3月21日に行われた『「シルクカントリー群馬」の地域再生を考える』の講演会について、3月22日の上毛新聞には『人間の物語考えて』―シルクカントリー群馬推進委講演会
―絹生かす地域再生提言―と言う見出しで、森まゆみさんが、富岡製糸場の世界遺産登録運動について「建造物だけでなく、関連する人間の物語も深く考えてほしい」と提言したこと。富岡市街地の土地区画整理が再検討されていることを評価したあと「路地のある町は庶民的でかわいらしい。大事にしてほしいと語ったこと。そして、NHKの佐滝剛弘氏が「駐車場を市街地の外に設け、昭和の面影が残る町を歩いてもらうのも意味がある」と提案したこと。その後、上毛新聞の藤井浩氏が“21世紀のシルクカントリー群馬”キャンペーンについて、「絹にまつわる本県の歴史と伝統、風土に光を当て、確かな手応えのあるものとして再発見したい」とその意義を語ったことが記事になっていました。
森まゆみさんのお話から
★ 富岡製糸場を建物としての価値だけでなく、そこにある人間の物語を深く考えることがある。尾高藍香をもっと重視してもらいたい。ポール・ブリューナが設置場所の調査に来た時、外国人を泊まらせるところが無かった。尾高が地元民を説得して泊まらせた。レンガの制作では韮塚直次郎を呼び瓦を焼き、福島でレンガを作らせ、セメントの代わりに漆喰を使っている。ワインを飲むことで“生血を吸われる”という風評に、娘を工女にする。小川町から30人、山口県から井上馨の姪や長井雅樂の娘など200人を集めたことなど、こういう物語を広めていくことが大切です。「女工哀史」といわれる認識を変えさせる必要があります。
★ 碓氷社本館、安中・松井田・横川には、中山道の街道と養蚕製糸の結びついた遺構があり感動した。入り鉄砲と出女を見張ったであろう碓氷の関所跡。鉄道遺構のめがね橋、日本レンガのレンガが使われていたが、これも近代化遺産。トンネル遺構は心をひかれるふしぎな空間だ。富岡製糸は片倉工業がよく建物をとっておいてくれた。建物はあるが、製糸はどうやっているのか知りたくて、碓氷製糸を訪ねた。製糸工程も興味深かった。新町紡績所もカネボウフーズが保存してくれた。ウィーンの万博に行って屑糸紡績を見てきて出来たものだ。
養蚕は動物・植物の合わさった農業技術。農・工・商がバランス良く配置された産業だと思う。
★ 一度作った都市計画を行政がストップして再計画をするなどということは画期的なこと。B級、C級の文化財で暮らしぶりを大切に残したい。吉野藤見て思うことは活性化した産業(養蚕・製糸・織物)の中から知性の高い人が育っていると言う、その背景が理解できたと言うことです。
★ 鉄鋼業などと比べて、製糸業のシステムは意外に分かり易いもので、理解できた。
藤井 浩氏の「『21世紀のシルクカントリー群馬』キャンペーンの目指すもの」から
★ 祖母は国の蚕糸試験場に勤めていた。父は糸繭商であった。そんな環境の中で育ち「上州は桑原十里桑の実を喰べて唇を朱に染めばや」(読み人知らず)=前橋中学校校友会誌「坂東太郎」より=これを詩人萩原恭二郎が口ずさみ、』伊藤信吉に受け継がれていた。上州を良くあらわす表現と思う。全国で養蚕の盛んなところ、製糸の盛んなところなどそれぞれあるだろうが、養蚕・製糸・織物が一体化している地域はほかにない。
★ 経済的な繁栄の他に精神文化・生活文化に影響を与えている。新島襄、柏木義円、住谷天来などを排出している。目に見えないものにシルクカントリーの影響がある。このシルクカントリーの話をしていると元気になってくる。上毛かるたにもシルクカントリー関係の札も多い。これも今やっているキャンペーンの後押しになっている。しかし、時代の流れで、それらの状況は変わってきている。上毛カルタにあるようなものがなくなっていいのか?なくなって欲しくない。
★ 今回のキャンペーンが何故出てきたのか。2003年に世界遺産登録運を始めたのが、直接のきっかけではあるが、94~(5年間)近代化遺産の保存・活用キャンペーン。91~92近代化遺産総合調査。村松貞次郎先生たちと建築探偵団など「見つめよう地域のアイデンティティー」だった。その延長線上に今回のキャンペーンがあります。
