富岡製糸場世界遺産伝道師協会 世界遺産情報

「富岡製糸場と絹産業遺産群」は日本で初めての近代産業遺産として2014年6月25日付でユネスコ世界遺産に登録されました。

帰国まで、記事をお休みさせてください

2006年05月22日 06時38分50秒 | 世界遺産伝道師協会
筆者がトルコに出かけます。世界遺産も見てくるつもりでいます。

会長が上毛新聞の「絹人往来」に取り上げられたことや、NHKの佐滝剛弘さんが文春
新書で「旅する前の『世界遺産』」(769円+税)を発行されたことなど、記事にし
たいことは、色々ありますが、帰国後にさせていただきます。

6月2日には帰国しますので、時差ぼけがどうなるか分かりませんが、そのあたりで再
開させていただきます。よろしく、お願いいたします。


コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世界にはばたけ 富岡製糸場」を群馬県公立図書館に寄贈

2006年05月19日 22時58分01秒 | 世界遺産伝道師協会


「世界にはばたけ 富岡製糸場 ~まゆみとココのふしぎな旅~」を群馬県下33の公立図書館に置いていただき、活用していただこうと担当者を決めて配布を始めました。

配備の依頼文には、伝道師協会の紹介の紹介をしたあとに、「このたび、富岡製糸場の歴史・価値、群馬の養蚕・製糸・富岡製糸場の世界遺産登録の可能性について子供用に解説した書物を発行いたしました。(発行:上毛新聞社、編集:富岡製糸伝道師協会)
この書物が貴図書館で、子供さんたちをはじめ広く県民の方に活用されることを願って寄贈させていただきます。お納めいただき書架に配備していただければ幸いです。」という文章をつけて、配架をお願いしています。

写真は庭に咲いていた牡丹です。

協会員も配布された購入案内のチラシを活用して、書物の普及に繋がるように活動をしていきましょう。よろしくお願いいたします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

笹森・瓦の里 企画イベント案内

2006年05月18日 21時07分22秒 | 世界遺産伝道師協会
日時 平成18年5月22日(月)18:00開場
場所 笹森稲荷神社・ギャラリー瓦窯(甘楽郡甘楽町福島1459)
参加費 無料
第1部 瓦の里歴史トーク 18:15から笹の森神社所有、富岡製糸場奉納額の見学と新井勝夫氏の「福島瓦の歴史」解説 18:45まで。

第2部 インド音楽の夕べ
演奏者 インドから来日中の音楽家
   ミリンド・トゥランカール氏
   ニーレシュ・ラナディヴェ氏
下仁田町在住 日印音楽家
   ティ・エム・ホッフマン氏
20:00 まで

主催:
笹森・瓦の里実行委員会
甘楽・福島瓦協同組合

後援:
群馬県富岡行政事務所

問合せ先:
笹森・瓦の里実行委員会 0274-74-2084
群馬県富岡行政事務所  0274-62-9525

甘楽町は、明治初期、富岡製糸場を建設するに当たり、瓦、煉瓦、石材、用材等の調達に大いに貢献しています。製糸場のシンボル、繭倉庫の煉瓦は「甘楽町福島笹森」に焼き窯を築いて製造しました。「笹森」は良質の粘土が取れ、当時から瓦の焼窯がありましたが、煉瓦は見たことのない人ばかりでした。フランス人ブリュナから手まねで指導を受け、試行錯誤しながら煉瓦焼に成功したと言われています。現在は「福島瓦」として、瓦が地域の特産になっています。

ギャラリーの目玉は県内に唯一残るトンネル窯。昭和40年から60年にかけて使われた窯で、台車に載せられた瓦は余熱帯・焼成帯・冷却帯を通って時間をかけて焼かれていました。現在はこの中をトロッコに乗って見学することが出来ます。また、笹森瓦の歴史年表や写真の展示、屋外には手形瓦作りが出来る広場もあります。

写真は鉢植えのセッコクです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伝道師協会が解説本・富岡製糸場の歴史や現状紹介

2006年05月17日 22時58分18秒 | 世界遺産伝道師協会
上毛新聞5月17日の14面に上記見出しと「絹産業に理解深めて」と縦書きにして。編集に携わった2人の写真をカラーで載せて「世界にはばたけ!富岡製糸場~まゆみとココのふしぎな旅~」を紹介しています。

記事は「富岡製糸場世界遺産伝道師協会(近藤功会長)はこのほど、本県絹産業の歴史や現状をまとめた解説書「世界へはばたけ!富岡製糸場」を出版した。カラー写真やイラストを豊富に掲載し、子供たちが楽しみながら郷土の歴史や世界遺産登録運動への理解を深められるよう工夫している。富岡市では小中学校の副読本として配布されるなど、教育現場での活用も始まっている。」ということから記事を書き始めています

