることを期待しています。

訪れてくれた人々をどのように大切にしていくか、おもてなしの心をどうあらわしていくのか、見学者が増えているる今、取り組むべき直近の課題だと感じています。

家について間もなく雨が降り出し、天候まで我々の活動を応援してくれていると思ったのは穿ちすぎでしょうか。

参加された伝道師の皆様には大変お疲れ様でした。

(K.K記)

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道の駅「ららん藤岡」で世界遺産候補”富岡製糸場と絹産業遺産群”の伝道活動

2013年05月20日 20時23分21秒 | 世界遺産伝道師協会

「ららん藤岡」での伝道活動

 座繰り体験指導S伝道師とS伝道師

「高山社を考える会」主催の第2回「高山社跡パネル特別企画展」が5月3日~5日に「ららん藤岡」で行われ、伝道師協会は後援としてパネル展示と座繰り実演を行いました。

パネル解説・T伝道師

 

初日はオープニングセレモニーが行われ、主催者挨拶の後、来賓の藤岡市長・群馬県議会議員などとともにシルクカントリーぐんま連絡協議会会長でもある伝道師協会近藤会長も挨拶されました。挨拶の後は、藤岡市世界遺産推進マスコット『まゆダーマン』の認定式も行われました。

 

セレモニー終了後、『まゆダーマン』はさっそく神保伝道師の指導の下、座繰り体験に挑戦し、すばらしい生糸を巻き取りました。この様子は翌日の上毛新聞にも掲載されました。

 

習いたての座繰りを担当してみましたが、鼓車への糸の掛け方や切れたときの糸の結び方はすっかり忘れていました。初日の3日には、神保先輩からにわか講習をOJTの形で受けて復習し、5日の煮繭担当としての初体験に備えました。

 

しかし、いざ現場で座繰り体験の順番待ちの人が並んでいると、あせってますます混乱してしまいます。幸い先輩方が手伝ってくれてその場を凌ぐことができました。場数を踏むしかないのでしょうか。

 

パネル解説ではじっくりと話を聞いてくれる人が増えており、一人が終わると次の人が来て、という具合に一日を終わると喉が痛くなっていました。

 

座繰りでも「なつかしい」と言って糸を引く人もいれば、「初めて目にする」といって緊張しながら糸をこわごわと引く人もいました。また、「高山社を考える会」で準備した生きた蚕の展示を座繰りの横で行っており、多くの来場者が興味深そうに見学していました。このように、いろいろな層の方たちがいろいろな形で「富岡製糸場と絹産業遺産群」に興味を示してきているのだな、と感じました。

 

特に「ららん藤岡」には年間250万人の来場者があるということで、いろいろな地域の、いろいろな背景をもった来場者に広く伝道活動をする効果があると思われます。

 

参加伝道師は3日が会長・神保・設楽・近藤(基)・広岡・中山の6名の各伝道師、4日が外山・福田・設楽・筒井・塚越の5名の各伝道師、5日が設楽・中島(紀)・近藤(基)・富岡・佐藤(英)の5名の各伝道師でした。

M.K.記

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藤岡市で世界遺産登録に向けた市民との対話集会

2013年05月18日 20時01分21秒 | 世界遺産伝道師協会

高山社跡の世界遺産登録に向けた取り組み

市民の皆さんと市長の意見交換 平成25年度 地区別懇談会

 世界遺産の推薦が正式に決定された「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産である「高山社跡」について、世界遺産登録にむけた市の取り組み状況などを説明します。その後、フリートーク形式で、各地区の課題を参加者の皆さんと話し合います。

 

市民の皆さんと市長が自由に話し合う機会です。おおくの方の安価を心よりお待ちしています。

 

 

以上のことを書いたチラシが藤岡市で配布されました。

 

地区別座談会日程

 日にち     会場     時間        対象地区

5月20日(月)美九里公民館 午後7時~8時30分 美九里地区

5月21日(火)鬼石多目的ホール 午後7時~8時30分 鬼石地区

5月22日(水)藤岡公民館 午後7時~8時30分 藤岡地区

5月24日(金9美土里公民館 午後7時~8時30分 美土里地区

5月29日(水)小野公民館 午後7時~8時30分 小野地区

6月3日(月)日野公民館 午後7時~8時30分 日野地区

6月6日(木)平井公民館 午後7時~8時30分 平井地区

6月7日(金)神流公民館 午後7時~8時30分 神流地区

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群馬県都市監査委員会平成25年度定期総会・研修会での講演についてのお礼状をいただきました