★ 元文化庁長官の川村恒明氏が群馬会館で講演し、イギリスにはブラックカントリー
があり、日本にはシルクカントリーがある。イギリスには鉄鉱・石炭・製鉄があり産業革命があった。それと対比して、日本はシルクカントリーといわれた。そのことばを、今、使わせてもらっている。「絹の物語 未来へ SILK COUNTORY 21世紀のシルクカントリー群馬」は未来に向かってのキャンペーン。
★ 何故残すのか?大金を使って残す必要があるのか?残すことの意味は「懐かしい」は人間だけの感情。歴史を知るだけでも大切なこと。“古い建物は友達”“シルクは古い友達”ともいえる。藤森輝信先生は建物がどうしてあるのか、建築がむやみに壊してはいけない本当の理由は「壊された時にいやな気持ちになる。」から、といっている。現在と過去を継続して考えたいとき、建物や町並みがその役割を果たしてくれる。文化財を残すとは、学問的に大切と言うよりは人間の生理的欲求ではないのか。川村恒明氏は「市民のための文化財を基本とする発想をすべき」と言っている。心の豊かさを求め、歴史を考えるのにどれだけ文化財が役立つことか。
★ 閉塞感を感じる時代に、シルクカントリーを考えること、精神運動として、心を豊かにするものを追い求めるもの、それがシルクカントリーのキャンペーンです。
佐滝剛弘氏の「シルクカントリー遺産の価値と魅力―世界遺産の視点から見た地域再生への課題」の話から
★ 市町村3300のうち98パーセントを見てきた。愛知県をはじめ6つの県で住んだ。50ヶ国を廻り、世界遺産を見てきた。
★ 812件の世界遺産がある。点で登録されているもの(姫路城や原爆ドーム)、線で登録されているもの(京都)、面で登録されているもの(白川郷・五箇山、熊野古道)。最近は「文化的景観」が重視されている。国内では最近重要文化的景観として近江八幡が指定された、県内では水塚・揚げ舟などの景観を持つ板倉町が景観指定を考えている。世界遺産で言えばプラハの歴史地区は6000棟の建物が登録された面の広がりをもつ。
★ 車中心で、街を歩かない、歩いて楽しめる中心街を作り得ていない。小樽・小布施・湯布院などは、街を歩いているのは観光客に限られ、地域の住民は歩いていない。神戸・京都も街歩きと言う面にはなりえていない。点の点在にすぎない。あの巨大な京都駅は世界遺産登録の後に建設されている。
★ フランスの東部ストラスブール(人口10万人)。旧市街全体を歴史地区としている。駐車場を備えた郊外の駅から4本の電車で中心部へ。クルマは中心市街地に入れない。中心部に新しい店が集中を始める。
★ 東日本では路面電車は壊滅状態。前橋も中心街に若い人がいなくなるような施策になっている。学校も郊外に移転している。Park and Walkのルートを作らないとシルクの町に人は戻らない。
★ 広場と路地を大切に。日本には広場の文化はない。人の集まる所は芝居小屋などが広場の機能を果たしてきていたようだ。先日、新町で資料展を地味な場所で地味な展覧会をやっていた。街の中に人の集うところが大切。富岡では製糸場が広場になる可能性がある。単なる文化施設としての活用でない使い方を考えるべきだ。路地も富岡製糸場の出入りで通る道を活用すべきだ。
★ 目に見えないものも世界無形遺産。30カ国が加盟している。大道芸も世界無形遺産になる。エストニアなどではバルト3国の歌が世界無形遺産、歌で民族を一つにしている。
★ 上毛カルタ、群響なども無形文化遺産。養蚕・製糸・織物に関係した建物だけでなく、ダルマ市、神社の碑、カイコの舞、民俗・風俗は放っておくと消えていく。それこそ、残すべきもの。京都は和服で電車に乗ると無料の日がある。
★ 富岡製糸場はナショナルで始まりプライベートになり、富岡市が買い取りパブリックになった。パブリックになって多様性を認め合うこと、市民主体で動くこと、伝道師協会など市民の参加が出てきている。行政と市民に理念が共有されて保存されて行く必要がある。
フリートーク「シルクカントリーの地域再生を考える」
