第17回 伝道師養成講座を開催
富岡製糸場世界遺産伝道師協会と群馬県企画部世界遺産課の主催で「第17回富岡製糸場世界遺産伝道師養成講座」が8月26日(土)~27日(日)の2日間、8名の受講者を対象に開催しました。
養成講座1日目(26日)は、群馬県庁昭和庁舎21会議室で午前9時30分からの受付でしたが、受講者の皆さんは早めに受付を済ませておりました。
午前9時45分からの開講式は富岡製糸場世界遺産伝道師協会日下部理事(企画調整担当)の司会で、富岡製糸場世界遺産伝道師協会近藤会長による挨拶に始まり、県世界遺産課活用推進係石原主幹専門員による日程等のオリエンテーションで開講式を終え、休憩の後、1日目の講義が始まりました。
講義1:「世界遺産の基礎知識と日本の世界遺産」と題して富岡製糸場世界遺産伝道師協会井上理事(研修担当)から「世界遺産条約と世界遺産リスト」「世界遺産の義務とメリット」「世界遺産の登録プロセス」「世界遺産の登録基準」「世界遺産としての産業遺産」「日本の世界遺産」と「日本の世界遺産暫定一覧表記載資産」についての講義が行われました。
講義2:「文化財保護法の概要と近代化遺産」と題して富岡製糸場世界遺産伝道師協会近藤会長から「文化財保護法の概要」「近代化遺産」についての講義が行われました。
昼食休憩後、講義3:「『富岡製糸と絹産業遺産群』の価値と概要」と題して、引き続き富岡製糸場世界遺産伝道師協会近藤会長から、「顕著な普遍的価値」「各構成資産の概要」と「構成資産の関係」では技術革新と世界との技術の交流を示すもので、富岡製糸場を中心に「高山社跡」「田島弥平旧宅」「荒船風穴」は技術の集合体であるとの講義が行われました。
講義4:「富岡製糸場の歴史と文化について」と題して富岡製糸場名誉顧問兼富岡製糸場
総合研究センター今井幹夫所長より「近代的な製糸技術・技術者の導入」「近代的な工場制度の導入」「工女募集と派遣された工女」「富岡製糸場を模範として設立された器械製糸場」「労働時間と生産量との関係」「繰糸機の変遷」など、丁寧な講義を受けました。
講義5:「絹産業の基礎知識」と題して富岡製糸場世界遺産伝道師協会町田(睦)伝道師から「蚕糸業のあらましーシルク産業の姿―」「製糸工程のあらましー生糸を作るにはー」「わが国の蚕糸絹業の概要」「群馬県蚕糸業の現状」「群馬県の主な絹産地」についての講義が行われました。
本日の締めくくりの講義6:「伝道師の心得について」と題して、富岡製糸場世界遺産伝道師協会日下部理事(企画調整担当)から、「伝道師の心得」について、まず「世界遺産“富岡製糸場と絹産業遺産群”」の価値の理解を深め、合わせて日本遺産「かかあ天下―ぐんまの絹物語―」「ぐんま絹遺産」の普及啓発を行うこと、そして「個々の伝道活動や広報活動の具体例」を挙げながら、伝道師としての心得を話されました。
午後5時近くの終了でしたが、受講者の皆さんには、疲れも見せず熱心に受講されていました。
養成講座2日目(27日)も群馬県庁昭和庁舎21会議室で午前9時20分から、講義7として、富岡製糸場世界遺産伝道師協会中島理事(広報担当)から、この日のオリエンテェーションと伝道師として伝道活動を行うのにあたっての決め事などの説明を行いました。引き続き「伝道師」が伝道活動のメインである「パネル解説」の方法についての説明を富岡製糸場世界遺産伝道師協会庭屋理事(中北毛担当)が行いました。そして、伝道活動を円滑に行うための施策で実施する「座繰り体験」を富岡製糸場世界遺産伝道師協会岡田理事(会計担当)と安田理事(学校キャラバン担当)のが、「繭クラフト(ぐんまちゃん)体験」を富岡製糸場世界遺産伝道師協会市川理事(西毛・富岡担当)と上原理事(富岡銀座まちなか交流館担当)が受講者に実技を通して、それぞれの体験を行いました。
休憩後、講義8ですが、ここからは伝道師協会の会員も参加する「研修会」としての位置づけとなり、多くの伝道師が加わっての受講となりました。
講義8:「養蚕の歴史と現状―蚕の生態をも含めてー」と題して、(公財)群馬県蚕糸振興会町田順一氏より、「養蚕の歴史」として、古代から現代に至るまでを節目ごとに具体的な絹産業の背景や養蚕技術の開発による生糸生産は画期的に増大した。特に、大正から昭和初期における生糸輸出の絶頂期には、一代交雑種による革新技術の実用化で繭糸量の増加が図られた。戦後から現在では、昭和30年~40年頃に再び蚕糸業はピークを迎えたが、外国からの安価な生糸、絹製品の輸入で太刀打ちできず、激変の一途をたどることになった。次に、「蚕の生態」では、蚕の一生や蚕の内部構造、内部器官など蚕の特徴を、そして蚕と桑の関係を技術面をも含めて詳細な説明がありました。最後に、「カイコの用語」「養蚕用語」の説明があり、大変に有意義な講義に受講された皆さんは十分に理解されたようでした。
昼食休憩後、養成講座としての最後となる講義9:「製糸技術の変遷について」と題して、岡谷蚕糸博物館館長高林千幸氏による講義が行われました。
始めに、「世界の蚕糸王国へ」として『日本が諸外国に開港を迫られて貿易を始めたのは、安政6(1859)年で、輸出品は外国人が最も欲しがった生糸である。輸出される生糸が粗雑であったために、明治3年6月、前橋藩(前橋製糸所)、明治3年10月、東京築地入船町、明治5年8月信州諏訪郡上諏訪角間の小野組深山田製糸場が、それぞれイタリア式器械製糸工場が建てられた。そして、明治5年10月には明治政府が官営富岡製糸場をフランス式で開場し、品質の向上に努めた。その後、明治8年には信州岡谷でイタリア式とフランス式を折衷した画期的な諏訪式繰糸機が開発されたことで、製糸工場は都合の良い場所に進出することができ、その代表例が「片倉」(岡谷市三沢)である。
明治30年には、日本生糸の生産量は、欧州を超え、明治42年には生糸輸出量は世界一となり、その後戦前まで蚕糸王国を築き、それには桑・蚕品種の改良・普及、養蚕・製糸技術の開発など技術開発に負うところ大きかった。』と述べられました。
次に「製糸技術・繰糸器械の発展」では、『わが国の製糸技術の発展は、①第1期(明治初期~明治40年頃)は、世界一の生糸生産国への道を歩む。②第2期(明治40年頃~大正中頃)優良蚕品種の開発・世界一の生糸輸出国への道。③第3期(大正中頃~昭和30年代)諏訪繰糸機から多条繰糸機へ。第4期(昭和30年~平成)自動繰糸機の時代』と、それぞれの時代の特徴を細かく解説してくれました。
「まとめ」として、『わが国の製糸技術の発展は、明治初期のイタリア式やフランス式の繰糸機の導入が端緒ではあるが、その後の開発は、総べてわが国の技術者・研究者。経営者等の創意工夫で行われた点が製糸業の次の近代産業として発展した紡績業・鉄鋼業・化学繊維業・石油化学工業・自動車工業等と本質的に相違をしています。製糸技術開発に関する先人の英知と努力を学び、また今後に伝えることが、これからの新産業創出に当たっての標になる』と述べられました。講義全体を通して、時々のユーモアと軽妙な語り口で、受講者の笑いを誘う場面もあり、時が過ぎるのを忘れさせてくれました これで全ての講座は終了しましたが、この研修を締めくくる「テスト」を行いました。持ち時間30分で、本講座の理解度を計る選択問題が30問で30点、「伝道師」として
与えられた課題に自己の考えを述べる記述問題が70点の計100点です。この結果は閉講式の前となります。
テストの後は「養成講座を受講して感じたこと」をテーマに受講者は2分間の持ち時間の中で発表を行いました。「受講前と今とでは世界遺産「『富岡製糸場と絹産業遺産群』の知識を含め、考え方が違ったことを実感した」、「伝道師協会に入会し、伝道活動に参加してみたい」などの心強い発表がそれぞれありました。
テストの結果は、すべての受講者が成績優秀であったことの報告があり、修了証書が近藤会長から受講者一人ひとりに渡されました。
閉講式では、近藤会長から全体の感想を含めての挨拶が述べられ、本講座を無事終えることができました。
終了後、今回の受講者に対して「伝道師協会」への入会を勧めたところ、受講者8名全員が入会をしていただくことができ、新しい仲間ができました。
(N島 進 記)