2013年05月17日 09時54分15秒 | 世界遺産伝道師協会

群馬県都市監査委員会からのお礼状

 

拝啓 時下ますますご清栄のこととお喜び申し上げます。

 さて、さる4月25日に群馬県と市監査委員会主催で開かれた「監査委員・事務局職員研修会」には、ご多忙にもかかわらず、世界遺産候補「富岡製糸場と絹産業遺産群」について、情熱のこもったご講演をいただき、誠にありがとうございました。

 世界遺産登録の実現に向けては、これからも様々な課題や紆余曲折があろうかと思いますが、近藤先生の具体的かつ非常に分かり易い説明を聞いて、聴講者の多くが富岡製糸場と絹産業遺産群の歴史的・文化的価値を改めて深く再認識した次第です。

 かつて西毛地域を中心に多くの県民が養蚕や絹産業にかかわりを持ち、地域経済の発展にも大きな役割を担ってきたこれら産業遺産が、世界遺産として末長く後世に伝えられていくことの素晴らしさ。近藤先生をはじめとして、世界遺産登録に向けて中心的な役割を担ってきた「世界遺産伝道師協会」の活動に対して深く敬意を表すとともに、一日も早く関係者の皆様の努力が実を結ぶことを願ってやみません。

 おかげさまをもちまして本研修会は所期の目的を達成することができ、十分な成果を収めることができました。本当にありがとうございました。

今後とも、御指導とご鞭撻の機会を多くもっていただければと願っております。

また、お目にかかれる日を楽しみにしています。まずは、略儀ながら」書中をもってお礼をもうし上げます。

 

敬具

 

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富岡製糸場世界遺産伝道師協会「平成25年度総会・第一回研修会」を盛会に開催

2013年05月14日 16時16分13秒 | 世界遺産伝道師協会

富岡製糸場世界遺産伝道師協会「平成25年度総会・第一回研修会」を盛会に開催

 

平成25年5月11日(土)9時半より、前橋問屋センター会館二階龍の間を会場に「平成25年度総会と第一回研修会」が88名という多数の皆様の出席を得て開催されました。

開会挨拶で近藤会長は、「来年の今頃審査される日程が確実になった。今年考えなくてはいけないのは登録後の活動をどうしていくか。また協会の10年間の活動の足跡を残したい」と挨拶されました。

来賓祝辞で、松浦利隆世界遺産推進課課長は「富士山・鎌倉の勧告は意外だった。来年の審査は予定通りと思う。現地調査はかなり厳しく行われる。OUVも富岡は中心の製糸場があって3つの構成資産もきちっと残っている。自信を持って活動いただきたい」。

今井幹夫富岡製糸場研究センター長は「マスコミ報道はOUVと市民の取り組みが話題だった。コメンテーターが群馬の取り組みを紹介していた。近藤会長から登録後の話があったが継続を願っている」。

小坂裕一郎高山社を考える会会長は、ららん藤岡での協力へのお礼を述べ「地域の皆さんに理解して頂くことが我々の仕事。登録されたあとが大切。地域の人が豊かになることが目的と考えている」。

上毛新聞藤井浩論説委員長は「来年の今頃に朗報が聞かれるかと思うと非常に感慨深い。群馬の運動は民間の力、来年の審査でも登録への大きな力になる。これからも一緒になって登録に繋げていきたい」。

と各氏からの祝辞をいただきました。

来賓の石原征明先生、村田敬一先生、吉田恭一様、栗原知彦様の紹介後総会に移り、中嶋弘副会長を議長に選任し、第一号議案「平成24年度事業報告、収支決算及び監査結果報告」について質疑無く拍手で承認された。

第二号議案「平成25年度事業計画(案)」の質疑で、原田会員(高崎)の質問「養成講座開催時期を早めたらどうか」、近藤会長が回答「いろいろあって秋になる。登録後もやることはある」。高橋会員(高崎)の質問「富岡なかまち交流館で待ちの時間が多い。街なかの案内はできないか」、近藤会長が回答「街なかを散策できるパンフレットを作ったので活用いただきたい」。芝原会員(東京)の質問「工女ぐんまちゃんの傷みが激しいので直してほしい」、高橋補佐が回答「今年度あたらしいものが配属になる」。次に「平成25年収支予算(案)」の質疑で、斉藤信会員(高崎)の質問「支部予算が前年実績を踏襲との説明であったが」、近藤会長が回答「いろいろな要因があり、内規を踏まえながら役員会で支部長とも相談し組ませていただいた」。その他前掲原田会員から(財)大日本蚕糸会についての質疑の後、原案通り拍手を持って承認された。

進行を司会に戻し次の議題、その他「伝道師協会の今後のあり方(案)」について町田企画部長と日下部中北毛支部長が説明を行い、11時15分予定時間を超え総会は終了。

休憩をはさみ11時25分から、「横浜への絹の道」と題し小泉勝夫横浜シルク博物館前部長の講演となった。要旨は、井伊大老の決断で横浜が開港すると絹の道による往来が開始、だが各地の急峻な峠や橋の耐久性の問題で多くは船を使った。横浜に進出した生糸売込商で、上州出身の中居屋重兵衛、吉田幸兵衛、茂木惣兵衛と原三渓について足跡を紹介。

生糸輸出の始まりは開港当初欧州で微粒子病が蔓延、中国はアヘン戦争や太平天国の乱で貿易を停止しており幸運だった。生糸は開港当初輸出の80%以上を越える年もあった。絹の道を使い生糸・蚕種・お茶などが横浜に、また横浜から輸入品の砂糖・綿などが各地に送られた。開港頃の主要生糸産地は奥州・羽州・上州・武蔵・信州・甲州だった。養蚕農家からの道という道は全て絹の道といえる。水運は江戸時代から発達し大量の生糸が運ばれた。利根川水系の倉賀野河岸や平塚河岸から大量の生糸を積み出した。陸路・水路を使った絹の道は鉄道の発達により機能を失っていった。生糸輸出先はスエズ運河の開通前は喜望峰を経由しイギリスが一番だったが、1869年の開通後はフランスが取って代わり、1884年頃から50%以上がアメリカとなった。アメリカへはシアトルへ、パナマ運河が開通するとニューヨークへ、昭和2年~5年の生糸輸出の92%以上がアメリカだった。開港当初の繰糸法は胴繰り、丑首、座繰りだった。粗製乱造生糸の輸出問題もあり優良生糸の生産の為器械製糸の導入となり、明治27年生産量で器械製糸が座繰りを上回る。座繰り製糸場数は明治38年以降に激減した。生糸の束装(ソクショウ)は産地により様々で、最も多かったのが群馬・長野・山梨などの提げ糸造りだった。猪口造りの束装は富岡製糸所が行っていたのを改良し明治10年頃から全国に普及。明治期・大正期・昭和初期には経済不況による生糸価格の暴落があった。特に大正3年、9年、昭和4年は大暴落した。絹物類の輸出で貨客船が使われた。山下公園の氷川丸も生糸を運んだ。羽二重の産地は群馬であったが福井の職人が技術を学び明治25年福井が群馬を抜き、石川、福島に広がった。スカーフは横浜では横浜が発祥地といっているがハンカチーフ製造の始まりは桐生で発祥地は群馬といえる。横浜に入ってきた西洋文化が絹の道を通って各地に伝わった。居留地に30の地方の名称を付けた通りがあり前橋町もあった。 

      (予定時間を過ぎ講演は終了したが、昼食会後に以下の講演の続きをしていただいた)

高山社と神奈川の繋がりは、高山社蚕業学校の卒業証書1枚が現存し横浜シルク博物館で今展示している。神奈川は高山社に大変お世話になった。「おきぬ様」信仰は相模原市の皇武神社から伝わり、群馬・埼玉などで信仰されたが神奈川には残っていない。横浜と群馬は深いつながりがある。世界遺産登録に向け伝道師の皆様の役割は大変重要でこれからも知識を深めていっていただきたいと結ばれた。

