富岡製糸場世界遺産伝道師協会 世界遺産情報

「富岡製糸場と絹産業遺産群」は日本で初めての近代産業遺産として2014年6月25日付でユネスコ世界遺産に登録されました。

伝道師協会西毛県外支部と”高山社を考える会”との合同活動を実施

2008年04月30日 07時24分53秒 | 世界遺産伝道師協会
西毛県外支部では、4月27日(日)藤岡市藤岡にある。ふじふれあい館広場で(AM10:00~PM15:00)高山社を考える会の手伝いをしました。

 主な活動は、いつものように伝道師協会のパネル展示解説(富岡製糸場と絹産業遺産群)とチラシ(世界遺産関連)、それに高山社を考える会のチラシ配布でした。

 野外での活動でしたが、藤岡市経済部商工課との打ち合わせもあって、テントや椅子などが用意され、日差しが厳しい中でも気持ち良く活動することができました。訪れた方ほとんどが県外の方で、どうしてもパネル展示より、ほのかに香るふじの花に引かれていました。

 今回の活動地域は、全国標準の養蚕法といわれる「清温育」を創設した高山社があることから、高山社を考える会(藤岡商工会議所に事務局を設置)の事務局、前川貴志さんとも相談し、チラシの配布(高山社発祥の地)と高山社を考える会の会員の呼びかけを行い、新たな会員を集めることができました。

 これからも、よみがえれ新町紡績所の会、そして今回発足された。高山社を考える会と西毛県外支部が一緒になって、富岡製糸場と絹産業遺産群が世界遺産になるよう活動を進めていきます。(T.F支部長さんの報告です)

写真は藤の花ならぬ、庭に咲いた牡丹です。

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前回に掲載しました西塚 梅についての略歴が届いています。

2008年04月29日 17時47分59秒 | 世界遺産伝道師協会
先のレポートを寄せてくださいました小林さんから西塚梅の履歴について、以下の通りの報告がありました。

西塚 梅の略歴

文政8年 (1825年) 父.速水仲助、母.まつの長女として武蔵国入間郡川越小仙波に生まれる。

天保13年 (1842年) 遠藤栗右衛門の次男.鐘平に嫁ぐ。その後、次男※鏘平を含め4男2女を産む。(長男.三男は早逝)(※遠藤鏘平は明治2年、イタリー公使夫妻等を前橋城に案内)

安政6年 (1859年) 夫.遠藤鐘平、死去。享年43歳。(梅はこの時33歳) 

慶應4年 (1868年) 松平家.家老の下川大夫の薦めで西塚清造と再婚する。

明治3年 (1870年) 深沢雄象.※速水堅曹らが設立した日本最初の器械製糸所になる前橋製糸所に設立当初から係わり、速水と共にスイス人のミューラーより伝習生として繰糸技術の指導を受け、その後、師婦として工女や伝習生の技術指導を行い内部管理を任された。(※速水堅曹は弟にあたる)

明治7年 (1874年) 兄の桑島新平が責任者になった関根製糸所(研業社)に設立前から係わり、約14年間、教師.工女取締を務めた。

明治14年 (1839年) 関根製糸所(研業社)にて長年、工女教師として勉励に励み、製糸業界の発展に寄与したとして群馬県より褒賞を受ける。

明治21年 (1888年) 長年、工女の技術指導.教育.等に携わり製糸業の発展に貢献したとして群馬県知事賞を受ける。

明治21年 (1888年) この年8月初めより病気を患い、10月1日、研業社の北舎にて死去。
享年64歳
墓所は前橋市の森厳寺にある。

※参考資料
1.西塚梅子之像(写真とメモ)
2.西塚家の墓の碑文
3.速水堅曹履歴抜粋
4.速水堅曹自叙伝十六「65年記」 蠶業新報社1914年
5.※「富岡日記.機械糸繰り事始め」 みやま文庫1985年
6.「群馬県蚕糸業史」 群馬県蚕糸業協会1955年
7.群馬県史.資料編17

※5の「機械糸繰り事始め」の記述の中に深沢雄象の娘、孝(西塚梅の助手の役割をした)の語りが載っているが、この中に前橋製糸所、及び研業社に於いての西塚梅の仕事の様子が書かれている。
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速水堅曹の姉、西塚梅について、上毛新聞が記事にしていました(4月27日)