書物は「主人公の少女が質問し、繭の妖精が答えるという会話文で物語が進むなど、子供たちにも親しみやすい内容。」になっていると紹介。編纂の中心になった二人のコメントを載せている。Tさんは「養蚕、製糸、織物業が県内で今も続いていることを伝えたかった。」と言い、Kさんは「子供たちが父母や祖父母と養蚕の思い出を語るきっかけになって欲しい」と述べています。

聞くところによると売れ行きも良く、第1刷は売り切れそうで、第2刷も予定されているということです。伝道師の皆さんも、この書物を活用していただき、周囲の人をはじめ関心のある方々に富岡製糸場・世界遺産についての理解の輪を広げていただく努力をしていきましょう。

1冊 840円 県内書店で販売、欠品の場合は書店で注文をお願いいたします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

県指定重要文化財“上毛モスリン”(館林市)等を見学します

2006年05月16日 22時37分26秒 | 世界遺産伝道師協会
「近代化遺産WG通信第10号」(2006.5.12)によれと、近代化遺産ワーキンググループの第7回勉強会(06年度2回目)は館林市で6月17日に実施されます。

“県内の近代化遺産を訪ねる企画!第2弾は‘館林’”と銘打って館林の近代化遺産建造物を見学します。と書いて見学地を3箇所示しています。

A:旧二業見番組合事務所 (9:30~9:50)
こんなに素晴らしい見番が作られるほど繁栄していたか町の経済は何が支えていたのだろうか?見番の建物を見るだけでなく、その時代の歴史や旦那衆の生き方までに思いを馳せてみましょう。

B:外池商店(旧酒造・醤油醸造)(9:55~10:15)

C:県指定重要文化財「旧上毛モスリン事務所」(11:00~11:30)
この建物は明治43年に旧二の丸跡に建築。木造2階、瓦葺、窓は上下開閉式。柱の彫刻、天井、間取り等を見て洋風建造物の洋式を見てきましょう。昭和54年現在地に曳き移転。現在第2資料館として活用。

旧上毛モスリン事務所は、群馬県で洋風建造物がもとの姿に復元され保存活用されていく先駆けとなった建造物の一つです。じっくり見てきてください。

AとBは地元のガイド(ときめき会)、Cは文化財ガイドが説明してくれます。

当日、鉄道利用者は館林駅に9:00集合。車の方は館林市役所駐車場へ9:00集合。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「とみおかものがたり」を発表

2006年05月15日 20時41分31秒 | 世界遺産伝道師協会
富岡市の“ユネスコ世界遺産子供伝道師団”は設立1周年を記念して「とみおかものがたり」を上演致します。

物語は尾高惇忠を中心にブリューナが富岡にきて製糸場の建設地と決定し、富岡製糸場が作られていく過程を、地元の対応などをコミカルに描きながら、歴史の動きの中での出来事として考えさせてくれます。

小さな子供たちが配役を変えながら、熱心に演じてくれます。たくさんの人々に子供たちが、純真に製糸場の意義を訴えてくれることに感動できます。

伝道師協会は「ヘリテイジ仮面ショー」で舞台をにぎやかにします。演劇を指導してきたN副会長がここでも大きな役割を果たしてくれています。

開演前に「富岡製糸場を世界遺産に」のパネル展示を見ていただき、解説も聞いていただけるよう伝道師協会はパネルをセットしてお待ちしております。

開催日は平成18年5月27日(土)。時間は14:00開場、14:20ヘリテイジ仮面ショー、14:50開演です。

場所は富岡市生涯学習センター(富岡市七日市400番地1)電話は0274-62-1531です。

主催 ユネスコ富岡支部 協力 富岡製糸場世界遺産伝道師協会

写真は庭に咲くシャクナゲです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「富岡製糸場を世界遺産に」を「ふれあいフェスティバルin富岡」でPR

2006年05月14日 21時47分24秒 | 世界遺産伝道師協会
心配された天候も晴れになったようで、今日は天候だけでなく、充実した、いい日になりそうな気分になった。朝8時半に富岡小学校体育館に到着。すでに推進室のYさんが5枚のボードに、写真パネルをどう配置するか考えながら写真の頭をそろえていました。いつもながら、大変お世話になります。協力して写真を並べ、机を置き、繭の標本と糸の見本を展示。パンフレットを並べて、用意はほぼ完了。

9時半、花火が鳴って開会準備。10時に体育館で開会セレモニー。主催者挨拶の後、来賓の岩井市長さんの挨拶がありました。富岡は出産費を無料にします。小学校6年生までの医療費を無料にします。と富岡の素晴らしさを強調していました。