森 まゆみさんの発言から
★ 富岡製糸場が現在あることが知られていないのではないか。教科書に写真を載せる働きかけをすべきではないか。
★ 建造物だけでなく、製糸場の整備公開も必要ではないか。
★ 路地、長屋をこれ以上壊さないで、住民の了解のもとに、再生修理をしていただきたい。
★ ヘリテイジ・ウォークはいいとこめぐり、お宝捜し。長野市では市民や市民団体がマイお宝マップを作って市民に提案している。
★ 箱物の資料館を作る時期は終わっているのではないか。まるごとミュージアム、フィールドミュージアムで展開できないか。宗教まで含めて、すべてが蚕と関連している。群馬は長期滞在できる場所。負の部分も無いわけではないでしょう、それを含めて考えるべき。
★ 高野山もバスで入り込んで、1日で帰ってしまう。高野山の見方としてもったいない。富岡市では10数年前からやってきたことが大切。日本の流れも変わってきている。世界遺産も、タイプの違う遺産が登録されるべき。
★ 石見銀山も対策が無く世界遺産になると生活道路が詰まってしまう。屋久島は入り込み客が多すぎる。ペットボトルが多すぎて、自販機のない島にしようとの動きがある。
藤井 浩氏の発言から
★ 地面から遊離した運動はやがて力を持たなくなってしまう。前橋ではレンガ倉庫が10年まえの7割は壊されている。意識改革にならないと運動が力にならない。
森 まゆみさんの発言から
★ バブルの最中は住民が追い出されないようにするのが精一杯。谷根千では今は、マンションは設計変更して低層で町の中に溶け込むようなものに変更してもらっている。
★ 登録文化財制度が出来て、身近な文化財が残せるようになった。身近な文化財の保存・再生で人々が生き生き生きられるように残すことが大切。
佐滝 剛弘氏の発言から
★ 世界遺産は仕事で廻ったのではない。前橋市内の倉庫も見ている。富岡へ行く時は通常の道路を通り、倉庫・養蚕農家を見ている。上田丸子へ行ってみた。上田蚕種の建物が残っている。昔見たものであるが、群馬に来て再発見している。
★ 県外の人の目線で見てもらうことが大切。地元の目だけでないことが大切。
―絹生かす地域再生提言―と言う見出しで、森まゆみさんが、富岡製糸場の世界遺産登録運動について「建造物だけでなく、関連する人間の物語も深く考えてほしい」と提言したこと。富岡市街地の土地区画整理が再検討されていることを評価したあと「路地のある町は庶民的でかわいらしい。大事にしてほしいと語ったこと。そして、NHKの佐滝剛弘氏が「駐車場を市街地の外に設け、昭和の面影が残る町を歩いてもらうのも意味がある」と提案したこと。その後、上毛新聞の藤井浩氏が“21世紀のシルクカントリー群馬”キャンペーンについて、「絹にまつわる本県の歴史と伝統、風土に光を当て、確かな手応えのあるものとして再発見したい」とその意義を語ったことが記事になっていました。
森まゆみさんのお話から
★ 富岡製糸場を建物としての価値だけでなく、そこにある人間の物語を深く考えることがある。尾高藍香をもっと重視してもらいたい。ポール・ブリューナが設置場所の調査に来た時、外国人を泊まらせるところが無かった。尾高が地元民を説得して泊まらせた。レンガの制作では韮塚直次郎を呼び瓦を焼き、福島でレンガを作らせ、セメントの代わりに漆喰を使っている。ワインを飲むことで“生血を吸われる”という風評に、娘を工女にする。小川町から30人、山口県から井上馨の姪や長井雅樂の娘など200人を集めたことなど、こういう物語を広めていくことが大切です。「女工哀史」といわれる認識を変えさせる必要があります。
★ 碓氷社本館、安中・松井田・横川には、中山道の街道と養蚕製糸の結びついた遺構があり感動した。入り鉄砲と出女を見張ったであろう碓氷の関所跡。鉄道遺構のめがね橋、日本レンガのレンガが使われていたが、これも近代化遺産。トンネル遺構は心をひかれるふしぎな空間だ。富岡製糸は片倉工業がよく建物をとっておいてくれた。建物はあるが、製糸はどうやっているのか知りたくて、碓氷製糸を訪ねた。製糸工程も興味深かった。新町紡績所もカネボウフーズが保存してくれた。ウィーンの万博に行って屑糸紡績を見てきて出来たものだ。