2008年04月28日 09時30分25秒 | 世界遺産伝道師協会
上毛新聞に資料提供した小林春樹さんから。西塚梅についてのレポートが届いていますので、原文のまま紹介させていただきます。


西塚梅について
H20.4.27
小林春樹
はじめに
 平成16年、会社定年後、母方の家系である遠藤家の歴史を調べる中で、伯母(故、大山美代)から父母宛に出された手紙が見つかりました。その中に速水堅曹や西塚梅のことが記されており先祖を知る良い手掛かりを得ました。
この中で西塚梅についてメモで記したものがあり、写真の存在や略歴、表彰等のことが記されていました。又、伯母のコメントとして梅の再婚(夫遠藤鐘平の死去後、明治元年西塚家に入る)に関する疑問が添えられ、私も梅の再婚と、製糸業に就いた関係、速水堅曹との係り、又、前橋製糸所や研業社で梅がどのような役割を果たしていたか、等非常に興味を持ちました。
その後、西塚家の当主である東松山市在住の西塚晶彦氏とめぐり合い、梅に関するいろんな情報を得ることが出来ました。又、速水堅曹の子孫である守谷市在住の速水美智子さんとも知り合い、情報交換をする中で梅に関する情報も頂きました。
梅については富岡製糸場で有名になった横田英のような存在でなく、人名辞典にもその名は刻んでませんが、明治3年、子育ての終えた45歳にして製糸業に入り、工女教育を任されるという稀有な人物で、亡くなるまでの20余年の間、製糸師婦としての任務を全うし、製糸業の発展に寄与したことは評価に値するものと思っております。
前橋製糸所は日本に於ける器械製糸の嚆矢と言われてますが、梅は日本最初の器械製糸の師婦と呼べるのではないかと思います。
以下、今調べて判った範囲内で西塚梅についてまとめてみました。

1.前橋製糸所と西塚梅
明治維新、前橋藩は、開港後盛んになった生糸貿易に着目し、その生糸取引によって利益を得、藩の財政を立て直そうとの動きを見せた。
まず初めに、明治2年前橋藩士の速水堅曹、鈴木昌作、等によって横浜に藩営の生糸売り込み商店として敷島屋庄三郎商店が開設され、続いて明治3年6月に生糸の改良を図り、外国製品に対抗する為、前橋に藩営で我が国初の器械製糸所である前橋製糸所がスイス人、ミューラーの指導の下に設立された。(官営の富岡製糸場は明治5年に創業)この製糸所設立には深沢雄象、速水堅曹が当ったが、実際の実務運営は速水堅曹が行い、速水の親族である兄の桑島新平、姉夫婦の西塚夫妻(清象.梅)も仕事に加わった。
「前橋生糸の沿革」によると(発足当初)速水堅曹、姉の西塚梅はミューラーやシーベルから一人の伝習生徒として技術指導を受けたと記されています。
その後、梅は製糸所の内部管理を任され師婦として工女の指導に当った。

前橋製糸所創業当時の人員構成

※師婦 1人
上女 13人 糸ひき12人
糸仕上 1人
中女  2人 火の係 1人
湯の係 1人
下女 15人 糸ひき上女付12人
師婦付 2人
仕上げ上女付1人
男  1人 (車廻し)
(日本絹の里、第4回企画展「製糸」より)

※前橋製糸所の発足当時の場所は細ヶ沢(現住吉町)で6人繰の機械で作業してたが、手狭だったのですぐに岩神村.観民(現、岩神町)に新築、移動し12人繰で操業しました。上記の人員構成は岩神に移ってからのもので、師婦1人は西塚梅のことです。
 この前橋製糸所の当時の様子について、深沢雄象の娘、孝の口述を記録したものがありますが、(1894.鈴木和一著 器械糸繰り事始め)この中に西塚梅について語った 部分があります。なお、深沢孝は製糸所の中で西塚梅の助手の役割を果たしておりました。

「桑島新平、速水堅曹さんなどの姉になる西塚うめ-私共は「西塚のおばさん」と呼んでいた男まさりの方がいて工場の内部を治めてました。」

「速水さんは専心に経営に当たり西塚のおばさんは内を確く治めて、よく世話をされていました。西塚のおばさんは礼儀作法の事まで細かく世話をやきました。品位ある糸は礼儀を欠き作法くずしては出来るものではない、というのでした。」