県の作成した「富岡製糸場を世界遺産に」と富岡市が作成した「近代日本の礎を今に伝える!富岡製糸場」さらに子供用の「THE WORLD HERITAGE 富岡製糸場を世界遺産に」のパンフレット、「世界にはばたけ!富岡製糸場~まゆみとココのふしぎな旅~」の宣伝パンフレットを組み合わせて来場者に配布しながら話し合い、又は写真パネルの説明と臨機応変の対応でPR。

会場は午前と午後の2回“ボウケンジャー”というショウがあり、大音響で子供たちに語りかけているので、パネル解説は苦戦。大音響に負けずに張り合って説明したら、1人だけで喉が痛くなってしまい、以後、無理をせず、大音響とは喧嘩しないで共存の道を選びました。

富岡市の富岡製糸場課長さんから栄養ドリンクの差し入れがあり、地元富岡の伝道師T.Kさんは“あつーい”焼きたてのタイ焼をプレゼントしてくれました。

伝道師の皆様もそれぞれの持ち味を生かしながら会場の人に語りかけていました。子供連れの若い母親が多かったと思います。製糸場に行ったことのない人もかなりいて、今日の伝道活動で、“富岡製糸場に行って見ましょう”と話が出来たのはよかったと思います。
こうした富岡市でのキャンペーンに、今年は取り組みたいものです。地域のお祭りでも何でも、参加できそうな所へはどんどん顔を出して、お話をさせていただきましょう。

伝道師の皆様、本日はご苦労様でした。(写真はフェスティバルで活躍する伝道師)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

近代化遺産ワーキンググループ高崎のレンガ倉庫を探索(第6回勉強会)

2006年05月13日 21時41分54秒 | 世界遺産伝道師協会
4月14日近代化遺産ワーキンググループは、県内の知られざる近代化遺産発掘の第1弾!高崎市大橋町地内にあるレンガ蔵を見学しました。

世話人としては、「この蔵は『上州絹糸紡績(株)』の関連した遺構と思っています。」とのこと。(新編 高崎市史 通史編4近代・現代)によると大きな絹糸紡績工場があったと書いてあります。

大正6年(1917)10月群馬紡績株式会社 飯塚村(大橋町)1200坪あまり。熨斗糸や屑繭などを原料。真綿状に精綿した「ペニー」の製造が主体。

大正9年(1920)5月上州絹糸紡績株式会社を設立。これに、群馬紡績を合併吸収させた。「ペニー」は海外向け、「加工品」は国内向け(紬糸生産)大正12年渋川紡績会社を合併。⇒第1次大戦の不況⇒T12年の関東大震災⇒昭和蚕糸恐慌⇒昭和6年(1931)、社名を「上毛絹糸紡績」と改めた。昭和9年12月、大手人絹製造会社の日本人造繊維株式会社の系列下へ。昭和13年10月、合併吸収され、高崎工場となる。昭和16年、日本人絹が日本レイヨンに合併。昭和18年3月、住友通信工業(軍需産業)へ売却。絹糸紡績工場の使命を終えた。

この勉強会に参加し、現地を見学したY.I伝道師の感想を掲載させていただきます。

高崎市大橋町にある(株)研屋の資材置場の2棟のレンガ蔵は、建築年代ははっきりしないが、大正6年(1917)の群馬紡績株式会社に始まり、大正9年(1920)の上州紡績の時代に建造したと尾もはれる。屋根のラインなどに少しゆがみが出ているものの、なかなかの迫力を感じさせてくれる。大きさは間口10間、奥行き4間位だろうとのこと。外壁のレンガはごく一般的な長手積で大分老化しているが、堂々としている。これは深谷の日本煉瓦で焼かれたものだろうか。屋根の上には後年につけたものと思われる換気のための金属製の円筒が2箇所にある。案内してくれた部長さんの話によると、老朽化で危険でもあり、使い勝手も悪いので、近い将来取り壊す方向で考えているとのこと。
理由はどうであれ、貴重な文化財が消えていくことに寂しさと若干の怒りを感じる。

内部も特別に見学させてもらえたが、屋根下はトラス組みと思われる。
最盛時には入りきれないほどの繭が山と積まれていたのだろうか。今は雨漏りがひどく、また、いつ崩れてくるかも知れない状態で安心できないので、一部の資材や、不要の事務用品などを入れる程度の使用状況である。
二棟の蔵の南10メートルほど先はブロック塀で仕切られ、その先は現在、高崎商科大学附属高校の敷地となっているが、当時は上州紡績の一部であったようだ。塀のすぐ南には対象から昭和初期のものと思われる木造建築の建物がある。屋根は新しくなっているが、外観は当時の事務所であったと思われる。学校の敷地内で入ることは出来なかったが、何かの施設として現在も大切に使用されていることが興味深い。