養蚕は動物・植物の合わさった農業技術。農・工・商がバランス良く配置された産業だと思う。
★ 一度作った都市計画を行政がストップして再計画をするなどということは画期的なこと。B級、C級の文化財で暮らしぶりを大切に残したい。吉野藤見て思うことは活性化した産業(養蚕・製糸・織物)の中から知性の高い人が育っていると言う、その背景が理解できたと言うことです。
★ 鉄鋼業などと比べて、製糸業のシステムは意外に分かり易いもので、理解できた。
藤井 浩氏の「『21世紀のシルクカントリー群馬』キャンペーンの目指すもの」から
★ 祖母は国の蚕糸試験場に勤めていた。父は糸繭商であった。そんな環境の中で育ち「上州は桑原十里桑の実を喰べて唇を朱に染めばや」(読み人知らず)=前橋中学校校友会誌「坂東太郎」より=これを詩人萩原恭二郎が口ずさみ、』伊藤信吉に受け継がれていた。上州を良くあらわす表現と思う。全国で養蚕の盛んなところ、製糸の盛んなところなどそれぞれあるだろうが、養蚕・製糸・織物が一体化している地域はほかにない。
★ 経済的な繁栄の他に精神文化・生活文化に影響を与えている。新島襄、柏木義円、住谷天来などを排出している。目に見えないものにシルクカントリーの影響がある。このシルクカントリーの話をしていると元気になってくる。上毛かるたにもシルクカントリー関係の札も多い。これも今やっているキャンペーンの後押しになっている。しかし、時代の流れで、それらの状況は変わってきている。上毛カルタにあるようなものがなくなっていいのか?なくなって欲しくない。
★ 今回のキャンペーンが何故出てきたのか。2003年に世界遺産登録運を始めたのが、直接のきっかけではあるが、94~(5年間)近代化遺産の保存・活用キャンペーン。91~92近代化遺産総合調査。村松貞次郎先生たちと建築探偵団など「見つめよう地域のアイデンティティー」だった。その延長線上に今回のキャンペーンがあります。
★ 元文化庁長官の川村恒明氏が群馬会館で講演し、イギリスにはブラックカントリー
があり、日本にはシルクカントリーがある。イギリスには鉄鉱・石炭・製鉄があり産業革命があった。それと対比して、日本はシルクカントリーといわれた。そのことばを、今、使わせてもらっている。「絹の物語 未来へ SILK COUNTORY 21世紀のシルクカントリー群馬」は未来に向かってのキャンペーン。
★ 何故残すのか?大金を使って残す必要があるのか?残すことの意味は「懐かしい」は人間だけの感情。歴史を知るだけでも大切なこと。“古い建物は友達”“シルクは古い友達”ともいえる。藤森輝信先生は建物がどうしてあるのか、建築がむやみに壊してはいけない本当の理由は「壊された時にいやな気持ちになる。」から、といっている。現在と過去を継続して考えたいとき、建物や町並みがその役割を果たしてくれる。文化財を残すとは、学問的に大切と言うよりは人間の生理的欲求ではないのか。川村恒明氏は「市民のための文化財を基本とする発想をすべき」と言っている。心の豊かさを求め、歴史を考えるのにどれだけ文化財が役立つことか。
★ 閉塞感を感じる時代に、シルクカントリーを考えること、精神運動として、心を豊かにするものを追い求めるもの、それがシルクカントリーのキャンペーンです。
佐滝剛弘氏の「シルクカントリー遺産の価値と魅力―世界遺産の視点から見た地域再生への課題」の話から
★ 市町村3300のうち98パーセントを見てきた。愛知県をはじめ6つの県で住んだ。50ヶ国を廻り、世界遺産を見てきた。
★ 812件の世界遺産がある。点で登録されているもの(姫路城や原爆ドーム)、線で登録されているもの(京都)、面で登録されているもの(白川郷・五箇山、熊野古道)。最近は「文化的景観」が重視されている。国内では最近重要文化的景観として近江八幡が指定された、県内では水塚・揚げ舟などの景観を持つ板倉町が景観指定を考えている。世界遺産で言えばプラハの歴史地区は6000棟の建物が登録された面の広がりをもつ。