これらに見るごとく師婦として梅は速水堅曹を補佐すべく、製糸場の内部管理を任され
工女の礼儀作法まで細かく気配りした様子が読み取れます。

前橋製糸所が岩神に移ったのが明治3年9月ですが、県への移管を経て明治6年小野組に払い下げられる前の明治5年9月、群馬県は明治政府に対し、速水堅曹他男女6名に対する
褒賞を申請している。(群馬県史.資料編17)男女6名の中に西塚夫妻が入っております。

記載されている人名

当県貫属士族             速水堅曹
同  貫属卒              山室喜四郎
同  貫属卒              西塚清象
同  清象妻 製糸婦            梅
同  卒上羽菊太郎女 製糸婦      勇
同  士族大野双免妹 製糸婦     ※浪
同  士族小林準太次女 製糸婦     謙

前橋製糸所は明治5年開業の官営、富岡製糸場と同様に器械製糸を全国に普及させるという養成所的な役目も持ち合わせていたので福井、上田、酒田、等、各地から伝習生を受け入れた。明治6年、水沼製糸場を立ち上げた星野長太郎、熊本県から緑川製糸の設立に係った長野濬平、長野親蔵夫妻、又、宇都宮から来た川村伝蔵も工女を連れて伝習に訪れており、この時、師婦の梅も速水堅曹の下で技術等の指導に当られたのではないかと推察されます。
※大野浪は明治5年、熊本県に派遣され、工女の指導に当られ、功績を上げられた方ですが熊本に行く際、長野濬平は速水堅曹と師婦の梅に対し、派遣の要請を行ったということが1916年発行の「熊本縣蚕業史」に記されております。

2.研業社と西塚梅

 前述の通り、藩営の前橋製糸所は県の管理を経て明治6年、小野組に払い下げられその役目を終えたが、速水堅曹、深沢雄象、等は継続的に生糸の改良、士族授産の道を開くということを目的に養蚕と製糸を兼ね備えた民間の製糸所の建設に取り掛かりました。製糸所は明治8年に関根村に設立され、社名は国産第一の製糸業を研いで行くという意味合いで「研業社」と名付けられた。

この研業社の設立に向けて明治7年、西塚夫婦や桑島新平、等が、その準備に取り掛った様子を速水堅曹履歴抜粋の中に見ることが出来ます。


4月10日.  西塚夫婦ニ観民ヲ引払ハシム、而シテ姉ヲ水沼ヘ遣サントス

(西塚夫婦は前橋製糸所のあった岩神.観民の場所を引き払い、速水堅曹は梅を星野長太郎の水沼製糸場に派遣させ、技術を取得させた。)

4月25日.  関根村天海昇平ノ桑畑及蚕室等ヲ買ント…..中略…..※兄ト※西塚トニテ談判 売買ノ約決ス…. (※兄は桑島新平、西塚は梅の夫清象)

5月7日.  7日ヨリ兄ハ関根ニ滞在寄留ス、同10日西塚夫婦及※岩人関根ニ行直ニ養蚕ヲ 成サシム、此頃日々関根ニ行
 (※岩人は梅の二女、きくの夫で遠藤岩人のこと)

5月23日.  姉ハ星野ト水沼ニ行

研業社は明治8年9月、深沢雄象、桑島新平が責任者となって始まり、その後深沢雄象が座繰製糸の精糸原社の設立に乗りだしてからは、経営を桑島新平に任せた。
西塚梅は前橋製糸所に引き続き工女教師として指導に当ったが、工女取締という地位も得ました。
先に述べた「器械糸繰り事始め」の中で深沢孝はこの研業社でも西塚梅の助手として働いたと語っております。
研業社は桑島新平が代表者の頃、資金不足に陥り、県の融資をを得ながら何とか持ちこたえ明治31年迄操業しましたが、西塚梅は明治21年10月に64歳で亡くなりました。
梅は明治3年の器械製糸の立ち上げから数えて、亡くなるまで20年近くを製糸業に命を奉げた事になります。
研業社の過去の記録は明治31年の火災で、資料が焼失した為、残っておらず人員構成や梅が具体的にどのような動きをしてたかは知ることが出来ません。
ただ、梅は明治14年と亡くなる前の明治21年9月の2回、永年、製糸業に発展に尽くし精励されたとのことで群馬県から表彰を受けたという記録が残っております。