 近藤会長の謝辞をもって平成25年第一回研修会は終了。

12時40分から、会場を一階スワンに移し懇親会(昼食会)を開催。来賓の石原征明先生、村田敬一先生、島村蚕種の会栗原事務局長の挨拶に続き、近藤会長が挨拶し会食となる。65名という予想を超える参加者でした。総会も昼食会もこれ迄にない多数の会員が参加し、今後の活動への期待と共に来年の世界遺産登録に向け大いに意識の結集ができたと感じました。                  (文責:日下部 邦彦)

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ぐんまこどもの国(太田市)で「富岡製糸場と絹産業遺産群」伝道活動

2013年05月10日 21時41分24秒 | 世界遺産伝道師協会

ぐんまこどもの国(太田市)で伝道活動

 

五月晴れに恵まれた5月5日(日)、群馬県立金山総合公園「ぐんまこどもの国」において伝道活動を行いました。

参加伝道師は、成田、町田(睦)、築比地、筒井、塩原、佐藤(昌)の6名でした。

我々が到着した午前8時には、既に駐車場は半分以上に空きがなく、嬉々として華やいだ人波が、エントランス通路に列をなして足早に園内へと向かっておりました。

当日は子供の日という事で、園内の有料施設が全て無料開放のため、県内外からの家族連れで大変な混雑でした。園関係者の予想では、昨年を上回る凡そ2万2千人超の入場者になるだろうとの事でした。両手に抱えきれんばかりに荷物を下げ或いは幼児を抱っこしつつベビーカーを押し、お目当てのゾーンに急ぐ沢山の親子連れ。そしてひと際目を引いたのが、河川敷のキャンプ場等で見かける無数の簡易型テント群。木陰の少ない芝生の広場で日陰を作って体を休めたり、クーラーボックス等を置いておくのだとか。広場の一角は、まるで公園とは異次元の世界です。昭和50年代に子育てをした我が身にとって、隔世の感があります。

園内の活気と喧噪に負けじとばかりに、我々伝道師も気合十分にテーブルと椅子のセット、幟立て、解説用パネル組立、繭クラフト、塗り絵、パンフレット等の準備に大忙しです。9時からの活動を待ち切れずに繭クラフト、塗り絵のテーブルに座り始める子供達もおり、我々を慌てさせました。また、園のご厚意により世界遺産の伝道活動として、繭クラフト、塗り絵のコーナーがある旨を園内放送して戴き、そのアナンス効果も大いに寄与したものと感謝致します。圧倒的に20~30代の親子連れが多く、活動への関心度を心配したものの、「富士山世界遺産登録へ」のニュースのお陰もあってか、沢山の方々にパンフレットを受け取って戴きました。「来年はいよいよ富岡の番だね」との声も多く聞かれ、意を強くしました。塗り絵のコーナーでは、塩原さんの優しさに付け込んで悪ふざけをした男の子を、築比地さんが「ものを大切にしないといけないよ」と諭し、素直に謝ってくれる場面もあり、思わぬ野外授業となりました。また、繭クラフトのコーナーでは筒井さんの「繭は捨てるとこがなく、とってもエコなんです」との話しに頷く親子。

「どうしてこの繭は黄色なんですか?」という質問に、町田(睦)さんが判り易く答えてあげると、得意満面で親の元に駆け足で帰って行く子供等もおりました。小さなイベントですが、これらを通して子供達とそれを見守る親御さんたちに、関心と理解を深めて行って貰えれば良いなと思いました。繭クラフト作りは午後2時には繭がなくなり、ガッカリして帰る子供を見るのが気の毒なほどでした。パンフレットは用意した1,700部(児童会館へ設置の200部含む)を

午後2時半には配り終えました。エントランス広場のからくり時計の、可愛い人形と音楽に癒されながら、炎天下老体?にムチを打ちつつ奮闘して戴いた伝道師の皆さん、本当にお疲れ様でした。日本の将来を担う子供たちの、健やかな成長あれと願いつつ会場を後にしました。

                                (M.S記)

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