★ 車中心で、街を歩かない、歩いて楽しめる中心街を作り得ていない。小樽・小布施・湯布院などは、街を歩いているのは観光客に限られ、地域の住民は歩いていない。神戸・京都も街歩きと言う面にはなりえていない。点の点在にすぎない。あの巨大な京都駅は世界遺産登録の後に建設されている。
★ フランスの東部ストラスブール(人口10万人)。旧市街全体を歴史地区としている。駐車場を備えた郊外の駅から4本の電車で中心部へ。クルマは中心市街地に入れない。中心部に新しい店が集中を始める。
★ 東日本では路面電車は壊滅状態。前橋も中心街に若い人がいなくなるような施策になっている。学校も郊外に移転している。Park and Walkのルートを作らないとシルクの町に人は戻らない。
★ 広場と路地を大切に。日本には広場の文化はない。人の集まる所は芝居小屋などが広場の機能を果たしてきていたようだ。先日、新町で資料展を地味な場所で地味な展覧会をやっていた。街の中に人の集うところが大切。富岡では製糸場が広場になる可能性がある。単なる文化施設としての活用でない使い方を考えるべきだ。路地も富岡製糸場の出入りで通る道を活用すべきだ。
★ 目に見えないものも世界無形遺産。30カ国が加盟している。大道芸も世界無形遺産になる。エストニアなどではバルト3国の歌が世界無形遺産、歌で民族を一つにしている。
★ 上毛カルタ、群響なども無形文化遺産。養蚕・製糸・織物に関係した建物だけでなく、ダルマ市、神社の碑、カイコの舞、民俗・風俗は放っておくと消えていく。それこそ、残すべきもの。京都は和服で電車に乗ると無料の日がある。
★ 富岡製糸場はナショナルで始まりプライベートになり、富岡市が買い取りパブリックになった。パブリックになって多様性を認め合うこと、市民主体で動くこと、伝道師協会など市民の参加が出てきている。行政と市民に理念が共有されて保存されて行く必要がある。
フリートーク「シルクカントリーの地域再生を考える」
森 まゆみさんの発言から
★ 富岡製糸場が現在あることが知られていないのではないか。教科書に写真を載せる働きかけをすべきではないか。
★ 建造物だけでなく、製糸場の整備公開も必要ではないか。
★ 路地、長屋をこれ以上壊さないで、住民の了解のもとに、再生修理をしていただきたい。
★ ヘリテイジ・ウォークはいいとこめぐり、お宝捜し。長野市では市民や市民団体がマイお宝マップを作って市民に提案している。
★ 箱物の資料館を作る時期は終わっているのではないか。まるごとミュージアム、フィールドミュージアムで展開できないか。宗教まで含めて、すべてが蚕と関連している。群馬は長期滞在できる場所。負の部分も無いわけではないでしょう、それを含めて考えるべき。
★ 高野山もバスで入り込んで、1日で帰ってしまう。高野山の見方としてもったいない。富岡市では10数年前からやってきたことが大切。日本の流れも変わってきている。世界遺産も、タイプの違う遺産が登録されるべき。
★ 石見銀山も対策が無く世界遺産になると生活道路が詰まってしまう。屋久島は入り込み客が多すぎる。ペットボトルが多すぎて、自販機のない島にしようとの動きがある。
藤井 浩氏の発言から
★ 地面から遊離した運動はやがて力を持たなくなってしまう。前橋ではレンガ倉庫が10年まえの7割は壊されている。意識改革にならないと運動が力にならない。
森 まゆみさんの発言から
★ バブルの最中は住民が追い出されないようにするのが精一杯。谷根千では今は、マンションは設計変更して低層で町の中に溶け込むようなものに変更してもらっている。
★ 登録文化財制度が出来て、身近な文化財が残せるようになった。身近な文化財の保存・再生で人々が生き生き生きられるように残すことが大切。
佐滝 剛弘氏の発言から
★ 世界遺産は仕事で廻ったのではない。前橋市内の倉庫も見ている。富岡へ行く時は通常の道路を通り、倉庫・養蚕農家を見ている。上田丸子へ行ってみた。上田蚕種の建物が残っている。昔見たものであるが、群馬に来て再発見している。
★ 県外の人の目線で見てもらうことが大切。地元の目だけでないことが大切。