そのうちの一つとして明治14年4月の上毛新聞(第一次)の記事を以下に掲げます。
(群馬県史、資料編19)

(精糸の褒状)
県下製糸の隆盛なるハ、独り同州兄弟の幸福ならず、政府の財政上にも関係する実に大切な事なるが、是につき近頃の佳聞といふハ、此回各製糸場にて、格別優等並びに勉強の工女一千〇三十三名へ本県より御褒状を下されたり、中にも関根研業社の工女取締西塚むめハ、多年職業を勉励し其功労尠なからずとて、金円を賞賜されました、….以下省略
 又、弟の速水堅曹は姉、梅の死去に関して、自叙伝(65年記)の中で 「10月1日、西塚の娣、梅子歿す、同人は20年餘、製糸業に従事し関根研業社に於いても維持の力有りたりき、然るに8月上旬より病気にて終に薬石無効、惜しむ可し、将来此社の事も思ひやらる」
このように述べられ、研業社の経営が思わしくない折、梅の管理能力をいかに買っていたかを知ることが出来ます。そして前橋市の森巌寺にある西塚家のお墓には功績を讃えた※碑文(別紙)があり、速水堅曹により次の歌が詠まれております。

世のひとのめでし色香のをふれども
    ちりても匂う梅の木のもと

※この歌の詠まれた石碑は数年前、前橋文学館が企画展「沈黙の語り部、前橋の文学碑」の中で紹介されている。

梅の人物評価として蚕業新報社が桑島新平の逝去に際し記した文のなかに次のような行がある。

「翁の実妹(?)にして西塚家に嫁せる梅子夫人に至りては製糸の術に達し事業を監し、又人を使ふの能ある女丈夫にして其気性、堅曹氏に酷似せり、故に梅子刀自在世の際は内助の功極めて多かりしと云う」

ここでも研業社に於いて、梅が代表の桑島新平の仕事を夫に尽くすがごとく手助けしていたかが想像できます。

3.西塚梅の詠んだ短歌.句

速水堅曹は生涯の中で多くの短歌を残してますが、梅も、現在いくつか知られております。その中の2首、1句を以下に掲げます。(号は山梅)

1)西南戦争に出向いている息子(遠藤謹承)に返したもの(明治10年.遠藤謹承、従軍記より)

汗しほる身はいとしげに思ふ友
    君か為には忠義尽くせよ

2)母親、速水松子の追善法要で詠まれたもの(明治13年.速水堅曹履歴抜粋より)

身もあとも残る光や飛ほたる

3)父親、速水仲助の35回忌で詠まれたもの(明治18年.速水堅曹65年記より)

瀬をはやみ岩間をつとふ山川の
     はやくも海に浪そたてける


4).遠藤昌孝宅(西塚梅の子孫)に残されていた人物写真と履歴

平成19年1月、遠藤昌孝宅にお伺いした際、家系に関する資料と共に西塚梅の像を見せられ、これが前述の伯母の手紙に添えてあった梅に関するメモの内容と同じであることが確認できました。

 西塚梅の像(写真)の概要
 
タテ11.5cm×ヨコ9cmの大きさで桐の木枠に収まっており写真は明治21年7月に撮られている。
1)木枠の表には、大日本帝国器械蚕糸之開祖.西塚梅子像.明治21年7月写之と記されている。
 2)木枠の裏には梅の詠んだ短歌が2首記されている。
 3)写真の下の部分には大日本帝国器械製糸之祖西塚梅子64歳と記されている。
 4)写真の裏には梅の履歴が記されている。
5)写真の上部には薄い紙で群馬県からの表彰の内容を書いたものが付いている。

 3)の木枠の裏の短歌は字体から見ると速水堅曹の筆跡の可能性があります。
1)及び2)に書かれてるのは、楷書体ですが、これらも速水堅曹の筆跡とも考えられます。
4)及び5)は他と字体が違うので遠藤鏘平か誰かが後から書き加えた可能性が考えられます。

※大日本帝国器械蚕糸と大日本帝国器械製糸と一部字が異なるのは単なるミスなのか?最初はそのように思ったが、これは研業社の養蚕から製糸まで兼ね備えた国産最初の製糸会社のことを「蚕糸」「製糸」の二つの表現で用いたのではないかと考えるようになりました。
いずれにしても日本初の器械製糸所(前橋製糸所)や研業社の創設スタッフの一人として西塚梅を讃えたものです。

梅がこの写真を撮ったのが7月、発病が8月の初め(速水堅曹65年記に記載)、群馬県の表彰が9月、死亡したのが10月、と写真を撮ってからこの間3ヶ月余りの事である。おそらく、この写真は表彰の為に用意したものではないかとも考えられます。

この写真(木枠入り)がいくつ作られたかは、現在確認できるものがこれ一つなので何とも云えませんが、このものは速水堅曹が梅の長男である遠藤鏘平に親の形見として大事に保管するようにと渡したのではないかと想像できます。

なお、この西塚梅の像は他の2点の史料と共に平成20年3月、子孫に当る遠藤昌孝氏より群馬県立文書館に寄託されました。

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前橋市・蚕糸記念館での伝道活動初日(中北毛支部)

2008年04月27日 20時02分30秒 | 世界遺産伝道師協会

4月26日(土)前橋市蚕糸記念館において、伝道活動が行われました。今回の活動は、前橋市文化財保護課により企画された催に、中北毛支部が連携しての活動で、10月までに12回開催されますが、その初回でした。
 
 前橋市蚕糸記念館は、現在開催されている全国都市緑化ぐんまフェアの敷島公園会場内にあって、多くの来館者が見込める場所に位置しておりますが、当日は1日中肌寒く、フェア会場のメインである「ばら」もまだ開花していないなどの悪条件ながら、109名の来館者がありました。
 
 来館者は、栃木県、千葉県からの家族連れや、東京都江戸川区からの団体客など県外者が多かったことが今までとは違った雰囲気での伝道活動でした。
 
 座繰り体験コーナーは、O伝道師とN伝道師が担当し、展示解説はU伝道師が行いました。途中、K中北毛支部長が応援に駆けつけてくれました。
 座繰り体験は、子供たちや若い女性に相変わらずの人気で伝道師は大忙しでした。
 
 展示解説コーナーでは、館内の常設展示を見て大分県出身の「深沢利重」が前橋で活躍していたことを知った同県出身の男性は驚きの話をしていました。また「横浜の三渓園にいったら富岡製糸場と関係する話を聞いた」、「私は吉田芝渓の末裔だよ」、「養蚕道具を捨て切れないで保管庫を作った」などの話を聞くこともできました。
 
 今回の伝道活動は、今までより多くの方から「富岡製糸場へ言ってきたよ」、「大桑を見たし、富沢家へも行ってきた」などの話が出され、世界遺産に対する関心の高まりを感じました。

  2008.4.27    (Y.U伝道師の報告です)
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シルクカントリーぐんま連絡協議会平成20年度総会開催

2008年04月26日 21時51分45秒 | 世界遺産伝道師協会
シルクカントリーぐんま連絡協議た会総会が4月25日(金)に群馬県庁会議室で開催されました。

松浦群馬県世界遺産推進室長の挨拶、近藤会長の挨拶に続いて議題の協議に入りました。

第1号議案は平成19年度事業報告と決算について。事業については平成19年度の構成6団体の共通パンフレットの作成(44,000部)と配布の実績について報告され、6団体用として有効なパンフレットであった、として活用された報告がありました。キャンペーン活動では、5月のイオンモール高崎での活動、8月初旬の桐生八木節まつりでの活動、8月下旬のシルクカントリーin赤岩での活動と、大きな節目を作ってきたことが報告されました。

第2号議案は構成団体の追加です。世界遺産運動の仲間、「高山社を考える会」が3月に結成されましたので、この会を加えて7団体で平成20年度は連絡協議会を組織することになりました。

第3号議案は平成20年度事業計画と予算案です。
事業計画は(1)共通パンフレットの作成→本協議会の活動を紹介し、各資産の訪問を希望する人々が絹産業遺産を周遊できるように、共通パンフレットに「高山社を考える会」を」加えてリニューアルしたパンフレットを作成する。

(2)普及啓発キャンペーンの開催

<1>シルクカントリーぐんま世界遺産キャンペーン2008の開催
 イオンモール高崎が共催する「シルクカントリーぐんま世界遺産キャンペーン2008」を次の通り開催します。
 日 時 :平成20年7月5日(土)~13日(日) 9日間
 場 所 :イオンモール高崎
 内 容 :各団体の活動紹介、参加型イベント等

<2>普及啓発活動の実施
 富岡製糸場と絹産業遺産群をはじめとした重要な県内の絹産業遺産に関る近代化遺産の世界遺産登録運動を広く知ってもらうために、各種イベントへの参加、後援等を行う。

<3>情報交換と連携強化
 各県民団体が作成する絹産業遺産に関る啓発資料や機関誌紙、ブログ・メルマガ等の情報を交換すると共に、各県民団体が実施する事業に対し相互に協力する。

<4>行政との協働
 行政が推進する「富岡製糸場と絹絹産業遺産群」の世界遺産運動と連携・協働して本登録の早期実現を民間サイドから実現できるように努める。

<5>総会・役員会
 総会及び役員会を開催し、連絡協議会の運営・事業の円滑な推進を図り、各団体の活動の活性化に役立て、登録運動の発展を図る。

このような活動を通して、各団体との交流を図り、世界遺産運動の活発化をさらに盛り上げて行きたいということで、総会を終わりました。


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三井ボランティア・ネットワーク事業団の富岡製糸場見学に際しての感想・平成20年4月21日

2008年04月25日 09時35分26秒 | 世界遺産伝道師協会
平成20年4月21日に見学にこられた三井ボランティア・ネットワーク事業団の方々の、富岡製糸場見学に際しての感想が届けられましたので、掲載させていただきます。

◎ 日本製鋼所OB
以下富岡製糸工場に関する雑感です。

・フランス技師ブリュナの名前が何度か出ましたが、彼は建築家なのかそれとも製糸技術者だったのか判然としませんでした。ひとりで両方は出来ないでしょう。

・全体的に説明はレンガを用いた耐震構造についてFOCUSされていたように感じました。もう少し機械の方にも時間を割いてもよかったかなと思います。

・フランスの技術導入に関しては渋沢栄一が主導したとのこと。彼は最後の将軍徳川慶喜の弟の徳川昭武とともに維新前にフランスにひそかにわたり、開国後の日本の技術向上を考えていた人ですが、こんな ところに出てきて驚きました。彼の先見の明がなければ何もなかったでしょう。

・日本の一時代を支えたいわゆる「糸編景気」の裏には女工哀史の影がつきまといますが、そこをうまくオブラートで美化された印象は残ります。
(この部分につきましては、「女工哀史は、官営富岡製糸場の時代ではなく、岡谷などにおける営業製糸工場での出来事なので、機会あれば誤解を解いておいてください。」という意見が寄せられています。)

・お聞きしたところでは世界遺産に登録するのも大変なのにいざ指定されたらどうなるのか財政的基盤が心配です。

◎ 日本ユニシスOB
明治新政府の世界立国を目指した意気込みを、私は感じました。
しかし、この辺りの説明は案内者のご説明の中にはありましたが、展示板では余り感じられませんでした。

旧い建築物というだけでは、百数十年の昔のものは日本では珍しくても、世界中に沢山あると思います。

鎖国の旧い時代から、世界に目を向けた新しい時代への転換、政治経済、社会文化あらゆる面での転換点を意味する遺跡として強調すべきではないでしょうか。

説明された方はすべてよくご存知で、裏話なども面白く聞かせていただきましたが、それはそれとして何を訴えるか「コンセプト」を感じませんでした。その意味で展示内容、方法共にもっと工夫すべきでしょう。

また、展示や説明板が貧弱です。
蚕糸産業について、私を含めて疎い人が多いと思いますので、全体が理解できるようにすることも大切だと思います。
細かなことで付け加えますと、

・駐車場から工場までちょっと歩くのはやむを得ないかもしれませんが、もう少しご町内のお店に盛り上がってもらいたいですね。

・正門付近に入り易いトイレが必要です。館内のトイレは入り難そうで、みな我慢して車場まで行きました。

◎ 三井住友海上火災保険OB
昨日の富岡製糸場の見学にあたりましては、鈴木様をはじめ県庁の皆様方より格別のご高配を賜り誠に有難うございました。帰りのバスの中では、多くの方から、わが国の貴重な産業遺産を直接に見ることができて、非常に良かったとの感想を聞くことができました。ここに改めて皆様方に対して厚く御礼を申し上げます。