研屋を辞して裏手の信越本線の踏切にさしかかると、踏切脇に「紡績踏切」と小さな表示板が出ているではないか。長い年月そう呼ばれていたという。往時の製糸工場の繁栄がしのばれ、うれしい思いで帰途についた。

世話人さん、いつも貴重な体験をさせていただき有難うございます。
平成18年4月16日
伝道師 Y.I

写真は庭に咲いた「アンネフランクのバラ」です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2006ぐんまふれあいフェスティバルin富岡に参加

2006年05月12日 22時03分16秒 | 世界遺産伝道師協会
今年、連合群馬が『ひと ふれあい 地域の和!』をコンセプトに県内で開催する「2006ぐんまふれあいフェスティバル」の一環として富岡地域協議会が富岡小学校の校庭と体育館を使い「フェスティバルin富岡」が催行されることになり、伝道師協会に「大勢の地域の方たちが集まる場でありますので、富岡製糸場の世界遺産登録運動を紹介する良い機会ではないかと考え、貴協会に協力依頼」したいという話ががきました。

この依頼を受けて、5月14日の日曜日、体育館で5枚のパネルを使いパネル展示によるPRを実施する事になりました。富岡製糸場に近い会場ですので、説明を聞いたあと富岡製糸場にも立ち寄ることも可能ですので、実物を見てもらって解説内容を思い出せるような、世界遺産と富岡製糸場の解説が出来れば・・、と考えています。

参加する伝道師は午前4人、午後4人。推進室からも1人。パネル解説に本格的に手がけるのは初めてという人も居られるようです。チラシを配布しながらの解説になります。多くの人に話を聞いてぢただけるよう元気に取り組んでいきましょう。

写真は庭に咲いた赤い牡丹です。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第5回上信電鉄沿線WGの研修会(炭鉱と風穴と)

2006年05月11日 21時47分02秒 | 世界遺産伝道師協会
今回は、上信電鉄沿線できめ細かい現地学習を実施しているワーキング・グループの参加者の報告を掲載させていただきます。

 4月20日、「上信電鉄沿線WG」では、第5回目の研修会を行いました。課題は、(1)高崎炭田跡を訪ねて(2)荒船風穴蚕種貯蔵所見学、参加者は12人でした。解説案内はU・S伝道師、S・K伝道師、K・I伝道師です。

【高崎炭田跡地見学】
 
県内には、各所に亜炭の埋蔵地域があり、観音山丘陵に広がる高崎炭田は良質の亜炭が産出しました。明治初期に乗附村村長・田島元七が採掘をしたのを発端に、近在でも次々と採掘が行われていきました。産出した亜炭は、おもに県内の製糸所で使用されたといわれ、上信電鉄の山名駅より富岡製糸場に貨車によって運ばれたという記録もあります。第二次世界大戦後は、石油、ガス燃料の普及によって下火になっていきます。

昭和の初めには15カ所の炭鉱がありましたが、昭和39年に、最後まで残っていた金井炭鉱と興亜炭鉱が閉山し、高崎炭田の火は消えてしまいました。

私たちは、寺尾・館地区にある金井炭鉱跡を見学しました。直径2メートルくらいの半円形の坑口を見ることができますが、入り口は鉄板でふさがれているため内部を見ることはできません。

【荒船風穴蚕種貯蔵所見学】

荒船風穴は、明治37年に標高870メートルの荒船山ろくで建設されました。翌年から業務を始め、利用者は関東近県から九州、四国、東北にわたり、2府31県の蚕種業者から委託されたということです。

そのあと同業者が増えたことや、天然氷や電気を使う方法などにより蚕種の保護や貯蔵が行われるようになったため、県内最大規模の荒船風穴は昭和14年から利用されなくなりました。

蚕の種を風穴で保存するようになったのはなぜでしょうか? 幕末から明治の初めころ、ヨーロッパで蚕の微粒子病がはやって蚕が飼えなくなっていたため、日本から大量の蚕種が高値で輸出されていました。
 
また、そのころの養蚕は春に1回飼う春蚕(はるご)が一般的でしたが、春だけでなく夏秋蚕期も蚕が飼えるような蚕種の確保をしたいと考える人がでてきました。
 そのため蚕種は需要が増えていきました。そこで蚕種を温度の低い「風穴」で保護・保存する事により安定的に供給する方法が考えられたのです。

(成田伝道師の報告です。写真は庭に咲くすずらんです。)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする