11月18日(金)、標記の現地学習会が行われました。仕事の関係や体調を崩して不参加になった人も出たため、伝道師11名と推進課の秋山さんの計12名の参加でした。天気は曇りという予報に反してほぼ一日晴れて無風という絶好の研修日和でした。今回初めて集合場所を蚕糸技術センターと境島村公民館の2箇所としました。最終集合場所の境島村公民館から車3台に分乗して9時40分に出発です。
最初の尾高惇忠生家では建物の外観を見学しました。今年が渋沢栄一の没後80年に当たるため深谷市では命日の11月11日を中心に様々なイベントがあったのですが、学習会以前に全てが終了していました。
今月13日のみ尾高家の玄関内を開放したので、当日参加した井上が様子を説明しました。この生家は200~220年前新潟の大工により建築されたこと、農業も少しやっていたが藍玉の販売や油屋という屋号でランプの油を商っていたことなど。裏手の立派なレンガ造りの蔵は、午後見学に行く日本煉瓦製造のレンガを使用していて明治21年以降のものです。
次に尾高惇忠の頌徳碑がある鹿島神社を詣でました。高さ4.5mの立派な碑で題字は渋沢栄一の尊敬する徳川慶喜によるものです。
続いて渋沢栄一生地では解説員に案内され広大な屋敷内を見て廻りました。合わせて屋敷のすぐ前にある渋沢家の墓地も見学しました。 屋敷の北方には櫓のあがった養蚕農家が散見さ れ、島村と同じ蚕種製造を行っていたとのことです。島村とは隣接地であり、島村勧業会社は栄一の勧めで設立されているので島村とはいろいろな意味で関連があったと思われます。
午前の最後は近くの渋沢栄一記念館で、解説員の説明を受けながら栄一の功績や人物について理解を深めました。
「煮ぼうとう」で有名な深谷です。昼食は予約しておいた煮ぼうとうセットを堪能しました。
午後はまず渋沢栄一が創設に関わった日本煉瓦製造株式会社の旧事務所(現在は資料室として利用)を訪ねました。この建物はドイツ人の煉瓦製造技師チーゼが娘クララと暮らした事務所兼住宅です。ここで製造されたレンガ使用の建造物は東京駅や赤坂御所、碓氷線の橋梁やトンネルなど枚挙に暇がないほどです。明治21年創業後、平成18年まで約120年間レンガを焼き続けました。事務所は敷地内の旧変電室とともに平成9年に国の重要文化財に指定されました。
続いてブリッジ・パークに行きました。かつて日本煉瓦から深谷駅までの約4.1㎞にレンガを運ぶ専用線が敷設され、途中3箇所に川を渡る鉄橋が架けられました。その一つ福川に架けられていたプレート・ガーダー橋(鋼板の橋桁という意)が橋の脇の公園に移設され保存されています。線路跡は遊歩道として親しまれています。
次に訪れたのは韮塚直次郎が明治13年「富岡製糸場図大絵馬」を奉納した永明稲荷神社です。深谷市在住の伝道師、鹿島さんと武政さんが深谷市役所で待っていて、役所裏にある神社の中まで案内、説明をしてくれました。小さな神社ですが天井には49枚ほどの植物の絵が奉納者の屋号と共に色彩も鮮やかに描かれています。かつては大変な賑わいをみせていたであろうことが想像されます。大絵馬は近くの田谷自治会館に移されて掲げてあります。お二人はそこに案内し、丁寧に説明してくれました。神社奉賛会の方々もわざわざ見えて、お茶や漬物を出してくださいました。参加者は感激していました。
最後の見学地は栄一の喜寿を記念して、栄一が初代頭取をしていた第一銀行の行員たちの寄附により建築された誠之堂です。東京都世田谷区にあったものを平成11年、深谷市の大寄公民館の敷地に移転したもので、内外ともに素晴らしい意匠です。平成15年国の重要文化財に指定されています。
学習会が終わり境島村公民館に戻ったのは4時頃です。参加者からは充実した研修ができ楽しい一日だったとの感想が聞かれ、これからの伝道活動に少しでもプラスになればと期待がふくらみました。
渋沢栄一が若くして故郷を離れているためかこの大人物についての関心が地元の深谷で今ひとつ物足りない感じがします。島村が構成資産として脚光を浴びてくる中、世界遺産推進の運動の中で富岡製糸場建設にも、島村とも深い関係のある渋沢栄一とその才能を培った深谷について、さらに理解を深めていくことが今後の課題の一つではないかと思いました。
最後に、深谷市の伝道師の鹿島さん、武政さん、接待してくださった永明稲荷神社の奉賛会の皆さんに感謝いたします。
(Y.I 記)