◎ 三井住友海上火災保険OB
また見学に際しての中嶋氏の懇切丁寧なご説明には深謝申し上げたいと思います。 鈴木様から宜しくご鳳声下さるようお願い申し上げます。
なお製糸場の見学等につき,率直な意見を申し述べさせていただくならば,次の2点であります。

① 見学時間の長短に応じた説明ボランティア共通の説明マニュアルのようなものを作成しておき,濃淡の無い或いは見学漏れの無いようにする。

② 正面出入口付近に入退場者専用のトイレを新設する。 既設のトイレは特に退場者にとっては不便です。 これは今後大勢の見学者来訪が見込まれる中,急務であろうと思います。


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ノコギリ屋根が、素敵なベーカリー・カフェに!

2008年04月24日 19時28分25秒 | 世界遺産伝道師協会
桐生に出張したついでに金谷レース工場に行ってきましたので、その様子を送付します。(Tさんの報告です)


伝建をめざす桐生市本町一・二町目の町並みを北に向かい、桐生天満宮を右折すると間もなく、新装開店の花飾りで溢れるベーカリー・カフェ「レンガ」が見えてきました。

今日、新装開店したこの店は、織都桐生に唯一残るレンガ造りのノコギリ屋根工場「金谷レース工業鋸屋根工場(国登録有形文化財)」が生まれ変わったものです。一時は取り壊しの危機にも直面していたこの歴史的建造物は、市内でパン店を経営する「ルパン」の英知によって再生しました。

活用して残すという文化財活用の優良事例として、また、「伝統と創造、粋なまち桐生」を象徴する取り組みとして評価できるのではないでしょうか。そして、お店は、明るくオシャレで洗練されていて、何よりパンが美味しかったので、きっと桐生の新しい人気スポットになると思いました。

伝道師の皆様も、買場紗綾市の伝道活動などで桐生本町一・二丁目を訪れた時には、ちょっと足を伸ばしてベーカリー・カフェ「レンガ」にお立ち寄り、素敵な一時をお過ごしください。
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三井V-netの方々が富岡製糸場の見学に訪れました

2008年04月21日 22時04分20秒 | 世界遺産伝道師協会
4月21日、三井V-netの方々が、富岡製糸場の見学にこられました。世界遺産推進室のT係長さんと伝道師協会N副会長さんに対応をお願いいたしました。以下、富岡製糸場を見学された後のV-netの人たちの反応などをS伝道師からいただきましたので、引用させていただきます。

1月にTさんは会長と共に東京に行き、皆様の顔もわかっておられるので、推進室から挨拶に行っていただきました。N副会長さんは富岡製糸場の解説員も兼ねておられるので、解説に当たってくださいました。このことにつきましては

「本日は三井ボランティア・ネットワーク事業団有志45名の富岡製糸場へのご来訪に際しては、丁重なるご挨拶を頂きありがとうございました。
伝道師協会N副会長のご挨拶ならびに懇切丁寧なるご説明に三井ボランティア・ネットワーク事業団理事長ならびに一同心より感謝申し上げておりました。ありがとうございました。」とねぎらいと感謝の言葉をいただきました。

また、製糸場に続く行程につきましては「帰途、妙義の桜の里で花見をし、峠の釜飯を賞味して春のひとときを満喫して行かれました。
桜の里で花見をしながら、それとなく製糸場見学について感想を伺ってみました」とありまして、

感想につきましては「製糸場そのものは大変管理が行き届いて結構であるが、
周辺の商店街が少々見劣りする、というのが大方の感想のようでした。」とありました。

富岡では、まちづくり協議会も動き始めていますが、自分の家、自分の店だけのことではなく、街をどう造るのか、住民が本気で考えなくてはならない時期に来ていると思っています。

今回の三井V-netの富岡訪問についてのまとめを、次のようにしめっくってくださいました。

「今後も同事業団とは関わりを維持してゆきたいと思っておりますが、今回のツアーは『成功』だったとご理解してよろしいかと存じます。」

伝道師協会といたしましても、今後、機会を見つけて、できるところで三井V-netさんとは接点を持って行きたいと考えております。

伝道師の皆様も、色々なところで活動してまいりましょう!
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4月19日に行われた全国都市緑化ぐんまフェア(前橋会場)での伝道活動の報告

2008年04月20日 20時41分47秒 | 世界遺産伝道師協会
今回の演劇隊は、ちょっとしたハプニングから始まりました…。

活動は13:00頃と15:30頃の2回のシフトだったので11:30頃に着くように出掛けました。
しかし、通常では何度もできる、きちんとしたリハーサルが今回は出来ない為に、
仕方なく控室内でリハーサルらしきことを行ったのみで、本番を迎えることになってしまいました。初めての方もいらしゃったので、きちんとしたリハーサルをもっとしたかったのですがが、無理を押しての決行でした。
そんな状況でしたが、控え室でのリハーサルをしていた時に、CDがちょっと音飛びをしていました。
それが今回のハプニングの前兆だったようです…。

1回目の演劇の途中に随所でCDの音飛びがあり、それが激しくなって、突然いつものN副会長の声のCD が聞こえなくなってしまいました…。お客さんも楽しみに集まっていたのに、セリフがまったく無くなってしまったので、我々はほとんど身動きが取れなくなってしまいました。

そんな時、さすがプロのナレーターのAさんはそこをうまく取り繕って下さり、何とか繋ごうとして下さいました。しかし、プロのAさんの手助けを借りても、ナレーションだけでは演劇隊の動きの乱れを修正するのには無理がありました…。

2回目は、うまくいくようにと願って臨みました。結果は、1回目のようなハプニングもなく演劇はいつもの通りに盛り上げて終ることができました。

 2回目は、閉会も近くなっていたので観客数が1回目の人数よりも少なくなっていました。1回目と2回目の出来栄えが逆であればどれほどのお客様方に楽しさを感じていただけただろうかと…。今回の演劇隊の活動はハプニングがあり、悔しさの残った演劇活動でした。


P.S.今回協力頂いたのは、N副会長、Y伝道師、H伝道師、S伝道師、Aさん、
  富岡商工会議所のヘルパーの方2名です。(報告者K.S伝道師)


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世界遺産伝道師になりませんか?第8回富岡製糸場世界遺産伝道師養成講座受講者募集

2008年04月19日 08時27分55秒 | 世界遺産伝道師協会
第8回富岡製糸場世界遺産伝道師養成講座受講者募集

「富岡製糸場と絹産業遺産群」を世界遺産に登録するための普及・啓発活動を行う「世界遺産伝道師」の養成講座を開催します。
 今回の講座では、世界遺産の概要、富岡製糸場を始め県内各地に存在する絹産業遺産群等について学びます。
 講座修了後は、世界遺産伝道師協会に入会し、実際に活動していただきます。

【期日】   6月14日(土)、20日(金)、21日(土)の3日間
       (各日とも9時から17時頃までを予定)

【主な講座内容】
14日(土)  会場/県庁(前橋市大手町)
                講義「『富岡製糸場と絹産業遺産群』の概要」ほか
20日(金)  会場/高崎駅に集合しバスで移動
                講義「富岡製糸場の歴史と文化」
                現地研修 富岡製糸場などの絹産業遺産ほか
21日(土)  会場/県庁(前橋市大手町)
         講義「世界遺産の多様性、絹産業遺産の多様性」ほか
         グループ討論

【定員】   40名

受講料】  5,000円程度(現地研修時のバス借上料など実費負担)

【講師】   国立科学博物館 産業技術史資料情報センター 主幹 清水慶一氏
       富岡製糸場総合研究センター 所長 今井幹夫氏ほかを予定

【主催】   群馬県、富岡製糸場世界遺産伝道師協会

【申込締切】 平成20年5月30日(金)必着

【申込方法】  往復はがきに、住所・氏名・電話番号・勤務先・性別・生年月日・受講目的を明記の上、お申し込みください。(返信面には、郵便番号・住所・氏名をご記入ください。)
        応募多数の場合は、抽選等により受講者を決定し結果をお知らせします。

【申し込み・問い合わせ先】
群馬県世界遺産推進室
        〒371-8570 前橋市大手町1-1-1
        電話:027-226-2326
E-mail:sekaiisan@pref.gunma.jp

【参考】富岡製糸場世界遺産伝道師協会
群馬県と伝道師協会が主催した「富岡製糸場世界遺産伝道師養成講座」の
修了者によって組織された団体です。平成16年8月30日設立。
現在211名の伝道師が、「富岡製糸場と絹産業遺産群」を世界遺産に登録
するための広報活動を、ボランティアで行っています。

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